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停電とミサイル攻撃の下で ブチャに暮らす親子の願いは

「2023年への願いは、戦争が終わり、普通の生活に戻ることです」

ミサイル攻撃と停電が続くなかで新たな年を迎えたウクライナ。
“虐殺の街”として知られるブチャで暮らす11歳のルスラーナ・ホールダさんが唯一願うのは、「戦争が終わること」だと言います。
わずかな明かりを頼りに暮らす一家を取材すると、語られたのは終戦への願い。そして当時、家の目の前で見た、悲惨な光景についてでした。

クローズアップ現代「戦火が引き裂いた絆 ウクライナ市民たちの記録」

番組ダイジェスト記事はこちらから(2022年11月1日放送)

父が見た惨状と消えてしまった記憶

ブチャ 多くの遺体が埋葬された墓地

去年2月末にロシア軍が進軍してまもなく、首都キーウの攻撃の拠点として占拠されたブチャでは、461人(ウクライナ内務省・2022年6月8日時点)が犠牲になりました。
私たちがウクライナでルスラーナさんに出会ったのは去年10月。彼女たちが暮らしているヤブロンスカ通りは、ブチャの中でも多くの市民が虐殺された、“死の通り”と呼ばれる場所です。
砲撃とともに残虐行為が続いた1か月。ルスラーナさんは兄と両親、祖母の家族5人で自宅の地下室に身を潜めて生き延びたといいます。

父のセルヒー・ホールディーさん(47)。当時は、家族を守ることで必死だったといいます。

身を潜めていた地下室 普段は食料庫として使っている
セルヒー・ホールディーさん

ロシア軍がブチャに入ってきてまもなく、私の家に爆弾やその破片が次々と落ちてきました。爆弾の破片が発する熱を感じたのを覚えています。私はとにかく急いで家族全員を地下室に連れて⾏って、家族の無事を祈っていました。
基本的には地下室にずっといましたが、断水していたため、だいたい2日おきに、家族の水を取りに行くために私は外に出て行くこともありました。

セルヒーさんが見たのは、殺された人々の遺体や切り離された足、腕があちらこちらに散らばる光景だったと言います。
それから、水が必要になったときは、「地下から外に出るのは自分一人だけ」と決めました。
家族の身だけは守りたかったのと同時に、子どもたちには外の惨状を見せたくなかったからです。

セルヒーさん

子どもたちに、外で起きているひどいことはほとんど話しませんでした。砲撃があるたびにものすごい音がするので、全てを隠すことはできませんが、特にまだ小さいルスラーナには話したくなかった。

セルヒーさん

私は外に出る前、いつも地下室に置いていたウォッカを飲みました。お酒を飲まないと、外の道を渡る勇気を持つことができなかったのです。
外に出てロシア軍の兵士に止められたとき、ウクライナ語ではなくロシア語で「お水を取りに行っていい?」と聞くと通してもらうことができました。しかし、私と同じように水を取りに行く途中で殺された人もいたといいます。詳しいことはわかりませんが、近所の男性も殺されました。

しかし、セルヒーさんたち家族にとって、ヤブロンスカ通りで生活をするということは、自分たちの「人生」そのものであり、何があってもこの通りを離れることは考えなかったといいます。

セルヒーさん

私は20年以上ブチャに住み、ここで子どもたちの成長を見守ってきました。
でも、戦争の前のことを何も思い出せなくなりました。どんな風景で、どんな生活をしていたのか。思い出が消えてしまっているのです。
でも、占領下を家族みなで生き延びることができて、いまもこの家で成長する子どもの姿を見ることができている。それが私の喜びです。

解放から数か月 少女が見つけた“夢”

2022年10月、笑顔で夢を語ったルスラーナさんとセルヒーさん

1か月に及んだロシア軍の占領下を生き延びたルスラーナさん一家。去年4月に解放されてから数か月が経った頃、ルスラーナさんは新たな夢を見つけたのだと話してくれました。

ルスラーナさん

解放後、友人と学校に行ってみたら窓も屋根もなくなっていました。パソコンもテレビもなかったです。私たちは学校の周りを歩くことしかできませんでした。
そんな状況のなかですが、私は友人に自分が得意だったメイクをしてあげたことがあったのです。そのとき、とても喜んでくれて嬉しかった。その頃から、私の夢は「メイクアップアーティストになること」です。
私たちの町も少しずつ復活していますし、夢を叶えたいです。

3か月後 少女は夢を語らなかった 

ルスラーナさんの一家に新たな希望が生まれ始めていた去年10月。ロシア軍によるミサイル攻撃やインフラ施設への攻撃が始まり、回復し始めた町に再び“戦争”の影が近づいてきました。

家族の生活を支えているボイラーと水 2023年1月撮影

この写真は、父親のセルヒーさんと兄のヴラッドさんが送ってくれた家の中の様子です。予告なく停電になることが続いているといいますが、「水は常にある状態にしています。電気ボイラーが止まってもしばらくはその余熱で暖まることができている」と知らせてくれました。

父親のセルヒーさんに、いま何を思うのか聞きました。

セルヒーさん

2023年は、戦争が終わる年になってほしいです。時期は、冬を越えた春に終わればいいですね。ただ、一度の戦争で終わるはずもない、と考えるのも正直なところです。数年後にはロシアが再び攻勢に出るかもしれないと、そう感じています。
春に戦争が終わったら、にわとりを飼いたいです。自家製の卵を家族で食べるのです。夏に向けて家族が快適に暮らせるように、納屋とトイレを修理していきたいなと思っています。

そして、娘のルスラーナさんにも、新たな年を迎えての思いを聞きました。
去年10月の取材では、ルスラーナさんはオンラインではなく直接学校に行って友達に会うことを心待ちにしていました。しかしその思いは叶わず、11月以降は停電でオンラインの授業すら参加できないことが多いのだといいます。

インタビューの中でルスラーナさんは、以前話してくれたメイクアップアーティストになるという“夢”については、一言も触れませんでした。
「最大で唯一の願い」として語ったのは、「終戦」への強い思いでした。

ルスラーナさん

2023年への願いは、戦争が終わり、普通の生活に戻ることです。
電気も暖房もある暮らしができますように。
ミサイル攻撃に怯えることがなくなりますように。
それが私の願いです。

この記事の執筆者

報道局社会番組部・おはよう日本 ディレクター
吉岡 礼美

みんなのコメント(2件)

感想
T.U
40代 男性
2023年2月21日
彼らが望んでいるのは、戦争なんてない普通の暮らしなんですよね。この戦争で心に傷を負わせたくない。いつもニュースを見て悲しさ、やるせなさを感じています。とにかく早く戦争が終わって欲しいです。
感想
かに
40代 男性
2023年2月19日
セルヒーさんの話や、ロシア軍によるインフラ施設へのミサイル攻撃などから見て、プーチン政権はウクライナの秩序そのものを攻撃する目的があって、ウクライナに住む人々の生活や文化を壊滅状態に追い込むために行動しているのではと感じています。
近頃はウクライナへの兵器供与のニュースが多くなってきたけど、軍事支援だけでなく人々の生活そのものを確保して立て直していかなければ、結果的にプーチン政権の思うつぼになってしまうのではないかと思うのですが…。