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人権

人権の記事一覧
ゆうま
子どもの頃(特に学童期に)教育虐待、肉体的・精神的虐待を受けていました。母親が精神的におかしい人で自分の思い通りにいかないことがあれば、風呂に溺れさせられたり、突っ張り棒や雨戸を閉める棒(先の尖った金属製の細い棒などで)身体中を思いきり叩かれてよくアザをつくって学校に行っていた覚えがあります。(学校の先生などに気づかれた際は「階段から落ちた」と嘘をついてやり過ごしていました。) 教育虐待という面では、音楽(歌とピアノ)や塾、習字などのいわゆる「芸事」を押しつけてくる人であり、望んでいないことを無理やりやらされました。「勉強しなさい」などの言葉を日々浴びせられ、成績が悪ければ怒鳴りつけられ、こっちが反抗すれば食事を抜きにさせられたり、寒い中外に閉め出されたりしたこともありました。 しまいには、「あんたなんか産まなければよかった」と言われたこともあり、正直無理心中も考えたことがあります。
かに
正直言うと、こうした人々が街中に存在すること自体に恐怖を感じるんですけど…。澤田さんの話にもあるように、自身だけの正義感を元にした行動や逮捕する快感などを味わいたいがための行動が優先されてしまって、社会の中で相手への思い入れを持たなくなってきているのは大きな問題だと思います。 その人の人生を左右するくらい重大な出来事だし(呼び止められるだけで強いストレスを感じる人もいると思う)、犯罪だというならその事実を裏付ける確実な証拠が必要なのに、怪しいとにらんだ相手や気に入らないと判断した相手は味噌も糞もっていう態度で徹底的に排除したりおとしめたりするようなやり方は世直しといえるのかどうかと。
DAN
確かに、今の学校現場は多忙化しています。教師も人間ですから、精神状態を平静に保つことは難しいと思うのですが、職員間でのコミュニケーションを取るのも難しく、悩みを話す同僚がいない。また保護者や子供の実態も学校や教師への批判的な見方をする人の増加。教師の精神状態は板挟み状態です。余裕は全くありません。そんな学校の教師になろうという若者は年々減少。こんな状況を何とか打破できないものかと思います。
Tado
現在63歳です。小学校の高学年のときの担任の先生に毎日のように嫌がらせを受けていました。掃除のときとか昼休みに何故か私のところにきて、暴言を吐かれました。私は成績がよくクラスの学級委員になったのですが、委員は委員バッチをもらえるのですが私は何故かもらえませんでした。学期の最後の日の朝礼では修了書を学級委員がクラスの代表として校長から受け取るのが習わしとなっていて、各クラスの担任教師が受け取り方の作法を、’まず一礼して云々’ と学級委員に教えることになっていたのですが、私は当日まで何も知らずに、その朝礼にでる羽目になり他のクラスの委員がやっている作法をその場で覚えて何とかしました。担任の教師のほうを見るとせせら笑っていました。とてもくやしかったです。60歳を過ぎた今でも、夢に出てきて怒りがこみ上げてきて、思わず目がさめることがあります。もう、そんな思いをする児童がなくなることを祈ります。
4年生女子
私は今母親とこの記事を読みました。 私も1年半虐めを経験し不登校になりました。クラスの子が毎日男子に虐められてる所を発見しその度に庇っていた私が暴力や暴言を受けました。最初はそんなに辛くなかったけど、どんどん周りが冷たい視線を向けるように感じて来て、ある日突然学校に行くのが怖くなりました。私は学校に行くのは普通で休む事も1回も無かったので、休みたいと言う言葉を言うのは少し怖くてわがままって言われたらと思うと怖くて言えませんでした。でも休ませてくれて心の休憩を取れました、でも人間不信になってしまいました。そして病院に行ったら適応障害と言われてしまい、薬を勧められました、でも親が副作用など体を心配して飲まずに居ました。県や市のカウンセラーsswの先生方に今も支えて貰っています。ですが残念ながら転校先で1年経ったある日、4月に来た養護助教諭より不適切指導を受けフラッシバックを起こしました。
ももんが
在日の人に差別発言をすることは同じ日本人としてはずかしいことです 人種や性別、門地で分け隔てなくしていくことを戦中あれだけの苦労をしてつくった憲法で誓ったはずです 私たち日本人は中国や朝鮮から計り知れない文化などの恩恵を受けたことを忘れてはいけないと思います まさに恥知らずになってしまいます 誰にたいしても思いやりが持てる社会にしていきましょう
かに
日本の裁判が結果的に駆け引き重視になってしまっていると同時に、事件が起きた時の状況を総合的に判断できるようにすること、裁判に関わる人全てが立場をこえて意見を出しあえる環境を整えていくことの大切さがよく分かります。 上手く説明はできないけど、それぞれの立場から意見を延べたり、事件の状況を駆け引きの道具として捉えたりするのではなく、裁判を受ける人も同じ人間だから、私が同じ状況だったらどう考えるのかを一人の人間の言葉として相手に伝えていくってことなのかなと。
K S ママ
小学校時に通っていた個人塾の先生のハラスメントで、娘は今でも二次障害を抱えてます。もともとASD気質だったため、10年前の当たり前が理解できなかった様で、先生にはかなり嫌われていた様です。 親もその頃は、先生に任せているからと安心してましたが娘にとっては地獄の時間だった様です。小学生高学年頃から時々情緒不安定になりました。
月見オムライス
私たちは、コロナ禍を経験して、改めて生き物にとって「密度」が生存に欠かせない要素であることに気がつきました。 島国日本は、限られた環境の中で、棚田を開いたり、植林をしたり、村を大事にすることで時によそ者を排除しながら自然との調和の中に生きてきました。 困っている方がいたら助けるのは美徳です。でも、解決はそこにはありません。世界的な人口抑制をしっかり考える時だと思います。
意見者
「アメリカの学校は私服でいい」っていうけど、それにはデメリットもある。まず、小学校と大学は私服だから、ここに関しては日本もアメリカも違いはあまりない。ただ、中学と高校は制服の方がいいと思う。中学生が私服だと小学生と間違われると思う。また、高校生が私服だと大学生と間違われると思う。それと、ほとんどの幼稚園は制服があるだろ。こんな感じで、学年を区別するために、制服があると思う。じゃあ、どうして私立の小学校には制服があるかというと、公立と区別するためかな。