
被害前の自分に戻れなくても わたしは“わたし”を生きていく
「私の姿が、性暴力に対する社会の認識が変わるきっかけになれば」と、テレビカメラの密着取材を受けてくださった女性がいます。2012年にセクハラやレイプの被害に遭った、けいこさんです。
主治医の協力のもと、その日々を取材し、性暴力被害から10年たった今も症状に苦しむ姿、そして、多くのものを奪われながらも夫婦で生きていく姿を記録させていただきました。
被害そのものだけでなく、救いを求めた“社会”に何重にも傷つけられ、“本当のわたし”を失ったというけいこさん。その声は、“わたしたち”の社会に何を問いかけているのでしょうか。
(「性暴力を考える」取材班)
取材させていただいたけいこさんの日々は、下記の番組でお伝えしました。
6月19日(日)(NHK総合)
NHKスペシャル「性暴力 “わたし”を奪われて」
【番組HPはこちら 放送から1週間は見逃し配信をご覧いただけます】
※この記事では性暴力被害の実態を広く伝えるため、被害の詳細について触れています。フラッシュバックなど症状のある方はご留意ください。
ひと事にせず“あなたに何ができるか”考えるきっかけに
私たちがけいこさんの取材を始めたのは、約1年前。「みんなでプラス」に投稿を寄せてくれたのがきっかけでした。
けいこさんの投稿(抜粋)
「私は2012年、教員として働いていた学校の校長から、学校内外でキスや抱きつかれる、胸を触られるなどのたび重なるセクハラを受け、レイプされました。今も症状が残り、苦しんでいます」

メールや対面での取材を繰り返し、夫婦で撮影に応じてくださった、けいこさん(35)と夫のゆうさくさん。けいこさんは、今の自分たちの姿を通して伝えたいことがあると、話しました。
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けいこさん
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「私の姿を見て、性暴力の被害に遭った人って大変なんだ、で終わらせるのではなく、“あしたから、あなたができること”を考えてほしいと思っています。性暴力をひと事にするのではなく、みんなが安全に安心して過ごせる社会になるために、自分に何ができるのか考えるきっかけにしてほしいです」
弁護士・精神科医… 助けてくれるはずの人たちから傷つけられてきた
2011年、けいこさんは私立の高校で国語の常勤講師として働き始めました。教科指導だけでなく、生徒たちの心のケアができる教員になることが夢だったけいこさん。そのために取得した学校心理士の資格を生かせる職場で、生徒や同僚たちと一緒に、充実した毎日を送っていたといいます。
当時使っていた手帳は、授業や個人面談、部活の予定でびっしり埋まっていました。生徒たちと撮った写真を見ながら、「この子は本当に努力家だ」とか、「この子には手を焼いた」とか、まるで今も現場にいるように生き生きと話す姿が印象的でした。
部活の顧問や進路指導の業務も担当し、がむしゃらに働いていた2年目の春。けいこさんが25歳のとき、セクハラ被害を受け始めます。相手は学校の責任者で、50代の妻子ある男性でした。懇親会などで抱きつかれたり、無理やりキスをされたりするようになりました。

徐々に体調を崩して眠れなくなっていったけいこさん。被害に遭う前に心がけていた、生徒たちの小さな変化に気づいて声をかけることもできなくなっていました。このままでは、生徒たちの学びや成長に影響が出てしまう…。しかし、立場の弱いけいこさんは、相手に「やめてください」とことばで伝えることが精いっぱいだったといいます。

誰かに被害を止めてもらい、被害前のように安心して働きたいと、けいこさんは相談窓口を探しました。
性暴力被害の相談窓口としては「ワンストップ支援センター」があり、2018年に全都道府県に設置されています。しかし、被害を受けた2012年には、けいこさんが住んでいた地域にセンターはなく、業務の合間に労働局のセクハラ担当窓口や弁護士を探して回りました。
そこでの対応に、けいこさんは深く傷つきます。
まずは弁護士への相談。いつ、どこで、どんなことをされたか、思い出したくないことを思い出しながら、手書きでまとめたメモを持参しました。ところが「客観的な証拠がないと対応できない」として、解決してもらえませんでした。
そして、とにかく眠れるようになりたいと、睡眠薬の処方を求めて受診した精神科。セクハラ被害について相談すると、医師から「校長という立場にある人が、そんなことするわけがない」「あなたみたいな子どもっぽい容姿の人を性的な対象として見るわけがない」と、否定されたといいます。
当時けいこさんと同じ高校に勤めていた、夫のゆうさくさん。最初は、誰も対応してくれないというけいこさんの話を信じられませんでしたが、ある弁護士との相談に同行した際、その現実を目の当たりにしたといいます。
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ゆうさくさん
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「被害を受けているんだから、しかるべきところに行ってしかるべき対応をしてもらって普通だろうと思っていたんですが、弁護士は『そういう案件は難しいから無理だね』と一点張りだったんですよね。
僕が(妻と)同じ立場だったら心が折れます。たぶんその場で泣き寝入りしますよ。誰からも何もできないって、あたっては言われて、あたっては言われていましたから」
被害に遭ったか、苦痛かどうかは その人の表情から判断することはできない

セクハラ被害を受けるようになって数か月後、けいこさんは、その男性と遠方に出張することになりました。その帰り、車でホテルに連れ込まれたけいこさん。何度も拒絶の意思を示しましたが、無理やり性交されました。体は凍りついたように動かず、一切抵抗できなかったといいます。

その後けいこさんは、勇気を振り絞って警察へ。被害時に録音していた、性行為を拒み続けた音声を提出しましたが、思わぬ壁にぶつかりました。
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けいこさん
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「(録音の会話には)明らかに暴行、脅迫はなかったって。『殺すぞ』っていう、脅迫にあたる言葉はありませんでしたと報告されて。刑事事件にもならないし、捜査もできないと言われました」
刑法では、性行為を犯罪として処罰するには、「同意がない」ことだけでなく、暴行や脅迫を加えられるなどして、「抵抗するのが著しく困難な状態」だったことを立証しなくてはならないとされています。この要件は、明治時代に制定されてから変わっていません。
さらにけいこさんは、自分でも感じていたあるふるまいを警察官から指摘され、ショックを受けたといいます。
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けいこさん
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「『あなたの態度がへらへらしていて、困っているように見えないんだよね』と言われました。そのとき自分でも無意識のうちに、“笑いながら”被害のことを話しているという感覚はあって、なんで私はこんな状況でへらへらしてるんだって、罪悪感や葛藤がありました」

“へらへらしている”とはどういうことなのか。けいこさんの主治医は、被害者が被害の経験を話すとき、淡々としていて平気そうにみえたり、笑っているようにもみえたりすることは、よくみられる反応のひとつだといいます。
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けいこさんの主治医
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「レイプ被害者の直接観察から得られたレイプトラウマ症候群という概念があります。被害直後から数週間までの急性期の被害者は、平静を装おうとしたり、泣き・怒り・笑いが抑えられなかったりなど、さまざまな感情表出のしかたを経験します。そのため被害が申告できなかったり、申告しても被害に遭ったことを疑われたりすることは非常によくあります。なかでも、幼少期に虐待を受けたなどの小児期逆境体験も伴う人は、つらいときに笑うというパターンをずっともっていることもあります。被害に遭ったどうか、苦痛かどうかは、その人の表情から判断することはできないと考えてください」
自分がおかしいのではないと知ったというけいこさん。こうした認識が、被害者支援に携わる人だけでなく、広く知れ渡ってほしいと話します。
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けいこさん
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「被害のことを笑って話すことはしかたがないことなんだよ、それでも苦しいんだよねって。そのひと言あれば、あのときの私はだいぶ救われたと思います。誰でも被害に遭う可能性があるし、身近な人から被害に遭ったことを打ち明けられる可能性もあります。これは多くの人に知っていてほしい知識です」
性暴力によって奪われた “本当のわたし”

大好きな仕事に全力で取り組みたい。そう願って助けを求めた“社会”に、何重にも傷つけられたことで、けいこさんの症状は悪化。生きがいだった仕事を失いました。徐々に人と接することが怖くなり、外出することも難しくなりました。さらに、料理や掃除をひとりで行うことも困難となり、精神障害者と認定され、ヘルパーの支援を受けています。
夫のゆうさくさんと夫婦ふたりでインタビューしていたとき、けいこさんは、当たり前にできていたことができなくなった苦しさ、悔しさを語り出しました。
あれだけ私は働いてて、あれだけできてたのにって、やっぱり思う。
健康な自分を知っているからね。
知っているから悔しい。障害や病状だと受け入れられない。今そこですごい葛藤している。
今はどうなの?
今でも、できないこと、できなくなったことが本当に多すぎるから。こんなの私じゃないって。いっつも毎日思っているよ。本当の私はこんなんじゃない。教員をやって子どもを育てて、友達と一緒にもっと幸せになっているのが、本当の私だって。
ことばじりをとらえるみたいでごめんよ、じゃあ今の自分は本当の自分ではない?
うん、認めたくない。
認めたくない。
うん、これが自分だって絶対認めたくない。こんな寝たきりな状況、ゆうさくの力を借りないと外に行けない、そんな状況認めたくないなっていう。ここまで弱くなってしまったっていうの認めたくない。
そうか…。
けいこさんはこのとき初めてゆうさくさんに、今の自分は“本当のわたし”ではないと打ち明けました。そして、外で働けないなら、ゆうさくさんのために家事をしっかりやりたいと思いながらも、それもできない自分は“何者でもない”と語りました。
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けいこさん
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「例えば『あなたは何者なの?』って聞かれたら、所属を言うじゃないですか。『何々しています』みたいに。私はそれが言えない。家事もほとんどできないから専業主婦でもないし、ここにただ存在してるだけ。必死になってただ毎日を生きているだけの人になってしまった。社会的な役割が無いということは、すごくつらいなって思っています」

けいこさんの主治医は、性暴力被害は“わたしがわたしである”という感覚を破壊するといいます。
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けいこさんの主治医
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「トラウマ体験は、単に心身のダメージを引き起こすだけでなく、『過去があり、今があり、そして未来がある』という、人がその日まで作り上げてきた『世界のなかで存在している』という感覚を、さまざまな意味で切断します。自分はこういうふうであると自然に感じられていたものが失われるのです。とりわけ性暴力は、人と近接したところで振るわれる暴力ですので、人とともにある世界という感覚も損なわれます。こうあったはずの自分や当たり前であったはずの未来像は、その日から毎日奪われていると感じ続けるのです。
例えばけいこさんであれば、職場に通えなくなり、教員という役割や、職場の同僚や大切な教え子たちとの関係、夫と親密な関係をもつことが困難になりました。そればかりか、それまでは何も意識せずにできた日常生活が、過去を思い出して人や周りが急に怖くなったり、突然死にたくなったりなどの症状によって、絶えず脅かされています。本来自然にもっていた『世界のなかにある』という感覚が損なわれる-それが『私の死』という感覚につながります。実存的な危機です。回復のためには、それを1から、0から作り直していかなければいけません」
“生きたい”と“死にたい”が交錯する今

けいこさんが抱く、自分は何者でもないという感覚。それは“死にたい”という気持ちにつながることがよくあるのだと、ふたりは話してくれました。
こんなに苦しいのが永遠に続くんだったらもういいやみたいな。正直ちょっとそこまで思ってしまったんですよね。何のために生きてるんだろうとか、生かされてるんだろうみたいな。夫と一緒に幸せになりたいっていう気持ちもあるけど、でも症状が苦しいからもう死にたいって。
経験した人にしかわからないんだけど、希死念慮は本当に襲ってきて。しかも1人で戦うしかないんですよ。だから飲み込まれないように必死なんですよね。
それに関しては、何も力になれなくてすまん。俺がおらん時間にだいたい来る、あいつら。
うん。あいつらね。
なんか、おるのよな。“魔物”がいろんなところに。けいこはよく戦えている。あいつが来るのはもうしかたがないし、死にたいって思ってしまうこともしかたがない。ただ、それに流されないように踏ん張ってるのは本当に偉いよ。
“死にたい”と“生きたい”が心のなかに同居しているというけいこさん。どれだけ追い払っても、逃げても、忍び寄ってくる魔物のような希死念慮と、今もふたりは闘っていました。
その思いは、被害時の状況や感覚がフラッシュバックしたときにも沸き起こります。
ある日の、ふたりの笑い声があふれる食事の時間。テレビにたまたま映った中高年の男性の姿が加害者と重なり、けいこさんにフラッシュバックの症状が起きました。レイプされたときの感覚が鮮明によみがえり、苦しくなると言います。
けいこさんは希死念慮を抑えるため、料理を残して、ひとりで寝室のベッドにもぐりこみました。黙々と食事を続けるゆうさくさん。時間が止まったようでした。
このように、コントロールできない症状がけいこさんを襲う場面が、撮影期間中に何度かありました。
それでも、どんなときも動揺するそぶりを見せず、「これが日常です」と言うゆうさくさん。被害から10年、こうした日々を過ごすなかで、“未来”に目を向けることを心がけるようになったと教えてくれました。

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ゆうさくさん
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「僕がこの何年かで体得したこととしては、“未来のことを考える”っていうのが一番ですかね。性暴力の被害に遭ってトラウマを抱える人たちは、今ここにいるのは自分じゃないと感じたり、被害を受けたときの精神状態やその記憶にとらわれたりっていうのが、あるみたいなんです。そのときの感情がうわーってなって、『今死にたい』ってなることが(妻も)多々あって。
じゃあどうやったらそれがなくなったと思う?って問いかけちゃうと、それは攻撃なんですよね。なので、もう起きちゃったことはしかたがない。次はそうならないように、こういうふうにしたらいいかもね、とか。そこから先、どうやって生きていくかかなあと」
被害前の自分には戻れなくても“わたし”を生きていきたい

死なないように、ふたりで手探りの状態で生きる日々。朝起きる、夫と一緒に食事をする、休みの日はふたりで買い物に出かけるなど、できることを1つ1つ積み重ね、穏やかな日常を送ることが、今のけいこさんにとって回復につながると言います。
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けいこさん
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「安全に生きることも、奪われてしまったつながりも、全てを元に戻すことは絶対にできないんだけど、今はそれらを再構築している、そういう時期かな。それが私にとっての回復かな。同じ職場に戻ることはできないし、できないことはたくさんあるけれど、でももしかしたら似たような日々をもっとパワーアップして送ることができるのかな」
そしてけいこさんは、男性と学校法人を相手取り、損害賠償を求める民事裁判を起こしました。泣き寝入りしないと決めたのは、「“悪いこと”を許容したくない」という、“教員”としての思いがあったからだといいます。
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けいこさん
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「かつて被害に遭ったときに“逃げた”という体験を持った人間が、今後教壇に立ち続けられたとして、生徒たちに『いじめを許さない』『いじめの被害に遭ったら先生の私に言いなさい』なんて言えるだろうか…という気持ちがありました」
裁判で「同意したことはない」と主張するけいこさんに対し、男性側は、ホテルで性行為があったことは認めながらも、「原告の意思を無視した事実はない」と主張しました。
2019年の判決で裁判所は、けいこさんが録音した音声などから、「原告がこれに同意したとは認められない」と判断。雇用後1年少々の常勤講師だったけいこさんに対し、「立場の違いなどにより、原告が強く拒絶できない状況に乗じ、原告の意に反して行った」と認定。賠償金を支払うよう命じました。
さらに、被害直後は事件化できないと告げられましたが、けいこさんは刑事告訴にも踏み切りました。労災と認定されたことをきっかけに、“自分の人生に疑問を残したくない”と考えたのです。結果は不起訴でしたが、国が事件として扱い捜査をしたというプロセス、“司法的な手続きで、できることはすべてやることができた”という実感が、けいこさんにとって回復につながっていると教えてくれました。
私たちはけいこさんに尋ねました。“わたしたち”の社会に求めることは何かと。
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けいこさん
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「職場でセクハラがあれば、はやしたてたり笑いごとにしたりしない。被害に遭った人のことを責めない。自分のひと言やちょっとした行動が、誰かを傷つけるかもしれないし、救うかもしれないと自覚して、あしたから、身近な人にできることは何かを想像してほしいです。
そして被害に遭った人たちも、安心して被害のことを語れて、つながりを回復することができ、傷つきを抱えたままでも生きられる。そんな、“みんなが安心して過ごせる社会”になることを願います」

取材を通して
けいこさんとゆうさくさん夫婦に最初に会った日。ふだんどんな日常を過ごしていますかと尋ねると、夫のゆうさくさんから返ってきたのが、「死なないで生きる」ということばでした。1日1日、一瞬一瞬を、とにかく生き延びているんだというその意味を、そのときの私は実感できませんでした。とても穏やかで、どんな質問にもしっかりと答えてくれるふたりだったからです。
密着取材させていただくうちに、そのことばの重みが少しずつわかってきました。被害に遭っていたときと同じ季節の気温や湿度、加害者と似た人、加害者のものと似た車…被害を思い出す引き金は、日常にあふれています。フラッシュバックし、それはときに、死にたい気持ちにもつながります。そんなけいこさんを残し、仕事に行かなくてはいけないゆうさくさんの不安はいったいどれほどだろうかと、胸が締めつけられることもありました。
そんな日々、けいこさんが「自分は何もできない」「何者でもない」と言うたびに、ゆうさくさんは「生きてさえいればいい」「けいこはけいこ、それでいい」と伝える姿が、強く印象に残っています。けいこさんは、なんだか納得していないような表情をしているのですが、それでもゆうさくさんは、何度も何度も伝え続けていて、それはけいこさんをひとりの人間として大切にする、心の底からのことばだと感じました。
けいこさんの主治医は、「性暴力の被害者は、人とのつながりにおいて傷ついた人たちなので、人とのつながりのなかで回復していかなくてはならない。そのために、社会全体でトラウマの深刻さや症状について理解する必要がある」と教えてくれました。生きづらそうにしている人の背景に、性暴力の被害があるのかもしれない。不思議にみえる行動は、症状なのかもしれない。そうした認識や知識を皆が持ち、想像することが、けいこさんが願う、誰もが安心して安全に過ごせる社会につながるのかもしれません。
私が少しだけ一緒に過ごさせていただいたふたりの日常は、とても重いものでした。しかし撮影が終わってしばらくたったあと、けいこさんが「実は撮影期間は体調がよく、本当の自分ではなかったのではないか…」という不安を打ち明けてくださり、はっとすることがありました。私たちが、番組や記事で伝えられることは、被害後を生きる方たちの現実のほんの一部だけです。それでも、伝え続けていきたいと考えています。これからも、このサイトに声を寄せてくださるとうれしいです。
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NHKスペシャル「性暴力 “わたし”を奪われて」
2022年6月19日(日)放送(NHK総合)
※放送から1週間は見逃し配信をご覧いただけます。