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お父さんが肌身離さず持っていた、私が小さいときの写真|「あの日」の子どもたちへの10の質問

東日本大震災を経験し、大切な人やものを失った子どもたちに、いまだから語れる気持ちを尋ねる、「『あの日』の子どもたちへの10の質問」。

今回答えていただいたのは、福島県相馬市出身の宍戸ひかりさん(19)。震災当時は8歳、小学2年生でした。

震災前、父と子の2人家族だった宍戸さんは、津波で父や祖母を亡くし、親戚と暮らしてきました。

去年、仙台の大学に進学し、一人暮らしを始めた宍戸さん。新しい人間関係の中で、自身の震災体験を周囲にどう伝えるか、模索していると言います。そんな宍戸さんに、「10の質問」をしました。(2022年2月)

宍戸ひかりさんへの10の質問(再生すると音声が出ます)
宍戸さん

iPhone13を買ってもらったことです。

宍戸さん

3月11日も含めてなんですけれど、月命日だったり、結構、日常でふとしたときに思い出すことが多いです。

宍戸さん

自分の中で変わったことは…震災に対する思いは変わっていないなあと思います。でも、変わっていないところでは、自分の性格上、結構、頑固なところがあるので、譲れないものがあったときは、何が何でも押し通しています。

宍戸さん

「今はつらいかもしれないけれど、後に同じ境遇の友達と出会えるからひとりじゃないよ」ということを伝えたいです。

震災で父を亡くした宍戸さん。周りの友達と家庭環境を比べてしまうこともあり、「泣いたら負け」と、悲しみをこらえて過ごしていたと言います。そんな中、親を亡くした子どもを支援する団体の活動に通い始め、同じ境遇の子どもたちと出会ったことで、少しずつ震災と向き合えるようになったそうです。

宍戸さん

私はどっちも感じます。やっぱりいろいろな経験をこの11年間してきて、いろいろな人と出会って、自分が進むべき道を見つけることができたので、震災で自分の生き方を考えるきっかけになりました。

震災後、スクールカウンセラーなどに支えてもらった経験から、自分も子どもの力になりたいと、養護教諭になるという夢ができた宍戸さん。大学では、子どもと接するボランティアの活動にも参加しています。

宍戸さん

10年後は福島に戻って、できれば浜通り(福島県沿岸部)のほうの中学校か高校で、保健室の先生をやって、子どもたちの学校生活をサポートしています。

宍戸さん

「面倒くさがり屋の私は、ちゃんと保健室の先生の仕事をできていますか?」「ちゃんといい旦那さんをつかまえていますか?」

宍戸ひかりさん
宍戸さん

今いちばん会いたいのは、お父さんです。私は大学で、大好きな吹奏楽を続けながら、養護教諭になるための勉強を頑張っているので、近くで見守っていてください。

宍戸さん

私が思う家族は、何でも言い合える…。いつも一緒にいることが当たり前じゃなくて、いつも一緒にいることができないからこそ、ちゃんと感謝の気持ちを持って、何でも言い合えるような関係だと思っています。

宍戸さん

私の宝物は、お父さんが肌身離さず持っていた、私が小さいときの写真です。

家族のこと、自分のこと、どう話す?

宍戸ひかりさんと、震災で家族を失った若者の対話はこちら

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