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故郷は“忘れられない恋人”

「はじめまして」――ぎこちないあいさつを交わした、初対面の2人。

福島・大熊町出身の齋藤真緒さん(21)と、福島・浪江町出身の小野田恵佳(あやか)さん(22)。東京電力福島第一原発事故によって故郷を離れた2人は今、故郷との向き合い方に葛藤しています。

「同じ悩みを持つ同世代と話したい」という2人の希望で実現した今回の対話。
避難先の環境に慣れる大変さや、姿を変えゆく故郷を見て募る複雑な思い…。
11年間の“気持ちの揺れ”を語り合いました。

(仙台放送局 ディレクター 岡部 綾子)

東日本大震災で、親や家族、故郷・思い出など大切なものを失った子どもたちの“いまの気持ち”を、誰かとの対話を通じて記録する「いま言葉にしたい気持ち」。
「家族」「生き方」「人生」…個人の名前が出る話などはのぞき、ありのままの言葉を残していきます。

齋藤 真緒さん(21)
福島・大熊町出身。小学4年生のとき、原発事故による避難で県内の会津若松市に移り住んだ。大熊町の自宅があった場所は、今も立ち入りが制限されている。震災後、海外の被災地にボランティアに行ったり、語り部などの活動をしてきたが、最近、故郷との向き合い方に悩んでいる。
小野田 恵佳(あやか)さん(22)
福島・浪江町出身。小学5年生のとき、原発事故による避難で県内の二本松市に移り住んだ。浪江町にあった自宅は取り壊された。避難先では震災の経験を周りに隠していたが、千葉県の大学に進学したことを機に、自らの体験を発信するようになった。

「原発危ないから避難して」って言われて…

左:小野田 恵佳さん 右:齋藤 真緒さん

小学生のとき、原発事故によって故郷を離れた2人。会うのは、今回が初めてです。少し緊張気味に始まった対話。最初に話題にのぼったのは、ある日突然、故郷を離れることになったときの気持ちでした。

小野田さん

よろしくお願いします。小野田恵佳と言います。
今22歳で、大学4年生で浪江町出身です。

齋藤さん

齋藤真緒です。今大学3年生で、大熊町出身で、家族は会津若松市に住んでいます。

小野田さん

いろいろしゃべりたいことはあるけど、まず、震災の日はどこにいたんですか?

齋藤さん

私は小学4年生で、学校で帰りの会をやっている最中にガタガタ…って感じで。

小野田さん

その日の夜とかはどうやって過ごしたの?

齋藤さん

母親が学校に迎えに来てくれて、家にたどり着いたけど、不安で具合悪くなっちゃって、ずっと車の中に居続けて。お父さんがそのとき原発で働いていて、帰ってこなくて連絡もとれなくてどうしようみたいな感じだった。お母さんときょうだいと、みんなでかたまって寝て、早朝に、近所の人に「原発危ないから避難して」って言われて避難した。お父さんとやっと会えたのが、2週間後ぐらい。
どうでしたか?震災後の動き。

小野田さん

自分は5年生で、その日は大掃除でワックスがけして。理科室で着替えようと思ったら揺れて、校庭に避難した。家族が車で迎えに来てくれて、1回家に行ったけど停電していたからその日は車で寝た。そのあとは、浪江町の津島というところの集会所にお世話になって。で、「原発爆発した」ってなって、親せきがいる埼玉に行って2週間ぐらいお世話になったのかな。ちょうど学校が始まるタイミングだった。でもその時は、自分の意思で、「関東の学校に通えない」ってなっちゃって。それで(福島に)戻ることにして、そこからは二本松市にずっといる。

齋藤さん

なんで埼玉の学校には行けないって思ったんですか?

小野田さん

ニュースを見て、風評被害…っていう感じで。浪江の人が差別やいじめに遭っているという話も聞いて、それに影響されて無理だ、こっち(埼玉)で生きていけないと思った。そういうイメージがついちゃうというか。福島県全体がそういう目で見られるみたいなところが怖くて。そういうニュースをよく見かけてたから。その当時。

マイノリティーになって自信を持てなくなった

齋藤真緒さん

生まれ育った故郷を離れた2人。新しい住まい、新しい学校、新しい友達…
突然環境が変わったことで、感じてきた戸惑いもありました。

小野田さん

(震災が起きたときは)小学4年生だよね。どういう気持ちで過ごしていた?

齋藤さん

会津に来てから、家族と離れるのがすごく怖くなっちゃって。学校に行くのが嫌で、行っても気持ち悪くなってずっと保健室にいたりして。それで家族に迷惑をかけて、怒られて、なんで自分こんなにダメなんだっていう悪循環…。会津の環境に慣れていくのに必死だった。
小学5年生の冬ぐらいに仮設住宅に行って、やっと生活も落ち着いてホッとした。あと私、結構泣いたりしていたけど学校の先生も友達も、話をちゃんと聞いてくれて。それでだんだん、慣れてきたのかな。

会津若松市に移り住んだころの齋藤さん(写真中央)。新しい環境に慣れるのに必死だった。
小野田さん

安定しないっていうのは落ち着かない要因かもね。より周りの人の目が気になったりとか。
自分も転校先の小学校で、めっちゃ必死だった。でも中学生のときの方が、さらにボロボロ。仲いいって言える友達も、あまりいなかった。なんか距離を感じるなとは思ってた。勉強とかでも、自分が秀でているもの、自信があるものがなくて。孤独感、感じていた時期もあって。

齋藤さん

なんでですか?自信ないって。

小野田さん

やっぱり震災でメンタルが落ちていて。理由が特殊で、逃げてきているというか。自分たちは望んでいないけど、避難せざるをえない。その当時、「転校生」っていう言葉に敏感になっていた。「よそ者」っていう感じがしていたのかな。マジョリティに対して、自分がマイノリティになって自信を持てなくなっていた。「自分っていらないのかな」とか、「受け入れてもらえていないな」とか。実際に、「自分といるといじめられる」みたいなことを言っていた子がいて…。だから人間不信じゃないけど、中1の思い出がほぼ思い出せなくて。体育でこういうことやって楽しかったなとか、学校生活でこの人としゃべって良かったなとか、そういう思い出が一切出てこないから。

福島・浪江町で暮らしていたころの小野田さん
齋藤さん

私は恵まれていたというか、(会津若松市に移転した)大熊町の中学校に通っていたから、壁を感じるとかも全然なかった。相談できる友達に「先生ムカつくんだよね」とか言えたけど、どうだったんですか?

小野田さん

中学生のときは誰にも相談した記憶はない。だから震災の話が出てくるわけもなく。学校のカウンセリングとかも行かなかったし。行ったら負けだと思っちゃう。何なんだろうね。プライドあるのかな。震災の話とかも、クラスでも全然しないし。伝えてなんの影響力があるんだろうって思っていたかな。マジョリティー、マイノリティーみたいな壁を感じて。本来ならもっと楽しいはずなのに。

大熊町は前に進んでいるのに、自分は過去にずっといる

対話の様子(音声が出ます)

齋藤さんはその後、海外の被災地にボランティアに行ったことがきっかけで、自分の故郷に向き合いたいと思うようになり、語り部などの活動を始めます。しかし、次第に“モヤモヤ”を感じることも増えていったといいます。

齋藤さん

私は、高専に入ってやっと大熊町のことで悩み始めるというか…。
2015年にネパール大震災があって、自分で「行こう」と思って高校2年生の時にネパールに行って、現地の人に「震災どうだったんですか?」って聞いて…。自分と比べものにならない。いまだに家に住めないとか、学校に通えないとか…。自分は数か月で学校行けたし、温かい物も食べられたし。全然違うなと思って、自分は本当にありがたいところにいたんだなって思うのと同時に、「いや、待てよ」って。「自分もまだ(故郷に)帰れていないじゃん」って思って。そこから、他の地域で何かが起きたら何かしたいとは思うけど、自分の町、元に戻っていないのにほったらかしていいのかなって感じて。
そこから復興のイベントとか、震災関連のエッセイを書いたりとか、やり始めた感じかな。

小野田さん

そっか。海外って貧困とか飢餓とかの問題も入ってくる。自分がネパールに行った立場だったら、すごく情けなくなっちゃうと思う。

齋藤さん

ネパールは、物とかそんなに持っていなかったり、学校も電気がなかったり…。なのに、こんなに子どもたちエネルギッシュなんだって。自分の場合は、電気もついて、教科書もあるのに、なんでこんなに悩んでるんだ…みたいな。

ネパールの被災地にボランティアに行ったことが、故郷と向き合うきっかけに
齋藤さん

でも、(故郷と)向き合おうってなって、(語り部などを)やり始めると注目も浴び始めて。最初は自分が復興のことをやりたいって思っていたから取材とかにも対応できたけど、高専の4年生になって、「汚染した土をちゃんと除染すれば再生利用できるんだよ」みたいなことを町民に伝える…。説得じゃないけど、そういうことをするイベントで、「あなたは大熊町出身でいちばん説得力あるんだから頑張ってね」って言われて…。

小野田さん

期待されていると同時にだね。プレッシャーが。

齋藤さん

それと同時に、「利用されている?」って思って。自分って取材とかイベントで、もしかして使われているのかなって思っちゃって…。しかも自分的には、大熊町は震災前に戻るって思っていたんだけど、新しくなって変化していっちゃってるから、自分がどんなに頑張っても元には戻らないんだって。大熊町だけどんどん前に進んでいるのに、自分は過去にずっといて、「大熊町だけズルい」みたいになっちゃって。

小野田さん

ズルい。なるほど。そういう感情があるんだ。

齋藤さん

「置いていかないでよ」みたいな感じになっちゃって。そこから大熊、好きだけど嫌いみたいな。

小野田さん

複雑…。

齋藤さん

今の大熊町は震災後から新しく入ってきて町民になった人たちが住む町になっているから。今住んでいる人たちに失礼かもしれないけれど、過去に住んでいた人たちは、あんまり考えてもらえていないのかなとか勝手に思っちゃって…。

“忘れられない恋人”みたいな故郷

対話の様子(音声が出ます)

一方の小野田さんは、大学進学で初めて福島を離れ、関東で暮らし始めたことをきっかけに、それまで触れるのを避けていた震災の体験を、大学の友人などに発信し始めます。
すると“福島”という存在が、自分の中でどんどん大きくなってきたと言います。

齋藤さん

浪江町に向き合いたい、語りたいって思ったきっかけは?

小野田さん

完全に大学で、地元(福島)を離れてのタイミングだけど。イベントとかで震災のこと話したりするようになって…。自分から震災のことを話して、それを受け入れてくれる人を見つけたときに話してもいいんだなって思って。

齋藤さん

いちばんは地元を離れたのが大きい?

小野田さん

いちばんでかい。外に出て全然知らないところで1から生活始めて。いろんな人との出会いとか、心情の変化があったりして。発信するようになって福島っていう存在がだんだん大きくなってきたかな。自分が今何を考えているのかっていうのがちゃんと理解できるようになって。意外と話してみると、あのときこういうことを考えていたんだとか、口に出してみてわかることもあるし。他の人からのフィードバックとか感想をもらって、こういう意見もあるんだとか。

齋藤さん

自分が何を考えているかを知るためにやっているって感じ?私は真逆で。私はどうしても「大熊町のために」。「自分のために」じゃなくて。

小野田さん

あるよ。「浪江町のために」っていうのもあるけど、どっちかっていうと「自分のため」が多いかもしれない。自分の記憶を整理するためでもあるし、人に伝えるためでもあるし。それが結果的に浪江町のためになったらいいなとは思うけど。

齋藤さん

私は、大学の先生にも「大熊町のために何かやらないといけないって感じちゃうんです」って言って…。自分の中で謎の責任感を感じてしまって。

小野田恵佳さん
小野田さん

分かる、自分もある。正直、ゼミとかでも、一発目に浪江町のことを、震災のことをやろうと思うんだよね。そうしないと、自分が自分じゃないって思っちゃう節もあるし。どこかに浪江のことが出てきちゃって。別に縛られているわけではないけれど、そこは多少の義務感があるのかな。

齋藤さん

「なんで出てくるんだろう、大熊」とか思っちゃう。

小野田さん

忘れられない人みたいな印象になっちゃうよね。恋人みたいな。

齋藤さん

私的には、もう忘れたい、捨てたいとか、そういうのじゃないけども…。大熊町の外に出たいっていう気持ちがすごく強くて、関わりたくないって今なっちゃって。どうですか?

小野田さん

でも浪江っていう文字見ちゃうと...やっぱり二本松とか千葉とは違う感覚を感じて。何なんだろうな、あれ。「浪江」っていう2文字が全てを物語っている感じがするから分からなくなっちゃうんだよね。自分がどう向き合っていけばいいのかっていうところは。時に手放すとか逃げるとかも大事って言うけれど、逃げられないで手放せなくなっちゃってるところはある。難しいんだよな…。

齋藤さん

結局、答えは...

小野田さん

出なかったね。いろんな話をして、でもわかんないねってなった。これから探すか…。
初対面の人とノンストップでここまで話すっていうのはない。初めてで。
あっという間、しゃべったら。やっぱ楽しんでいきたいな。これからも。自分の人生だし。

齋藤さん

なんだかんだで、つらいことはあるけど…

小野田さん

結局充実しているのに尽きるかもしれない。正解がないっていうところがね。話せてよかった。

齋藤さん

よかったです。ほんとに。ありがとうございます。

ハートネットTV 「あの日」でつながる、子どもたち

2人の対話は、こちらの番組でもご紹介します。

【放送日】
2022年3月23日(水)Eテレ 午後8時00分 〜 午後8時30分
2022年3月30日(水)Eテレ 午後1時10分 〜 午後1時40分(再放送)

【内容】
大好きな家族や友達、故郷、日常…東日本大震災で大切なものを失った、たくさんの子どもたち。11年の歳月を歩んだ今だから、言葉にできる気持ちがあります。津波で親を亡くし、周囲の子にどう境遇を明かすか悩んできた遺児たち。離れたままの故郷への複雑な思いを語り合う福島の若者たち。そして子どもたちが今、「震災当時の自分」や「未来の自分」へ送りたい言葉とは…。「あの日」の子どもたちの声に、耳を傾けてみませんか?

みんなのコメント(1件)

感想
猫の手になりたい
2022年3月29日
お話を聞いていく(読んでいく)中で、復興という言葉が、「震災前と同じ元に戻る」ではないことだと思った。人はあの時の過去に残され、街だけが前に進み新しくなる。
きっと復興ってライフラインが復旧する、人が安全に住めるようになったという環境だけでなく、そこに人がいないと復興は終わらないのだと思った。

失ったものは元に戻らないじゃなくて、お二人が「大熊町のため」「浪江町のため」と思っている町が戻ってくるように頑張るお二人を応援したいと思った。そして、それが二人の「自分のために」もつながると信じたい。

ただ、一番は自分のその時の気持ちに素直に生きていてほしい。
10年以上も悩み、頑張り続けてこられたと思うから。

時間はかかってもきっと、ネパールの経験から感じた日本というつながりがある国で、そして、自分の思いを少しでも話せる人とつながれたのだから、きっとお二人の想いは復興につながると思う。