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俺らだから、話せることがある

「こういう対談みたいなの初めてじゃん」
「うん、初めてだよ」

東日本大震災で大切な親を亡くした2人の男性。
かつて同じ中学校に通っていましたが、震災を機に離ればなれに。

親を失ったこと、あの日から励みにしてきたこと、そして故郷への思い…

震災後初めて2人だけで会い、これまで胸に秘めていた思いを語りました。

(盛岡放送局 アナウンサー 大嶋貴志)

東日本大震災で、親や家族、故郷・思い出など大切なものを失った子どもたちの“いまの気持ち”を、誰かとの対話を通じて記録する「いま言葉にしたい気持ち」。
「家族」「生き方」「人生」…個人の名前が出る話などはのぞき、ありのままの言葉を残していきます。

戸羽 陸さん(とば・りく/23)
岩手県陸前高田市出身。中学1年生のとき、父・久夫さんが津波の犠牲に。この春、岩手医科大学医学部を卒業し、県内の病院で医者として働く予定。
千田 京平さん(ちだ・きょうへい/24)
岩手県大船渡市出身。戸羽さんとは中学1年生のとき、高田第一中学校の野球部で一緒にプレー。
震災では母・博美さんが津波の犠牲に。中学2年からは大船渡市の中学校に転校。高校時代は花巻東高校で甲子園に出場。大学時代は準硬式野球で日本一に。現在は東京都内の大手スポーツメーカーに勤務。

俺らだから話せること

左:戸羽陸さん 右:千田京平さん

陸前高田市内で再会した2人。震災の前の年、陸前高田市立高田第一中学校に入学しました。
2人とも野球部でしたが、自宅を津波で流された千田さんは別の学校に転校。その後、お互いに会う機会はとんどありませんでした。
戸羽さんは、震災後の生活について千田さんと語りたいと、今回この対談に臨みました。

千田さん

こういう対談、初めてじゃん。陸から選んでくれたわけで、なんで俺を選んだのかなって。

戸羽さん

京平とは話したかったんだよね。1年間しか一緒にいれなかったし、野球はやっていたけど。大学も忙しくて、他の中学・高校の同級生とか中学の野球部で集まるってなった時も、途中で転校しちゃったからいなかったりもするから。
改めて話すんだったら、京平が1番だなって思ったんだよね。
ありがとう、来てくれて。本当に。

千田さん

嬉しかったです。
陸から連絡あって、電話でだいたい趣旨を聞いて。震災のこととか、よく取材を受けるけど、それを話していくべきだなとはすごく思っていて。俺らだから話せることってあるじゃん。伝えられることは、どんどん伝えて発信していかないといけない立場なのかなと勝手に思っていて。

戸羽さん

そうね、俺もそう思う。

なんで医者に?

戸羽陸さん

戸羽さんには幼いころからの夢がありました。
それは、地域医療を担う医者になること。
この春、その夢を叶え岩手医科大学医学部を卒業。県内の病院で医者として働く予定です。

千田さん

すごいね、医者。何で医者になろうと思ったの?

戸羽さん

小学校の時、ぜんそくだったから医者は身近な存在だったし。勉強も頑張れば、それなりには出来たから「なろうかな」って何となく思っていたかな。それが一番だけど、震災関係で言ったら、自分自身も家族とかを亡くしている先生がそれでも避難所をまわって診てくれていたから、「すげえな」って思ったし。それはどの仕事もそうなんだけど。で、医者になろうと思ったかな。

千田さん

じゃあ、小さい頃から医者は夢にはあったの?

戸羽さん

何となくだけどね。

千田さん

震災の影響というか、絡めた感じではあるんだね。夢を。

戸羽さん

結構そういう話もされたり、したりもする。震災関係で新聞に取材してもらったりとかするじゃない。そういうときは、「震災も関係してるんですか?」って聞かれたりするからね。

今でも泣いて起きることが…

対話の様子(音声が出ます)

戸羽さんが千田さんと話したかったことは、「親の死」について。
この11年の経験を語り合う中、戸羽さんは自身の経験を語りました。

千田さん

今年で震災から11年?当時と今では心境の変化ある?

戸羽さん

当時のこととか、それこそ俺だったら親父のことだけど、10年前よりはそこまでつらくなく人には話せるようにはなった。思い出す頻度自体は、震災直後よりは減ったかな。もちろん思い出しはするけどね。忘れたくはないから。たまにそういう話ができるようなのだといいなって思うし。

千田さん

そういう話するの?例えば、家族とか友達とか。

戸羽さん

家族は飲んだときに、たまにとか。

千田さん

するんだ。話すのはもう抵抗は無い感じ?抵抗というか、別にそんな悲観的な感じではない?

戸羽さん

何だろうな。震災の思い出じゃなくて、震災より前の楽しかった話とかかな。どっちかっていうと。そういうのを思い出していかないと、忘れちゃいそうで嫌かな、俺は。忘れちゃうというか、薄れていかない?今でもちゃんと当時の顔とか、どんな表情していたかとか思い出せる?

千田さん

俺はバッチリ覚えてるね。

戸羽さん

そっか、すごい。ちゃんと覚えてるんだ。

千田さん

逆に俺は当時と今では全く心境に変化はないね。毎日思い出すし。母親のことは。だから、去年で10年、今年で11年というのは俺の中では全く無いかな。

戸羽さん

節目とかじゃないって話でしょ、周りは言うけどね。

対話の様子(音声が出ます)
千田さん

ニュースとかで「10年たちました」って。そういうのも全くなくて。
3月11日の次の日、当たり前に12日が来てめちゃくちゃ晴れてて。「なんでこんな残酷な日の次に晴れてんだ」みたいに思ったし。で、その積み重ねで今になってて、それはただの時間の問題じゃん。記憶は薄れることは無いし、その記憶っていうのは忘れちゃいけないと思ってるから、ずっと覚えてるね
母親も死んで葬式もあげたけど、どこかで「まだ帰ってくんじゃないか」ってマジで毎日思ってるから、ふとした時にね。深刻にこうなんないけど、パッて。

戸羽さん

たまに夢で見るとね、そうなんだよね。フワッて、ちゃんと元気に動いてるんだよね、夢では。

千田さん

夢で見るのも辛いけどね。ある程度は、鮮明に覚えているからね。

戸羽さん

泣いて起きたりすることも全然あるからね。

千田さん

起きて泣くこととかあるもんね、思い出して。俺の家の部屋のベッド、起きてパッと(母親の)写真が見えるんだけどね。花と写真があって。
夢で出てきて、起きて見て泣くとかあるもんね。でも、それでいいんじゃないかって思う。

戸羽さん

忘れるよりは、絶対それのほうがいいわ。俺もそれでいいと思ってる。忘れたくない、絶対。

千田さん

この記憶は死ぬまで忘れないだろうな。

戸羽さん

忘れたいわけじゃないけど、だんだんぼんやり薄くなってきちゃうから、「忘れないようにしなくちゃな」って思っている。忘れたくないから。

千田さん

こういう場で発信するのも、しゃべったら俺スッキリするけどね。震災のこととか。

戸羽さん

知らない人からしたら、気をつかわせちゃうし、結局言ったところで本当に分かってくれるわけではないじゃない。普通の周りの人に、言っても申し訳ないっていうか、「言ってもな」って感じになっちゃうからね。

まさか死ぬとは思っていないから

千田京平さん

たとえ悲しい記憶でも、忘れたくないと語る戸羽さんと千田さん。
対話の中で2人は、震災が起きた“あの日”の記憶をたどり始めました。

戸羽さん

震災が起きた日の朝、覚えてないな。

千田さん

いつもと変わんないじゃん。絶対。

戸羽さん

普通に、遅れるわけじゃないけど「いつまで家にいるんだ」って母親に急かされてて、バタバタとチャリこいでた気がするんだよな、くらいにしか覚えてないんだよね。
だから、俺は最後に親父がなんて言ってたかとかも全然覚えてないから、どういうコミュニケーションとったのかは覚えてない。それは、めちゃくちゃ思ったときがあった。「なんで覚えてなかったんだろうな」って。もうちょっと毎日大事にしとけば良かったんだ。

千田さん

当日は、俺ら体育館で卒業式練習だよね。体育館にいて、地震が起きたじゃん。で、校庭に避難したじゃん。校庭1回避難して、また戻ったんだっけ、教室。
寒かったからカーテンとかにくるまって、保護者が来たら一緒に体育館に。
そのときは?すぐお母さんとかが来た感じ?

戸羽さん

いや、俺は次の日の昼か、昼過ぎぐらいまでは来なかったと思う。その日は俺もカーテンにくるまって。俺以外にも何人かいたから、1つのカーテンを2人か3人ぐらいで使った気がするんだよな。
で、寝て起きて、ちょっと人は減ってるじゃない。まだかと思いながら。そのときには、まさか死ぬとは思ってないから。

千田さん

本当そうだよね。絶対、来てくれると思ったもんね。親迎えに。

戸羽さん

母親が訪問看護で市内いろいろな所を仕事で動いてるから、そっちのほうが怪しいかなって。親父は市役所の職員だから、屋上にいるのはラジオの情報かなにかで聞こえてたから、迎えに来るなら親父だろうなって思ってたら、母さんが迎えに来た時に「あれ?」って思ったんだよね。母さんが無事で良かったって思ったのが先だけど、「親父どうしたんだろうな」って。親父はまだ上にいるのかなぐらいに思ってたんだよね、そのときは。

で、避難所に移動して情報を聞いてたけどいないってなって。そこからだよね。たぶん、俺は探しには連れていかれるこはなく、母さんが探しに遺体安置所とかをまわってたかな。

千田さん

地獄だなって思いながら4時間ぐらい歩いて、もう疲れ果てて、帰って来て寝るの。歩き回りすぎて疲れて、倒れる感じで寝て、朝起きて探しに行っての繰り返しだね。やばかった、光景がもう。日本終わったなと思ったもん。子どもながら。

戸羽さん

俺より京平のほうが相当しんどい思いしてると思うわ。

千田さん

いやいや、それは一緒だけどね。
家に神棚があるんだけどそこに俺が...父親がすぐに亡くなってるから父親の写真もあって、俺が一番最後に、母親をバイバイって見送って神棚に拝んでたの。「家族がまたみんな無事で帰ってこれますように」って、毎日拝んでいたね。でもそこで、毎日拝んでいたのに、こうじゃん。神様いないんだなって思ったね。
だって、ふだん想像しないじゃん。親がいなくなるっていうのは。絶対に。俺も父親を亡くしてたから、母親がいなくなるなんか想像してなかったからね。いざそうなったら何も考えなくなるね。不思議なことに。

戸羽さん

つらいとかもなかったね。悲しいとかなくて、「無」。受け止めてなかったからな、現実を。

「誰かの為に頑張れる」のは強い

右端が戸羽さん

震災後、戸羽さんは、医師になるという目標を叶えるため、大船渡高校に進学。周りのサポートも受けながら、岩手医科大学医学部に進学します。
千田さんは花巻東高に進学し、甲子園出場を果たしました。
分野は違えど、夢を叶えるためのモチベーションは何だったのか語りました。

千田さん

頑張れた原動力はなに?

戸羽さん

それは、みんなにお世話になっていて「医者になりたい」ってもう言ってたから。それを知った上で周りの人がサポートしてくれたり。応援してくれたりしてるから、そこには絶対応えなきゃけないなって思った。めちゃくちゃ勉強はしたかな。自分のためだけだと、どこかで限界来たとき逃げられちゃうんだよね。

千田さん

俺も甲子園行ったのも、母親のためにとか、監督のためにとかがすごくあったから、誰かのためにって強いなはすごく思った。それは今も原動力で営業やってるけど。この人のためにとか、この先もその気持ちは持ち続けようと思ったね。

戸羽さん

震災があって、野球をやろうって思えた?

千田さん

完全にもう野球はやれないと。やるエネルギーもなくて。毎日ボーっと過ごしてたから。親もいないってなった時に、野球をやる感じじゃなかったから、やってる場合じゃないって自分で思っていて。野球部やめようと思ったの。道具も無いし。家も流されたから。

戸羽さん

じゃあ何があって続けることになったの?

千田さん

それが今の会社にも繋がるんだけど、うちの会社がプロジェクトをやっていて。震災があった時に「未来プロジェクト」っていう、震災経験者の子どもを助けようみたいな取り組みがあって。俺が震災後にいろいろな取材を受けた時に、新聞とかでたぶん「野球をやっていた子が今できない」ってなった記事を見てくれて、そこで駆けつけてくれてサポートしてもらったの。

母親死んじゃったけど、俺が頑張って活躍して喜ばせてあげたいなって思ったのが1個だね。兄貴にも背中を押してもらった、すごく。「お前は野球で頑張れ」って。その時にまた火がついたね。野球極めようと思って。絶対、甲子園いってやろうと思って頑張った。そこから野球漬け。

現在スポーツメーカーに勤務する千田さん
戸羽さん

かっけえよ。マジで。

千田さん

野球やっているときは忘れるっていう。無心じゃん。もう野球、練習、きついじゃん。考えてる暇ないじゃん。でも、俺の逃げ道の1つだったね。野球がある意味。
それを言い訳にしていた。誰にも負けたくないみたいな。大変だと思われたくなかったから、俺。すごく負けず嫌いなもんで。周りからも「すごく大変そうだね」「可哀想だね」がすごく嫌なの、わかるでしょ。それを見返したいと思って。頑張ってやれば「大変なのに凄いなあいつ」ってなるじゃん、そこを目指したかった。

戸羽さん

俺もそうだと思うわ。
誰かのためになるから、それはマジで忘れないで働かなきゃなって思う。間違っても、金稼ぐためになんては思わないからね、さすがに。

千田さん

今後の夢は?

戸羽さん

いずれ戻って来たいとは思う。いずれ。ここら辺、大船渡か高田かは分からないけど。
岩手から出るつもりは今のところないし、地域医療を頑張るという枠で通わせてもらったから、大学にも。高田とか大船渡は田舎だからさ、地域医療に入るしね。戻ってきて、少しでもたくさん診れたら、1人でも助けれればなっては思うよね。何年後になるか分からないし、全部診られるようになるには、相当年もかかるだろうから、いつになるかはわからないけど、戻って来たいと思ってる。

千田さん

俺も何かしらの形でこの地元、高田、大船渡には貢献したいなとは思ってんだよね。まだ先ね、先。育った場所だからね。ここが。

みんなのコメント(3件)

感想
まゆ
50代 女性
2023年3月2日
陸君のお母様の友人です。陸君、医師になったんだね。心から嬉しく思います。陰ながらいつも応援しています。
感想
竹駒mkanno
70歳以上 男性
2022年3月17日
戸羽くんの姿勢に、大いに心強い限りです。
今後の活躍に期待します。
感想
パグ
40代 女性
2022年3月15日
陸さん、京平さん、これからも応援してます。

私は京平さんのお母さんに大変お世話になり
毎年3月11日は京平さんのお母さんを必ず思い出します。
いつも全力でお兄さんと京平さんのことを思って行動してたお母さんでした!ユーモアで優しくて、時に繊細。
困っている人に自然に手を差し伸べれる素敵な人で私もたくさん助けてもらいました。
これからも節目には必ずお母さんのことを思います。