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人への感謝の気持ちを忘れず日々過ごしてきた|「あの日」の子どもたちへの10の質問

東日本大震災を経験し、大切なものを失った子どもたちに、いまだから語れる気持ちを尋ねる、「『あの日』の子どもたちへの10の質問」。

今回答えていただいたのは、宮城県南三陸町出身の髙橋京佳さん(21)。震災当時は10歳、小学4年生でした。
あの日、町の役場職員として緊急対応にあたっていた父・文禎(ふみよし)さんが町の防災対策庁舎の屋上で津波にのまれ、今なお行方不明です。
現在は、仙台で一人暮らしをしながら、障害がある子どもたちに関わる仕事について大学で学んでいる髙橋さんに、「10の質問」をしました。

髙橋さん

最近うれしかったことは、お正月に久しぶりに家族が集まって、みんなで他愛もない話をして笑いあったことです。

髙橋さんには2人の兄がいて、母は父方の祖母とともに地元・南三陸町で暮らしています。

髙橋さん

テレビとかで震災関連の番組をやっていたり、夜、寝る前、ふと目を閉じたときに思い出すことが多いです。

髙橋さん

変わったことは、人に震災の話を、自分からできるようになったこと。変わらなかったことは、震災当時から人に対する感謝の気持ちを忘れないで日々を過ごしてきたことです。

中学・高校と震災や父のことについて友人には話せなかったという髙橋さん。「経験したことのない人にはわかってもらえない」「話しても現実は変わらない」と考えていたそうです。しかし大学でできた友人に初めて話してみたときに、その友人が涙を流しながら話を聞いてくれたことがきっかけで、自らの話に共感してくれる人もいる、震災の記憶を伝えるために自ら話すことも大事だと考えが変わったといいます。

髙橋さん

今はすごく周りの人に支えてもらいながら、毎日楽しく充実した日々を過ごしていて、「夢に向かって頑張っているよ」と伝えたいです。

髙橋さん

すごく、短かったです。あっという間でした。

髙橋さん

場所はわからないんですけど、結婚して、子どももいて、幸せな家庭を築けていたらいいな、って思います。

髙橋さん

今は幸せですか?

髙橋さん

お父さんに会いたいです。「いま元気だよ」っていうのと、「みんなに支えられながら一生懸命生きているよ」。いつかまた会えたら、いろいろな話をしたいから、そのときはお酒を飲みながら一緒に語ろうね、って伝えたいです。

髙橋さん

私の頑張れる源です。

髙橋さん

宝物は、私の周りにいる人たちです。家族だったり、友達だったり、バイト先の方だったり、私に関係するみんな、宝物みたいな存在です。

髙橋さんは今「発達障害がある子どもたちに関わる仕事がしたい」という夢を持って、障害がある子どもたちが通う放課後デイサービスの施設で子どもたちの支援をするアルバイトをしています。

大学の友達と

クローズアップ現代+ 「東日本大震災から11年 今だから話せる“あの日”のこと 家族の対話」

【関連番組】
髙橋京佳さんを取り上げたクローズアップ現代+です。(2022年3月2日放送)

東日本大震災で被災した子どもたちが、胸の内にしまい込んできた思い。
「家族を心配させたくなかった」「傷つけることが怖かった」
10代半ばや20代に成長した今、初めて家族に打ち明けました。
震災から11年を経て行われた家族の対話。再び歩み始める姿を見つめました。

東日本大震災11年 特設ページはこちら

東日本大震災が起きた2011年3月11日から11年。
NHKは今年も、被災地・東北の「これまで」と「これから」、地域の人々の思い、震災を「忘れない」ことの大切さなどを、さまざまな視点から番組を通じてお伝えします。

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