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出会わせてくれて、ありがとう

小学2年生のとき、大好きなお父さんを津波で亡くした萩原彩葉さん。悲しみにくれる家族の前では涙も見せず、笑顔で過ごしていたといいます。

初めてつらい気持ちを話せた相手が、親を亡くした子どもを支援する「あしなが育英会」のボランティア、森田望奈未さんでした。

自分を支えてくれた恩人ともう一度会いたい――。彩葉さんの強い思いで実現した4年ぶりの再会。
震災後の歩みや気持ちの変化、そして今後の生き方について語り合いました。

(仙台放送局 ディレクター 岡部綾子)

東日本大震災で、親や家族、故郷・思い出など大切なものを失った子どもたちの“いまの気持ち”を、誰かとの対話を通じて記録する「いま言葉にしたい気持ち」。
「家族」「生き方」「人生」…個人の名前が出る話などはのぞき、ありのままの言葉を残していきます。

萩原 彩葉(さわは)さん(19)
仙台出身で、小学2年生のときに震災を経験。自宅は内陸部にあり、母やきょうだいは無事だったが、仕事で宮城沿岸部の名取市閖上(ゆりあげ)に行っていた父・英明さん(当時36)を津波で亡くした。
森田 望奈未(みなみ)さん(26)
神戸出身で、親を亡くした子どもを支援する「あしなが育英会」のボランティア。自身も5歳の時に父を亡くしている。東日本大震災の3年後、仙台のあしなが育英会を訪れた際に彩葉さんと出会った。

最近、気になる“バージンロード問題”

対話の様子(再生すると音が出ます)

去年、大学生になった彩葉さん。望奈未さんとの再会は、中学校を卒業したとき以来、4年ぶりです。
19歳になった彩葉さんと、26歳の望奈未さん。2人の対話で最初に話題になったのは、“結婚式”の話でした。

望奈未さん

めっちゃ久しぶりや。元気やった?

彩葉さん

4年も会ってない。(最後に会ったのが)中3の3月だから。

望奈未さん

4年か。早いわ。彩葉は彼氏できたん?

彩葉さん

できてない。どうすればいい?

望奈未さん

好きな人もおらんの?

彩葉さん

うん。どうしようもできないの。早く結婚したいんだけどね。考えだけが膨らむの。
私、バージンロード誰と歩くんだろう。
“バージンロード問題”ね。お父さん亡くなった子は。私はお兄ちゃんなのかな…

萩原彩葉さん
望奈未さん

お兄ちゃんの気持ち次第やな。

彩葉さん

嫌だって言うと思う。でも頼んだら別にいいけどって言いそうだけど。

望奈未さん

自分より、一緒に歩いてもらう人のほうが絶対感動するし、その人にとってすごく大事な時間になると思う。“親じゃないけど親”みたいな。
私もまだ結婚式、あしなが育英会の友達のところしか行ってないから、両親卓に必ず片親しかおらんのよ。“普通”ってどういう感じだったっけ…みたいな。
手紙の時間も、新郎新婦、お母さん宛てに手紙読むやん。お母さんおらへんからお父さん宛てになるわけよ。

彩葉さん

そうか、手紙読むのか。うわ、嫌だな、私。読みたくない。

望奈未さん

手紙たくさん読まないと!
“お父さん(仮)”、あしなが育英会の職員にたくさんいますけど(笑)。

最初に告白したのは、“死にたい”という気持ち

彩葉さんと父・英明さん  「友達より父ちゃんと遊びたい」という“お父さん子”だった

彩葉さんと望奈未さんが「あしなが育英会」で出会ったのは、震災から3年後。彩葉さんが小学5年生の時でした。仙台の内陸部に暮らす彩葉さんは、周囲に同じ境遇の子がおらず、お父さんを失った悲しみを誰にも言えずに抱えていました。当時どんな思いだったのか、望奈未さんは彩葉さんをどう見ていたのか、改めて振り返りました。

望奈未さん

最初に彩葉を見たときは、しゃべりたいことも隠してるし、人の様子を見てるなって思ったのは覚えてる。みんなの前では、そんなにしゃべらなかったもんな。

彩葉さん

そう。2人になったときに、ぶわって泣いたような感じだった。望奈未はただ楽しい話を延々として、私が話したいときにいてくれたから、それがよかったんだなって改めて思う。

望奈未さん

でもそれは、お互いさまや。「なんとなく話したいな」で話すほうがいいやん。

彩葉さん

私、小5のときに、いじめ受けて。
防災頭巾がごみ箱に捨てられたりとか、お昼休みに外から帰ってきたら、上靴に画びょう入ってたりとか、あったの。だけど、あまりなんとも思ってなかったの。父ちゃんが死んで、それ以上の「つらい」がなくて。自分が思う「つらい」に、何も感じられなかったから。友達に対して「なんで」とかはなかったけど、父ちゃんのことをばかにしてくるような言い方をされたときに、初めて死にたいって思った

あしなが育英会のイベントで交流する彩葉さんと望奈未さん
望奈未さん

その話、彩葉と最初にしゃべった時、聞いたもんな。

彩葉さん

それがいちばん最初に私が告白したことだと思う。でも本当に死のうって思っていたし、電車待っているとき、今飛び降りたら痛いのかなって思うこともあった。
あしなが育英会に行っても、死にたいっていう気持ちがなくならなかったら死のうって思ったときに、望奈未に話して…。それで、自分の世界が学校だけじゃなくてあしなが育英会にもあるし、もっと探したらあしなが育英会以外にもあるって思ったら、小学校でやられたことで死んだら、もったいないって思って、死ぬっていう選択がなくなった

望奈未さん

ほんまに誰にも言ったことないけど、私も父親が自殺してるから、自殺ってものがいちばん近いわけよ。身近にあって。いろいろなものを感じ過ぎて、生きるのがしんどいってなること、いっぱいある。今もあるし。でも、自殺を選ぶことで周りがどういう気持ちになるかって考えたら、もう絶対選ばれへんわけよ。遺族としてのつらさは、我々いちばん身にしみてるから、とりあえず生きててくれと。生きてることが幸せやから
こちとら、おやじ生きててほしいのに、死んでるから。っていうか、死んだら幸せになられへんけど、生きてたら幸せになれるわけやん。だったら、今しんどくても生きて、楽しく生きられるように、自分なりに努力して幸せになれたらいいかなって思う。

「親を亡くしたから優しくしなきゃいけない」は嫌だった

高校時代の彩葉さん バレーボール部のマネージャーに

望奈未さんと出会い、少しずつ父の死と向き合えるようになった彩葉さん。
「自分も誰かを支えたい」という思いが芽生え、高校時代はバレーボール部のマネージャーとしてチームの全国大会出場を支えました。
でも実は、部活の仲間に、父が震災で亡くなったことを言わずに過ごしていたと明かしました。

彩葉さん

私、高校3年間、お父さんを亡くしたって言ってなかったの。

望奈未さん

何で?

森田望奈未さん
彩葉さん

聞かれたり、自分が話したいって思ったときに言えばいいかって思ってたけど、別に家族の話とかしないし、日常の話とかバレーの話ばっかりだったし。「私、実はお父さん死んでるんだよね」なんて言えないじゃん。

私は部活で「彩葉はずっとにこにこ笑ってくれてる」って言われてて。「彩葉は幸せそうで、明るくていいね」「苦しいとか、つらいっていう顔を見たことがない」って…。だから、重い話をしたら見方が変わるんじゃないかと思ったし、「親を亡くしたから、優しくしなきゃいけない」とか、みんなに思ってほしくなくて。それで対応変わるとか、ほかの子たちと違う接し方をされるのが、嫌だなって思って。

望奈未さん

なるほど。知った側からすると、言ってくれよってなるけど、自分が大事やからな。言う、言わへんは。

彩葉さん

去年、私たちのバレー部が全国大会に行けるってなったときに「震災から10年経って、大事な年に全国大会に行けるのはどうですか?」ってインタビューされて、「私は父親を亡くして…」って話したら、「彩葉さんに密着してもいいですか」って言われて。
ベスト8までいったから、いっぱい取材してもらって。でもみんな、「なんで私に密着してるの」みたいな感じだったの。だってマネージャーだし。「私もよくわかんない」ってはぐらかしてたの。
そしたら、放送見たら、案の定みんな「え?」みたいな。

みんなに「なんで言わなかったの」って言われて。インスタのメンションでみんなが「見たよ」とか、「彩葉がマネージャーで良かった」って言ってくれて、逆に私も「君たちがバレー部で良かったよ」みたいな。

望奈未さん

いい関係やな。テレビっていろんな人に広めるためにある媒体やけどさ、彩葉の友達にいちばん響いたんじゃない?

彩葉さん

でも、学校に片親の子も多かったから。親が離婚した子との苦しみと、死別した子の苦しみって違うけど、いないことでさみしい思いをしてるのは一緒だから。後輩がそういうことで悩んでたときに、「こういう見方もあるし、私はこういうふうに思ってたよ」とか言えるようになった。

望奈未さん

親を失ったからつらいとか、片親だからつらいっていうのもあるけど、そこに上下はないやん。死因の中でも、自殺がしんどいとか、病気がしんどいとか、いろんな人がいていろんな苦しみがある。それに気づけるきっかけをもらったのは、遺児になって、苦しいことを経験したから。そういう人たちが集まったりして、自分の思ってることを話したりできるのって貴重やなって思う。いろんな人と出会えたらいいな。

この経験があったからできること

対話の様子(再生すると音が出ます)

大学生になり、将来を考え始めた彩葉さん。
震災は悲しい出来事だったけれど、その後を生きる価値観にもつながったと言います。
苦しいときに支えてくれた望奈未さんに、これからどう生きていきたいか、“決意”を語りました。

望奈未さん

今、彩葉、大学生やもんな。夢は何になるの?

彩葉さん

養護教諭になりたくて勉強してる。震災だけじゃなくて、私はいじめにも遭ってたから、そういう子の力にもなれたらいいなってずっと思ってて。
私が小学校で保健室登校になったときに、「行きたくないなら別に行かなくてもいいよ」って、保健室の先生が優しくしてくれた。そういうのって必要だし、教室に居場所がない子もいるし。
今多いじゃん、小学生でもいじめに悩んで死んじゃうとか。何もなかったら氷鬼とかして、みんなできゃーきゃー遊んでるのに、そういう子たちが人間関係に悩んで死んじゃうなんて悲しい。
ちっちゃいころの思い出がいじめられて悲しい、暗い記憶のままっていうのも、私は嫌だったから。だから、そういう子どもたちの居場所をつくってあげられたらいいなって思って。保健室の先生が一番いいかもって思って、今勉強してるの。

望奈未さん

そうか。彩葉との共通点また増えたな。私も子供の教育がずっとしたいからさ。
その中で、自分しかできへんことってなんやろう。私は自殺でおやじを亡くしてるから、自殺対策とかに関心強いけど、彩葉も同じように、震災遺児としてできること多いやん。
震災は1年に1回、絶対にスポット当たる。そういう機会に、言葉を出せていったらいいな。
神戸(阪神・淡路大震災)は、もう27年経ってるし、ちょっとずつ薄れている。でも忘れたらあかんことやし。忘れへんために、誰が何をするかっていうところやな。

彩葉さん

だんだん知らない子とかも増えていくし。

望奈未さん

そうよ。もし「東日本大震災で親を失いました」って言って「東日本大震災って何?」って言われたら、どうしようってなるやん。自分が経験したことを広げていくって、使命よな、ある意味。

彩葉さん

そうだよね。地震って、やっぱり日本にいたら5年に1回とか、10年に1回とかあるようなことだし、海外でも地震あったりするから。災害はどうしても地球に住んでたら切り離せないことだから、忘れちゃって、もっと改善できることができないまま過ぎていっちゃって、また同じことの繰り返しみたいになるのも嫌だから。もっと知ってもらえるように何かしたいなって思う。

震災で親を亡くしたっていっても、それに対してどう思っているかって人それぞれだから、「そういう考え方もあるんだ」とか「そういうふうに考えたほうが楽かもしれない」とか、亡くなった人たちも報われるんじゃないかなって思ってくれる人が増えたらいいな

望奈未さん

死別ってつらいことかもしれんけど、それがすべてじゃないと思うし、そこから出てくる縁もあるから、それに気づけて良かった。気づけるのが大事やと思う。

彩葉さん

もっと知ってほしいよね。親を亡くしても、悲しいがずっと死ぬまで一生残るわけではないっていうのを。

望奈未さん

良かった、出会えて。もう苦しいとかじゃないんだったら。生きてるだけで、素晴らしいから。
ある意味、彩葉のお父ちゃん、ありがとうやな。彩葉に出会わせてくれて

彩葉さん

うん。

望奈未さん

まだまだ、時間足りへんわ。

東北ココから 「あの日」でつながる、子どもたち

〔東北地方向け〕3月11日(金)午後8:00 放送予定

担当 岡部ディレクターの
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