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「もう一度つながりたかった」 10年ぶり 母校で再会 | わたし×小学校時代の親友

笑顔で写真に納まる一組の同級生。

東日本大震災で両親を亡くした福島県浪江町出身の鍋島悠輔さん(18)と、いちばんの親友だった柴亮太さん(18)です。

原発事故により散り散りに避難した2人。あの日以来、10年ぶりに再会しました。

再会の場所に選んだのは、津波で壊滅的な被害を受けた母校、浪江町立請戸小学校。去年10月、福島県初の震災遺構として公開されました。

10年の時を経て、2人が語ったのは…。

(報道局 社会番組部 ディレクター 中村優樹)

東日本大震災で、親や家族など大切な人を失った子どもたちの“いまの気持ち”を、誰かとの対話を通じて記録する「いま言葉にしたい気持ち」
「家族」「生き方」「人生」…個人の名前が出る話などはのぞき、ありのままの言葉を残していきます。

鍋島 悠輔さん (18)

福島県浪江町出身。震災当時、請戸小学校の1年生。津波により両親と祖父母を亡くし、父親の彰教さんはいまだ行方不明。
現在は仙台市の高校で寮生活を送り、高校から始めたベースに夢中。
柴 亮太さん (18)

福島県浪江町出身。震災当時、請戸小学校の1年生。原発事故により避難を余儀なくされ、家族で茨城県へ移り住む。
茨城県内の高校に進み、4月からは自動車整備士を目指し専門学校で学ぶ予定。

仲のよかった家族、両親との突然の別れ

鍋島悠輔さん

高校3年生になった鍋島さん。柴さんとの再会前、高校のある仙台市で話を聞かせてくれました。
震災前は、サッカー好きの父と一緒に練習に出かけたり、休みの日は家族全員でゲームをしたり、笑顔の絶えない家族だったといいます。しかし、その日々は一変しました。震災発生後、鍋島さんは先生たちと一緒に高台へと避難し、数日後、姉の悠希さんと合流することができましたが、両親と祖父母はいつまでたっても迎えに来てくれませんでした。

――お父さんやお母さんの安否はどのように知ったのですか?

鍋島さん:
父方のおじいちゃんに言われました。「お母さんは遺体で見つかったけど、お父さんはまだ見つかってない」って、「もしかしたら2人とも」っていう話をしてました。分からなかったですね、とにかく。何を言ってるのかが分からなかったです。小学1年生というのもあったと思うんですけど、なんか「ほんとにいないの?」って。なんていえばいいんだろう、意外と冷静だったんです。

この写真を撮影したとき、鍋島さんは母・弥生さんのお腹の中にいました

――神奈川県の父方の祖父母の家に避難したということですが、そこでの生活はいかがでしたか?

鍋島さん:
避難先の学校の友人たちがいい人たちだったのもあり、あんまり震災のことを気にせずに生きられたというか、生活できたかなって感じです。幼稚園のときからお父さんお母さんの車で流れるBOØWYとか、あとはサザンオールスターズの曲をよく聴いてたこともあり、音楽が好きで、高校では軽音部に入りベースを始めました。お墓参りのときには心の中でですけど「この前、ライブあって、成功したよ」「テストちょっとよかったよ」って話かけてます。

離れていても友達だという思いは変わらない

小学1年生のとき 11人の同級生たち

請戸小学校の1年生は全員で11名。ほとんどが幼稚園からの持ち上がりで、みんな幼なじみのように仲が良かったと言います。中でもいちばんの親友が柴さんでした。
2011年3月11日、午前授業で下校していた鍋島さんは、柴さんたちと公民館で遊んでいたときに地震に遭いました。保護者や先生と一緒に、近くの高台に避難し津波から逃れましたが、翌日の3月12日、福島第一原発事故によって避難し散り散りになりました。その後10年間、鍋島さんたちはバラバラのまま、それぞれの避難先で暮らしてきました。

――請戸小の同級生はどんな存在でしたか?

鍋島さん:
男子4人、女子が7人の小さなクラスでした。すごい仲がよくて昼休みもずっと一緒に遊んでました。見たことはなかったんですけど「宇宙戦艦ヤマトごっこ」してました(笑)。でも10年間つながりがなくなってるので、「本当だったらみんなで普通に生活していたのにな」って思ったりするときはたまにあります。ただ、なんていうんですかね……会えてなかったから実感が湧かないですけど、でも、本当に「離れてても友達」っていうのは変わらないって感じです。

突然届いた一通のDM その相手は…

鍋島さんと柴さんとのやり取り

ふるさとの請戸を離れ、9年がたった2020年3月11日。鍋島さんの元にSNSを通じて一通のダイレクトメッセージが届きました。送り主は最も仲の良かった柴さん。震災後、連絡先も分からず音信不通のまま暮らしてきた2人は、SNS上で奇跡的につながったのです。

――どういった経緯で柴さんからメッセージが届いたんですか?

鍋島さん:
本当にいきなり来ましたね。自分が請戸小のことをツイートしていたのを柴くんが見つけてくれたみたいで。うれしかったですね。本当に「まさか来るとは」ですし、「しかも3月11日に来るのもすごくないか?」みたいな。

柴 亮太さん

茨城県に避難している柴亮太さん。家族は無事でしたが、津波で自宅は流され、原発事故により請戸に帰れないまま10年がたちました。 そうした中で柴さんは、連絡先も分からないままバラバラになってしまった請戸の友人たちと、もう一度つながりたいという気持ちを持ち続けていました。

――SNSで鍋島さんをどうやって見つけたんですか?

柴さん:
ずっと「震災で失ったものを取り戻したい」という気持ちがあって、たぶん得たものよりかは、失ったもののほうが多いんで、その失ったものを取り返そうとする気持ちから請戸のことを事あるごとに思い出していました。それで震災の日に何となく「請戸」って検索したんです。そしたら鍋島くんらしき人が請戸小についてツイートしていて、そこでたぶんヒットしたんと思うんです。それでちょっと勇気出して、DM送ってみたら、まさかの鍋島くんでしたね。

――ずっと鍋島さんのことを思ってたんですね。

柴さん:
気にかけてましたね。もうちっちゃい頃からずっと一緒にいたんで。避難してから鍋島くんの両親のことを知って。鍋島くんもやっぱり「苦しい」とか「つらい」っていう気持ちもあるんじゃないかなと思って、何か心の支えになることがあったらいいなと思ってました。

10年ぶり 母校での再会

そして去年9月。母校・請戸小学校が震災遺構になるタイミングに合わせ、2人はこの場所で再会することに決めました。
先に到着したのは柴さん。そこへ鍋島さんがやって来ました。

柴さん

あれっすかね、歩いてるの…。うわ-、めちゃめちゃ一緒!ちょっと背でかくなったぐらいで。変わってねえ…。元気かよ!やべえな、元気かよ!わあ、変わってねえ。

鍋島さん

えー?うそー??

柴さん

変わってない。

鍋島さん

やばいね。笑いがとまんないよ。うわあ、やばい。心臓のドクドクが止まんない。

柴さん

うん。もうちょっとな、早く会えるかなと思ったけど、結局10年たっちゃったな。

10年ぶりに2人で入る校舎。その姿は津波ですっかり変わりましたが、1年生の教室に、名札のシールが剥がれずに残っているのを見つけました。

柴さん

ここだよ、ここ、1年生のとこ。全然面影ねえな。あっ!名前残ってるよ、ここ、ほら。

鍋島さん

うそ。ほんとだ、ある。

柴さん

「ゆうすけ」あるじゃん、そこに。そこにあるよ。

鍋島さん

ほんとだ!

柴さん

すごい、残ってるよ。いやでも名前残ってるのうれしい。

一気に当時の思い出がよみがえってきました。

柴さん

(教室の)こっち側に確かピアノがあった気がする。

鍋島さん

そうそう。あの、何だっけ?ブレーメンの音楽隊だっけ。俺ら、ロバとかの何か紙みたいのをつけて。

柴さん

ここでさ、並んでさ、写真撮ったんだよね。

ブレーメンの音楽隊 いつも隣どうしだった2人
鍋島さん

何だっけ、図工かなんかでさ、秘密基地つくるみたいなやつあったの覚えてる?

柴さん

あったあった。

鍋島さん

何かめっちゃ狭かったじゃん、俺らだけ。こんな広いのにね、何であんな狭いんだろうみたいな気するよね。男子のばかさが出てたね。ほんとにいま思えばやばいよね、1クラス11人って。

柴さん

そう。何か、新しい学校行くとさ、めちゃめちゃ少ないよね、11人ってね…。

その後、2人は津波の被害を免れた2階の教室で、ゆっくり語り合いました。

柴さん

今まで何かあった?10年の間…。

鍋島さん

俺はさ、(転校先で)周りのみんなが優しかったからさ、転校生の子たちには積極的に話しかけてくれるような。

柴さん

そうそう。みんなそんな感じだった、ほんとに。壁とかはなく普通にみんなね、かまってきてくれた。最初の1週間、なじむのにちょっと頑張ったぐらいだな。

鍋島さん

まじ? 俺、結構すぐなじんだ。

柴さん

最初、クラスの人数の多さに「うわっ」てなって。でも最初に1人ぐらい話しかけてきてくれてね。そこからは普通に平気だな。なんも問題なく。そこで失敗してたら、だめだったもんな。

鍋島さん

友達はでかいよね、やっぱね。ほんとに感謝。なじめてなかったら本当に不登校になってたかもしれん。

柴さん

1人じゃ厳しいよ、ほんとに。みんな離ればなれになってるわけだしね。

ともに転校先の友人たちに支えられたという2人。しかし、友人に震災の話をすることはほとんどなかったと言います。

鍋島さん

あんまり震災の話とか出さなかった。

柴さん

なあ。俺も出してない、あんま。俺、ほんと数えるぐらいだもん、話したの。「この話、話していいのかな、本当に」って思うもんね、だって。

鍋島さん

俺、逆に笑い話ではないけど、「ちょっと、こういうことがあったんだ」みたいな。

柴さん

俺もね、ちょっとおもしろくして話す。真剣な顔して話すんじゃなくて、ちょっとおもしろく。

鍋島さん

そう。自分で笑ったりする。

柴さん

そうそう。まじでさ、「お前ら経験したことないって言うけど、俺、死にかけてるんだからね」って、笑いながら話しちゃう。

鍋島さん

ハハハハ。そういう感じ分かる、分かる、めっちゃ分かる、それ。そのほうがいいんだよね。気を遣われるの嫌だからね。

柴さん

そうそう。逆にそっちのほうがみんな真剣に聞いてくれるんだよね。

鍋島さん

そう、分かる。「なんで?ちょっとみんな笑ってほしんだけど」って。笑えないのは分かるんだけど。

柴さん

なんか楽しく話しちゃうね、逆に。難しく話そうと思っても、楽しくなっちゃうんだよ。

鍋島さん

そう、楽しくなっちゃう。

柴さん

よく分からない、そこらへんもな。なんで楽しくなるんだろうな。話そうと思えば話せるんだけどね、別にね。

鍋島さん

うんうん。でも、まじめに話そうと思えない。

柴さん

そう。逆にまじめに話したくないんだよね、なんかね。みんなの前とかじゃなくて、ちょっとこそっと、ひと言ぐらいだよね。

11人でぽっかり空いたものを取り戻したい

柴さん

なんかさ、請戸小じゃないことのほうがさ、期間が長すぎて、記憶が上書きされちゃう感じじゃない?

鍋島さん

そうそう。あと、震災『後』の記憶なのか『前』の記憶なのか分からない、ごっちゃになってる部分があるんだよね。

柴さん

みんないればね、思い出すんだよね、たぶんね。それぞれ持ってる思い出が違うからな。

鍋島さん

そう、みんないればね。くそー、なんか悔しいな、思い出せない。

柴さん

ほんとな、11人そろうときがくればな。でも…なんかそろいそうな気がした、きょう。

鍋島さん

そろえる自信がある。やり方分かんないのにそろえる自信があるんだよな。

柴さん

そう。でも、あの教室見たらそろいそうな気がするよ、なんか俺も。

鍋島さん

ねえ。なんか力をもらったよね。やっぱ運命の場所なんだろうな。

柴さん

シール剥がれていないってすごい。剥がれかけているのにさ。みんな耐えてるんだろうね、やっぱり。

鍋島さん

ねえ。何かしらあるよ。

柴さん

2人にとってさ、ここ(請戸小)ってさ、何つうんだろうな、なんか、自分の家って感じしない?なんかここ。この、何ていうの…。

鍋島さん

安心する場所よね。落ち着くというか。

柴さん

10年たってもその気持ちは変わんねえよね。やっぱりな。落ち着く場所でもあるし、やっぱり地元。結局、避難生活の方が長いけど、なんだかんだで地元って感じはするよね。11人集まったとこ見てみたい。

鍋島さん

クラス写真撮りたい。

柴さん

それな、クラス写真の進化版だよな。

あの日から10年、再びつながった鍋島さんと柴さん。“自分の家”だという母校・請戸小学校で、今度は11人全員で再会することを誓って別れました。

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