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「一緒にいたかった。会いたいです」――あなたのメッセージをお寄せください|こころフォト×いま言葉にしたい気持ち

今年3月に始まった「いま言葉にしたい気持ち」プロジェクト。これまで10人が“いまの気持ち”を語ってくれました。

NHKでは東日本大震災で大切な家族を亡くした方々の思いを伝えるプロジェクトを、ほかにも続けています。

震災で犠牲になった方々の、思い出の写真と家族などからのメッセージを集めた「こころフォト」

失われた一人ひとりの命の尊さを忘れないため、震災から2年となった2013年から、この取り組みを続けてきました。

寄せられた写真とメッセージはウェブ上の特設サイトに掲載するとともに、残された方たちが今どのように生きようとしているのか、毎年、番組でもお伝えしています。

これまでに700通を超えるメッセージが寄せられた「こころフォト」。その一部をご紹介します。

(「こころフォト」事務局 記者 宮原豪一)

「ひとつだけ変わらない事は春ちゃんを思う気持ちです」

西城 春音ちゃん(さいじょう・はるね/当時6歳)
宮城県石巻市


幼稚園の送迎バスに乗っていて、津波に流されて亡くなりました。震災から2年後に生まれた春音ちゃんの弟は、春音ちゃんの「春」という字をとって、春汰ちゃんと名付けられました。震災から10年、母親の江津子(えつこ)さんから寄せられたメッセージです。

春ちゃんへ。

春ちゃん。どんな春ちゃんになってますか。

背丈はどれくらい?髪は長い?短い?どんな洋服が好きかな?

もう16歳。そして4月には17歳。素敵な高校生活送っていただろうな。

2021年。あの時から10年が経ちます。

石巻の景色も少しずつ少しずつ。そして今はすっかり変わりましたよ。

ママもパパも歳とったし、お姉ちゃんも18歳になったし、靖汰も今年中学生になるし、春汰ももう2年生になるよ。

周りはいっぱい変わっていくけど、ひとつだけ変わらない事は春ちゃんを思う気持ちです。

みんな春ちゃんを思い 愛しく思ってますよ。

春汰は夢でしか春ちゃんに会った事ないけど、春ちゃんと似てるところがあり「春ちゃんもそうだったよ」と話すと、嬉しそうに『春ちゃんに似てる?」とよく聞かれます。

みんないつも春ちゃんを思ってるから、春ちゃんは笑顔で元気で、そして楽しく過ごしててくださいね。

いつか春ちゃんに会える日を楽しみにその日までみんな頑張るからね。ママより

「いつの日にか家族皆さんと再会出来る日を楽しみにしながら」

千葉 一世ちゃん(ちば・いっせい/当時1歳)兼司さん(けんじ/当時75歳)
チヤさん(当時73歳)峰子さん(みねこ/当時32歳)
岩手県大槌町


千葉孝幸さんの一家は、自宅から避難する途中で津波に巻き込まれました。孝幸さんの次男の一世ちゃん、父親の兼司さん、母親のチヤさんが亡くなり、妻の峰子さんは今も行方が分かっていません。一度に4人の家族を失った孝幸さんと長男の雄貴さんは、2人で支え合って生きてきました。震災から10年、孝幸さんから寄せられたメッセージです。

東日本大震災から10年の歳月が過ぎました

この10年間は父と母そして妻の峰ちゃん、息子のイッちゃんを津波から守ることが出来なかった事を、毎日悔やみながら雄貴と共に前向きに考えるようにと自分に言い聞かせ、必死に生きてきた10年間でした

イッちゃん貴方が生きていれば震災当時の雄貴兄ちゃんと一緒の小学6年生だね

小6になったイッちゃんは今何を考え、何を楽しんでいるのかな

お爺ちゃんやお婆ちゃんとどんな話をしているのかな

お母さんとは何処へ遊びに行って楽しい時間を過ごしているのかな

お父さんは頭の中で想像をする事しか出来ないので寂しいです

東京から帰って来てくれた雄貴兄ちゃんは21歳になり今、新しい道を歩み始めました

まだまだ経験不足で心配な所が有るけど雄貴兄ちゃんの事を信じ

この先の人生を雄貴兄ちゃんと共に歩んで行こうと思っています

もし、この先も皆さんに心配をかけるような事があったなら

その時は私達を天国から見守って下さい

いつの日にか家族皆さんと再会出来る日を楽しみにしながらこの先の人生の幸せを雄貴と共に切り開きながら頑張って生きていきます。

家族の皆さんも再会の日を楽しみに待っていて下さいね。

「10年という長いようで私にはあっという間でした」

鈴木 久太郎さん(すずき・きゅうたろう/当時69歳)洋子さん(ようこ/当時70歳)
福島県いわき市


自宅から車で避難する途中で津波に巻き込まれたとみられています。「じい」「ばあ」が大好きだった孫の早苗さんから震災10年に寄せられたメッセージです。

10年という長いようで私にはあっという間でした

こんなにも当時の町、家を覚えている自分がいます

今は悲しい辛い苦しいよりも

料理をしててフライのにおいがすると民宿で出してた料理等

思いだし、ばあがよく作ってたなとか

ひぐらしの声が夏の夕方聞こえるとあそこで寝ながら聞こえて

きたなあとか、山に子供と散歩しに行くとじいと一緒にきて

色々教えてもらったなあとか本当にたくさん一つ一つの事が鮮明に思い出す。

それは悲しいとかではなく、天国にいる2人に対して頑張ってやってるよって言い切れるし

前を見て歩んで行けてるって思います。

まだばあは行方不明だから実感がないし会いたいなあって

会えるかもしれないなあって思いはあるけど

忘れず心の風化だけはさせないようこれからも

ばあ、じいに心配かけないよう子供たちをしっかり育て

20年30年って生きていきたい。

「一緒にいたかった。会いたいです。」

菅野 誠さん(かんの・まこと/当時50歳)
岩手県陸前高田市


市役所の職員だった誠さん。勤務中に津波に巻き込まれたとみられています。中学生のころからいつも一緒で、とても仲が良かった妻の佳代子さんから震災9年に寄せられたメッセージです。

お父さん。私だけどんどん年をとっていきます。

いつも私の方が年下に見られて、くやしがっていましたね。

今年は還暦、いつもは必ずまとめ役、笑わせ役でしたね。

年祝いの集まりにも誘われています。行けば昔にもどり楽しく過ごせるかもしれませんが、やはりあなたのいない場所は自分を保てる自信はなく、あなたをおいて行けません。

あなたをさがし、会えて、泣き続けた日々、たくさんの大切な人達、昨日のことのように私の中にあります。

平穏な日々の倖せの大きさ、時間がたっても変わる悲しみの深さをしりました。

お父さんがたくさんのものを残してくれたので、いつもあなたを感じる家にいる時が淋しいけどやすらげます。

あなたの代わりにはなれないけど、もう少しこっちで頑張ります。

お父さん、いつも夢に出てきてくれてありがとうございます。

時々感じる温かさ、私を助けてくれていますよ。

一緒にいたかった。会いたいです。

毎年、皆様から寄せられたメッセージを拝見するたびに震災による悲しみの、あまりの大きさにいつも胸が締め付けられるように感じています。震災から10年あまりが経過し、記憶の風化が進むなかで、震災を知らない子どもたちも増えてきました。 だからこそ、私たちは“忘れない”という言葉を胸に、この取り組みを続けています。

「こころフォト」を続ける中で、メッセージを寄せて頂いた方から「文章にしたことで家族への想いを少し整理できた」とか「同じ気持ちのご遺族がほかにもいると知ることができた」などという声をいただくことがあります。また、東北以外の地域からも「日常のかけがえのなさを教わった」などという声が寄せられるようになりました。

私たちは、「こころフォト」が、さまざまな人々が“つながる場になってほしい”と考えています。亡くなった人と、残された人。遺族と、遺族。そして、被災地とそれ以外の地域。こうした人と人とをつないでいくことが、震災で犠牲になった方たちを忘れず、次の災害に向けて教訓を伝えていくことにつながると信じています。

「こころフォト」では、震災から11年となる来年3月も番組を放送する予定です。 現在、皆様からのメッセージを募集しています。メッセージはホームページの専用フォームから投稿することができます。

多くの皆様からのメッセージを、心よりお待ちしています。

(「こころフォト」事務局 記者 宮原豪一)

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