2021年3月16日

わたし×支援団体の代表【後編】

東日本大震災で母親を亡くした阿部和好さんと、阿部さんの大学進学を支援した「みちのく未来基金」の代表・長沼孝義さん。
2時間以上に及んだ対話の前編では、10年前のあの日のことや、「友達に出身地を言って気を遣われるのが嫌だった」という阿部さんの大学時代について語り合いました。今回は後編。2人が明かしたのは、10年という時の経過が生んだ世代間のギャップ。そして、震災を機に2人が出会ったことは果たして幸せなのか不幸せなのか・・・、深い人生論に展開しました。

※「みちのく未来基金」
震災で親を亡くした子どもたちの進学を支援するための基金。入学金や授業料を卒業までの間、全額給付する。支援を受けた学生たちは通称“みちのく生”。


阿部 和好さん(25)
宮城県女川町で中学3年生のときに被災。母親が津波に巻き込まれて亡くなった。 石巻市の高校に通い、いったんは卒業後就職することも考えたが、みちのく未来基金の 支援を受け東京の大学に進学。いまは都内の不動産会社に勤めている。

長沼 孝義さん(70) - みちのく未来基金 代表理事
大手菓子メーカーの副社長だった2011年秋に、大手企業3社の協力を得て、みちのく未来基金を設立。きっかけは新聞で親を亡くした高校生の写真を見たことだった。以来、900人以上が基金を利用して大学や専門学校などに進学した。

この対話の内容
- 世代による記憶の差 「私はなんで奨学金がもらえるの?」
- 震災があったから今ある幸せも…
- "みちのく生" 600通りの人生

世代による記憶の差 「私はなんで奨学金がもらえるの?」
みちのく未来基金は、2012年春に大学や専門学校などに進学した子どもたち(1期生)から支援を開始。阿部さんは3期生にあたります。震災から10年がたち、“みちのく生”の間でも世代によって震災の記憶や向き合い方に差が出てきていると、2人は感じていました。

対話の動画が再生されます(音声が出ます)
対話は遮へい板などを用いて感染対策をした上で行いました

長沼:「みちのく」から旅立って何年よ? 2018年の春だからもう3年は経つ?

阿部:3年ちょっとですかね。

長沼:今年「みちのく未来基金」に入ってくる子って震災の時、小学校2年生よ?

阿部:小学校2年生の記憶、私あまりないです。なんで「みちのく」に来たかぐらいは、わかるぐらいですかね。

長沼:うん。当時小学校6年生だとぎりぎり覚えている。あの辺がギリギリ。

阿部:覚えていたり、覚えていなかったり。

長沼:そうそう。去年の支援をする子との面談の時にびっくりしたのが、今年大学に進学したある女の子が、「なんで奨学金もらえるんですか、私は?」って聞いたんだって。

阿部:なるほど。ちょっと衝撃ですね。

長沼:それはさすがに衝撃で、スタッフももちろん進学の時に説明しているはずだけれども、「なんで私奨学金もらえているんですかね」って言われた時にさすがにショックで。だからそういう子が別に普通にいておかしくないっていう。

阿部:そうですよね。当時の年齢から考えても普通に覚えてない人もいるかもしれないですけど、何か記憶をシャットアウトしているって子も、いるかもしれないですもんね。

長沼:そうそう。だからそういう意味じゃ、もう聞かないもん。震災のことは一切。去年の秋に6期生が卒業して、最後に何人か面談した子がいるけど、もうそれで終わり。もう一切聞かない。聞いてももう、何か変に無理に聞いちゃうことになっちゃうし。

阿部:それで何か変な記憶があっても嫌ですもんね。

長沼:嫌だしね。だから、ものすごく難しい状況になってきたね。

阿部:そうすると、話す内容とかも難しくなってきますよね。

長沼:そうそう。だから、スタッフと去年の春にイベントができなかったんだけど、いわゆる“旅立ち”(※みちのく未来基金で進学した学生が大学などを卒業する際に行うイベント。支援者などに決意を語る卒業式のような場)みたいなことは、下手すると、やらせになると。

別に本人はそう思ってないのに、「すごくサポーターの人の世話になって、大学卒業でき本当にありがとうございます」ってそんなに思ってないけども、周りが言うと、何か自分も言わなきゃいけないんじゃないかみたいになったら、やばいよと。
それはある意味では無理やりやらせているので、“旅立ち”はもう考え直そうって言い出したのは1年半ぐらい前なの。そういう子たちになってきた。

阿部:6期生だったら多分ぎりぎりまだ旅立ちはできますけど7、8期生になると。

長沼:うん。当時小学校6年生だから。和好と同じで小学校の卒業式があったり、なかったり。

阿部:多分そこら辺だと記憶にあるんですよね?

長沼:卒業式がどうのこうのって記憶があってから震災の記憶になる。

阿部:そうですね。紐付けで多分思い出せると思うんですけど。


長沼:●●●(※個人名)ってわかる?(和好の)3つ下だけど、それでもあんまり当時を覚えてない。

阿部:3つ下で。まあでもそうですよね。

長沼:だって、▲▲▲(※個人名)の弟っていま、中学2年生になるんだよ。

阿部:結構大きくなりましたね。

長沼:そうそう。あの子は震災の時4歳だった。だって4歳で、いま14歳でしょ?

阿部:ヤバイですね。何していたか、覚えてるんですかね。

長沼:覚えてない。

阿部:そうですよね。私も4歳のころは何も覚えてない。

長沼:もう3、4年で進学だっていう子たちが来たら、もう想像もできない。

阿部:心の底から「なんでもらえたんですか?」になるかと思いますね。

長沼:そうそう。なんで大学の奨学金もらえるんだろうって普通にそう思っちゃう。

阿部:いや難しいっすね。勉強しないとその歴史を思い出せないぐらいの年代になるってことですもんね。なかなかそれは衝撃的。

長沼:やっぱり時間っていうのはすごいわけ。

震災があったから今ある幸せも…

阿部さんたち“みちのく生”は、大学や専門学校などを卒業した後にも、仲間同士で集まるなどつながりを続けてきました。「みんなと出会えてすごく幸せだけど、本当は出会わなかったほうが幸せだったんだよね、矛盾だよね」――こう話す、“みちのく生”もいたといいます。


対話の動画が再生されます(音声が出ます)

長沼:「みちのく」で知り合った友達は何か特別?

阿部:そうですね。やっぱり、違う。例えば大学の友達、高校の友達っていますけれど、なんか「みちのく」は「みちのく」の友達。震災の話を集まってあまりはしないですけど、しても、「あ、やばい」ってなんないのがいいところ。

長沼:やばいっていうことはない。

阿部:気遣わなくていいところはいいかもしれないですね。大学の友達では震災の話はできないのでちょっと気は遣うところはあるんですけど。

長沼:隠し事がゼロで済むってことか。

阿部:そうですね。お酒飲んでポロっと言っちゃって、「やばい」というのはないと思います。そこが「みちのく」の友達かなと思いますけどね。

長沼:お酒飲んでポロって、ヤバいっていう気の遣い方はずっと持っていた?

阿部:大学の同級生とのときは、言わないように心がけていましたけどね。
頭の片隅とかには入れていたかもしれないですね。その話題を出しても多分広がらないですから。広がっても、何ていうんですかね、こう、面白い話にはならないですからね。お酒の席でする話でもないですから。

長沼:ならないもんな、面白い話には。

阿部:ということでいうと、そういった話も気兼ねなくできるのが「みちのく」の友人ですね。

長沼:前にさ、“みちのく生”が3、4人で話している時にたまたま耳にしたのが、「今こうしてみんな出会って仲良くしていることは、本当は、出会わないほうが幸せだったんだよね」という話。

阿部:ああ、深いですね。

長沼:「今、こうやってみんなと出会えて仲良くしているってすごく幸せなことなんだよね」って。「これすごく矛盾だよね」って。

「俺だってお前らと出会わないほうがお前らにとってよっぽど幸せだったんじゃないかと思うことあるんだよね」っていう話を彼らにしたら、「今こうやって会えて時間を過ごしていることの貴重さを感じていることのほうが、何かその大変なことを越えているような部分があるんだよね」って話をした時は、「そういう感覚があるんだな」と思ってさ。何か哲学を聞いたような気がしたよね。

阿部::難しいんですよね。”世界線”が何個もあるとすれば、震災がなかった”世界線”と、震災があった”世界線”を見比べれば、どっちか優劣つけられるのかもしれないですけど。震災が起きたほうしか生きられないですから。起きてしまったものは起きたと。起きたあと自分が享受できたものを考えると、矛盾しちゃうんですけど、震災起きてなかったらこういった経験は得られなかったことのほうが多いですからね。
もし震災起きてなかったら大学とか行ってないかもしれない。

長沼:その可能性高いもんな。

阿部:たぶん私は地元以外を知る確率がほぼなかった。そう考えると、東京も知っている今のほうが経験できたことは多いので・・・何ですかね、損失もありますけど、逆に得られたことも多い。幸せを感じる部分もあるから、「矛盾しているよね」っていう話は本当にそのとおりだと思います。
思い返してみたら、「なんで大学に行けているんだろう」というところに行くけど、そのきっかけはよくも悪くも震災なんですよね。震災は悪っていうか、よくないことですけど。震災が起きたことによって、自分が本来であれば、行けることのなかったところだとか、行けなかった道に行くことができているっていう人も多いんで。

長沼:絶対会うことなかったからね。和好と会うことなんか。

阿部:そこが難しいですよね。

長沼:僕は一応、ビジネスの世界でそこそこ実績のある人だったんだけど、この「みちのく」みたいな活動はまったくど素人だったわけ。ど素人だったから、どうやっていこうというときに、和好とかみちのく生の1期生2期生3期生と会って、感じたことをやってきたわけよね、全部。その結果として今僕はすごくよかったと思っているのよ。はっきり言ってすごく感謝しているのよ。

俺は直接被災しているわけじゃないし、教えてもらったから、いろんなこと。40年間ビジネスで経験していたことの、何倍ものすごいことを今経験してるんだよ、この10年間。これがなんとも言えないよね。だって俺、何人か“みちのく生”に呼ばれて叱られたことあるんだよ。でもありがたいよ。本当にね、そういう意味じゃ本音で。

阿部:本音で話していたと思います、やっぱり。

長沼:「みちのく」の集いをやった時に、小学校が一緒で中学校は違ったのかな、そんな2人が会った。そしたら、「あっ」て顔をして最初の言葉が「お前どっち?」って聞いたの。「俺、おっかあ」みたいな。「俺もおっかあ」って。だから「みちのく」ではそれ(※親を震災で亡くしたこと)が言える、ここに来ているってことはお互いに分かってるわけだから。だから問題は「どっちの親?」っていう。その最初のひと言が「どっち?」だったの。

阿部:それだけで意思疎通が取れるんですね。知らない人が聞いたら何の話か分かんないですよね。

長沼:何の話だよ。いきなり会って「どっち?」だからね。どっちでそれで答えが「おっかあ」だからさ。「どっち」と「おっかあ」だけよ。会話。

阿部:確かにその話ができるのは、「みちのく」で集まった時だったのかもしれないですね。

”みちのく生” 600通りの人生

これまでにみちのく未来基金を巣立った学生たちはおよそ600人に上ります。全員を見守ってきた長沼さんは、「異なる経験や気持ちを抱えている子どもたちをひとくくりにしてはいけないと強く感じた」と、対話の最後に話しました。


左:「みちのく未来基金」代表理事 長沼孝義さん  右:阿部和好さん

長沼:「震災遺児」とか、そのくくりみたいな話がもう嫌でさ。和好だったら、あの日まで15年っていう家族の暮らしがあったわけじゃない?で、その家族はすごく幸せだったり、あるいはちょっといろいろ問題抱えていたり、いろいろ15年があってね。あの日に、どこで震災にあったのか、見たのか、経験したのかって、一人ひとりその経験も違う。で、そこから10年どんなふうに生きてきたか、歩んできたかっていう、多分この3つの組み合わせだと思っているんだけど。

阿部:大きく分けると、そうですね。

長沼:そう。だから、およそ600通り(※これまで巣立っていった“みちのく生”の数)あると思ってるわけよね。本当に600通りの一人ひとりであって、それを全部くくって「震災遺児」としてしまって、何の意味もない。ほんとに阿部和好そのものなんだよね。

阿部:そうですね。私と反対の人もいるかもしれないですもんね。
私は「震災が起きて良いこともあった」って言うかもしんないですけど、「震災起きて良いことは何もなかった」っていう人ももちろんいますから。

長沼:いるよ、少なくない。

阿部:ひとくくりにすると、多分それこそ、問題が起きる。難しいですけど、「なんでひとくくりにするんだ」っていう人が多くて。「やめてくれ」っていう話はなると思いますね。いや、本当難しいのがひとくくりにできないんですよね。

長沼:そう。だから一人ひとりと向き合っていくことが、「みちのく」のスタッフの役目だと、それだけは伝えているんだけどね。一般的に言われるような、くくりとか何かで絶対考えないようにしないといけないっていうことは若いスタッフには伝えるんだけども、それもだんだん難しくなってます。お前らと話しているほうが、よっぽど気が楽。

阿部:もう10年来ぐらいですからね。

長沼:そうそうそう。10年来の付き合いだからさ、もう。ほんとだよな。震災そのものをどう受け止めるかのスタートが違うわけだから。

(ディレクター:すみません。カメラの電池がちょっと切れそうで・・・)

長沼:そうだ。2時間以上やっている。もうそろそろ。

阿部:もう話せば一生こんな感じですよ。話しちゃうんで。(笑)

長沼:いくらでも話しちゃうから(笑)



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