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【震災遺児の10年】遠藤洋希さん×NHKディレクター

東日本大震災で被災した遠藤洋希さん(26)と、NHKで報道番組を制作する笹川陽一朗ディレクターが取材を通して出会ったのは、震災から3年後の2014年。それ以来6年以上にわたり、一緒にご飯を食べたり、NHKの番組について率直な意見を交わしたりするなど、交流を続けてきました。

遠藤さんは、宮城県南三陸町の自宅を津波で流され、父親を亡くしました。その後、震災の経験やこれまで感じてきたことを、メディアや被災地のワークショップなどを通じて積極的に伝えてきました。

笹川ディレクターは、震災で親を亡くした方々の今の気持ちを語る場を作りたいと、このウェブサイトを立ち上げた1人。気心が知れた遠藤さんに、こうした取り組みをどう思うか率直に聞いてみたいと、今回の対話を呼びかけました。

遠藤 洋希さん【愛称:ロッキー】(26)
南三陸町出身で、震災のとき津波で父親を亡くした。その後、震災で親を亡くした子どもたちをサポートする基金からの奨学金を受けて大学に進学。今年、大手IT企業を辞め、ベンチャー企業に転職した。
笹川 陽一朗ディレクター
NHK仙台放送局に勤務していた入局1年目に震災を経験。その後、被災地の子どもたちの取材を続ける。今年3月放送予定の「NHKスペシャル」で、震災で親を亡くした子どもたちのドキュメンタリーを制作。

「3.11が近づく時のムードはハッピーじゃない」

東京都に2回目の緊急事態宣言が出ていた1月中旬。遠藤さんと笹川ディレクターはリモートで話をしました。震災で親を亡くした方が“今の気持ち”を語れる場を作る――遠藤さんだったらどんな場を望むのか、率直な思いを聞いてみることにしました。

笹川:最近仕事が変わってどうですか?

遠藤:仕事は正直めちゃくちゃ面白いです。やっぱりスタートアップ企業で非常に小規模なんですけど、手触り感があるっていう感じが一番面白いところだと思います。

笹川:今日は、この取り組みについて、ロッキー(※遠藤さんのニックネーム)に相談してみたいなとも思っているんだよね。
マスコミ的な区切りではあるけれども、今年で東日本大震災から10年が経つよね。僕は震災の時に仙台にいたから、その時からいろいろな人たちにお世話になっているんだけど、大切な方を亡くされたお子さんたちとも関係を続けてもらえていて、その人たちと何かを育てていけないかなっていう思いがあった。それで今回、みんなが話したい時、語りたい時に、安心して、安全に話せる場っていうのを、ネット空間で育てていくことはできないかなと思ったんだけど…。
あんまり聞きすぎるとインタビューみたいになっちゃうんであれなんだけど、どうかな?率直に。

遠藤:全体的には、いいんじゃないかなと思うんですよね。でも、やっぱり自分自身が具体的なところまでイメージできていないので。いいんじゃないかなっていうフワッとしたことしか感じられない。

笹川:突然だけど「今語りたいことありますか?」って聞いたら、ロッキーはどうですか?

遠藤:何だろう、語りたいこと…。特に震災関連に関しては別にないですね、今改めて語りたいことっていうのは。

笹川:それは「これまでも語ってきたし」ということなのか、「そもそも語りたいって思うことがない」のか、どんな感じなの?

遠藤:どっちもかもしれないです。日々、2011年の3月11日を思い返して、振り返って何かをしているわけじゃないので、改まってそこに関して何か考えたりすることも基本的にないんですよね。確かに自分の人生を振り返るっていう上では、特別な出来事、人生を変えるような出来事ではあったんですけど、日常でそこを毎回見返してるかっていうと全くそんなことはなくて。だから今、日常の中で3.11について語りたいことって特に考えることはないですね。具体的に震災のことについて聞かれた時はいつも話しているので、いつでも語ってきたしっていう面もあるし。

笹川:僕はロッキーと同じ境遇ではないので、想像するしかないし、どういうことを考えてるのかなっていうことを知りたいから取材やそれ以外でもお付き合いをさせてもらってるんだよね。今思い返すことはないって言っていたけど、ふと思い出す事もない感じ?

遠藤:ないですね、基本的には。僕はないです。

笹川:そうすると逆に僕の方が思い返すことがあるのかもしれないね。

遠藤:そうかもしれないですね。お仕事の関係上っていうのもあるとは思うんですけど。

笹川::メディアでは、「震災から何年」とか「何年何か月」みたいな放送をやるし、今も報道で「月命日」などもあるじゃない。そういうのをたまたま見たとき、どういうふうに思う?

遠藤:何も思わない、正直。ああ、そうなんだって。10年とか何年何カ月っていうのが自分にとって全く特別な事ではないので、ただその事実を聞いているだけですね。例えば、今日1月28日ですって言われて、ああそうだよねって、それと同じですね、ほとんど。

笹川:そのとらえ方っていうのは、この10年のどこかで変わったの?

遠藤::もしかしたら徐々に変わってきたのかもしれないです。最初の頃、震災から3年目、4年目ぐらいまでは、今より意識してたと思うんですね。今日は3月11日だなとか。
でも、それから東日本大震災以外にもいろいろ災害があって、熊本地震や広島の豪雨もあったし、10年経ったら基本的に人間の記憶からも薄れていく。当時はやっぱり2月、3月になってくると、「そろそろ3月11日だよ」という雰囲気が日本中にあったので、意識しようとしなくてもするような、そういう雰囲気に覆われていた。でも自分の中では「別に何年目だからそれが何?」っていう感じはあった。3月11日だなっていうことに対しての意識はあったけど、それが特別だとは全く思ってなかった。

笹川:今「日本中の雰囲気」と言っていたけど、当時そのムードの中にいたロッキーはどんなふうに感じてたんだろう?

遠藤:いろいろあるんですけど、ちょっと気持ち悪いなと思ってました。たぶん、自分がたまたま見てきたその光景がそうだっただけかもしれないですけど、ハッピーなムードではなかったです。ちょっと暗いとまでは言わなくても、どっちかっていうと悲しみの雰囲気って感じがしていた。
僕は「そんなみんなで悲しんで同情してどうすんの?起きたことは事実だし、死んじゃった人がいるっていうのも事実だし、それに対していくら今更悲しんだところで、何も良いことないじゃん」と思っていた。無理があるのは分かっているんですけど、それよりもあそこから学べる教訓があると思う。日々接している人や家族が津波じゃなくても何かで亡くなることはありえるし、突然、知らない病気にかかってしまうかもしれない、交通事故に遭うかもしれない。
震災で親を亡くしちゃった周りの子たちと話しても、「最後に親と話したとき、別れ際の最後の言葉が喧嘩で終わっちゃってすごく後悔してる」っていう声も聞くんですよ。それって悲しいことだなと思うんですけど「日々、誰にとっても起こり得ることなんだ」ってことが、そこから学ぶ教訓の一つだと僕は勝手に思っている。そしたら「いつ、これが最後になっても悔いの残らないように、どう家族と日々過ごそうか」っていう前向きな心がけを学べる機会としてとらえればいいのにと思って。

「震災遺児です」って言うと、かわいそうな目で見られた

厚生労働省によると、東日本大震災で親を亡くした子どもは1800人。遠藤さんはこれまで「震災遺児」として自分自身の体験をメディアなどに話してきました。長年、取材を続けてきた笹川ディレクターは、「震災遺児」という言葉でひとくくりにして伝えることに疑問を感じていました。

笹川:僕らもそうなんですけど、「震災遺児」という言葉で1800人ぐらいいる方々をひとくくりにして、いろいろ語ったり、放送したりしてきてるじゃないですか。そういう中でロッキー自身もメディアに出て話した事もこれまであったと思うんだけど。

遠藤:これに対しても特に強く思う部分はなくて、仕方がないし、自分も使うことがある。ただ「震災遺児とはこういう人です」というふうに「遺児とは」っていう定義を特定するような節があると、違うよなって思います。
「震災遺児だからこんな経験をしてるんですよ」みたいなのが暗に伝わってくるような内容だと、それは嘘じゃないけどそれが本当でもないよ、みたいな。

笹川:僕が取材した中には、震災で家族を亡くされたご遺族で「遺族って言われる事が最初はすごい抵抗感があったし嫌だった」という方がいらっしゃった。でも「時を経て今では遺族って呼ばれることに違和感はないし、むしろそれでいいと思えるようになった」ということを言っていて、なるほどな、自分が全然想像できない10年があったんだなと思って話を聞いてたんだけど。ロッキーにとって「震災遺児」っていう言葉のとらえ方に変化はあったのかな?

遠藤:自分が震災遺児だっていうことに対する抵抗みたいなのは、震災直後よりはたぶん薄らいでいる。震災から1~2年後だと「震災遺児です」って自分が言うだけで、何も言ってないのにすごくかわいそうな顔で見られて、聞いた側が気を遣っちゃうことがいっぱいある。気を遣われたらこっちも気を遣うからそれが嫌であえて言わないようにして…。
何もしてないのに勝手にそこで壁ができちゃう感じがあって、あんまり積極的には言ってなかった。それが今だったら「震災遺児です」と言ったって別に周りの人の中の意識がそんなに強くないっていうのがある。「東日本大震災で親を亡くしていて」って言っても、「ああそうだったんだね」くらいで受け止めてもらえるので、楽です。

笹川:楽って感じなんだ。

遠藤:はい。「ああそうだったんだ、で?」みたいな感じで、特に何もなく普通にそういう人なんだっていう受け止め方をされるので。

笹川:周りの人の受け止め方がロッキーにとって楽になったのはどれくらいの時期だったの?

遠藤:ここ数年だと思う。やっぱあれかな。自然災害っていった時に当時はほとんどの人が東日本大震災に直結していたのが、今だったらむしろ熊本の地震があったり、広島の豪雨もあったり、悲しい事ですけど、色んな災害が増えていって、東日本大震災だけが特別じゃなくなったことがあるのかもしれないです。東日本大震災の記憶が薄くなっているんでしょうね、全体的に。
さっきの話を聞いていて「遺族」っていう言葉に敏感だった人が、今は受け止められるようになっているっていう話も、その方はその方で遺族であることが嫌なんではなくて、これはあくまで僕の予想ですけど、遺族だからってくくられて、何か評価されていた、見られていたっていうことに何かトラウマがあったんじゃないかと思う。

自分にとっては震災が“いい転機”でもあるのに…

遠藤 洋希さん

笹川:これまでメディアに出た中で、言えたこと、言ったんだけど伝えてくれなかったこと、言えなかったことってあると思うんだけど…。

遠藤:基本的に聞かれたら何でも話してきたんで、言えてなかったことはほとんどないと思う。言ったところでカットされたことは多々ありました。それは恐らく、僕は震災が自分にとってはいい方に転んだ、好転した転機だったからじゃないかなと。
僕は基本的に「震災があったからこんなことができた」と素直に話していたんです。でも、特に震災から3年、4年目くらいまでは「あれがあっていまやりたいことができます」っていう僕みたいな前向きなポジティブなタイプよりは、どっちかって言うと「今までは平和だったのに・・・」という人物像がより取り上げられていたのではないかなと感じました。自分の事を素直に語ると、あまり求めていたベスト(な答え)じゃなかったのかなって思いましたね。かといって自分を偽る気はないし。それだけが事実じゃないよってずっと思ってました。

笹川:僕らNHKがやってきた番組や報道を見て、ロッキーに「全然違うと思います」って言われる事もあったんだけど、僕はすごくありがたいなと思ってる。僕が取材してると「話すことありません」とか、「NHKの人には今、会いたくありません」という方がやっぱりいらっしゃるんだよね。
でも、ロッキーはそういうのが全然ない。たぶん焼肉屋だったと思うけど、一番最初にみんなでご飯を食べた時も「よろしくお願いします」みたいな感じで付き合ってくれていたじゃない。それは何でなんですか?

遠藤:いや、別に理由はないですよ。正直、誰に対してもオープンだとは思っているし、確かにメディアの方と言えばメディアの方ですけど、あんま気にしないんですよね、別に笹川さんじゃなくても、自分の友達でも前の仕事の同僚でも、誰でも関係なく話をしたいっていう人には話をするし、あまり意識してないです。
とはいえ、ちょっとこの人嫌だな、みたいなメディアの人はいるけど(笑)結局人と人との関わりなんで、個人的に何かちょっと苦手という人は正直いました。

笹川:なるほど。じゃあそこはセーフだったっていう。

遠藤:はい(笑)

このプロジェクトをどう育てていく?

震災直後から、被災した方々を取材し続けてきた笹川ディレクター。実は、去年遠藤さんと話しているときに「震災10年という節目だからとメディアが番組を作るのは違和感がある」と言われたことが、ずっと気にかかっていました。

笹川 陽一朗ディレクター

笹川:いまだに、みんなの言葉を伝えていくことや、番組を作ることも正直いいのかなって思う事もあるのね。でも、一方でできる事があるかもしれないっていうふうにも思うし、それを見た方々が何かのきっかけにつながるかもしれないなとも思っているんだよね。

遠藤:正直、目的次第かなって感じがするんですよね。蓋を開けたときに「とにかく震災遺児を取り上げたい、だから、こんなのを作ります」と、手段と目的がひっくり返ると変な感じがするんですけど。こんなことをやりたいっていう目標の上で、震災遺児を取り上げるのがいいんじゃないのかって。そこに対する手段として入ってくるんであれば全く違和感はないし、伝えるべき価値がそこにあるというのであれば僕はいいと思う。

笹川:取材していると、孤立している人っているなって思う。例えば、自分の大切な人を亡くした悲しみを、もうずっと話した事ないですよっていう人がいる。周りに気を遣っちゃうから、と。「最初は話したかったけど話せなかった、もうそれでいいんです」みたいな子がいるんだよね。
そういう子が話したいと思った時に、例えば同じような境遇の方がいらっしゃって、私もここでちょっとはき出してみようかなと思うこともあるかもしれない。もしくは、全然境遇が違う方がこんな思いを持っているんだなと思って、全然関係ないけれども隣の人に声をかけてみるとか、何か生まれるんじゃないかとも思っている。
ロッキーが言ってくれた“人との関わりの手応え”みたいなものが生まれたら、ちょっといいなと思えるのかな。

遠藤:そこはそうですね。例えは笹川さんから見て孤立しているような人たちが、あまり人に自分の過去を話してこなかったけれども、仮にそれを話したいと思う時に話せる場がある、それで何か今まで抱えていたモヤモヤが少し軽くなれば少し、そこは前向きなとらえ方ができるようになるのはすごく重要だと思うんですよね。だからそこはすごく良いと思うし、そういった人を基軸に考えるっていうのはすごく良い事。
ただウェブサイトがあったら、例えばその人が今まで誰にも話してこなかったことを話すかといったら、どうなんだろうっていうところは分かんないですよね。誰か1人でもいいと思うんですけど、この人だったら、こんなものがあったら話してくれるっていうのがあるんだったら、それがプロジェクトにとっていいことだと思うんですよね。

笹川:今思っているのは、当たり前だけど1800人と言われる親を亡くした境遇の方は1800通りの人生があるわけじゃないですか。それで、集まった言葉から「震災遺児」っていう言葉が持っているイメージみたいなものを覆せる、変えられる可能性ってあるのかなってちょっと思ったりしてたんだよね。それは、ロッキーが「かわいそう」とすぐとらえられていたという話ともちょっと関係するんだけどね。

遠藤:僕はそこを純粋に質問したいんですけど、何で変わったらいいなって思ってるんですか?

笹川:取材していく中でも、ロッキーと一緒で腫れ物扱いされるのが本当に嫌だって子たちが何人もいたんだよね。周りのみんなも悪い気持ちでやってるわけじゃなくて心遣いの気持ちで接してるんだけど、結果的にそういう印象を与えてしまってるっていうとこあるじゃない。そういうすれ違いとか食い違いがなくなって、もっと有機的に結び付いていく未来がないのかなって。
これから災害が何回も来るだろうし、そういう中で、日本がもっとよくなるとしたら、ちょっとイメージの幅を広げることで、未来が良くなったりしないのかなって思ったのが理由かな。

遠藤:なるほど。東日本大震災って何か特別なものがあるのかな。震災だけじゃなくて、例えばがんの人が、がん患者って言われるとそこでまたそれもレッテルなんですよね。がんも同じような感じで、昔は「自分ががんです」って公表するのはみんなはばかられていたと、公表しづらかったのがちょっとずつ変わっていったのもあるので。震災についても、ある種レッテルで見られてた偏見が取れていけばいいというのは、すごく普遍的な問題というか、テーマとしては大事なことだと思うんです。
その偏見をとっていくのに何がいいのかっていうことは分からない。震災遺児が1800人くらいいて、多くの声を集めるよりも、もしかしたら1人チェンジメーカー、影響力が強い人が大きな影響を与える方がもしかしたらいいのかなと思っていて。もしかしたらそういう偏見を外すには、もっといい手段があるのかもしれない。

笹川:ありがとうございます。今日は時間が来ちゃったのですが…。またこうして直球な気持ちで話せたらと思うから、よろしくお願いします。

東日本大震災のその後の日々を取材すると、必ず「節目ではない」という言葉に遭遇します。メディアは社会から関心を持ってもらうために、「震災から○年」というタイミングで発信することが多くあり、こうした伝え方に迷いもありつつ、大切なことだと取り組んできました。しかし今回色々な方にお話をうかがうなかで、それぞれの“タイミング”があったり、中にはそれを転機にしようとしたりしている現実を改めて知りました。
そうした方々の思いにどう向き合うべきなのか、このウェブサイトでの取り組みが1つのチャレンジでもあります。震災で大切な人を亡くした方々と一緒に、ゆっくりじっくり、語れる場を育てていきたいと思っています。もし今、自分の気持ちを誰かと話してみたいと思ったら、ぜひこちらのフォームに声を寄せてください。
(笹川陽一朗ディレクター)

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みんなのコメント(2件)

はは
50代 女性
2021年3月14日
自身が経験した出来事の中で理解できないほどの経験をした時、年齢に関係なく人は『自分が悪い』『自分のせいだ』…と考える傾向にあるように感じてしまいました。が…本当はそんなことなくて…。私はいじめを苦に自暴自棄になった息子に、『今、息をしていることが、お前が生きていていい…という証拠』だと教えたことがあります。これからもご自身のことを大切にしていただけたらと思います。
濱田康
60代 男性
2021年3月9日
お話をお聞かせ頂き有難うございます。親を亡くされた子どもさんは恐らく、「家族を失いショックだったし、回りの状況がすっかり変わって不安だった。誰か大人の人が一緒にいてくれると自分を取り戻せて不安が和らいだ。自分は変わらないのに、なぜ『震災遺児』という名前で自分を呼ぶのかな?」というお気持ちだったのではないでしょうか。殊更に「震災遺児」と呼ばれるのは、距離感を感じて寂しかったと思います。