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「私は母のゴミ箱だった」ひきこもり母娘40年…たどりついた答え

「毒親」「親ガチャ」という言葉がさかんに使われるようになり、親と縁を切る方法が取り沙汰されるようになっている昨今。

その一方で、「本当は親に理解してほしい」という望みを捨て切ることができずにいる人も少なくありません。

母親からの精神的な支配などを背景に、10代から30代まで断続的にひきこもった経験のある林恭子さん(56)もその一人でした。

母親との対話の機会を持とうとしていると聞いて、取材を始めました。

まるで“鬼ばば”じゃないか

当事者活動や執筆などを通じて、ひきこもりの人たちの思いを発信しつづける、林恭子さん。私はこれまで何度も、番組や記事でインビューをしてきました。

その恭子さんが、母親とともにイベントに登壇することになったと聞いて驚きました。去年出版した著書「ひきこもりの真実-就労より自立より大切なこと」の中で、10代から始まったひきこもりの生活と、母親との確執を赤裸々につづっていたからです。

母親には執筆の許可は得たものの、詳しい内容を告げないまま出版に至り、本を読んだ感想すら直接聞けていないと言います。

ひきこもりUX会議代表理事 林恭子さん
恭子さん

「『書きますよ、あなたのことを』といったら、『好きに書いたらいい』とだけ言われました。母は本を読んでくれたようですが、私には何も言ってこないので、怒っているかどうかもわかりません。家族には『これじゃあ鬼ばばじゃないか』とつぶやいていたそうです」

恭子さんにとって、母親は“全く母性を感じない”存在だったと言います。

3人姉妹の長女として生まれた恭子さん。母親の口癖は、「やるからには一番になりなさい」という言葉で、恭子さんは、期待に応える“よい子”であろうとし続けました。

小学1年生から始めたピアノでは、「音大に入る」という母親が立てた目標に向けて、ピアノの横に座り続ける母親から厳しい指導が飛びました。

中学に入ると今度は「まんべんなく点数をとること」と求められ、
恭子さんが希望した高校とは違う進学校へ進みました。

「私の言うことを聞いていれば間違いない」という母親に意見することはできませんでした。

父親の仕事の都合に合わせて全国を転々とする、転勤族だった一家。

目まぐるしく変わる環境や、転校するたびに変わる校則への適応に苦しみましたが、母親に相談することはできませんでした。

その後、母親の勧めで進学した高校で、過呼吸や急激な体重の減少などの深刻な身体症状が現れるようになり、不登校に。さらに転校先の高校も1日でやめてしまいました。

通信制高校に通ったり、アルバイトをするなど、もがきながらも断続的に10年以上ひきこもっていました。

そんな恭子さんに、母親は、毎日のように父親や祖母への不満をぶつけていました。

「毎日のように母の愚痴を聞かされていた私は、自分のことを『ゴミ箱』なんだなと思っていた。『母も大変だから、誰かが聞いてあげなきゃいけないんだ』と思っていたのだ。でも、はき出す母はスッキリするかもしれないが、私はネガティブな言葉を浴び続けるので、そのたびに具合が悪くなった」(「ひきこもりの真実-就労より自立より大切なこと」林恭子著 ちくま新書)

ハッパをかけたら奮起するんじゃないか

5月下旬。都内で開かれたイベントには、ひきこもりの子を持つ親や経験者など、50名を超える人たちが集まりました。

そこに、母親の林節子さん(仮名・84歳)の姿がありました。

本を読んだ感想について、節子さんは毅然とした態度で、こう語りました。

対話イベント「ひきこもり親子クロストーク」(東京 練馬区)
母 節子さん

「すごい鬼ばばだなと思いました。でも、娘をいじめようとか、虐待しようと思ってやったことではありませんでした。私が育った時代と、娘の時代には経済的にも世の中的にもすごく隔たりがあります。私は傷つきながらも、“なにくそ”という気持ちで立ち上がってきましたから。(娘は)少し生ぬるいところがあるので、ハッパをかけたほうがいいかなという、そういう感覚はありました」

恭子さん

「子どもから見たら相当ひどくても、『わざとやっていたわけではない』と、恐らくすべての母たちはそう思っているでしょう。自分がひどいことをしていると思ったら、止められると思いますので。でも、私はハッパをかけて奮起するタイプではないので、安心させてほしかったです」

やりとりの中で、節子さんは、母親になる自信を持てないまま子どもを産み、葛藤を抱えていたことを明かしました。

母 節子さん

「私みたいな不完全な人間が子どもを産んでいいんだろうかと。親の欲望だけで子どもを産んでもいいのか、すごく悩んで。でも産んだ以上は、もう完璧に育てなきゃいけないという、力の入り具合が半端なかったです」

“ついでに生まれた子”として

母親としての葛藤があったと語った、節子さん。
ご自宅に伺い、詳しくお話を聞かせていただきました。

節子さんは、明治生まれの両親の元に8人兄弟の下から2番目で生まれました。

無口だった母親と、職人の父親から、“何かをしてもらった”という記憶はなく、全て自分一人で決めてきたと言います。そんな自分を「ついでに生まれた子」と表現しました。

小学1年の頃に終戦を迎え、父親は失業、暮らしぶりの厳しかった一家。

節子さんは高校卒業後、進学を諦めて生命保険会社に入社しました。

25歳で結婚したあとは、やりがいのある仕事や趣味の登山など充実した日々を送り、DINKS(共働きで子どもを持たない夫婦)として暮らしていきたいと考えていました。

母 節子さん

「私自身も、母親から愛情を受け取った記憶がなくて、“自分には母性というものがないんじゃないか”と自信がありませんでした。完璧主義なところも、子育てには向いていないだろうな、と思っていました」

しかし、子どもを切望する夫に折れる形で出産。仕事をやめ、夫の仕事に合わせて全国を転々とするようになりました。

当初不安を抱いたとおり、「やるからには完璧に」という思いは、子育てに向かい、そして娘にも影響を与えていくことになりました。

母 節子さん

「私は子どもの頃にやりたいと思ってもできなかったことはたくさんあるわけじゃないですか。だから娘には、やるんだったらある程度まできちんとやりなさいみたいな。やるからには完璧に。自分もそうやってきたし、娘にもできると思って疑いを持ちませんでした」

転勤を繰り返し、誰も頼ることができない中での子育て。常に不安はつきまとっていました。

しかし、夫は仕事で帰宅が遅く、あまり物を言わない性格でした。不和が積み重なり、相談できる相手もいませんでした。

当時、節子さんは、新たな転居先となった宮城県での生活への不安を、アルバムに記していました。

「パパもママも初めての地方生活。(中略)ママも忙しさとなれぬ生活から少々ヒステリー気味。恭子もそれにえいきょうされている様子」
母 節子さん

「自分のやり方に自信が持てない。それで夫には『私これでいいのかしら。この子育てで良いのかしら』っていうのはすごく問いかけはしてたんですね。でも『元気に育ってるからいいんじゃない?』って言うだけで、通じないんですよね。彼の中では、もともと『元気で命さえあればいい、生きてるのはそれだけで良い』っていうのがあったようです」

“元気で生きているだけでいい”という夫の態度を、あまりに脳天気だと感じ、いつもいらついてたという節子さん。

夫婦間での不満を、長女である恭子さんにたびたびぶつけてしまったと言います。

しかし、後にひきこもり、食事も睡眠もままならずにやせ細っていった恭子さんの姿を目の当たりにして、最後に残ったのは、“元気でいてくれさえいればいい”という願いだけだったとも振り返りました。

母 節子さん

「(恭子さんが)何年間も苦しんだ時間は、一番多感な時期で、一番楽しいはずの時期でした。それをつぶしてしまったというのはすごいことだと思います。もし逆に自分が同じようにされていたらと考えたら、やっぱりひどいことをしたと思います。私自身の生まれ育った背景があるにしても、親になるんだったらもうちょっと冷静に、親業を学習するべきだったと思います」

わかりあえずとも

父親の他界をきっかけに、2年前から同居をしている2人。

趣味の外出を一緒にすることもあれば、衝突を避けて多くを語ることを避ける、つかずはなれずの関係だと言います。

しかし、不仲のまま縁を切る親子もいる中で、ひきこもり始めた頃からの40年、「完全に断絶したことはない」そうです。

その理由として、恭子さんが20代から30代にかけて、とことんぶつかりあった10年間があったからだと言います。

20代の頃、自身の生きづらさの源流が母親との関係にあると感じた恭子さんは、それまでの憤りを、夜な夜な母親にぶつけるようになっていました。

母 節子さん

「夕飯が終わって寝ようという時間に、何時間も突っかかってくるわけですよ。明け方の3時、4時までのことも。翌日仕事があるので『ちょっと悪いけどいい加減にしてくれない?』というと『仕事と私とどっちが大事なの?』ってなるわけです」

母 節子さん

「私も絶対負けられないから、本気でぶつかり合う。でも、終わって必ず何か1つ、気づきがあるんですよ。娘の思っていることや考えていることです。何十回も繰り返して、私の中で少しずつ積み重なってきて、理解に繋がっていきました。それと同時に、私自身を振り返る糧にもなりました」

一方で、恭子さんにとっても、母親とぶつかり合う経験は、違う意味で大きな糧となっていました。

それは、「母親は自分とは別の人格であって、わかり合うことは不可能である」ということに気付いたことでした。

恭子さん

「はっと気付いたんですよ。あ、これ無理だなと。ある種の“諦め”ですよね。母に自分のつらさをわかってほしいと思って、何度ぶつかってもだめでだめでって延々繰り返して、ようやく腑(ふ)に落ちたっていうんですかね。それで母親のほうを向くのではなくて、自分の事をちゃんとやらなきゃって思えた」

「自分の人生を取り戻さなければ」。

その後、恭子さんは家を出て、アルバイトをしながら当事者活動を始めました。

それからおよそ20年。今は「ほどよい距離感を保てるようになった」と言います。

恭子さん

「母と私は非常に近い存在ではあるけれども、最もわかり合えない人という意味では一番遠いですよね。でも、性格も感じ方も育ってきた時代も環境もまったく違うので、当たり前なんですよね。どんな人間どうしだって、違う人がいれば、ちょっとそりが合わないという人もいる。たまたま私と母がそうだったというだけのことで、べつに悲しいことでもなんでもない」

自宅では、ふたりでアルバムをめくりながら会話をはずませる姿がありました。

そこには、恭子さんが生まれた頃の写真や、初節句、クリスマスなど、成長の記録がこと細かく残されていました。

その脇に添えられていたメッセージには、一人の新米の母親の率直な思いが綴られていました。

「変な顔してるな-。それでもよその赤ちゃんよりかわいく見えたり、小さいと思い心配になったり。親ばかがさっそく顔を出す」

「おばあちゃんいわく『日増しに大きくなるね』内心ママもうれしい」

「初めてママとお風呂。こんなにも子どもってかわいいもんかしら」
恭子さん

「母には母性がないとか言っておきながら、愛されなかったとは思ったことないんですよね。結局はうちにはいつもこれがあったから、思いっきりぶつかり合えたし、断絶せずにいられたんだと思います」

今も親子関係に悩む人たちに伝えたいことを尋ねると、それぞれ次のように答えてくれました。

恭子さん

「多くの当事者は、親のことを悪く言うなんて良くないって思っているんですよね。でも別々の人格を持った人間なんだから、足を踏まれて痛かったら痛いと言っていいと思うんです。親を憎んだり腹を立てることは必要なことで、それからじゃないと『理解する』とか『なんとかやっていく』というところにいかないと思います」

母 節子さん

「よく親御さんから『腫れ物に触るようにして子どもと話もできない』と聞きますが、本気でぶつかり合うことは避けちゃいけないんじゃないかと思っています。わかり合えない部分はあったとしても、親は情の部分では決して子を見放せないんです。だから大いに、一緒に悩んだり泣いたりわめいたりしていただきたいと思います」

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この記事の執筆者

首都圏局 ディレクター
森田 智子

「#となりのこもりびと」担当。

みんなのコメント(69件)

感想
砂糖
30代 女性
2024年3月19日
私も親との関係があまり良くありません。とは言え、特にネグレクトや虐待を受けていたわけでもないため、親との仲が良好な友人と比較して「育ててもらったのに、自分は何て冷たい人間なんだろう」と悩む事も多かったです。しかし、この記事で「『母も大変だから、誰かが聞いてあげなきゃいけないんだ』と思っていたのだ」「私はネガティブな言葉を浴び続けるので、そのたびに具合が悪くなった」という節を読んで腑に落ちました。私の母親も、家族の事をはじめネガティブな発言がとても多い人で、幼い頃からずっとその言葉を浴びてたと思います。これが私の母に対する感情を複雑化させてる原因(の一つ)かも!と。少なからずその影響があってか、私も同じようにネガティブ思考で、そんな自分も好きになれません。
まぁでも、過去のことは消せないし、これから自分が理想とする性格に近づけるよう頑張ろうと思うきっかけとなりました。ありがとうございます。
悩み
M &M
60代 女性
2023年9月25日
私は、毒親です。長女は現在40才で未婚でフリーターです。就職に対しても私から見ると、全くやる気が無く、早く自立して家を出てほしいのですが、自分から出たいと言うまで出ないと言い切ります。毒親からの解放は実家を出て親とも縁を切るのが一番です。私の望みは娘が自立して、自分らしく生きる事です。
次女は結婚して、大好きな夫と仲良く生活しています。長女がうらやましい気持ちで次女の家族にも接するので、次女の家族も近くに住んでいるのに、我が家にはあまり遊びには来てくれません。次女にも嫌な思いをさせるので私も会うのを我慢してストレスが溜まります。
長女はちょっとしたきっかけで、過去の嫌な気持ち、親に大事にしてもらえなかった事がストレスとなり、爆発的に口論となり、大声で夜中まで泣きわめく事もしばしばです。
この状況を何とかしたいです。
どうすれば良いのかアドバイスをお願いします。
体験談
はな
50代 女性
2023年7月15日
ここ8ヶ月父の病気のため実家に通っていたのですが、先日手術が終わりその後燃え尽き症候群のような状態です。母は元気ですが、父と仲が悪く私に様々な事を押し付けた挙句にやり方が気に入らないと定期的にヒステリーを起こしていました。長時間にわたる繰り返し聞かされる父の愚痴、悪口、時々私の事をあざけるような言葉に心身共に疲れ果てました。
小さな頃から姉妹の扱いに差をつけて、私に親の役割を押し付けてくる幼稚な人でした。このままでは私が精神的に参ってしまうと気づき、母にしばらく行けないと手紙を出しました。会って話すと気持ちの半分も伝えられず、支離滅裂な答えが返ってくるからです。
自分のされた事ばかり話しますが、自分のした事はきれいさっぱり忘れています。どのような思考回路なのか疑ってしまいます。
皆さんのコメントをみて私1人じゃないんだとホッとしました。
体験談
うめきちぽん
40代 女性
2023年5月12日
自分も悩んできたので体験談を聞くと自分だけじゃないんだと思う。私も母と祖母からきつく当たられた。ふたりとも外ではいい顔をしている。優等生で目立つ存在でないと、すごくなじってくる。その上、父は幼い頃に離婚して家を出ていったのだが、父への恨みつらみをぶつけてくる。居心地の悪さにいつか家を出てやると思っていた。
私が働くようになっても過干渉は続き、お金も搾取してくるようになった。限界に達しそうな頃、結婚が決まり、物理的に距離を置いた。子どもが生まれ平穏だったが、突然父が会いたいと遣いの人間を寄越してきた。一気に感情が爆発した。寄ってたかって私をバカにしやがって、と。父には会わなかったし、母にもより距離を置くようになった。分かり合えない人たちへの怒りやかつて自分を受け入れてもらえなかった悲しみでいっぱいになる。こんな気持ちを味わうのは私の代で終わりにしたい。
体験談
おおママ
60代 女性
2023年5月5日
私は、まさに娘が可愛くて大好きで自分の人生そのもので生きてきました。
姑のいじめや介護、主人は仕事人間、まさに娘が生きがいになっていたのです。
娘が結婚するまでは、何もなく仲良く親子と思っていました。しかし、その後娘が離婚やうつ病、買い物依存性になり、私は気づきました。過干渉の母が娘を駄目にしていたんだと、今は、娘もそれに気づいてお互いの人生を好きに生きて行こうと、会う事も連絡も減らし、心配する事も辞め、働いて元気ならと思うようになりました。ここまでなるには、娘も苦しかったでしょうが、母としての自分も凄くつらくもがき苦しみました。
やっと娘より、自分の人生が一番と趣味をみつけ夫婦二人余生を凄しています。
感想
エーデルワイス
60代 女性
2023年4月15日
臨床心理士(公認心理師)です。以前カウンセラーとして勤務していた専門学校で母親と不仲な学生が相談に来ていました。彼ができ、親と絶縁するために少しずつ実家から荷物を運び出して行方不明になる予定だと聞いた時に、カウンセラーとして何ができるのか非常に悩みました。
林さん親子の歴史に感慨を覚えると共に、子が心の中に通奏低音のように「親に愛されている」という感覚を持てるかどうかが大切だと感じました。
体験談
ワックスがけ
40代 女性
2023年3月6日
子供は親のゴミ箱じゃない

今私がしてることは、まさにそれだ

小学生の息子と娘に
毎日、夫の愚痴をこぼしている

夫は、教員
部活だの遠征だの、子供の非行への対応、親の対応など家庭のことなんて、余裕ない
保護者の相談相手として、夜に携帯にかかってくる電話に、2時間答えている
うちの子供だって私だって大変なのに

まして、教育委員会に入ってからは、
朝帰ってきてシャワーしてまた出勤

私も働いてきた
看護師正職員だったが、子供産まれてから非正規になった
だって、こんなに夫が多忙で、身動きが取れない状況では困るから

私の育った家庭も、父は母に暴言暴力
母も生活費もらえず貧乏で。

経済的に豊かな家庭に強く憧れてた

そんな今、何かが違う
子供に愚痴を言ったらダメだ
悩み
まんぼう
40代 女性
2023年2月15日
親は敬って当然、家族だから協力して当たり前、そんな表向きの家族像や世間体があり、自分の体験はわかってもらえないという思い込みで、長い間誰にも話せずにいました。
私も母がとても苦手です。
ちょうど思春期の頃は、家族がけんかばかりしていて、家にいるときは部屋にひきこもっていました。
父は知らんぷり、同居の祖母と母が犬猿の仲。
食事も祖母だけ別にして1人で食べるように仕向け、私がお膳を運ぶ役割をさせられる。こんな食卓が嫌で、私は1人で一番にさっと食べてすぐに部屋に行く。そんな毎日でした。
結婚してからは、遠方に住んでいるために、年に一度、数日だけ、私1人ではなく夫と帰省するという付き合いになりました。
あまり会わないので今はそんなに問題はないですが、解決したわけでもない。
今住んでいるところではニュータウンで、正月にも帰省しない私を怪しい人呼ばわりする人がいたり、もう嫌です。
体験談
40代 女性
2023年1月31日
すごく共感してしまいました。母と娘は同性だからこそ難しい。距離感を縮めてくる母、逃げる娘。どうしても分かり合えない。毎日喧嘩。よくわかります。私の母もいわゆる過干渉で心配性。生まれてずっと社会に出たことのない専業主婦でしたので、話が合わず常識が通用せず、いつも母の愚痴を何時間も聞かされてきました。母にとって、私はいつまでも子どもで従順でいてほしかったのだと思います。それが重くてつらくて私は結婚に逃げました。逃げても頻繁に家にやってくる。「この人はわからないのだ」と悟りました。今ではなんとか関係性の修復段階にやっとたどり着きましたが。
毒親の存在に苦しんでいる女性は思ったより多いです。女性だけでなく男性も苦しんでいます。母親は自分の人生を生きてほしい。林さんはたくましく生きてらっしゃって勇気づけられます。
ひき続き今後も取材期待しております。
感想
あまおう
30代 女性
2023年1月3日
年末年始の帰省中、雰囲気が悪い実家で感じたことです。お互いの気持ちを想像することが家族相手だとできなくなること、一番近い存在に気持ちをわかって欲しいと強く感じているから怒りが生まれることに気づきました。さらに、記事を読んで相手の抱いている気持ちには、理解できないものも存在するのだと思いました。家族に会うとつらいですが、記事のように良い距離を保って、自分の人生にだけ注目して、親・家族に翻弄されずに生きていきたいです。
感想
悲しい母
50代 女性
2023年1月1日
コメントを読めば読むほど悲しくて救われなくなっていきます。
娘は今年の秋に30歳になりますがひきこもりです。家事については、頼んだことはしっかりやってくれますが頼まないことは何一つしません。過去に私が発言したこと、弟との扱いが違うこと。夫や夫の母への苦情の捌け口にされたこと。それが彼女のひきこもりの理由です。

過去は変えられない。ならばこれからなんとかできるんでしょうか。私も毎日必死で生きてきました。あの頃の私を責めても、そしてこれからを改めても彼女が頑なに私を拒否するなら、もうどうしていいかわかりませんので離縁した方がいいんじゃないか思ってます。「良かれと思って」がアダになるなんて、悲しすぎます。
体験談
スモール
50代 女性
2022年12月30日
私も、母親とうまくいかない。母親の言うことを聞かず、仕事を辞めた。「あんたは人生狂った」と言われ、「家も出ていけ!」母親から逃げた。その後、結婚し娘を出産した。子育てもうまくいかなかった。姑に手伝ってもらいたくなくて、ひとりでやろうとしていた。

姑の悪口を娘に聞かせていた。娘も不登校になった。カウンセリングで母親とも娘とも距離を置いた方がいい。主人ともうまくいかないなり離婚。そんな自分をずっと責めてひきこもっていた。少しずつ働いていたけど人間関係がうまくいかない。今は、母親とも娘とも会えていない。会いたい。会えるようになりたい。
悩み
30代 女性
2022年12月29日
記事と皆さんのコメントも拝見しました

小学校からのいじめと幼少期からの家庭環境に耐えかね中学の頃に倒れて精神科に入院してから中学は不登校、高校は中退し、働いていた時期もありますが断続的にひきこもり、ニートを続けています。

父親は母親へのDV、母親からの暴言にも上3人の兄弟からの圧力に傷ついてきました

私は父と母が嫌なくせに実家に寄生してひきこもり続けています。
私がひきこもりなのは努力せずに怠けてきた自分のせいです。
2週間家から出ないことも普通で食事とトイレと風呂以外ベッドの中からほとんど出られない生活を送っています。通うべき精神科も支援も受けていません。友達も中学からいません。

一度、崖から飛び降り助かっているのにまたそのような事を考えてしまいます。抜け出したいです
でもずっと一人で眠り続けることしか出来ない。
体験談
ココママ
50代 女性
2022年10月19日
54歳の私、15歳の一人娘が精神科にかかっています。

記事を読んで、娘に『もっと早くに不調に気づかずごめんね』と謝らなければいけないなと思いました。

私にできるんだから娘にもできるはず、娘のためにはこれくらい強くしつけないといけないなどと、私なりに考えた結果のしつけが、歪んだものだったのかもしれません。
感想
レイママ
40代 女性
2022年10月17日
お母様の節子さんの話を聞いて、親の心への理解が深まりました。親は親なりに必死。だから大切な事を見逃す。ずっと理不尽な思いがありましたが、今回の番組で心が解れるような感覚を味わいました。やは理解はゆるしを促しますね。ありがとうございます。

私も両親に人生の主導権を握られ、高校生で燃え尽き症候群になり、生きる気力を失った経験があります。私の場合は、兄の交通事故死をきっかけに両親の愛情が屈折したように思います。親は世間一般の普通から外れた私を責め続けたので、私も自分を責めて悩み苦しみました。高校卒業後に家を出てからは、経済的、精神的に自立したことで自分を取り戻すようになりました。

現在は47歳になり、7歳の娘を育てています。両親は今も私を批判し続けていますが、親になったことで両親の幼稚さを受け入れています。今回の番組は心理師の先生の解説もありとても参考になりました。次回も楽しみにしております。
感想
ヒロミチ
60代 男性
2022年10月8日
 私は62歳で精神障害者で半ばひきこもりみたいです。林恭子さんの母娘の関係がすごく分かりやすく描かれていて、彼女の思春期青年期の体験等も興味深く読ませて頂きました。 

私は大学二浪の時に心因反応を発病して精神科に通ったりしました。幸い志望の大学の工学部の学科に合格しましたが大学在学中に交通事故で入院したり、学力の限界や進路の選択ミスを感じたりして大学を中退しました。

 父母にとっては大きな打撃だったと思います。地元に戻ってからは私は大変な経験をし、思いもして就職活動をしたり作業所にも通ったり、就労支援事業所にも通いました。
 父母は有名な宗教団体の幹部であり、私は組織の庭で育てられたらのですが、「親子関係があったかな?」と思い、優等生と言うか良い子で育った自身に苦しんだりしました。
 浪人中も地元に帰っても昼夜逆転に苦しみました。精神障害者と言うより交通事故のムチウチ症での曇天うつとひきこもりかな?と思ったりしました。
 家の物に当たったりしました。父も母も仕事と宗教団体の活動で忙しく子育てと言う暇が時間がなかったように思います。
体験談
アニー
50代 女性
2022年10月7日
私は母の束縛から早く逃れることができましたが、私の人生に大きく影響しています。
母は人当たりが良いので、反発する私が悪者のようです。

夫は「親は偉い」という単純な考えなので、毒親という概念が理解できません。
私の友達も理解できず、長年つらい思いをしています。
3年ほど会っていませんが、今後も会う気はありません。
体験談
カランコエ
30代 女性
2022年10月6日
実家の状況と似ている。母は神経質で感情的に怒る人だが、本人は子どものために厳しいしつけをしたと思っている。私には恐怖しか残らずだめな人間だが、親のせいではない。同じ環境で育った姉は、まともに生活しているからだ。性格が虚弱で自立できない子どもが、親をさらに支配的にする事もある。親が、毒になるか薬になるかは、子どもの性格にもよる。大人になったら、物理的に距離を置くのがよい。
感想
えめ
60代 女性
2022年10月6日
もう居なくなってしまった母も、毒親でした。のぶた先生の著書を読み、女性学もかじり、なんとなく母たちの時代を想像できるようになりました。

もっとみんな気持ちを言いあえるように、なりたいですね。
感想
ringo
50代 女性
2022年10月4日
いいお話だなぁと思って最後まで読ませていただきました。時期はいつであっても、お互いにぶつかり合えたということが一番大きいと思います。同じような経験をしている人の中で、そういうことができるの人は多くないと思います。うらやましいなぁと思います。どんな親に育てられたかによって人生が決まるということの不条理に今もやはり苦しんでいます。いろいろ乗り越えられたかなと思ってはいますが、もっと別の人生があったのかもしれないと思うと苦しいですね。私はまだ、自分自身の人生を見つけていません。
いいお話でした。ありがとうございました。
体験談
むじな
40代 女性
2022年9月30日
悪意のある親よりも「よかれと思って」「あなたのために」の方がより毒が回りやすい気がします。
「受験に勝てるよう、眠らないように太ももにコンパスの針を刺しなさい、言う私もつらいの、あなたのためなのよ」
「良い人と知り合うためには良い学歴を、そのために高いお金を払ってあなたのために塾にいかせているの」
「女の子らしい格好をしておとなしく大人の言うことをききなさい、あなたのためなのよ」

「気付け」にやかんのお湯をかける、包丁の持ち方が悪いと指を落とすよと実際に切らせる、病弱なのは食が細いからと食べさせる。交友に不安があるから手紙はすべて検閲するし、電話も盗聴する。見知らぬ男に「かわいいね」となで回されても「ほら、こうしていれば社会に受け入れられるのよ」とにっこり笑う。

それがあなたのため。

結局私は未婚のままです。与えられてきたそれが家族愛であるならば、私には家族は営めない。
体験談
ぱぱんだ
60代 女性
2022年9月29日
子育ての間つい娘に夫に対しての愚痴をこぼしていました。娘からは、大人になってから、子どもの頃は言えなかったけど、つらかった、もっとお父さんの事を好きでいたかったと言われて今更ながら反省しています。
悩み
さくら
40代 女性
2022年9月29日
番組の最後に紹介された、「夫に親のことを話してもちゃんと聞いてもらえない」というコメント。私の主人がよくお姑さん(隣りに住んでいます)のことを「ひどいい母親だ。大人になってようやく気づいた」と言い、小学生の我が子の前でも言います。「早く死んだらいいのに」とまで言います。
結婚当初は、大変だったんだねと共感していました。しかし、結婚して14年聞き続けていますが、正直以前ほど共感できません。子どもに良い影響の発言とも思えず、時には腹さえ立つようになってしまいました。どう反応していいのか困ります。夫婦仲までギクシャクしてきます。
体験談
親は大切に…という世間一般論が大嫌いです
30代 女性
2022年9月29日
毒母持ち。私は結婚を機に縁を切り、今は心の平穏を取り戻し人生をやり直して幸せです。
毒母の価値基準で生きていた時は人間関係での衝突が非常に多かったです。
妹は、毒親を理由に、1度も働いたことがなく(その割には寄生同居してますが)亡き父の残した財産で生活しています(もちろん財産分与も私は0。毒母と働かない妹の物となっている)。
過干渉型で真綿で首を絞めるように長年精神的に支配され続けていました。
自身も親となり、周りも子育て世代。
親友や周りの家庭をみて、いかに自分の親が価値観が歪んでいたかわかります(よく弁護士の相談サイトにあるレベルの毒親)。
とにかく世間体が第1だったので、外面はよく、家の中はめちゃくちゃでした。
世の「親を大切に」という言葉を聞くと少しだけ胸が痛みますがその時は、いつも私をコントロールするために言われていた「あんたなんか産まなきゃ良かった」というを思い出しています。
感想
うつ母
2022年9月29日
高2の不登校の娘を持つ母親です。
子どもとの関わりに悩みうつの状態です。

自分が毒親だったから娘が不登校になってしまったんだろうかと不安な気持ちのまま記事を読み、今朝のあさイチの放送を拝見しました。
娘が周りの人間との関係に困難を抱えているのは母親のせい、生きにくさを感じているのは母親のせい、十字架を背負って生きていけ!と突きつけられているようでした。
そして専門家の先生が「過去は変えられない」と何度も繰り返した言葉が一番つらかったです。
当たり前の言葉を発してらしたのだと思いますが、これからの未来すら絶望的になりました。
「ではこれからどうするか」なんていう前向きな気持ちには微塵(みじん)もなれませんでした。
感想
さっちゃん
50代 女性
2022年9月28日
私は、中学校に入った頃位から、両親と口を聞かなくなりました。小さい頃から、共働きの両親は毎晩けんかばかりしていた事もあったかもしれません。

私が42歳で、母が末期ガンの宣告を受けたときをきっかけに、子どもの頃の母子に戻りました。
生きているこその悩みのような気がします。
体験談
60代 女性
2022年9月28日
親子だから悲しいかなある悩み。一生懸命お互い生きてきた証しでもある。好きだから、愛してるから、かな?
感想
たんぽぽ
30代 女性
2022年9月28日
向き合ってくれる母親がいて良いなと思いました。もう30歳ですが、無職になって半年、今は実家に住んでいて1ヶ月くらい両親と会話をしないようにしています。遅い反抗期のような、親を嫌な気持ちにさせたいという気持ちでやっています。でも両親は何も言ってきません。私はかまってほしいのです。今まで話を聞いてくれたこともない、相談に乗ってくれたこともない、そういうのをめんどくさがられてきました。今もめんどくさいと思っているのでしょう。何ごともないようにされているのです。私にはこれくらいの復讐しかできません。本当は自立して一人暮らしして良い距離で親と付き合っていきたいですが、今は何もやる気がおきません。
体験談
ぽかり
40代 女性
2022年9月28日
現在40歳代ですが、私自身も小学生の時、不登校の時期がありました。その時、林さんと同じように母親に対して「この人には何を言っても無理なんだな」と諦めた事があり、そのときの感情は鮮明に覚えております。ただ、林さんのように言葉を上手く使えず、自分の気持ちを母親にぶつけることや、言葉で表現することすら出来ませんでした。ただ、泣く、八つ当たりする、癇癪(かんしゃく)を起こす、家を飛び出すなどの行動に出ていたと思います。しかし、今思えば、その諦めの気持ちが生まれたから、母親には何を求めてもダメだと思えたから、復学に繋がったのかも知れないと、今日の放送を見ながら感じる事ができました。復学は出来ても、ずっと生きづらさを感じておりました。その原因が母親であることも最近理解出来るようになり、また、母親自身も時代と家庭の被害者でもあると理解しております。この連鎖を絶ち切りたいと子育て頑張ってます。
体験談
家庭のゴミ係
50代 女性
2022年9月28日
幼少期より母親から虐待され家事の肩代わりも多くさせられ明らかに他の家族と扱いが違うまま成人。氷河期で働き口がなく実家にとどまると程なく母親がたびたび長期入院をするようになり、代わりに家事を担い、入院通院のサポート、親の深刻な浪費癖が発覚したので家計管理もした。他の家族が外に働きに出ていた間もケア役割をまじめに担い続けた末に残ったのは「無職」「ひきこもり」の不名誉と、長年の疲労困ぱいと重い更年期障害で心身が絶不調な自分。公的な相談窓口で困窮や体調不良を訴えても勧められるのは「就労」のみ。福祉は救ってくれない。もはや生きるすべがないと感じる。
体験談
不二子
40代 女性
2022年9月28日
親と子どちらの立場も経験し、お2人の気持ちがわかります。大人になっても老婆になった母にはもう向き合いたくない、距離を取りたい、二十歳になった息子には申し訳なかった、そして反発し立ち直ってくれてありがとうという気持ちでいます。
体験談
サバ缶
60代 女性
2022年9月28日
私は60歳、8年前に当時21歳の長女から「毒親」と言われ、ショックを受けてメンタル落ちしました。彼女は15歳でうつになり、高校を中退。高認を受けて、その後私立大学へ入学。色々あって大学を卒業。私に知らせずに結婚。私は悲しかったけれど、なぜ彼女が私を毒親と言ったのが、頑張って検証。さらにメンタル落ちする罪悪感が込み上げる。自分軸で生きることにシフト。ようやく長女と少しずつ会話が可能になる。和解は「わかりあうこと」ではなく、工夫して交流することと認識。いまだ精進中です。
体験談
さくやこ
50代 女性
2022年9月28日
母親の存在というのは、自分が母親になっても難しいと感じるくらい優しさと支える気持ちと成長や変化をじっと待つ忍耐と笑顔が必要な立場。
私は子煩悩(ぼんのう)な父から可愛がられる一方で父と母が一時けんかが絶えない時期があり、なんだか遠くから大切にされている気がして育ちました。身近では弟と母の仲の良さや養女の従妹への母の共感、それまで心のよりどころだった伯母が養女を取ってから心理的に放っておかれたような孤独感といった、自分にとって心理的に窮屈な部分と取りつく島を失った喪失感が心を覆ってしまい、心身ともに正真正銘の虚弱体質になった事が、母を毒親と言わざるを得ない遠因になりました。実際、母との会話から察したことは母が私を可愛がるものの独り占めしつつ何でも言うことの聞くペットのように勘違いをして扱って育てた事でした。
もう気持ちでは母を裁ち切っていますね。
体験談
狼の口
50代 女性
2022年9月28日
ウチの毒親は自己愛パーソナリティー障害です。絶対変わりません。母は結婚どころか子育ても絶対にしたらいけない人です。私の10代口癖は「20まで生きられない。(親指姫の)モグラの家に閉じ込められたままの人生」と友人に言ってたそうです。(27才の時うつに)母は83歳ですが、未だに私の(57歳)人生を支配しようとします。これだけ屈折した私の性格なのに母は私の事を「素直で優しい子」だと言います。そうです!それしか私に求めてないのです。常に母のストレスのはけ口(サンドバッグ)にします。2ヶ月前に縁を切りました。夫や孫にまで攻撃(口撃)し家族関係を悪くし不幸のどん底に落とすからです。母からの謝罪がない限り会う事はないと伝えてます。謝罪の条件は、悪口を言わない(文句)、すぐに感謝、謝罪する、自分の自慢話をしない。お金を払うです。弟達にはお金払いますが、私には滅私奉公を要求します。
悩み
ミミの母
40代 女性
2022年9月28日
6月から中学3年女子の不登校で悩んでます。親のゴミ箱と言う言葉に衝撃を受けました。私も子供に言ってました。勉強嫌いでしたが、塾に通わしても外の電柱に終わるまでの2時間隠れて待つ子で、去年、先天性の疾患の耳の手術をしてから早退癖がつき部活顧問ともけんかをしテニス部で最終番手でペア組ませてもらえずなどがあり、塾、受験と言いすぎた母のが原因かと反省してます。先天性疾患にも申し訳なく思ってます。

中1までは、何事にもすぐに諦める子ではありましたが、空気を読める手のかからない子でした。今は自己肯定感が低いイライラが手につけられない子ですが、これから子どもには愚痴は言わないようにします。ゴミ箱ではない。子どもとの付き合いを考え直します。
体験談
くっき
60代 女性
2022年9月28日
今朝のあさイチ、毒親テーマで自分の子育てにずっと後悔と申し訳なさを感じていた私はテレビに釘付けでした。結婚と同時に婚家の自営業を手伝い子供が生まれても忙しい日々の中一生懸命育てはしましたが子どもの心に寄り添って尊重してあげるという母性として一番大切なことを欠いていました。よかれと思って先走って何でも決め完璧を望みました。自分が有能だと過信して子どもにもそれを要求し、できないととても情けない思いで本当に傲慢な人間でした。息子たちは30代になり仕事はしてくれてますが心の病気を抱えています。もっとありのままの存在を愛してあげればよかったと後悔ばかりです。優しい母親に育てられ伸び伸びと自分らしい道を進んでいる人の話などを聞くと我が子に申し訳なさを感じます。自分の時には余裕がなく仕方なかったとも思いますが今子育てしている方にはどうか子どもの存在をまるのまま愛してあげて欲しいと切望します。
感想
りんご
60代 女性
2022年9月28日
17年前長男が突然の理由なし離婚宣言。嫁と生まれたばかりの小さな子供ふたり。理由は一切言わず。「自分の悪いところは直すから」という嫁の気持が耳をかさず、周りが訳のわからないま、説得もむなしく息子はそのまま一年間考えが変わらずに離婚しました。その時からは「それぞれてんでんの人生」と胸に刻み今に至ります。同時に「良かれと思っても大きなお世話もある」とも思いました。でも、逆に「肩の荷がおりた」感覚もありました。それからはさみしさを隠すためもあるのか便利な言葉としてよく口から出ます。
悩み
未来
60代 女性
2022年9月28日
父は倒産して私が家族を支えました。競売の自宅を、付き合っている方が借入をおこし、支払い全て父がする約束でお願いした。父は二三回ほど自分で返済した後は、一発逆転の為と特許研究と出願と自分の贅沢な食事に年金24万円を使う。私が60過ぎになり、支払いも困難になり、わずかでも支払いをお願いしたら、名義が自分でないから支払う義務がないと。98歳の父に施設に入ってもらい、家を売却するか運営しないと私たちの生活が困難になる。毒親と道徳と現実に苦しんでいます。
体験談
白いくも
60代 女性
2022年9月28日
私は一人っ子で母は重度の心臓病です。母の家は貧しく家事をするため学校に行かせてもらえませんでした。祖母が強制的に結婚させた父は仕事が続かずギャンブルなどで家に帰ってきませんでした。私は母と二人きりで過ごし、母は私に愚痴を言い続けました。私の話は聞かなかったので私も悩みは一人で解決する癖がつきました。母は私が欠点だらけの父にそっくりだと繰り返し、短足でガニ股も父親譲りだと何度も言いました。母は社交的でしたが私と二人のときはいつも不機嫌でした。数年しか生きられないと言われていると子どもの私に言いましたが、危険な手術を何度も経験し奇跡的に長生きできています。父母は孫ができてからは随分助けてくれました。今でも私と二人になると母は自分の過去の愚痴ばかりです。聞くのが苦痛だと訴えましたが、自分が最も不幸な人間だと思っており他に聞いてくれる人はいないと叫びます。私は長いことストレス性の病に苦しんでいます。
体験談
まさに下僕??
60代 女性
2022年9月28日
「下僕」。正に今、ドンピシャです

若くして(21)親になった母は
子育てよりも生活優先
少し余裕が出てからは
束縛
私は遅れて来た反抗期で
両親の反対した人と結婚
父と夫が亡くなり
子ども達も独立し
今は母と二人暮らし

昨秋 入院した母(85)が退院する。要介護5
会話は通常だし
食事も自分で出来るが
立てない
元気な頃から
「あんたの下の世話は
したくないから
そうなったら施設へ」と
云っていたのに
今は毎朝5時に母を
ポータブルトイレへ座らせ
用便後 向かい合って
始末をし紙パンツを履かせ
「下僕のような私」と思ってしまう

在宅介護は大変と反対した妹は
近くに住んでいながらも
理由をつけて月1回位しか来ない

月10日程だが仕事も
しているので
デイやショートを利用しながら
ワンオペの老々介護
自分は死ぬ日まで
自分で歩き 自分でトイレへ行くのが目標の私(64)
質問
おはぎ
60代 女性
2022年9月28日
信田さよ子さんみたいな方はどこにいらっしゃいますか?
どこに行けば相談できますか?
体験談
ココロン
60代 女性
2022年9月28日
私も毒親だと
子どもがひきこもりになったときに痛感しました。
カウンセラーや支援センターの方々に支えて頂いて
私の親との関わりから
偏りの心があることに
気づくことがあります。

でもまだ子どもとの関係は、
私の勇気のなさに
良好とは、言えませんが
いつかそれなりの関係に
なればいいと思ってます。

母が認知症になって
考えることがありました。
まずは、母の言動を許すこと
それは、自分も許すことに
繋がるように感じます。
子どもに幸せになって欲しいのに
伝えられない毒親は、
そろそろ卒業したいです。
体験談
まあさん
60代 男性
2022年9月28日
私たちは子どもに過剰に干渉したために子どもの人生を犠牲にしてしまいました。今子どもは40歳で2年前に再婚し幸せにしています。私は稼ぎ頭として家庭をあまり省みることなく仕事一途なところがありました。妻はそんな私を子どもの前でなじり批判しました。子どもはねじれ不登校、非行に走りました。あれから親同士は別居し離婚協議しています。妻も悪気はなかったのですが、子育てに力が入ってしまったのだと思います。そのねじれを子供は全身で受け止めてねじれてしまいました。今私は子どもと良い距離感を取りながらやり取りしています。妻とはそれほど関係性が強くはないようです。私もちょっと奥歯にものが挟まったような感情がありますが、このくらいがちょうど良い関係性だと思います。夫婦はしょせん他人ですが、子どもは肉親ですから関係は一生続きます。
体験談
どんどこどん
50代 女性
2022年9月28日
三人姉妹の真ん中で、一番要領が悪かったので、毒母のターゲットになりました。とにかく感情の起伏が激しく、昨日言った事と今日言う事が違う人でした。無理やりやらせて、都合が悪くなったら「あんたのせいよ」と言って逃げる。人として信用・信頼できない人間でした。
周囲が気づいて助けてくれなければ死ぬところ・・・なんて事も子ども時代には何度かありました。

母は私が44歳の時にガンで亡くなりましたが、最後まで自分の感情を周囲に、特に私に当り散らしました。最初から最後まで、自分自身の事にしか興味のない、他人は全て「自分の為の道具」という考え方の人でした。
親が亡くなったので、関係が修復できなくてつらい、苦しい、罪悪感が消えないという人も多くいるのでしょうが、私の場合は「ああ。やっと自分を支配する人と付き合わなくてすむ」と。仏壇を前にして、やっと穏やかに母と付き合えています。
体験談
さとうきび
50代 女性
2022年9月28日
娘が子供の時代は、私と反対の生き方。不良で、話が出来ない。高校も留年。
社会人になり、パーラーをするキッカケで、
娘と同じことをやることが、できた。
おなじ、興味・趣味などをみつけたらいいかなと、思った。
体験談
50代主婦
50代 女性
2022年9月28日
子どもは、親を選べません。親が、子どもを育てるのは当たり前です。産んで、子どもに「育ててやった」と恩着せがましいことを言うのは違う思います。育ててもらった親に毒親って言うのは良いこととは思わないけど、親も素直に反省をしたり、子どもをいち人間として対応すべきだとおもいます。
体験談
サニー
50代 女性
2022年9月28日
私の父は今で言うオーバードーズでした。頭が痛いと鎮痛剤を一日に10錠くらい飲み、風邪をひくと市販薬を一度に3~5袋、胃がもたれると言って胃薬を片手にいっぱい飲む。
そんな生活を10年以上続け、気にいらないことがあるとキレて怒鳴り散らし殴る蹴る、私は高校を卒業し就職してすぐに家を出ました。
その後すぐに母と離婚、父は一人になり、66歳で幻覚や幻聴がひどくなり徘徊し警察に保護され精神病院へ入院、7年後そのまま病院で亡くなりました。ずっと私を苦しめてきた父でしたが、結局最後は面倒をみて葬儀もしました。
結局は自分が納得できるがどうかだと思います。
体験談
コニー
30代 女性
2022年9月28日
私も毒親なのかもしれません。
娘を連れてのステップファミリーです。
そして、7年ぶりの出産、第二子を産みました。その子はダウン症児のため入院手術退院を繰り返した1年でした。
そのため、上の娘に年齢以上の事を求めて言い聞かせてきた気がします。
下の子にかかりきりになるあまり、まだまだ、甘えたいはずの娘をキツく叱ったりしてしまったりした記憶ばかりです。
ちゃんとしなきゃと思いが強くて私自身も辛くなる時があります。
感想
はるか
50代 女性
2022年9月28日
母とは決してわかりあえないんだな。私がそう思ったのはちょうど30歳の時でした。
小さい頃から、理解されることを求めていたけれど、その願いは絶対に叶わないと自分が理解したとき、深く深く絶望しました。それだけ母に愛されていると実感したかったんですね。
それから25年。今は認知症になってしまった母とふたりぐらしをしています。
今となっては遅いのですが、私も若いうちにぶつかり合っていればよかったと思います。
体験談
DR
50代 男性
2022年9月28日
番組拝見しています。
私も50を過ぎましたが、父親と断絶しています。 私の物心がついた頃から、私だけでなく母にもどう喝・侮辱(いわゆるモラハラ)を続けてきました。 

私が経済的自立ができたのを機に断絶しました。その後父はよその人には孫に合わせてもらえないあわれな老親を演じ、腹立たしく思っています。父親のモラハラの犠牲者に自分の妻子を連ねないよう今の環境を続けるつもりです。
悩み
おはぎ
60代 女性
2022年9月28日
まさに今です。
毒親かもしれない母です。
娘からの「ウザイ存在」と言って、
距離があります。でも、コロナ禍もあり、金銭的な援助だけは求めてきます。
私(母)はそれでも嬉しくて援助してますが、息子から「ただ援助するのはやめた方が良い、解決にはならない」と。
ウザイといわれても金銭的要求する娘の心、渡してします私の心、何が足りないのでしょうか?母60代娘20代。
体験談
たぴ
40代 女性
2022年9月28日
信田さんのお話が心にスルスルと入ってきます。出産後体調を崩し、実家に頼らねばならない生活をしています。幼少期に暴力を振るわれながら育った恨みが強くて自分の子にも「DVは遺伝するんだよ。私がされた以上の事はしてない」と言いながら、言い訳しています。母にも、「あんたが、産んたんだから責任取って殺せよ」と、会う度に暴言。。。母は、「一番かわいがった、愛した」と言い張るだけ。

しかし、通院や買い物を考えると母の助けは必要です。離れてすむならとっくに離れています。しかし、変わらないんだなと、諦めて分かり合えないまま生活するという言葉は、すごくしっくり来ました。心は、本当に変わらないし、変えようと頑張ってきましたが、疲れました。
体験談
悠のママ
40代
2022年9月28日
私は兄弟で比べられ、成績が悪かった私はよく、ホウキの柄(持ち手の部分)で叩かれました。仕事で地方に出た後、結婚をし子供に恵まれましたか、いまだに親に会うと恐怖感があります。でも親は、平然と過去を忘れたかのようです。心の傷は治りません。
提言
50代 女性
2022年9月28日
この悩みは深いです。
母は90歳
宇宙人だと私は思って我慢しています

一回だけでなくもっと特集して欲しい
質問
きよさん
60代 女性
2022年9月28日
番組中に「アイ・メッセージ」というワードが何度かでてきますが、英語の一人称「I」でしょうか?「愛」…?
体験談
たまごわさび
40代 男性
2022年9月28日
私は43歳の男性で、毒親に育てられました。自分は精神障害者なので親と同居せざるをえません。勉強や合気道を強要され、成績が悪いとビンタや背中を蹴られそれでも母・父・兄の支配(暴力・暴言)が中学まで、教育虐待が続きました。その18歳終わりに精神疾患を患い、仕事をしてても寝込んだりする日々がさらに発作で過去に5回ほど死に掛けました。仕事ははまっとく安定しませんでした。過去には部屋に飾る絵を描いてほしいと、強要された事などもありました。たびたび毒親(両親)に対して激しい怒りが煮えたぎる時があります。それを何とか沈めて生活しています。(現在も進行中です) ちなみに両親に過去の虐待に対して、反省する様子はありませんでした。
体験談
青いうさぎ
40代 女性
2022年8月30日
母からは小さなころから常に否定されました。ほめられた記憶はありません。
子供が、自分の思い通りにいかないと、暴言、無視、母の顔色を気にしながらの子供時代でした。青春時代なんてなかった。心の傷となってます。
母とはもう関わりたくありません。
感想
ユウノスケ
40代 女性
2022年8月30日
私は、統合失調症で、医師から仕事が出来ないと言われています。母からはしょっちゅう、あんたは仕事も出来ないくせに、食べることだけすると言われています。つらいですが、諦めています。家事手伝いを、しんどくても頑張るしかないのかなと思っていたら、この記事に出会いました。

この記事を読んで、私と母のぶつかり合いと似ていると思いました。恭子さんが「母の方を向くのではなく、自分のことをちゃんとしなきゃ」と言っておられたことに、ハッとさせられました。

私も、母とのぶつかり合いに、サヨナラできるかもしれないと思います。この記事を掲載してくださったことに感謝を申し上げたいです。ありがとうございました。
体験談
肉巻きおにぎり
2022年8月20日
自分は父親から父性を感じたことがありません。

父は悪い人間ではないですが、全ての事柄において「幼い」と感じます。自分には甘いですが、他人に求めるものはとても高いと思います。愛情はたくさん受けていたと思いますが、「愛情過多」になり過ぎて、それが当たり前だと思っている部分があります。

父は人一倍「優等生」が好きです。でも、自分は「父の望む子供にはなれない」です。以前はそのことに対して少しは罪悪感も感じていましたが、今は罪悪感は感じていません。感じる必要もなかったと思っています。

色々思うことはこれからもあると思いますが、父のことをあまり考えずに生きていきたいと思います。
感想
梅子
50代 女性
2022年8月9日
まさに今日、一人暮らしの高齢の実母宅を訪問して、さんざん八つ当たりと愚痴のシャワーを浴びせられて疲れ果てて帰宅しました。くやしさと情けなさで眠れず、ふと「娘をゴミ箱にする母親」というワードが頭に浮かび、検索したらこの記事にたどり着き夢中で拝読しました。

いろいろ、似てます。母の愚痴の内容は、どれも私にはいっさい責任も原因もないことです。でも愚痴をきいたあとに、なぜか強烈な罪悪感におそわれ、心身が不調になります。いまは夫とまあまあ仲良く暮らしており、普段は物理的にも心理的にも母から離れていられますが、若い頃はとんでもない地獄でした。(不登校、ひきこもり、自殺未遂)

母は母親(=私の祖母)を早くに病気で亡くしているからか、たしかに母性が薄いです。
記事を読んですぐ林さんのご著書を購入しました。明日届くので読んでみます。

(苦しんでいた今夜、たまたまこの記事を読めてすごくありがたかったです!)
体験談
ミシュナ
50代 女性
2022年8月4日
母親の子育てに対する「不安」「自己責任」

相談できる相手がいない、孤立した子育て
自分が不完全だから、完全に育てようという
意気込みのような思い込み

父親の(子どもは元気で)生きていればいい
という無知と無関心

両親が見ているのは、二人のこどもではなく
理想の子ども像、道や型にはめこむ教育
そこでは子どものセンサリー(感覚)は無視される
母親の「不安」も「自己責任」で無視される

相談できる心の状態でいること。
そんな環境は、探さないとみつからない。
こどもの心が壊れてからでは、一生後悔する。

いま痛感しています。
悩み
みさき
30代 女性
2022年8月4日
私はひきこもり歴14年です。精神を病み、精神障害者福祉手帳もちです。

母には理解されず、毎日のように傷つくことを言われます。もう母との関係は諦めてます。
体験談
なお
40代 女性
2022年8月3日
私は今年の4月まで母親との関係は良好だと思っていました。でも私の生きづらさ、若い頃の摂食障害、色々な依存症はどうしてなんだろうと考えれば考えるほど両親、母親に繋がって…

先日40もすぎてたあいもないことでけんかして連絡をとらなくなりました。よくよく考えてみると今まで本当の気持ちをぶつけたことはなかったのかもしれません。

母親になんていわれるのか、嫌われるのが突き放されるのが怖かったかもしれませんね。だから恭子さんがお母さんに思いっきりぶつかって二人で乗り越えたこと、母親は別の人格で自分がじぶんを幸せにするっていうところまで腑(ふ)に落ちたということがとてもうらやましいです。私はまだグジグジと過去のことを思っているだけ・・・

向き合うことも怖いし、諦めることもできない。タイミングがきたら本当の気持ちを母親に伝えられるといいのかもしれません。
提言
チコラ
50代 女性
2022年8月2日
片方が発達障害だと、認知障害の関係で、「毒親」とされてしまう危機感を持った。
私は子どもにはやりたいということは全てやらせたし、父親の悪口は言ってない。
夫婦仲よく正直恵まれた状態だと思う。

私は小さい頃から実母にイジメられ、衣食住は保証されてたけど常に嫌味言われ心休まらなかった。今は言いたいこと言って謝ってもらったけど。
つい自分の幼いころを思い出し、私の小さい時に比べたら数倍マシだよって言いたくなる。で、言ってしまった。旦那にはだめって言われたけど、言わずにおれんかった。

今は、あと数年で、人生終わるのに、娘は反抗期で話せない。娘は、知的グレーで自閉症もある。はじめて何か勘違いしてるっぽい事に気付いた。娘のために色々心配してがんばってきたけど彼女はわかってない。彼女にとって私は多分、毒親になってる。これまで、がんばってきたのになーって思う。時間が無い。

娘は、将来、ひきこもりになる可能性あると言われてます。なので、気になりました。
感想
天ちゃん
60代 女性
2022年8月2日
家族って一番難しい人間関係ですよね。「うちは子どもも親の言うことをよく聞いていい子」と勝手に親が満足していて、そうするうちに子どもは自分で自分を見つめる力を失い、何かのきっかけで「何かがおかしい」と気がつく。気がつけばいい方で、大概はわからずに精神を病んでしまうというパターンが日本には多いのではないでしょうか。

親子であっても夫婦であっても、男女年齢関係なく、まずは相手は一人の人格を持った人間であるということ、唯一無二の存在であるということ、という意識が日本人に一番欠けていると感じます。
感想
いとはん
70歳以上 女性
2022年8月2日
私が母から言われた言葉は「あなたは、難しい子ね!」でした。小さいときは、暴力があったようですが、叔母や曽祖父に守られた育ちました。守ってくれているひとがいるだけで大丈夫です。
後は、多くの本が生きる道しるべとなりました。

まずは、自分の人生を生きることが大切ではないでしょうか。そうすることで、「助けて!」を受ける経済的および精神的ゆとりができます。そして、孤独を耐える力が、良い距離感を保てるのではないでしょうか。
感想
COSMOSUlKA
50代 男性
2022年8月1日
妻からのDVが何年も続き別居しています。

離婚はまだしていませんが、妻と暮らす不登校でひきこもりの中学生の娘が心配です。妻からの僕への悪口を毎日、聞かされています。この方の痛みと同じだと思いました。暴言や暴力や圧力を受け続けると、そこから立ち直るのも苦しい。相手への理解が出来ない。自分の基準でしかみれない。そしてそういう人は変わる事も無い。

家族の問題であっても介入してくれる第三者的な機関が必要だとは思います。
感想
ドュビー
50代 女性
2022年8月1日
お母様の葛藤、とても良くわかります。

そして、どれだけ努力されてきたのかを想像したら、とても心の強い方だなと感心しました。
「ついでに生まれた子」というフレーズに共感しました。
ナニクソと頑張れたとのことですが、やはり、愛されたかったという思いがあったのではないかと拝察いたしました。

本気でのぶつかり合いをすることで乗り越えられたのは、
お母様も同じだというのと、私も息子との関係性にも似ています。

長い長い間、大変な思いをされてきたことを考えて、無条件に愛されていると感じられる人がどれだけ幸運だと、多くの人に知ってもらえるといいなと感じました。ありがとうざいます。
感想
たまこ
50代 女性
2022年7月31日
年代も内容も、とてもよく似ています。私もピアノで同年の他の子に後れを取ると「なんでもっと悔しがらないのよ!ママだったら負けるもんか!って意地でも練習するのに!」と責め立てられました。
私には競争意識なんて無かったのに。いつでも100%私が悪いかのようになじられ、叱られました。

「あんたなんかママがいなかったら何もできないくせに」が母の口癖。大人になり、自分の生き辛さ、理由不明の罪悪感の根源を辿ったとき、初めて毒親という概念を知り、母の様々な言動がピッタリ当てはまり、やっと「私が悪いわけではないんだ」と答えを得られました。

あることがきっかけで母と絶縁、もう8年は会わず話さずです。兄たちには相変わらず私のせいにしている様子。「あの子は複雑すぎて理解できない」と。母はもう86ですが、このまま会わないままになっても私は構わないと思っています。母と関わらない生活があまりに快適なのに自ら驚くほどです。