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2021年10月14日

ひきこもりを脱け出した私と、自死した兄 生死を分けたものとは

東京・豊島区でひきこもり状態を抜け出した人、あるいは抜け出そうともがいている人から、“ひきこもりな自分”とうまく付き合う方法を聞くシリーズ「ひきこもりサバイバー(みんなでプラス「ほっとかない社会」)」

今回は、File04 テツさんの記事にコメントを寄せてくれた、東京・日野市在住のゆうたろうさん(42歳)に話を聞きました。

ゆうたろうさんは2年前、同居していた兄を自死で亡くしました。兄弟ともに精神疾患を患い、同じような苦しみを抱えて暮らしてきました。

なぜ、兄だけが死を選んだのか。生死を分けたものとは何だったのか。
ゆうたろうさんからのメッセージに耳を傾けました。

ほっとかない取材班 涌井 瑞希

就職活動に悩みうつ状態に…

9月、「ひきこもりサバイバー」の連載に1件のコメントが寄せられました。

「私は今年42歳になる独身男性です。大学卒業後、一般企業に勤めた経験もありますが、学生時代から罹患していたであろう精神疾患のため、休職を繰り返したり、退職後の無職の1年間は食事以外は自室にこもり、1週間風呂にも入らず、家族以外、誰とも連絡を取っていませんでした。
今は、回復して、以前より身体に負担のない仕事をするとともに、精神保健福祉士の資格を目指し、自分の経験を伝えていきたいと思っています」(東京都・40代男性)

コメントをくれたのは東京・日野市在住のゆうたろうさん、42歳です。

なぜコメントをくれたのか、直接連絡を取り、話を聞いてみると「ひきこもりを抜け出すために大切なことを伝えたい」と理由を語ってくれました。

ゆうたろうさんが違和感を覚えたのは、就職活動をしていた大学4年生のとき。スポーツ紙の記者を志望していましたが、それが叶わず落ち込んでいる時期でした。

これまでは勉強やスポーツ、アルバイトなど休みなく活動していましたが、ある時期から、体がだるく、ベッドから起き上がれなくなります。

精神科を受診するとうつ病と診断されました。

ゆうたろうさん
「ショックでした。当時の私には精神疾患というレッテルが重かったです。精神科に通院していることは友人には言えませんでした」

ゆうたろうさんはそれでも就職活動を継続し、志望していたスポーツ紙の新聞社に記者ではなく営業職として入社します。

後にゆうたろうさんは双極性障害(躁うつ病)だとわかりました。活動的になる躁状態と無気力になるうつ状態を繰り返す病気です。

躁状態のときは社内で一番働いていると言われた時期もありました。しかし、うつ状態が悪化して2度休職。復帰後も体調が上向かず、約10年勤めた新聞社を退職しました。

会社を退職したころの写真。大好きな野球観戦に行くも目はうつろだった。

ここから、ひきこもりの生活が始まります。家では起き上がれずにベッドにいる時間がほとんど。

うつ状態がひどいときは、陽の光を浴びることやシャワーを浴びることが嫌になり、1週間以上風呂に入らないこともありました。外出は月に一度、通院とハローワークに行く日だけ。失業手当を受け取るためになんとか外出していました。

障害者枠での雇用を探していましたが、何がやりたいのかもわからない。障害者枠でも大きな企業で働きたいというプライドもありました。

仕事はなかなか見つからず、ひきこもり状態は1年ほど続きました。

ひきこもりを抜け出したきっかけはSNSへの投稿

ゆうたろうさんがひきこもりを抜け出すきっかけとなったのはSNSへの投稿です。

それまではひきこもっていることを直接友人や知人に話すことはできませんでしたが、あるとき、「外に出て食事に行きたい」とSNSに投稿してみました。

SNSなら誰か反応してくれるかもしれない。誰か話を聞いてくれるかもしれない。
救いを求めるような気持ちだったといいます。
すると15年ほど会っていなかった幼馴染から連絡があり、食事をすることになりました。

久しぶりに会った友人たちに病気のことや仕事を辞めたことを打ち明けると、意外にも彼らの反応は「そうなんだ」とあっさりしたものでした。「そうは見えないね」とも言われました。

ゆうたろうさん
「病気のことを話して友人たちが離れてしまってもそれでいいと覚悟していましたが、それまでと変わらずに接してくれてありがたかったです。周りに病気のことを言えたことで止まっていた時間が動き出したような気がしました」

友人にありのままの自分を受け入れてもらえたことで、自信を取り戻したゆうたろうさん。
外出ができるようになり、本格的に就職活動を開始。
複数の就労支援窓口に出向き、障害者枠での雇用につながりました。

誰にも打ち明けられずに命を絶った兄

一方、ゆうたろうさんの兄は住宅メーカーの子会社で働いていましたが、20代後半で統合失調症と診断されました。統合失調症は、幻覚や妄想などの症状が起こる病気です。

その後30代のときに病状が悪化。周囲の目が気になり、36歳のときに退職しました。

転職するものの精神的にも体力的にもつらく、障害者手帳を取得して障害者枠で働くようになりました。兄はひきこもった時期はありませんでしたが、統合失調症の症状から、物覚えが悪く、1時間前のことを忘れてしまうことがありました。

同居していたゆうたろうさんに、ときおり「もういいや」、「50歳まで生きなくていいや」などと話すこともありました。その度にゆうたろうさんは、励ましたり怒ったりすることしかできませんでした。

それでも、趣味の俳句ができる句会を探したり、豪雨被害があった地域に災害ボランティアに行ったりするなど、少しずつ元気を取り戻していたかに見えました。

2019年12月、亡くなる前の兄

しかし…。
2019年の暮れ、兄は夕方ごろに「近くのスーパー銭湯に行く」と言って出かけたまま深夜になっても帰りませんでした。

警察からの連絡で兄の訃報を知りました。
後に遺書が見つかり、自死だとわかりました。
47歳でした。

家族だけで葬儀を済ませたあと、ゆうたろうさんは、兄を心配している人がいるかもしれないと、兄のスマホから友人に連絡をしました。すると、兄の病気を知っている人はいませんでした。

ゆうたろうさん
「兄の友人たちから『知らなくてショックだった』『気にせず言ってほしかった』と言われて、兄が周りに打ち明けるようにしてあげられていたらと後悔しています。20年近く病気があったけど、誰にも言えなかったんだなと…」

兄との違いは、誰かに話せたこと、居場所を見つけられたこと

ゆうたろうさんと兄には多くの共通点がありました。
それぞれ統合失調症、双極性障害という精神疾患に苦しんだこと。
病気が原因で正社員を辞めたあと、障害者手帳を取得して障害者枠で働いたこと。

なぜ、兄だけが自ら命を絶つまで追い詰められたのか。
兄と自分との生死を分けたものがあるとすれば、それは何だったのか。
ゆうたろうさんは、次のように語りました。

ゆうたろうさん
「ただ、1つだけ私と違っていたのは、兄は友人・知人に病気のことを打ち明けられていなかったことです。私は親しい友人たちには病気の話をして、受け入れてもらっていました。支援施設にも週1、2回通い、自分の状況を周りに話したことで、良い意味で開き直り、元気になりました。兄も一時期、句会を探したりボランティアに出かけたりしていたのは「居場所」を求めていたからかもしれません」

自分なりの居場所を見つけ、ひきこもりを抜け出したゆうたろうさん。
現在は、学習塾で働きながら精神保健福祉士の資格の取得を目指しています。

ゆうたろうさん
「自分の病気のことを理解して納得するまで10年かかりました。病気は一生付き合っていくものだし、今はこれが僕の人生だと思えるようになりました。今後自分と同じように精神的に障害がある人の手助けができたらと思っています」

インタビューの最後に、ゆうたろうさんは、「こんな経験や思いを伝えることで、『私も一歩踏み出してみよう』と思ってくれる人がいればいいなと思います」と笑顔で話してくれました。

「日本人は家族の中だけで問題を解決しようとしすぎるのではないか」
これもゆうたろうさんの言葉です。大切な家族を失ったからこそ、人に打ち明ける大切さ、家族以外の居場所の必要性を伝えたいという強い気持ちが伝わってきました。

コメントを寄せていただき、ありがとうございました。


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「ほっとかない社会」取材班では、豊島区の「ひきこもり支援」に密着取材しているほか、豊島区でひきこもり状態を抜け出した人、あるいは抜け出そうともがいている人から、“ひきこもりな自分”とうまく付き合う方法を聞く『“ひきこもりな自分”と生きる ~豊島区 ひきこもりサバイバー~』を連載しています。

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