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ベストセラー「世界インフレの謎」の著者 渡辺努教授が読み解く! なぜ若者は海外へ出稼ぎに行くのか?

今、海外へ出稼ぎに行く日本の若者が増えています。記録的な円安を利用して一攫千金!と思いきや経済学の視点でみると、そこには日本の社会が抱える構造的な要因があると言います。
『世界インフレの謎』で話題の東京大学大学院経済学研究科教授の渡辺努さんに聞きました。
(クローズアップ現代「安いニッポンから海外出稼ぎへ」取材チーム)

若者の海外出稼ぎは事実上の“ストライキ”

―日本の若者が海外出稼ぎに行く動きをどう見ていらっしゃいますか?

渡辺さん

今、激しいインフレに襲われているヨーロッパでは「賃金を沢山よこせ!」と労働者は盛んにストを行っていますが、日本人はそういうことをしない社会の方向性になってしまっています。一方で若者が海外に行くという現象は、日本の労働市場をあえて出て行くという選択を行っているわけですから、事実上1人でストをしているということではないでしょうか。私の希望を言えば、海外に出る前に国内で自分の雇用主に対して「賃金上げろ!」という交渉を頑張ってほしいと思いますけれど。

背景には日本と海外の賃金格差

平均賃金(年収)の推移(1990年~)

―なぜ海外出稼ぎが増えているのでしょうか?

渡辺さん

2022年の急激な円安は一つのインセンティブになったかも知れませんが、根本的な話として日本で元々何が起きているかというと、若い人もそうでない人も含めて日本人の賃金がほとんど上がっていない状況がおよそ25年、ずっと続いているんですね。きっかけは90年代半ば、山一証券の破綻に代表される金融危機が起こり、賃金アップよりも雇用維持を求めるマインドが社会全体で高まったことでした。一方で海外は、その間もずっと賃金が上がり続けたので、時の経過とともに各国と日本の賃金の差が大きくなりました。日本で働きつつ賃金が上がる状況を、個人が作れるかというと「それはちょっと難しいな」となったときに、残された手として「賃金の高い海外に行って稼ごうじゃないか」と考える人、特に若い人が出てきているのだと思います。

およそ四半世紀にわたり横ばいの日本の賃金。これは経済学の視点からも極めて特異な現象だといいます。一体この間、日本では何が起きていたのでしょうか。

賃金横ばいの理由は心地よかったから!?  ~日本社会に染みついた物価・賃金ノルム~

1年後のあなたの給与はどうなると思いますか?(2022年5月)

―どうして日本の賃金はずっと横ばいなのでしょうか?

渡辺さん

それは日本の多くの労働者が「賃金は上がらない」ことを当たり前と考えてきたことに一因があります。私が2022年5月に「自分の給与は先々1年でどう変わると思うか」というアンケートを、日本を含む5か国で行った結果では、日本以外の4か国では給与が「上がる」「少し上がる」という回答の合計が40%を超えました。これに対して日本は合計で10%、米欧との差は明らかです。その代わりに多かったのは、給与は「変わらない」という回答で65%を占めました。このアンケートは私の研究室が毎年行っていますが各国の回答の傾向に変化はほとんどありません。

―なぜ日本の労働者は「賃金は上がらない」と思い続けてきたのでしょうか?

渡辺さん

実はずっと横ばいなのは賃金だけではありません。モノ価格やサービス価格もずっと横ばいなんです。日本の特異性は米国と比べると歴然としています。

日本のモノ価格・サービス価格・賃金
米国のモノ価格・サービス価格・賃金
渡辺さん

90年代半ばにモノ価格、サービス価格、そして賃金の3つが同時に動きを止め、その後いずれも横ばいとなっています。これは偶然ではありません。賃金だけが横ばいで価格は右肩あがりを続けたとすれば、消費者は生活が成り立ちません。賃金が横ばいだとすれば価格も横ばいでなければ困るのです。一方企業にとっては、賃金が右肩上がりで価格は横ばいというのでは経営が成り立ちません。価格が横ばいなのであれば賃金も横ばいでなければ困ります。かくして価格も賃金も横ばいというのが、両者の「落としどころ」となったと考えられます。これが慢性デフレスパイラルです。

慢性デフレスパイラル
渡辺さん

モノ価格、サービス価格、賃金が三つどもえで横ばいというのは、それなりに心地のよい状態と言えなくもありません。だからこそ長続きしてしまっているのです。経済学では、こういう社会の当たり前を「ソーシャル・ノルム(社会規範)」と呼びます。ノルムとは別の言い方をすると、社会の人々が共有する「相場観」です。私は日本社会に染みついた、物価は動かなくて当たり前、賃金も動かなくて当たり前という相場観を「物価・賃金ノルム」と呼んでいます。

インフレで“ノルム”に風穴 賃金はどうなる?

2022年後半から「物価・賃金ノルム」についに風穴が空いた。コロナ禍に始まった供給網の混乱等に端を発する世界的なインフレの波からは日本も免れることはできず、22年12月の消費者物価指数(注1)は前年同月比で4.0%アップと実に41年ぶりの上昇率となった 注1:変動の多い生鮮食品を除く総合指数
2022年後半から「物価・賃金ノルム」についに風穴が空いた。コロナ禍に始まった供給網の混乱等に端を発する世界的なインフレの波からは日本も免れることはできず、22年12月の消費者物価指数(注1)は前年同月比で4.0%アップと実に41年ぶりの上昇率となった
注1:変動の多い生鮮食品を除く総合指数

―日本にもインフレの波がきています。賃金も上がるのでしょうか?

渡辺さん

私は日本の賃金も上がってほしいと思っていますし、上がる可能性は十分あると思っています。現在のインフレは残念ながら経済政策の結果でなく、コロナ禍による世界的供給網の混乱という外生的なものですが、原因はどうあれ多くの日本人が「物価が上がった」という実感を強く持ち始めています。それに伴い労働者や組合が本気で賃金アップを勝ち取ろうとしています。 過去何年間も労組は真剣に賃上げを求めたことは、実はほとんどなかったように思うんですけれども、23年春は定期昇給分も含めて5%の賃上げを要求しています。組合の方の話を聞いてると非常に真剣だと言うことが伝わってきますし、労働者がそこまでの本気を出したというのが本当にまれなケースだと思いますので、そうなると企業もいい加減な対応はできないと思います。 現時点でも春闘を待たずに賃上げしてる企業はチラホラ出てきていますし、賃上げにまでは至らなくても、インフレ手当みたいな形で少し余分に給与を払うというケースも出てきてます。企業サイドでも物価が上がっていることを前提に労働者に報いるようなことを始めているんだと思います。

―昨今のインフレは原材料費の高騰分の価格転嫁によるところが多いと言われています。賃上げ分、つまり人件費まで価格転嫁できるのでしょうか?

渡辺さん

このおよそ25年間、企業は原材料費の価格転嫁さえできていませんでしたが、フェーズが変わり、今はできるようになってきました。私は原材料費と人件費をキッパリと区別する理由はどこにもないと思いますし、経済学的に言えばどちらも原価の上昇です。また一方で人件費の増加の方が価格に転嫁しやすい側面があると思います。そこで働いている人たちのために賃金を上げる、人件費を上げるという大義名分があるからです。そこからは消費者が、そういった値上げに対して寛大になれるか、あるいは中小下請け企業であれば、その親企業が寛大になれるかどうか、そこが分かれ目だと思います。

賃金アップ

―日本でも賃上げが本格化した場合、若者の海外出稼ぎに影響はありますか?

渡辺さん

国内の賃上げは、そうは言っても大企業や正規労働者に偏る傾向は厳然と残ると思います。政府は中小企業や非正規の労働者にも賃上げが及ぶようにと働きかけ、それに応じて、みな努力はしていると思いますが、どうしても差は残ると思います。その時に「じゃあ海外にいくか」という選択肢は引き続き残る可能性は十分あると思います。若者の海外就労を悲観的に見る向きもあるようですが、私はそうは思っていません。日本にいると給与がない上がっていかない、他の人は上がったかもしれないけれど自分が上がらないことを不満に思う人は海外に行く、ということだと思います。もちろん海外に出ることは大変なこともあるでしょうけれど、日本で働くのか海外に行くのか両てんびんにかけて、海外の方が面白そうだと思えるから行く側面もあるのでしょう。それを悲壮感をもって見る必要は余りないのではと私は思います。

―若者の海外就労は人材の流出ではないということですね!?

渡辺さん

経済の基本的な原理に照らすと、日本の賃金が低いままで若者が高賃金を求めて海外に出稼ぎに行けば、逆に日本は人材不足、人手不足が進み、それが日本の賃金アップにつながる圧力にもなっていくでしょう。そうすれば「海外に行こう」と思ったけど「国内で別の賃金の高い企業に転職しよう」あるいは海外に出て行った若者も「日本の賃金もなかなかだぞ」と思うことができれば「じゃあ日本に戻って働くか」ということにもなるのではと思います。経済というものは、そんな風にバランスが取れるようにできていると私は捉えています。

クローズアップ現代 2023年2月1日放送

「安いニッポン 若者が海外出稼ぎへ!」
安定した職をも捨てて、若者たちが続々と海外に出稼ぎに向かう!オーストラリアの農場で働く男性は1日6時間の作業で月収50万円。介護施設で働く女性はアルバイトを掛け持ちして9か月で270万円貯金、念願の大学院進学の準備が整った。背景には経済成長と同時に賃金を上昇させる先進国のトレンドに日本だけが取り残される現実が。さらに外国人労働者から見た日本の魅力も低下。安いニッポンで今、何が?専門家と共に考える。

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みんなのコメント(4件)

感想
N
2023年3月6日
日本の賃金が先進国並みになっても海外のがその他保険労働環境ワークバランスの全てで圧倒的に良いので海外への流出は止まらないでしょ。日本に居るのは海外行けない理由のある人だけですよ。
提言
企業経営者
70歳以上
2023年2月28日
私はむしろこの物価高が賃金を下げる要因になると思います。なぜなら中小企業の多くは物価高が要因で赤字に転落した企業が非常に多く、企業が潰れないようにするために賃金を下げる傾向があるためです。実際私が運営する企業でもやむをえず、従業員の賃金を4月から最低賃金と同額に下げさせていただくことになりました。価格転嫁ができる企業が羨ましいです。
提言
リンダ
女性
2023年2月24日
外国のほうが、給料が高いだけでなく、社会保険もベターなことも重要です。具体的にいうと、私の住む欧州大陸では、病欠は6週間まで給与減額なし。それとは別枠で有給休暇が年30日。アメリカやオーストラリアはもっと少なそうですが、日本よりはずっとまし。給与の額だけでなく、こうした面も改善していかないと、日本で働きたい人はどんどん減ってしまうでしょう。
感想
SQ300
50代 男性
2023年2月2日
新たな働き手となるはずの若者の数が、少子化のためただでさえ減って来ているのに、若者の一定数が海外へ行ってしまう。
加えて、これまで外国人技能実習制度という、外国人労働者を安価で働かせる「現代の奴隷制」とも称される制度の化けの皮が剥がれ、東南アジアからの労働者が減って来ている(減るのは当然だと思う)日本の現状は、日本のためにも、日本に来たいと希望している外国人のためにも、改善の余地が大いにある。