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“なな”のこと。~歌舞伎町の路地裏に生きる~

緊急事態宣言下の新宿・歌舞伎町。

ステイホームが呼び掛けられる中、中心部から外れた人気のない路地裏に立ち続ける女性たちの姿がありました。

「なぜこの場所に立ち続けるのか?」その理由を知りたいと思い、私は取材を始めました。

もしかしたら、‟語りたくなかったかもしれない”人生…コロナ禍の窮状…自分たちを“買う”男性たちのこと――

私が聞かなければ、無理に口にしなくても良かったはずの“自分のコト”をさらけ出してくれた女性たち。その言葉がほんの少しでも社会に届けばいいと思っています。

(クローズアップ現代+ ディレクター 坂口春奈)

「・・・・・・私、経験したから言うけどさぁ。野宿してたから、駅の下でね。お金無いからさ、何日もとかさ、ご飯食べなかったりとかしてたからさ。駅の地下に入るとこ、シャッター閉まるからそこで寝てた、みんなで・・・」

今回、私が一番多くの時間を過ごしてお話を聞かせていただいた、ななさん(仮名・20代半ば)の言葉です。

ななさんと出会ったのは、ことしの8月。

歌舞伎町に立つ女性たちに「姉御」として慕われる女性がいると聞き、会いに行きました。

ななさんは、コロナ前までは新宿の風俗店で働いていましたが、店が閉店。

家を借りるお金はなく、歌舞伎町のネットカフェを転々としながら生活していました。

持ち物は、洋服1,2枚と毛布。小さなスーツケースの隅には、禰豆子のぬいぐるみがふたつ入っていました。

普段は物静かで‟決して無駄なことはしゃべらない” という印象。はじめのころは、ただ、ななさんのそばにいて見ているだけでした。

そしていつしか、ぽつりぽつりとこぼれるように落ちてきたななさんの言葉は、私の心を深くえぐっていきました。

「手だけで5(千円)だから、すぐ戻ってくるよ」

「きょう来ますか?」「何時に来ますか?」毎日、ななさんからメールが届くようになりました。

午後5時、ななさんが路地裏に立つ時間です。

歌舞伎町に着いたと連絡すると、ななさんは息を切らして走ってきてくれるようになっていました。

「普段、私、こんなに走らないからね!」そんな憎まれ口を聞けるのが楽しみになっていました。

ななさんの話を聞けるのはおもに路地裏に立っているとき、彼女たちの“仕事の時間”です。

お魚が好き、抹茶が好き、鬼滅が好き、ななさんはたくさん好きなものがある20代半ばの女性。

楽しい話で盛り上がりながら…ななさんは私の隣で男性とやりとりを続けています。

——どんな人?
「50代。サラリーマン風」

——どこ行くの?
「手だけで5(千円)だから、すぐ戻ってくるよ!」

——待ってていい?
「うん。行ってきます」

笑ってホテル街に消える姿を見送り、帰りを待つ間、私はななさんの言葉を反芻(すう)していました。

「この人はうちらとは違うから! まともな仕事してっから!」

「お姉さん、ホテル行けるの?」ある日の取材中、男性が私に声をかけてきました。

すると…「この人は違うから!」と、ななさん。

驚く男性に対し、
「うちらとは全然違うから!まともな仕事してっから!」と。

ななさん自身、立つ行為が「違法である」ということを深く理解しています。

いわゆる“まとも”な仕事でないと理解しているのです。

ななさんの家族は、会社員の父親と専業主婦の母親と、数人のきょうだい。ほとんど家にはいなかったといいます。

小さい頃から父親の暴力を受け、中学卒業後すぐに家を出て働き始めました。

コンビニや地元のスナックを掛け持ちしても生活は苦しく、歌舞伎町で風俗・デリヘルの仕事を始めました。

風俗業界の不況にコロナが追い打ちをかけ、その日食べるおにぎり1個買うことができないという窮状に陥りました。

——お父さんの暴力がなかったら、いまが違ったと思う?
「親の暴力がなかったら、たぶん、ここに立ってない…。
ウチもまともな仕事できたかも」

——“まとも”って?
「カラダ売らなくてさ、まわりの子みたいにさ、
会社とか行ってさ。OLっつうの?
…とにかくフツーの仕事」

——普通の仕事したい?
「…できると思う?今はこれしかないよ」

「惨めだった。二度とあんな思いはしたくない」

秋、冷たい風が吹き始めたころ、ななさんはしきりに「冬が怖い」と口にするようになりました。

去年の冬、所持金が底をつきホームレス生活を送っていたことがあるからです。

食べるものもない、寝る場所もない、駅のコンコースで新聞を布団がわりに寝ていたそうです。

路地裏に立つ女性も少なくなった年の暮れ、訪れる男性の姿もまばらになる中、ななさんはひとり、路地裏に立っていたそうです。

——冬は大変だよね?
「大変だよ…」
「誰もいなかったしさ。寒いしさ。
ラブホテルの脇で風よけながらずっと立ってた」

——どのくらい立ってた?
「夕方からひどいときは朝までとか。立ってた。
もらったホッカイロ張ってさ」

「…惨めだった。もう二度とあんな思いはしたくない…。
だから、頑張って立たなきゃ」

「でも…ここにはずっといたくないからね。
50歳、60歳になってもここにはいたくないよ、さすがに…」

見なければ、知らなければ、もしかしたら歌舞伎町の“景色”として通り過ぎてしまっていたかもしれない女性たち。

今回、声を聞かせてくださったことで、私は、彼女たちの“苦しみ”を知りました。

立つことしか選択肢はないのか――?このようにお金を得ることに対しては、いろいろなご意見、ご批判もあると思います。

けれど、彼女たちが生きてきたそれぞれの人生において、路地裏に立つことがいま目の前にある選択肢の中の最善だ、という女性も少なくありません。

ある女性の言葉です。

「毎日好きでもないひとにからだ触られるの、フツーに嫌。
でも食べてかないといけないから」

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“なな”のこと。その後・・・ ~歌舞伎町の路地裏から抜け出すために~
https://www.nhk.or.jp/minplus/0020/topic035.html

みんなのコメント(7件)

提言
はな
女性
2023年9月26日
「助けて」を訊いてくれて何とか助けてくれようとするような人は倒れているのが現実です。
NHKさんのこの特集が報道されたらすぐ、役所が動きましたが。
きっと、役所に沢山電話が入ったから。報道されず、電話が少しだったならば動かなかったでしょう。自分は動かないくせに電話で役所を責めるだけも嫌ですが。
とりあえずなるべく沢山の人に周知、友人とか知人とかネットに書き込むとかチラシ配布とか…。
感想
私は「助けて」と言わせない人間だと思う
30代
2023年4月23日
ごめんなさい。今、少しずつ世の中に「助けてと言おう」という風潮ができつつあるのを感じますが、正直彼女のような方々を、どのように手を差し伸べたらいいのか本当にわからない。「ここに繋がればいいよ」と言い切れる繋がりや、そこまでの誘導の仕方もわからない。そもそも受け止め切れない。自分と周りのでいっぱいだし、片手間でできることじゃない。まとまった力が必要で、話を聴くだけでいいとも思えない。私は自分のことを「助けて」を言わせない人間だと思う。でもこんなことは言いたくない。この感想自体が絶望のひとつを突き付けているも同然だから。こんなことを言わなくてすむにはどうしたらいいのでしょうか。「助けて」をどうやったら受け止められるようになるのでしょうか。
たま
30代 女性
2021年12月22日
こういう現実がある事を知らない人は多いと思う。私もうつ病で仕事を辞めて旦那も出て行き貧困になった。国の援助も調べて利用したが期間限定である。誰にも頼れない中、風俗店で働いた。身体を売る事を好きでやっていると勘違いされたりと悔しかった。他に選択肢がなかったのだ。
はな
2021年12月20日
「まとも」以下で育ちました。
ひとりだけでした。誰も助けてくれませんでした。
「まとも」な人達は私を避ける中、立ち止まり「訊いて」くれた数少ない方はありがたかったです。
「助けてと言えない人」が一番緊急
2021年12月20日
私も「助けてと言えない子」でした。一番壮絶で緊急でした。
「冷淡な傍観者」の名著のように、誰ひとり警察に通報ひとつして貰えませんでした。この報道に対し通報者に飛び火がかかるように。
私自身も結局、いざとなったらどこもかしこもみんなみんな「こちらでは…」「こちらでは…」と無視され連絡を絶たれ本当にびっくりします。一番支援して欲しいときに。私も「今安全ならそれを差し出せ」と言われるのは怖いです。
りん
40代 女性
2021年10月28日
「助けてと言えない女性達」ではなく「助けてと言わせない社会」の側を報道をしない限り、いつまでも当事者意識は持ちませんよ。搾取されている被害者以外。「”まともな”仕事ではない」ではなく「仕事」なのか、という点、政治家と搾取する側を同じ土俵に引きずり上げて大きな議論を巻き起こすべき。マスメディアは安全な場所から、血を流し涙を流し、命を削って心を殺され続けている女性達をただただネタにすべきではない。
りん
女性
2021年10月27日
いつになったらマスメディアは可哀想な誰かを取材した自分達アピールをやめるの?搾取側や、男性の持つ無自覚な加害性についてはなぜ報道しない?人身売買に対しいつ何をするか政治家に徹底取材して具体的に言わせるのはいつ?