みんなでプラス メニューへ移動 メインコンテンツへ移動

みんなでプラス

”僕は日本で難民になった” 元ミャンマー代表選手の半年

「自分の力のなさに打ちのめされているー」

あるミャンマー人のアスリートが、周囲の期待にこたえられない無力感をそう口にしました。

去年サッカー日本代表との試合で、ミャンマー軍への抗議の3本指を掲げ、一躍有名になった、あの選手です。

ミャンマーで軍によるクーデターが起きて1年。いま日本で難民として暮らす彼の心に、何が起きているのでしょうか。

(横浜局 鳥越佑馬 桑原義人 /スポーツ番組 太田竣介 /首都圏局 高橋祥)

関連番組:1月29日放送「おはよう日本(関東甲信越)」

フットサル選手として始まった日本での生活

2021年5月 W杯アジア2次予選の日本戦で軍への抗議を示す「3本指」を掲げた

2021年5月、サッカー・ワールドカップのアジア2次予選のため来日したミャンマー代表。ゴールキーパーだったピエ・リアン・アウン選手は、日本戦の試合前、クーデターを起こした軍への抗議を示す「3本指」を掲げて注目を集めました。

そしてその後、日本に難民申請をして認められました。

アウンさんの難民認定までの詳しい経緯はこちらの記事をご覧下さい
【関連記事】ミャンマー代表選手「亡命」の真実

突然始まった日本での生活。プロサッカーチームではゴールキーパーのポジションはすぐに得られず、フットサルに転向して、プロ選手として歩み始めることになりました。

9月中旬に行われた横浜のフットサルチーム「Y.S.C.C」の入団会見。アウンさんは多くのメディアを前に力強い決意を述べました。

アウンさん

「10年間のプロ人生の中でフットサルは初めての経験です。Y.S.C.Cのメンバーは本当の兄弟のように接してくれて、本当に楽しくプレーできています。精一杯努力していきたいです。」

日本語ができない中、フットサル選手としてスタート

こうしてはじまったフットサルのプロ生活。

アウンさんは週5日ほど行われる朝6時からの全体練習に、欠かさず参加していました。

最初は日本語が一切話せず、プレーや戦略についての細かな指示が理解できませんでした。それでも必死でチームメートとコミュニケーションを取りながら、開幕戦にむけて練習に励んでいました。

息抜きは2週間に一度の散髪

ある日、アウンさんから私たちにこんなメールが届きました。

「Come! Come!(来て来て)」

何か緊急事態が起きたのだろうか。指定された駅にかけつけると…

「I want to cut my hair!(髪を切りたい)」と一言。

近所の散髪屋に連れていくと、バリカンで刈り上げる高さや前髪の長さを、身振り手振りで楽しそうに理容師に説明していました。

普段は寡黙でおとなしいアウンさんですが、さっぱりと"仕上がった"自分を見てはにかむ姿は、どこにでもいる20代の若者でした。

それ以来アウンさんは2週間に一度のペースで散髪に通っています。

なぜそんなにこだわるのかと不思議に思っていると、「ミャンマーでもよく通っていたんですよ」という答えが返ってきました。新しい生活をうまく軌道にのせるための、願掛けなのかもしれません。

注目を集めるも、ベンチに入れない

2021年10月8日。リーグ後半の開幕戦に多くのメディアが駆けつけました。

日本初の、難民出身のプロ選手としてどんなプレーを見せてくれるのか…。

しかし肝心のアウンさんは、ピッチはおろかベンチにも姿がありませんでした。

アウンさんがいたのは観客席。深く帽子をかぶり、表情ひとつ変えることなく、コートでプレーする選手たちの姿をひとり見つめていました。

試合後、マスコミからの強い要望で開かれた記者会見でも、アウンさんは終始うつむいていました。

そして、消え入りそうな声で話しました。

アウンさん

「フットサルを始めたばかりでまだまだ慣れていません。すぐに試合に出ることは難しいです。」
「朝4時におきて、練習に行って、仕事に行って、家に戻ってくると日本語を勉強して1日が終わります。とにかく疲れています。」

母国での”不自由ない暮らし”が一転

華々しい入団会見から1ヶ月足らず。アウンさんに何があったのか。次の日、私たちは彼がミャンマー人のルームメートと暮らすアパートを訪ねました。

築38年の2DK。アウンさんは慣れない手付きで2人分のチャーハンを作っていました。

アウンさん

「食にこだわりはありません。おかずはなくても卵焼きがあれば十分です。」

中学生の時に本格的にサッカーをはじめ、ミャンマーではユース時代から国の代表に選出されてきたアウンさん。プロ入り後はミャンマーの平均月収の何倍もの収入を得て、何の不自由もなく暮らしてきました。

しかし日本で難民となったいま、かつてとはほど遠い質素な生活を送っていました。

撮影スタッフ

「昨日の試合でベンチ入りできなかったことを、どう感じていますか?」

アウン

「もちろんメンバー入りして試合でプレーしたいです。でも、言葉の壁があってうまくいきません。いったいチームがどういう作戦で動いているのかも理解できていません。」

疲れて倒れ込む毎日 日本語学ぶ余裕もなく・・・

日本国内でプレーするフットサル選手の多くは、プロでも仕事を掛け持たなければ生活できないのが現実です。

アウンさんも、朝の練習を終えるとその足で工場へ向かい、週5日の肉体労働を続けていました。日本語ができないため、他に仕事の選択肢はほとんどないといいます。

夕方仕事を終え帰宅すると、食事はインスタントラーメンで済まし、倒れるように寝てしまう毎日。日本語を勉強する気力や体力は残っていません。

アウンさん

「仕事のあと、疲れて家に帰ることができず、駅のホームで物思いにふけることもあります。疲れた、もう仕事はしたくない。全てを諦めたいと思う。でも、生活していくためにはしかたないと、自分に何とか言いきかせて気持ちを奮い立たせています。」

チームメートに”話しかけられない”

アウンさんはどんなに疲れていても、毎朝の練習に欠かさず参加していました。

しかし撮影を続けていくうち、私たちはアウンさんのある様子が気になりはじめました。

練習の合間、チームメートとほとんど触れ合うことがないのです。

そこには言葉の壁だけではなく、彼がアスリートとして育ってきた環境が大きく影響していました。

アウンさん

「ミャンマーでは目上の先輩やコーチ、監督に自分から話しかけるのを遠慮しないといけません。ひとりコートの中で練習しています。」

チーム内でなかなか意思疎通が図れないアウンさん。ある日、チームを率いる前田佳宏監督と話し合いの場が持たれました。

アウンさん

「練習をしたときに間違っていたらごめんなさい。足りないことがあったらすみません。」

監督

「コミュニケーションがないとチームが一丸にならない。話さないとだめになってしまう。必ず話そう。一番よくないのは、失敗して落ち込む。そして自分の価値観だけで解決する。これがいちばんよくない。」
「僕らもなぜアウンと一緒にやりたいかと言ったら、日本とは違う価値観をもった人たちとやっていくのがまた成長につながるから大事だと思う。」

アウンさん

「頑張ります。頑張ることがたくさんあると思っています。」

アウンさんが金銭的支援を拒む理由

代表戦のピッチで3本指を掲げ、ミャンマー軍への抗議の意を示して以降、アウンさんの周囲には多くの支援者が集まっていました。

連日メディアに取り上げられ、日本の支援者からは生活面でアドバイスやサポートも受けてきました。在日ミャンマー人の中には、アウンさんを英雄だと崇める人さえいました。

周囲を頼ろうと思えばいくらでもできたはずのアウンさんですが、金銭的な支援を受けることは頑なに拒んでいました。

2021年10月下旬、フットサルチームの幹部と支援者を交えた話し合いの場が設けられました。

アウンさん

「身体的に疲れています。仕事と練習の両立に限界を感じています。1ヶ月後を考える余裕もありません。」

フットサルチーム 吉野代表取締役

「仕事を減らしてY.S.C.Cのサッカースクールのコーチとして収入を得るのはどうか。」

支援者

「仕事を辞めたぶんの生活支援はするからフットサルを頑張って続けてほしい。」

アウンさん

「支援を受けることにどうしても抵抗があります。契約期間の6ヶ月は頑張ってみたいです。」

なぜ支援を受けることを拒むのか。ある夜、アウンさんは私たちに心の内を語りはじめました。

アウンさん

「ミャンマー人の中には私がフットサルのプロ選手になったことで、大金を得ていると思っている人もいます。現実は家賃や交通費を払うのも精いっぱいです。支援を受ければ『またお金をもらっている』と批判されてしまいます。」
「できるだけ人から支援を受けず、働き続け、自立したい。」

SNSでの厳しい批判 いまも深い傷に

軍に抗議し、難民申請をしたアウンさんをメディアがこぞって取りあげた去年の夏。SNS上では、アウンさんを強い言葉で批判する書き込みが相次ぎました。

「国に帰れ」「自己責任だ」「スポーツを政治に持ち込むな」。

そんな中、「批判に負けるな、アウンさんを救おう」という支援者たちの努力もあり、アウンさんは申請から2ヶ月で難民認定を受けることができました。

法務省によると、現在日本で難民認定にかかる期間は平均2年あまり、いまも1万7千人以上が認定を待ち続けています。そんな中、アウンさんは狭き門を通った形です。

それだけに、難民認定を受けた後も日本の人たちに迷惑をかけたくないと、アウンさんは繰り返しています。
以前浴びせられたSNSの心無い言葉が深い傷となり、おびえているようにも見えました。

”今の自分が不甲斐ない”

母国の状況が好転しないことも、アウンさんの心に影を落としていました。

2021年2月のクーデター以来、ミャンマーの情勢は悪化の一途を辿っています。

5月には、民主派勢力が作った「国民統一政府(NUG)」が軍の暴力に対抗するためだとして「国民防衛隊(PDF)」を結成。9月には軍への徹底抗戦を呼びかけ、ミャンマー各地で戦闘が激化しています。(※文中の時系列を一部を補足しました。1月31日追記)

アウンさんは、SNSに投稿された祖国の惨状を伝える映像に、見入る時間が多くなりました。

軍系メディアや市民の投稿をSNSで確認するのが日課
アウンさん

「ミャンマーの国民全員が戦っている時に自分は正直に言えば、安穏と暮らしています。できればミャンマーに帰国して独裁者を倒したい…。」
「地元の友達の中にもジャングルの中でPDF(国民防衛隊)に加わっている人もいます。彼らは命の危険があり、戦闘が起きればいつどこでどうなるか分からない。ぼくは日本で安心して生活を送っています。不甲斐なくもどかしく感じています。」

アウンさんは在日ミャンマー人の中では最も知名度がある存在です。この時期、様々な活動への協力を求めるメールが届くようになりました。ミャンマー国内で活動する民主化活動組織への資金援助や募金活動、デモの中心メンバーとして参加を求めるものもありました。

しかし、アウンさんは行動を起こそうとしませんでした。

何もせずひとり思い悩むよりも、日本から可能な形で民主化運動の支援をしたい考えはないのか。私たちがたずねると、複雑な表情で語りはじめました。

アウンさん

「ふたたび表だって僕が民主派組織を支援しているとういう情報が流れると、ミャンマーの家族の安全が確保できなくなってしまいます。」

2つの気持ちに挟まれて・・・

祖国の民主化のために戦いたい。
一方で自分が支援活動の先頭に立つと、写真や言動がSNSなどを通して意図しない形でミャンマー国内外に拡散されてしまうかもしれない。

そうなると再び厳しい批判の矢面に立たされ、ミャンマーにいる家族にも影響が及ぶかもしれない。

アウンさんは2つの気持ちに挟まれ、身動きがとれなくなっていました。

ようやくつかんだチャンスで2失点

フットサルでも思うようにいかない日々が続いていました。

2021年11月23日の公式戦で初めてゴールキーパーとして試合に出場したアウンさん。

監督やチームメートに支えられながらコミュニケーションも改善し、ようやくつかんだ出場でした。

しかしわずか2分足らずの間に2失点してしまいます。

アウンさん

「まったく準備が出来ていなかった。出場直後にシュートが来て、頭が真っ白になりました。」
「期待してくれたチームや監督に申し訳ない。自分はまだ試合に出られるような選手ではありません。」

”今のままでは来年の契約は難しい”

この試合の後、アウンさんはチームと相談し、工場の仕事を一時辞めることにしました。
フットサルの練習と日本語の勉強の二つに専念することにしたのです。

しかし、どちらもすぐに上達するわけではありません。

アウンさんの思いとは逆に、12月に入ると試合でベンチ入りできない日々が続きました。

ある試合の帰り道、その姿はアパート近くの公園にありました。

日が暮れたベンチでじっと何かを考えているように見えたアウンさん。

その口からは、悲観的なことばが出てきました。

アウンさん

「もともと、日本に残るつもりはなかったし、サッカーを続けることも考えていませんでした。今はサッカーで試合に出ることも出来ないし、デモクラシー(民主主義)に貢献することもできていません。」
「僕もミャンマーでプロ選手だったから分かります。チームは情けをかけて契約してくれましたが、日本のレベルの高さを思い知りました。僕がGMだったら僕とは契約しません。今のままでは来年以降は難しいでしょう。」

期待された「3本指」掲げなかった理由は

新型コロナの感染が比較的落ち着いていた2021年12月上旬、在日ミャンマー人団体によるイベントが都内で開かれました。3千人以上の在日ミャンマー人が参加して祖国の平和を願う大規模なものです。

参加者たちから頻繁に記念写真を求められ、笑顔を浮かべて応じるアウンさんの姿がありました。

会場に設けられた舞台では、ミャンマー文化や踊り、さらに軍によるクーデターに反対し、民主化を求める劇などが披露されました。

その合間、参加者たちは「3本指」を掲げ、声を揃えて民主化への思いや軍を非難するシュプレヒコールを繰り返していました。

しかしアウンさんは声を発することもなく、手を腰の前で組んで立ちすくみ、表情を変えることはありません。そして、抵抗のしるしの「3本指」は最後まで掲げませんでした。

皆から期待されていたのに、なぜ「3本指」を掲げなかったのか。帰り道、その真意を尋ねると、アウンさんはこう答えました。

アウンさん

「僕はデモクラシー(民主主義)に貢献できるような人間じゃありません。」
「今は自分の力のなさに打ちのめされています」

”僕よりもミャンマーのことを伝えて欲しい”

アウンさんの日本での難民生活が始まって半年。フットサルで思うような活躍はできず、メディアにもほとんど出ることがなくなりました。

アウンさんはいま、日本で難民として生きる孤独と、祖国の力になれない無力感を抱えながら生きています。

私たちは5ヶ月に渡りアウンさんに密着し向き合ってきましたが、忘れられない言葉があります。

ある日、撮影を終えたアウンさんが真剣なまなざしで私たちに訴えてきました。

アウンさん

「僕のフットサルの活動や私生活ではなく、ミャンマーで起きている悲惨な出来事をもっと伝えてくれないか。」

「僕は予想していた。1、2ヶ月すればメディアの関心が薄れるであろうことを。でも、自分のやったこと(3本指を挙げて軍に抗議したこと)は無意味だったとは思わない。」

この問いに私たちはどう応えていけるのか。思わずハッとさせられました。

アウンさんがここ日本で、前を向き自分らしく生きていくことができるのか、そして、 彼が命をかけて訴えようとしたミャンマーの状況はその後どうなっているのか。
これからも目をそらさずに見つめ続け、覚悟をもって発信し続けていきたいと思います。

(横浜局 鳥越佑馬 桑原義人 /スポーツ番組 太田竣介 /首都圏局 高橋祥)

記事の内容は動画でもご覧いただけます。