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2021年5月20日

“圧倒的な孤独感” 注目の若手監督が描くベトナム人実習生の生き様 ~『海辺の彼女たち』藤元明緒監督に聞く~

3度目の緊急事態宣言下、ある映画が全国のミニシアターで大きな話題を呼んでいます。東京上映の初日のオンラインチケットは約5分で売り切れ、16日連続で完売となりました。映画のタイトルは「海辺の彼女たち」。失踪したベトナム人技能実習生が主人公で、人間が普遍的に抱える「孤独」というテーマが描かれています。
監督の藤元明緒さんは、撮影のために、自ら実習生の経験を長期間取材したそうです。なぜいまこのテーマに向き合ったのか。藤元監督に聞きました。

(「インクルーシブな社会のために」ディレクター 髙田彩子)


映画『海辺の彼女たち』あらすじ
技能実習生として来日した若きベトナム人女性のアンとニューとフォンはある夜、搾取されていた職場から力を合わせて脱走を図る。新たな職を斡旋するブローカーを頼りに、辿り着いた場所は雪深い港町。やがては不法滞在となる身に不安が募るも、故郷にいる家族のためにも懸命に働き始める。
しかし、安定した稼ぎ口を手に入れた矢先にフォンが体調を壊し倒れてしまう。アンとニューは満足に仕事ができないフォンを心配して、身分証が無いままに病院に連れて行くが—。
(映画公式サイトより)




見えにくい「技能実習生」の素顔 人間らしさを伝えたい
藤元明緒監督は1988年生まれの33歳。ミャンマー人の妻と結婚し、自ら東南アジアと日本を行き来する生活を続けています。在日ミャンマー人を描いた前作『僕の帰る場所』が東京国際映画祭の「アジアの未来」部門で2つの賞を受賞するなど、国内外で高い評価を得ています。

インタビューに答える藤元監督

今回の映画のきっかけとなったのは、ミャンマー人の技能実習生の女性から届いたSOSのメールです。藤元監督は2016年から、ミャンマー人向けに日本で生活するのに必要な情報を伝えるフェイスブックページを妻とともに運営していましたが、そこに「実習先から不当な扱いを受けているので逃げたい」という連絡が来たのです。

何回かやりとりをしたものの、その後女性とは連絡が取れなくなりました。

これ以降、「行方不明になった彼女のその後」を幾度となく想像するうちに、日本社会のなかで見えない存在になりがちな技能実習生の姿を、映画を通じて捉え直したいと考えたといいます。

藤元監督:
実習生と聞くと、悪い制度に利用されたかわいそうな人達というラベルが貼られがちなんです。こちらからコンタクトを取っていかないと会わない、おそらくふだん歩いていてすれ違うくらいの関わりだと思うんです。

ただ、実習生の方が作ったものとか食べ物などは生活のなかで手にしているはずで、間接的には日本国民のほとんどが関わっているはずですけども、どうしてもダイレクトに会う機会がないので、あまり実感しにくい人たちなんだなというのは思いますね。本当に”インビジブル”な人たちなんだなと。

僕らが「この人たちかわいそうでしょ、同情して助けてください」という理屈ではなくて、人間らしいところを伝えられたら、もっとシンプルな関係性になるんじゃないかなと。



描きたかったのは“圧倒的な孤独感”
日本で就労する技能実習生は40万人あまり。その半数以上がベトナム人であることや、逃げた先の生活を描く材料も比較的多いため、ベトナム人実習生を主人公にした映画を作ることにしました。
藤元監督は、ベトナム人技能実習生を支援するシェルターなどを約2ヶ月にわたり取材。夢を持って日本に来て問題なく実習制度を終えた人、実習先に恵まれず逃げ出さざるを得なかった人など、様々なケースについて当事者や支援者から直接じっくり話を聞きました。その中で、技能実習生の多くが孤独感を抱えていることに気づいたといいます。



藤元監督:
今回、人物を3人描く上でやりたかったのが、圧倒的な孤独感です。異国の地で家族のために働くプレッシャーのもと、自分たちが失敗すると母国にいる家族に迷惑をかけるかもしれない。何か問題を起こすと親が悲しむかもしれない。そういう責任感のなかでどんどん孤独になってしまうということは、取材を通してすごく色んな方がおっしゃっていたので、その孤独感は、映画全編を通して表現したかった部分です。

いい職場で働いている実習生にもかなり多くお会いしました。しっかりスキームができている企業に所属している実習生の方はモチベーションが高く、楽しくやっている感じでした。そういう部分も事実としてありますので、いちがいに技能実習制度というよりも、制度を使う人がどう実習生たちとコミュニケーションし、ともに仕事をするのかが本当に問題だと思いました。

彼女たちは幸せを求めて、日本の場所で生きているので、何かレッテルを貼りすぎないようにその生き様を捉えるというところにフォーカスしました。



「演じる」のではなく俳優に体験してもらう
登場人物の「人間らしさ」を表現するために、藤元監督は、俳優たちが登場人物の置かれた状況を追体験できるように工夫しました。

俳優たちにはクランクインの前に、日本語学校に数ヶ月通ってもらい、実際に技能実習生がたどるプロセスを経験してもらいました。食事のシーンで使う料理は、撮影地のスーパーに一緒に買い出しにいって、俳優達自身が「こういうときはこういうスープを食べるかな」と選んだ食材で作るようにしました。さらに、台本には状況は書いてあるが、せりふはそれぞれの俳優が考えてくる、という方式をとりました。



藤元監督:
僕がトップダウン的に「このキャラクターはこう思っているからこう演じてください」というよりは「ここでどう生きたいですか?」ということですね。僕らのチームの場合は何かを“演じる”というよりも、「もしも私がこの世界に生きていたら」という“もしも世界”の中でセリフを話したりアクションを起こしたり、ということを積み重ねていくので、必ずしも“演じている”というのははまらないと思っています。

たとえば料理を食べるシーンで「こういう環境だったらどういう料理を作りたいか」を考えてもらって、「あ、いいですね、じゃあこうしましょうか」と。ある種、彼女たちに委ねるというのが、こういう作品の作り方では大事になってくるんじゃないかなと思っています。



声を出せない人たちに、私たちは声をかけられるか
場面のディテールは俳優にゆだねる一方で、藤元監督が決めた、主人公のフォンが辿る運命は容赦なくシビアです。救ってくれる人は現れず、彼女自身も「助けて」という声を上げようとしません。

フォンたちを世話し、見張るブローカー


藤元監督:
率直に言って辛いですよね、やっぱり。せっかく映画なのだから、脚本で何かハッピーなことを用意してあげたいというのはあるんですよね。ただそれをし過ぎると、本来描きたかった今の日本の社会が浮かび上がってこないな、というのは感じたので。そこはもうシビアに描写していきましたね。

主役3人は仲が良いと思われがちなんですけども、やっぱりどこまでいっても仕事仲間。お互いの利害のなかで結びついているもろい関係性だなというのは感じていて。そのなかでひずみが生まれたり、よくない判断をしてしまったり、そういう孤独感からくる問題もあると思います。
 


―実習生たちは誰かに心を開いて相談することはないのでしょうか?
(日本人との)信頼感が壊れてきてしまっていると思うし、そういった中でまた第三者に相談しようというのはなかなかやっぱり、正論だとしても難しいのじゃないかなと思いますね。

分断された世界のなかで彼女たちが生きているというのはすごくシビアな問題だと思うし、ここで声を出せない彼女たちのために僕らが“声をかけてあげられるか”というのはこの映画が持っている問いですね。いま気づきました。



観客と「彼女たち」の関係が始まることを信じて
藤元監督たちが『海辺の彼女たち』公開準備を進めていた2月1日、妻の出身国であるミャンマーでクーデターが起き、日常生活が一変しました。藤本さん自身、映画よりも「ミャンマーのための活動を優先した方がいいのではないか」、悩み抜いたといいます。

藤元監督:
ミャンマーでは常にニュースになる何かが起きていて、誰かが亡くなって、(『海辺の彼女たち』の)宣伝的なことをやめようかなとずっと悩んでいたんです。たぶん今じゃないなと。

ですけどやっぱりミャンマーのことはミャンマーで起きている、じゃあ『海辺の彼女たち』の声がなくなっていいのかというと、世界中でいろんな問題があっていろんな失われている声があって、どこまでいってもたぶん、個人の僕が恣意的に判断していくしかないんだろうなってある種あきらめがついたというか。

僕はもうミャンマーと、『海辺の彼女たち』のような人達について発信しますという、覚悟が決まりましたね。



今月映画が封切されてから、藤元監督は毎日のように映画館に出向いて舞台挨拶をしているほか、オンラインコミュニティをつくって観客との対話を続けています。映画にとって最も大切なのは、観客の受け止め方だと考えているからです。

藤元監督:
この映画って、決して何かハッピーになれたり、救われるような映画ではないとは思ってるんですね。ただそういうシビアな映画を見たあとの観客の皆さんがどう彼女たちの世界に介入していくのか、どう手を差し伸べていくのかという関係性を作りたかったんです。

僕らが映画で表現して、こういう助け方があるよとか言いすぎると、見てくれた人が受動的になってくると思うんですよね。敢えて厳しい映画を作ることで、一般の見てくれた方々がどういうアクションをしてくるのか。どういう感情になるのかを信じて映画を作りました。



ベトナム人元実習生たちはどう受け止めた?
実際の“当事者”たちは、この映画をどう見たのでしょうか。藤元監督の取材に協力した、ベトナム人技能実習生を支援するシェルター「日越ともいき会」に滞在している元実習生たちに、感想を聞くことができました。

感想を伝えるベトナム人の元技能実習生たちと藤元監督


トゥイさん:
悲しい映画でしたね。日本でお金を稼ぐことは簡単じゃないですね。彼女たちと私の経験は違いますが、自分と似ていると思ったのは、家族を思い出すことです。実習期間中は家族に連絡する時間もなくて、家族がどうしているかわからない。それが一番心配でした。それは同じでした。
(来日4年目の24歳 3年の技能実習を修了)


リーさん:
逃げると”悪い人”になってしまうと思って、いくら大変でも3年間頑張りました。実習中は日本語が全然わかりませんでした。いろいろ仕事を教えてもらいましたが、日本語がわかりませんでした。映画の子達みたいに、仕事ができなくてお金も貯まらないと、逃げます。逃げていい人に会うこともあれば、悪い人に会うと大変です。お金がないとみんな悪い人になります。泥棒になります。日本で働きたい人は日本語を勉強してください。日本語大事です。
(来日4年目の25歳 3年の技能実習を修了)


皆が口を揃えて言ったのは「映画の続きがもっと見たい」「主人公のフォンさんに幸せになってほしい」ということでした。


誰にでもある 「選んだようで、選ばされている」状況
この作品の主人公フォンのように、豊かさを求めていたはずなのに、気づくと自由になる選択肢がない状況は、どの国の誰にでも訪れる、と藤元監督はいいます。

藤元監督:
自分が用意したものではない、誰かに与えられたAとBで、どっちですかと言われたときに、もう既に選ばされている状態というのは、誰が悪いとかじゃないと思うんですけど、世知辛いなと。なんとも言えない気持ちになるんですよね。豊かさを求めるんだけどそれが何のための豊かさなのかとか。それがすごくアンバランスになったところで生きているというのは、この物語が一番普遍性を持っている部分じゃないかというのは感じています。


―助けが必要な人を前にして「自分も何かをしなければ、動かなければ」と感じる人もいると思います。ただ、実際には余裕がなかったり、踏み出せないことも少なくありません。どうしたらいいでしょうか?

藤元監督:
わかります。たぶんやっぱりどこまでいっても、まず一番最初はやっぱり個人が何ができるかという所からスタートすると思うんですよね、連帯するにしても。でもそこで無理しすぎない。自分の出来る範囲というのをしっかりやっていくというのしかないのだろうと思います。


『海辺の彼女たち』は、ポレポレ東中野ほかで全国順次公開中です。

また、ミャンマーの軍事クーデターに対する緊急企画として、在日ミャンマー人の親子を描いた藤元監督の作品『僕の帰る場所』のチャリティ上映が全国の映画館で始まりました。配給収益はすべて、クーデターの影響で困窮しているミャンマー市民に寄付されるということです。

藤元監督がチャリティ上映の特設サイトに寄せたメッセージ


NHKでは在留ベトナム人の母と子の別れを描いたドキュメンタリーが放送されます。 放送後に「インクルーシブな社会のために」で関連記事を公開予定です。


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