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2021年2月19日

コロナ禍の渋谷サイレントデモに込めた想い 在日ミャンマー人チョウチョウソーさんに聞く

2月14日(日)、東京・渋谷に全国から在日ミャンマー人4,000人以上が集まり、ミャンマーの軍事クーデターに無言で抗議する「サイレントデモ」が行われました。
その中心メンバーのひとりが、1988年のミャンマーの民主化運動に参加し、難民となったチョウチョウソーさん(57)です。実は去年8月、わたしは新型コロナウイルスの影響が広がる中で「安心できるコミュニティーを守りたい」と奮闘するチョウチョウソーさんの様子を取材していました。
今回チョウチョウソーさんが語った、怒り、悲しみ、そして、希望・・・
デモに込められた思いは、日本に住むわたしたちへの問いかけでもありました。
(「みんなでプラス」取材班 ディレクター 伊藤 加奈子)

「新型コロナの中ですが、どうか力を貸してください」

子ども「コロナなのに、なんでこんなに人がいるの?」
母親 「それだけ“重要なこと”っていうことだよ」

春の陽気となった2月14日の代々木公園。在日ミャンマー人たちのデモの様子を見ていた日本人親子の会話です。この親子のように「デモを見た日本人にミャンマーで何が起きているのか考えるきっかけにしてほしい」というのが今回のデモの目的でした。人通りの多い渋谷周辺が選ばれたのも多くの人の目につくようにするためです。

デモを企画したひとりが、ミャンマー難民のチョウチョウソーさん(57)です。ミャンマー人が多く暮らす高田馬場で料理店を営んでいます。店は在日ミャンマー人たちが安心できる場であり、「駆け込み寺」のような存在です。

コロナで経営が苦しい中でも、職を失った仲間たちをサポートするなど、チョウチョウソーさんはコミュニティーのリーダー的役割を果たしています。日本人にミャンマーのことを伝える活動も積極的に行ってきました。

チョウチョウソーさん 経営する店は在日ミャンマー人たちにとって大切な場

チョウチョウソーさん
「今回クーデターが起きて最初に思ったのは、若者たちの夢が終わってしまったということです。日本に来ている留学生などは、日本のことを勉強し会社の仕組みなども学んで、ミャンマーに帰って国のために頑張ろうとしていました。
新型コロナでみんなが大変な中、軍の私利私欲のための“国民のためではない”クーデターが起きてしまったことが悲しい。」

今回のデモにあたりチョウチョウソーさんたちは大きなルールを決めました。声をあげず『ただ黙って歩くこと』です。クーデター後に日本でも連日デモが行われましたが、緊急事態宣言中に「集まって声を出すこと」には批判の声も寄せられました。そこで感染対策の強化を考えた結果、「サイレントデモ」の形をとることにしたのです。

行進する際も3列で速めに歩く、ゴミ袋を持ったスタッフが巡回する、デモへの理解を求めるチラシを用意する・・・といった工夫を行いました。

誘導するチョウさん。参加者はマスクに×印で「サイレントデモ」のアピール

整然かつ毅然と、黙って歩く4,000人。沿道で見ていた日本人の中には、強権的な政治への抵抗を示す3本の指を立てるポーズで、無言で応援する人もいました。それに対しチョウチョウソーさんも力強いポーズで応えていました。

チョウチョウソーさん
「デモを見た日本の人たちに『なぜ日曜日に、こんなにたくさんの人が無言で歩いているのか』を考えてもらい、ミャンマーに関心を持ってもらうきっかけを作りたいと思いました。
コロナの中で申し訳ありませんが、ミャンマーで何が起こっているのか理解して、応援してほしいのです。どうか力を貸してください。」

名古屋、香川などから来た参加者も


「政治こそが自分たちの未来」

チョウチョウソーさんが来日したのは1991年、28歳のときでした。1988年のミャンマーの民主化運動に参加し、仲間たちが次々と拘束される中、「もし捕まったら殺されるかもしれないと身の危険を感じた」といいます。
結婚したばかりだった妻ヌエさんをミャンマーに残して日本に逃れてきました。

日本に来てまもないころ ミャンマーでは会計士の仕事をしていた(写真提供:チョウチョウソーさん)

1998年に難民認定を受けたあと妻ヌエさんを呼び寄せ、都内でミャンマー料理店を開きました。店を切り盛りする一方で、ミャンマーの民主化実現に向けて日本の外務省や国会議員に働きかけるなど、ロビー活動を続けてきました。
「政治こそが自分たちの未来」だと信じてきたからです。

ミャンマー人の民主化への思いの強さを示すエピソードを、チョウチョウソーさんが教えてくれました。去年11月に総選挙が行われたときのことです。
日本に暮らすミャンマー人たちも東京の在日大使館で投票に参加し、地方からも投票のために多くの人が上京しました。貸し切りバスでやってきた人たちもいました。その中にはこんな人もいたそうです。

チョウチョウソーさん
「“コロナが拡大している今、東京に行くなんて・・・”と会社に言われて、投票後、14日間の自宅待機をした地方のミャンマー人もいました。この間、無給となりましたが、それでも投票したい思いはお金には換えられません。」

総選挙の結果はNLD=国民民主連盟の圧勝でした。民主的な政治を求める大多数の国民の願い。それが今回のクーデターによって覆されてしまったのです。

ダンスにゲーム、鍋たたき 広がるCDM

チョウチョウソーさんのもとにはSNSでミャンマーの情報が入ってくる

チョウチョウソーさんのスマホには、ミャンマー全土で広がる抗議活動の様子がひっきりなしに届きます。『市民的不服従運動(Civil Disobedience Movement)』略して『CDM』と呼ばれていて、夜8時に一斉に鍋をたたいたり、ダンスで抗議の思いを表現したり、ゲームを通じてデモの作戦を立てたり、多くの市民が様々な形で軍への抗議の意思を示しています。

運動の中心となっているのは20代~30代です。「このままでは自分たちの未来がなくなる」という切迫感が、若い世代を突き動かしているといいます。

チョウチョウソーさん
「88年のときは、とにかく“政治、社会のシステムを変えたい”という思いで動いていました。当時は国がクローズしていて海外と繋がれませんでしたが、民政になって以降は海外留学などのチャンスもひろがり、若者たちはそれぞれ夢を持っています。
みんながスマートフォンを持ち、自分たちのやりたいことを探せる時代です。若者たちは今、“自分の夢のために”動いています。その思いを支えたいのです。」

(『ミャンマー人の若者とデモ』こちらの記事も⇒「集まってしまって、ごめんなさい」
 
 
デモ帰りの人たちが店にやってくる

チョウチョウソーさんの店には、デモを終えた在日ミャンマー人の若者たちが数多く集まってきます。若者たちに対しチョウチョウソーさんは、こんな言葉をかけているそうです。

「ミャンマーがどうなるのかはまだわからないけれど、これから何をしたいか?日本でどうしたいのか?勉強は足りているか?きちんと自分の頭で考えてね。盲目的に何かを支持するのではなく、なぜやるのか、自分の責任で判断してね。」

デモで若者たちと一緒に歩くチョウチョウソーさん


  「自分の頭で考えているか」

チョウチョウソーさんと話をしていると「自分の頭で考える」という言葉が、繰り返し出てきます。実はこれには「ミャンマーの教育の在り方を変えたい」という思いがこめられています。

ミャンマーの学校教育は『先生が一方的に教える』スタイルが一般的だそうです。チョウチョウソーさんはこうした従来の教育を変え「自分で考えられる人を育てたい」と取り組んでいます。

在日ミャンマー人に日本語を教える活動をしている東京女子大学教授・松尾慎さんに協力を依頼し、2018年からミャンマーで、先生たちを対象にした参加型学習のワークショップをスタートさせたのです。

ワークショップでは、「医療・平和・教育・食事・意見表明という5つの権利のうち、もし手放すとしたらどの順番か?」など、正解が一つではない問いを投げかけ、対話をする経験を積んでもらっています。

ミャンマーでのワークショップ/左が松尾慎さん

2019年のグループワークの様子(写真提供:Villa Education Center事務局)

東京女子大学教授 松尾慎さん
「教育を変えたいというチョウチョウソーさんの熱い思いをミャンマーの先生たちに伝えるパイプができ、授業にも取り入れてほしいと考えていたところでした。去年はコロナの影響で、今度はクーデターで、次はいつ行かれるかわからなくなってしまったのが本当に残念です。」

松尾教授は日本でも、ただ日本語を教えるだけでなく、みんなで議論して学び合う場を設けています。
毎週活動に参加しているチョウチョウリンさん(59)は、ミャンマーで軍に拘束された経験があります。そこから逃れて来日し難民認定を受けました。

軍に拘束された経験があるチョウチョウリンさん

チョウチョウリンさん
「ミャンマーでは人が死ぬのは当たり前、仕方ないことだと思っていた。日本に来て『安心安全』とはどういう意味か知り、初めて怖くなってミャンマーに帰れなくなりました。」

その上でチョウチョウリンさんは「自分の頭で考えることの大切さ」を訴えます。

チョウチョウリンさん
「デモがエスカレートすれば、ミャンマーではまた人がたくさん死ぬかもしれない。デモの先のことをもっと考えて、議論をしないといけないとわたしは思っている。“アウンサンスーチーさんが解放されたらなんとかなる”のでも、“みんなに従えばよい”のでもなくて、これからのことを自分の力で考えないといけない。
わたしは自分の考えを話したけれど、それが正しいか正しくないかは、あなた自身が自分でちゃんと考えてね。」


  「これは日本にも関係する話なのです」

日本人に向けてミャンマーの状況を発信し続けている人もいます。
ミョウミンスウェさん(51)は東京大学大学院で修士号を取得後、ヤンゴンで日本との輸出入の仕事に従事するなど、日本とミャンマーの「ビジネス面でのかけはしになりたい」と考えてきました。しかし1月中旬から日本に来ていた間にクーデターが起き、帰国できなくなりました。ミャンマーにいる家族ともバラバラになっています。

そうした中でミョウミンスウェさんは、SNSでミャンマーの様子を日本語でも発信し、日本の人たちに関心を持ってほしいと呼びかけています。

東京大学大学院で修士号を取得したミョウミンスウェさん

ミョウミンスウェさん
「ミャンマーの国民たちは、コロナで死ぬより、軍事独裁下で抑圧されるのをもっと怖がっています。ヤンゴン近郊には日本が投資しているティラワ経済特区もあります。このままでは、日本の経済を支えているミャンマーの日系企業に大きな影響を及ぼすでしょう。
日本が沈黙しているとミャンマー国民からも信頼を失うことになりかねません。日本にも関係のある話だと知ってほしいです。」

チョウチョウソーさんも、日本人に向けてこう訴えます。

チョウチョウソーさん
「今の時代、何事も関係がないことはない。すべてが繋がっています。ミャンマーの安定は、アジアの安定につながり、最終的には日本にも利益があると思います。そういうつながりを、自分の頭で考えてみてほしいです。」


取材後記
日本にいるわたしにとって、軍事政権下の生活や民主化運動とは何なのか、想像しにくい部分がありました。その意味が少しわかったのが、2月10日のチョウさんとの会話です。その前日、ミャンマーでデモに参加していた19歳の女性が警察の発砲を受け、銃弾がヘルメットと頭の骨を貫通し、この時点で意識不明の重体となっていました。
チョウさんは一言、「こういうことなんですよ」と語気を強めました。
「夢のために立ち上がっただけなのに。もし撃たれたのが自分だったら・・・」 自分の頭で想像したら涙があふれてきました。
民主主義を守るために、微力でもできることを続けたいと改めて思いました。


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