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コロナ禍の映画・音楽・文化・・・ 日本のエンタメ業界はいま
失われた客やファンをどう取り戻すか――
新しい生活様式の中で、創作活動をどう続けるのか――
こんな時だからこそ、文化や芸術の持つ力を信じたい――


新型コロナウイルスの感染拡大によって、苦境に立たされる日本の文化や芸術
現場では、再起に向けた挑戦や模索が続いています。
映画や音楽、アートなど・・・先行きの見えない時代だからこそ、文化や芸術の持つ力を信じて、前に進もうとする人や現場の様子を取材していきます。


- “表現者” 岩井俊二 故・大林宣彦監督のメッセージを受けとって 2020.11.27公開
- 新作「ばるぼら」公開 手塚 眞監督 等身大の“ヴィジュアリスト” 2020.11.20公開
- 南の島のミニシアター 新型コロナで休館、そして“再起”へ  2020.10.23公開
-「SAVE the CINEMA」から半年 ミニシアターはいま《後編》 2020.10.16公開
-「SAVE the CINEMA」から半年 ミニシアターはいま《前編》 2020.10.08公開
-「スパイの妻」黒沢清監督に聞く 番組未公開トーク 2020.10.06公開


- 武田真一、佐野元春に聞く――「SONGS」未公開トーク 2020.10.09公開


- 劇団「俳優座」の挑戦 歴史ある劇団×クリエイターで演劇をオンライン配信 2020.11.13公開
- 舞台芸術のスタッフを支える「未来につなぐ基金」 2020.11.16公開


あなたの身近で起こっているエンターテインメントにまつわる課題について教えてください。
現場で生まれた声を取材します。



新型コロナウイルスと向き合う人々、新しい生活の中で頑張る人々を紹介しています
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2020年11月27日
“表現者” 岩井俊二 故・大林宣彦監督のメッセージを受けとって
10月に放送したクローズアップ現代プラス「“未来を変える力”を問いかけられて~大林宣彦からの遺言~」。故・大林監督から思いを託された4人の映画監督たちを取材しました。その中で大林さんから「表現者として死ぬ気だな」という言葉を残されたのが、岩井俊二監督(57)です。
岩井さんは大林さんのメッセージをどのように受け止めたのかー
そして表現者・岩井俊二の映画への思いとはー
番組で紹介しきれなかった、岩井さんと大林さんの知られざるストーリーです。

(取材:報道局映像センター取材グループ 川﨑敬也カメラマン)

本に掲載された 大林宣彦から岩井俊二へのメッセージ

岩井俊二監督のこれまでの活動を記録した本が出版された

11月26日に出版された「岩井俊二  『Love Letter』から『ラストレター』、そして『チィファの手紙』へ」(夏目深雪 著/河出書房新社)。映画監督・岩井俊二さんの30年の軌跡をたどるロングインタビューやエッセイに加えて、豊川悦司さん、中山美穂さん、行定勲監督など、岩井監督ゆかりの映画人のインタビューなどが収録されています。アメリカ、韓国、中国でも映画を撮るなど、世界を舞台に活動してきた岩井さん。日本では映画監督としてなじみ深いですが、小説家や音楽家としての幅広い活動についても詳しく触れられています。

本の中には、「大林宣彦 岩井俊二くんとの約束」と題した特別寄稿があります。掲載されているのは、今年4月に亡くなった映画監督・大林宣彦さんが岩井さんに送ったメッセージです。
このメッセージは私たちが去年、大林監督を取材中に、カメラに向かって語り残したものでした。


岩井 俊二
小説家 音楽家 映画監督
1963年1月24日 宮城県仙台市生まれ
ミュージックビデオ、テレビドラマで数々の作品を手掛けた後 『Love Letter』(1995年)で長編映画デビュー

“最後の帰郷”の中で大林監督が語ったメッセージ

2017年の夏以降、私は大林宣彦さんの取材を3年近く続けてきました。
肺がんステージ4で余命宣告を受けながらも、最後の最後まで戦争と命をテーマに映画を撮り続けた大林さん。かつて、黒澤明監督から「映画の力で世界から戦争をなくす」というバトンを託され、ことし4月に亡くなる直前、4人の映画監督――岩井俊二さん、手塚眞さん、犬童一心さん、塚本晋也さんの名前を枕元で呼び、映画人としての信念を託しました。
そのことがきっかけで、私は岩井さんに取材をさせてもらうことになりました。


大林 宣彦(1938-2020)
映画監督
「尾道3部作」など数々の名作を生み出し “映像の魔術師”と呼ばれた
生涯で44本の映画を世に送り出す

岩井さんに初めてお会いしたのは、今年8月のこと。私は岩井さんに、直接聞きたいことがありました。それは大林監督が亡くなる5か月前、広島・尾道への帰郷に同行した際、車中でふと岩井さんの名前を呼び、問わず語りで私に語り遺した言葉があったからでした。

去年11月下旬、最新作を携えて広島国際映画祭に参加し、その帰路、故郷の尾道に寄ることを決めた大林監督。広島に向かうその前日、「一緒に来ませんか」と私に声をかけてくれました。

新幹線の駅に向かう車中でのこと。大林監督が「俺はバカなトラだった」と、ふいに人生を総括するような言葉をひとつ、またひとつと問わず語りで語り始めました。
自戒の念ともとれるような監督の言葉にひたすら耳を傾けていたところ、大林監督がふいに私にたずねました。

大林 宣彦 監督
「いま、撮っていないね。もう2度と同じことは言えないけど大丈夫?」

大林監督の体調を考慮して、道中は撮影しないと決めていた私は、急いで撮影の準備をしました。そしてカメラを向けると、監督は絞り出すように再びその続きを語り始めました。その中で語り始めたのが、岩井さんへのメッセージだったのです。

大林 宣彦 監督
「いつでも自分が一番いいと信じることをやるのが僕たち表現者の責務であります。岩井俊二は表現者として死ぬ気だな。表現で過去は変えられないが、未来は変えられるんじゃないか。未来を作る人間の可能性を信じ切ってみせますよ。岩井俊二くん」

語り終えると監督は安心したようにゆっくりと目を閉じました。東京に戻った後、大林監督はメディアへの出演や新聞の連載もほぼ休止し、公の場に姿を見せることはほとんどありませんでした。


大林監督のメッセージを携えて


大林監督から岩井監督へのメッセージは8分40秒に及んだ

なぜ、大林監督は岩井さんの名前を呼んだのか――
大林監督が亡くなった後、私は岩井さんへの取材を試みました。8月上旬、大林監督が岩井さんへの“メッセージ”を語った、8分40秒の映像を見てもらいました。

大林監督のメッセージ
「いつでも自分が一番いいと信じることをやるのが表現者の責務であります。同じ言葉を岩井俊二が一冊の本とともに残しました。岩井俊二が、紙の時代になって、僕はもう忘れませんと。こいつ死ぬ気だな。岩井俊二は表現者として死ぬ気だな・・・」

揺れる車中で背もたれにやっとのことで身を委ねながら、岩井さんの名前を何度も呼んでいた大林監督の映像。岩井さんは、とても真剣な眼差しでその姿を見つめていました。 VTRの再生が終わったあと、しばらく岩井さんは口をつぐんでいました。

岩井 俊二 監督
「これはミステリーですね」

ようやく重い口をひらいた岩井さん。

岩井 俊二 監督
「なんだろう。(大林監督は)何について語られていたのか・・・。岩井俊二っていう登場人物を登場させて語られた物語のようなことなのかなと思いながら。『こいつ死ぬ気だな』なんて言葉があるのでちょっとどっきりします。半分、中原中也の詩のような。なんですかね、『紙の時代』って何を指すんですかね。なかなか簡単に解けない謎ですね・・・」



大林監督が何を伝えようとしたのか、今となってはその真意を聞くことは誰にもできません。
大林監督がこの言葉を発するまでに、岩井さんと大林さんの間で何かやりとりがあったのか、たずねました。

岩井 俊二 監督
「うーん、何か僕が書いた小説を読まれたんでしょうかね。でもこれはどういうシチュエーションでお話されたのか。聞いている限りだと、詩ですよね。吟遊詩人の語る詩そのものというか。圧倒されて、ちょっと驚いています。その詩の中に自分の名前が出てくるので、なおさら」

「表現者として死ぬ気だな」という大林監督の言葉。
岩井さんはどう受け止めたのか、思い切ってたずねてみました。

岩井 俊二 監督
「『表現者として死んでいこう』とは思っていないですけど、表現者として生きたいなっていう思いは、若いころからずっと持っていて、道半ばで今はいる感じなんです。でも、そんなに決然とではなくて、割とぼんやりしてるほうなので、死ぬ気とか、自分があまりなったことがないので、ちょっとびっくりな感じはします。
生と死っていうのは非常に自分の中で大きな創作のテーマではあって、今までもずっと、それがあったから創作に自分は向かったのかなという気がするくらい、『命とは』ということはあるんだと思います」

“生と死”という踏み込んだテーマについて、大林監督と深く話をする機会はなかったという岩井さん。大林さんが遺したメッセージについて深く考え続け、インタビューは気がつくと2時間を超えようとしていました。

岩井 俊二 監督
「大林さんの中で、僕が登場人物の1人になって.キャスティングされてたのかなって。でも想像したり推理したりするには手立てが無いものと向かい合ってしまったという感じです。
ずっと、これは一体何なんだろうと思い続けるんでしょうけど。でも、すごい宝物のような言葉をいただいて、それは本当に胸が熱くなりますね。大林さんから受け取ったメッセージはゆっくり時間をかけて、ずっと肌身離さず、持っていたい気がしますね」



大林監督のメッセージを携えて

 
岩井さんの“音楽活動”の取材が許された(動画が再生されます)

次に岩井さんに会ったのは9月上旬。この日、私たちは岩井さんからある提案受けました。
岩井さんを中心に結成されたアコースティックトリオユニット「ikire」のレコーディングに、よかったら来てみませんかと声をかけてもらったのです。

実は岩井さんは、北京や上海など各地で自らのバンドでコンサートを開くなど、映画制作と共に音楽活動にも力を注いできました。

“中国や韓国だと、映画も撮るけど小説を書いたり音楽をやったりするマルチクリエイターの人っていうことで認知されているんです。日本だともう少し縦割りというか、僕はもっぱら映画監督として認知されていて、僕が小説書いたり音楽やったり、漫画描いたり絵を描いたりもするっていうことを、知っている人の方が少ない”
「岩井俊二 『Love Letter』から『ラストレター』、そして『チィファの手紙』へ」
(夏目深雪 著/河出書房新社)

岩井さんは、『チィファの手紙』(2018年)、『花とアリス殺人事件』(2015年)、『市川崑物語』(2006年)、『四月物語』(1998年)など・・・1990年代後半以降、数多くの作品で映画音楽も手がけてきました。さらに、『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)や『スワロウテイル』(1996年)など多くの作品で、音楽そのものが岩井作品にとって欠かせない存在を果たしてきました。

「ikire」のメンバーに話を聞くと、岩井さんは思いもよらない発想で楽曲の構成を組み替えたり、新たなアイデアを付け加えたり、曲を新しく生まれ変わらせる「魔法使い」なのだといいます。

独学でピアノを始めたという岩井さん

この日、岩井さんは“音楽家・岩井俊二”を特集するラジオ番組の収録のために、ピアノを弾いていました。何度も同じフレーズを練習する岩井さんを見ていて、私が思い返したのは大林監督の姿でした。

大林映画は“ピアノ映画”と呼ばれるほど、作品の中に必ずピアノが登場しました。大林さん自身もピアノの演奏が上手で、映画の中でピアノを弾くシーンで役者がうまく弾けない場合には、代わりに弾いたほどでした。ロケ先でもピアノを見つけると、一時ロケのことなど忘れたかのように一心不乱に鍵盤を奏でていた姿が、大林監督の取材をしていた中で、私の記憶にも強く残っていました。

実は岩井さんが初めて大林さんの作品に触れたのは、映画ではなく音楽でした。 子どものころに見た映画の音楽を大林さんが作曲を手がけていたのです。
そのメロディーは今でも、耳に残っていると言います。

岩井 俊二 監督
「大林さんとの出会いが(金田一耕助シリーズの)『本陣殺人事件』という、高林陽一監督の映画だったんです。中学時代ですかね、ミニシアターで見て、すごい好きだったんです」

大林監督も小説や漫画も描き、ピアノを演奏し、作曲にも取り組んでいました。小説家になるか、音楽家になるか、映画監督になるか――沢山の選択肢があったと語っていました。
岩井さんも学生時代、小説、油絵、映画、漫画と4つの選択肢があったと新たに出版された本の中でも語っています。この日、ピアノを奏でる岩井さんの姿を見ていて、私はふたりの間に多くの共通点があることに気づきました。


音楽活動の中でも・・・

大林監督が岩井さんの小説『ラストレター』を手にした写真

レコーディングの合間、岩井さんが1枚の写真を見せてくれました。それは大林監督が岩井さんの小説『ラストレター』を手にやさしく微笑んでいる写真でした。写真は去年の秋頃に撮影したもので、大林監督から岩井さんに送ってほしいと頼まれていたのだといいます。

岩井 俊二 監督
「大林さんは恐らく、私の『ラストレター』を読まれて、あのような言葉を遺したのかなと自分の中では理解しています。この写真もたまたま映像を見たあとに、偶然娘さんから送られてきて、この写真が出てきたんで送ります、と」

映像の中で大林監督が語っていた『1冊の本』というのは『ラストレター』のことだったに違いない――
岩井さんはメッセージを受け取ってから3週間、大林監督が遺した言葉について考え続けてきたといいます。

岩井 俊二 監督
「あのメッセージでは、大林さんの語る現代詩のような言葉が紡がれていたと思うんですけど、その中のモチーフとして自分が混ざり込んでいたことの衝撃は大きいです。大林さんがいろいろなモチーフを手づかみで集めて、言葉の中に練り上げていった世界の中に、自分の名前が混ざり込んでいたこと自体が驚きでしたし、もちろん光栄ですしね。自分も何かあの瞬間だけ大林作品の一員になれたような感じすらしました。
いつも大林作品を外から見ていたんですけど、その中に紛れ込んでいた、時空を超えて紛れ込んでたような感じで、不思議な感覚になりました」

私は改めて、大林監督が残したメッセージについて、何を思うかをたずねました。

岩井 俊二 監督
「モノを作る人たちは孤独に、ひたむきに作っていると思うんです。ただ、大林さんが語る自分(※岩井さん)を見ると、例えば自分がそういう年齢になった時に何か後を引き継いで、つないでいってくれる若い人たちに、特別な思いを感じたりするのかなって。
今は自分の作品を作りたいという思いが圧倒的に強いですけど、どの映画監督も人生、寿命には限度があります。逆に言うと、それが映画監督の業というか。自分が作った作品は永遠に残るものでしょうし、でも作った作品はどこか自分の中でもう別れたものでもあって、やっぱり次の作品に出会いたい。
だから新作を作りたいし、でもそれに終わりが来る時に、自分がこの世からいなくなっても、誰かの作品に出会いたい、誰か下の若い世代の作品に出会いたいという思いに駆られるのかもしれないですね。僕はまだまだですけど、いずれ同じような年齢を迎えたら、そんな事を考えるんだろうかと思いました。
なかなか、答えは自分の中でまだ全然見出せてない状態ですけど、あの映像の感想は、ある衝撃をもって自分の中に残ったものって宝物だと思います。時々思い出しながら、かみしめながら、映画を作っていくのかなと思いますね」



岩井 俊二 監督
「僕は大林監督から多大な影響を受けて勝手に近しいものを感じていて、たくさん学ばせてもらって、今があると思います。映画って決してゼロから生まれるものじゃなくて、古今東西の映画もそうだと思うんですけど、ほとんどの作品はいろんな先達の人たちの表現をヒントに、そこからまた広がっていくイメージの中で、『いま』という時代との間で生まれてくるものだと思います。それは大きな流れというか、大樹のようなものの中に、大林さんも僕もどこかにいるという気はします。
なので、作品同士がつながっていたり、僕が共鳴していたりだと思うんです。それをご覧になって、息子のように思ってくださっていたのかしれないですし、微笑ましく見ていていただけたのかもしれない。お互いフイルムメーカーなので、作品が一番多くを物語ると思います。
大林さんは非常にキャラの濃い方でしたけど、大林宣彦という監督の作品が大林宣彦だったんでしょうし、ここにいる僕という存在よりも、僕が作った作品が多くの人にとっては岩井俊二というものなんでしょうから。その作品同士がこう、お互いの気づかない間におしゃべりしてるのかもしれないですよね。作品同士がお互いに、またフイルムメーカーに次のものを作らせていくみたいな。そういう見えないコミュニケーションがあるのかもしれないですね」


新型コロナの影響が続く中で 映画を撮るということ



岩井さんはこの夏、新作映画『8日で死んだ怪獣の12日の物語』を公開しました。新型コロナウイルスの影響が広がる中、全編リモートで撮影した作品です。コロナ禍で映画を撮ることの難しさについて聞くと、「今までと同じように映画を作ることはできないのではないか」と本音を語ってくれました。

もし撮影現場で感染者が出たら、誰がその責任を負うのか。撮影に穴が空いたら、誰が担保するのか。責任は誰も負えないし、保険が効くわけでもありません。だから今までと同じようなやり方では映画が撮れないと、映画界がおかれた厳しさを率直に話してくれました。

しかし後日、岩井さんとお会いすると、「むしろこういう時代だからこそ、その撮り方も含めて、色々なアイデアが浮かんでくる」とも語ってくれました。

岩井 俊二 監督
「2020年の対策で言うと、どうしてもいろいろなアイデアが必要なので、考えている時間は多いです。『こういうふうにしたらうまくいくんじゃないか』とか、『こういうプロジェクトにしたらこうなるんじゃないか』とか。
普通の映画制作がちょっといま止まっているので、脚本にしたり、小説を書いたりして、来たるべき時期を待っている作品たちが片方であって、その間の時間をどう有効に過ごそうかなっていうところで、いろんな小さなプロジェクトをちょっと考えたりしています」


「“表現者”の本質的な部分を理解するきっかけにしてもらえたら」と、レコーディングの現場にも招いてくれた岩井さん。
枠にとらわれない表現の多彩さや、その探究心を感じずにはいられませんでした。

新型コロナの感染拡大が続く中でも「映画が撮れないことを言い訳にしない」――
“転んでもただでは起きない”ような、その柔軟性と映画への思いの強さを、取材の中で感じずにはいられませんでした。表現者・岩井俊二がこれから何を描くのか――そのまなざしの先にあるものをこれからも見つめていきたいと思います。




あなたの身近で起こっている文化・芸術にまつわる課題について、教えてください。
現場で生まれた声を取材し、少しでも多くの人に届けます。


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-「SAVE the CINEMA」から半年 ミニシアターはいま《前編》
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- 新作「ばるぼら」公開 手塚 眞監督 等身大の“ヴィジュアリスト”

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#映画#岩井俊二#大林宣彦
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2020年11月20日
新作「ばるぼら」公開 手塚 眞監督 等身大の“ヴィジュアリスト”
映画監督・手塚眞さんの最新作「ばるぼら」が今月20日、公開されました。 稲垣吾郎さん・二階堂ふみさんが主演し、父・手塚治虫の禁断の問題作を初めて映画化した作品です。

私たちは、ことし4月に亡くなった大林宣彦監督の番組をきっかけに手塚眞さんと出会い、取材を続けてきました。その一部は、先月(10月)のクローズアップ現代プラス「“未来を変える力”を問いかけられて~大林宣彦からの遺言~」で放送しましたが、番組でお伝えしきれなかったインタビューから、新型コロナの影響が続く中でも映画と向き合い続ける“ヴィジュアリスト・手塚眞”の思いをご紹介します。
(取材:報道局映像センター取材グループ 川﨑敬也カメラマン)

最新作「ばるぼら」 いまこの映画が持つ意味

手塚眞監督の最新作「ばるぼら」

今週火曜日、日本外国特派員協会で手塚眞監督の最新作『ばるぼら』の試写会と記者会見が行われました。
『ばるぼら』は”映像化不可能”と言われていた手塚治虫の原作を、その息子・手塚眞監督が初めて映画化したものです。異常性欲に悩まされる小説家を演じるのは稲垣吾郎さん。そして自堕落な生活を送る謎の女“ばるぼら”を二階堂ふみさんが演じ、甘美で退廃的な異世界に臨みました。

ストーリーは、謎の少女に出会った主人公の作家が、小説家としての悩みを抱えながら成功し名声を得ますが、やがてそれを失い、破滅を迎えるというものです。手塚さんがこの映画を制作していたのは新型コロナの影響が出る前でした。その後世界が大きく変わりゆく中で、わたしは作品で描かれた「破滅」以上に、その先に訪れるかもしれない「再生」への希望を感じずにはいられませんでした。

試写会後の記者会見。わたしは手塚監督に、新型コロナの影響で先の見えない今の時代に、この映画を上映することへの思いについて聞きました。


日本外国特派員協会で行われた手塚監督の記者会見

手塚 眞 監督
「この映画を最初に考えたときに、これは“関係性”の映画であると考えました。関係性というのは例えば『人間同士』ということもあれば、『人間と街』『人間とその行い』といった関係です。その関係性の中で、今回自分が一番表現したかった部分は“エロティシズム”です。

つまり、ふたりの人物が直接肌を触れ合う。肌と肌で接し合うような関係性です。それは言葉や理屈を越えた「人間の関係性」だというふうに考えています。図らずもいま新型コロナの影響によって、世界中でそういう関係性が崩れていっています。人間同士が直接触れ合うということが非常に困難な時代になりつつありますが、だからこそ、その「関係性は大事なんだ」という思いは、持ち続けていたいと思っています。

そしてこの映画を作った理由のひとつには、今、すべてがデジタル化されてしまっていて、コンピユータやネットワークを通じて人と会うことが、どんどん進んでいることです。こういう現状に対して、ささやかな抵抗をしたいと思ったからです」

新型コロナの影響が続く中、手塚さんがこの映画を通じて伝えようとしているメッセージは、時代の中で重要性を増しているように感じました。


手塚監督との出会い きっかけは大林宣彦監督

手塚 眞
ヴィジュアリスト/映画監督
高校時代から映画制作をはじめ、ぴあフィルムフェスティバルほか数々のコンクールで受賞
1985年『星くず兄弟の伝説』で商業映画監督デビュー

手塚さんに初めてお会いしたのは6月下旬。都内にあるオフィスを訪れました。新型コロナウイルスの影響が続く中、直接会う時間を作って頂いたことに感謝の気持ちを伝えたところ、手塚監督はこう答えました。

「クリエイティブなことというのは直接会わないとできないことが多いんですよね。だからまずは直接会ってお話したいと思いました」

わたしは元々、今年亡くなった映画作家の大林宣彦さん(享年82歳)の取材を3年近く続けていました。大林さんはがんで余命宣告を受けながらも、最期まで「戦争と命」をテーマに映画を撮り続けましたが、かつて黒澤明監督から託された「映画の力で世界から戦争をなくす」というバトンを、亡くなる直前に4人の映画監督に託していました。その4人とは岩井俊二さん、犬童一心さん、塚本晋也さん、そして手塚眞さんです。

手塚さんに大林監督から “映画のバトン”を託されたことについてたずねると、とても謙虚な答えが返ってきました。

手塚 眞 監督
「やっぱり恐縮でしたね。もっと頑張っている仲間もたくさんいるわけですし、大林さんからもっと励ましの言葉をもらいたかった仲間もいっぱいいるはずなんです。
光栄ですけども、その言葉に負けないように、また自分がそこで変に間違わないようにやってこうと思っています。4人の映画監督は1人1人、表現者としてはバラバラです。みんな同世代ですし、昔からのお付き合いのある、ある意味ではよく知ってる4人ですから、何となくお互いの思いとか気持ちもわからなくはないんですが、4人とも自分なりに独学で映画を作り始めて、そのままプロになった人たちです」


“ブランク・ジェネレーション(空白の世代)”と呼ばれて

大林 宣彦(1938-2020)
映画監督
「尾道3部作」など数々の名作を生み出し “映像の魔術師”と呼ばれた
生涯で44本の映画を世に送り出す

手塚監督たちに思いを託した大林監督は、映画会社に属すことなく、自らを“生涯アマチュアの映画作家”と呼び「尾道3部作」など数々の名作を生み出しました。“映像の魔術師”とも呼ばれ、若い世代の映画監督達に多大な影響を及ぼしてきました。自分のことを「映画監督」ではなく「ヴィジュアリスト」と呼んでいる手塚さんも、“大林チルドレン”のひとりです。実はこの世代はあるコンプレックスを抱いていたといいます。

手塚 眞 監督
「自分を含め“大林チルドレン”と呼ばれる1980年代にデビューした世代の映画監督たちは、“何もない世代=ブランク・ジェネレーション”と呼ばれていたんです。
『君たちの世代はとにかくテーマを持ってないね』とか『描くべき言葉を持ってないね』ということをさんざん言われたんですよ。本当にそれがないんだろうかと。なかったら自分たちはこういうことをやっちゃいけないのかとか、ですね。
そうじゃないってことは内心わかっているんだけど、その言葉はやっぱり常に頭の中に浮かんじゃうんですよね。悪い意味での呪文にかかってるような状態になってしまいますね。そこから抜け出るのにやっぱり時間かかりましたね。何十年かは悩みましたけどもね」

わたしは手塚さんにどうしても聞いてみたいことがありました。大林監督の著書にあった文章についてです。かつて手塚さんが、大林監督に語った言葉について触れた印象的な一文でした。

(手塚さんの発言)
“実は大林さんの世代を死ぬほどうらやましく思っていました。大林さんは戦争を知っているから、手にある八ミリで映画を撮ることができた。ぼくたちには八ミリはあるけれど、戦争を知らないから、撮るべき映画がない。だから、大林さんを嫉妬してもいた。でも、今はぼくたちにも戦争がある。ぼくたちは今や戦後ではなく、戦前の人間です。これから始まる戦争がぼくたちの戦争で、そのことを映画にしようと思ったら、ようやく撮るべき映画が見つかりました”
(『大林宣彦 戦争などいらないー未来を紡ぐ映画を』2018年11月平凡社より)

手塚さんによると、この言葉は、監督作『白痴』(1999年公開)の完成後に、大林さんに語ったものだそうです。


戦争をテーマにした作品『白痴』 いまの時代に投げかけること


映画『白痴』は、戦時中の日本を描いた坂口安吾原作の短編小説を、手塚さんが構想10年の末に映画化したものです。ヴェネチア国際映画祭をはじめ、世界で評価された手塚さんの代表作です。手塚さんはあえて時代を限定できない設定にして、世界の終末と新たな創造を描くなど、普遍的なテーマを浮き彫りにすることに挑みました。

手塚 眞 監督
「『白痴』で描かれているのは、架空の日本の架空の戦争中の出来事です。ですが、あるところは非常にリアリティを持って描いています。その中で僕が表現している世界は、どんな過酷な状況でも、割と平々凡々と暮らしてる人たちがいるということなんです。

第2次大戦下でもそういう状況ってあったんです。さすがに空襲が始まるとそうはいかなくなる、もう命の危険が来る。だけど空襲がないと、戦時下の生活は案外のんびりしていた。一見、社会は平和だけど、人々の心の中に戦争が起きているという不安感、それから本質的な貧困みたいなものはどうしてもあるわけです」

『白痴』は、戦争を知らない手塚さんが初めて挑んだ戦争映画でした。しかし一般的には「空想的な映画、まるでSF作品みたいですね」という感想がほとんどでした。
作品で描かれた“未来の戦争への危機感”や“本当の厳しさ”に対して、「多くの人がピンとこなかったのではないか」と手塚さんは振り返ります。
そんな中でも、『白痴』を高く評価してくれたのが大林監督でした。

あれから20年以上が経ち、東日本大震災や原発事故、さらには新型コロナを経験した今ならば『白痴』で伝えようとした“本当の厳しさ”が伝わるのではないか―
そう考えた手塚さんは、この秋『白痴』のリバイバル上映することにしました。



手塚 眞 監督
「近年日本ってそういう危機に何度もさらされてきているわけです。大きな震災があると急に物資が乏しくなるような不安感があり、明日生活がどうなるかわからないというような…。それは本当に空襲前の日本と同じような気分をみんな味わっているんです。だから、戦争を知らないとかって言っているけど、気分はほとんど同じなんじゃないかって。

今もまたこの目に見えないウイルスの感染という危機の中で不安をみんな感じています。それとその戦争がもたらしてくる不安感は、実はそんなに大きな差はなくて。
政治も含めた社会全体に対して、僕ら表現者は客観的に見なきゃいけないと。だから今の状況をただリアルに自分たちが思っていることを差し出せばいいということではなくて、この状況をもう1つ別の目で見た時にどう見えるのかということで何か表現すべきだろうというふうには思っています 」


大林監督からの手紙から感じた 等身大の手塚眞さん

大林監督から手塚さんがもらった手紙


取材の中で手塚さんが、大林監督からもらった貴重な手紙を見せてくれました。

手塚眞さん
「この歳でも迷うこともあるし、ちょっと気持ちがふさぐことがあるんですけど、そういう時にこれ引っ張り出して読んでいるんですよね。そうすると本当に励まされるんで。落ち込んじゃいられないなって」

原稿用紙14枚分におよぶ長文の手紙は、2年前に手塚さんが映画『星くず兄弟の新たな伝説』を公開した際、大林監督が感想をつづり送ってくれものです。
手紙の中で大林さんは「(この映画を見たら)手塚治虫は、きっと激しく、嫉妬しただろうなぁ。」と手塚さんに語りかけていました。



手塚 眞 監督
「監督の素直な気持ちがしたためられていて、涙が出るほど嬉しかったですね。
(作品を)見終わって最初の言葉が「やったね、眞ちゃん!凄い、凄い、凄い‼」。この眞ちゃんというのは、僕は10代の頃から大林監督にお世話になっているので、監督の中ではいつまでも僕は10代の少年なのかもしれないですね。

監督はもちろん、今までも参考になるお話とかしていただいたんですが、表だってここまで褒めて下さった事はないんですよ。僕は本当に若い頃に監督にお会いして、自分自身がまだ勉強もできてなくて映画界のこともよくわからない時から、ずっと指導されて見守られてきたんです。単純にいい先輩がいていろいろ教えてくれてるんだなとしか、とらえていなくて。もちろん監督の言葉はいつも響くわけで、なるほどと思いながらきたんですけども。この手紙を頂いて読んだ時に、単純に先輩後輩ではなくて、映画に対して同じ思いを抱いていた仲間なんだなと感じました」

わたしは「手塚治虫は嫉妬しただろうな」という大林監督の言葉に、大きな愛情と思いやりを感じずにはいられませんでした。大林監督は手塚治虫の代表作のひとつ『ブラック・ジャック』を映画化したこともあり、手塚治虫のことも良く知っていたからこそ、その偉大すぎる父のプレッシャーに負けないでほしいという思いを込めたのではないか――
そうした思いを眞さんが噛みしめている感じがファインダーのこちら側にも伝わってきて、カメラを向けながら、わたしもたまらない気持ちになりました。

「君は君なんだから君らしくやればいいんだよ」…手紙全体を通じて語っているように思いました。

この日、手塚さんはこれまで思うようにはいかなかった過去や、自らの弱さ、コンプレックスのようなものについて、虚勢を張ることなく、カメラの前で率直に話してくれました。クローズアップ現代プラスでインタビューを放送した際、多くの人から「手塚さんの語った思いに共感ができる」という声が寄せられました。手塚さんの思いに、自らの人生を重ね合わせ、噛みしめた人が多かったのかもしれません。


コロナ禍に撮影する実験映画「変容」 手塚さんが教えてくれたこと
 
手塚監督の実験映画の撮影現場を取材した(動画が再生されます)

取材の中で等身大の姿を見せてくれた手塚さん。新型コロナが影を落とすなか、映画にかける思いを強く感じさせる一幕もありました。10月上旬、手塚さんが実験映画の撮影をすることになり、その現場に立ち会えることになったのです。

映画のタイトルは『変容』。わたしたちの社会がこれから良い方向に変わっていくのか、それとも違う方向に向かうのか――以前から描きたいと思っていたテーマでしたが、コロナ禍の中、その意味合いが手塚さんの中で大きく膨らみ、映画を作り出すきっかけになったと言います。
今後わたしたちはどう変わっていくのか?――いま私たちは“試されている”という感覚が、手塚さんには強くあるというのです。

手塚 眞 監督
「『変容』というテーマ自体は常に昔から頭の中にあるのですが、今回は閉塞的な状況が何か月も続いて家の中にいなきゃいけない、“巣ごもり”のような状態の後で、どう変わるのかっていうのは気にはなるんですよね。
いい意味で期待する部分もあるし、不安なところもあるし。その両方の気持ちを一つの作品に込めたら、どういうものになるかと試している作品です。実験作品ですから、テーマが決まっていても、作っている中でどうやって変わっていくかわかりません。ただ、今の自分たちを取り巻いている状況を心に置きながら、作っていこうと思っています」


映画監督はやはり映画を撮っているときにこそ、本当の姿を見ることができるはずー 今まで取材で接してきた手塚さんではなく、ヴィジュアリスト・手塚眞の“本性”を見ることができるのではないか――わたしは想像を膨らませながら現場へと向かいました。



現場は、新型コロナで一時休業していた手塚さん行きつけのイタリアンレストランでした。現場を見てわたしは唖然としました。カメラマンや照明、音声、助監督など複数のスタッフがいる様子を想像していたのですが、実際にいたのは俳優やメイクなど最低限のスタッフのみで、それ以外は手塚さんすべてひとりで担っていたのです。小型カメラやスチールカメラなどを駆使して撮影し、俳優を演出し、照明機材を操って光を作り出し、セット移動や機材の設置・撤収も行うなど、一切合切、手塚さんがこなしていました。
その姿は水を得た魚のようでもあり、“華麗”でさえありました。

手塚さんはこの日、ひとりの出演者に、全く異なるふたりの人物を演じさせることで、人間がこの先どう進んでいくのかを独自の映像で表現しようとしていました。編集では映像を重ね合わせ融合することで、ふたつの世界を同時に描き出すといいます。



実は一人でロケのほとんどをこなす手塚さんの撮影スタイルは、学生のときから変わっていないそうです。もちろん『ばるぼら』のような規模の大きな劇映画を撮るときには、当然スタッフの人数は多くなりますが、ふだん手掛けている実験映画の多くは、このスタイルで撮り続けています。

撮影はあくまで“素材集め”にすぎず、編集に一番力を注ぐ――
それは手塚さんに思いを託した大林監督と同じで、手塚さんは自らを「編集で作る監督」と称しています。きっと大林監督も「手塚くんの映画は自分に似ている」と感じてくれていたのではないか――いま手塚さんはそう思いを巡らせています。

嬉々として撮影を続ける手塚さんを見ながら、わたしも学生時代に8ミリカメラで自主制作映画を撮っていた頃を思い出しました。ずっと忘れていたような大切なものがこみ上げてくる感覚、そして心の底から“映画を愛する気持ち”をその日の手塚さんの姿から強く受け取った気がしました。

新型コロナと生きるという“非日常”がもはや“日常”になり、先の見えない時代を誰もが生きる今。これほど映画作家として描くべきテーマが浮き彫りになってくる時代もないのではないでしょうか。時代が厳しさを増す中で、自分の中にあるヴィジョン(心の風景)を視覚化し、世界にヴィジョン(あるべき像)を示し続けてきたヴィジュアリスト・手塚眞が伝えようとしてきた思いが、半年に渡る取材を通じて、より切迫感を伴って迫ってくるような感覚をおぼえています。




あなたの身近で起こっている文化・芸術にまつわる課題について、教えてください。
現場で生まれた声を取材し、少しでも多くの人に届けます。


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#映画#手塚眞#ばるぼら
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2020年11月16日
舞台芸術のスタッフを支える「未来につなぐ基金」
バレエやミュージカル、演劇などの「舞台芸術」。ステージに出演する人だけでなく、舞台裏を支える何十人、何百人ものスタッフが力を合わせて1つの作品を作り上げます。新型コロナウイルスの影響で多くの公演が中止・延期になったことで、仕事がキャンセルになる関係者が相次ぎ、業界全体が深刻な打撃を受けました。舞台芸術の灯を絶やさないため、新たな「基金」を立ち上げて関係者を支え続けようという試みが始まっています。
(取材:クローズアップ現代プラス ディレクター 板橋 俊輔・前田 陽一)


公演キャンセルが続出…舞台芸術支援のための「基金」を設立

7月28日放送 クローズアップ現代プラス「劇団四季 終わりなき苦闘 ~密着 再開の舞台裏~」より

舞台芸術の活動に大きく影を落とした新型コロナウイルス。「クローズアップ現代プラス」ではことし7月、「劇団四季」再開までの日々に密着した番組を放送しました。団体の大小にかかわらず、舞台芸術に携わる人々の苦悩は今も続いています。

舞台芸術とは、舞台やある空間上で行われる芸術のことを指します。オペラやバレエ、舞踊や演劇、日本伝統の歌舞伎や能、狂言など幅広いジャンルで、公演のキャンセルや延期が余儀なくされました。その結果、出演する俳優だけでなく舞台裏を支える照明や音響、大道具を担当する人などの仕事が失われることになりました。

こうした舞台芸術に携わる人を救おうと、ことし4月、あるプロジェクトが始まりました。
それが「舞台芸術を未来に繋ぐ基金」――活動を休止せざるをえなくなった舞台芸術の関係者に、今後の活動に向けた資金を援助し続けるための「基金」を新たに作ろうというものです。


「恒常的な支援の仕組みを」 基金設立の背景

「舞台芸術を未来に繋ぐ基金」ウェブサイト

基金を企画した1人が舞台芸術のプロデューサー・宋 元燮さんです。映像作品や舞台の企画を手がけてきましたが、ことし2月、新型コロナの影響により自身が手がける公演の中止を迫られました。そのときは「無観客の公演をオンライン配信する」ことでなんとか作品を届けることができましたが、周囲でも次々と公演が中止や延期に追い込まれているのを見て、何か手を打たなければいけないと考えるようになりました。
当時の自身の心境を宋さんがSNSに残していました。

”我々が我々自身(演劇やアート)を社会的に必要な文化であると謳うのであれば、我々にもそれに足る信用が必要であり、それに該当するだけの自助努力が必要なのではないかと思います。 (中略)
食べていくための工夫、知恵を出しながら、生き残った人たちでまた立て直す、もしくは皆んなで生き残るなら、やはりまずは自らできる事を考える、今がそのよきタイミングではないかと思ったりします”
(宋さんのFacebookより)


舞台芸術のプロデューサー 宋 元燮さん
3月 自身の思いをFacebookにつづっていた

もともと収益が不安定だった演劇業界ですが、宋さんはこれを機に「自分たちの業界を自分たちの手で建て直したい」と思うようになりました。
宋さんが大切にしたのが、一時的な取り組みではなく業界の未来に向けての布石とすること。そして、有名/無名、舞台の表に出る/裏側で仕事をする、などに関係なく演劇に関わる全ての人たちを支援することでした。そこでたどり着いたのが、海外の舞台芸術でよく見られる「寄付」を募る仕組みでした。

「conSept」舞台芸術プロデューサー  宋 元燮さん
「ロンドンのナショナルシアターでは新型コロナの感染が拡大した4月、休止になった公演の代わりに過去の舞台を無料で配信していました。そのとき同時に、寄付を募っていたのが印象的でした。日本ではまだ寄付の文化は根付いていませんが、海外では寄付をすることは受け入れられています。『日頃楽しんでいる文化・芸術が苦境に立たされているから助ける』ことがごく自然に行われていたのだと思います」

舞台芸術のプロデューサー 宋 元燮さん

海外の一部の国では、芸術に対する公的支援が充実し、かつ市民の間でも寄付の文化が定着しています。折しも、宋さんの舞台のファンからも「何か舞台のためにしたいけど、何をすればいいかわからない」という声が寄せられていました。

「conSept」舞台芸術プロデューサー  宋 元燮さん
「舞台の公演が次々と中止・延期されていく中で、舞台芸術を愛する人たちの中で『このまま舞台が活性化しないと自分たちにいずれ、返ってくるのではないか』という思いを抱いてくださった方が多かったのだと思います」


継続して寄付を募り舞台芸術を支える「基金」に

「舞台芸術の未来を繋ぐ基金」の仕組み

宋さんたちが目指したのは寄付で集まった資金を「基金」にし、関係者に「助成」という形で支援することでした。一時的な寄付では継続して支援することができないからです。企業経営などに携わる知り合いにも相談し、宋さんたちは基金の企画までを手がけ、実際の基金の管理は、法律で認定を受けた公益財団法人に委託することにしました。こうすることで寄付をする側も安心して寄付をすることができ、寄付したお金は税制優遇措置の対象になるメリットが生まれます。

基金の仕組みが整ったことで、宋さんたちは最初の“呼び水”となる寄付の募集を、知名度のあるクラウドファンディングを使って行うことにしました(※)。関係者や知り合いに協力を呼びかけ、4月末、ついにプロジェクトが始まりました。

(※通常のラウドファンディングは出資額に応じてリターン《お返し》がありますが、宋さんたちは「領収書のみ」をリターンにすることで、寄付と同じ形を取りました)


応募者の半数以上が舞台芸術の裏方


YouTubeなどを活用して基金のあり方をオープンに議論

「基金」はSNS上で大きな反響を呼び、最初の3日間で1千万円を超える寄付が集まりました。さらに宋さんたちはYouTubeやSNSを活用し、舞台芸術に関わる人たちにそれぞれの立場で現状を語ってもらい、質問や意見を募るなどして、基金のあり方についてオープンに議論する場を用意しました。その結果、高校生から企業の経営者まで多くの人が寄付をしたり、基金に賛同してくれたのです。

一方で基金には、苦境におちいった舞台関係者から「支援を受けたい」という申込みが次々と寄せられました。集まった寄付を少しでも早く届けるため、6月には1回目の助成が始まりました。資金には限りがあるため、様々なジャンルの舞台芸術関係者からなるメンバーが審査を行って、支援先を決めることにしました。公平性を保つため宋さん自身は審査には加わりませんでした。

審査の結果75人の個人事業者に1人30万円ずつ、9つの団体や企業に100万円ずつを助成することが決まりました。半数以上の56%は舞台を「裏」で支えるたちでした。

「conSept」舞台芸術プロデューサー  宋 元燮さん
「最終的(8月末)に約1500人から助成の申し込みがありました。一番多かったのはミュージカルや演劇の俳優でした。それ以外にも音響や舞台照明、伝統芸能に関わる方など・・・様々な人たちから応募があったと、審査員から聞いています」


基金の助成を受けた照明スタッフに話を聞いてみた

舞台照明を担当している坂本幸子さん 基金に申し込み助成を受けた

実際に基金の助成を受けた舞台関係者の人たちは、どのような状況に置かれていたのか。「舞台照明」を担当している坂本幸子さんにお話を伺いました。

坂本さんは照明技師として20年以上のキャリアを持つベテランです。いまはフリーランスとして京都を中心に小劇場の演劇やダンス、バレエ、日本舞踊など幅広い現場で活動しています。舞台をどのような照明で照らすかのプランをつくり、本番は照明の操作を担当します。

新型コロナの影響でこれまでにない危機に直面したといい、オンラインでの取材にスケジュール帳を見返しながら答えてくれました。
ことし2月、1つの公演がキャンセルされた時点ではまだ危機感はなかったそうです。しかし3月に入り、予定していた舞台の公演が全てキャンセル。京都の春を彩る花街の「をどり」の公演も全て中止や延期となりました。例年はゴールデンウィークまで休みがないくらい忙しかったのが、全部なくなってしまいました。

舞台照明 坂本幸子さん
「春の時点で、6月ごろまでの仕事はすべてキャンセルになってしまいました。こんなことは初めてで、ショックを受けました。同業者や知り合いともオンラインで話しましたが、中には気分が落ち込んでしまったという人の話も出たりと、先の見通しがまったく立たず、不安でした」


11月になり少しずつ仕事の依頼が来るようになったという坂本さん

毎年決まった時期に行われる舞台やイベントの仕事は、本番の半年前からスケジュールが埋まります。ところが業界の慣例で契約書を取り交わしていないことも多く、キャンセル料が支払われることも少ないと言います。収入が途絶えた坂本さんは国の持続化給付金なども申請しましたが、SNSで宋さんたちの「基金」を知り、すぐに助成を申し込みました。演劇関係の仲間たちにも情報を共有しました。

舞台照明 坂本幸子さん
「本当にありがたかったです。舞台芸術に携わる人は、本番の公演がなくなると、その前の準備も含めて仕事がなくなります。自粛期間中、新しい機材の勉強などもしていましたが、それでお金が稼げるわけではありません。この基金のおかげで少し前を向くことができました」

坂本さんは、延期した公演の打ち合わせにかかる交通費や、公演のオンライン配信を手伝うためにかかる費用などに基金で助成されたお金を充てることにしました。また少しでも街を元気にしようと、舞台だけでなく飲食店の”ブルーライトアップ”なども行っています。

舞台照明 坂本幸子さん
「11月には急なイベントの仕事も入り、なんとか仕事をすることができています。また、少しずつ公演は再開してきています。今の時期には来年3月頃までの仕事がぎっしり入っているのが、これまでの当たり前でした。まだ先行きはみえませんが、自分にできることをやっていきたいと思います」



飲食店を青い照明で照らす”ブルーライトアップ”


新型コロナを機に舞台芸術の業界構造を見直す

クラウドファンディングを使った最初の寄付の呼びかけは、最終的に総額5600万円を集めることができました。6月の第1回に続き11月には2回目の助成が決まり、新たに51人の個人事業者と3つの団体に助成が行われました。

基金を立ち上げた宋さんは、今回の危機を「自分たち」舞台芸術の置かれた状況や業界の構造を、見直す機会にしたいと考えています。

「conSept」舞台芸術プロデューサー  宋 元燮さん
「自分たちのやっている舞台芸術が社会に必要とされている『文化』として認識されているかどうか、私に限らず、多くの人がこの危機を機に、感じたと思います。新型コロナはこれまで当たり前になっていた慣例などを見直す機会にもなったと思います。関係者だけでなく、舞台を支えてくれる大切なファンとの関係も見直し、今後の「基金」の活動を広げていきたいと思います」


※11月17日 修正
最終的に基金への助成があったのは、3800人約1500人でした。 失礼いたしました。



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現場で生まれた声を取材し、少しでも多くの人に届けます。


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- 劇団「俳優座」の挑戦 歴史ある劇団×クリエイターで演劇を”オンライン配信”
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2020年11月13日
劇団「俳優座」の挑戦 歴史ある劇団×クリエイターで演劇を”オンライン配信”
新型コロナウイルスの影響で、公演の延期や中止を余儀なくされた演劇業界。
先週(11月6日)も神戸市内の劇団員8人の感染が確認されるなど、現場では緊張が続いています。
そうした中、多くの劇団が活路を見いだしているのがオンラインでの配信です。「家にいながら観劇ができる」として急速に普及が進んでいます。
そのオンライン配信に今月、76年の歴史を持つ劇団「俳優座」が初めて乗り出すことになりました。最新の映像技術を持つ企業と連携し、新たな一歩を踏み出した「俳優座」の挑戦を取材しました。
(取材:「クローズアップ現代プラス」ディレクター 板橋俊輔)


80年近くの歴史をもつ劇団「俳優座」を直撃した新型コロナ 

劇団「俳優座」ウェブサイト

劇団「俳優座」は1944年に結成された国内でも歴史のある劇団の1つで、俳優の養成学校も抱え多くの名優を輩出してきました。西欧の近代演劇から影響を受け、明治時代以降国内で発展してきた「新劇」と呼ばれる演劇が専門です。東京での劇場公演のほか、地方の劇場での出張公演なども行ってきました。しかしことしは新型コロナの影響で、劇団が主催・運営する多くの公演が延期や中止を余儀なくされました。

かろうじて上演にこぎつけた公演も客足は伸び悩みました。その背景のひとつがファンの高齢化が進んでいることでした。伝統ある劇団を支えてきたのは、長年劇場に足を運んできた根強いファンたち。地方から足を運んでくれるファンも少なくありませんでした。しかし、コロナ禍でそうした人たちの足が遠のき、俳優座は苦境に立たされることになったのです。

新型コロナが劇団の現状を見直すきっかけに
専門家による俳優座の劇場の換気量調査  換気が十分されている環境だとわかった

俳優座では、最新作の公演を11月に行うことを決め、専門業者に依頼して劇場を消毒したほか、空気環境を検査する専門家による換気量の調査を実施。さらに、客席は100席から70席に減らし、出演するキャストや裏方のスタッフ全員のPCR検査も行いました。

その一方で劇団員の中には「これまで通りの劇場公演を迎えていいのか」という思いを抱く人もいました。11月の作品に出演する若手俳優の谷部央年さんは、新型コロナを機に俳優座が置かれた状況を冷静に見直すようになったと言います。

劇団「俳優座」 俳優 谷部央年さん
「先人達が築いてきた重厚な社会派の作品は、熱意のあるお客さんに支えられています。その客足が落ちているのを感じてきました。『俳優座』という名前は知ってるものの、劇場に足を運んだ人が、今では少ないのではないでしょうか。新型コロナを機に、これまでのお客さん、そして新しく演劇と出会う未来のお客さんのために何ができるかを考えるようになりました」

そこで谷部さんが注目したのが、感染が拡大する中で広がったオンライン配信でした。多くの劇団が配信を始める中、俳優座の公演もオンライン配信することで、家にいながらも観劇ができる環境を整えられないか考えたのです。
しかしなんと言っても演劇の醍醐味は、劇場に足を運んで見る臨場感です。実はこれまでも、オンライン配信について話は挙がっていたものの、最後の一歩を踏み出せずにいました。谷部さんは劇団内で丁寧に説明を重ね、作品のオンライン配信の実現にこぎつけたのです。

劇団「俳優座」 俳優 谷部央年さん
「新型コロナは演劇業界にとってチャンスではないかと思いました。『コロナだからしかたない』ではなく、『コロナだからやってみよう』と気持ちを切り替えて、配信への理解を呼びかけました。演劇の灯を消さないために、と思いを共有するうちに理解を得ることができました」



連携したのは最新の映像技術を操るクリエイター

左:「俳優座」の俳優 谷部央年さん  右:映像プロデューサーの赤津慧さん
共通の趣味である音楽がきっかけで知り合いに

谷部さんは舞台に出演する俳優と、オンライン配信を担当する裏方の二足のわらじをはくことになりました。
配信に向けて協力を求めたのが、以前から知り合いだった映像プロデューサーの赤津慧さんです。赤津さんは花火大会のライブ配信から、最新のVR/AR技術を用いたバーチャルYouTuberの映像制作まで、国内外で様々な映像を手がける会社の代表を務めています。舞台芸術である歌舞伎のオンライン配信も経験しています。 谷部さんの話を聞いた赤津さんは、俳優座の硬派な社会派の演劇をオンラインで伝えることにやりがいを感じたと言います。

映像配信などを手がける「CHET Group」CDO(最高開発責任者)  赤津慧さん
「お話をいただいたとき、演劇と映像の相性は悪いはずはないだろうと思っていました。新型コロナで演劇の配信が普及する一方で、中には舞台をただ固定で撮影するだけの配信も目にしました。俳優座の迫力ある演劇の魅力をどう伝えるか、工夫が必要だと感じました」


演劇をオンラインで配信 息づかいや臨場感をどう表現する?

撮影当日の準備の様子(写真提供:CHET Production)

演劇の持つ臨場感や迫力を損なわずに、オンラインで配信をするにはどんな映像がふさわしいのか。赤津さんは谷部さんと打ち合わせを重ね、稽古場も見学しました。派手なカメラワークや編集をほどこすと、テレビのドラマのようになってしまうと感じる一方、単純に舞台を映すだけでは、演劇の“没入感”が失われてしまう――赤津さんたちはその絶妙なバランスを意識した映像表現が必要だと感じました。

考えた結果、赤津さんと谷部さんが選んだのは、演劇を収録して編集した上で配信することでした。ライブ配信をする劇団も多い中あえて収録にしたのは、ネット回線のトラブルで臨場感が損なわれるのを避けるのに加え、「時間や場所を気にせず見られる」ようにすることで、新しいお客さんを獲得するのが目的でした。

映像を編集する際に心がけたことは「上映時間と同じ時間での制作」と「迫力のあるカメラワーク」。通常、テレビドラマなどでは、放送時間の関係で台詞の“間”や余分なシーンをカットして編集を進めていきます。今回は演劇の持つ緊張感や台詞のない静けさなどを損なわないように表現するため、演劇の公演時間にあわせた編集をすることにしました。
それに伴い、カメラワークにも工夫をこらしました。見ている人がその場で観劇をしているような迫力が出せるよう、そして見ている人を飽きさせぬよう、登場人物一人一人の表情や仕草が伝わるような撮影方法を心がけたと言います。そのために、稽古にも足を運び、どのようなカットを撮影するかを細かく設計。高画質のカメラで撮影し、カラーグレーディング(色調整)においても、作品の持つ世界観を意識して編集しました。

映像配信などを手がける「CHET Group」CDO(最高開発責任者)  赤津慧さん
「演劇の魅力である“生”の感覚や、撮り直しをしない“一発勝負”の緊張感や熱量を大切にしたいと思いました。また、谷部さんと話して、これまで劇場に通っていたお客さんだけでなく、新しく観劇する人にも演劇の魅力に入り込んでもらいたいと思いました」

初めての挑戦に期待 「演劇の灯を消さないために」

演劇のオンライン配信の映像 (写真提供:CHET Production)

先週(11月6日)、俳優座の最新作「火の殉難」の公演が始まりました。公演期間はおよそ2週間。足を運んでくれるお客さんのために最初の1週間は劇場公演のみを行い、11月13日からオンラインの配信のチケット販売が始まりました。

通常の観劇料金は5500円であるのに対し、配信のチケットの料金は3000円プラス手数料。ここでも、初めて観劇する人に向けて少しでも敷居を低くする目的があると言います。実際の配信は今月末から1週間。まだ結果がどうなるかはわかりませんが、俳優座にとっての初めての一歩に、谷部さんは期待を寄せていると言います。

劇団「俳優座」 俳優 谷部央年さん
「慎重に慎重を重ね、『俳優座』という先人たちが積み重ねてきた歴史、日本の演劇をリードしてきたパイオニアの名に恥じぬよう、最善の対策を尽くしてきました。 これまで俳優座をご覧になったことのない方々に寄り添うことができるかもしれない、 また、重厚な社会派作品をいま、このタイミングにぶつける意義を感じていただきたいと思っています。文化は我々を元気づけることはもちろん、生きるヒントを与え、考えさせてくれるものであるということを、劇場と配信の両方で、ひとりでも多くの方と共有したいと思っています」

新型コロナを機に変化を迫られる伝統の文化や芸術。「俳優座」と同じく歴史のある劇団「文学座」も今月、初めて舞台のライブ映像の配信を実施しました。
取材をする中で、俳優座の谷部さんが語った「コロナだからこそやってみよう」という考えは、演劇業界に限らず、文化・芸術が生き残るために大切な思いだと感じました。
新型コロナの影響で苦しい現状が続く中、伝統や歴史をどう変えていくのか、今後も取材をしていきたいと思います。



あなたの身近で起こっている文化・芸術にまつわる課題について、教えてください。
現場で生まれた声を取材し、少しでも多くの人に届けます。


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-南の島のミニシアター 新型コロナで休館、そして“再起”へ
#演劇#劇団#配信
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2020年10月23日
南の島のミニシアター 新型コロナで休館、そして“再起”へ ――石垣島で愛された映画館の半年
新型コロナウイルスの影響により、苦境に立たされるミニシアター。中には感染拡大により、休館に追い込まれたところもありました。日本最南端のミニシアター、石垣島の「ゆいロードシアター」もその1つです。島で唯一の映画館は休館から半年、新しい形で再起し、少しずつ映画の上映を再開しています。島内外の人から愛されたミニシアターの半年間を取材しました。
(取材:「クローズアップ現代プラス」ディレクター 藤原和樹・板橋俊輔)


島のミニシアターを襲った新型コロナ

石垣島で唯一の映画館だった「ゆいロードシアター」

島と島を結ぶフェリーが行き交う石垣島の港から歩いておよそ5分。ここに石垣島で唯一の、そして日本最南端のミニシアター「ゆいロードシアター」があります。
およそ5万人が暮らす石垣島には戦後多いときに4,5か所の映画館がありましたが、2009年を最後に島の映画館は閉館。その後、10年近く石垣島には映画館がありませんでした。
2018年8月、島唯一の映画館として誕生したのが「ゆいロードシアター」。開館からおよそ1年半、ようやく島民に新しい映画館として受け入れられていた矢先に、島を襲ったのが新型コロナウイルスでした。

2月ごろから自粛ムードが高まり、映画館からは目に見えて客足が遠のいていきました。映画館側も「島内で何かあってはいけない」と危機感を募らせていたところ、全国各地のライブハウスや劇場でクラスターが発生。石垣島ではまだ感染が拡大していなかったものの、“閉ざされた空間”として、映画館にも世間から厳しい目が向けられるようになりました。

そして4月11日の上映を最後に、「ゆいロードシアター」は長期休館(再開未定)という苦渋の決断を下しました。映画館の立ち上げから参加し、作品の上映を担当していた竹内真弓さんは、当時を振り返ると悔やしさがこみ上げてくると言います。

「ゆいロードシアター」元スタッフ  竹内 真弓さん
「正直なところ、コロナ前からミニシアターの運営は自転車操業で大変でした。運営側で話し合って、島の皆さんの命が大事だし、映画館側で責任はとれないという話になりました。もちろんその通りだと思いましたが、すごく悔しかったです。1年半、頑張ってきたのに・・・という思いはありました」

島に映画館があることの意味 「誰かの居場所に」
「ゆいロードシアター」で映画上映などを担当した竹内真弓さん
常連客だった宮良麻奈美さんとともに「ゆいシネマを守る会」を立ち上げる

竹内さんは新潟県出身。以前は沖縄本島に住んでいましたが、このミニシアターが開館するタイミングで石垣島に移住しました。開館前には沖縄本島の映画館で劇場経営の“修行”を積むなど、島のミニシアター立ち上げに深く携わりました。

石垣島は伝統芸能が盛んではあるものの、誰もがふらっと訪れて芸術や文化に触れられる場所がほとんどありませんでした。幼い頃から映画館が身近な所にあった竹内さん。そういった文化に触れる場に、映画館がなってほしいと考えたのです。そして、島の人や、自身のように島外から移り住んできた人、観光で訪れた人にとっての居場所となるような空間を目指していました。

竹内 真弓さん
「島では“ゆいまーる”(※沖縄の言葉で相互補助や助け合いの意味)の精神で、みんなで助け合い、仲良くする慣習があります。ただ、1人になりたい人はどこに行くんだろうという思いもします。そういう人もふらっと一人で来られる場所って大事なのではないでしょうか。学校に行きたくない子どももいるだろうし、そういう子が図書館とか以外にも行ける場所があったらいいのに、それが映画館でもいいんじゃないかと私は思います」

たくさんの「続けてほしい」の声から始まったクラウドファンディング

2020年4月12日に休館を発表した「ゆいロードシアター」

「ゆいロードシアター」が閉館を発表した直後、ミニシアター界に大きな動きがありました。以前の記事でもお伝えしたSAVE the CINEMAプロジェクトや、ミニシアターを救うためのクラウドファンディングが始まったのです。プロジェクトのメンバーから「ゆいロードシアター」にも声がかかりましたが、すでに閉館を決めた後だったので、プロジェクトに参加をすることはできませんでした。

こうした活動をSNS上で見ていた竹内さん。「上映を続けてほしい」という声も後押しとなり、なんとか石垣島で上映を続けたい、新しい形で“再起”をしたいという思いから、ミニシアターの常連だった宮良麻奈美さんとともに「ゆいシネマを守る会」を立ち上げ、独自にクラウドファンディングを始めることにしました。

元々ミニシアターがあった物件は家賃も高かかっため、まず目指したのは小規模な上映会を行うことでした。そこで必要な機材の購入や上映会開催の料金に充てるため、200万円を目標額にクラウドファンディングを始めました。

島のミニシアターに思いを寄せる映画監督も

塚本晋也監督

クラウドファンディングが始まり、竹内さんたちの大きな支えとなったのが、映画監督の存在でした。ゆいロードシアターの休館が決まったことで、予定されていた上映ができなくなった作品の監督から、心配する声が寄せられたのです。その一人が、SAVE the CINEMAプロジェクトの呼びかけ人でもある、塚本晋也監督でした。

2015年に太平洋戦争の凄惨な戦場を描いた「野火」を制作した塚本監督。全国のミニシアターを行脚し、「野火」を“手渡し”で届けようと観客とのトークショーを行いました。それぞれのミニシアターが、独自の価値観で映画を選び、地域に文化を届けようとしている姿に胸を打たれたと言います。

映画監督  塚本 晋也さん
「ミニシアターでやる映画は、大勢のお客さんは見ないかもしれません。あまり多くないお客さんが、普通は見られない、文化の多様性みたいなものを知ることのできる場所です。これは絶対に欠かせないものであり、自分のような映画づくりをしている者にとっては、その場所がなければ映画を発表する機会がないので非常に大事です。新型コロナが感染拡大したとき自分の心配もありますが、最初に浮かんだのは、映画館がどうなっちゃうんだということでした」

ゆいロードシアターも、かつて「野火」が上映された劇場の一つ。「毎年終戦記念日あたりに上映してほしい」という塚本監督の思いを受け、竹内さんたちはことしも作品を上映するはずでしたが、映画館は休館となり、ゆいロードシアターでの上映は叶いませんでした。

再起に向けたクラウドファンディングが始まり、先行きがまだ見えない中、塚本監督はじめ上映が休止となった映画監督から励ましのメッセージが届いたと言います。

竹内 真弓さん
「去年の上映の際、まだ未熟なミニシアターだった私たちにも塚本監督は親身に接してくださったことがとても嬉しかったことを覚えています。4月、5月と暗い気持ちで日々を過ごす中、メッセージを寄せて親身に励ましてもらい、とても感謝しています。他の映画監督もSNS上で情報を広げてくれて、ちょっとずつ“縁”が広がっていくのを感じました」

映画を見る“場”を提供 他の島に出張上映も

「ゆいシネマ」として再開した上映会 会場は石垣島内のジャズバー

SNS上での呼びかけや映画館の常連客などによるチラシの配布などが功を奏し、竹内さんたちはクラウドファンディングで、島内外から目標額を上回る310万円の支援を集めることができました。

9月、生まれ変わった「ゆいシネマ」は初めての上映会を行いました。上映したのは、「ゆいロードシアター」の休館により、公開を見送っていた2作品。そのうちの1つは塚本監督の「野火」でした。


「ゆいシネマ」として再開後の上映会では塚本晋也監督の「野火」が上映
上映前には塚本監督のビデオメッセージも

“密”を避けるため、人数制限を設けて上映回数を複数に分け、予約制を取りました。2日間で来場したのはおよそ100人。毎回、ほぼ満席での上映でした。

竹内 真弓さん
「ゆいロードシアターに通っていたお客さんが『待ってました』『再開おめでとう』と声をかけてくれたのがうれしかったです。映画を見るという感覚を共有して、皆さんが映画のメッセージを受け取って、ちょっと違う顔で上映後に出て行く姿を見るのが、映画を提供する側の醍醐味です。改めて、こうした“場”があることは大事だと思いました」

今回、竹内さんたちが上映の場に選んだのは、石垣島内のジャズバーでした。この場所を選んだ背景には、コロナ禍で同じく苦しむ飲食店の人と協力したいという思いがあるからだと言います。島には自営業で飲食店を営んでいる人も多く、コロナ禍のいま、大きな打撃を受けています。そこで、映画を上映する“場”として、店側にもメリットがある形で、新しい映画を見る“居場所”を作ろうと考えました。

映画館という場にこだわらず、新しい映画上映のかたちを模索する「ゆいシネマ」。 11月には八重山諸島の一つ、波照間島の飲食店での“移動上映”を予定しています。

竹内 真弓さん
「映画上映の場を提供することは、体験の提供だと思っています。映画、演劇、ライブはお客さんも含めて完成する総合芸術です。客同士の顔が見えて、その場に一緒にいるという空間が大事だと思います。足を運んだ場所に魅力があるとか、雰囲気が好き、映画館に行っている自分が好きとか・・・それぞれのお客さんが価値を見いだせるミニシアターや映画館など映画上映の“場”は、なくならないでほしいと思います」


▼新型コロナで浮き彫りになった業界の課題
▼コロナ禍が続く中、今後どのように活動をしていくのか ・・・など


あなたの身近で起こっている文化・芸術にまつわる課題について、教えてください。
現場で生まれた声を取材し、少しでも多くの人に届けます。
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#映画#ミニシアター
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2020年10月16日
「SAVE the CINEMA」から半年 ミニシアターはいま《後編》
新型コロナウイルスの影響で、苦境に立たされる映画業界。中でも小規模な映画館「ミニシアター」は、休業に追い込まれるほどの打撃を受けるところもありました。こうした映画館を救おうと、ことし4月「SAVE the CINEMA」の運動が始まり、一大ムーブメントを起こしました。
あれから半年――いまも先行きが見えない中、「SAVE the CINEMA」のメンバーはミニシアターを救う“次の一手”のため、再び国へ働きかけることにしました。一方、若手の映画関係者たちはミニシアターを少しでも盛り上げたいと、別の道を模索しています。《前編》に続き、ミニシアターをめぐる最新の状況を取材しました。

記事の《前編》はこちら
(クローズアップ現代プラス ディレクター 板橋俊輔)

映画を救うための“次の一手” 再び国に要請へ

10月14日 文化庁に要望書を手渡す映画監督の諏訪敦彦さん


10月14日、「SAVE the CINEMA」プロジェクトをめぐり、新たな動きがありました。記事の《前編》でもお伝えした、文化庁による支援事業。その改善のために「SAVE the CINEMA」が再び、国に要請を行うことになったのです。

560億円超の予算が組まれた、文化庁による「文化芸術活動の継続支援事業」。現場の期待とは裏腹にミニシアターや映画の関係者の間では、“使い勝手の悪さ”を指摘する声が相次いでいました。申請の募集要項が難解であり、必要な書類を揃えて提出しても、申請内容や書類に不備を指摘されて何度も突き返されたという声や、いざ申請書類を提出しても審査時間が長く、すぐに必要なことに支援が使えないという声が後を絶ちませんでした。さらに、給付型ではなく、必要な経費は自己負担をした上で補助を受けるという制度の仕組みそのものも、厳しいハードルとなりました。いまの苦境を持ちこたえるための運転資金が足りないという切迫した映画関係者の中には支援の申請を見送る人もいました。

そこで今回、支援の使いづらさを指摘する声を同様にあげた音楽業界や演劇業界とともに、セーブザシネマは支援事業の改善を求めることにしたのです。


映画・音楽・演劇の3業界が提出した要望書に掲げられた9点の改善項目


要望書の項目は「事業の実施期間の来年3月31日までの延長」や「煩雑な申請の簡略化」、「事業の対象の条件の見直し」など、9つに上りました。その中には、多くの関係者が望んでいた自己負担をなくした定額補助、つまりは運転資金など喫緊の危機に対応するため、身銭を切らなくて済む“給付”を求める項目もありました。
趣旨に賛同した超党派の議員連盟も立ち会って行われた要望書の提出。終了後、記者会見が開かれました。
「まだ切迫感が伝わっていないのでは・・・」

要請後、3業界による記者会見が開かれた


新聞社やテレビ局、ウェブメディアなど20社以上が集まった記者会見。要請をした手応えについては決して、満足のいくものではなかったと言います。

「SAVE the CINEMA」メンバー/弁護士 馬奈木 厳太郎さん
「文化庁側はまだまだ文化・芸術の人が置かれた現状を把握しておらず、切迫感を感じていないという印象を受けました。」

同時に、会見では業界の窮状についても報告がありました。中には、「最近では、閉館を考えているというミニシアターの声もちらほら耳に入ってきている」というショッキングな話も現場から寄せられていると言います。「SAVE the CINEMA」をはじめ3つの業界では、文化庁の動向を見ながら、引き続き働きかけをしていくとしています。

「SAVE the CINEMA」メンバー/弁護士 馬奈木 厳太郎さん
「一度支援事業があったら、これで終わりというわけではありません。この危機は来年度も続くことが予想されるため、来年度予算に支援を盛り込んでもらうことも含めて、メンバーでスピーディーに検討していきたいと思います」


「SAVE the CINEMA」メンバー/弁護士 馬奈木 厳太郎さん


動き出した若手の映画監督たち SAVE the CINEMA “movement”
この先、ミニシアターはどうなるのか――
取材を続けると、このコロナ禍を機に映画関係者がつながることで、ミニシアターを盛り上げるきっかけにしようとする団体と出会いました。

「新型コロナを機に、逆に“ミニシアターに行ってみよう”と思ってくれる人を増やしたい」
苦境に立たされたミニシアターの取材を続ける中、前向きな言葉を語った2人の映画関係者。映画プロデューサーの雨無麻友子さんと、脚本家・映画監督の上村奈帆さんです。2人は、「SAVE the CINEMA」プロジェクトと提携する団体、「SAVE the CINEMA movement(以下、movement)」のメンバーです。


Instagramなどを活用してミニシアターの魅力を伝えるSAVE the CINEMA movement


「movement」は20代~30代の若手の映画監督や俳優、プロデューサーなど10数名が中心となり、ミニシアターににぎわいを生むための活動をしています。新型コロナウイルスの影響で、ミニシアターの危機が叫ばれた3月末に有志が集結。その後、協賛企業もつき、今では100名ほどのボランティアも参加して活動しています。メンバー間の連絡の手段はほとんどがLINE。この半年間、スピード感を持って活動を続けてきました。

なぜ、ここまで多くの“若手”がミニシアターのために動き出したのか――その背景には、若手映画監督とミニシアターの深いつながりがあると上村さんは言います。シネコンと違って独立した経営をするミニシアターでは、支配人が上映作品を選びます。 中には、まだ駆け出しの若手監督を応援しようと声をかけてくれるミニシアターもあり、それが自身の作品を世に送り出すきっかけの場となっています。感染拡大が日に日に深刻化していった今年の春、SNS上には若手の映画関係者の間で「何か自分たちにできることはないのか」という声があがるようになったと言います。

「SAVE the CINEMA movement」メンバー/脚本家・映画監督  上村奈帆さん
「若手の監督や制作者にとって、『これを上映したい』とミニシアターに選んでもらえるのはとてもうれしいことです。こうしたつながりは、ミニシアターにしかない貴重なものです。だからこそ、『このままだとやばいんじゃないか』『いま何か出来ることがないか』と何もせずにはいられず、若手の映画関係者が一斉に声をあげたのだと思います」

「新型コロナを機に若い世代にもミニシアターへ」


マップやスタンプラリー・・・ミニシアターに足を運んでもらう取り組みを次々と打ち出してきた


ミニシアターへの資金面での支援はクラウドファンディングが同じ時期に進んでいたため、「movement」が目指したのは長期的にミニシアターを支えることでした。新型コロナの影響による入場制限などがなくなり、再び映画館に足を運べるようになったとき、これまでミニシアターに馴染みのなかった新しいファンを獲得するための取り組みを始めたのです。ミニシアターは65歳以上のシニア層に支えられてきたところが多く、今回「movement」は若い世代へのアピールを意識しました。

例えば、全国のミニシアターに呼びかけて制作を始めたミニシアターマップ。各館の情報や特徴を劇場のスタッフに寄せてもらい、日々情報を更新しています。また、9月からは何度もミニシアターに足を運んでもらおうと、全国60館以上と協力してミニシアタースタンプラリーを開催。さらに、映画のレビューサイトや“インスタグラマー”と連携して、Instagram上でお勧めのミニシアターのことを、ハッシュタグを付けて投稿してもらうなど、発信にも力を入れてきました。こうした取り組みに参加している様子がSNS上で徐々に投稿されるようになり、ミニシアターへの関心が少しずつ広がっていることに2人は手応えを感じていると言います。

逆境が生んだ横のつながり 新型コロナを機に“声をあげていいんだ”


映画のレビューサイトやインスタグラマーとSNS上で連携 寄せられた投稿はシェアされて関心を広げている


これらの試みが生まれた背景には、これまでになかった“横のつながり”が生まれたことがありました。これまでは若手の映画関係者の間でも、なかなか知り合い以外との横のつながりはありませんでした。ところが新型コロナの感染が拡大する中で、強い思いを共有した仲間が連携し、「movement」の動きにつながっていったと言います。

「SAVE the CINEMA movement」メンバー/映画プロデューサー 雨無麻友子さん
「感染拡大の中で、『私も声をあげていいんだ』というポジティブな雰囲気が若手の映画関係者の間で生まれたように思います。一人だと、ふだんはなかなか身動きが取れませんでしたが、今後はさらにいろいろな団体やプロジェクトと連携して、若い世代にもミニシアターの魅力を伝えていきたいと思います」

スタートから半年、「SAVE the CINEMA」の活動はまだ続くと語ったメンバー。少しでもミニシアターの力になりたいと動き出す関係者が増えていることは、新たな希望にもなると、取材をしていて感じました。
引き続き、ミニシアターを取り巻く状況や、再起のために立ち上がる人々を取材し続けていきたいと思います。

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#映画#ミニシアター#SaveTheCinema
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2020年10月9日
武田真一、佐野元春に聞く―「SONGS」対談を終えて&未公開トーク
 つまらない大人にはなりたくない――80年代、このフレーズを胸に青春の葛藤と向き合っていた若者がどれくらいいただろうか。今年53歳になる僕は、そのひとりだ。僕の10代は佐野元春の音楽とともにあった。それから40年。就職し、結婚し、子供が出来て、今年長男が独立して家を出て行った。つまらない大人にならないよう、精一杯生きてきたつもりだが、果たしてどうだっただろうか。
 佐野さんは、今年デビュー40周年を迎えた。NHKの音楽番組「SONGS」で佐野さんの特集をやるという。ご縁があって、僕がインタビュアーとして佐野さんに会うことになった。僕にとって最高のアイドル。心が高鳴った。
 実は佐野さんと会うのは2回目だ。20年ほど前、NHKの近くのホテルのトイレで、隣あったことがあった。僕はすっかり舞い上がってしまい、佐野さんに声をかけた。佐野さんの音楽と出会ったのは中学生の時で、校内放送で「アンジェリーナ」を聞いたのがきっかけで、そのレコードをかけた友達とは親友になって………と、とりとめもないことを一気にまくし立てた。僕はたぶん泣いていたと思う。佐野さんは、じっとその話を聞いてくれて、「シグニチャー(サイン)しましょうか?」とおっしゃった。手元にはサインをするような色紙もペンもない。僕は、間抜けなことに「結構です」と言ってしまった。
 今度こそは、佐野さんに伝えたい。佐野さんもいろんなことがあったと思うけど、僕らも結構大変な40年間だったんです。佐野さんの新しいレコードやコンサートを楽しみに、ヘビーな日常を乗り切ってきたんですよ。コロナ禍で思いがけない40周年になったと思うけど、大丈夫、僕らがついてるから…と。
 さて、僕は果たして正気を保って聞くことはできたか?SONGSで入りきれなかったインタビューを公開します。

(インタビュアー・記事執筆  クローズアップ現代プラス キャスター 武田真一)


佐野 元春
1980年にシングル「アンジェリーナ」で衝撃のデビュー。80年代の幕開きと共に現れた希代のシンガーソングライターは、新しい時代のカリスマとして、多くの若者たちの心をつかんだ。以来40年にわたって常に時代の先端を走り続けてきた。

佐野元春との出会い はじめに「言葉」があった
――佐野さんにお会いして言うべきことがたくさんあるのに、ちょっと今、言葉にならないです。ありがとうございます。デビュー40周年、おめでとうございます。

佐野元春(以下、佐野):
こちらこそ、楽しみにしてました。ありがとうございます。

――佐野さんとの出会いは、私が中学1年か2年の頃でした。昼休みの校内放送で『アンジェリーナ』を聞いたんです。で、牛乳を飲みながら、「何だこの曲は」とフリーズしたのをよく覚えています。熊本で育った僕にとって、佐野さんが描く、都会の若者たちの心の葛藤の風景に、佐野さん風に言えば、ノックダウンされました。日本中に、恐らくそういった10代の子たちがたくさんいたと思います。
そのことをいま、どうお感じになりますか?


佐野:
デビューしたのが1980年。レコードを作り、全国をライブして回ろう、思いっ切り行こうぜ、という感じでやりました。会場には、どこにも10代の少年少女たちが集まってきてくれて。何か彼らは新しいものを求めているような雰囲気がありました。ちょうど1980年が明けて、時代が少し変わってきた。若い人たちも、何か自分たちにフィットする音楽がもしあるんだったら、それを探したい。そういう雰囲気があった。そうした彼らの前で演奏できた。これは、僕にとっては、とても良かったことだと思います。僕も何か新しいことをやろう としていましたから。

佐野元春さんのインタビューに自身の思い出の品を持参した武田アナ

――『アンジェリーナ』もそうですが、『夜のスウィンガー』や『IT’S ALRIGHT』とか、言葉が詰まってますよね。字余りや、ビートからこぼれ落ちるような詞のアイデアはどこから出てきたんでしょうか。

佐野:
もともと小さい頃から詩のようなものを書くのが好きでした。誰から教わるということでもなかったんですが、詩のようなものを書きつけて、自分で楽しんでいました。
やがて、11歳・12歳の頃になると、トランジスタラジオから海外のポピュラー音楽がたくさん流れてくる。それを聴いて心が舞い上がる。ビートの効いた音楽がそこにあるわけですよね。そうすると、言葉とこのビートと、それから素敵なメロディーと、これを組み合わせたら、何かいいものができるんじゃないかと思って。で、作詞作曲というのを始めたのが12歳くらいの時でしたね。もうその頃から、何か言葉を生かした音楽を作りたい。言葉がこうビートの中で生き生きしてるような音楽を作りたいと思っていました。

世の中には、メロディーがきれいな曲もあれば、その編曲が素敵な曲もあるんだけれども。自分が聴いて心に引っかかる曲は、みんな言葉がビートの中で生き生きしていました。 ビートルズの曲も、ボブ・ディランの曲も、バーズの曲も、ジム・モリソンの曲も、ラジオから流れてくるそういうビート音楽を聴くと、英語ですので、全部は分からないんですけれども、言葉自体がビートの中で生き生きしている。何か僕に訴えかけてきてるんじゃないかって、何かを伝えようとしてるんじゃないかと、そう思ったんですね。なので、僕もそうい う種類の音楽を作りたいと思いました。

はじめに言葉があった………。 確かに、佐野さんの曲のことばは、いくつも僕の心に残っている。 都会の風景をいくつものスチール写真で切り取ったようなことば。

“パーキング・メーター ウイスキー 地下鉄の壁 Jazz men 落書き 共同墓地の中、
みんな雨に打たれてりゃいい“
「情けない週末」

短いフレーズで、生きて行く姿勢を伝えたものもある。

“心はいつでもヘビーだけど 顔では 大丈夫 大丈夫”
「夜のスウィンガー」

そのどれもが、僕の頭の中ではビートとメロディーにのって、何十年もぐるぐると回っているのだ。 中でも、今も僕の心をとらえているあるフレーズについて、佐野さんに聞いた。

「言葉」に込めた思い  誰かにとって意味のあるストーリーを
――佐野さんが今回SONGSで演奏した曲『約束の橋』。「今までの君はまちがいじゃない」というのが、この曲の核になるフレーズだと思います。いま社会では、一人ひとりが大切にされることが求められている時代だと思うんです。本当は一人ひとり多様であっていいはずなのに、ひとつの枠にはめられてしまう、そのことに違和感を持ち苦しんでいる人が多くいると思うんです。
どういうふうに響いてほしいと思って、この曲を演奏されたのでしょうか。


佐野:
僕のほうから「こういうふうに響いてほしい」という特別な要望はないですね。この曲が皆さんの元に届いて、ひとつだけしてほしいことがあるとしたら、ご自身の曲として聴いてもらう。ご自身のバックグラウンドで流れている曲だと思ってくれたらうれしいです。

――佐野さんの代表曲とよく言われる『サムデイ』や、『ガラスのジェネレーション』『約束の橋』。どの曲も、若者たちの葛藤――自分はこのままでいいのか、自分の存在というのは社会から認められているんだろうかという、不安や寂しさをテーマにした歌だと思います。

佐野:
ほとんどの人がそうだとは僕は思わないけれども、往々にして、若いころというのはみんな孤独です。自分がどうあるべきかというのをいつも探している。何か答えをくれる人がそばにいればいいですが、そんなインスタントに答えは転がってないですよね。ですから、自分から探しに行く。探していく途中は、非常に孤独なものですよね。いろいろなためらいもあるし、悩みもあるし、喜びもあるし、何か苦しみもあるかもしれない。でも、そういう状態は、僕はとても美しいと思うんです。人が人として成熟していく、そのプロセスはどうあれ、とても美しいものだと僕は思う。
これはソングライターとしてとても良いテーマなんです。成長するってどういうこと?って。僕の初期の曲もそうですけど、今でもそれをテーマに曲を書いています。



――その音楽は、僕らに人生の気づきや、ヒントを与えてくれるものだと思うんですが、佐野さんは、みんなにこんなことを気づいてほしいと思って歌っているのか。それとも、そうじゃないところから言葉が生まれてくるのか。

佐野:
自分は詩や曲を書いていて、みんなにこんなことを気づいてほしいとは、ちっとも思ったことはないですね。僕がいつも思っているのは、何かましな曲を書きたい。誰かにとって意味のあるストーリーを紡いで、それを歌にして。その歌が必要としている所に、人に届いてほしいということを、いつも思っています。「みんなで分かち合いたい物語があるんだけど、みんな聴いてみて。どう思う?」という感じですね。

本来ポップソングは楽しいものであるべきだと、僕は思う。なぜなら、10代のときに自分が励まされた曲はみんな明るくてポジティブで、どこか楽しげな感じがした。でも、ソングライティングをしている中で、社会と向き合ったり、人々と向き合ったり、「どうしてだろう?」と思うことがある。それを、時折歌にしてみようかなと思うときはありますね。だから、「こうあるべきだ」と僕は歌えないけれども、「僕は世の中をこういうふうに観察しているんだけど、みんなどう思う?」っていうような調子で書いた曲は何曲かあります。


ディストピア的な世界を歌った『ニューエイジ』  音楽だからできる“マジック”
――今回SONGSでは、『ニューエイジ』という曲を演奏されましたよね。それはどういう理由で?

佐野:
この曲は、1983年にニューヨークで生活しているとき、借りていたアパートメントの一室で詩を書きました。直感的に、これから来る自分たちの未来のようなものを想定して。その未来はどういうものだろう?って、思いをはせた。そのときになぜか、明るく、ばら色のすてきな未来が思い浮かんだのではなく、逆にディストピア的なイメージが浮かんだ。でも、未来に生きる僕たちが、そのディストピア的な世界の中で埋もれてしまうのではなく、その闇を裂き、小舟で海原を切り裂いて、そして前進していく、そういう力強くて勇敢な曲を書きたいと思っていました。それが『ニューエイジ』です。

――2020年、コロナが世界中に拡大して、まさに世界はこのまま存続できるんだろうか、とまで考えている人もいると思うんですよね。そういった中で、あえてディストピア的な世界を描いた歌を歌うということに、僕はすごくどきっとしたんですが、佐野さんはどう感じているんですか。

佐野:
作品の中では3分間、4分間の中で強烈なイメージを聴き手に差し出すわけですから、多少表現が大げさになることはある。でも、人生においては、僕はどんなことがあってもあまり大げさに捉えないようにしています。「このまま世の中が終わっちゃうんじゃないか」とか、そういうことを僕はあんまり…どっちかというと楽天的ですね。「どうにかなるよ」と。

で、この「どうにかなるよ」という感じも、ポップ音楽にはとても大切かなと思うんですね。もちろん、ある人にとっては「世の中、やってられない。何て残酷なんだろう」って感じている人はいると思う。そういう人が僕の曲を聴いたときに、現実を真っすぐに見るんじゃなくて、ちょっと横から見てみて、「意外と笑えるんじゃない?」とか、違う視点から見ると今まで自分がイメージしていたものが違ったように見えることもある。それがロックンロール音楽やポップ音楽ができる、言ってみればマジックのようなものですかね
それはどっちかというと、コメディーに似ている。優れたコメディーは、僕たちに別の視点を与えてくれる。そして、何かつらいと感じていることも、「いや、ちょっと待って、そんなにつらくないよ」って、「見方によっては笑っちゃうじゃん」というような別の視点を受け取る。ロックンロール音楽も、どっちかというとコメディーに似ていると思います。



――この曲が生まれたニューヨークは、すごく多様な街ですよね。そこでどんなことを吸収して、佐野さんの学んだことを投影されたんでしょうか。

佐野: いろんな人種がいて、いろんな宗教の人たちがいて、いろんな考えがあり、いろんなバックグラウンドを抱えた人たちがまるでメルティングポットのように集まっている。そこで、みんな議論をしたり、愛し合ったりしながら、その人間のエネルギーが原動力になって、街自体が動いていってる。何が正しい、何が間違いというところで動くんじゃなくて、人間のエネルギーそのものが原動力となって、街が動いていってる。その有様というのは、とても自然だし、とても力強いものだし、何か信じてもいいものが、そこにあるような気がしました。


――一人ひとりが、いろんなことを考えて、それぞれが自分らしく生きる。そのことをポジティブにとらえることは、この2020年の世の中でも、最大の課題だと思います。

佐野:
僕が一番、自分自身がこうなるのは嫌だなという状態のひとつが、虚無的になること。何か物事に対して「これもダメ。もういいよ」ってふてくされて、誰かとディスカッションすることもしないし、自分から能動的に何かを生み出すこともしない。こういう状態を、一番、僕は恐れます。ときどき、そういう気持ちに襲われますからね。でも、そのときには「ちょっと気をつけなきゃ」って思う。だから、どんな時代でも、虚無的にならず、やっぱり、人と交わって、そして、「自分はこう思う」ということを主張し、相手が「こう思う」と言ったことに対して、攻撃したりせず、いろいろな考え、感じ方があるんだと、それをありのままの状態として受け取ることができれば、その先に、何かいいことが待っているような気がします。


佐野元春が見つめた“コロナ禍”
――今の、このコロナの感染が世界的に拡大している状況を、どういうふうに捉えてらっしゃいますか?

佐野:
大袈裟には言いたくないけれども、将来やってくる、“非接触社会”の予行練習をしてるような感じ。いいことか、悪いことか、分からないけれど、そういうふうに捉えてます。 多分、接触を嫌がる世界がやってくるんだと思います。そのときに、今までの僕たちの習慣が、無駄になるかもしれないから、今、予行練習をしとけって感じですかね。

――握手をしたり、ハグしたり、こうやって直接話したりすることが。

佐野:
そんな世界は嫌だけれどもね。非接触社会がどういうものなのか、考えてみたくはないけれども、でも、もし、そういう未来が来るとしたら、僕たちは練習が必要だ。そう思います。もし、最初から非接触社会に生まれたなら、何の文句も言わない。けれど振りかえってみれば、人との接触でいい思いをし、成長してきた。そこに喜びも悲しみもあり、人として育まれてきたと思っている。人との接触というのは、とても大事なものだと、僕は思います。未来は非接触社会が来るのかもしれないけど、嫌だなと、率直に思ってます。

――私も、今の状況を毎日お伝えして、いろいろなことに気づかされました。例えば、医学・科学は、コロナに勝てるのだろうかとか、人々は支えあって生きていけるんだろうか。あるいは、僕たちは、何を大切にこれから生きていったらいいんだろうか・・・いろんな課題を突き付けられている状況だと思うんです。
そんな中で、佐野さんは、アーティストとして、どんな役割を果たしていけるのかと考えていますか?


佐野:
今、こういう状況だけど、「みんなで上がっていこうぜ。やがて霧は晴れるだろうから、今のうちに、夢とアイデアは蓄えておこうよ」って、仲間たちにはそう問いかけている。長期的に見て、もし、今まで、僕らが良いと思って積み上げてきた経験が、無駄になるとしたら、それは残念に思う。そうならないように、次の新しい時代に向けて、新しいサバイバルの方法を見つけていかなくちゃいけない。自分はたまたま、詞が書けて、曲が書けるので、音楽でもって、それを探求していきたいって思っている。

――このコロナ禍の中で、私自身も報道で何ができるんだろうかと、悩みながら過ごしてきました。多くの方々の苦しい姿をお伝えしていますが、それによって、ほんとうに救われる人はいるのだろうかと葛藤しています。
佐野さんは、音楽、エンターテインメントは、今、この社会の中で、どんな役割があるとお考えですか?


佐野:
いま、エンターテインメントが死にかけてるという言い方もある。僕はエンターテインメントは必要なものだって思っている。エンターテインメントを越えて、何か表現のようなものに行きつけるとしたら、それはとても価値のあるものになるような気がする。それを大事にしたい。そんな気持ちを最新の曲「エンタテイメント!」には込めています。

エンターテインメントというのは、時には人々の気持ちを癒したり、人々の気持ちを楽にしたり、人々のことを笑わせたりして、一時期の気の紛らわしに終わることも、往々にしてある。それは、それでいいんです。エンターテインメントの果たす役割は、そこに一つあると思う。でも、自分がやってるのは、その先ですね。エンターテインメントの先にある、表現にまで行きつきたいって、いつも思っている。それが、後にアートって呼ばれ、何かエンターテインメント以上の表現として認められることにつながるのかなと思うんですね。そのようなエンターテインメントは、僕の中では永遠です。


多感な少年時代から大人になった今・・・


佐野さんと僕らをつなぐ大切なチャネルがラジオだ。
「元春レイディオ・ショー」は、80年代のNHK「サウンドストリート」に始まり、その後様々なラジオ局で今も続いている。我が家には、妻がエアチェックしたカセットテープが数十本ある。佐野さんは、番組のオープニングやエンディングで、「I wanna be with you tonight!」とコールしていた。
今夜、君と一緒にいたいんだ――その言葉通り、僕たちの多感な10代は佐野さんの音楽とともにあり、そのことばに導かれて、大人になった。

――佐野さんはひところ、ラジオでインディーズバンドの紹介をやっていらしたと思うんですけれども。僕は、実は自分のバンドの曲を送ったことがあるんです。

佐野:
あぁ、僕は採用しましたか。

――していただけなかったんですが、楽曲のアイデアはなかなかいけるものがあると。だけど、「演奏や表現力はもう少し頑張りましょう」という、お手紙をいただきました。採用していただきたかったなと思うんですけれども(笑)。そしたら、僕は今ここにいないかもしれない。
僕は佐野さんが書くさまざまな言葉にインスパイアされて、言葉を生かせるような仕事に就きたいと思って、今のこの仕事を30年以上続けています。僕と同じように、佐野さんのつくり出す音楽や言葉、佐野さんが紹介した音楽とともに、多くの人たちがこの40年さまざまな歩みを進めて、そして今に至っている。「つまらない大人にはなりたくない!」と言いながら、何とかもがいて、ここまで来ている、と思うんです。佐野さんは、私たちにとっては本当にいい人生の先生だったんです。


佐野:
自分は先生なんて思ってないですけれども、1980年にレコーディング・アーティストとしてデビューして、自分の思いのとおりに曲を書き、演奏して、ここまでやって来ました。で、いつも思うのは、自分がいい曲を書いたと思っても、それを発見してくれる人がいなかったら、その曲はどこかに埋もれてしまう。ですので今言いたいのは、これまで僕の音楽とともに歩んでくれたファンの方たちがいるとしたら、「ありがとう」と 言いたい。つまり「僕の音楽を発見してくれて、そこに価値を与えてくれてありがとう」と、そう言いたいです。

――こちらこそ、佐野さん、本当にありがとうございます。

佐野:
音楽が持つ力というのは計り知れないですね。特に、自分もそうでしたけれども、10代の多感なころに触れた音楽というのは、今でも自分にとっても大事なものとしてあります。多感な頃ですから、本当にいろんなことを感じるわけですよね、そして、自分はどう生きていったらいいのかということを、人には言わないけども、真剣に考えたりする。その中で、時々、そばにある音楽が励ましてくれたり、「もっと楽になりなよ」と言ってくれたり、何かロマンチックな気持ちにさせてくれた。自分の経験を振りかえれば、多感な頃に聴く音楽というのはとても大事だなと思いますね。僕の音楽が、当時の多感な世代に届いて、そして、その方たちの生活や人生とともに僕の音楽が、もしあったんだとしたら、もうソングライターとしてはこんなに光栄なことはないです。


コロナ禍において、音楽は、芸術は、エンターテインメントに何が出来るのか――
個人的には、その答えは明白だ。芸術やエンターテインメントは、心を勇気づけ、成長させる。僕は、佐野さんの音楽から生きる力や、生きる方向性を得た。もちろん、それがすべてではないけれど、佐野さんの音楽に共感してきた自分だからこそ、今、人々の生き方に共感できるようになったと思うし、僕らが住むこの世界のあり方に疑問を持ったり、それでもこの世界は素晴らしい、と思ったりするようになったと思う。
佐野さんと、これからまた会う機会がどれほどあるかはわからない。奇しくもこの日に交わった僕らは、またそれぞれの日々を格闘したり、楽しんだりしながら、歩んでいく。でも、佐野さんという存在は、僕らの心をこれからも支え続けていてくれるだろう。


――これからも佐野さんの音楽がないと、僕らは生きられないです。佐野さんはいつまで、僕らのそばにいてくださいますか?

佐野:
いつまでとは、約束はできないけれども、このコロナが晴れて、また僕たちがいつも通りコンサートができるようになったら、ぜひ会場に来て、皆さんと一緒に、良い時間を過ごせたらなと思ってます。そのときを夢見て、今、いろいろとアイデアを蓄えているところです。

――いつまでも、僕らは、佐野さんに対して、I wanna be with youです。

佐野:
洒落たこと言いますね。ありがとうございます。


SONGS「第551回 佐野元春」(2020年10月3日放送)
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2020年10月8日
コロナ禍の映画業界―「SAVE the CINEMA」ムーブメントから半年 ミニシアターはいま《前編》
新型コロナウイルスの影響で、苦境に立たされる映画業界。中でも小規模な映画館「ミニシアター」は感染が拡大した4月~5月、休業に追い込まれるほどの打撃を受けるところもありました。こうした映画館を救おうと、ことし4月に「SAVE the CINEMA」というSNS上の運動が始まりました。ネット上から始まり、大きなうねりとなった取り組みからおよそ半年。映画界、そしてミニシアターはいまどうなっているのかを取材しました。
(クローズアップ現代プラス ディレクター 板橋俊輔)

「映画界を救おう」 #SaveTheCinema が生んだ一大ムーブメント
緊急事態宣言が発令された半年前、映画業界は大きな不安に包まれていました。作品を上映する映画館、とりわけ小規模な「ミニシアター」が閉館に追い込まれるのではないか――危機感を抱いた映画関係者はSNS上で警鐘を鳴らしました。そこで、声をあげた映画監督やミニシアターの支配人、弁護士などが集まり、「SAVE the CINEMA」プロジェクトが4月に始まりました。

SNS上でハッシュタグを用いて呼びかけ、ネットで集めた署名は9万筆以上。有志で政府に対して緊急支援を求める要望書を作成し、政府や関係省庁へ提出しました。 この動きと平行して「SAVE the CINEMA」と提携した支援団体が大規模なクラウドファンディングを実施。3万人以上から、目標額の1億円を大きく上回る3億円超の支援が集まり、全国118館のミニシアターに対しおよそ300万円ずつが分配されました。

5月には文化庁が、映画界に限らず演劇や音楽なども含めた文化芸術活動に対して、500億円を超える支援事業を決めました。
SNS上の「映画界を救おう」という声が集まって一大ムーブメントを巻き起こし、世の中を動かす様子をTwitter上で見ていた私はミニシアターに寄せる人々の思いの強さ、そして映画の持つ力をスマートフォンの画面越しに感じていました。


SAVE the CINEMAのSNSアカウント 呼びかけは映画関係者や愛好家に広く拡散された

ミニシアターはいま 入場制限は緩和されたけれど・・・「安心はできない」
あの“熱狂”から半年、ミニシアターは復活したのか――9月末、私はその現状を知るため、渋谷にあるミニシアター「ユーロスペース」へと取材に向かいました。
取材日の約1週間前、イベントの入場制限が緩和されました。これまで新型コロナの感染拡大を受けて、観客数を定員の半分以下にする対応を取っていましたが、19日からすべての座席を対象に観客を入れることができるようになったのです。


制限が解除された9月19日 マスクの着用や手の消毒、検温などの感染予防対策を実施

スクリーンの入り口に置かれたたくさんの消毒液など感染対策が施された以外は、以前と変わらない劇場内の様子。「客足も元通りに戻っているのかな」と楽観的に考えていた私の考えと裏腹に、ミニシアターの支配人・北條誠人さんからの言葉は深刻なものでした。

ミニシアター『ユーロスペース』支配人  北條誠人さん
「去年に比べて、観客の入りは8割ほどに回復しました。しかし全く安心はできません」

このミニシアターは緊急事態宣言が出た4月から5月にかけて、55日間に及び閉館していました。その間の売り上げはゼロ、それでも人件費などを支払わねばなりませんでした。「その頃に比べて8割まで戻ったのならもう安心なのでは・・・」と当初、私は安直に思っていました。ところが、事態はそんなに単純なものではなく、ミニシアターならではの事情により予断を許さない状況が続いていたのです。

ミニシアターとは? 日本の上映映画の70%が上映される“映画を支える場所”


ミニシアター「ユーロスペース」 1982年に開館した

ミニシアターならではの事情を説明する前に、そもそもミニシアターとはどのような映画館なのでしょうか。ミニシアターは、大手の映画製作会社や配給会社の直接の影響下にない独立した経営を行い、単館ないしは数館による公開を前提とした作品を中心に上映する小規模な映画館です。多くのスクリーンがある「シネコン(シネマコンプレックス)」とは違い、ミニシアターのスクリーン数は1~2つの所が多く、ミニシアターごとに上映する作品を独自に選んでいるため、劇場ごとに個性のあるプログラムを組んでいることが特徴です。
ミニシアターは全国に120館ほどあると言われています。

上映スクリーン数としてはシネコンが9割、ミニシアターは1割。ミニシアターは数は少ないながらも、商業的な成功を追求する作品よりも、アート系の映画や、ハリウッドのような大作映画ではない世界各国の映画、まだメジャーになっていない国内の若手監督の作品などを上演。“全米が泣いた”作品ではなく、一人ひとりの心に刺さる多様な価値観を提供し、日本の映画文化の多様性を担ってきました。

ミニシアターの全国団体「コミュニティシネマセンター」によると、2019年に日本で公開された作品のうち、70%がミニシアターで上映され、50%の作品はミニシアターのみで上映されました。ミニシアターが無ければ、50%の映画が上映の場所を失うことになるのです。

再び感染が拡大したら・・・先行きの見えないミニシアターの不安
話を元に戻します。8割の観客が戻ってきていても苦境にあるというミニシアターならではの事情、それは先述した上映のあり方が大きく関係しています。これまで、多くのミニシアターでは、人気作品の上映や舞台挨拶などの時に入場数を増やして収益を出し、その利益をユニークな作品やまだ無名の監督の作品上映に充てて、採算を合わせてきました。

そのためミニシアターの経営は“コロナ禍”以前から、決して余裕のあるものではありませんでした。そこに新型コロナによる打撃が加わることになりました。去年の8割近くまで観客の入場数が回復したからといって決して黒字になるわけではなく、油断のできない状況が続いている、それが多くのミニシアターの置かれた現状でした。

また、もしも客の入りが元に戻ったとしても、「再び感染が拡大したら」「ミニシアターでクラスターが発生したら」・・・不安はつきないと、ユーロスペース支配人の北條さんは言います。

ミニシアター『ユーロスペース』支配人  北條誠人さん
「シニア層、65歳以上のお客さんに支えられているミニシアターは多いです。この半年間ほど映画館から足が遠ざかっていた人が、果たしてまた戻ってきてくれるでしょうか・・・。入場制限は緩和されましたが、まだまだ先は見えません」


ミニシアター「ユーロスペース」支配人 北條誠人さん

#SaveTheCinemaから半年 映画界復活への課題はいまも山積
いまも不安定な状態が続いているミニシアター。その状況を誰よりも理解しているのが、半年前に一大ムーブメントを起こした「SAVE the CINEMA」プロジェクトのメンバーです。彼らはいまも月に2~3回、オンラインや対面で打ち合わせを重ねていました。大成功を収めたプロジェクトがいま、何を話し合っているのか――私は、打ち合わせの場を取材させてもらいました。

土曜日の夜、都内の会議室の一室に集まったのは映画監督や弁護士、映画館の関係者など。ビデオ会議での参加者もあわせると10名以上にのぼりました。打ち合わせには、ミニシアター「ユーロスペース」の支配人・北條さんの姿もありました。

打ち合わせの内容は、コロナ禍の映画界に様々な課題がまだ山積していることをうかがわせる内容でした。特にこの日話題になっていたのが、文化庁による支援事業についてです。


この日の打ち合わせには映画監督や弁護士、ミニシアター支配人などが参加

文化庁からの支援事業がスタートするも・・・支援額は予算のおよそ3分の2にとどまる
映画界に限らず、演劇・音楽業界とともに国に働きかけたことが後押しとなって決まった、文化庁による支援事業。新型コロナウイルス感染拡大の影響により活動自粛を余儀なくされた文化芸術関係団体などを対象に支援をするものです。今年度の第2次補正予算事業で、予算が500億円つきました。

支援の形式はフリーランスや団体など、対象によって3種類に分かれており、支援の上限は20万円から150万円まで。とても良い制度に見えますが、打ち合わせの場では、映画関係者から様々な声が寄せられていると報告がありました。

「申請の手続きが煩雑すぎる。用意する資料が多くて途中で挫折してしまった」
「周りの映画関係者も結局出さずじまいに終わりそうだ」

中でも特に多かったのが、「支援が給付ではなく、助成・補助のためのもので申請がしづらい」という声でした。


文化庁ホームページ

文化庁によると、この支援事業は
“感染対策を行いつつ、直面する課題を克服し、活動の再開・継続に向けた積極的取組等に必要な経費を支援し、文化芸術の振興を図ることを目的” (文化庁ホームページより)
としています。つまり、感染対策や新たな活動のために必要な経費の一部を、事後に補助するものでした。

例えば、感染対策のための消毒液や検温計などの対策グッズを新たに導入しようとした場合、その対策に必要な経費は、まず自己資金でまかなわなければなりません。コロナ禍で厳しい資金繰りを強いられている状況のミニシアターや映画の関係者にとって、支援を得るためには身銭を切らないといけないため、厳しいハードルとなりました。彼らが必要なのは、この苦境を持ちこたえるための運転資金であり、出費をして、その一部の補助を待つことになるこの制度では、使い勝手が悪いと言います。


新たな取り組みの実施に必要な費用の一部を事後に補助

この支援事業について、SNS上では「使い勝手の悪さ」を指摘する声が多く上がる一方、「申請が通って一安心した」と評価する声も挙がっています。ただ、文化庁によると実際に映画・演劇・音楽業界などの支援に充てられた総額は、予算の3分の2程度(約260億円~280億円)にとどまったと推計されており、十分に支援がいかされていないのが現状です。

支援事業への申請は9月30日に募集がいったん締め切られたものの、事業を延長する要望も寄せられていることから、文化庁は追加で募集を行うことにしています。

SAVE the CINEMAプロジェクト メンバー・映画監督 西原孝至さん
「文化庁の年間予算はおよそ1000億円、その半分近くにあたる予算を割いてくれたのはとてもありがたいことです。しかし、現場の“こうしてほしい”という声をもっと反映してもらえないと、せっかくの支援が十分にいかせません。ミニシアターや映画関係者の多くは、まだこれからも苦しい状況が続きます。次の一手を考える必要があるとメンバーでも話しています」


苦境に立たされた映画関係者が声を上げて半年。ミニシアターを始め、映画関係者は今も先行きが見えない不安を抱えていることが取材を通してわかりました。その一方で、映画文化の灯を消さないために、前へ進もうとする動きも生まれています。
《後編》では、若手の映画関係者やSAVE the CINEMAプロジェクトの新たな取り組みを紹介します。



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【あわせて読む】
-武田真一、佐野元春に聞く――「SONGS」未公開トーク
-「スパイの妻」黒沢清監督に聞く 番組未公開トーク
#映画#ミニシアター#SaveTheCinema#新型コロナウイルス
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2020年10月6日
このお題はクローズアップ現代+で番組になりました
「スパイの妻」黒沢清監督に聞く ベネチア国際映画祭で監督賞受賞 ――番組未公開トーク コロナ禍、そして次の作品は・・・
べネチア国際映画祭で、「スパイの妻」で監督賞を受賞した黒沢清監督。「スパイの妻」は太平洋戦争の直前に国家機密を偶然知ってしまい、正義のために世間に公表しようと暗躍する男性と、その妻の物語です。黒沢監督は1時間にわたって、作品や映画にかける思いを語ってくれました。番組でご紹介できなかった未公開トークをお伝えします。

番組の内容・スタジオトークはこちら
(聞き手 クローズアップ現代プラス 武田真一キャスター)


1時間にわたり映画への思いを語った黒沢監督

“クロサワ”ワールド 「移動」のシーンにも魅力の秘密が

黒沢映画の独特の魅力を彩る、様々な撮影や演出の手法。番組では、大事なシーンを“長回し”することや、光や風をいかす演出などを紹介しましたが、「移動」のシーンにも秘密があると黒沢監督は言います。

――非常に印象的なのが、どの作品でも例えば車や電車、バスの中に乗って移動するシーンがポイントになるところで出てきますよね。しかもその車窓の風景が、人工的な、本当の外の風景じゃない。どういう発想でああいう演出なんでしょうか。

黒沢清監督(以下、黒沢)
(風景を合成する手法は)「スクリーンプロセス」と業界ではいわれています。
登場人物がふと車に乗って移動するのが大好きなんですが、なぜそうしたことをやるかというと、1つ理由があるんです。特に2人の人物があるシーンでふと、車やバス、電車に乗ったとき、少なくとも僕の映画の中ではそういうときって、それまで言えなかった本音をどちらかがぽろっと言ってしまう。あるいは、本音をふっと言ったふりをして、それがものすごい引っかけだったりすることもあるんです。乗り物に乗っているときに、ふと交わされた2人の関係が、その後の2人を大きく変えてしまう。“転換点”で乗り物を、僕はよく使うんです。

たぶん皆さんも車を乗っていると感じるんじゃないかと思うんですが、乗っている者としては閉鎖された、どちらかというと静かな空間に、結構接近して2人座っていて同じ方向を見ていて、ふっと本音を言っちゃったり、愛の告白をしちゃったりですね。そういう空間だったりもすると思うんですね、車などの乗り物って。だから僕の場合、映画の中でも、乗り物は疾走感とか移動感ではなくて、そこに乗り合わせた人たちのすごく親しい関係が、急に表現できる密室、親しげな空間として扱うことが多いです。ただ、親しげなようで、実は大きな物語の転換点にもなっている感じです。


黒沢清監督

日常が壊れる “コロナ禍”に感じる不気味さや怖さ

黒沢作品で繰り返し描かれるモチーフは、それまで平穏だった世界が静かに壊れ、変質していく様子です。 当たり前と思っていた社会の前提が突然壊れ、見る者の価値観を大きく揺さぶります。昨今の“コロナ禍”と呼ばれる状況に黒沢監督は不気味さや怖さを感じていると言います。

――“新型コロナ”はじわじわと社会の中に広がっていって、そして、何か私たちの大事な社会の信頼であるとか、いろいろなものをむしばんでいく恐怖のようにも感じます。 黒沢監督は、今のコロナ禍はどう感じられていますか。

黒沢
得体が知れないので、不気味ですね。別な観点で言いますと、自分の力で何1つ判断できないもどかしさというか、怖さをこれほど感じたこともないです。本当に新型コロナは恐ろしいと思うんですが、なぜ恐ろしいかというと、それが政府の発表であったり専門家の意見であったりからしか、僕たちはわからないんです。彼らが発信する言葉を信じるしかない。これまでは大抵、そういう人たちの言葉ってある程度自分の価値観で「これはこれぐらいの信憑性があるな」とか「これはちょっと怪しいな」とか、それなりに自分で対処してこられたと思っていたのですが、今回は信じるしかないんですよね。
医療従事者の方とかはもう少し身近に、リアルに今回の怖さを感じているとは思うんですが、そうでない僕たちは、お上の発表どおりに生きるしかないっていうのも怖いなと思います。


――自分自身でコントロールができない。どのぐらい怖がればいいのか。「正しく怖がる」とよく言いますが。

黒沢
マスクしろといえばするしかないですし、そろそろ取っていいっていったら取るしかないし、「まだダメだよ」と言ったら、またマスクをするみたいなことでしか対処できていない。そうするしかないんですけども、なかなかこれはつらい。こんなことってこれまでなかったので、結構ハードなことですね。


――病気だけじゃなくて災害もありますし、世界の至る所で戦争もまだ続いています。日常が突然壊れてしまうということは実際に本当にあるんだと、私も最近実感します。監督が描いているのは、宇宙人であったり、サイコパスのシリアルキラーだったりしますが、得体のしれない恐怖、私たちがコントロールできない恐怖というんですかね。そういう意味では共通点があるように感じます。

黒沢
そうですね。特に現代は様々な情報が飛び交ってますから、情報を通して「いま世界はこうなってるな。だから、自分はこうなんだな」と、社会の中の自分のポジションを決めます。しかし、本当にそうなのかというと、自分が「社会はこうである」と思っていたものが、いきなりぐらぐらと揺れてきますよね。
ごく自然に、ごく狭いコミュニティーの中で「自分はこういうポジションだ。自分と世界はこう関わってるんだ」というのが如実に実感できた時代はまた別かもしれませんが、情報で自分を規定している社会ですと、危機って予想もしないところからやってきそうで、疑いだすと周囲すべてが恐怖に思えてきますね。



たった1人との関係で世界の見え方は変わる

――監督の映画にも、大きな社会であるとか、国家であるとか、そういったものにあらがう個人というものが必ず出てきて、それは必然なんだということでしたが、私たちがいま大切にしなければいけないもの。監督はどういうふうに感じていますか。

黒沢
これは映画でも描くことなんですけども、僕が実感しているのは絆とかそういった大きな言葉ではないんですが、まずは隣にいる人、2人の関係でいいと思うんですね。誰もいない、誰1人周りにいない、たった1人である孤独っていうのはすごく大きな問題だと思うんですが、心が通じ合える人がたった1人でもいれば、もうそれで世界の見え方が全く違ってくると思います。
だから、もし1人いれば、その人との関係性を本当に大切にする。それすら危うくなることがあるかもしれませんが、そのたった2人の関係というのを信頼して深めていけば、世界のいろいろな恐ろしいことは乗り越えられるのではないかと。そこからスタートする。 そこを大切にすることが僕はとても重要だと思いますし、僕の映画の中でも、いろんなとんでもないことがいっぱい起こります。「スパイの妻」でも、戦時下でのっぴきならない状況に追い込まれる人々が描かれますが、最後には夫婦の愛といいますか、信頼みたいなものがどこまで貫けるかというところが、この物語の肝になっていると自分では思っています。


――今回の映画でも、例えば私も、妻と一緒にいる時間っていうが大事なんだなというふうに実感したシーンやせりふがあったんですね。今このコロナ禍において、僕らが大事なものは何かっていうことを気づかせてくれる作品でもあるなと感じました。

黒沢
うれしいです。そう言っていただければ。


――監督の今までの映画はどちらかというと、「えっ、こんなふうに終わるの?」というものが多いんですれども、それはなぜなのでしょうか。

黒沢
それは認めます。僕はバッドエンディングを狙っているとか、あえて結末を煙に巻いているとかいうつもりは全くないのですが、自分の都合よく言うと、正直「こうしか終われませんでした」と。いろいろなフィクションの事件などを起こしていきますと、社会と個人というのがどうしても反発し合ってしまって、僕も最後は希望を持たせたい。最後はハッピーでありたいと願うんですが、どれがハッピーなのか、どれが希望なのかっていうのは、追求すれば追求するほどわからなくなってですね、「すいません、これが限界です」というところで終わらざるを得ないというのが本音です。
ただ、今回の「スパイの妻」で初めて、戦時下という時代を扱ったので、自分の中ではわりと気持ちよくではないんですけど、きっぱり終われたなという手応えがありました。それは、扱った時代は戦時中なんですけど、その後どうなったかはもう決まっているから。それを僕たちは知っている。主人公たちはあの時代、大変な目に遭うけども、その後こうなった、その後日本はこうなったというのがわかっているので、主人公たちの行く末も、だったらこうしたであろうと、わりと気持ちよく自分の中で決断できましたね。現代ではこの先どうなるかわからないので、現代のドラマはどうしても、モヤモヤと終わらざるを得ないんですね。


――いま私たちが見舞われている社会状況も結末、先が見えない不安の中にあるわけですが、先の見えない不安の中で私たちは、例えば夫婦であったり、友達であったり、大切な人、個人個人との関係性の中でどう生きていくかが問われていると感じるんですが、どうでしょう。

黒沢
同じように思います。僕が扱っているのはもちろんフィクションの、しかも娯楽映画ですから、どのように楽しんでいただいても全くかまわないんですが、本当に世の中先が見えないし、考えていくと憂うつなことが多いかもしれません。隣にいる人とふと何かで信頼関係がもし結べたとしたら、それに勝るものはない。そこにしか希望はないと思います。



次回作 テーマは・・・

――大きな賞を受賞されたばかりで恐縮なんですけれども、次はどんなテーマで、どんな作品を撮ってみたいという、何か計画みたいなものはあるんでしょうか。

黒沢
コロナの状況もあって、いろいろやりたいこととか、やろうかと思って手をつけようかと思っていたことはあったんですが、みんなストップしてしまいました。ただ、こういう時期っていつもあって、世の中動いていても、自分の企画は全く動かないなんていうのはこれまでも何度もありましたから、いずれ何かが動きだすだろうと思っています。まだ具体的に何が動くのか、どれが動くのかわかりませんが、以前フランスで映画を撮ったこともありますし、この間、日本映画ではありましたけども、ウズベキスタンでも撮影したので、またちょっと海外で、日本ではないところで、社会と個人の関係も日本とは少し違う、そういった文化のもとで何かおもしろい映画が撮れたらなと思っています。


――どこなんだろうと思ってしまいますけど(笑)

黒沢
いや、ちょっとまだ、いくつかあるんですけどね。秘密です。


2020年9月23日放送「17年ぶり快挙!ベネチア監督賞 黒沢清監督が語る」
番組でお伝えした内容・スタジオトークはこちら



【あわせて読む】
-武田真一、佐野元春に聞く――「SONGS」未公開トーク
-「SAVE the CINEMA」から半年 ミニシアターはいま《前編》
-「SAVE the CINEMA」から半年 ミニシアターはいま《後編》
#映画#スパイの妻#黒沢清
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