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「みんなが求めている僕は、僕じゃない」金メダリスト・萩野公介さんが語る#アスリート心のSOS

“競技を続ければ続けるほど、結果を残せば残すだけ『乖離(かいり)』が生まれてきました“

元競泳日本代表の萩野公介さん。3大会連続でオリンピックに出場し、金メダルを含め4つのメダルを獲得しました。しかし結果を出して注目を浴びるほど、「世間が期待する自分」と「本来の自分」との乖離に苦しむようになりました。
実は、部屋から一歩も出られず、生きる意味すら見いだせない時期があったと明かします。

昨年現役を引退し、この春から大学院に通う萩野さん。アスリートの「心」について知ってほしいと、取材に応じてくれました。
(聞き手:首都圏局 ディレクター 御巫清英)

<関連番組> クローズアップ現代「“アスリート 心のSOS” トップ選手に何が?」

萩野公介さん
1994年、栃木県出身。生後6か月から水泳を始める。小学校低学年から学童記録を更新し、中学以降も各年代の新記録を樹立。17歳で初出場した2012年ロンドン五輪では400m個人メドレーで銅メダルを獲得。2016年リオデジャネイロ五輪では400m個人メドレーで金メダル、200m個人メドレーで銀メダル、800mリレーで銅メダルを獲得した。2021年東京五輪に出場後、現役を引退。この春から日本体育大学大学院に通う。

“いまも、しんどくなるときがある”

萩野さん:
練習場に行かなきゃいけないとわかっていても、足が止まって動かないみたいなことも何度もありました。ご飯が何も食べられなくなったり、部屋から出られなくなったりすることもしょっちゅうでした。(引退した)いまも結構しんどくなる時があります。

自分で自分のことをなかなか好きになってあげられなかったり、「死んでしまったらいいのにな」と思ったりすることもすごくありました。

僕自身はよくわからないですけど、そういう心の状態をうつ症状と言うのかもしれないですし、今も病院に通いながら治療を続けている段階です。

“結果を残すほど乖離が生まれた”

けがをした右ひじを冷やす萩野さん

萩野さんの心の不調が顕著になったのは、リオ五輪で3つのメダルを獲得した後、右ひじの古傷を手術してからでした。調子が戻らず、思うような泳ぎができない中で、以前から感じていた自分の中の「乖離」が、広がっていったといいます。

萩野さん:
諦めたレースもいっぱいありますし、スタートの前に諦めてしまうレースもいっぱいありました。「そんなんじゃダメだな」「せっかくいっぱい練習してきたのに」と思いながらも、心が動いていかないことが多々あったんです。

調子のいいときは別に問題ないんですけど、調子が悪くなってきたときに、自分の弱い面や人に見せたくない部分が出てきてしまったりすると思うんですよね。

そもそも「自分自身の性格」と「競技から求められる方向性」の不一致みたいなものが、僕の中ですごくつらかったんです。

僕自身の性格は、正直、争いごとをあまり好まない性格だと自覚しています。水泳の場合は「隣のレーンのやつには絶対に勝とう!」とか「他人を蹴落としてでも自分が絶対に1番になってやるんだ!」という気持ちがあるほうが圧倒的に有利です。だけど、僕の性格上、そういった(勝利にこだわる)気持ちをあまり持ち合わせていませんでした。

なので、競技を続けていけば続けていくほど、結果を残せば残すだけ、「人間・萩野公介」と「水泳・萩野公介」に“乖離”が生まれてくるわけです。

僕は「水泳・萩野公介」になりたかったんですよ。背伸びをしてでも、みんなに求められている姿になりたいとすごく思っていた。だけど、なれない。なれなかったんです。どう頑張っても。

かっこいい瞬間、競技でいい成績を出す瞬間、オリンピックで金メダルをとる瞬間。そういうものが求められていることもよくわかる。自分自身もそれを求めているというのはよくわかる。だけどやっぱり、「本来の自分の性格はそういう方向性じゃない・・・」という乖離がありました。

“本来の自分は見せてはいけない”

世間のイメージと本来の自分との乖離に苦しみながらも、心の内を誰かに打ち明けることは簡単ではなかったといいます。

――「世間の求める自分」と「本来の自分」に乖離はあるけれども、それでも世間の期待に応えたいという気持ちだった?

萩野さん:
そうですね。人って自分が何を求められているかがわかると、「それをするべきだ」と思うものだと思うんですよね。

メディアの取材にもウソをつくほうが楽な時期もありました。例えば「調子どうですか?」って聞かれたら、本当はあまり良くないのに「良いっすよ」みたいな。

「決勝どうですか?タイム上がりそうですか?」って聞かれたら「上がると思いますよ」って答えるんですけど、実際は「いや、そんなことないのにな」みたいな。結局、自分で自分の首を絞めてるみたいな感じでしたね。

――周りには、自分の弱い部分を打ち明けられましたか?

萩野さん:
僕の性格もよくないところなんですけど、もう本当にダメだと思うまでずっと抱え続けていたし、ずっと人に見せないように頑張っていました。

どんな仕事でもそうだと思うんですけど、自分一人であのスタート台に立っているわけではなくて、たくさんの人がそれに携わって、たくさんの人がサポートをしてくださって立っているので、「つらい」「ちょっとしんどいわ」と自分の気持ちひとつで言うことは、その人たちに対する冒とくや侮辱みたいな、すごく失礼なことだとずっと感じていて。

だからそういったものは、人に見せてはいけない。自分の本来の性格というものは見せてはいけない。「水泳・萩野公介」というものが、やっぱりみんなに求められているものなんだと自分に言い聞かせていました。

メディアが作った「天才・萩野公介」のイメージ

記事のタイトルには「天才」の文字が並ぶ

萩野さん:
よくメディアとかに、「天才・萩野公介」と言われていたんですよ。確かに経歴だけをみたらそう言われるのかもしれないですけど、でも、僕自身はそんなことを思ったことなんて一度もないわけですよ。

僕の思う「天才」というものは練習をしなくても速い人のことなんです。僕は練習をいっぱいしてきたし、脳みそに酸素が回らないくらいのときも何回もありました。みんなそういう努力をしてきて、トップクラスになっているんです。

だけど、ちょっとメディアの方の前で言うのもあれなんですけど、メディアは「天才・萩野公介」というものを作り上げるわけなんですよ。

一般の方はそれを見たら思いますよね「萩野公介は天才なんだ」と。「今まで何も苦労をしてこなかったんだ」「泳いだら自己ベスト、泳いだら大会記録、泳いだら日本記録が出て、泳いだら世界大会でメダルがとれる。だって天才だもんね」と。

だけど僕からしてみたら、それは「僕」じゃないんですよ。

1人で抱え込まないことの大切さ

(左)萩野さん(右)平井伯昌さん 2016年リオ五輪

東京五輪を控えていた2019年春。萩野さんは無期限の休養を宣言し、競技を離れました。休養を決める際、平井伯昌コーチに初めて自分の苦しみを打ち明けました。

萩野さん:
「お休みをします」「精神的なところがあるかもしれないです」と初めて人に伝えたんですけど、その一言を言ったときに平井先生から「ようやく本心を言ってくれたな」と言ってもらって。

そのときに初めて「平井先生は、僕が言うのを待っていたんだな」「気付いていたけど、あえて言わなかったんだな」ということに気付きました。意外と周りの人は自分のことを見ているし、自分がわかっていない自分でさえも周りから見たほうが意外とわかっていたりするんだなと。

「自分は“スーパーマン”じゃなくてもいいんだよな」というのをすごく強く感じた瞬間でした。「それでも生きていていいんだ」というふうに、なんかこう柔らかいというか安心感というか、そういった感情がすごく出ましたね。

もう少し早く自分が心を開いていれば、しんどさを誰かに打ち明けていれば、もしかしたらそこまで大ごとにならなくてすんだのかもしれないし、1週間か2週間、練習を休むぐらいでまた競技に復帰できていたのかもしれません。

それまで萩野さんはメンタルコーチをつけてきませんでしたが、休養に入ってから初めてメンタルコーチに相談するようになったと言います。

――実際にメンタルコーチに相談してみて、どうでしたか?

萩野さん:
僕はすごくよかったと思いますよ。何よりも楽しかったですね。

一番印象に残っているのが、「自分の人生は何が何割を占めているか」というのを書き出したんです。水泳が占める割合は何割か、プライベートとか趣味に求める割合は何割かというふうに分けて、いま一番自分が求めていることは何かを、競技だけじゃなくて人生そのものをグラフにしてまとめたんですよね。自分がやりたい人生を歩むために動いていこうみたいな感じだったので、すごく楽しかったです。

オリンピックでメダルをとるかとらないかで、もちろん人生は大きく変わるとは思いますけど、「メダルをとらなかったら死ぬ」「オリンピックに行けなかったら死ぬ」とかそういう問題にはならない。今まで、後悔することやレース前に諦めたことがいっぱいあって、自分自身で情けないと思う瞬間はいっぱいありますけど、でも、それも全部引っくるめて「自分」なんだなと、今はすごく思います。

“人はなんでスポーツをするんだろう”

大学院入学式に出席した萩野さん

休養から復帰した萩野さんは、2021年の東京五輪に出場し、200m個人メドレーで6位に入賞しました。その後、引退を表明し、この春から大学院でスポーツ人類学を学んでいます。

――大学院に入学され、新生活はどうですか?

萩野さん:
自分の研究室の机があったりとか、同じゼミ生の方たちと一緒に研究をするということなので、すごく楽しみですね。

昨日も研究室で年下の子に質問をされたんです。「オリンピックは、一人の人間として戦っているんですか?それとも日本を代表して戦っている気持ちなんですか?」って。そういうことを純粋に質問してくれる子とかがいるわけですよ。僕自身、それはすごくうれしいなと思ったんです。

今までだったら、「あの人はアスリートだから」という「アスリート」のかっこの部分に「スーパーマン」みたいな意味も含まれるところがあったと思うんです。だけど、一人の人間をただ競技の結果で見るのではなく、一人の人間として見てくれることはうれしいですよね。

僕は、現役の最後のほうは「なんで人は泳いでいるんだろう」という問いを自分に問い掛けながら泳いでいました。大学院でもそれを勉強するつもりです。

「人はなんでスポーツをするんだろう」「人はなんで生きているんだろう」それには人それぞれ答えがあると思います。僕は、人は幸せになるために生まれてきたと思っているので、「人間として生きるとは」ということを考えることが、アスリートのメンタルヘルスにもつながってくるんじゃないかなと、僕自身は思っています。

“生きているだけで奇跡”

萩野さん:
こんな僕だから思うのかもしれないですけど、生きるという選択をして生きている方々がどれだけ尊いかというのをものすごく感じるんですよ。健康はお金では買えないですし、生きていることだけでも、ものすごく奇跡。

そのなかでアスリートの方たちは、自分で自分の限界を超えるという作業を毎日、毎日しているので、本当にすごいなと。もう純粋に尊敬の念しか、僕にはないです。

こんな28歳の人間が言うと「若輩者のくせに!」と思うかもしれないですけど、皆さん、自分自身のことをもっともっと誇りに思って、自分は素敵に生きているんだと思ってほしいです。そして僕も、優しい人たち、優しい世の中、優しい世界を信じて生きていきたいなとすごく思いますし、そういう誰もが幸せに生きられる世の中になればいいなと、心から願っています。

取材を通して

「自分自身もなかなかわかんないんですけど」 見えないゴールを探すように、萩野さんは今のありのままの気持ちを語ってくれました。まだ苦悩の最中で、どこまで話したらいいのか、葛藤があったことと思います。それでも萩野さんは、最初から最後まで「この取材を受ける」という意志に揺らぎはありませんでした。自分の経験を伝えることで同じような悩みを抱える人のためになればという、強い覚悟を感じました。萩野さんの勇気ある告白をひとりでも多くの人に伝えたい、その思いが番組制作の大きな原動力となりました。

(首都圏局 ディレクター 御巫清英)