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“アスリートがみんな強いわけじゃない” バレーボール元日本代表・大山加奈さんが語る #アスリート心のSOS

「『アスリート=強い』という先入観を持たれることが苦しい人もたくさんいると思いますし、自分自身もそうでした」

元バレーボール選手の大山加奈さんは高校生で日本代表に選ばれ、連日メディアに取り上げられるなど日本中の注目を集めました。しかし周囲の期待や厳しい練習で逃げ場のない日々に、10代の大山さんは追い詰められていきました。不眠やめまいなどの症状に苦しみ、精神安定剤や抗うつ薬を服用していたと明かします。

同じように苦しむ若いアスリートの力になればと、大山さんが胸の内を語ってくれました。
(聞き手:首都圏局 ディレクター 御巫清英)

<関連番組> クローズアップ現代「“アスリート 心のSOS” トップ選手に何が?」

大山 加奈さん
1984年、東京都出身。小学校2年生からバレーボールを始め、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校在学中に日本代表に選出され、2004年、20歳でアテネオリンピックにエースとして出場。2010年、現役を引退。現在は講演活動、バレーボール教室など多方面で活躍中。

10代の少女を襲った“異変”

中学生の頃の大山さん

大山さん:
10 代後半のころ、夜なかなか眠れない日が続いたんですよね。特に顕著だったのが試合の前日や当日。本当に眠れなくて、(午前)3時、4時までずっと起きてることも多くて。「緊張からきているかな」と思ってたんですが、大会期間中じゃなくても寝られない日々が続いて。

誰 にも相談せずに過ごしてたんですけど、眠れないという症状以外に、人前に出るとバーッと汗をかくとか、めまいがする、動悸がするといったことも現れてきました。ひどいときだと本当に目の前が真っ暗になってしゃがみ込んでしまうとか、倒れてしまうこともあって。

すごく 覚えてるのが、大勢の人が集まる場所でバーッと見られた瞬間があったんです。その時、めまいでバタンとなってしまって・・・。大勢の前でなくても、例えば電車に乗っていて、「あっ、大山選手じゃない?」という声が聞こえただけでも、症状が出てしまうこともありました。誰かが自分を見ているというだけで症状が出ていました。

「 いよいよ何かおかしいんじゃないか」と思って医師に相談したんです。その時ははっきり診断が出なかったんですけど、「じゃあ、薬を飲んでみよう」と精神安定剤や抗うつ薬を処方してくれました。

「大好きだったはずのバレーボールが嫌いになった」

大山さんは高校2年生で、小さい頃から目標だった日本代表にデビューしました。そこで待っていたのは過酷な練習。朝・午前・午後・の4部制で、自主練習でも参加しないと「サボっている」と言われ、精神的につらくても休みづらい雰囲気があったといいます。

大山さん:
眠れない と翌日の練習に支障を来してしまうし、翌日の練習で動けなかったらまた怒られると思うと、また寝れなくて・・・という悪循環でしたね。寝れなくて 睡眠時間が確保できないまま朝練に出てという毎日を過ごすと、心身共に疲弊してきて、すごく苦しかったです。
パフォーマンス に影響が出てしまうのは嫌だったので、トレーナーさんに相談をして睡眠導入剤を処方してもらって、それは飲んでいましたね。

――それは何歳の時ですか?

大山さん:
18 、19歳ぐらいですね。
当時 の日本代表の合宿がすごく厳しくて、スパルタな指導法だったんです。私は中学・高校と、それとは真逆な環境で育ってきて、ギャップにすごく苦しみました。

中学・高校のころは、自分たちでうまくなるために、強くなるためにどうしたらいいかと考えて練習して、その達成感を喜びに感じてバレーボールをしてきたんですけど、代表になると、怒られて怒られて、そこからはい上がっていくような環境になって。

「この練習は意味があるのかな」「これで本当にいいのかな」という疑問を抱きながら毎日過ごしていたんです。

でも先輩たちはみんなスパルタでずっと育ってきているので、この環境に対して疑問を持っていなくて、それが当たり前と思っていたんです。自分だけが「何で」「どうして」と思っていて、共感してくれる人がいない環境はかなりしんどかったですね。

当時 は自分も下手だったんで、監督に怒られることも多くて。「怒られないようにしなきゃ」「ミスしないようにしなきゃ」というマイナスな感情でバレーボールをしていて。大好きだったはずのバレーボールが嫌いになってしまっていたんですよね。

最年少で注目を浴びて…

(左)大山加奈さん(右)栗原恵さん

高校2年生で日本代表になった大山さんは、同学年の栗原恵さんとともに「メグカナ」として脚光を浴び、メディアの取材も殺到しました。一方でチーム最年少という立場もあり、注目が集まるほど、息苦しさを感じるようになりました。

大山さん:
当時 は世間からの注目がすごくあって、その期待に応えなきゃいけないという気持ちがすごく強かったんですよね。そのプレッシャーが(追い込まれた)原因の1つだったんじゃないかなと思っています。

たくさん の方に顔と名前を覚えていただいて応援してもらえることは本当にアスリートとして幸せなことなので、純粋に幸せだなという思いもありました。一方で、チーム競技でしたし、年齢が一番下であったので、すごくチームの中で気を使わなきゃいけないこともあって、先輩たちの目は気になりました。

まだまだ下手くそで未熟なのに自分たちばかり取り上げられてしまう。取材が多い状況はなかなかつらいものがありました。

例えば 自分が密着されていることで先輩たちの目も気にしなきゃいけないとか、しなくていい気遣いだったり、心配だったりもしなきゃいけなくて。ただでさえプレーのことでいっぱいいっぱいで、雑用もやらなきゃいけない中で、チーム内の関係も気にしなきゃいけないという状況は「もう嫌だ!」ってなりそうでした。

メディア の方と毎日一緒に合宿をしている感じで、どんな瞬間も撮られていて。練習中だけではなくて、オフの日も。例えば美容院に行くとなったら一緒に来るとか。オフだけど、オフじゃない感じでしたね。

「メグカナ」「パワフルカナ」…本当の自分とのギャップ

リハビリ中の大山さん

大山さんは、そのプレースタイルから「パワフルカナ」というキャッチフレーズでメディアに取り上げられるようになりました。多くの人が応援してくれることを喜ぶ一方で、複雑な思いもあったと明かしました。

大山さん:
「 パワフルカナ」って言ってもらうことは、すごくありがたかったなと思います。
自分 もパワーが武器だと思っていたので、そこに対して疑問は抱かなかったです。

ありがたいなと思いますが、当時「メグカナ」といって、栗原恵さんと2人で注目されてたんですけど、メグは「プリンセスメグ」で、自分は「パワフルカナ」で、「あれ?」と思うこともありました。まだ10代で未熟だったので。今考えると全然「パワフルカナ」でいいじゃんと思うんですけど、そこに対しても「うーん」と思うこともありました。

ただメグにあとから聞くと、「カナは(愛称が)プレーの特徴だからいいよね」と言ってくれたんですね。確かにそうだなと思って。メグの場合はそうではなかったので、それもまたつらかっただろうなと思います。

――周囲から期待されている大山さんと、でも「本当の自分はこういう感じなのに」という乖離はあったのでしょうか。

大山さん:
バンバン、スパイクを打つタイプだったので、強気な選手と思われてたかなと思います。でも、自分はそうじゃないというのはありました。

皆さんが思っている、強気でバンバン攻めていく性格ではなく、どちらかというとネガティブで、そこのギャップは感じてましたかね。

――そうした受け止めが精神的に与えた影響をどう見ていますか。

大山さん:
「しんどい」と言える相手がいなかったのが一番大きかったです。周りからすれば恵まれていると思うんですよね。注目を浴びることであったり、期待されることであったり、日本中の方に名前と顔を覚えてもらうことって。

なので、チームメートにはもちろん言えなかったですし、何でも話せる妹にもやっぱり言えなくて。

妹やチームメートからすると、「カナはいいよね。うらやましいな」と思う対象だったと思うんです。なので「つらい」「苦しい」って言えないんですよね。つらさ、苦しさを共感してもらえる相手がいなかったのが、当時はとてもつらかったです。

「私はチームに必要ない人間なんだな」

周りに語ることなく、苦しみを抱え込みながらバレーボールを続けてきた大山さん。腰の痛みにも苦しめられ、思うようなプレーができなくなりました。自分の代わりに出場した選手が活躍する中、さらに孤立を深めていったといいます。

大山さん:
「ああ、もう私はチームに必要ない人間なんだな、私なんかもう要らないんだな」と思っていた時期だったので、すごく苦しかったです。

当時はすでに薬(精神安定剤や抗うつ薬)を飲んでいたので、身体的な症状というのはあまり出なかったんですけど、もう何に対しても後ろ向き。前向きな考え方が一切できなかったですし、「チームに迷惑をかけている自分はチームメートと接しちゃいけない」と思ってしまい、距離を取ってしまったんですね。

妹とも距離を取ってしまって、本当に独りぼっちになってしまったんです。頑 張ってるみんなと接するのが怖いし、自分の駄目さをより痛感させられるのが怖くて。

当時トレーニングルームが4階だったんですよね。何回か「ここから飛び降りたら楽になるかな」と考えたことは正直ありますし、「薬も一気に飲んだらどうなるかな」と思ったこともありますし・・・そのぐらい精神的に追い詰められていた時期ですね。

自分を必要としてくれる存在ができて

愛犬と大山さん

2010年6月、大山さんは26歳で現役を引退しました。その後、バレーボール教室や講演会など数多くの依頼が寄せられ、大山さんはそうした活動に生きがいを感じるようになりました。

大山さん:
引 退してしばらくは薬をやめられなくて、やっぱり怖いんですよね。「またあの症状が人前で出てしまったらどうしよう」って。その後、愛犬を迎えてから、薬をやめられました。私のことを絶対的に信頼してくれている、必要としてくれている存在ができて、この子がいてくれるから大丈夫と思って。

やっぱり 必要とされることの喜びですかね。現役中はもう必要とされてないのがすごく苦しかったんですよね。だから、今そうやって、講演などで必要としてもらえることがすごく幸せでうれしくて、それが頑張る原動力になっています。

“アスリートがみんな強いわけじゃない”

いま大山さんはメンタルヘルスに関する発信を積極的に続けています。きっかけとなったのは、精神的に追い込まれていた時に医師からかけられた言葉でした。

大山さん:
「大山さんだけじゃないよ。そういうアスリートはほかにもいるんだよ」と言ってもらった言葉にすごく救われたんですね。きっと、今現役で頑張ってるアスリートの中にも「何で自分はこんなに弱いんだろう」とか、「何で自分だけ、こうなっちゃうんだろう」と思っている選手がいると思うんですよ。

本当に強いアスリートの方もいらっしゃるんですけど、みんながみんな強いわけではなくて、みんな悩んだり苦しんだりしながら、それを乗り越えて頑張ってるんですよね。なので、アスリート=強いという先入観を持たれてしまうことがすごく苦しいアスリートもたくさんいると思いますし、自分自身もそうでした。

そういった選手の、少しでも助けになったらとか、心が軽くなったらいいなという思いで伝えたいなと思います。

10代のアスリートにいま、伝えたいこと

双子の子どもを育てる大山さん

現役を引退して約12年。大山さんがいま10代のアスリートに伝えたいことを聞きました。

大山さん:
10代のころは「競技が全てだ」と思ってしまうんですよね。「そうであれ」というふうに、指導者の方たちもやっぱり指導するんです。「ほかのことに目を向けるな」「競技のことだけ考えろ」って。「そうじゃないよ」と言ってあげたいですね。

自分にはバレーボールしかないと思ってましたし、バレーボールを取ったら本当に自分は何の価値もないと思い込んでしまっていたので。

生きてきた環境が本当に狭いので、すごく考え方が偏ってしまいますよね。ある程度年齢を重ねると、視野が広がって、いろいろなものの考え方もできるようになるんですけど、10代のころは視野が狭くなってしまうので、すごく危険だなと思います。

何かつらいこと、苦しいこと、一瞬でも忘れられる時間というのがあれば、また違ったろうなと、今すごく感じるんですけど、当時はそういう時間がまったくなくて、そういうものも見つけられなくて、そういうものがあったら本当によかったなと思いますね。だから、若いアスリートの皆さんには、そういう趣味みたいなものもすごく大事にしてほしいなと思います。

競技は人生の本当に一部なんですよ。本当に一部なんです。だから、いろんなことも見たり聞いたり体験したりしてほしいなと思いますし、「その競技でうまくいかなくても大丈夫だよ」と言ってあげたいです。

取材を通して

取材チームと大山さん

現役時代の大山さんのプレーをとても鮮明に覚えています。印象的だったのは、スパイクを決めた後に、くるっとチームメイトを振り返り、はち切れんばかりの笑顔でガッツポーズをする姿でした。しかし今回の取材で、大山さんは「笑顔でいれば自分に嘘をつける」と、自分の後ろ向きな気持ちを隠し通すために、無理矢理笑顔をつくっていたのだと明かしてくれました。そんなことを想像することもなく、バレーボールを見て熱狂していた自分を思い返すと、複雑な思いがこみ上げます。“人には言えない悩みがあるかもしれない”誰と接するときも、そんな目線を持ち続けていたいと思いました。

双子の娘さんを育てる日々を過ごす大山さん。「大変じゃないですか?」と何気なく聞くと、意外な答えが返ってきました。

「双子でよかったと思います。双子だから助けを求められる。たぶん1人だったら、自分で背負い込んで『全部自分でやる』と思っていました。双子だったから、自分の弱さを見せることのハードルが下がりましたね。みんな助けてくれますし」

現役時代、チームメイトや家族にも、自分の弱さを見せることができなかった大山さん。そのころとは違い、双子の子育ては周囲の助けを借りながら、前に進んでいるようでした。

「当時も、そうやって『助けて』と、もっと言えていたらよかったなと思いますね。もしかしたら、私が現役時代に『助けて』を言えなかったことを知って、双子で生まれてきてくれたのかもしれないと、本当に思います」

大山さんは優しい笑顔で、そう話してくれました。

(首都圏局 ディレクター 御巫清英)