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私は夢をあきらめた・・・ 外国籍ヤングケアラーの日常

家族の世話や介護をになう「ヤングケアラー」。その「ケア」には、日本語が苦手な家族のための「通訳」も含まれているのをご存じでしょうか。

先月、国が発表したヤングケアラーの全国調査によると、「父母のケアをしている」と答えた人の約12人に1人が、日本語などの通訳を担っている実態が明らかになっています。

大阪府に住むフィリピン出身のリンさん(20)は、日本語を上手く話せない母親と兄弟のために、通訳やアルバイトに追われてきました。その結果、通っていた外国語専門学校を中退せざるを得なくなり、英語の先生になる夢を諦めました。「悔しいですが、家族が大切なのでしかた無いです」―――外国から来た人と「ともに暮らす」ことがますます求められる中、外国籍のヤングケアラーをどうサポートすべきなのでしょうか。

(大阪拠点放送局ディレクター 二村晃弘)

兄から「お姉ちゃん」と呼ばれて

4月、リンさんは兄のマイケルさん(22)の仕事探しの手伝いをするため、大阪外国人雇用サービスセンターを訪れていました。兄のマイケルさんは、2年前に来日したばかりで、まだ日本語をうまく話すことが出来ません。乗り換え案内や標識を参考にして町の中心部に出かけることも簡単ではなく、よく迷子になることがあると言います。

専用端末で仕事を探すリンさん(奥)と兄・マイケルさん(手前)

2人は専用端末で清掃業、機械のメンテナンス、ウィスキーの配送など、さまざまな希望職をピックアップし、カウンターに向かいました。しかし、担当者から「日本語の指示を聞き取ることは出来ますか?」と聞かれ、「兄は日本語が出来ません」とリンさんが答えると、マイケルさんが希望していた職業はみるみるうちに、はじかれていってしまいました。

担当者の質問は、続きます。「日本での職業経験はありますか?」「英語は話せますか?」「週に何日くらい働けますか?」リンさんはそのすべてに兄に代わって答えます。最終的に英語だけで業務を行うことができるアルバイトを紹介してもらうことができました。自動車の部品販売会社での仕事です。

翌日にマイケルさんの面接の約束を取り付けてもらい、リンさんはようやくほっとした表情を見せました。気づけばセンターに来てから、2時間が経過していました。

リンさん

「通訳は時間がかかるけど、お兄ちゃんが仕事、見つかるのがうれしいなと思う。お兄ちゃんは、私と一緒に日本語をしゃべろうとしたいけど、難しいから、私が助ける。家族より私のほうが日本語がわかるから、みんながやりたいことが出来たら、うれしいです。私のことより、家族のことが最初にしているから」

「面接が決まって、よかったですね」と兄のマイケルさんに声をかけると、マイケルさんは恥ずかしそうに「妹なのに、お姉ちゃんみたいです」と答えてくれました。

担当者への相談を終えた2人

家族が一緒に暮らすために

日本ケアラー連盟によると、「日本語が第一言語でない家族や障害のある家族のために通訳を行っている」場合もケアとして定義されると言います。

しかし、ひと口に「通訳」と言ってもその内容はさまざまです。近所づきあいの通訳から、行政手続きや不動産契約といった専門的な内容を含む話の通訳まで、多岐にわたります。また、外国籍のヤングケアラーの場合、家族だけでなく親戚の通訳を行うことも少なくありません。

来日した頃のリンさん

リンさんが来日したのは7年前の2014年。日本人の男性と再婚して日本に移住した母親の後を追って、日本へとやってきました。地域の中学校に1年生として通いはじめましたが、初めは日本語を全く理解することが出来ませんでした。

市役所から紹介された地元の国際交流センターの助けを借り、日本語の猛勉強を重ねた末、17歳の時に日本語能力試験のN1(最も難しいレベル)を取得することが出来ました。

リンさん

「『本当に私が受かったの?』と思って、うれしかった。日本語はとても難しいので、お母さんも喜んでくれました。初めは、日本の学校に行く自信なかったけど、学校に行く自信がつきました」

当時リンさんは、母親とその再婚相手と3人で暮らしていましたが、2歳上の兄と2歳年下の弟はまだフィリピンの親戚の家で暮らしていました。

「兄弟と共に暮らしたい」―――
リンさんと母親は、義父に懇願します。しかし、さらに2人の兄弟を養えるほど収入が十分でなかった義父は「自分は扶養することが出来ない」と返すのみでした。

「金銭面、言語面など、生活の面倒まで見られるなら呼び寄せてもいいよ」
お母さんとリンさんはその条件を受け入れ、3年前に兄と弟を日本へと呼び寄せました。
そしてそれと同時に、リンさんが担う家族へのケアは増えていくことになりました。

病院、就職活動、保護者面談、すべて自分が通訳

まず、病院の診察に訪れるお母さんの付き添い。お母さんは持病があり、定期的な通院を行っていました。しかし、日本語が堪能ではなく、医師の話すことばも分からないため、リンさんが毎回付き添う必要がありました。

リンさんも、専門的な用語を完璧に理解できる訳ではありません。自分のことを信頼しきって話し続ける医者のことばを訳し続けるうち、リンさんは「不正確な情報を伝えているのではないか」と、常に不安を抱えなければなりませんでした。

リンさん

「私は日本語をしゃべれるけど、病院の先生が、すごく詳しく説明したら、そんな、難しい日本語まで、わかると言えないので、通訳してくれる人が、もっといてほしい。
先生が病気の説明をしたら、私がわかると思っているけど、間違えている気持ちがたまにあるので、こんな病気と説明したけど、間違えているかもしれないから不安なんです」

遅れて来日した兄弟への通訳も大きな問題でした。よかれと思って自分の勤めていたアルバイト先を兄弟に紹介したところ、来日したばかりの兄弟は上司の指示を理解することが出来ず、職場で不評を買ってしまいます。

リンさんは兄弟をサポートしようと必死に通訳を行いましたが、やがて自身の業務にも支障が出るようになりました。バイト先での評判は戻らず、最終的には3人とも同じ時期にバイトを辞めざるを得ませんでした。

また、日中働きに出ている母親の代わりに、弟の世話も担いました。とりわけ負担だったのは、保護者面談でした。リンさんが高校3年生の時、弟のケンさんは高校1年生。リンさんは、母親の代わりに学校の保護者面談に参加し、ケンさんの進路について先生と相談をしなければならなかったと言います。

リンさん

「お母さんが仕事で忙しくて、行くのができないから私が行っているだけです。でも、先生も、当たり前の感じ。『いいお姉ちゃんだね』と言われるけど、普通。当たり前の感じです」

家計のためにバイトを掛け持ち

高校時代のリンさん

家計を支えるためのアルバイトの負担も増えていきました。母親は工場に勤務していましたが、時給は1000円弱。兄弟の来日で大幅に増した支出に比べると稼ぎは十分とは言えず、リンさんも複数のバイトをせざるを得ませんでした。

リンさんが「一番しんどかった」と振り返るのは、高校3年生から専門学校1年生の時です。当時の1日のスケジュールを振り返ってもらいました。

高校3年時(当時19歳)のリンさんの1日

5:00  起床 学校の準備や宿題に加え、家族の朝食準備
6:00  兄弟を起こし朝食を食べさせる
6:30  隣市内の学校へと出発
8:00  学校へ到着
8:30  授業開始
15:00  下校
16:00  ファストフード店でバイト
21:00  勤務終了
21:30  コンビニエンスストアでバイト
24:30  勤務終了 自宅へ
25:00  帰宅
26:00  就寝

1年下の学年に編入していた経緯もあり、高校3年生時にはすでに18歳を超えていたリンさんは深夜にもアルバイトを行いました。平日はファストフード店とコンビニエンスストアの掛け持ち勤務、そして週末に時間があるときは地元の個人塾で英語を教え、月に10万から12万ほどの収入を家計の足しにしたと言います。

過重なスケジュールから睡眠時間も十分に取れず、授業中に意識が朦朧とすることもありました。

登下校の際、学校用のリュックのほかに、バイトの制服や、英語の教材をいれたかばんを両手いっぱいに抱えて歩き、友達から「どこに行くの?」と目を丸くされたこともありました。

リンさん

「自分の時間がないのが、しんどい。でも、家族を助けないと、みんなしんどくなる。だから、家族を助けてから、自分の時間。(負担感については)あまり考えていないのでわからないですけど、毎日やっていることはほぼ一緒。だから、慣れている」

この春、リンさんは夢をあきらめた

リンさんには、夢がありました。それは、日本で英語の先生になること。そのために、高校を卒業した後、英語を学ぶことの出来る外国語専門学校に通っていました。

地元の国際交流センターに相談し、就学支援団体から月14万6千円の奨学金を借り受けました。しかしその奨学金も、家族の食費や弟の学費へと消えていきました。

ことし2月、リンさんは通っている専門学校に退学届を出しました。2年生に進級する際に必要だった50万円の学費を払うことが出来なくなってしまったのです。弟や兄もリンさんの進学をサポートするため必死にバイトを探しましたが、日本語を話せないことがネックとなり、仕事を見つけることはできませんでした。

「あと1年で、卒業できていたのに」―――

リンさんは、今も悔しい気持ちを忘れることが出来ません。

リンさん

「私が全部、お金出す、できないから、辞めるしかない。英検の1級を持っていたけど、もっと英語、詳しく勉強したかったけれど、しかたない。私が家族のことを選んだときに、私は、両方ともやればできると思っていたから選びましたけど、退学したときに、夢は諦めた気持ち、あったけど、私より、私が、私の力がいる人がいるから、助ける」

リンさんは、4月から自動車の部品工場で仕事を始めています。学校に通えなくなったため、自分が働きに出ることで家族を経済的に支えたいと考えているからです。しかし、取材の最後に彼女がポツリと漏らした言葉を、忘れることが出来ません。

リンさん

「あの、たまに、フィリピンのことを思い出します。Facebookで友達が集まっている写真を見ると、『ああ、フィリピンに帰りたいな』『友達に会いたいな』と思うことがあります。日本を離れて、フィリピンに戻りたい、と思うときがあります」

外国籍のヤングケアラー どう支える?

家族のケア、主に通訳を担うことで自分の時間を奪われてしまう外国籍ヤングケアラーたちと、私たちはどう向き合うべきなのでしょうか。

ヤングケアラー研究が専門の大阪歯科大学の濱島淑惠教授は、「病院の診察や行政手続きなど、高い正確さが求められる場での通訳は、重大な事故につながる危険性もあり、責任の重みや緊張感は子どもにとって大きな負担になる」とした上で、次のように話しました。

濱島淑惠教授
大阪歯科大学・濱島淑惠教授

「外国からきた子どもたちや彼らの親への支援が十分ではなかったり、生活が非常に苦しかったりすると、やはり負担のしわ寄せが子どもたちにいき、子どもたちがケアを担うことに繋がります。

彼らは社会の一員として経済活動にも参加し支えているわけで、やはり社会が子どもを取り巻く環境も含めてサポートしていく必要があると思います。

外国籍の方への支援はまだ民間レベルが多い状況です。安定的な生活をサポートする制度はまだ非常に乏しく、社会としても『支えなければ』という意識はやはり低いように思います。

意識なきところに、制度は成り立ちません。外国人労働者数が年々増加していく中で、まずは彼らの存在を意識し、どう支えていけるかと私たちが考えていくことが重要だと思います」

外国籍のヤングケアラーたちは、生まれたときから日本に住んでいるケースもあれば、生後何年かたって来日するケースもあり、家庭環境や生育の状況はさまざまです。また「家族を支えるのは家族であるべき」とされる国や文化圏も多く、多文化共生の視点からも、「家族の助けになりたい」という子どもの気持ちを一律に否定することは出来ません。

一方で、やはり外国籍の子どもたちは、多言語や多文化への深い理解から、日本社会に多くのものをもたらしてくれる可能性を持っています。

ケアによって時間と労力が「奪われてしまう」と彼らが感じるのであれば、それを少しでも支え、和らげることで、自分たちの文化的背景や個性を生かしながら社会の中でより活躍できるのではないでしょうか。そして、今後様々なレベルで多様化を進める私たちの社会に、より豊かさを還元してくれるのではないでしょうか。

みんなのコメント(3件)

感想
のんな
19歳以下 女性
2023年2月1日
たしかに、ほかの家族は何をしてるの?といいたくなるような状況だけど、それを私たちみたいな外野が言うのは、リンさんにとって嫌なことなんじゃないかなって思いました。
感想
あむ
30代
2022年8月8日
日本人の子にも言えること、それも昔からよくあった、対象者が若年でない場合は問題にすらされていないぐらい、よく見られる光景だけれど、ヤングケアラーって「真面目でしっかりした、思いやりのある子を、家族があれこれ言い訳して、使い潰している」だけにしか見えないんだよなぁ。
結婚した友人や親戚も、そういう子ほど婚家や夫に奴隷みたいに扱われて(無休無給で労働させられているから文字通り奴隷。子供を人質に取られてさ)疲弊しているよ。人間ってそんなもんなんだろうね。
ナナ
30代
2022年1月1日
男性兄弟や父親、母親が朝ごはんを作れば良いのでは。
結局この子にみんなが甘えているように見えます。