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都会の“雪山”に生きて

「介護も育児も“家族の責任”という風潮ですよね。それがもう小さな子どもにまで染み通っている。だからヤングケアラーは『自分が辛い』と言わないし、言っちゃ駄目だと思っている」

取材中もいつも笑顔を絶やすことのないその女性が語気を強めてこう語りました。兵庫県尼崎市のスクールソーシャルワーカー、黒光さおりさんです。現在市内5つの小中学校を受け持ち、ヤングケアラーの支援に力を注いでいます。本来であれば大人が担うような重いケアを引き受ける子どもたちもいますが、過酷な環境の中でも自ら声を上げることは少なく、その存在は社会に埋もれたままです。家族が社会から孤立して”都会の雪山”のような状態になり、外からはまったく様子がわからないケースもあります。

実は黒光さん自身も、幼い頃から母親のケアを担ってきました。1人でも多くの子どもたちとつながり力になりたいと、悩み葛藤しながら前を向いて歩み続ける、黒光さんの日々を見つめました。

(大阪拠点放送局 ディレクター 田中雄一)

子どもたちの些細なサインも見逃さない

(校内の掲示物をチェックする黒光さん)

黒光さんの取材が始まったのは今年2月のことでした。カメラを構え、校内の見回りに同行すると、黒光さんは次々と“何か”を発見していきます。「お、ちょっと待てよ、これなんや」。足を止めたのは、校内の掲示板の前。張り出された子どもたちの作文のひとつが気になったようです。

「なんか、キーってなってるでしょ?心の中もワー、キーってなってるのかなって」。そう言われて、じっくり見ると、たしかに文字が荒れ、乱雑に書き殴られたように見えます。子どもたちの持ち物、上靴、服装など、黒光さんは子どもたちの些細な変化に気を配り、その“サイン”に気付こうとしています。

不登校やいじめなど、家庭環境に様々な課題を抱える子どもたちに対応するスクールソーシャルワーカー(以下、SSW)。教員と違い、複数校を掛け持つSSWは学校ではいわば“異質”な存在です。そうした中でも黒光さんは、「最近どうよ」「元気?」と子どもたちに気さくに声をかけ信頼関係を築いてきました。

(子どもたちとトランプで遊び心をほぐす)

黒光さんがいつも持ち歩いている「7つ道具」を見せてくれました。喋る犬の人形、猿の積み木、折り紙、本、トランプ、UNO、百人一首。子どもたちの気を引くということではなく、一緒に遊びながら心をほぐし、話を聞いていくのだといいます。

遊びの中で子どもがぽろりと漏らす本音を決して見逃さない。黒光さんは自らSOSを発信することのない子どもたちと関係を築きながら、ヤングケアラーの早期発見に努めてきました。

黒光さおりさん

「ヤングケアラーを一番早く発見したり、一番近くで支援できるのは学校なんですね。なので、学校で早く見つけてサポートしていかなければいけないのですが、ヤングケアラーの子どもはしっかり元気に明るく振る舞う子が多いんですね。外からは、それが分からないから、不登校、対人トラブルなど違う形で、問題が上がってくるヤングケアラーもいます。

本当はヤングケアラーとしてのしんどさが根本にあって、不登校が出てきたり、対人トラブルが起きているのですが、なかなか学校では気がつきにくい。そこを、SSWが早く見つけて、担任の先生に『この子のしんどさは表面に見えているやつではなくて本当はおうちで担っているその役割なんですよ』と気付いてもらうのが、大事な仕事かなと思っています」

関係機関へ猛プッシュ

ヤングケアラーの存在に気付いた後、どう支援につなげるのかにも黒光さんは力を注いでいます。黒光さんは大学卒業後、社会福祉士の資格を取り、生活保護のソーシャルワーカーとして15年近く働いてきました。その経験を生かしながら、子どもたちの負担を軽減するための取り組みを続けています。

現行の法制度の中では、ヤングケアラーそのものを支援する公的なメニューは存在しません。そのため子どもたちへの支援は、あくまで「側面支援」にとどまります。例えば、祖父母の介護を行う子どもには介護保険制度のメニューを充実させることで、結果的に子どもの負担を軽減します。また病気や障害のある親を持つ子どもには、親に生活支援を行うことで間接的に子どもの負荷を減らしていきます。

(生活保護申請の窓口を訪ねる)

黒光さんは連日文書を提出するなど、関係機関を動かそうと努力を続けています。今年3月には、尼崎市の保健福祉センターを直接訪問、ある女生徒の母親を生活保護へとつなげました。母親は体調を崩し生活に困窮、別れた夫からDVを受けるなど、精神的にも疲弊し、家事を子どもに頼るようになっていたといいます。

女生徒は幼い弟の世話も母親に代わって担い、学校も休みがちになっていました。黒光さんは母親を生活保護につなげ、生活を安定させることで、子どもの負担を減らそうと考えていました。

黒光さおりさん

「例えば高齢のおばあちゃんの介護を子どもが担っている場合は、その子が進路や将来に向けてちゃんと取り組めたり、部活や友達関係も楽しめるという環境に持って行くことが大事だなと思っているので、高齢者福祉のケアマネジャーさんと連携して、少しでもケアをその子にとって楽な形に持っていくということを考えたりします。

お母さんが精神疾患を患っているパターンもよくあるんですけど、お母さんを支援団体につないで、デイケアにつなぐことで日中の負担を減らしたり、訪問看護に来てお母さんの話を聞いてもらうことで、その子のケアの時間を減らすことができるとか、そういう形で様々な関係機関と連携してケアをみんなで負担していこうとしています」

立ちはだかる家庭介入の壁

しかし、実際に支援に結びつくケースは多くはありません。黒光さんは学校関係者に加え、子ども家庭センター(児童相談所)や、市の担当部署も巻き込み、頻繁にカンファレンスを行っていますが、大きな課題もあります。それは“家庭にどう介入するか”です。

(カンファレンスの様子)

黒光さんが今気にかけているのが、ある小学校高学年の女の子のケースです。ケアの負担が重く、学校にもほとんど来れなくなっていました。

母親は仕事をしていますが、体力的にも精神的にも追い込まれ、家事のほとんどをその女の子が担うようになっていました。まだ幼い弟の世話も女の子が行っており、その負担は日に日に大きくなっていると、この日、黒光さんは警鐘をならしました。黒光さんは地域のイベントにその子を度々誘い出していて、早くからその変化に気付いていました。

黒光さおりさん(カンファレンスにて)

「実は家事の量が半端なく増えています。この前、一緒に楽しく遊ぶ地域の催しに連れて行ったときも、楽しいのに時計をずっと気にしていて、『なんでそんな気にしているの?』というと、『家に帰ってご飯つくらなあかん』と。

どうしても『ご飯ご飯』と思って帰らなければいけないというのは、家の負担はすごい大きいのかなと思いました。このままだったら、家事をしなければいけないから家にいる、家にいるから家事をしなければいけないという悪いループに入ってしまいます。彼女が進路のことや、社会参加のことを考えられなくなるのかなと思って気にしています」

明らかなネグレクトや虐待の兆候はなく、子ども家庭センターが即座に介入できるケースではありません。また、母親と学校との関係も思わしくないため、今後の対応は、担当者同士で認識を共有し、引き続き注視していくことにとどまりました。

(児童の自宅を訪問)

黒光さんは女の子を少しでも外に連れ出そうと、カンファレンスの後、自宅を訪問しました。しかし、児童は顔を出したものの、話ができたのはわずか数十秒、家の中の様子を伺うこともできませんでした。黒光さんは家族との信頼関係を築くために、一軒一軒に手紙を書き続けていますが、家の事情を知られることをヤングケアラー自身が嫌うケースも多く、支援につなげるのは容易ではありません。

黒光さおりさん

「おうちへの介入は本当に難しいです。困っている状況を人に知られるのは誰にとってもつらいものなので、すごくデリケートな部分だと思います。ヤングケアラーである子ども自身も、家族が大切で大好きだと思っているので、自分が家族のために苦しんでいるということを見せたくないんですね。

なので、たとえこっちが何かできることはないかなと思っていても、“困り感”を簡単には出してくれないというところはあるなと思います。それはご家族も同じです。特にお母さんは自分にできないということを恥ずかしいと思っていらっしゃるので、なかなか支援につなげるのが難しい」

たとえ成功しても…

うまく支援に繋がったケースでも、本当にそれで良かったのか、黒光さんは葛藤を抱えていました。病気の母親に代わり、幼い兄弟のケアを担っていたある児童のケースです。まだ小学高学年の児童には、兄弟の世話は明らかに手に余り、食事も充分に取れない厳しい環境で暮らしていました。

黒光さんは長い時間をかけて、何度も家庭訪問を続け、関係を築いてきます。時には兄弟の生活サポートを直接担うなど距離を縮めていきました。ただ、本人はようやく学校の始業式には顔を出したものの、それ以降は、不登校が続いていました。

黒光さんは子どもたちの置かれた家庭の状況を学校関係者と集約しました。それを受け、市の担当課は子ども家庭センターに介入を要請、兄弟は児童福祉施設で一時保護されることになりました。

兄弟のケアから解放され、本人の負担はたしかに劇的に改善しました。しかし、その一方で、兄弟と引き離されたことにショックを受け、心に深い傷を負いました。今も心のどこかで憎しみを抱え、大人への強い不信感を抱いているといいます。また、これまで家庭で担ってきた兄弟の世話という役割を失ったことで、“ケアロス”、喪失感も抱えるようになりました。

今もその子は学校に来られないまま、目的を失ったかのような暮らしを続けています。黒光さんとの関係も一時は途絶え、連絡がつかないこともありました。

(悩みながら1つ1つのケースに向き合う)
黒光さおりさん

「引き離すのはすごくつらいですね。ほんまにつらいです。兄弟がいなくなったときのケアの穴がぽこんと開いちゃったんですよね。大人たちはこれで楽になっただろうという判断をするんですけど、その子にとっては穴が開いたまんま、たぶんそこから血が噴き出ているみたいな感じの状態で、楽になったという感じじゃないんですよね。

ケアをなくすとか、ケアをうんと減らすとかではなくて、その子が自分らしくいられる程度に、うまくケアを調節するという視点がめちゃくちゃ大事やと思います」

自身もヤングケアラー

取材を続けること2か月、黒光さんは私たちに自身の体験を打ち明けてくれました。黒光さんもまた過酷なケアの経験を持つヤングケアラーでした。

それは黒光さんが小学高学年の頃でした。「今で言う鬱病のようなものだった」と黒光さんは振り返りますが、母親の精神状態が急に不安定になりました。調子が悪い時は、母親は1日中寝込み、まだ小学生の黒光さんに「死にたい、死にたい」と言い続けました。黒光さんは「死なんといて、死なんといて」と2時間でも3時間でも母親をなだめ続けました。それは、まだ幼かった黒光さんにとって、あまりにも重い打撃でした。

黒光さおりさん

「あれは不思議な感覚で、なぜか、自分も消えてしまいたいとか死んでしまいたいという気持ちになってしまうんですね。カプセルの中にはまったみたいで、自分の考え方とか自分の生き方が見えなくなります。『自分も消えてしまいたい』『死にたい』とすごく思っていましたね。だから、話を聞いた後はすごくふらっふらになる。話を2~3時間聞いただけやのに、ふらふらしながら街を歩いていたなという記憶があります」

中学生になると、家事の負担も黒光さんにのしかかってきました。今から20年以上前、長時間労働がまだまだ当たり前の社会の中で、父親は仕事に手一杯、帰りも遅かったと言います。誰にも助けを求められない中、夕飯や学校のお弁当の準備など、ほぼ全てを黒光さんが担うようになっていきます。

黒光さおりさん

「それはまあ、つらかったです。料理の仕方もあんまり…卵焼きとかチャーハンとかそんなんは分かっていましたけど、晩ご飯とかお弁当となると、すごく私にはハードルが高くて。ほんとに中学のお弁当は悩みの種だったです。料理はなんとかして詰め終わっても、台所がぐちゃぐちゃになっていて、収拾がつかないという感じで。買い物する、作る、片付けるというのだけで、たぶん、最初のうちは2~3時間かかっとったかなと思います」

遊ぶ時間もないまま、同級生との人間関係も築けず、学校ではいじめにあいました。『良い子であろう』と先生に近づく黒光さんの存在はクラスで白い目にさらされました。

中学3年になると、ようやく信頼できる担任に出会い、黒光さんはその胸の内を少しずつ吐露できるようになりました。今も大切に残している学校の生活ノートには「今日も昨日と同じくしんどいよー」「朝から晩まで家事だよーん」と当時の心境が綴られています。

先生からは赤いペン字で「大変だな」「頑張れ」と一言だけ。ただ、家庭の事情に深入りしない、その温かい配慮が黒光さんには逆に嬉しかったと言います。

黒光さおりさん

「逆に、あまり突っ込まれたら、たぶん、私は引っ込んでいたと思うんです。もし先生が『ちょっと待って、それって問題じゃないの?』みたいになったときには、『いえいえ、もうけっこうです』となっていたと思うので、これでちょうどよかった、そのころの私には。ただ、ここで本音を出せるということは、たぶん信じられないくらい大きな力になっていたと思います」

人生との転機となったのは、その頃、学校の図書室で出会った一冊の本でした。『社会福祉主事になるには』と題されたその本に黒光さんは衝撃を受けます。

黒光さおりさん

「何かなと思って手にとって、ぱらぱらと読んだ瞬間に、『うわあ、これ私の仕事や』と思いました。家庭訪問して、困っている人の話を直接聞いて、プランを練っていくという仕事の様子が書かれていたんですけど、『もう私はこれしかない』と、めっちゃ思ったんです。家でずっとしてきたことでもあるし。もう絶対、この仕事は私の仕事やねんと思ったんです」

(黒光さんが中学時代に書いたノート)

当時の生活ノートには「私は将来社会福祉主事になります」「だから一生懸命勉強するんです」とその決意が書かれていました。優等生と思われるとクラスでいじめの対象になると考え、一時は学業を放棄していた黒光さんですが、その時から、一心不乱に勉強に励むようになりました。高校卒業後は大学へ進学、社会福祉士の資格を取りました。

子どもにも母親にも寄り添いたい

大学卒業後、黒光さんは神戸市に就職し、生活保護の現場で15年間働きました。困難を抱える受給者から怒鳴られたり、激しく詰め寄られるなど、様々な苦難もありましたが、それでも、誰かのために役立つその仕事は「楽しかった」と言います。働きながら結婚もし、3人の男の子にも恵まれました。

その一方で、いつかかなえたいこともありました。それは厳しい環境にいる子どもを助けたいという思いでした。そして、子どもだけでなく、「苦しんでいるお母さんをサポートしたい」と強く願っていました。

(校内を見回る黒光さん)

生活保護の仕事を辞め、保育園で保育士として働いた後、4年前から黒光さんは兵庫県の自治体でスクールソーシャルワーカー(SSW)として働き始めました。自らの苦しかった経験を胸に、黒光さんがいつも母親たちに語りかけていることがあります。

黒光さおりさん

「本当にお母さんの気持ちを分かっているわけじゃないけど、『ほんとに分かりたいと思っているんです』ということだけは、いつもお伝えしています。私の経験は1個しかないですから、私には分からないことが山ほどあって、『何も分かってあげられへんな』とはいつも思います。それがちょっと苦しいなと。でも、『分かりたい』という気持ちだけは伝え続けています」

都会の“雪山”で生きる

取材の度に、黒光さんが口にするのが「家族の孤立」です。黒光さんは数年前に出会ったある家族のことを私たちに打ち明けてくれました。それは母親と子ども2人の3人家族、集合住宅に暮らしながら、社会とも近隣ともつながりが完全に途絶えた中で生きていたと言います。

電気も通っていないその部屋に黒光さんは半年間、何度も何度も通い、家族とつながろうとしてきました。通い続けると、少しずつ少しずつ扉が開いていきます。ドアの隙間から最初は小さな指が見え、やがて子どもが顔を見せるようになりました。そして、次は母親が顔を出すようになります。

半年後、ようやく玄関に入ると、そこはゴミで覆われた世界でした。子どもたちの遊び道具もゴミでした。飲み物さえなく、子どもたちは黒光さんの水筒のお茶を一気に飲み干しました。母親も孤独、子どもも孤独でした。黒光さんはその孤絶した世界を「雪山にとざされた空間」と表現しました。

黒光さおりさん

「普通の、いっぱい人が住んでいる集合住宅の一室やから、山奥でもなんでもないんですけど、そこに入ったら、とんでもない雪山の中に入ったみたいな、孤独感がすごくあります。そこだけが雪山に閉ざされたみたいな空間になっていて。ほんとに、お母さんも子どもも完全に独りぼっちという感じ。ほんとに言い尽くせない、居るだけで涙が出そうなぐらいつらい場所でした」

(子ども食堂で活動する黒光さん)

黒光さんが「必ず伝えて欲しい」と私たちに言い続けていることがあります。それは「いずれ誰もがケアを受け、ケアを担う」ということです。

「ケアを受けること」「ケアをすること」、それは「決して恥ずかしがったり、隠したりすることではない」と黒光さんは言います。「ケアに関わる人」と「そうでない人」、私たちの社会は知らず知らずのうちに線引きし、誰かを孤独へと追い込んできたのかもしれません。黒光さんはこう強調します。

「ケアは本当はみんなで考え、みんなで担うものだと思っています」

ヤングケアラーの問題があぶり出す私たちの社会のひずみ。その課題は大きく、もちろん黒光さんひとりで担いきれるものではありません。ただ、分断と孤立が進むこの社会の中で、子どもや家族に寄り添い、伴走しようとひたむきに努力するその姿に、ささやかな希望の光を見たようにも感じます。

私は前回、精神疾患が疑われる母親をケアしてきた琴愛さんの記事を書き、そのまとめに「社会が今一度立ち止まり、そのあり方を考えるときが来ている」と結びました。いま、この黒光さんの記事を終えるにあたり、同じ結論へとたどり着こうとしています。私たちの社会は他者に寛容であるでしょうか。人と人との違いを、病や苦しみを認め合える社会でしょうか。メディアで働く者として、自戒を込めながら、この問題を考え続けていきたいと思います。

みんなのコメント(2件)

えんじょるの
40代 男性
2022年1月31日
「ケアすること」と「ケアされること」は誰もが通る道。特に子供はケアされなければならない存在です。しかし、親が「ケアされる」状況に陥ってしまうと、その負担を子供が背負うこともあります。核家族が増えつながりが分断された日本社会の弊害ではないでしょうか。黒光さんの「社会を変えたい」という考えにとても共感します。
rescue rainbow
40代
2021年4月13日
黒光さんの様な”超機動的”SSWの存在、本当に貴重です。
ヤングケアラーの問題に限らず、いじめや学校性暴力に関しても彼女の様に機動的ソーシャルワークを実践し持てる福祉資源を活用する人材が必要。
何より一番大事なのは冒頭の作文から得る「気付き」です。この視点で広くアンテナを張る。この感覚が欠けると子供たちは救えません。
こども庁の件を鑑みても黒光さんの存在は、取り入れるべき仕組みと人材です。