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2020年11月6日

認知症ピアサポート 当事者同士で支え合う

5年後には65歳以上の5人にひとり、700万人を超える人が認知症になると言われる時代。認知症と診断された後の人生をどう歩むのかが、とても重要になっています。そうした中で広まってきたのが“ピアサポート”です。認知症になった本人が他の認知症の人の話を聞き、お互いの体験を共有することで支え合う取り組みです。
認知症ピアサポートの相談員をつとめているひとりが渡邊康平さん(78)です。5年前に認知症と診断されました。渡邊さん自身は認知症をどのように受け入れ、どんな思いで認知症の人々と向き合っているのか聞きました。

(「クローズアップ現代プラス」ディレクター 加藤弘斗)

同じ認知症の当事者だからこそ かけられる言葉がある
香川県三豊市にある西香川病院で毎週金曜日に行われている認知症ピアサポート。午前10時過ぎ、職員の宿舎として使われていた部屋に、認知症と診断された当事者や家族が続々と集まってきます。西香川病院では、診断後、不安を抱えている人や、自分の悩みについて多くを語れない人たちを医師が見極め、渡邊さんに紹介しています。

(認知症と診断された本人や家族と話す渡邊さん)

これまで渡邊さんが相談にのった認知症の当事者は70人。繰り返し訪れる人もいます。最初の相談の時、渡邊さんはまず自身の体験から話し始めます。

「地域の集まりで『認知症になったら、もうどうにもならんのう』と言われて、大きなショックを受けたことがあった。自分が言葉を話せない時期がしばらく続いた。実は今こうして元気で話せるのに、数年かかった」

「認知症」という診断に大きなショックを受け、抱えきれない不安に直面している人に対して「同じ経験をしているのは決して一人ではない」ことをわかってもらいたいからです。

当事者同士が体験を語り合い、相談にのることで支え合う、認知症のピアサポート。政府が去年まとめた認知症施策の計画「認知症施策推進大綱」で、全都道府県での実施が目標に掲げられている取り組みです。

(三豊・観音寺市医師会 三豊市立西香川病院 大塚智丈院長)

3年前、非常勤相談員として渡邊さんを雇い入れた西香川病院の大塚院長。医師が言いづらくても、認知症の本人であるからこそ伝えられる言葉があると感じています。

「“早期診断・早期絶望”と言われる状態から、前を向いて生きられるようになってほしい。だけど、認知症になっていない自分が、『こういうふうに考えたらどうか』ということを軽々しく言えない時がある。同じ立場の人がいたら、わかってもらえるかもしれないと思うことができるし、不安や悩みを軽減できる可能性がある。実際に診察では『何も困っていない。全然問題ない』と言っていた人が、ピアサポートの場に行って渡邊さんの話を聞き、涙を流されたケースがあると聞いています」

「認知症の本人だからこそ、かけられる言葉があるのではないか」。渡邊さんはこんなことを伝えています。

「もし交通事故で体のどこかの部分を失ったら、返ってこないでしょう?私は認知症もそんなものだと思っているんです。しょうがない。戻ってこない。でも、認知症になってもできることがあると思っている。できることやっていかずに人生終わったら、もったいないやんか」
診断後のショックで体重が23キロ減
(診断を受けて渡邊さんが手帳に書き込んだ文字)

「できることはある」と当事者たちに声をかけ続けてきた渡邊さん。しかし、自分自身が診断を受けた後、希望を持って生きられるようになるには長い時間がかかりました。日本電信電話公社(現NTT)に就職し、長年通信関係の機械の設営や修理などを担ってきました。49歳で退職後は、地域の民主商工会で商店などの労務や経営の相談に乗ってきました。違和感を覚えたのは6年ほど前。パソコンでの作業に支障が出始め、書類のミスを立て続けに起こすようになりました。病院で検査を受けた結果、診断は「脳血管性認知症」。渡邊さんは、その結果をすぐに認めることはできなかったといいます。

「まさか自分がなるはずがないと思って、いくつかの病院をまわったが結果はどこも一緒だった。認知症への知識がほとんどなくて、人間ではないような感じになってしまうのではないか、認知症は怖い、人生が終わってしまうというイメージを私自身も持っていた。知識がないから、逃げていくしかなかった」

診断後は人目を避けるようになり、家に閉じこもるようになりました。食事ものどを通らず体重は23キロも減少。周囲の人からの何気ない一言にも敏感になり「わしゃ、もういらん人間じゃ」そんな言葉を漏らすようになっていきました。

“本人の意思が大事” 支えてくれた妻の存在


絶望していた渡邊さんを支えたのが妻・昌子さん(77)でした。連れ添って50年、2人の子供に恵まれて夫婦で穏やかな老後を送っていた中での告知でした。

「どんなに本人が辛い思いをしているかが伝わってきて、どうにかして守らないといけないと思いました。診断された後はどんどん痩せていって、お風呂へ行くのを見てもしわだらけで、本当にかわいそうなぐらいになった。自分に何ができるか必死で考えました」

日々落ち込む渡邊さんに対し、あえて「元気を出して」という言葉はかけなかった昌子さん。渡邊さんの意思を尊重し、そっと見守りながら過ごしてきました。

「食事の準備ができて声かけをする時は同じ目線で『ご飯、できたよ。どうする?』という感じで接した。いらないと言ったら『わかった。じゃあ後でね』という具合に本人の意思を尊重するということを心がけた。あとは、相手のできることを全部奪ってしまわずに、できることはいっぱいしてもらったらいいと思います」

少しずつ元気を取り戻してきた渡邊さんを見て、昌子さんは近くの公園へ散歩に誘い出し、外出できる距離を伸ばしていきました。昌子さんは今、西香川病院で相談員としても活動し、“家族の視点”からアドバイスも行っています。

「一番はやっぱり、その人を大事な人だと思って接する言葉と接し方。家族の接し方で本人が変わる。本人が元気になったら、家族も元気になれると思います」

(洗濯は今も渡邊さんの役割)
認知症と診断されても できることは残っている
(希望大使任命イベント ことし1月)

ことし渡邊さんは、認知症の普及啓発を行うために国が選んだ「希望大使」にも選ばれました。ピアサポートを行いながら地域の学校で講演活動をするなど、認知症を正しく理解してもらうため、精力的に活動を続けています。
暇を見つけると出かけているのが碁会所。認知症と診断されてから2年ほど行くことができずにいましたが、再び通うようになり以前の実力を取り戻すことができたといいます。

「脳のなかに残らないものは増えていくかもわからんけど、残っているものもある。僕でいうとずっと読んできた新聞や本は読めなくなった。でも、碁は打てる。できないことばかり見るのではなく、自分にできることで、人生を作り直していけばいい」

認知症の当事者のなかには、診断された後、情報もなく悪いイメージが先行し「何もできなくなるのでは」と強い不安を持つ人もいます。渡邊さんは「できることを諦めない姿」を伝えることで、希望を持った人生を歩めるよう背中を押してきました。

(碁会所の大会では入賞することもある)
ピアサポートは自分の“生きがい”
診断から5年。渡邊さん自身も症状の進行と向き合いながら、ピアサポートを続けています。近頃はもの忘れが激しくなり薬の量も次第に増えてきました。それでも、認知症と診断された人が顔を上げ、その人らしい人生を歩み直す姿を見ると、自分も救われた気分になるといいます。

「当事者が元気になってくれるというのは僕の生きがいです。その人の人生が変わると周りの家族の人生もまた変わってくる。『認知症になったらもうどうにもならん』そんな考えが、僕が生きている間に変わっていったらこれ以上の喜びはないですね」

取材の最中、少しくらいもの忘れがあっても、常に笑顔で笑い飛ばしていた渡邊さん。自分らしい人生を生きるために、一日でも長く相談員を続けたいと願っています。

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