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クロ現+
2020年11月6日

「ラジオ深夜便」MC4人のすずさんへの思い 放送後記④

「#あちこちのすずさん」は、2019年からラジオ番組の「ラジオ深夜便」ともコラボしています。「ラジオ深夜便」(毎日 夜11時5分~朝5時、NHKラジオ第一)は、シニア層を中心に圧倒的な人気を誇り、30年続いている長寿番組です。この番組で、「#あちこちのすずさん」に寄せられたたくさんのエピソードをご紹介しています。

さて今年は、8月8日(土)に藤井隆さんと森田美由紀アンカーが、さらに8月15日(土)に早見優さんと後藤繁榮アンカーが、「深夜便ビギナーズ」というコーナーの中で「#あちこちのすずさん」を特集しました。

2年続けて特集した4人のMCの方に、最も心に残ったエピソードや「#あちこちのすずさん」の感想を聞いてみました。

去年に引き続いて「#あちこちのすずさん」とのコラボを楽しみにしていた、とおっしゃるみなさん。とても丁寧に答えてくださいました。



―最も心に残ったエピソードは何ですか?
今年の投稿で印象に残っているのは、ペンネーム・ジョホールさん、50代の男性の方でお父様の話かな。

お父様が戦時中、花街(かがい)で時間をつぶすことになった時に、もてなしてくれた女性にぼたもちを分けたら「もう一口ちょうだい」っていわれてみんなで分けたっていう話は、 本当はつらくて厳しいお話なんですけど、この方の書いてくださっている描写の仕方のおかげでほほえましく聞くことができたので、すごく覚えています。

ペンネーム:ジョホール さん(50歳、男性)より

私の父も、終戦を呉で迎えました(映画の主人公・すずさんも、広島市内から呉に嫁いで終戦を迎えた)。大正13年生まれの父は海軍にいて、戦艦・日向に乗って東南アジアの方に行っていたそうです。やがて日本に戻ることになり、呉へ帰港し、数日の休暇をもらい奈良の実家に帰省したそうです。その際、東南アジアで収穫された当時貴重だった砂糖を土産に持たされ、その一部で「ぼた餅」を作り、部隊に帰るときに、上官に献上するのが暗黙の了解となっていたそうです。 父も実家でぼた餅を作ってもらい、呉へ戻ったのですが、集合の時間に早く着きすぎてしまい、花街で時間を潰すことにしたそうです。そこで父は、もてなしてくれた女性にぼた餅を一つ分けてあげたところ、戦時中で久しく甘いものを口にしていなかった女性は大喜びし、ぜひ友達にも一つ食べさせて上げて欲しいと、懇願したそうです。

父が快く応じると店の別の女性がやってきて、やはり大変喜んで、もう一人だけ食べさせて上げてほしいと頼むので了承すると、また別の女性がやってきて大喜びし、そのうちに店中の女性たちがやってきてしまい、ぼた餅は全部なくなってしまったそうです。

やがて集合の時間になり、点呼とともに皆次々と上官にぼた餅を差し出すのに、父は何も無く、バツの悪い思いをしたと話していました。しかし私は、女性たちが久しぶりに甘いお菓子を食べられて良かったと思います。父は既に他界していますが、父のぼた餅を食べた女性たちが今も何処(どこ)かで元気に過ごされ、お人好しだけど、気前の良い若い水兵のことを懐かしく思い出してくれればと思います。映画「この世界の片隅に」でも戦艦・日向が出てきたり、すずさんが遊郭街で迷うシーンを観て、父もこのあたりを歩いたのかなと、感慨深いものがありました。

(※エピソードを一部省略しました)


自分は甘いものを食べるんですけど、小豆の甘さとか、小豆があんこになって舌の上で溶けていく様っていうのは生クリームとかと違ってちょっとさらっとしているじゃないですか。 その小豆のあんこの食べ心地と同じで、すごくさらっとしているけどほのぼのとしているお話だなと思いました。

とてもつらいお話もあるから苦しくなるけど、このジョホールさんの送ってくださった呉のエピソードは、その中でもあんこと同じく、やさしくさらっと聞くことができました。

―「#あちこちのすずさん」を特集した感想
(去年と今年)2回参加させていただいて思うのは、番組に寄せていただいたお葉書とかお手紙とかメールとかは、文章でいただくんですけど、やっぱりすごくその時の景色が目に浮かぶっていうのは強く感じます。それだけ、きっと書いて送ってくださっている方たちの心と頭の中に残っている風景が、すごく強烈なんだなというのを感じます。

自分たちが学校で教わったりとか、テレビなどで見てきた戦争中のお話だったりっていうものと違いがあるとするならば、やはり文章なんですけど、そこには色合いがついてて決して白黒のものではないというか、淡い色もあればすごくビビッドな色合いのお話もありますし…お便りを寄せてくださった方の記憶がとても鮮明なんだなと文章を読みながらすごく感じます。



―最も心に残ったエピソードは何ですか?
40代女性のペンネーム・あやさんが、92歳の祖母に聞いたというお話です。
「広島から家族7人で中国に移住しているときに終戦、命からがら帰国する際にお世話をしてくれた兵隊さんが、のちの祖父に。帰国後の広島は焼け野原でお友達の多くが亡くなっていた。祖母は、家族皆が信頼していたあの兵隊さんと汽車に乗って仙台にお嫁に。 2人は金婚式を迎えてもラブラブ。祖母は、亡き祖父が中国でくれたラブレターを今でも諳(そら)んじる。 『幾たびか考えた挙句、単刀直入すべく筆をとりました。私はあなたに漠然とした愛情を感じ、その想いが増し、乱れがちです』 祖父母のような関係がわたしのあこがれ」というエピソードでした。

死と隣り合わせの引き揚げの際に生まれたラブストーリー。 戦後の様々な苦難もお互いを心から思いあい、乗り越えてきた夫婦の絆の歴史が、戦争の記憶とともに孫の世代に確実に伝わっていることの素晴らしさを感じます。

―「#あちこちのすずさん」を特集した感想
藤井隆さんもとても喜んでいましたが、放送中、メッセージを聞いた10代からたくさんのメールがきたことですね。自分の肉親からは聞いたことのない戦時下の人々の暮らしを知り、戦争を他人事ではなく、身近に感じたこと。祖父母や親に話を聞いてみたいと思ったこと。大きな不安や恐怖、物不足の不自由な戦時下の暮らしを、コロナと闘う今と重ね合わせ、そんな状況でも強く、時には笑いながら暮らす人々への共感もつづられていました。 戦争の記憶がこのように若い世代に伝わっていくことに感慨深いものがあったと同時に、放送をきっかけにこれまで辛い戦争の記憶を封印していたみなさんからもメッセージが届いたことがありがたく、このキャンペーンの意義を感じました。

私自身の話ですが、子供の頃に戦争を体験した両親からはいつでも当時のことを聞けると思い、しかし、結局、ごくたまに断片的にしか聞けぬまま、両親は亡くなってしまいました。 そんな中でも不思議と覚えているのが、4人姉妹だった母の一番上の姉にあたる伯母のこと。いとこの家に遊びに行くと、伯母が台所でひとりスプーン一杯の砂糖を食べているのを何度か目にしました。

おいしいお菓子がたくさんあるのに、どうして砂糖を食べるの?と聞くと、おばちゃんはこうやって好きなだけお砂糖を食べるのが夢だったのと言います。北海道の大きな農家だった母の家では、戦時中飢えることはなかったけれど、甘いものはめったに口に入らず、特に一番年上の伯母は少し甘いものがあっても、妹や弟たちのために我慢。いつかスプーン一杯のお砂糖を食べたいとずっと思っていたといいます。戦後20年近く経っていたその当時でも、甘いものを熱望した思いは戦時中と変わらなかったのでしょう。

あちこちのすずさんにも、そんな食べ物の思い出が多くありました。 料理好き、食べるの大好きの、藤井隆さんと私が、今、十分に食べることができ、食の話を楽しめるのも、戦争を乗り越えてきた先輩たちの苦労と頑張りがあったからこそ、と放送中も話していました。

―最も心に残ったエピソードは何ですか?
昨年同様、たくさんのメッセージをいただきましたけれども、(今年の放送で)最後から2番目に読んだのにグッときちゃいました。

ペンネーム:蓮華の花が好きさん より

子供の頃、祖母から「あなたのおじいちゃんは戦死したんだよ。大きな船に乗っていて、あなたの父親が7歳の時に船ごと沈んじゃったんだよ」と聞かされていましたが、父とは戦争の話をしたことはありませんでした。でも少し前にお仏壇の引き出しの中から、祖父が書いた戦地からのハガキを見つけました。そこには農作業を手伝えないことをわびる気持ちと、息子の元気な成長を祈る言葉がつづられていました。父はこのハガキの存在を知らなかったらしく、何回も読み直しては驚きで涙を流していました。戦死した父親の記憶はあまりなく、空襲のサイレンがなると防空壕や稲の中に駆け込んだのが町内会のかけっこみたいで楽しかったんだよとほほえんでくれました。これからも父を支えて、今をもっと大事に生きなければいけないと思いました。

私、なんか、これを読んだとき、ちょっとうるうるってきてしまったんですけど。

だって戦地にいて、自分自身がこれから生きるか死ぬかっていうその時に、農作業を手伝えないことをわびるって…家族に対してのすごく愛がいっぱいあふれる、精一杯のお手紙だったのかななんて思います。今の私たちの置かれている(新型コロナの中での)状況もそうですけど、今まで当たり前だったこととか、幸せだったっていうことの意味を改めて考えさせられる時代であって、もちろん体験していることが全然違うんですけれども…でも、先行きがどうなるか判らないっていう不安な気持ちとか、中にはご家族と離ればなれになってしまっていてなかなか会いに行けなかったりとかしたときに感じる気持ちって言うのは共通している部分があるのかなと思って、なんか、グッときちゃいました。

あとは、やっぱり恋バナ。私は昨年に続いて、恋バナが好きです。

あの「世界の片隅に」のすずさんと周作さんの物語もそうですけど、結婚してもお互い「何々さん」って呼び合うとかですね。もちろん戦争って大変な時代で、私は戦争のことは教科書でしか読んだことがなかったり、映画で見たりするしかなかったんですけど…。

―「#あちこちのすずさん」を特集した感想は?
すずさんのように、ああいう時代でも本当に懸命に生きていて、少ない食料を増やしてみんなとおいしくいただくとか、私たちが何気なくしていることなんだけど、それをひとつひとつ大切に、一日一日を大切に生活していくすずさんの姿をとっても素敵だなと思います。 恋愛も、恋愛なんてって思うんですけど、人間関係ってどの時代でも大切だから、恋愛もしていましたよね。気持ちが抑えることができないから、好きになったら好きとちゃんと表現して。(今年の放送でも)防空壕で告白した、プロポーズしたなんていう話も出ました。本当に強く生き抜いて、また生きようっていうみなさんの気持ちがメッセージから学べて、すごくいいなぁと思いました。

本当に、この特集、好きです、私は(笑)

今は…どうしても今の(新型コロナの中の)状況と比較してしまうんですけど、でも何か、人と会えないとか触れられないという状況だから、落ち込んじゃったり、さみしいとか、孤独さを感じるんですよね。でも、戦時中の方たちが強く生き抜いたように、私たちも先を見て、強く生きなきゃいけないのかなと思います。



―最も心に残ったエピソードは何ですか?
新潟県、ペンネーム・65のジジイさんが、亡き父親から聞いた話です。戦車を組み立てる軍需工場で砲台をつけるまでの仕事をしていた、完成すると上官に内緒で爆走してよく叱られた、というエピソードです。よく叱られた、ということは結構な頻度で楽しんでいたということか…もし自分なら?と考えました。戦地の兵隊さんに対して不謹慎とは思っても、やはり同じことをしていただろうと思います。戦時下でも、いや戦時下だからこそ若者にはストレスを発散させることが必要だったのかもしれません。

ちなみに私の兄は、学徒動員で戦闘機をつくる工場へ行っていたんです。若い男子にとっては戦闘機に関われることはうれしくてたまらなかった。でも戦争末期で物資が不足し、飛行機の羽を胴体に取り付けるのにもボルトやナットがなく、何と針金で括り付けていたそうです。試験飛行ではうまく上空へ飛べて拍手が起こったけれど、その直後、機体が空中分解して元気に手を振っていた飛行兵は墜落、死亡してしまったといいます。このことで戦争が終わりに近づいていることを感じたと話していました。
―「#あちこちのすずさん」を特集した感想は?
多くのお便りを読みながら、戦時下の暮らしをリアルに実感することが出来ました。戦争による悲惨な状況も十分に伝わってきたのですが、そのなかで生きていくための笑顔も垣間見えました。この特集をきっかけに、家庭で改めて戦争について話し合いが持たれた様子をお便りから感じ取りました。暮らしの視点から戦争を見つめ直すことを、実際に体験した人たちに聞く機会を増やしていきたいと思います。

#あちこちのすずさんでは、当時、この世界のあちこちで起きていた暮らしの中のエピソードを集めています。

あなたのおじいさんやおばあさん、身近な人が、戦争中、日常をどんなふうに暮らしていたか教えてください。

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