クローズアップ現代+

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#あちこちのすずさん
去年の夏、クローズアップ現代+で放送した「#あちこちのすずさん」。
「この世界の片隅に」の主人公・すずさんのように、戦争を懸命に生き抜いた普通の人たちの体験が集まり、大きな反響がありました。
もっと多くの人に広がれば。戦争の記憶を語り継ぐきっかけになれば。
今年、「らじらー!」、「あさイチ」、夏の特集番組などさまざまな番組やネットを通して #あちこちのすずさん のエピソードを届けます。

▼戦時中のエピソードを集めています。投稿はこちらから。
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2019年9月6日
エピソード|大切なあなたへ、いまも受け継がれるアンザックビスケット

オーストラリア出身の27歳の女性が寄せてくださったエピソードです。

「オーストラリアにもこんな話があります。戦争中、オーストラリアから多くの兵士がヨーロッパに派遣されました。自国に残る女性たちは夫や息子、恋人など、大切な男性に特別な“アンザックビスケット”を焼いて戦地まで送ったそうです。戦地が遠く、輸送に時間がかかるので、オートミールや糖蜜などの保存しやすい材料を使って作っていました」。

アンザックビスケットは、第1次世界大戦のとき、妻や母親、恋人などが、戦地の兵士に少しでも栄養のあるものをと、ビスケットを焼いて送ったのがはじまりです。当時の輸送は船で、長い時間がかかってしまうため、卵などを使わずにたっぷりのオートミールやココナッツ、糖蜜など、保存しやすい材料で作られました。作り方は簡単で、ボウルに材料を混ぜてフォークで少しずつ天板に並べて焼くだけだそう。

「アンザック」という名前は、第一次世界大戦時に編成されたオーストラリアとニュージーランドの連合軍、ANZAC(Australia and New Zealand Army Corps)に由来します。ANZAC軍は、フランス、イギリス兵と共にトルコ軍と戦いましたが、3万3千人以上の犠牲者を出しました。

オーストラリアとニュージーランドなどには、ANZACデーという祝日があり、今も毎年4月25日に、戦争や紛争で、国家に身を捧げた兵士たちの勇敢さを称えるための追悼を行っています。4月25日は、第1次世界大戦中の1915年、ANZAC軍がトルコ(当時はオスマン帝国)のガリポリ半島に上陸した日。この戦争で亡くなったANZACの兵士たちを追悼する日としてANZACデーが制定されましたが、第2次世界大戦を経て、国家に奉仕した全ての兵士に思いを馳せる記念日となりました。今でも、ANZACデーが近づくとアンザックビスケットがあちこちで売られています。日本でも購入できるお店があるそうです。


#あちこちのすずさん」では、当時、この世界のあちこちで起きていた暮らしの中のエピソードを集めて、イラストやアニメにしていきます。

あなたのおじいさんやおばあさん、身近な人が、戦争中、日常をどんなふうに暮らしていたか教えてください。
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2019年8月19日
エピソード|人形に託した母の思い

両親と離れて疎開した、土屋啓子さんのエピソードです。

「いまも天然の良港として知られる室蘭港。戦時中、わたしたち家族は、その室蘭港の近くで酒屋を営んでいました。父、母、姉、弟、そしてわたしの5人家族。人形好きな母の影響もあり、戦前から姉と人形でよく遊んでいました。毎年ひな祭りには、ひな人形以外の人形も一個一個箱から出して、一緒に飾るのがわが家の風習でした。

当時の室蘭港は、製鋼・製鉄所などの軍需工場を抱えた軍港だったため、攻撃の標的になっていました。昼夜問わず、空襲警報に脅かされ、艦砲射撃も受けました。そのつど、防空ごうに避難する日々。そして、昭和20年7月、室蘭は大規模な艦砲射撃を受け、街は大変な被害を受けました。

「今後も空襲や艦砲射撃が続くかもしれない」と考えた両親は、姉と弟、わたしの3人を知り合いのいる洞爺湖に疎開させることにしました。姉は小学5年、わたしは小学1年、弟は4歳でした。

そのとき、姉とわたしが母から託されたのがサクラビスク人形です。市松人形と西洋のビスク・ドールのハーフのような瀬戸物でできた人形で、横に寝かせると眠り目になります。

母は、「人形は何かあったときの身代わりになる、連れて行きなさい」と、姉とわたしにそれぞれ一体ずつ手渡してくれました。父と母は室蘭の家を再建させるため、そのまま残りました。

わたしは疎開している間、その人形を「ママー人形」と呼び、ずっと肌身離さず持ち歩きました。ママ-人形は、母がいない寂しさを紛らわせてくれました。

終戦を迎え、室蘭に戻りましたが、街は散々やられていました。普通に生活を送れるようになったのは、終戦からずいぶん経ってからです。戦火をくぐり抜けて生まれてきた妹の睦子を交え、昔のようにおひな様と、ママー人形を一緒に飾ったとき、私たち家族の戦争もやっと終わったと思いました」。

こちらのエピソードは、大学院生の土屋りゅうさんが、「#あちこちのすずさん」キャンペーンを知り、おばあさまに戦時中のお話を聞き取りお寄せくださいました。おばあさまは疎開先では、釣りをしたり、かぼちゃを植えたりして、「意外と楽しかった」とも話されていたそう。また、ひな祭りにひな人形以外の人形も一緒に飾る土屋家の風習は、おばあさまとおばあさまのお姉さまに、ちゃんと引き継がれているそうです。


#あちこちのすずさん」では、当時、この世界のあちこちで起きていた暮らしの中のエピソードを集めて、イラストやアニメにしていきます。

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2019年8月15日
のんさんから「#あちこちのすずさん」へ

「わたしのような、全国にいる新参者のすずさんに受け継いでいってほしいなとおもいます」
のんさんから「#あちこちのすずさん 」に向けていただいたメッセージ動画です。(1分30秒)

のんさんは、12月の新作映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の主人公・すずの声を演じます。

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2019年8月9日
エピソード|海辺で社交ダンス

大正生まれの「モダン・ボーイ」と「モダン・ガール」の、小粋でおしゃれなロマンティックストーリー。坪井清さん、春子さん夫妻のエピソードを紹介します。

「昭和17年、夫、坪井清とわたしは結婚しました。私たちは同じ出版会社に勤めていて、当時ではめずらしい社内結婚。夫は、広報担当。わたしは、和文タイピストでした。

私たちが結婚に至ったのは、夫からのアプローチがきっかけ。夫が仕事を頼むフリをして、口説いてきたのです。「これをタイプしてくれ」と言われ、白いメモ用紙を渡されました。そこには、「○○で会おう」と待ち合わせの場所が。結婚前の男女の交際が今ほど自由にできない時代でしたが、私たちは恋におち、結ばれました。

結婚した翌年、戦況が悪化してきたため、わたしは実家の千葉県に疎開。夫は勤務があったため、東京に残り、わたしの疎開先と行き来していました。

そんなある日、夫より召集令状が手元に届いたことを告げられました。
私たちは永遠の別れを覚悟しました。

「きっとこれが最期になるだろう」。
夫は開襟シャツとスラックス姿に。洋服を着ることは制限されていましたが、私はハットをかぶり、ドレスを身にまといました。

そして、私たちは海辺に行き、はだしで社交ダンスを踊りました。
戦前は洋服を着こなし、カフェでダンスを踊るのが私たちの共通する趣味だったのです。

なのに・・・。
憲兵らしき人に見つかり、「男女がくっついて何しとる!」とどなられ、こっぴどく叱られました。「私たちは結婚している夫婦です」と説明して、なんとか許されましたが、雰囲気は台なしになってしまいました」。

こちらの投稿は、坪井清さんと春子さんの娘さん、目瀬恵さんがお寄せくださいました。いまは亡き、ご両親から何度も聞かされたお話だそうです。

清さんが派遣されたのは、南方のインドネシアでしたが、昭和22年に復員。清さんと再会した春子さんの最初の一言は、「幽霊じゃないんかね」だったそう。

おしゃれでモダンな2人。再会後、ダンスの続きを踊ったのではないかなと想像してしまいますね。


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2019年8月8日
“馬ぐそパン”の思い出

幼かったゆえに・・・。田中順子さんの、忘れられない食べものエピソードです。

「5歳ごろでしょうか。千葉県四街道市に暮らしていました。近くに軍事施設があって、将校さんがよく馬で行き来するところで、道ばたには馬ふんの“落とし物”が転がっていました。

父が早くに死去したため、母は教師となり学校に勤めていました。竹やり訓練などもあり、とても忙しかったため、わたしは祖父母に育てられました。

祖父母は当時、70歳ぐらい。祖母は、わたしになんとか食べさせてあげたいと、食料不足の中、一生懸命に工夫して料理をしてくれました。

そんな日々のなか、カボチャ畑にある防空ごうをカモフラージュする作業を終えた祖父と一緒に縁側に座ると、祖母が漬け物を添えたおまんじゅうを出してくれました。

配給で手に入ったサツマイモ粉を練り、ふかしておまんじゅうにしてくれたのです。そのおまんじゅうが焦げ茶色で、一つ一つが握り拳の3分の1ほどの大きさ。3人分で6~7個、固まってお皿の上に置かれていました。

その様が、将校さんの馬の“落し物”に見えてしまったわたし。
つい、「馬ぐそパンだ!」と言って笑ってしまいました。

すると、日ごろ優しかった祖父が一変。
「何言うんだ!ばあさん、お灸を持ってこい!」 と怒りました。

祖母は、まあまあと止めてくれましたが、親指と人差し指の間におきゅうを据えられ、わたしは泣きました。
泣きながら食べた、馬ぐそパン。甘くて、おいしかったです」。

今年7月で80歳を迎えた田中さん、当時の祖父母の気持ち、歳を重ねてより分かってきた部分もあるかもしれませんね。


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2019年8月6日
エピソード|雪に書いた「ABC」

戦時中に禁止されていた、英語の勉強が大好きだった初子さんのエピソードです。

「わたしは昭和2年、山陰地方の雪深い地に生まれました。勉強が好きで、特に、英語に興味津々でしたが、戦時中は英語の勉強は禁止。学んでいると叱られました。

でも、どうしてもアルファベットを覚えたい。
そこで学校からの帰り道、降り積もる雪の上に「ABCD~」とアルファベットを書いて覚えながら帰りました。とめどもなく降る雪で、アルファベットはすぐにかき消されてしまうため、叱られることはありません。

寒くて、お腹もペコペコでしたが、こうして学ぶ英語はとても楽しかったです」。

投稿を寄せてくださったのは、初子さんの娘さん、ぺこりんさんです。 ぺこりんさんが、お母さまから最初に買ってもらった絵本は「ABCの本」。初めて教えてもらった歌も「ABCの歌」。そして、初めて持たせてくれたハンカチは、イラストと一緒に「KONNNICHIHA」や「GENKI?」など、ローマ字表記がプリントされたものだったそう。

戦後、大阪に移住されたお母さま。“英語ペラペラ”とはならなかったそうですが、街で外国人をみかけると、大阪弁で声をかけて仲良くなり、バス代を支払ってあげることもあったそうです。

お母さまの死後、身の回りの品を整理していると、チラシの裏に歌謡曲『オールド・ブラック・ジョー』の歌詞が。
I hear their gentle voices calling…

「母は自分の死が近いと感じ、英語の歌詞を書いて、自分なりに死を受け入れようとしたのかな」とぺこりんさんはいいます。

*オールド・ブラック・ジョー:アメリカの作曲家フォスターの代表的歌曲。若さと喜びの日々は過ぎ去り、友をすべて失ってしまった老人の哀しみを歌っている。


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2019年8月6日
「記憶の解凍」-色彩がつなぐ、戦時中の暮らし-

戦時中の暮らしの記憶を語り継ぐ「#あちこちのすずさん」の取り組み、NHK以外でも広がっています。
いま、戦前・戦時中の白黒写真を、最新のAI技術と当事者の記憶を元に、カラー化する試みが行われています。カラー写真として復元されたとき、目の前によみがえる過去の記憶。凍りついていた戦前・戦時中の記憶を“解凍”する取り組みを紹介します。

https://www.nhk.or.jp/gendai/kiji/157/index.html

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2019年8月5日
インタビュー|八乙女光・伊野尾慧(Hey! Say! JUMP)

ラジオ番組「らじらー!」でMCを務めるHey! Say! JUMPの八乙女光さん、伊野尾慧さん。 リスナーのみなさんと一緒に5月から、戦争中の暮らしのエピソードを取材する「#あちこちのすずさん」企画に取り組んできました。
おふたりに、「らじらー!」やロケを通して感じたこと。また、生出演する8月10日(土)放送のNHKスペシャルに向けた意気込みを伺いました。

▼インタビュー記事(全文)はこちら▼
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=19561

●放送
8月10日(土) 
夜8時5分~9時55分[ラジオ第1] 「らじらー!」
夜9時 ~9時49分[総合]   「NHKスペシャル」
※夜9時~9時49分はテレビの音声をラジオでも放送します。

#あちこちのすずさん
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2019年8月2日
エピソード|アサリを守った妊婦

“どうしてもアサリを食べたい”。空襲のなかアサリの砂抜きをした町田千代子さんのエピソードです。

「戦時中、幼い娘を連れて長野県に疎開していました。夫は、航空メーカーのエンジニア。零戦づくりのため、千葉県に単身赴任していて、1年ほど離れて暮らしていました。

昭和20年6月、戦況は悪化していましたが、夫の家の世話をしに千葉県の蘇我に行くことに。2歳の娘を連れ、汽車を乗り継ぎ1日がかりの大移動。その上このとき、新たな命を授かっていて妊娠5か月の身重な体でした。

夫の住まいは、海岸沿いにある社宅です。海産物が大好きなわたし。疎開先の長野では、海産物が食べられずにストレスがたまっていました。これを好機にと、さっそく潮干狩りに。喉から手が出るほど食べたかったアサリをたくさん収穫しました。夜勤明けで帰ってくる夫にも食べさせてあげたい、そう思いながらアサリの砂抜きをしていると、空襲警報が。機銃掃射の音も聞こえてきます。急いで避難しなくては。でも、せっかく手に入れたアサリ。「空襲なんかで手放してたまるか!」と思い直し、社宅にとどまりました。

しかし、社宅も機銃掃射を受け、銃弾が壁を貫通。茶だんすに大きな穴が!
わたしは命からがら、間一髪で逃げ出しました。

結局、アサリを食べたかどうか…。覚えていません」

このエピソードを寄せてくださったのは、孫の小林清香さんです。海産物が大好きだった千代子さんは、戦後も毎日のように魚屋さんに通っていたのだとか。99歳までご健在だった千代子さん。亡くなる10日前にも「すしが食べたい」といい、ぺろりと平らげたそう。清香さんも食べるのが大好きで食の道へ。「あさりの味噌汁は祖母を思い出しますね」といいます。


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2019年7月30日
エピソード:香りの記憶

戦時中、大分県の女学校に通っていた中村はるえさんのエピソードです。

「学校に秘密で、香水が入ったガラス瓶を持ち込んだ友人がいて、教室で割ってしまいました。教室中に香りが広がり、その匂いをかいだ瞬間に、「ああ、今が私たちの青春だ」と強く感じました」。

投稿を寄せてくださったのは、山下秀人さん。高校生のとき、ご自身のおばあさまのご友人、はるえさんから教えてもらったそうです。はるえさんは、とても懐かしそうに話してくれたと山下さんはいいます。
「はるえさんが戦時中のことを振り返ったときに、真っ先に話してくれたのが、香水のお話でした。よっぽど印象に残っているんだろうなぁと思いました」

当時、女学校に通っていたのは現在の中学生や高校生にあたる年齢の女子生徒たち。もしかしたら、内緒で友人と香りを楽しもうとしていたのかもしれません。貴重な香水の瓶を割ってしまったこと、家族にどんなふうに説明したんでしょうか。香りって、すごく記憶に残りますよね。戦争中にも当たり前にあったはずの「かけがえのない青春」。香った瞬間、それぞれの頭の中にどんな思いがよぎったのか…それを想像するだけで、なぜかドキドキしてしまうエピソードです。


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2019年7月28日
エピソード|忘れられない“ホクホクかぼちゃ”

戦時中、富山県で過ごした節さんのエピソードを紹介します。家の近くに軍需工場があり、度々空襲を受けていたさなかでの出来事です。

「父が病弱だったため、母とわたしは栄養のあるにんにくや卵を手に入れようと、連日着物を片手に農家をまわっていました。

ある日、にんにくと卵を手に入れ帰路につこうとしたときに、突然、空襲警報が。
慌てて逃げていると、近くに防空ごうを発見。「ここに入りなさい!」と中の人が言ってくれたおかげで、間一髪で避難することができました。防空ごうに、すさまじい爆撃音が鳴り響きました。

ようやく空襲警報が解除され外に出ると、目の前にあったのは、ホクホクに湯気を上げるたくさんのかぼちゃ!
避難しているときは気づきませんでしたが、防空ごうの前にはかぼちゃ畑が広がっていたのです。空襲によって、かぼちゃ畑が一面、焼かれたのでしょう。

ひもじい思いをしていた母とわたし。ひかれるように畑に入り、ホクホクのかぼちゃを夢中で食べました。とても甘く、あの味はいまでも忘れられません」。

この投稿は、節さんの娘さん、堀 幸子さんがお寄せくださいました。子どもの頃から、食卓にかぼちゃが並ぶたびに、節さんは「あのときのかぼちゃはほんと美味しかったわぁ」と、ニコニコ顔で話されていたそうです。


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2019年7月26日
アーティストDAOKOさんが描いた「#あちこちのすずさん」

15歳でインターネット上に登場し、独特の歌詞とリズムで幅広い世代を魅了してきたアーティスト・DAOKOさん。「特定の言葉では表せないようなことを表せるのが絵」だと言います。 実は、DAOKOさんは、幼い頃から絵を描くのが大好きで、学生時代には美術を専門的に学んでいました。アーティストとして表現の幅を広げていく中で、絵のもつ可能性に改めて挑戦したいと考えていました。映画『この世界の片隅に』のファンでもあるDAOKOさん。アーティストとして、大きな刺激を受けたといいます。

今回「#あちこちのすずさん」に寄せられたエピソードを読み込み、2枚の絵を描き上げたDAOKOさん。どんな思いを込めたのかを伺いました。

https://www.nhk.or.jp/gendai/kiji/150/index.html

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2019年7月23日
エピソード|汚れたプールが“かなづちを救う”

北九州市で子ども時代をすごした、けんいちさんのエピソードを紹介します。

「戦時中の学校のプールは、とても汚く、いつも濁っていました。藻やコケで、ほぼ真っ黒。水がとても貴重であり、さらに防災用に水をためていたので、プールの水を入れ替えることはありませんでした。

そんな中、プールの授業が。実は、かなづちだったわたし。戦争に備え、教師の指導はとても厳しく、「泳げない」なんて言ったら、ひどく怒られることは間違いない。いったいどうすればいいのか?
なんとか切り抜けるためにわたしが考えたのは、片足をプールの底につけたまま平泳ぎをしてみせることでした。底が見えないほど汚れたプールだったのが幸いして、顔を水につける必要もなく、足がついていることもばれませんでした。

ところが、そのフォームが先生の目にとまり、「みんな、けんいち君のきれいな泳ぎを見てください」と言うのです。お手本にと、生徒全員の前でもう一往復泳がされることに。ばれないか本当にひやひやしました」。

このエピソードは、けんいちさんのお子さんの、ちぽりんさんがお寄せくださいました。ちぽりんさんが子どものころ、お父さんが楽しそうに話されていたのだとか。

今年、85歳で他界されたけんいちさん。ちぽりんさんはこのエピソードと共に、得意げに話すお父さんの顔を思い出されるそうです。ちなみに、ちぽりんさんはお父さんと一緒に泳いだ記憶はないと言います。


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2019年7月19日
エピソード|わたしは“スカーレット・オハラ”

物資不足の中でも、おしゃれをあきらめなかった中島フミさんのエピソードを紹介します。

「わたしは大正15年、山形県に生まれました。女学校を卒業後、郵便局でタイピストとして働いたあと上京し、浅草の保育園で事務員として勤めました。19歳のとき、東京大空襲を経験。ふるさとの山形が心配でしたが、大変な状況を放り出すわけにはいかないと思い、東京に残り保育園に勤め続けました。

戦後、復員した元兵隊たちから何度かデートに誘われることがありましたが、物資不足で着ていく洋服がありませんでした。そこでカーテンを黒色に染めて、裁断。ワンピースに仕立てて、デートに着ていきました」。

エピソードを寄せてくださったのは、孫のヤギ タエコさんです。フミさんは、タエコさんにこのエピソードを話された際、「わたしは日本のスカーレット・オハラよ」とちょっと恥ずかしそうに言われたそうです。

「スカーレット・オハラ」は、アメリカ南北戦争の時代を舞台にした小説『風と共に去りぬ』の登場人物です。小説を原作にした映画は世界中で大ヒット、日本でも戦後の1952年に初公開されました。

スカーレットは、戦争によって多くのものを失なっても、美しい容姿と商才を生かし、自分の力で人生を切り開こうとする魅力的な女性。小説の中には、スカーレットが屋敷に残った深緑色のカーテンを裁断してドレスにする場面もありました。フミさんもご主人以外にも求婚されるほど魅力的だった一方で、孤児のお世話をするなど、優しく芯が強い女性だったそうです。自身が経験された東京大空襲とその苦労を、スカーレットと重ねたのかもしれませんと、タエコさんは話されていました。


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2019年7月17日
エピソード|機械油でホットケーキ

埼玉県の軍需工場で働いていた、はるさん(昭和2年生まれ)のエピソードです。

「女学校には行かず、軍需工場で衣類の製作に携わっていました。一人一台、作業用のミシンが与えられ、一日中ミシンと向き合う毎日。定期的にミシンに機械油をさすのもわたしの仕事でした。

そんなある日、周りの目を盗んで、ミシンにさす機械油を布の端切れに浸し、布ごと家に持ち帰りました。その油を使ってホットケーキを焼き、家族と食べたのです」。

こちらのエピソードは、はるさんのお孫さん、栗山ゆうこさんがお寄せくださいました。

おばあさまは、料理にこだわる人だったそうです。「きっと、油があったほうがおいしく焼けると考えつき、持ち帰ってきたのだと思います」と、ゆうこさん。お嫁に行くとき、はるさんが唯一尋ねたのが「近くに美容院はありますか」ということだったとか。料理好きで、おしゃれも好き。年をとられてからも、新聞やテレビでたくさんの情報を仕入れていたというおばあさま。ゆうこさんは、おばあさまが今の時代に生まれていたら、どんな仕事についていたのだろうと、あれこれと想像されるそうです。

※はるさん、栗山ゆうこさんは仮名です。




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2019年7月12日
エピソード|大好きなお兄ちゃんと蛍の明かり

戦時中、岐阜県美濃市で子ども時代を過ごした、としこさんのエピソードです。としこさんは9人きょうだい、すぐ上のお兄ちゃんを慕っていたそうです。

「当時、12歳ぐらいだったお兄ちゃん。夏になると山に行き、ひごで作った鳥かごのようなものに、しこたま蛍を捕まえてきました。夜、蛍の光を家の明かりにするのです。部屋を明るくしていると焼夷弾で狙われてしまうため、電球やろうそくは使うことができませんでした。

警報が『ウゥゥー!』と鳴れば、蛍を掘りごたつの中に入れ、きょうだい皆で堀ごたつに頭を突っ込みました。『明るいね』と蛍の光を皆で見ていると、いっときだけ、空襲の怖さを忘れることができました。

蛍の命はとても短く、薄暗くなるとお兄ちゃんは怖かったろうにまた山に出かけ、一生懸命に蛍を集めてきました」。

このエピソードは、としこさんの娘さん、かんちゃんさんがお寄せくださったエピソードです。
毎年夏になると、お母さまは、お兄ちゃんと蛍の思い出をニコニコ顔で家族に話してくれたのだとか。和紙で有名な美濃市は水がきれいで、いまでも蛍を見ることができ、蛍の光を見るたびに、今は亡きお母さまの笑顔を思い出されるそうです。


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2019年7月4日
近江アナの“すずさん”|“特攻予備軍”だった理科の先生

私、近江友里恵が、中学2年生の時に理科の先生だった佐原正さんに、お話を伺いました。現在94歳でいらっしゃいます。

【志願して陸軍へ】
先生は19歳のとき、陸軍のパイロット見習い(※)に志願します。いつ特攻に出てもおかしくない、いわば“特攻予備軍”で、入隊後すぐ遺影用の写真を撮影したといいます。「お前たちの命はあと2年と思え!」そんなことを上官に言われる中での訓練生活でした。

志願して陸軍に入隊したというと、勇ましいイメージですが、実は先生が入隊した大きな理由は「飢えをしのぐためだった」といいます。

【15歳が経験した孤独と飢え】
先生は幼い頃に父親を亡くし、母やきょうだいは結核で一緒には暮らせず、祖母に育てられました。しかし、その祖母とも12歳で死別。いったん親戚に預けられたものの、15歳から東京で1人で暮らしていくことになります。長く置いてくれる下宿はなく、教科書と毛布だけを持って転々とする日々が3年以上続きました。ちょうど、米や衣服といった生活必需品が配給制に変わり、自由に手に入らなくなっていった頃です。

独り身で調理をする台所もなかった先生は、自治体に「外食券」と呼ばれる食券をもらいにいき、「外食券食堂」で食事をしていました。しかし、食堂のご飯の量は元々少なめで、さらに戦局が悪化するにつれて、ごはんがおかゆになったり、代用品の雑穀や芋になったりするなど、内容はどんどん乏しくなっていきます。学校の授業が全くなくなり、軍需工場で毎日働かされる中、もともと60キロあった体重が48キロにまで減ってしまいました。雑草を食べて飢えをしのいだこともあったそうです。(タンポポはとてもまずかったとか…)。

【”報国”よりも食べるため】
身寄りがなく日々飢えが続く中、先生は「明日飢え死にするよりも、少しでも食べられるなら」と入隊を決めたのでした。「尽忠報国なんて立派な精神で入ったわけではなかった」。インタビュー時の先生の言葉です。

そこで初めて同年代の友人ができ、友人の差し入れのおにぎりをもらいました。そのおにぎりは、一生忘れられない味になったそうです。飢えと孤独で弱り果てていた青年にとって、久しぶりに口にしたおにぎりがどんなに美味しかったことか…。

食についての記憶は、70年以上たった今でも強烈に残り続けるのだと感じました。

戦争について「暮らし」という視点で丁寧に見つめ直すことで、当時の人々の気持ちや情景が、より鮮明に浮かび上がってくるように思いました。

※「特別操縦見習士官」のこと。日本軍が戦線を拡大するなかで、短期間でパイロットを養成しようと高等教育機関から志願者を募った制度のことです。


#あちこちのすずさん」では、当時、この世界のあちこちで起きていた暮らしの中のエピソードを集めて、イラストやアニメにしていきます。

あなたのおじいさんやおばあさん、身近な人が、戦争中、日常をどんなふうに暮らしていたか教えてください。

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https://www.nhk.or.jp/gendai/request/suzusan.html

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2019年7月2日
エピソード|洗面器で子猫を救ったおばちゃん

ある女性が出会った、戦時中の心優しい“すずさん”を紹介します。

昭和50年ごろ、東京のアパートで1人暮らしをしていた20代の女性。近所の銭湯で、あるおばちゃんたちに出会いました。

湯上がりの半裸のまま、ソファーでくつろぐおばちゃんたち。語り合っていたのは、東京大空襲の思い出話でした。

聞くともなく、つい耳を傾けると…

「その頃、ウチの猫が子どもを産んでいて、とっさに洗面器に子猫たちを入れて、それだけ持って逃げた」
と、笑って話すおばちゃん。

空襲で生きるか死ぬかの大変なときに、おばちゃんが子猫を助けたことに感動した女性は思わずおばちゃんを見つめ、ニカッと笑いかけていました。

女性はその後、おばちゃんと会うことはありませんでしたが、おばちゃんたちが過ごした戦時中の若き日々に思いを巡らすきっかけとなったそうです。

〔すわ はつえ さんからのエピソード〕




#あちこちのすずさん」では、当時、この世界のあちこちで起きていた暮らしの中のエピソードを集めて、イラストやアニメにしていきます。

あなたのおじいさんやおばあさん、身近な人が、戦争中、日常をどんなふうに暮らしていたか教えてください。

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2019年6月26日
片渕監督のメッセージ ―すずさんが教えてくれること―

映画『この世界の片隅に』には、戦時中の普通の人々がどう暮らしたかがありのままに描かれました。片渕須直監督が共鳴した、暮しの手帖社の『戦中・戦後の暮しの記録』について、どのように感じたのか聞きました。
(去年8月に放送した「クローズアップ現代+」でのインタビュー内容を再構成しました)

―「戦中・戦後の暮しの記録」を読まれてどのように感じましたか。

片渕監督:やっぱり正史、正しい歴史の中では触れられないことですよね。人々がどうやって暮らしていたのかということを、歴史として覚えとかなきゃという気がしました。

―歴史として覚えておく?

片渕監督:戦争中って命を脅かされるわけですよね。いつ爆弾や焼夷弾が降ってくるのかとか。でもそういうことよりも、普通の暮らしが延々と続いてるんです。そっちの方が、自分たちが今やっていることですから。日々の暮らしがあったうえで、空襲があったということですものね。

―当時の10代、20代の戦争感をどう感じましたか。

片渕監督:学校に行かなきゃいけない年でしょ。僕らが毎日学校に行くのめんどくさいなとか、かったるいなって思うときに、全く違う生活をされていたっていうことですものね。例えば殴られたとか、嫌な思い出もたくさんあったんだろうなと思うんですけれども、同時に“青春”がそこにはあったんだなって感じました。

―青春があった?

片渕監督:戦争中の若い人たちって、ちょっとでも派手な格好すると叱られたと思うんです。でもそういう人たちにも、やっぱりその年頃なりのおしゃれをしたい気持ちがあった。肩からかける雑嚢(ざつのう)って呼ばれていた鞄には猫ちゃんやお花の縫いとりがしてあったとかね。若い女性の人たちはパーマネントがだめでも何とか髪の毛クルリンってしようとしてたりか。そういうのが見つけられた時に、あぁ一緒だなって思うんです。

戦争をするためにあった世の中じゃないわけです。もともと普通の世の中があって、普通に暮らしていた人たちがいた。その人たちが、物がなく、いろんなことが統制される世の中に置かれてしまった。

戦争中に生きてきた人たちが僕らよりもすごく我慢強くて、特別な人のような気にどうしても陥ってしまうんですけど、僕らと変わらないんだなと思ったとたんにね、その70数年っていう時間を飛び越えられてしまうような感じがするんです。それが地続きっていうかね。気持ちがそこに僕らも行くことができるような気がします。そうやって何かを理解したところから戦争というものがもっと見えてくると思うんです。

―普通の人々の暮らしを知ることで、戦争がもっと見えてくる。“すずさん”を見つけていくことついてどのように感じますか。

片渕監督:映画作りを始める前なんですけれども、僕らがこういう原作を題材にして映画を作ろうとしているんだよって言ったときにね、SNSで、「すずさんはあの時代を生きてきた人たちの一人、たまたまの代表なんだね」って言っている人がいました。いろんな人たちがいて、たくさんの気持ちがあって、それがすずさんの上に一つに集められていくって理解している人がいたんですよね。あぁ、そういう風に自分たちも思うべきなんだなって思いました。すずさんは誰か一人の人でもあるんだけれども、たくさんの人たちがすずさんの後ろにいるんだなって思います。

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2019年6月21日
エピソード|悔しかった「もんぺ姿」の結婚式

私たちが、戦時中、あちこちにすずさんはいた、と思ったきっかけの一つは、暮しの手帖社刊「戦中・戦後の暮しの記録」に寄せられた数々のエピソードに出会ったことでした。 そのうちの一つが、軍服姿の男性と、もんぺ姿の女性の写真。 1939年(昭和14年)に撮られた結婚式の記念写真です。 新郎はコチコチの愛国主義者。当時、日本では「贅沢(ぜいたく)は敵だ」のスローガンが叫ばれていて、その推進モデルとして「軍服・もんぺ姿」で挙式したのでした。 晴れがましく、新聞に載りましたが…新婦は「腹が立つやら悔しいやら」。 そう思っても口には出せず、ずっと胸に秘めていました。 6年後の大阪大空襲では家を焼き尽くされ、3人の子を連れて焼夷弾の嵐の中を逃げまどったこの女性、無事に戦争を生き抜き、この写真も奇跡的に焼け残りました。 この方、のちのち息子さんに「いっぺん花嫁衣装を着たかったな」と、当時は言えなかった思いを時折もらしていたそうです。

#あちこちのすずさん」では、当時この世界のあちこちで起きていた暮らしの中のエピソードを集めて、イラストやアニメにしていきます。

あなたのおじいさんやおばあさん、身近な人が、戦争中、日常をどんなふうに暮らしていたか教えてください。

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2019年6月19日
放送決定!8月、「すずさん」をNHKでお届けします。

この夏、いただいたエピソードをもとに作ったアニメ動画やイラストなどを通して、あちこちにいた「すずさん」たちの暮らしをお届けします。

●8月10日(土)
「#あちこちのすずさん」(仮)
夜8時5分 【ラジオ第1】らじらー!
夜9時~  【総合テレビ】NHKスペシャル(らじらー! 同時放送)
出演:片渕須直(映画監督)、八乙女光・伊野尾慧(Hey! Say! JUMP)、千原ジュニア(芸人)ほか

映画「この世界の片隅に」の主人公・すずさんのように、戦時中、懸命に生きた人たちの暮らしを取り上げ、放送だけでなくSNSでも「#(ハッシュタグ)あちこちのすずさん」でつなげます。
「らじらー!」(ラジオ第1)や「あさイチ」(総合)などが連動してエピソードを集め、アニメ動画やイラストで再現するなど、「すずさんたちの青春」を鮮やかによみがえらせます。

さらに映画も地上波で初めて放送します。

●8月3日(土)夜9時~【総合テレビ】
映画「この世界の片隅に」
(監督・脚本:片渕須直 原作:こうの史代)
広島・呉に嫁いできた主人公すずと、戦時下に暮らす人々のなにげない日常を、丹念にそして温かいタッチで描いた長編アニメーション作品。

あなたの周りに“すずさん”はいませんか?
こちらの投稿フォームから教えてください。
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2019年6月14日
エピソード|家族を想って買ったスイカ

今も、ある家族に語り継がれている「スイカ」の話をご紹介します。 空襲が激しくなる中、避難先の土地を買おうと貯めた大金で、あろうことかスイカを買ってしまった女性(このエピソードは、暮しの手帖社刊「戦中・戦後の暮しの記録」に寄せられたものです)。 NHKがこの女性のご家族を取材したところ、その思いは今なお、ひ孫たちに受け継がれていることが分かりました。

「#あちこちのすずさん」に、これまで2000を超える体験談を寄せていただいています。
あなたの周りにいる“すずさん”のことを教えてください。
投稿はこちらから
https://www.nhk.or.jp/gendai/request/suzusan.html

#あちこちのすずさん
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2019年6月10日
【エピソード募集中】イラストやアニメにします!

恋、青春、食べ物…戦時中を懸命に生き抜いた、ごく普通の人たちの“暮らしのエピソード”を教えてください。
その中からいくつかをイラストや短いアニメにすることで、戦時中の記憶をみんなでシェアするお手伝いができればと考えています。

祖父母や知人など、周りの人たちから聞いたお話を、こちらから投稿してください。
https://www.nhk.or.jp/gendai/request/suzusan.html

#あちこちのすずさん
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2019年5月24日
#あちこちのすずさん の始まりは、この放送でした。

去年8月に放送した、「#あちこちのすずさん ~庶民がつづった戦争の記録~」。
空襲の下の青春、忘れられない食べ物、愛しいペットとの思い出…「この世界の片隅に」の片渕須直監督にも出演していただき、厳しい状況の中で懸命に生き抜いた人たちの姿を伝えました。

詳しい内容をこちらのサイトで紹介しています。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4168/

#あちこちのすずさん
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