クローズアップ現代 メニューへ移動 メインコンテンツへ移動
2022年10月5日(水)

闘魂よ、いつまでも
アントニオ猪木

闘魂よ、いつまでも アントニオ猪木

先日、79歳で亡くなった元プロレスラーのアントニオ猪木さん。日本のプロレス界をけん引し、強烈なカリスマ性で多くの人を魅了してきました。ボクシングのモハメド・アリとの異種格闘技戦、政界進出、度重なる北朝鮮への訪問など数々の伝説を残しました。晩年、難病と闘う猪木さんに密着取材した「映像」、数々の「名勝負」、ゆかりの人たちの「証言」で激動の人生を読み解きました。生涯をかけ、猪木さんが闘い続けた“相手”とは―。

出演者

  • 原 悦生さん (写真家)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

闘魂よ いつまでも アントニオ猪木の生涯

桑子 真帆キャスター:
こちらは、2022年7月、猪木さんにインタビューした際に頂いたタオルです。優しくて、穏やかで、でも熱くて、ひと言では言い表わせないくらい濃密なひとときを思い出します。

79歳で亡くなったアントニオ猪木さん。引退からすでに20年以上たっていますが、いまでも多くの人の心をつかんで離さないのは、なぜなのか。

猪木さんが人生を通して、私たちに伝えようとしたメッセージに迫ります。

さらば アントニオ猪木 弟子が明かす秘話

猪木さんと半世紀以上時を過ごしてきた、まな弟子の藤波辰爾さんです。

藤波辰爾さん
「8月ですね。本当に震える手で、その時の猪木さんの手の震えてる姿が浮かんできますけれど。これが僕の中の最後の闘魂、アントニオ猪木のサインです」

猪木さんに憧れ、16歳で入門した藤波さん。猪木さんの魅力は、痛みや感情を観客に伝える力にあったといいます。若手時代の練習中に、そのことを身をもって教わりました。

藤波辰爾さん
「『お前リングのところに手を広げてみろ』って。ちょうどゴングを鳴らす木づちがあるんです。その木づちでコーンと(手を)たたかれたんです。痛いっ。『お前、痛いときはその顔するだろう』。お客さんはお前たちの試合の痛いところとか、そういうものはすべていちばん見たいところ、見ている部分なんだって」

感情を爆発させ、観客の度肝を抜いた試合があります。

<1974年6月26日 タイガー・ジェット・シン戦>

実況
「右手に凶器を持つ、タイガー・ジェット・シン。タイツに(凶器を)隠し持っています」

相手の執ような凶器攻撃に苦しむ、猪木さん。怒りをあらわに反撃します。

実況
「髪の毛をつかんだ、アントニオ猪木。さぁ、腕を取った。腕折り」
解説
「(シンの)腕が折れたようですね」
実況
「腕が折れましたね。これは」

猪木プロレスの神髄。それは、観客の想像を超えたスリリングな展開にあるといいます。

藤波辰爾さん
「何をしてくるのかが、あの人自身が、われわれが考えられないことを発想する。まさか現実、それをやってしまいますんで、とにかく妥協しない。練習であろうが、試合であろうが。そこに僕らは、ほれたんでしょうけれど」

アントニオ猪木 困難に直面しても前に進み続ける姿勢

プロレスファンの熱狂的な支持を獲得した、猪木さん。しかしその陰で、ある苦悩を深めていました。


ボクシングであれば
大新聞が記事にする
しかし プロレスは
絶対取り上げない
どんなに人気があっても
私たちは世間から
蔑まれているのだ

猪木寛至 著『猪木寛至自伝』(新潮社)より

世間にプロレスを認めさせるために常識外れのビッグマッチを組むよう指示されたのが、元新日本プロレスの営業本部長、新間寿さんです。

元新日本プロレス営業本部長 新間寿さん
「誰もできない、誰もやらないことを、男の夢として実現していく。プロレスこそ最強の格闘技であるということを、自分自身が自分の身で示したいと」

世界を驚かせたのが、現役のボクシング世界チャンピオン、モハメド・アリとの格闘技世界一決定戦です。

試合では立った状態でのキックが禁止されたため、猪木さんは寝た状態のキックでアリを追い詰めます。視聴率は、およそ40%に上りました。

新間寿さん
「猪木頑張れ、猪木頑張れって。何十万、何百万の人が手に汗を握り、体を震わせながら見ているんですよ」

後に伝説となった、この異種格闘技戦。しかし試合はかみ合わず、当時は凡戦と批判を受けました。さらに、アリのギャラを支払うため、会社はばく大な負債を抱えることになりました。

その後、40歳を越えた猪木さんは衰えと直面していきます。大舞台での失神KO。所属レスラーの脱退も相次ぎ、猪木さんの団体は創立以来の危機に。猪木さんは、弟子たちに世代交代を迫られました。

常に行動を共にしてきた藤波さんも、反旗を翻します。

藤波辰爾さん
「この左手ですよ。この手が、いまだに猪木さんの左ほおを張ったんだなと」

世代交代をかけて、師匠の猪木さんとの試合が実現することになりました。

<1988年8月8日 藤波辰巳(現:藤波辰爾)戦>

実況
「(猪木の)左右の張り手。三連発だ」

この試合で、藤波さんは45歳の猪木さんのすごみを思い知らされることになりました。

藤波辰爾さん
「僕が締め上げている形相よりも、猪木さんが耐えている、その形相の目線の方が僕らおびえます」

藤波さんが何度攻撃しても、立ち上がってくる猪木さん。60分戦っても倒すことはできませんでした。

藤波辰爾さん
「あの猪木さんが、自分とちょうと10歳違う。あの年の差があって、全くひるまない。あれだけのスタミナを持っているというのが、本当に猪木さんのすごさを感じた。超えられない。あの猪木さんは、超えられない」

藤波さんが猪木さんと過ごした50年。学んだのは、どんな困難に直面しようとも前に進み続ける姿勢でした。

藤波辰爾さん
「とにかく猪木さんには、勇気をいただきました。自分の信念を貫けじゃないけど、でもやはり一歩を踏み出す。そういう勇気じゃないですかね」

原 悦生が語る アントニオ猪木の魅力

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、猪木さんを50年以上にわたって撮影をしてきた、写真家の原悦生さんです。

原さん、リングの上だけではなく、国内外のさまざまな所に一緒に行かれ、写真を撮ってこられたと思いますが、原さんが最も引き付けられたところはどんなところでしょうか。

スタジオゲスト
原 悦生さん (写真家)
アントニオ猪木さんを50年以上撮影

原さん:
やっぱり、アントニオ猪木の「目」ですね。猪木さんの目に、なんか吸い込まれちゃうというか、取りつかれちゃうというか、そんな目ですね。

桑子:
どういうものが伝わってくるのですか。

原さん:
ぎらぎらした、戦うもの。それと別に、優しさ。あるいは苦しさ。そんなのが伝わってきますね。

桑子:
リング上で見えるわけですか。

原さん:
見えます。リングを下りても見えます。荒々しさはないですよ、リングを下りたら。

桑子:
そして、表情からはどういったものがにじみ出ていると思いますか。

原さん:
エネルギーでしょうね。静かなエネルギーの時もあるし、爆発するようなエネルギーの時もあると。

桑子:
原さんが特に思い入れのある写真を、大きくしてご用意させていただきました。

2メートル23センチで「人間山脈」とも呼ばれた、アンドレ・ザ・ジャイアント選手との戦い。どういう写真でしょうか。

原さん:
このころのアンドレは大きかったので、235キロ、あるいは240キロくらいあったので、それにぶつかっていくアントニオ猪木がみんなに勇気を与えていったのではないかなと。

桑子:
この写真を見ると、猪木さんが少し小さくも見えますね。

原さん:
そうなんですよね。猪木さんが攻めているんだけど、持ち上げられちゃってちょっと苦笑いしてるのかもしれません。

桑子:
何か楽しんでいるような様子も伝わってきますよね。

原さん:
2人はこの戦い、結構楽しんでいた感じがしましたね。

桑子:
猪木さんは、リング上ではどんなプロレスラーだったと感じていますか。

原さん:
強さを見せる、元気を与えるために、もう目いっぱいやってましたね。

桑子:
具体的には。

原さん:
伝え方としては、リングの死角のお客さんだけではなくて、2階席のお客さんまで「俺と猪木の目が合った」みたいな。

桑子:
そういうことをおっしゃるわけですか、2階席の方が。

原さん:
そうですね。見てた人が「俺、猪木と目が合ったよ」ってすごいうれしそうに言うんですよ。

桑子:
遠くまで心を届ける猪木さん、大衆に尽くしていらっしゃるということですよね。そんな猪木さんが晩年に直面したのは、自身の難病でした。病との闘いの中でも、猪木さんが貫こうとしたものとは。

最後に貫いたもの アントニオ猪木の生涯

猪木さんが亡くなる、2か月あまり前。桑子キャスターは、内村光良さんと共に闘病中の猪木さんに話を伺いました。

<ライブエール 2022 2022年8月放送>

アントニオ猪木さん
「今、きょう1日こうやってまた生きているわと言うんで、尊厳という、いったい何のために生まれてきたのか。何か1つの使命とか何とかじゃなくて、こうやって生きていることが、もしかしたらメッセージかもしれないですね」

「この道を行けばどうなるものか」という詩を朗読し、55歳でプロレスラー引退をした猪木さん。リングを離れても戦いは続きました。

国会議員として、スポーツによる独自外交に力を入れました。国交のない北朝鮮への渡航は多くの批判を受け、国会で懲罰動議が可決されたこともありました。しかし、猪木さんは訪朝を続け、数々の要人と会談を行いました。

アントニオ猪木さん
「自分が行動を起こしている。私の外交の場合は、これしかない。対話のできる道を、私が開けますよ」

さらに、地球規模のごみ問題にも立ち向かいました。猪木さんは偶然テレビで見た、ある研究に注目します。

九州大学 大学院工学研究院 教授 渡辺隆行さん
「本当に猪木さんが『猪木です』という電話をくれました。テレビの放映の後、すぐ来て。あの電話一本で、私の人生が変わった」

渡辺さんは、水プラズマ研究の第一人者。温度が1万度以上に達するエネルギーを利用して、有害物質を出さずにごみを処理する技術を研究していました。その技術を世界に広めたいと、猪木さんはボランティアで活動しました。水プラズマの発生装置を載せたトラックは「INOKI Lab」と名付けられました。

さまざまな分野で戦い続けてきた、猪木さん。しかし、突然病が襲います。国指定の難病「心アミロイドーシス」です。

闘病中にも親交があった 古舘伊知郎さん
「大変難しい病で、患者さんは大変だろうなと思うんですけど、猪木さんも本当に。繊維質に固まったたんぱく質が、臓器に沈着する、そして機能をだんだん奪うっていう。波はありますけど、つらい状態でしたね」

猪木さんは、その難病にも挑みました。そして、病と闘っている姿をテレビカメラの前にあえてさらしました。

<燃える闘魂 ラストスタンド 2022年3月放送>

アントニオ猪木さん
「病気は、みんな好んでなる人はいないけど、その時にやっぱり俺も弱気になる部分があって『もういいだろう、楽にさせてくれよ』という。これも一つの強いイメージばっかりじゃなくて、こんなにもろい、弱い、どうとるかは知りませんよ、見た人たちが。そういう一つの人間として、そういう場面があってもいいかな」

晩年、密着取材をしたプロデューサーは、かつて新日本プロレスでレスラーをしていた鈴木健三さんです。猪木さんから、弱っていく姿も「すべて撮れ」と言われました。

担当プロデューサー 鈴木健三さん
「耐えているところを見せるのがアントニオ猪木だって、たぶん本人も思っている。猪木の生き方、俺が人生で闘っているところを見てくれよっていうことだったんだと思います」

<燃える闘魂 ラストスタンド 2022年3月放送>

アントニオ猪木さん
「死と向き合うというね、そういうものもずばり切り込んで、いずれお迎えは来るんだけど、どういうふうに向き合えばいいのか。普通であれば、もうギブアップですね。だけど、ファンはそれを許してくれないよ。ファンだけじゃなくて、自分自身が言い続けてきた。それが嘘にならないように。

『元気があれば何でもできる』と言った自分が、一個ずつ、その言葉が嘘じゃないって証明しなきゃいけない」

猪木さんは、最後に私たちに人生を懸けたエールを送ってくれました。

<ライブエール 2022 2022年8月放送>

アントニオ猪木さん
「強い猪木もそれはそれで、今ある、かっこ悪いか、良いかは分かりませんけど、このかっこ悪い猪木もさらけ出して、あるがままでいいよ」
桑子真帆キャスター
「今、皆さんに届けたいメッセージはありますか?」
アントニオ猪木さん
「一言しかないです。元気だよ。元気があれば何でもできる」

アントニオ猪木 私たちに残してくれたもの

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
30分のインタビューは、あっという間でした。人はどうあるべきなのか。何のために生まれてきたのか、ここまで一途に向き合って考えて、それを実行に移す人がいるのかと、そんなことを感じさせてくれました。

原さんは、闘病中もたびたび自宅に招かれて、亡くなる直前も一緒に過ごされたそうですが、どんな時間でしたか。

原さん:
濃密で静かな、本当に特別な空間だったと思います。

桑子:
招かれて、どういうやり取りをされたのでしょうか。

原さん:
「ふぐ食べるか」とか「ふぐあるから来ない?」とか言って、ふぐを食べるんです。そんな普通の話しかしないんですよ。猪木さんは、どっちかというと聞いているほうで。

桑子:
どういうことを、その空間、その時間から感じていらっしゃいましたか。

原さん:
やはり急に動けなくなってしまったので、悔しいんだろうなと思いました。猪木さん、悔しいんだろうなって。

桑子:
どの辺りから…。

原さん:
ちゃんと歩けない、車いすでしか動けなくなった辺りから、それは感じましたね。「なんで元気を売り物にしていた俺が歩けないんだよ」みたいな感じでしたね。

桑子:
でも、病に倒れてからも皆さんを招くわけですよね。どうしてなのでしょうか。

原さん:
寂しがり屋だったんでしょうね。

桑子:
そういった中で、細やかさとか。

原さん:
みんなに気遣いをして、「これ、食べていけ」酒いっぱい用意して「飲んでけ」って言って「ちゃんと飲んでけよ」みたいな感じでしたからね。「みんな飲んでよ」って。

桑子:
原さんは実は、猪木さんから最後の写真を撮ってほしいという依頼を受けていたそうですね。スタジオに写真を用意しましたが、これはどんな写真でしょうか。

原さん:
これは別に最後ではないのですが、15年以上前に死に際を撮ってほしいと言われたんですよ。

桑子:
15年以上前に。

原さん:
猪木さんはそれを言ったきり何も言わなくて「あとは自分で考えろ」みたいな感じで、すごい難しい宿題を出されたので。

桑子:
そこから、どうしてこの写真に行き着いたのでしょうか。

原さん:
これを撮っている時点では、その写真だとは決めていなかったんですけど、いざ猪木さんが現実に亡くなったというので考えてみたら、やっぱりあの時の写真というので。これは亡くなる2か月前の写真なんですけど。

桑子:
どうして、この写真が宿題の答えだなと。

原さん:
本当は、砂漠に静かに消えていく、風が吹いてきて足跡が消える俺を撮ってくれみたいな感じだったんですけど、そこを撮ってくれって。もう歩けないんで、逆にこのリハビリ中のふうっと安らかにベッドに寝ている猪木さんを撮りたかった。

桑子:
これが、原さんの中でアントニオ猪木なんだと。

原さん:
そうですね。寝てますけど、アントニオ猪木です。

桑子:
どういうことでしょうか。

原さん:
隙がないです。

桑子:
隙がない。隙を感じないですか。

原さん:
感じないです。

桑子:
とても穏やかな表情に見えますけれど。

原さん:
飛びかかってたら、張り手飛んできますよ。きっと。

桑子:
原さんの中で、寝ていてもアントニオ猪木さんは猪木さんなんですね。

原さん:
そうです。

桑子:
どうしてそういうふうに思われるんですか。

原さん:
猪木さんって、いつでもかっこよく見せたい。撮るんならかっこよく撮ってくれよって。寝ててもかっこよく撮りました。猪木さん、これでいいですかね。

桑子:
原さんの中では、これはもう宿題の答えだと。

原さん:
宿題の答えです。

桑子:
自信を持っていらっしゃる。

原さん:
はい。

桑子:
最後に、どんなことを私たちに残してくれたと思われますか。

原さん:
やっぱり、「分からなくても一歩、踏み出せよ。やってみろよ。一歩、踏み出して前に進んでみろ」というのを言いたかったんじゃないですかね。

桑子:
ありがとうございます。猪木さんから、皆さんはどんなメッセージを受け取ったでしょうか。アントニオ猪木という名前から思い浮かべる表情、それから出来事はさまざまだと思います。最後にご覧いただくのは、猪木さんが亡くなる直前に託したメッセージです。

まな弟子に書き残した"最後の言葉"

現役のプロレスラーで猪木さんのまな弟子、藤波辰爾さん。16歳のときにプロレス界に身を投じて以来、50年にわたり、その背中を追い続けてきました。

藤波辰爾さん
「僕がいただいたのはこれ、"生きる"っていう」

猪木さんが亡くなる2か月前、病床を見舞った時、藤波さんは直筆の詩を渡されました。

藤波辰爾さん
「『花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ。今、いくつもの年を重ね、川の岸辺に目をやると、きれいな大きな大きな花が咲いている』。

自分の信念を貫けじゃないけど、魂をぶつけなきゃだめだというのは、そこなんでしょうね。

猪木さんがそこにいるというだけで、なんとなく自分の立ち位置が、また行く方向がわかったりする。本当に道しるべのような方ですよね」
見逃し配信はこちらから ※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

関連キーワード