放送した詳しい内容がテキスト&画像でご覧いただけます

Menu
2022年9月14日(水)
明かされる“交渉の舞台裏"日朝首脳会談20年・あのとき何が

明かされる“交渉の舞台裏"日朝首脳会談20年・あのとき何が

日本と北朝鮮の首脳が初めて対面し、拉致被害者5人の帰国が実現した「日朝首脳会談」からまもなく20年。今回、水面下の交渉を担ったキーマンが、舞台裏を初めて証言しました。北朝鮮側の交渉相手“ミスターX"は何を語ったのか。直面した協議打ち切りの危機とは―。一方、今も12人の拉致被害者は帰国できず、家族の高齢化が進んでいます。こう着状態を打開するには何が必要なのか。明かされた“交渉の舞台裏"から検証しました。

出演者

  • 礒﨑 敦仁さん (慶應義塾大学 教授)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

日朝首脳会談20年 明かされる"舞台裏"

桑子 真帆キャスター:
20年前の9月。日本中が、その光景にくぎづけになりました。当時の小泉総理大臣と、北朝鮮のキム・ジョンイル総書記との電撃会談。

そしてその後、長年拉致されていた被害者の帰国。家族と再会する姿に歓喜の声が上がる一方、残りの拉致被害者は死亡したなどと北朝鮮が一方的に発表し、失望と怒りが広がりました。

政府認定の拉致被害者17人のうち、帰国できたのは僅か5人。12人はいまだに戻っていません。この20年、拉致被害者家族はどのような思いでいたのでしょうか。

拉致被害者家族の願い

横田めぐみさんの母 横田早紀江さん
「一番切ないですよね、バドミントン系はすべて」

横田めぐみさんの母、早紀江さんです。今回初めて、娘がバドミントン部で着ていたユニフォームを見せてくれました。

ゼッケンを留めるためのボタンは、当時中学1年生だっためぐみさんが、みずから縫い付けたものです。

横田早紀江さん
「ボタンはどういう風にしたらいいか教えてあげるから、絶対取れないやり方があるから、ちょっと見てなさいよって。『これみんな私がするの?』って言うから『そうよ』って。『えー』なんて言いながら。『えみちゃんとかみんなは、お母さんが付けてくれるのに』とか言っていたけど、分かっているけどやっておいた方が絶対にいいからって。ちょっと無理にやらせたんです、初めてね、みんなやり遂げちゃって」

このユニフォームを着た娘の姿を、早紀江さんは見たことがありません。

拉致された日の夕方。練習が行われていた体育館の近くを通りかかったときのことを、今も鮮明に覚えています。

横田早紀江さん
「『(部活動を)見たことないから一回のぞいてみようか』って言ったんですよ、私が。そうしたら(弟の)拓也たちが『そんなことしたら怒られちゃうよ』。そういうの嫌うでしょ、女の子って。黙って見に来られたら。『じゃあ、もうやめとくか』とか言って、帰ってきたんです。あのときに行っておけばよかったなって。
私はもうただ、めぐみが帰ってくること、それだけ。それでもう普通の生活に戻るんですから。そのために生きてきている。一生懸命、取り返そうと思って」

20年前の日朝首脳会談当日の朝。実は、このとき早紀江さんの心境は夫の滋さんとは対照的だったと語りました。

横田早紀江さん
「主人はすごい喜んでですね、本当にニコニコして『帰ってくるよ』と言っていたけど、私はやっぱり北朝鮮のいろいろ勉強してましたから、半分は帰ってくるかもしれない、半分は何か分からないけど、あちら(北朝鮮)の考えを押し通されるかもしれない。『半分半分です』って言ったの覚えている。主人は『いや、そんなことないよ』とにこやかに。全然違う思いを持って行きました、あの日は」

その日の夕方。日本政府から告げられたのは「めぐみさんは死亡した」という思いもよらないことば。一方で、裏付けとなる証拠は何一つ示されませんでした。

直後に開かれた記者会見。涙に暮れる滋さんのそばで、早紀江さんの胸には言いようのない怒りが込み上げてきたといいます。

横田早紀江さん
「(主人は)本当にショックを受けたんでしょうね。正直な人だから『そうなんだ』って思い込んじゃって。『帰ってきた人はあれだけ』、『あとの人は亡くなりました』って終止符を打たれて、しょうがなかったねって終わるなんて、そんなばかなこと、こんなに待っていたのに絶対にないと思って。これはめぐみちゃんのために、何か言ってあげなきゃいけないわって」
2002年9月 日朝首脳会談直後の記者会見にて 横田早紀江さん
「絶対に、この何もない、いつ死んだかどうかさえ分からないようなことを信じることはできません。これからも頑張って参りますので、どうか、皆さまと共に闘っていきたいと思います。まだ生きていることを信じ続けて、闘って参ります」

以来、早紀江さんは滋さんとともに、拉致被害者家族のシンボルとして救出活動の先頭に立ってきました。

しかし2020年、娘との再会を果たせぬまま、滋さんが87歳でこの世を去りました。86歳になった早紀江さん。急速に体の衰えを感じているといいます。

横田早紀江さん
「できるだけ死なないように頑張って、病気しないようにしたいと思っているから。栄養をちゃんと、とっています」

今、早紀江さんたち被害者家族が最優先で求めているのは「親の世代が生きているうちに被害者を帰国させる」こと。政府に対し、一刻も早い日朝首脳会談の実現を望んでいます。

横田早紀江さん
「これだけ総理がかわって、絶え間なく言い続けて、国民運動にもなってやっているのに、なぜ動かないのかっていうのが、もう本当に分からない。もう早く、一刻も早く日朝会談をしてください、お話をしてくださいって言っている。とにかく拉致被害者を返してくださいと。みんな親の元に帰りたいんだから。そうしたらその喜びで『ありがとう』と言って、そちら(北朝鮮)にいま必要なものをすぐ送って、お互いが気持ちよくいきましょうと」

拉致問題をめぐる日朝間のやりとり

桑子 真帆キャスター:
拉致問題を巡っては、20年前の日朝首脳会談のあとも両政府の間で協議が続けられてきましたが、2016年に北朝鮮が一方的に包括的調査の全面中止を宣言したのを最後に交渉は行われていません。

「首脳会談を再び行い、解決の道筋をつけてほしい」。横田早紀江さんたちの切実な願いです。

では、20年前の首脳会談はいかにして実現したのか。その舞台裏を知る1人が、当時、外務省の幹部で交渉の主要な役割を担った田中均さんです。今回、その詳細を初めて明かしました。

20年前の日朝首脳会談 実現までの舞台裏

日朝関係のこう着状態打開に役立ててほしい。今回初めて当時の詳細を語ることにした、田中さん。北朝鮮との直接交渉のきっかけは、2001年のことでした。

元外務審議官 田中均さん
「朝鮮半島において、なんとしてでも活路を開きたいと。(小泉首相に)交渉してもいいですかという話をしたら、小泉さんは何を言ったかというと『いや、田中さん、それやってくれ』って。『だけど絶対秘密だ』、『人の命がかかってる、秘密でやってくれ』と」

交渉前の90年代後半、拉致被害者の家族会が結成されます。長距離弾道ミサイル「テポドン」の発射、不審船などの問題が相次いで起こり、北朝鮮に対する世論は急速に悪化していました。田中さんがまず行ったのは、拉致問題を交渉できる独自のルートを開拓することでした。

2001年の秋。初めての交渉の舞台に選んだのは、中国・大連にあるホテル。秘密を守るため、第三国で週末に行いました。誰が交渉相手なのか、事前の情報は全くありませんでした。現れたのは、後に日本で「ミスターX」と呼ばれるようになる謎の人物でした。

田中均さん
「オーバーをパーンと脱いだら、真っ黒な軍服着てるんですよ。そこに勲章がバーッとついてて。自分はやっぱり軍なんだと。したがって、この交渉がうまくいかなかったら責任をとらなきゃいけない。往々にして北朝鮮の場合には、それは"死"なんだと」

田中さんは、Xが交渉に値する人物なのか確かめることにしました。「クレディビリティ・チェック」、信頼性の確認です。

田中さんは、Xに「北朝鮮にスパイ容疑で拘束されている日本人を無条件で解放してほしい」と要求します。すると、まもなくして2年以上拘束されていた日本人が解放されました。田中さんはこうした確認を複数回行い、Xが北朝鮮で物事を動かせる人物だと判断したといいます。

田中均さん
「これは交渉の鉄則なんですが、民主主義国との交渉においては公開情報がいっぱいありますから、だけど北朝鮮はできないですね。聞く相手がいるわけでもないし。そうすると、果たしてこの人物が交渉をするに値するか否かというのは試さざるをえない。交渉するにあたって、信頼できる人物であるということは私には確信ができたということですね」

当時、経済的に苦しい状況にあった北朝鮮。日本から巨額の資金を得ることを期待していました。さらに、日本の総理大臣がピョンヤンを訪れ、過去の植民地支配を謝罪するよう求めていました。

一方、日本側は過去の清算と、経済協力を行うためには拉致や核・ミサイル問題の解決が欠かせないと主張しました。今回、インタビューで明らかになったのは交渉が決裂寸前にまでなっていた事実でした。

拉致の詳細を明らかにしない北朝鮮。交渉開始から半年あまりたったある日、田中さんが「小泉総理が訪朝する場合、その前に拉致被害者の安否情報を出してほしい」と要求したときのことです。

田中均さん
「その瞬間に、北朝鮮が完全に交渉を切るということになった。単に拉致の問題を世の中に明らかにして、それで総理は来ないということなんじゃないかと。これはもうダメかなと思いました」

田中さんは、小泉総理に「被害者の情報が事前に得られそうにない」と伝えた上で、それでも訪朝するか尋ねました。

田中均さん
「答えはね『田中さん、それでいつ行くんだ』っていう話だったんですよね。『いつ行くんだ』と。もう行くのは当然だと。総理は当時思ったんでしょうね、もし自分が行かなければ、この拉致の話は全部闇に葬られてしまうと。だからそうなんだと、これが政治家なんだというふうに思った」

さらに今回の証言で明らかになったのは、同盟国アメリカの同意を取りつけた舞台裏です。同時多発テロ事件を受け、当時アメリカは、イラン・イラクと並んで北朝鮮を「悪の枢軸」と非難していました。政権内では、北朝鮮に対する強硬派が強い力を持っていました。懸念されたのは、彼らに交渉の情報が漏れることでした。

田中均さん
「アメリカは、おそらく中で有力な閣僚は反対するだろうと。だからなんとしてでもアーミテージ(国務副長官)を通じて、パウエル(国務長官)、ブッシュ大統領のラインで話をして、合意をしてもらいたかった」

期待を寄せたのは、比較的穏健派と目されていた政権幹部。そこで田中さんは、別件で来日していたアーミテージ国務副長官らを都内のホテルに招き、小泉総理の訪朝について初めて報告したのです。アーミテージ氏は強硬派に知らせないまま、日本を支持することを決断したといいます。

アメリカ元国務副長官 リチャード・アーミテージ氏
「これは日本と北朝鮮の問題です。小泉氏は情報を共有することで、われわれに敬意を払いました。私は強硬派の政権幹部に伝える必要はないと感じていました。言えば混乱するだけです。当時アメリカは北朝鮮との交渉がうまくいっていませんでした。もし日本が成功すればアメリカにも都合がいいと考え、日本の交渉を止めませんでした」

こうして10か月にわたる秘密交渉の末、首脳会談への道が開かれたのです。

キム・ジョンイル総書記は、これまで否定してきた北朝鮮による拉致を認め、謝罪。両首脳は日朝ピョンヤン宣言に署名し、国交正常化の早期実現に向けて、あらゆる努力をすることが合意されました。

5人の拉致被害者の帰国が実現。しかし、被害者全員の安否が明らかになったわけではありませんでした。成果と課題を残した日朝首脳会談。田中さんは反省を踏まえ、今後の外交に生かしてほしいといいます。

田中均さん
「拉致っていうのは日本のアジェンダ。これは日本自身が解決しなければいけない問題。まさに日本の外交、外交官の人の決意でなきゃいけないし、とりわけ政治家が正しいことをやるという意識と決意を持ってもらわないとできない。私自身、それが今の北朝鮮との交渉の一番大きな思うことですね」

"教訓"どういかす

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、北朝鮮政治が専門の礒﨑敦仁さんです。今回、明らかになった交渉の舞台裏ですが、礒﨑さんはどこに注目されましたか。

スタジオゲスト
礒﨑 敦仁さん (慶應義塾大学 教授)
北朝鮮政治が専門

礒﨑さん:
やはり、小泉総理が田中均さんという交渉担当者を信頼して、最後はみずからリスクを負って決断したこと。これが非常に印象的でした。

桑子:
今、北朝鮮は核・ミサイル開発を進めるなど、当時とは大きく状況は異なりますが、20年前に実現した会談を、どう今に生かせるか。礒﨑さんに3つポイントを挙げていただきました。

日朝首脳会談 3つのポイント
① 交渉相手
② 交渉戦略
③ アメリカとの関係

まず1つ目、「交渉相手」について。これはどういうことでしょうか。

礒﨑さん:
交渉相手がキム・ジョンウン総書記、最高指導者に通ずる人物かどうか。北朝鮮にとって不都合なこと、不愉快なことでもきちんと進言できる、そういう能力を持っているかどうかというのをはかることが重要です。

何よりも日朝間が対立している状況であっても、きちんと交渉できるルート、パイプというものは必須です。必ずなくてはならないものだと考えます。

桑子:
少し難航した場合でも、しっかりパイプを保てる人であるかということも重要なわけですね。

そして2つ目、「交渉戦略」について。2002年に帰国した拉致被害者の1人、蓮池薫さんは、当時の日本政府の対応をこう指摘します。

24年にわたって北朝鮮に拉致 新潟産業大学 准教授 蓮池薫さん
「教訓として言えることは、詰めが甘かったということ。つまり拉致問題を北朝鮮に認めさせたと、ただ認めさせて満足するんじゃなくて、十分な準備、徹底した調査でいつでも反論できるような状況を作った上で、交渉を進めていくべきだった。徹底的に取り戻すという姿勢がまずそこで崩れて、北朝鮮に甘くみられてしまって、北朝鮮はこのままでやっていけると思わせた部分があるんじゃないか」

桑子:
詰めが甘かったという指摘ですが、蓮池さんの指摘も踏まえて、日本はどのような戦略で臨めばいいと考えていますか。

礒﨑さん:
まさに「戦略」が必要ですね。数年間、日本は無条件対話ということを掲げていますが、実際にやるべきは具体的に条件をどういうふうに出していくかという綿密な戦略を練ることが必要だと思うんです。

桑子:
例えば、どういうことでしょうか。

礒﨑さん:
これは非常に難しいのですが、被害者家族の方も示唆していたように、場合によっては北朝鮮がコロナ感染者が出たと発表したときに、韓国やアメリカはすぐに人道支援を申し出たわけです。ですから、日本も国民世論の理解を得るのは難しいとはいえ、韓国やアメリカがやるのだから、同時にわれわれもそこに入れようじゃないかと。難しいとはいえ、交渉の糸口をつかむということは真剣に考えていかないといけないと思います。

桑子:
例えば、そのように日本が人道支援のような可能性を提示したとします。北朝鮮はそれに交渉に応じてくるでしょうか。

礒﨑さん:
必ずしもそうとは言えないのが難しいところです。特にこの20年間、日本は北朝鮮に対して不信感を募らせましたけれど、北朝鮮も制裁をかけ続けた日本に対して、すごい大きな不信感を持っているわけです。しかも、この間、韓国や中国は経済成長してきて、日本とやり合うよりも韓国や中国から支援を引き出したほうが早いと考えてしまう。

桑子:
でも、動かないといけないですよね。

礒﨑さん:
それを前提として、アメリカ、米朝交渉が重要だと北朝鮮は考えているわけですが、日本は正常化資金というものが潜在的な魅力にはなり得るので、そういったものをてこにしながら動かして、成果を出していかないといけないと思います。

桑子:
3つ目は、「アメリカとの関係」について。北朝鮮との交渉に当たった田中さんは、拉致というのは日本自身が解決しなければならない問題だと指摘していましたが、礒﨑さんはどのように考えていますか。

礒﨑さん:
私もそう思います。拉致・核・ミサイルといいますが、北朝鮮は20年前と違って今は核保有国だということをはっきり言っている。そういう状況の中では、核・ミサイルについてはアメリカが中心となって交渉せざるを得ない。ですから、日本は日朝間の問題、ここでいう拉致問題を中心に、これは日本が先駆けて仕掛けていかないといけないと思います。

桑子:
今、日本がやるべきことは何か。蓮池さんはこのように指摘しています。

蓮池薫さん
「米朝関係の進展を待つのではなく、日本は人道支援などを行うつもりがあるという意思を先手で伝える。親子が生きているうちに再会を果たすことが重要」

こういう指摘もありますが、礒﨑さんは今、改めて日本はどうしていくべきだと考えていますか。

礒﨑さん:
北朝鮮に対して歩み寄るというのは、今の状況では国民の理解を得るのが難しいと思うのですが、圧力をかけ続けてこの20年間、誰1人被害者が奪還できなかったという現実は直視すべきだと思います。

ですから、20年前の日朝ピョンヤン宣言、この大きな成果を生かすためには、総理みずからがリスクを負うという大きな覚悟、決断、そしてそれに対する国民の理解といったものも必要になってくると思います。

桑子:
20年という時間はたちましたが、主体的な外交をすべきだという時期に来ているということですね。

礒﨑さん:
小泉外交は、主体的に動いたということです。

桑子:
ありがとうございます。最後に、帰国を待つ家族の思いに、いま一度耳を傾けたいと思います。

待ち望む"再会" 亡き夫の遺志を継いで

横田早紀江さんが大切にしている、夫・滋さんのカメラ。折に触れて、家族の笑顔を記録してきました。

被害者の一部が帰国したあの日、娘の姿はありませんでしたが、滋さんは懸命にシャッターを切っていました。

横田めぐみさんの母 横田早紀江さん
「もう本当、切なかったです、あれは見てても。どんな気持ちで撮っているんだろうなと」

晩年になって新たに購入したカメラは、体調が悪化する中、ほとんど使うことができなかったといいます。

横田早紀江さん
「『何でそんなの買うの?』なんて言っていたけど、帰ってきたときにこれで写そうと思ったかもね。今までどおり、成長の記録、撮りたかったんじゃないですかね」

早紀江さんの願いはただ一つです。

横田早紀江さん
「『ついにやったよ』、『帰ってきたよ』って。早くね、今年中になんとか来てほしい。待ちに待った日がね」
見逃し配信はこちらから ※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。