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2022年9月12日(月)
エリザベス女王 世界が愛した存在

エリザベス女王 世界が愛した存在

死去発表の直前、ロンドンのバッキンガム宮殿の上空にかかった虹―。宮殿の前に集まった大勢の人々が、その死を悼みました。イギリスの君主として歴代最長となる70年にわたって在位してきたエリザベス女王が、96歳で亡くなりました。国際社会からは、女王の功績をたたえ、追悼する声が相次いでいます。なぜ女王は世界から愛されたのか。日本との知られざる関わりとは。「秘蔵映像」とともに、その軌跡をたどりました。

出演者

  • 君塚 直隆さん (関東学院大学教授)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

エリザベス女王 世界が愛した"理由"

エリザベス女王を40年近く取材してきた、王室専門誌の編集長です。体調が思わしくない中、最後まで公務を果たそうとしていた姿が印象的だったといいます。

王室専門誌 編集長 イングリッド・スワードさん
「彼女は公務をキャンセルすることを、とても嫌がっていました。最後の瞬間まで頭脳は明せきで、ジョークも飛ばしていました」

亡くなる2か月ほど前。

サプライズでホスピスを訪れ、患者とことばを交わしました。さらに、新型コロナの治療に当たった医療従事者に勲章を授与。

最後の公務は、亡くなる2日前。静養していたバルモラル城で、トラス氏を首相に任命しました。

イングリッド・スワードさん
「つえをつくこともありましたが、女王は人々に会っていました。彼女は亡くなるそのときまで、働いていたのです」

国に尽くすのが役目 誓いを守り続けた70年

70年前、父親の急死を受けてイギリスの元首となったエリザベス女王。当時25歳でした(王位継承は1952年)。

手本としたのが国王であり、父親でもあったジョージ6世でした。

第2次世界大戦中、イギリスはナチス・ドイツによる激しい空襲を受け、4万人以上が命を落としました。当時、献身的に各地を回り、国民に団結を呼びかけたのが、父親のジョージ6世でした。

ジョージ6世
「いかなる献身も覚悟すれば神に助けられ、われわれは勝利するだろう」

14歳だったエリザベス女王は父親にならって、つらい思いをしている子どもたちに語りかけました。

エリザベス王女(14歳)
「みなさん、こんばんは。いま、多くの子どもが家を離れ、両親と離れて暮らしています。きっとみなさんは故郷のことを、いつも思い出しているでしょう。2人からおやすみを言いますね。さあ、マーガレット」
妹 マーガレット王女
「おやすみなさい」
エリザベス王女(14歳)
「おやすみなさい、みなさん頑張って」

その後、一般の兵士に交じり軍務に就くなど、国のために献身的に働きました。父親のように国に尽くしていくことが、女王としての役目だと考えるようになっていたのです。

その誓いを守り続けて、70年。エリザベス女王は威厳だけではなく、親しみやすさも兼ね備えた存在として、国民をつなぎ止めてきたのです。

国民
「家族のように思っていました。愛していました」
国民
「一緒に育ってきたように感じています」
王室専門誌 編集長 イングリッド・スワードさん
「彼女のすることは、すべて国民のためでした。イギリス人は、もう二度と、そんな人物は現れないと思っています」

王室外交の顔としての女王の存在

国際社会においても、エリザベス女王は大きな存在でした。

1971年、昭和天皇がイギリスを訪れたときの映像。

日本とイギリスは第2次世界大戦で敵国どうし。天皇訪問に抗議の声が上がる中、女王の対応が注目されました。女王は、かつての敵国の天皇を温かくもてなしました。そして、晩さん会でこう述べたのです。

エリザベス女王
「われわれは、いつも平和で友好的な関係であったかのようなふりはできません。しかし、この過去の経験こそが、不幸なことが二度とあってはならないと決意させるのです」

世界が女王の手腕に驚かされたのが、かつてイギリスの支配下にあり、負の歴史を抱える国々との会議のときでした。黒人に対する人種差別が大きな問題となる中、イギリスとアフリカ諸国との関係が緊張。特に、サッチャー首相のこの問題への消極的な姿勢に、不信感が高まっていたのです。

<2022年5月放送「エリザベス女王 愛される理由 即位70年の軌跡」より>

会議を取材したジャーナリスト ブライアン・ホーイさん
「アフリカで黒人中心の政権が出来ることをイギリスがよく思っていないと、サッチャー首相の振るまいを通して捉えられる危険性がありました。そうなれば、この国々の枠組みを脱退する国が相次ぎ、崩壊するリスクがありました」

会議の間、女王はアフリカの指導者たちと次々と会談。そして、サッチャー首相と指導者たちとの仲立ちをしていったのです。

<2022年5月放送「エリザベス女王 愛される理由 即位70年の軌跡」より>

ブライアン・ホーイさん
「女王は、各国首脳と1対1の会談を行ったのです。『あなたの国の問題を教えてください』と聞いて回ったのです。当時のザンビア大統領は女王と大親友となりました。彼は『女王は私たちをまとめるセメントだ』といいました。『彼女がいなければ、バラバラになっていたでしょう』と」

こうした女王の姿勢が、その後の人種差別反対の動きにも影響を与えたといいます。

イギリス王室史研究 アナ・ホワイトロック教授
「女王は政治的な力を持っていませんでしたが、影響力を持っていました。政治的問題に対して、女王が特定の立場を取らないという事を考えれば、これは注目に値する行動でした。これによって人種差別反対の気運が盛り上がり、その不当性が浮き彫りにされました」

女王の歴史的な訪問として注目されたのが、イギリス元首としては100年ぶりの隣国のアイルランド訪問です。

かつて、イギリスの支配下に置かれたアイルランドは独立を勝ち取るため、多くの犠牲者を出しました。女王の訪問に反対の声が広がる中、あえて訪問を決断したのです。

<英国王室のYotubeより>

エリザベス女王
「今回の訪問は、私たちの歴史の複雑さを感じさせるものでした。同時に互いに歩み寄ることの大切さも思い起こさせます。過去に謙虚でありながら、縛られないことが大切だと思うのです」

各国との溝を埋めようと尽力してきた女王。公式訪問した国は120か国以上。その姿勢は最期まで変わりませんでした。

イギリスにとってエリザベス女王とは

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、イギリスの王室や政治に詳しい関東学院大学の君塚直隆さんです。

まさに誠実にその身をささげ続けた70年だったと思うのですが、イギリスの皆さんにとって、エリザベス女王はどんな存在だったのでしょうか。

スタジオゲスト
君塚 直隆さん (関東学院大学教授)
近現代イギリス政治外交史が専門

君塚さん:
今のイギリス国民の8割以上は、このエリザベス女王陛下の治世で生まれ育った方たちですので、やはりわがことのように悲しんでいます。

近現代のイギリスの歴史において、偉大な女王は2人いたと思うのです。1人はビクトリア女王、そしてエリザベス女王ですね。ビクトリア女王は19世紀、大英帝国最盛期の女王で、いわゆる上り坂のころ。どんどん帝国も拡大し、地球上の陸地面積の20%を支配したという時代です。

ところが20世紀の2度の世界大戦を経まして、イギリスは戦争には勝ったのですが、どんどん衰退しました。この下り坂のときに登場したのがエリザベス女王でした。経済も「英国病」と言われるぐらいに悪化します。それから、ビクトリア女王の時代に獲得した海外の植民地がどんどん独立し、大英帝国は解体してしまう。そういった下り坂の中で大変だけれど、それをまた国民と一緒に盛り上げていって、奇跡の復興を遂げて今の地位を築いたということで、国民から非常に信頼があった女王です。

桑子:
そして外交面です。王室外交の顔としての役割が大きかったと思うのですが、どのように評価されますか。

君塚さん:
イギリス王室が担うのは、いわゆる「ソフトの外交」。日々の政府がやっているのは「ハードの外交」。ハードとハードは、ぶつかりやすいんです。

そんなときは、クッションになるソフト外交がいてくれる。外交は継続性が重要ですよね。ソフト外交によって政治や外交に継続性と安定性を与えてくれることが王室外交の極意であって、VTRに出ていた「コモンウェルス」。

コモンウェルス
イギリスの旧植民地など56の国からなる

いわゆる旧英連邦諸国、「コモンウェルス」が戦後できたとき、外務省の人たちは、自分たちがトップで搾取をしてきた旧植民地は下、「ピラミッド構造」の感覚が強かったのです。

しかし、女王は平等な「長方形」をめざし、時代とともにそうなりましたよね。人種差別問題を解決に導きます。これはやはり、長年にわたり女王が培ってきた人脈、そして努力が実を結んだと言っていいですね。

桑子:
こうして国内外から高い支持を集めたエリザベス女王ですが、これほど親しまれる存在になるまでには、ある悲劇と挫折がありました。

エリザベス女王 危機と"信念"

1997年。イギリスが悲しみに包まれた出来事がありました。ダイアナ元皇太子妃の事故死です。

ダイアナさんは、1981年に当時のチャールズ皇太子と結婚。王室の伝統にとらわれず、積極的に子育てに参加し、その様子を公開。さらに、ホームレスや病に苦しむ人々の支援などにも力を注ぎ、人気を集めました。

しかしその後、夫婦の不仲が取り沙汰されるようになり離婚。女王との確執も盛んに報じられていました。

ダイアナさんの死を悼み、宮殿の前に集まった市民たち。このとき、スコットランドに滞在し、なかなか姿を現さなかったエリザベス女王に対し、厳しい目が向けられました。

王室専門誌 編集長 イングリッド・スワードさん
「人々は女王に強く怒り、女王がバッキンガム宮殿に来て共に死を悼まないのはおかしいと考えていました。女王は、国民からの批判にショックを受けていました」

ダイアナさんの死から5日後。批判が広がる中、女王はメッセージを発します。用意された原稿に、女王はあるひと言を加えました。それは、一人の人間としての思いを伝えることばでした。

エリザベス女王
「"女王として、そして祖母として心から申し上げます"。まず、私自身がダイアナに哀悼の意を表したいと思います。彼女は類まれな才能を持った人間でした」
イングリッド・スワードさん
「女王は『女王として、そして一人の祖母として話します』と付け加えました。それは彼女自身の発案でした。ダイアナの死で、女王は姿勢を変えざるをえなくなったのだと思います。女王は、自分が生きている世界が、世間一般とはズレていることに少しずつ気づき始めたのでしょう。外に出て、人々に歩み寄らなければならないのだと」

その後、女王はより身近な存在であることを発信していくようになります。パブで乾杯や、国民的キャラクターの「くまのパディントン」とお茶をするユーモラスな動画も公開され、人気を集めました。

女王に仕えていた、報道官のディッキー・アービターさん。女王は、その振る舞いは変わっていったものの、国民への献身の思いは変わらなかったといいます。

エリザベス女王 元報道官 ディッキー・アービターさん
「女王はいつも『信じてもらうためには見てもらわなければならない』と言っていました。鮮やかな色の服も着るようになりました。月からでも見えるかもしれませんね。そんなふうに彼女は適応していったのです」

深まっていった国民からの信頼。そこに起きたのが、新型コロナの感染拡大でした。イギリスは、一時ヨーロッパ最大の死者数を記録。厳しいロックダウンが行われ、人々は経験したことのない不安や孤独に直面していました。困難の中で女王は、国民に向けてメッセージを発しました。

<2020年4月 英国王室のYouTubeより>

エリザベス女王
「まだまだ耐えなければならない日が続くとしても、より良い日は戻ってくると信じましょう。再び友人と共に過ごせる、再び家族と共に過ごせる、私たちは再び会うことができるのです」

多くの人の心を動かしたのは、みずからも家族と離れた暮らしを強いられる女王の姿でした。

去年、夫のフィリップ殿下が死去した際も、感染対策のため、葬儀への参列者は制限され、ひとり悲しみに耐える姿が伝えられたのです。

ディッキー・アービターさん
「女王も家から出られず、マスクを着け、皆と同じ状況にありました。だからこそ人々は彼女のことばに心を動かされ、女王も同じ経験をしているのだから、私たちもできると感じたのです」

コロナ禍で繰り返し国民に語りかけた、エリザベス女王。時代の変化の中で、最期まで国民に寄り添い続けた生涯でした。

女王なきイギリス 今後の王室は

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
エリザベス女王にも、厳しい世論にさらされたことがあったんですね。

君塚さん:
そうなんですね。在位70年間ずっと順風満帆だったわけではありませんでした。特に1997年のダイアナ元皇太子妃が亡くなったときですね。それ以前の王室は割と「受け身」の体制でした。自分たちが何をしているか、ふだん国民のために何をしているか、王室から発信しなくても分かってくれていると思っていたわけです。ところが、国民の多くがダイアナさんだけがチャリティーをやっていて、王室のほかの人は何もやっていないのではないかと誤解をしていたことが分かった。

桑子:
受け身のままではだめだと。

君塚さん:
そうですね。自分たちも受け身ではだめだと。自分たちが何をやってるか、日々どういう活動をしているか能動的に発信しなければならないと。ダイアナさんも確かにチャリティー活動をやっていたのですが、当時女王陛下は80歳を超えていても600の団体に関わり、エディンバラ公も89、90歳を超えても800の団体に関わっていて、王室全体で3,000もの慈善団体のパトロン(会長や総裁職)を担っていた。ところが、多くの国民は分かっていなかった。そこで、ホームページ、それからYouTube、ツイッター、インスタグラムなどで発信するようにしたのです。

エリザベス女王は在位中4回の「ジュビリー」(即位からの節目の年に行われる祝賀行事)がありました。1977年の「シルバー・ジュビリー」、即位25周年のときは本当盛り上がった。ところが、その後の20年で国民の意識は大きく変わっていた。そのことに気づいた王室は情報発信に取り組みました。2002年の「ゴールデン・ジュビリー」の時には、まだまだ浸透していませんでしたが、その10年後の2012年の「ダイヤモンド・ジュビリー」は本当に盛り上がりました。そして、ことしの2022年の「プラチナ・ジュビリー」の盛り上がりというものを見せたのです。女王は国民からの信頼も得て、その結果、VTRにあったコロナのときに団結を呼びかけられる。そういう存在になったわけです。

桑子:
その女王の死が先週、突然訪れたわけですよね。週が明けて、今はどんな空気に包まれているのでしょうか。ロンドンの大庭支局長に伝えてもらいます。

ロンドン支局長 大庭雄樹:
国中が女王への追悼の空気に包まれた週末が過ぎ、月曜日を迎えて、少し落ち着きを取り戻したように見えます。弔問に訪れる人は週末ほど多くはありませんが、それでも花束を持った人などが次々とやってきています。13日には、女王のひつぎがバッキンガム宮殿に到着し、チャールズ新国王が出迎えることになっています。

ロンドン中心部では、1週間後の国葬に向けた準備が始まっています。交通規制や警備の強化が始まり、予定されていた鉄道や郵便のストライキは、急きょ中止されることになりました。

また、国の内外から多くの人が追悼に訪れたりするため、市内のホテルは軒並み満室になっています。女王は亡くなってもなお、この国にとって大きな存在であり続けていると感じます。

桑子:
女王という大きな存在がなくなったあと、イギリスの人たちは王室をどう受け入れていくのでしょうか。

大庭:
女王のもとで国民とともに歩んできたかに見える王室ですが、実は時代の流れとともに国民から寄せられる視線は大きく変わってきているのです。世論調査の中には、君主制を維持すべきだと答えた人が、18歳から24歳までの若い世代で33%にとどまっているという結果もあります。女王亡き後の王室について、専門家は次のように語っています。

イギリス王室史研究 アナ・ホワイトロック教授
「新国王への歓声や、支持の声が揺るぎないものなのかどうかはまだわかりません。それはまだ、国民に愛された女王の『遺産』に頼ったものだからです。国民の気持ちがどうなっていくのか、数か月、数年単位で見ていかなければなりません」

大庭:
チャールズ新国王は即位したあと、市民と積極的にことばや握手を交わし、手やほほに口づけまで受けて、開かれた王室を目指した女王にならうかのような姿を見せています。

生涯をかけて国に尽くし、国民に寄り添った母親のように人々の心を捉え、王室を守っていくことができるのか。新国王のことばや、立ち振る舞いが注目されることになりそうです。

桑子:
新しい国王のもと、これからイギリス王室は国民とどう向き合っていくのでしょうか。

君塚さん:
チャールズ新国王は皇太子として50年以上活動したベテランですから、女王が残した偉大なレガシーをきちんと引き継ぎ、確かにいろいろと問題はありますけれど、きちんと対応できると思います。

桑子:
改めてですが、96年のエリザベス女王の人生から、どんなことを受け取られていますか。

君塚さん:
女王が即位した70年前、日本でいうと昭和27年。日本だって、これだけ全く違う社会になっている。イギリスも同様で、しかもいろいろ、う余曲折があり、悪いこともありました。でも、そのあと奇跡的な回復があり、今のような大国の地位をずっと保てたのは、女王のおかげだったと。それを国民が分かっているから、これだけの哀悼の心というものが国民の間に浸透しているのだと思います。このあと、女王陛下のひつぎを多くの国民が見送る、たぶん数百万人が集まると思います。そういうような状況が4日間続きます。女王が最後まで責務を担ってきた。これだけの女王というのはいないだろうと。恐らく将来、この人はエリザベス・グレート、エリザベス大王と呼ばれるような、そういう君主になると思います。

桑子:
今後の日程ですが、13日に女王のひつぎがロンドンに移されます。そして、女王の国葬は19日、ロンドンのウェストミンスター寺院で行われることになっています。

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