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2022年4月20日(水)

妻は夫に“殺された”のか 追跡・講談社元社員“事件と裁判”

妻は夫に“殺された”のか 追跡・講談社元社員“事件と裁判”

6年前、東京文京区の家庭内で起きたある事件。亡くなったのは4人の子を持つ「母親」、逮捕されたのは出版社に勤めていた「夫」でした。夫は「妻は自殺だった」と無実を訴えるも、一審二審ともに判決は有罪。ところが被告の友人に加え、妻の親族までもが「審理が尽くされていない」と裁判の見直しを求める異例の事態に。なぜか?取材を進めると、裁判ではほとんど検証されなかった“ある事実"の存在が。事件と裁判の深層に迫りました。

出演者

  • 水野 智幸さん (法政大学法科大学院 教授)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

妻は夫に"殺された"のか 出版社元社員"事件と裁判"

講談社でヒット作を次々に手がけてきた、朴鐘顕(パク・チョンヒョン)被告と、亡くなった妻の佳菜子さん。

友人の紹介で出会った二人は7年の交際の末、結婚しました。4人の子宝に恵まれた一家に事件が起きたのは、6年前の夏のことです。

2016年8月9日深夜3時。朴被告の119番通報によって、救急隊が駆けつけました。すると、階段の下で妻の佳菜子さんが窒息死していたのです。

5か月後、妻の首を絞めた殺人の疑いで逮捕された朴被告。「妻は自殺した」と一貫して容疑を否認しました。

自殺か、他殺か。裁判では、弁護側と検察側で主張が真っ向から対立しました。

朴被告の供述によると深夜に帰宅後、佳菜子さんが育児などのストレスから突然、錯乱状態に。包丁を持ち出しもみ合いになりました。

その後「子どもと一緒に死ぬ」と言って、生後10か月の赤ちゃんが眠る寝室へ向かった佳菜子さん。追いかけた朴被告は、うつぶせの状態で押さえつけたといいます。

検察側と弁護側で主張が異なるのは、このあとです。

弁護側の主張では、もみ合いのあと、隙を見て赤ちゃんを抱え逃げ出した朴被告。ほかの子どもが眠る別の部屋に閉じこもりました。数十分後部屋を出て階段をのぞき込むと、佳菜子さんが首をつっていたといいます。その後、佳菜子さんを階段の下まで降ろし、119番通報しました。

一方、検察側の主張では寝室でのもみ合いの末、朴被告が腕で首を絞めて佳菜子さんを殺害。さらに階段まで運び、そこから突き落としたとしました。

食い違う主張。遺体の状況から判断できなかったのか。

妻の遺体を司法解剖した法医学者の岩瀬さんは、裁判では自殺か他殺かの判断はつかないと証言しました。

千葉大学 法医学教室 岩瀬博太郎教授
「首絞めは(原因が)非常に多様で、時々全く分からないものもあるんですよね。自殺か他殺かって、われわれの立場で断定することは基本的にはなかなかできないはず」

事件から3年後の2019年。1審の東京地裁は「夫が妻の首を圧迫して殺害したことは常識に照らして間違いない」として、懲役11年の有罪判決を言い渡しました。

根拠の一つとしたのは、寝室の布団に残っていた佳菜子さんの唾液混じりの血痕と失禁の痕です。法廷に呼ばれた3人の法医学者のうち、検察側の法医学者が「2つの痕跡があれば、そこで窒息死したといえる」と証言しました。

その法医学者が取材に応じました。

検察が呼んだ法医学者
「唾液混じりの血痕と失禁の痕があれば、意識を失って重篤な状態が起こっていた可能性が最も考えやすい」

ところが。

検察が呼んだ法医学者
「窒息以外でも失禁や唾液混じりの血液が布団に付着することはおかしくない」

2つの痕跡だけで他殺と断定することはできないとも指摘したのです。

一方、被告の証言が信用できないとされたのにも理由があります。妻が首をつっていたのを発見し、遺体を階段の下まで降ろしたとする朴被告。駆けつけた警察官に対し「階段から落ちたことにしてほしい」と説明しました。母が自殺したとなれば、子どもたちがショックを受けると考えたからだといいます。

朴被告が警察に、「妻は自殺した」と供述したのは事件の翌日。この供述の変化が法廷でも厳しく問われたのです。

母が亡くなり、父は拘置所から帰らぬまま。残されたのは男の子2人と女の子2人の4人の子どもたちです。当時、小学生だった長女は中学生に。子どもたちそれぞれが、両親のいない6年を生きてきました。子どもたちの生活は、ことし70歳になる被告の母親が一人で支えています。

事件後、心ないひぼう中傷にさらされ、引っ越しや転校も考えたという一家。それでも地域の理解や支えもあって、そのまま暮らし続けることにしました。

朴被告の母 保子さん
「パパが早く帰ってきてほしいと信じて頑張っていると思うんですけど、でもすごく辛抱しているところがあると思います。肝心な成長期にいないわけでしょ、お父さんが。いちばん親がいてほしい時期にいないわけだから」

見過ごされた"事実"

家族の運命を左右した今回の裁判。実は、ほとんど検証されなかった重大な問題があります。

あの夜、包丁を持ち出し死を迫るなどした佳菜子さんの精神状態です。事件の9か月前、第4子出産後に産後うつの質問票に答えていた佳菜子さん。

「理由もないのに不安になったり心配したりした」、「自分を不必要に責めた」の質問に対し「時々あった」と答えてました。

結果は、産後うつの疑いを示す基準を超えていたのです。第3子の出産後も、同じ結果となっていたことも分かりました。

産後うつに詳しい精神科医の小泉典章さんです。

精神科医 日本自殺総合対策学会理事 小泉典章さん
「第3子4子と(テストを)2回やってるでしょ。非常に似た傾向で書かれているもんですから、非常にこれは妥当性のある、信頼性の高いスクリーニングテストの結果」

テストの結果を受け、区の心理士が自宅を訪問しましたが、佳菜子さんは「そのときの気分で答えてしまいました。今は大丈夫です」と回答。

その後、心理士がフォローを行うことはなかったといいます。周囲に相談せず、一人で抱え込んでいた佳菜子さんに、さらにある出来事がありました。

子どもの1人に軽度の障害が判明したのです。実は、佳菜子さんは障害のことで大学病院を訪れていたことが分かりました。事件の12時間前のことです。

障害の原因が出産時にあるのではないか。医師のカルテには、佳菜子さんが深く思い悩んでいた様子が記録されていました。

その後、病院から帰ると夫に宛て、立て続けに15通のメールを送信。


「息切れの状態です。一日一日過ごすのが精いっぱいです」

17時27分 佳菜子さんからのメール

「力が入らない 涙がとまらない」

18時15分 佳菜子さんからのメール

そしてその日の夜、事件は起きたのです。

小泉典章さん
「力が入らない。涙が止まらない。うつ病の症状そのもの。非常に危険な心理状態。産後うつの傾向がはっきりしている。場合によっては、自分を亡き者にしようというぐらいの気持ちもあるんだということで(裁判で)精神科医も含めて、心理学的な検証をすることが必要だと思います」

自殺か他殺か。

被告側は上告し、判断は最高裁に委ねられています。こうした中、被告の友人だけでなく妻の親族までもが審理を十分に尽くしてほしいと声を上げる異例の事態に。

亡くなった佳菜子さんの父親もその1人です。


「私は、朴君が佳菜子を殺害したとは思えません。子どもが4人も生まれ、一番下は生まれて間もないころでしたし、朴君に佳菜子を殺す意味はないと思います」

佳菜子さんの父親が最高裁に提出した文書

一方、友人たちの中からは朴被告に対し、結果的に妻を死に追いやってしまった責任を問う声も上がっています。

被告の友人 佐野大輔さん
「明らかに奥さんが家庭の問題からくるところで、追い詰められていった。残された子どもたちもいますので、(責任を)背負って生きていかなければいけないと思う」

産後うつや自殺の動機について、ほとんど検証されなかったのはなぜなのか。

事件が問う"裁判の課題"は

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
きょうのゲストは、元裁判官の水野智幸さんです。よろしくお願いいたします。

水野さん:
よろしくお願いします。

桑子:
今回、なぜ産後うつや自殺の動機についてほとんど検証されなかったのか。取材で分かったことがあります。それが「動機を重視しなかった」ということ。弁護側と検察側、裁判官の間で、自殺であっても他殺であっても動機について重視しないということはあるんですね。

スタジオゲスト
水野 智幸さん (法政大学法科大学院 教授)
元裁判官

水野さん:
人の心はかなり複雑なものだということがいえますので、動機とか精神症状があるからこういう行動をしたというふうには一般的には確定できないと考えられています。ですので、客観的な状況ですね。傷の状態であるとか、血痕の付着状況とか、そういうものから推論していくほうが間違いが少ないと。

桑子:
今回の裁判ですと、産後うつという状態も十分に検証されなかった。この点に関してはどうでしょうか。

水野さん:
産後うつの症状がかなり切迫したものだったということが言えますし、客観的な状況から言えることもかなり不確実だということを照らすと、本件では産後うつのことも考慮に入れたほうがよかったのかなと、今では考えられます。

桑子:
そして、検証が不十分だったとされる背景に「裁判員裁判による審理の迅速化」。この審理の迅速化が背景にあるということなんですね。

水野さん:
裁判員が含まれる審理をしますので、どうしても時間的、精神的な負担を減らすために検討する事項を絞ろうという意識が働きます。その意識で、産後うつや動機面は外したのかなと。

桑子:
ただ迅速化すればいい、というふうにも思えないのですが。

水野さん:
もちろん、そのバランスをきちんととることが大事だと思います。

桑子:
今、裁判員制度のあり方のお話がありましたが、今回の事件で司法解剖を担当し、証言台にも立った岩瀬医師は司法全体の課題として、こんなことを指摘しています。

千葉大学 法医学教室 岩瀬博太郎教授
「(裁判では)いろんな鑑定人を連れてきて、まるでパズルのパーツ合わせみたいに組み合わせてストーリーを作って、有罪判決にもっていくようなことをいつもされている。専門家という名前がついている人が自信ありげに言うと、それが通っちゃうというのは多々経験していますね」

桑子:
水野さんもさまざまな裁判を見ていると思いますが、実際にストーリーを作って片方の主張に沿った判決がなされたなと感じるケースというのはありましたか。

水野さん:
ありますね。特に、こういう科学的な証拠に関して、例えば捜査機関から独立性のある、とにかく科学に忠実なことをするという保証のある機関がないのが現状です。

課題
捜査機関から独立した科学鑑定の機関がない

桑子:
構造的な問題もあるわけですね。今回の裁判を通して、今の司法が抱える課題というのはどんなことだと感じましたか。

水野さん:
本件は合理的な疑いを入れない程度の立証を検察官がしたかどうかが決め手となるのですが、合理的疑いといっても実際の基準というのはなかなかすぱっと割り切れるものではない。

そこを誰しもが納得できるラインに持っていくことが問われているのですが、本件においては1審、2審の判決などを見ると、やはり検察の立証に多くの疑問点が残っている状態なので、その立証が果たされたのかなと。

桑子:
残される家族という存在があります。ここにもしっかり目を向けていかないといけないですね。

水野さん:
本件は4人のお子さんがいるということで、被告人はその父親としてお子さんに対してやることがいっぱいあると思います。なので、今の状態で保釈という余地はなかったのかどうかということは、やはり真剣に考えないといけないと思います。

桑子:
今回、朴被告の家族は半年間にわたって取材に応じてくれました。見えてきたのは、事件や裁判の陰で深まっていく葛藤です。

残された家族は

いつ帰ってくるのか分からないままの父。子どもたちが事件や裁判について口にすることはありません。今、親子をつなぎ止めているのは手紙です。

父からも、毎月欠かさずきょうだい一人一人に宛て、手紙が届きます。

次女
「パパからもらった手紙、けっこうあります。『クリスマスのお手紙ありがとう。パパ、何度も読み返してそのたびに幸せな気持ちになったよ。楽しくて優しい手紙をどうもありがとう』。読んでいるときが、いちばん楽しい。自分が手紙で書いたことにちゃんと返事してくれたりとか」

次女の誕生日。きょうだいの間で、ふだんは見られない出来事がありました。ささいなことでけんかが始まったのです。

朴被告の母 保子さん
「(妹に)何を言ったの」
長男
「最低だねって」
保子さん
「なんでそういう言い方するの」

日頃から不安や不満を押し殺している子どもたち。

保子さん
「親じゃないから、言ったあとは言い過ぎたかなとかね。子どもたちも心の中で親を恋しがる。そういうふうに思いますよ、いつも。だって、あの子らのお父さんでしょ。今はお母さんがいないんだから。唯一のお父さんですから」

この日、長男と次女が父のいる拘置所を訪れました。面会できるのは平日の30分間。学校と重なるため、頻繁には行けません。4か月ぶりの父との対面です。

次女
「私、ほとんど話してない。もうちょっと話したかった」
保子さん
「時間がなかったもんね」

4月6日。事件のとき生後10か月だった末っ子の次男は、小学生になりました。

保子さん
「明るく前向きに。卑屈にならないで、いびつにならないで。自分がこういうふうになった分、思いやりがあるようになってほしい」

拘置所で最高裁の判断を待つ、朴被告。無実を訴えたうえで、今の心境をこうつづっています。


「絶対に私には妻の死を止めることができた。止められたんです。私がこんなにもばかでなければ」

「私は決して無謬(むびゅう)ではなく、妻の死に私も、いや私だけが責任を負っているように思うからです」

NHKに宛てた朴被告の手紙

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