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2021年12月9日(木)

いのちの格差
“逸失利益”が問いかけるもの

いのちの格差 “逸失利益”が問いかけるもの

性別や学歴、収入によって、命の価値が大きく変わる現実がある。3年前、小学生が下校中に暴走した重機に巻き込まれて亡くなった。損害賠償を争う裁判で被告側は、聴覚障害を理由に賠償額の大幅な減額を主張。その根拠となったのが「逸失利益」だ。将来得られたはずの収入をもとに算出するもので「障害で女性労働者の平均収入の40%にとどまる」としてきたのだ。命の格差、あなたはどう考えますか?

出演者

  • 中谷 雄二さん (弁護士)
  • 安田 菜津紀さん (フォトジャーナリスト)
  • 保里 小百合 (アナウンサー)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

いのちの格差 学歴・性別・障害で賠償に差が…

保里:事故などで亡くなったり、けがをしたときに支払われる損害賠償金。性別や障害の有無によって大きく異なり、たとえ同じ年齢でも収入や生活環境が違えば大きく差がつきます。
例えば、35歳の男性が事故で亡くなった場合、年収800万円のAさん。共働きで子ども2人を育てていると、賠償金はおよそ1億4,000万円。
一方、年収300万円で独身のBさん。賠償金は、およそ5,000万円。この額は、「逸失利益」という将来得られたはずの収入や生活状況を基に算出されます。

不確実性が高い社会で、誰も分からない将来の収入。いのちの価値に格差がつけられることに苦しむ家族がいます。

"将来得られたはずの収入" 障害を理由に引き下げ

井出努(つとむ)さんと、妻のさつ美さん。娘を突然の事故で亡くしました。

安優香さんの母 井出さつ美さん
「心と気持ちはあの日のまま。あの日で止まっている」

11歳で亡くなった安優香(あゆか)さん。生まれたときから聴覚障害があり、補聴器をつけて暮らしていました。明るい性格で、ろう学校で友人たちと過ごす時間を楽しんでいたといいます。運動会ではスピーチの大役を任されるなど、学校行事にも積極的でした。

事故から2年たった去年1月、損害賠償を巡る民事裁判が始まりました。

原告側代理人 坂戸孝行弁護士
「(安優香さんの)将来はすごく開かれていたと思いますし、輝かしい未来が絶対あったはずなんです。なのでやはり適正に裁判所に判断していただきたい」

主な争点となったのが「逸失利益」。将来働いていたら得られたはずの収入のことです。

安優香さんの父 井出努さん
「逸失利益ってことばを初めて聞いて、わからないことだらけで。逸失利益ってなんですか?という話で」

一般的に、賠償金の内訳は精神的苦痛に対する慰謝料や、葬儀費用などで構成されます。中でも、逸失利益は高い割合を占めます。

井出さんは、安優香さんの逸失利益を全労働者の平均年収を基準に計算することを求めました。

しかし、被告側の主張は井出さんが予想もしないものでした。

逸失利益の基準額は全労働者ではなく、女性の平均年収とすべき。さらに、聴覚障害があったことを理由に、その40%にとどまるとしたのです。

被告側は「聴覚障害者は思考力・言語力・学力を獲得するのが難しく、就職自体も難しい」と主張。

さらに、たとえ就職できても安優香さんの聴力では仕事上のコミュニケーションに重大な支障を来すため、職種が限られ、収入は低くなるという考えも示しました。

番組では、被告側に取材を申し込みましたが、女性の平均年収の40%とした根拠について回答を得られませんでした。

井出努さん
「娘の命がかえってくるなら、お金なんていらない。亡くなってしまった娘に対して障害をまたさらに持ち出してきて、障害者はどうだこうだと言われることが、われわれ遺族にとってはすごく悔しいというか、2度殺された気持ちで」

逸失利益は、学歴や職業の違いによっても大きく差がつくことがあります。

だんじり祭りに参加するのが大好きだったという、坂本裕貴(ひろき)さん。

10年前、オートバイを運転中、対向車にはねられる事故に遭いました。一命は取り留めたものの、重い後遺障害が残っています。

裕貴さんの父 坂本清市さん
「(カメラに)映ってるで。ええ顔せなあかんで」

当時、高校3年生だった裕貴さん。事故に遭ったのは、大学入試の筆記試験を終え、面接に向けた準備を進めていたときでした。事故がなければ、裕貴さんは大学へ進学していたはず。民事裁判で大卒の平均年収を基準とした、逸失利益の算定を求めました。しかし相手側は、中卒や高卒も含めた全学歴の平均年収を基準にすべきと主張しました。

裕貴さんの母 坂本智恵美さん
「もうちょっとで面接やという時に事故にあってできなくなって、『大学合格してないじゃないですか』と言われ、誰が(事故を)して行けなくなったん?って。すごい悔しい。お金じゃなくて、この子が卒業するって認めてほしい」

そこで両親は、志望動機が記された書類を提出。作業療法士になる夢を抱き、専門的に学ぶ意思があったと訴えました。

すると今度は、裕貴さんが目指していた職業を理由に、さらに減額を主張してきました。介護職の平均年収は低いとし、たとえ就職しても逸失利益は大卒平均には到底及ばないとしたのです。

坂本清市さん
「もう怒りを超えてしまっている。被害者は事故で泣かされ、裁判で泣かされ、もう何回泣かされてるかわからないですよね」

逸失利益はなぜ生まれた?

逸失利益という考え方は、交通事故の損害賠償から広がったと考えられています。昭和30年代、自動車の普及で事故が急増。被害者を速やかに救済するために取り入れられました。

しかし、将来得られたはずの収入を計算することはその後、さまざまな課題を引き起こしていきます。

例えば子どもの場合、算出根拠に男女で差が出ることも。男子は男性の平均年収で計算されますが、女子は男女の平均年収に基づくのが一般的です。

また、在留期間の限られた外国人労働者の場合。将来の収入を日本ではなく、祖国の物価水準で計算され、逸失利益が低くなる例もあります。

専門家の間でも考え方が分かれています。主に被告側を担当してきた弁護士は、補償に差がつくのはやむを得ないといいます。

被告側の弁護を多く担当 嵩原安三郎弁護士
「どんな損害が発生したのか。その損害を穴埋めする、填補(てんぽ)するという考え方が損害賠償の基本。被害者に価値を付けるのではない、年収はその人の命の価値ではない。あくまで損害の填補ということを理解していただきたい」

一方、逸失利益という尺度に疑問の声を上げる専門家もいます。

「人のいのちに値段をつけることになるのではないか」

立命館大学 名誉教授 吉村良一さん
「人を"収入を稼ぎ出す機械"と見る見方がどうしても伴う。収入の高い人はたくさん賠償がもらえる、収入の低い人はそうではない。これが果たして許容できるのか、というのが根本問題。人の価値が平等という時に、それでいいのか?」

"将来得られたはずの収入" どう算出?問題点は?

保里:まずは、長年国内外で貧困や難民をテーマにさまざまな境遇の方を取材されている安田菜津紀さんに伺います。安田さんは、この逸失利益という考え方についてどう考えますか。

安田菜津紀さん (フォトジャーナリスト)

安田さん:井出さんの事件の場合は当初、被告側の主張として聴覚障害者は思考力、言語力、それから学力を獲得することが難しいということが掲げられていたと思うんです。仮にそういった実態があったとして、問題はその獲得する機会を何が阻んでいるのか、奪っているのかということだと思うんです。その機会を得るということ、得たくても得られないという構造的な壁がいまだにこの社会の中に存在する中で、ある種の自己責任論のようなものをそのまま司法の中に持ち込んでいいんだろうかということはまず率直に感じたところ、疑問に思ったところですね。

保里:そして逸失利益を争う裁判で、弁護経験のある中谷雄二さんにも伺っていきます。中谷さん、この戦後始まった逸失利益という考え方、今何が問題となっているのでしょうか。

中谷雄二さん (弁護士)

中谷さん:逸失利益というのは損害賠償のうちの1つなんですが、人が命をなくしたり、あるいは体にけがを負ったりして後遺症がある、そういう場合に将来稼げたであろうお金を請求するということなんです。そうなるとお金を請求しているから「お金目的ではないか」という心ないようなことばが遺族に寄せられる、家族に寄せられるんですけれども、遺族の気持ちはそんなものではないんです。先ほど井出さんの話にもありましたが、本当は生かして返してほしいんです。しかし、それができないからこそせめて亡くなったあとは差別なしに、人並みに扱ってほしいという気持ちなんですよね。今の問題は、やはり高い収入の人は高く補償されるけれど、低い収入しかない人や、あるいは将来どうなるか分からないような人たち、この人たちにどう補償するか、そこが最大の問題だと思いますね。

保里:将来得られるはずの収入。これをどう認定するのか、それは裁判官にとっても悩ましいといいます。

元裁判官 豊島英征弁護士
「(収入を得る)可能性があるだけでは、足りない。それなりに高い可能性、いわゆる蓋然性ですね。どれだけの収入を得られる蓋然性があったか、このあたりの事実について、証拠に基づいて認定せざるを得ない。将来得られずはずの利益を明確に証拠で認定するのは、かなり難しい作業になる」

保里:中谷さん、将来これだけの収入を得られるはずというその「蓋然性」を証明するというのは難しいことですよね。

中谷さん:実際に人がどうなるかというのは全く予測がつきませんよね。今、収入がたくさんあると言っても、その後どうなるか分からない。失業するかもしれないし、お金を稼げなくなるかもしれない。あるいは、今は非常に低い収入だけど、成功するかもしれない。こういったことをどう証明していくのかというと、いくら緻密にやってもどこまで行ってもフィクションでしかないというところがあると思います。

保里:この逸失利益、その基準は社会の変化に伴って見直されてきた経緯があります。例えば、もともと専業主婦はほぼゼロとされてきました。ただ、今は女性の平均年収まで認められています。そして、重度の障害者もほぼゼロとされてきましたが、おととしの判決では平均賃金を基準とした逸失利益の算定が、重度の知的障害者の例で全国で初めて認められました。

中谷さん、現状問題点として指摘できることはどんなことでしょうか。

中谷さん:これらの成果というのは、みんな自動的にそうなったわけじゃないですよね。やはり一つ一つの裁判を通じて闘ってきたからこそ、勝ち取った成果だというふうに思うんです。それから重度の知的障害児の例が2つ挙がっていますが、これについてはそれ以外のものとはだいぶ質が違います。非常に例外的で、まだ「こういったいい例が出たよ」という程度のもので、ものすごく珍しいと言っていいと思いますね。

安田さん:いまだにこういった格差が判決の中に持ち込まれてしまうということが、社会的にどんなメッセージとして伝わってしまうのかというところにも着目をしたいと思うんです。つまり、こういった価値判断、価値基準というものが判決の中に入れ込まれていくことによって今、社会の中に現に存在する不当な格差だったり、あるいは現に存在するあらゆる差別を司法が追認して上塗りするということにつながらないのかということ、その伝わり方という側面にも向き合っていかなければならないと思います。

保里:この逸失利益という考え方そのものに対して、実際に疑問の声が上がり始めています。

逸失利益を問う声 広がる 苦悩を深める遺族

交通事故で娘を失った井出さん家族。裁判が注目を集める中、全国から10万を超える署名が集まりました。その多くは、逸失利益の減額に反対する声でした。中には、いのちに値段をつけることにつながるのではないかという意見もありました。

安優香さんの父 井出努さん
「こんなにたくさんの署名が集まったということで、非常に驚いています。障害者、われわれだけの問題ではない」

一方で、ネット上には批判の声もあふれています。「お金目当てではないか」。「差別ではなく区別だ」。

井出努さん
「ほんま心のないことを書いていた。『障害者だからしかたがない』、『逸失利益を減額されて当たり前』とか」

被告側の主張を覆すためには、具体的な証拠が必要です。父親の努さんは、安優香さんの部屋に残っていたテストやノートを必死でかき集めました。

井出努さん
「学年ごとで学んだことをしっかり勉強して理解していますよっていう、証拠として提出した」

さらに、日記を専門家に分析してもらい、障害があっても年齢に応じた文章力があったと証明しようとしました。しかし…。

そもそも、なぜこんなことをしなければならないのか。井出さんは、やりきれない思いを日に日に募らせています。

井出努さん
「なんで僕らがあえて証拠として出して、証明しないといけないのか。納得いかない、ふに落ちない。そういうことをやっているのが、何やってんだろうなって思うことはよくあります。過去のことを掘り下げて調べなあかんっていうのは、それは本当にしんどいですね」

裁判を続けて1年半たったある日、井出さん家族にうれしい出来事がありました。近所に住む人が、安優香さんの写真を持ってきてくれたのです。安優香さんは、よく一緒に犬の散歩に行ってくれたといいます。

井出さつ美さん
「いい顔してますね。生きてるみたい」

「100%いい顔してはりますやろ」

井出さつ美さん
「好きなワンちゃんといるんで、自然な安優香の笑顔ですね。私の知らない安優香の姿なんで、すごくうれしい。ありがとうございます」

井出さつ美さん
「短かったけど濃い人生やったなって、安優香は。こういうの見てると思いますね。よかったね」

ことし8月。被告側は新たな主張を展開します。逸失利益について、女性の平均年収の40%としたこれまでの主張を撤回。聴覚障害者の平均年収を基に算定し直すとしました。それでも一般の基準には及びません。

井出努さん
「金額が上がったところで、娘がかえってくるわけではない。逸失利益でお金で換算する、計算する。将来はこうだって決めつけられる。それをお金で判断されるのは、ふに落ちない。ご飯食べたり、テレビを一緒に見たり、そういう生活が楽しかった。幸せだった」

いのちの価値とは? 逸失利益が問いかけるもの

保里:井出安優香さんの裁判や、ご遺族の思いについて以下のリンクでより詳しくお伝えしています。

井出さんは、逸失利益を裁判で争うということ自体に非常に苦しんでおられました。安田さん、どのようにご覧になりましたか。

安田さん:そうですね、ただ、裁判というのは被害を訴え出ることができる非常に数少ない手段の一つなわけです。「要はお金なのか」という心ないことばを受けたとしても、ご遺族が自分自身を責める必要は全くないということをまずお伝えしなければならないと思うんです。
井出さんの場合は、安優香さんがこんなに頑張っていたんだ、こんな能力があったんだということを証明しなければいけないという状況に置かれてしまっていたと思うんです。安優香さんの重ねてきた頑張りというのはすばらしいものだと思いますし、同時に人間の価値イコール労働力であっていいのかと考えたときに、ご遺族が、亡くなった家族のことを、障害者であっても働けたかもしれないということを証明しなければならない。それ自体が非常に酷だと思うんですよね。そうさせてしまっているのは何なのかという構造の問題に目を向けていかなければならないと思います。

保里:本当に二重の苦しみを強いている現状、問題点というのが見えてきたと思うんですが、諸外国ではどのように補償をしているのか。
例を見てみますと、スウェーデンでは収入面の損失と精神的な苦痛について財源を分けて補償するのが一般的です。収入面は公的な財源で補償して、損害保険は精神的な苦痛に対する慰謝料を重視しています。そのため、そもそも損害賠償額が裁判で争われることはほとんどないといいます。

そしてフランスを見てみますと、精神的な苦痛に対する補償を充実させています。慰謝料の項目を細かく分けて美的損害、愛情損害、さらに楽しみの喪失、家庭を築けなくなったなど、事故によって失われたものを広く捉えて補償の対象としています。

中谷さん、こうした例も踏まえまして、日本はこの問題にこれからどう取り組んでいかなければいけないと思いますか。

中谷さん:一つは損害賠償の問題で、逸失利益がちょっと過重になっていると。逸失利益が主要になっちゃっているんですね。だけど、精神的な損害というのはやはり非常に大きいものがあって、そうすると、日本ではやはり逸失利益の額じゃなくて、損害賠償、慰謝料の額の絶対額が低すぎると思います。そこをもっと増やしていくことによって、最低限補償的なものが得られるのではないかというふうには考えますけれどね。

保里:安田さん、井出さんの裁判には10万人分の署名が集まるなど、いのちの価値を測る現状の在り方に対して疑問の声が上がってきています。私たちの社会にどんな問いかけをしていると考えますか。

安田さん:そうですね。この問題を考えることは、私たちがどんな社会に生きていきたいのかを考えることそのものだと思うんです。例えば、私たちの日常生活の中で「生産性」という物差しで自分を測られて苦しんだり、逆にそういった価値観を無意識的に内面化して相手を測ってさらに息苦しさを感じたりということに少なからず私たちは直面しているのではないかと思うんです。その上で私たちの持っている生存権というのは、こんなにお金を稼いだ、こんなに頑張ったんだという対価として与えられるものではなくて、本来誰しもが持っている権利ですし、それを確認し合って改めて共有したうえで、今の社会制度はこの設計で本当にいいんですかということ、それを見直していく必要が私たちに求められているんではないかと思います。

保里:お二方、ありがとうございました。


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