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2021年2月25日(木)

“国民1人あたり25万円” 復興予算はこう使われた
~人口減少時代の災害復興~

“国民1人あたり25万円” 復興予算はこう使われた ~人口減少時代の災害復興~

東日本大震災から10年。総額約32兆円、国民1人あたり25万円ほどの負担となる復興予算はどんなことに使われてきたのか。その多くは防潮堤や土地のかさ上げなどのハード事業だが、被災者の心を癒やしたり暮らしを支えたりするソフトの予算は少額ながらも復興に欠かせないことが見えてきた。今後も巨大地震が起きる可能性が高いとされる日本。「復興予算の10年」の知恵と経験をひもとき、人口減少時代の災害復興のあり方を提言する。

出演者

  • 武田真一 (キャスター) 、 栗原望 (アナウンサー)

人口減少時代の復興 理想と現実

千年に一度とも言われる大津波が押し寄せた、10年前。死者・行方不明者合わせて、1万8,000人余り。全半壊した家屋は、40万棟に上りました。

2011年 菅直人首相(当時)
「必ずこの問題に打ち勝って、安心できる態勢に戻していくことをお約束したい。」

国は被災地の復興のため、これまでにない方針を打ち出します。それは、個人が支払う所得税の額を25年間にわたって2.1%上乗せし、それを当初10年間の復興財源とするというものでした。

当時、国の復興構想会議の議長を務め、復興税を提唱した五百旗頭(いおきべ)真さん。国民が負担を受け入れてくれるのか。当初は不安があったと明かしました。

元復興構想会議 議長・兵庫県立大学 理事長 五百旗頭真さん
「増税が決まるときに、私は反乱は起こらないだろうけど非難ごうごう起こるか一生懸命注意していたが、全く批判はなかった。国民の温かい、この災害列島で次々あちこちで災害は起こる。それを見放すんじゃなくて、順繰りにみんなで被災地を支えていくという。そのおかげで財源も得て『創造的復興』、大土木事業をやるならやりなさい必要ならば、という形ができたと思う。」

復興予算を支えに五百旗頭さんたちが打ち出したのが、『創造的復興』。それまで、災害前の状態に戻すことが基本だったこの国の復興のあり方を根本から見直し、震災前よりも安全なまち作りを実現するとしました。

こうして32兆円の復興予算のうち、最も多い13.3兆円がつぎ込まれたのが、住宅・防潮堤・道路。2番目に多い自治体への交付の多くも、インフラに使われました。

新たに造った247キロの高速道路の建設には、総額2兆円。国民1人当たりにして、1万円以上の負担となりました。

町の安全性を高める432キロの防潮堤には、1.3兆円。ここにも国民1人当たり、1万円が投じられました。

インフラの整備が進む一方、被災地は人口減少という悩みに直面していました。

五百旗頭さんとともに復興ビジョンを策定した飯尾潤さんは、人口減少を踏まえた予算の使い方になっているのか、課題が見えてきているといいます。

元復興構想会議 検討部会長・政策研究大学院大学 教授 飯尾潤さん
「われわれの目的は、全国並みの人口減少までもっていきたいというのが理想だった。増えたりはしない。しかし、うんと減ってしまうということにしたくなかったけれども、そうはなっていない。結局、うんと減ってしまった。人口減少下では作ったものがいつまでもいるわけではないので、これからそのことは県によるが心配しているところ。」

10年で人口が1割以上減った、宮城県・石巻市。復興のシンボルとして来月(3月)完成するのが、博物館や劇場からなる複合文化施設です。総事業費130億円の半分が、復興予算で賄われました。

実は、市は当初から人口減少を見据えた建設計画を立てていました。被災した文化施設を統合することで、効率的な管理を実施。劇場の席数も、震災前より減らしていたのです。

しかし専門家からは、人口減少のペースを考えるとさらなる縮小が必要だという声が出ていました。

建設計画に携わった日本大学名誉教授 本杉省三さん
「維持費とか運営費というのは、ずっとその後もかかってきますから、そこは削れるところはなるべく小さくした方がいい。やはり長い目で見たときに人口は減っていくことは間違いないので、今の人口規模に合わせたり、あるいは過去の人口規模とか数に合わせるよりも、もうちょっと小さくした方がいいなというのが正直あった。」

市は、この指摘を踏まえながらも難しい事情を抱えていました。復興のシンボルとして立派なものにしてほしいという住民たちの要望が、市に寄せられていたのです。

石巻市 亀山紘市長
「これも市民からの要望が強かったので、確かに維持費は以前と比較はしてないんですけども。維持管理費はかかるものの、これからの市民の心の復興とか、そういったものをはかる上では必要な施設だと。」

その後、明らかになった施設の維持費は、年間およそ3億円。そのほかの公共施設の維持費もかさむ一方、人口減少などの影響で歳入が減るため毎年10億円以上財源が不足する見通しです。市は財政を切り詰めるため、今後5年で222人の職員を削減する方針です。

人口減少と財政難の時代に、インフラの復興はどうあるべきなのか。

飯尾潤さん
「今回やはり『被災者の希望通り』ということを強く出しすぎて、逆に言うと国の側にも『こうしたらいい』という案が十分ではなかった。今後はそのことで災害前から話し合ってみると。まち作りということを先に考えて費用も少なくし、復興の期間も短い、そしてその方が便利だというまち作りがもう少しできなかったかなというのが教訓。」

グループ補助金 異例の仕組みは何を?

復興予算32兆円のうち、インフラに次ぐ4.4兆円がつぎ込まれたのが産業の復興です。この中には、それまでの常識では考えられないお金の使い方が含まれていました。

過去の巨大災害では、国が予算を投じる対象はほとんどが公的な財産に限られていました。しかし東日本大震災では、被災した企業の私有財産の補償に5,297億円もの国費を投じたのです。地域経済の壊滅を防ぐための、異例の判断でした。

この判断を、当事者はどう振り返るのか。復興庁の元事務次官・岡本全勝(まさかつ)さんです。

復興庁 元事務次官 岡本全勝さん
「阪神淡路大震災の時は、まだ人口は増えていました。かつ、都市部ですから。今回の三陸沿岸部はその前から人口減少が始まっていて、その際に働く場が必要だと政府はどこまで出来るか。」

岡本さんたちが作った、補助金の仕組みです。被災した企業がグループを結成し、復興のための事業計画を共同で提出。これが認められると、生産設備の復旧にかかる費用の4分の3の補助金が得られます。国費で企業を支援するためには、グループにお金を出すことで地域全体を支えるという理屈が必要だったと、岡本さんは言います。

岡本全勝さん
「私有財産に国費を入れるというのを、われわれ関係者も最初はおそるおそるいったんですね。大きな方針の転換ですから。日本は資本主義国で共産主義国家ではないですから、国で工場作って仕事をすることは考えられませんから。理屈としては『地域をもり立てる』。そのためには『地域の主たる産業を再開しよう』という理屈を立てたんですね。」

こうして生まれた、グループという仕組みの思わぬ効果を実感している経営者がいます。岩手県・久慈市の日當(ひなた)和孝さん。

経営する製材会社の工場と倉庫が、津波で全壊しました。

製材会社 経営 日當和孝さん
「機械は全損。建物は全流出。もう車両もトラックも機械も何もない。」

その後日當さんは、ライバルだった同業者などとグループを作り、復興予算から受け取った補助金で工場を再建。

今では、震災前の売り上げを超えるまでになりました。グループを作ったことは、ただ補助金を受ける以上の効果を生みました。商品開発や販売を共同で行うことで、新たな販路を開拓。

「ここは広葉樹はどうでしょう?アカマツはどうでしょう?というような提案をして、ぶつけていくというのはどうでしょう。」

日當和孝さん
「まさに大賛成です。」

さらに、これまで1社では受けられなかった大きな事業も共同で受注できるようになりました。

日當和孝さん
「競い合う競業ではなくて、補い合う協業ということではないかと。そういう関係が今でも継続されていると思っていますし、これはぜひ、これからも残していきたい。」

岡本さんは、こうした仕掛けが日本全体にとっても重要になってくると見ています。

岡本全勝さん
「グループを作ることによる、その次のいい効果は最初は考えていなかった。やっていくうちに、同業者の中のライバル同士が手を組む。提携するのもよし、切さたく磨するのもよし、その議論のテーブルを作った点においては、今回のグループ補助金はひとつのきっかけになった。」

“国民1人あたり25万円” 何をもたらしたか

武田:NHKではデータで見る復興予算として、特設ホームページを開設しました。どうぞご覧ください。

“データで見る復興予算”
特設HPはこちら

今回私たちは、復興政策の当事者たちに話を聞きました。五百旗頭さんたちの提言をもとに『創造的復興』という基本理念や、国民全員で財源を支えるという方針が立てられたわけですが、10年たってさまざまな課題が見えてきました。

栗原:まずデータを見ていきます。震災から10年、東北3県では人口減少が加速し38万人減りました。

飯尾さんが指摘したポイントは、『人口減少下の復興』です。それに対応した、縮小時代の新しい復興モデルを実現することは難しかったとしています。その上で飯尾さんは、人口が減る中でどんな町を目指すのか。行政と住民が、ふだんから議論をしておくことが重要だとしています。

そしてグループ補助金などの政策を進めた岡本さんは、『つながりの可能性』です。

グループ補助金を受け取った企業のうち3割は、今も売り上げが震災前の半分以下です。一方で赤い部分。増加した3割の企業では企業どうしがつながって、販路や技術を共有することも見られたといいます。

その後、この補助金は使い勝手をよくして熊本地震の復興支援でも活用されています。

武田:そして、国が当初復興期間とした10年はまもなく終わり、復興予算は大きく縮小します。
その中で課題になるのは、被災者の見守りや子どもの学習支援など、被災者支援に関わる予算。来年度は、488億円から362億円に減少します。

被災者の生活に直結するだけに、これからも必要だという声が上がっています。

縮小する予算 被災者支援はどこまで

復興予算の縮小に、危機感を募らせる人もいます。震災の3年後に宮城県・気仙沼市で設立された、フリースクールです。当初の主な目的は、震災の影響で不登校になった子どもたちの居場所作り。

家族を亡くしたり、自宅を流されたりした子どもたちを受け入れてきました。今年度の運営費800万円のうち、6割を占める補助金は年々削られています。残りは月々の利用料や寄付で賄っていますが、運営はぎりぎりだといいます。

フリースクール代表 中村みちよさん
「今年度も苦しくて正直。週5日を、週3とかに回数を減らすことも検討していかなければいけない状態です。」

震災から10年たっても、目に見えづらい影響は今も続いているといいます。宮城県では、震災以降不登校の子どもが増え続け、3年前からその割合は全国最多。こうした子どもたちを支えるために、息の長い支援を求めています。

中村みちよさん
「10年経っても町並みはきれいになったとしても、子どもたちは生きづらさを抱えていたりとか。10年経ったから震災の復興が終わりというわけではないという肌感覚がある。」

復興予算で生まれたつながりが、この先絶たれることを心配する人もいます。岩手県・山田町の古川蓉子さん。夫の昭三さんは、避難誘導にあたっていて津波に流されたと見られています。

古川蓉子さん
「またいつか一緒になりましょうね。待っててくださいよ。」

古川さんを支えてきたのは、復興予算を使った被災者の見守り事業です。相談員との交流を続けることで、少しずつ生きる気力を取り戻していったといいます。

古川蓉子さん
「本当にありがたいです。」

生活支援相談員 伊藤美子さん
「聞くことしか出来ない。」

古川蓉子さん
「いやいやいや。それが一番なんです。聞いていただきたいけども、だれもそういう人がいないじゃないですか。みなさんのおかげです。明るくなったのも。死にたいって思ったことがね、3か月に1回くらいありましたよ、前は。あの方たちが来るようになってから、全然そういうことはなくなりました。」

10年にわたり古川さんを支えてきた、相談員の伊藤美子さん。実は、伊藤さん自身も被災者です。自宅は流され、訪問介護の仕事もできなくなりました。その後、就いたのが復興予算で始まった生活支援相談員の仕事でした。この10年で、被災者を支えることが生きがいになったと感じています。

伊藤美子さん
「震災当時のことを話してくれた時に、自分も共感できるし。この生活支援相談員にならなければ、こういう人の輪、そういうのはなかったと思うので、それをもっと広げられたらいいな。」

福島に重点的予算へ

武田:こうした被災者の暮らしを支える取り組みには、息の長い支援が求められます。そして国がこれから重点を置くのが、地震・津波に加えて、原発事故という困難が続く福島です。
国は最終的にすべての住民の帰還を目指すとしていまして、今後5年間の復興予算、1.6兆円のうち、黄色い部分の7割近くが福島に充てられます。

原発周辺の除染が終わった地域では、本格的な復興はこれからです。

福島に重点的予算へ 住民の願い

原発事故から、まもなく10年。福島県・浪江町です。町の中心部などでは除染が進み、4年前、およそ2割の地区で避難指示が解除されました。

ここにはおよそ1,500人が暮らし、新たなインフラの建設が始まっています。移住促進につなげようと、去年(2020年)オープンした道の駅。復興予算などから、45億円を投じて建設しました。

一方、残り8割に当たる帰還困難区域でも3年ほど前からようやく除染が始まりましたが今、計画があるのは優先度が高い4%の地域だけ。その費用は、少なくとも334億円に上ります。

いつになったら町に戻れるのか。帰還困難区域に自宅を持つ君島勝見さん(82)は、帰る日に備えて月に2回、片道1時間半かけて通い続けています。

君島勝見さん
「この冷蔵庫に入った。これを開けて、イノシシが入ってくる。これを見たとき、がっかりした。もう家には住めないなと思った。まったく情けないな。」

帰還を願う仲間たちと続けてきた、地域の防犯活動。この10年、原子力災害からの復興のために2.3兆円の復興予算が投じられてきましたが、仲間のほとんどは帰還できていません。

「うちの女房は、2日に1回くらい医者通いだ。だから仕方なく向こうに家を買ったけれど。」

君島勝見さん
「どんどん街・家がなくなってくる、寂しくなってくると。予算を追加しても、実際その金はどこに利用したかということは、われわれ国民としては、私としては実感わかないということ。復興って何をやっているのかなと。」

先月(1月)、君島さんのもとに国からある通知が届きました。君島さんの自宅を取り壊すことへの同意書です。自宅前を通る、幹線道路の放射線量を下げるために必要だというのです。

君島勝見さん
「まったくこれ(震災前の自宅写真)を見ると残念で痛ましくてしょうがない、この写真見ると。人が住めるような環境づくりをしてもらえば、一番ありがたい。環境がよくなって、人がどんどん集まるような環境をつくれば、自然に人は戻ってくるから。何年後、何十年後は前の浪江町に戻る可能性もあるのではないかと思う。」

今後、国は除染にどう向き合っていくのか。国の事務方の責任者として、福島の復興に携わってきた岡本全勝さんに問いました。

復興庁 元事務次官 岡本全勝さん
「なるべく早く帰ってもらえる、人が住める元の地域にしたいと全員思っている。そういう思いは当然前提としながら、どの程度のスピードで、どの程度の国費を入れて進めていくか、そういう現実論の議論になると思う。費用対効果、使い道と投入する国費との両てんびんで、その勘案だと思う。われわれ元役人としては費用対効果という言葉を口にせざるを得ないが、それを越えて国費を投入するという政治決断は選択肢の1つとしてあると思う。それは役人としてできる判断ではない。」

次の災害に備えるために

栗原:政府はたとえ長い年月を要するとしても、将来的には帰還困難区域のすべてについて避難指示を解除するとしています。
私は原発事故の後、2014年から3年間福島で勤務して取材してきました。君島さんたちのように、ふるさとに戻れるという国との約束を信じつつも、この10年間、先の見えない迷いや不安を抱え続けているんだという声をたくさん聞いてきました。
そして、今も眠れないという人もいます。その重さをどうか受け止めてほしいと思いました。

武田:そして、いつ巨大災害が起きるか分からない日本。次への備えをどう考えるのか、五百旗頭さんのことばです。

元復興構想会議 議長・兵庫県立大学 理事長 五百旗頭真さん
『南海トラフ地震にしても、首都直下地震にしても、巨大な災害を前に十分に太刀打ちできないことになるかもしれない。それでも、この10年ほど広く被災者を支えることを考え、多様性を認めながら復興したことはかつてなかった。この経験を土台にした仕組み作りがいま、最も大切なことではないか。』

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