クローズアップ現代

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2020年12月16日(水)
心をつなぐ“わらしべ長者” ~物々交換から見るコロナ禍の一年~

心をつなぐ“わらしべ長者”
~物々交換から見るコロナ禍の一年~

今年秋、大阪のNPOがネット上で一本の赤い糸との物々交換を呼びかけた。等価交換ではなく、より価値の高い物を求め、最後にたどり着いた物を金銭に換えて困窮者の支援団体に全額寄付する。現代版“わらしべ長者”とも言える新しい寄付の模索だ。交換に応じる人々の思いはコーヒーから漫画制作権、色鉛筆からイヤホンへ。大阪、沖縄、東京へとつながり、ついに家一軒にまで。コロナ禍の今だからこそ見つめたい“利他の心”とは。

※関連記事
「コロナ禍に赤い糸から始まった“わらしべ長者”物語 ~なぜ人々は物々交換に応じたのか~」はこちら
https://www.nhk.or.jp/gendai/kiji/195/index.html

※放送から1週間は「見逃し配信」がご覧になれます。こちらから ⇒https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/

出演者

  • 武田真一 (キャスター)

コロナ禍の1年 心をつなぐ“わらしべ長者”

企画したのは大阪のNPOの代表、吉村大作さん。新たな形の寄付を広める活動などをしています。

NPO みらくる 理事長 吉村大作さん
「“わらしべ長者”なんで、物をどんどん交換して、大きくしていきます。」

“わらしべ長者”は、ある貧しい男がより高価なものへと物々交換を重ね、お金持ちになる昔話です。今回の企画は、この話にちなみ、物々交換を繰り返していきます。そして、最終的に得た品を現金化し、コロナで困窮した人々を支援するNPOに寄付します。

吉村大作さん
「もっとつながりが必要なのに、それが弱まっているんじゃないのか。赤い糸は人と人を結んでいく、接着剤のような形で、みなさんをつないでいければと。」

9月から11月いっぱいまで物々交換を続け、年内の寄付を目指します。

吉村大作さん
「物々交換で物を大きくしていって、コロナで困っている方に寄付する。」

知り合いや、つてを頼るだけでなく、ブログで知らない人へ呼びかけ、メールや電話も駆使してアプローチしていきます。

最初に交換に応じたのは、鹿児島市に住む、コーヒー豆販売店の店主・馬場克也さんです。

コーヒー豆販売店 店主 馬場克也さん
「いきなり(吉村さんから)お電話がかかってきまして、100均の糸が欲しくてたまらないものだったら、交換してもいいですけれど、まったく欲しくない。」

それでも交換に応じたのは、ことし(2020年)抱いた、ある思いが関係していました。馬場さんは、30年ほど前に会社勤めを辞め、店を持ちました。自分で選んだこだわりの豆で、もてなしてきました。特に力を入れていたのが、店内にある試飲スペース。地元の人々が自然と集まり、時には悩みを打ち明け合う憩いの場になっていました。

馬場克也さん
「コーヒーが主役ではなくて、人が主役。」

しかし馬場さんは、店からコロナの感染者が出るのを恐れ、試飲スペースを閉めることにしました。今も常連客は来ますが、立ち話をする程度です。

常連客
「ここに座って飲んだり、お話したりとか。すごくここのお店の良さだったりもしていたので、そういう温かさがなくなってしまったかな。」

馬場克也さん
「みなさんからもらっていたもの、大きかったなと思ったときに、やっぱりちょっと(心が)苦しいなとは思いました。」

店の売り上げは落ち込み、去年(2019年)の半分以下になる月も出てきました。それでも“何か自分にできることはないか”。

馬場克也さん
「これを作りました。」

疫病退散の妖怪をモチーフにしたオリジナルコーヒーを作り、その売り上げの一部を、医療活動をする団体に寄付する取り組みを始めました。そんなときに物々交換の話が舞い込んだのです。

馬場克也さん
「人を思う心ですよね。それが一番欠けてしまう。欠けてというか、取られてしまったかな。自分ではなく人のためにという形で、私の商品も吉村さんの考えも、その薄いところで一致している。」

馬場さんは自慢のコーヒー9,000円分と、赤い糸を交換することにしました。

その翌日、次の交換に応じてくれる人が現れました。東京中野にある、まんが制作会社です。この会社は、まんがで商品のPRをしたり、社員向けの教材を分かりやすく作る事業を行っています。そのまんがの制作5万円相当の権利を、吉村さんの依頼に応じて提供したのです。

まんが制作会社 代表取締役 小林大介さん
「ボランティアを積極的にしてますとか、残念ながら今までの人生の中ではしてなかった。」

この会社はコロナの影響で、経済活動が滞った顧客企業のあおりを受けました。

小林大介さん
「オリンピックを、まんがを使って周知しようみたいな動きがあったけど、ちょっと宙ぶらりんな感じ。最大、月単位で見ればそれこそ(売り上げが)半分くらいになったときもあった。」

それでも交換に応じた小林さん。この1年で、自分の価値観も少し変わったといいます。

小林大介さん
「コロナで時間をもてあましたというわけではないんですけれど、(空き時間でやれば)コストはゼロ。最終的に、本当にもっと多くの人が喜んでもらえるものに変換できたのであれば、よかったなという気持ちにもなれる。」

広がる物々交換 次はどこへ?

赤い糸が、コーヒー豆、まんが制作権に変わり、少しずつ広がり始めた物々交換。
次は、知り合いの元プロ野球選手が、現役時代のユニフォームなどと交換してくれました。そして、この元プロ野球選手は、プロジェクトに思わぬ展開をもたらしました。手に入れた、まんが制作権を知り合いに寄付したのです。

元プロ野球選手 木村昇吾さん
「生きていくのがやっとという方もいらっしゃるかもしれないし、自殺者もすごく増えたと聞いてます。僕よりも価値を見い出せる方のほうがいいんじゃないかと思って。」

その寄付を受けた人は、沖縄にいました。那覇からフェリーで2時間の離島粟国島(あぐにじま)。自然豊かな島で700人ほどが暮らしています。
まんが制作権をもらった宮本真理さんは、埼玉県から移住し、島で唯一のパン屋を去年(2019年)開店しました。

パン販売店 店主 宮本真理さん
「ご褒美をもらったような気持ちになりました。今年は我慢が多い1年だったので。」

「こちらはよく来られる?」


「来ます。毎日です。島にやっぱりないので、こういうパン系が。今日これあったよ、あれあったよと言いながら。」

宮本さんはSNSを使って、観光客を呼び寄せようとしてきました。しかし、店を始めてから1年がたったころ、コロナで1か月にわたる島への来島中止要請が出され、観光客が激減します。

宮本真理さん
「つらいですよね。『Go To』って何ですか?って感じです。高齢者がやっている民宿が多い地域では、『Go To』の波は1ミリも入ってきてない。」

それでも宮本さんは、島の人々の楽しみになればと、売れ残りを覚悟で1人パンを焼き続けてきました。そんなときに届いた、まんが制作権。切実に思うことをこの1枚に描いてもらいました。

“人生最大の壁の乗り越え方が、わかりません…。コロナが落ち着いたら、ぜひ遊びに来てください。”

SNSで発信すると、100を超える「いいね」がつきました。

宮本真理さん
「もうみんな、うちの島のことなんか気づいてないだろうと思って、すごくネガティブになる日もある。遠くの人とつながれてる感、うれしい気持ちもあるし。もういいやと言って、諦めないことは大事だと思いました。」

東日本大震災と重なる コロナ禍の人々の姿

順調に滑り出した物々交換。しかし、交換が進むほど品の価値が高くなるため、次に応じる人がなかなか見つからなくなっていきました。

NPO みらくる 理事長 吉村大作さん
「私たちで今、コロナに対する支援をやってまして…。」

「別の方を介して(寄付をする)のは、ちょっとやめておきますね。」

それでも、吉村さんが物々交換を呼びかけるのには、ある理由がありました。
生まれも育ちも大阪の吉村さん。母親の口癖は“あなたは人の役に立てる子だから”。父親は、地域密着のフリーペーパーを作る仕事をしていました。

吉村大作さん
「(父は)地元愛、むちゃくちゃ強かった。」

しかし、吉村さんは30歳手前になっても職を転々とし、やりたいことが見つかりませんでした。父親が、がんで急死すると父の仕事を継ぎますが、人の役に立っているという実感が湧きませんでした。そんな吉村さんを変えたのが「東日本大震災」でした。

吉村大作さん
「津波で家とか流されている映像を見たら、ちょっと涙が止まらなくなってしまって。母から、『あなたは世の中の役に立つ人間になれる』と、でも気づいたら31年間、何もしてこなかった。ここで何もしなければ、その気持ちは全部うそになる。消えてしまう。」

吉村さんは寄付を募り、被災した人々の願い事を、100個かなえるプロジェクトを始めました。

津波で結婚式を挙げられなくなったカップルには別の式場を探し、実現させました。バスケットボールの試合ができなくなった中学生には、6つの学校を集め大会を開催しました。

吉村大作さん
「人のためにさせていただく資格って、誰でもあんねんなと。人に喜んでいただけたし、必要とされた。僕でも何かできるんだという自信にはつながりました。」

吉村さんには、コロナ禍の人々の姿が、東日本大震災のときと重なって見えたのです。

再び動き出した“わらしべ長者プロジェクト” 交換したのは…“家”!?

元プロ野球選手との交換まで進んだ、現代の“わらしべ長者プロジェクト”。再び動きがありました。
次に交換に応じたのは、大阪の町工場の社長・原田邦夫さんです。

インク製造会社 社長 原田邦夫さん
「色鉛筆を、子どもたちにプレゼントすると。」

提供したのは色鉛筆2,000セット。市場価格で30万円になります。

原田邦夫さん
「会社が苦しい時期が続いたんですけども、コロナの件でちょっと裕福な状況になりまして、社会に還元するべきやと。」

印刷用インクの製造を行う原田さんの会社は、大手企業に押され続けてきました。それでも従業員や顧客を大切にする経営を、代々貫いてきました。

原田邦夫さん
「実は携帯の中に(写真を)肌身離さず持っていまして。祖母が(初代)社長をやってまして。祖母の思いは、『気は心。心を持って人と接してないといけないよ』と。お金もうけよりも、すべてに喜んでもらえるような仕事をすることが大事。」

祖母の教えを守り、客の小さな要望にも応えようと、こつこつとインクを開発してきた原田さん。中でも自慢のインクがあるといいます。

原田邦夫さん
「ちょっと持ってきていいですか。元はこれなんですけれども。」

待つこと1分…。


太陽光に当てると色が浮き出てくるインク。顧客を笑顔にしたいと開発しました。

ことしに入って新型コロナウイルスがまん延し、原田さんの会社も窮地に立たされると思いきや…。

原田邦夫さん
「いっぱいあるんですけど。抗菌のインキを使いまして。」

印刷物に抗菌の効果が施せるインク。これが思わぬ大ヒット。

原田邦夫さん
「(抗ウイルスではないのでコロナは防げないが)抗菌と抗ウイルスを、ニアリーイコールの感覚で思ってしまう。本当は違うんですけど。」

300社近くから問い合わせがあり、売り上げも大きく増えました。原田さんは、この利益を子どもたちに還元したいと、色鉛筆を購入。交換に応じました。

原田邦夫さん
「生きる喜び、楽しみは自分一人で作るものじゃなくて、みんなに分けてもらうもの。みんなに分けてもらうには、みんなを喜ばさないと。人と人との心が通い合う世の中に、ちょっとでもなってほしい。」

物々交換はその後、リモートワークが増えた人々の役に立ちたいという思いから、イヤホンメーカーが50万円分のイヤホンと交換してくれました。

交換したのは…“家”!?

プロジェクト開始から3週間。さらにこれを超える申し出が入りました。

大阪に住む原小代子さんは、親のために夫が準備した、この“家”を提供しようというのです。

原小代子さん
「共感というか、もうご縁、今っていうのを思いましたね。」

原さんはこの家を、地域の子どもたちのためのフリースクールにするつもりでした。

原小代子さん
「ここに机を。ここと隣と、12畳ありますので。子どもたちの自習をしてもらう部屋。」

原さんがそう考えたのは、自分の子どもたちが不登校を経験したからです。

原小代子さん
「まさか、この子が学校行かなくなるって、パニックになりましたね。私の育て方が悪かったんじゃないかとか、自分自身を責めるというか、すごくしんどくなったりしました。」

原さんは、子どもをフリースクールに通わせるなどして、仕事に就くまで育て上げました。今度は自分が、同じ境遇で悩む人を助ける番だと、この家でフリースクールを作る計画を進めます。

そのさなかのコロナ禍。生徒を集められず、計画は中止せざるをえませんでした。
そんな時に知った「物々交換」。この家を最大10年間無料で貸し出すことで、交換に応じたのです。家賃に換算すると780万円の価値になります。

「損をするとは、思わなかったのですね?」

原小代子さん
「それは思わなかったですね。恩返し、恩送りができるのは、今しかないかなと思いました。」

「赤い糸」から、「家」にまで進んだ物々交換。
しかし、ここで想定外のことが起きました。次の交換相手は近所に住む保育士。家賃無料の家を使って、母と子の居場所を作りたいというのです。社会に役立つ活動で交換したいと申し出ましたが、それでは「品(しな)」が無くなってしまうため、アメ玉270個も出してもらいました。

しかし、その後、保育士の活動は条件が合わなくなったため、家を使う権利は原さんに戻ります。アメ玉は吉村さんの手に残りました。プロジェクトの終了まで残り1か月。780万円の家の権利が、1個30円のアメ玉となってしまいました。

NPO みらくる 理事長 吉村大作さん
「価値が下がったとは、全然思っていない。社会に何かしたい思いと相応の価値があると思います、アメ玉には。」

ところが、このアメ玉一つ一つが、さらに多くの人々を巻き込んでいくことになるのです。

“アメ玉”から さらにつながる物語

舞台美術製作 梶屋貴弘さん
「つまんないページだったら、速攻やめようと思っていた。マジものの赤い糸で、この人たち本気でやってんだと。」

吉村さんのブログをネットで見た人々から、交換の申し込みが相次いだのです。舞台美術の製作をなりわいとする梶屋さんは、おもちゃの図面を引く権利を差し出しました。交換の動機は、コロナで仕事が激減し、自分は社会の役に立っていないと感じていたからでした。

梶屋貴弘さん
「自分の手でできる範囲でやるには何かなと思ったときに出会ったのが、“赤い糸プロジェクト”。これに手を出したことで、精神的にちょっとだけ楽になる。それこそ、この赤い糸1本ぐらい分、楽になるというぐらい。」

ネイルサロン 店主 山中由佳さん
「60人ぐらいにラインはしたんですけど、そのうち5人ぐらいだけが『やるわ』みたいな感じ。」

ネイルサロンを営む山中さんは、このプロジェクトを知り、アメ玉1つとネイルアート無料券を交換しました。

シングルマザーの山中さん。自分でできる範囲で交換の輪を広げたいと、友人たちに呼びかけていきます。

山中由佳さん
「今月、めっちゃ暇やねんけど。」

カフェ 店主 仲知佳子さん
「うちも、先週1日(の売り上げ)2,000円とか。どうなるんやろ、“第3波”。」

山中由佳さん
「やばいな。なんとかなるやろ。とりあえず食べられたらいい。」

カフェを経営する友人は、アメ玉1つと地ビール5杯無料券を交換しました。

仲知佳子さん
「笑顔に、一人でもできるんやったら、安いもんやと思います。面白いじゃないですか、“わらしべ長者”のつながり。そこを切りたくない。なんかつながってほしいから。」

アメ玉の交換はさまざまな人に広がっていき、その1つが、7万円の記念品製作権にもなりました。中には、100万円分のホームページ制作権と交換したいという人も現れます。

プロジェクトの終了まで2週間。吉村さんのもとに、思わぬ話が飛び込んできました。交換を申し出た相手は、田舎暮らしの希望者に物件の提供を行う不動産会社。所有する築100年の古民家に山を付けて、資産価値は220万円です。

不動産会社 取締役 佐藤洋造さん
「コロナをきっかけに、都会から移住される方がたくさんいらっしゃいました。なんとか力になりたいと。」

その翌日、プロジェクトをきっかけに、うれしい出来事も起きました。10年間の家賃無料券の借り手がいなくなっていた原さんの家。そこで活動をしたいという母親たちが現れたのです。

「おむすびラボ。子どもたちが月に一度、楽しくおなかいっぱいになれる場所を目指します。」

この家を、子ども食堂や親の居場所として使っていくことで、母親たちと話がまとまりました。

「未来にワクワクする子どもたちが、増えたらいいなと。」

「今日を境に、いい日になればいいなと。」

夢が、実現に向け動き出しました。

原小代子さん
「前に進んでいけるように祈ります。」

「すごい笑顔。マスクごしにもわかるぐらい。」

原小代子さん
「良い方たちにめぐり会えたと思います。」

11月30日。プロジェクトの最終日を迎えました。吉村さんの手元に残ったのはパソコンや軽自動車など、30の品。総額300万円近くに上りました。12月中に売却するなどし、売上金をコロナで困った人々を支援するNPOに寄付する予定です。

NPO みらくる 理事長 吉村大作さん
「今回の“わらしべ長者”って、誰も長者にはならないんですけど、心はみんな豊かになっていく。支え合いに気づいていく。そういう物語が生まれたんじゃないのかなと。支え合いの物語だったんじゃないのかなと。」

武田
「新型コロナウイルスの収束が見通せない中、多くの人々が『誰かのためになれば』と善意を差し出し、交換の輪が大きく広がっていったことに、希望を感じます。人を思う小さな優しさが社会をつなぐ。そのことの大切さに、改めて気づかされました。私たちも、少しでも多くの人に、その大切さを伝え続けていきたいと思います。そして来年(2021年)は、そうした優しさが、社会にあふれる年になってほしいと、願ってやみません。」

“赤い糸”の物語は続く

赤い糸の物語には、まだ続きがありました。

抗菌インクで利益を上げた会社が交換した色鉛筆は、コロナで室内の時間が増えた園児たちに寄付されました。
10年間家賃無料権と引き換えに50万円相当のイヤホンを手にした原さんは、コロナ対応に追われる仕事を支えたいと、イヤホンをすべて大阪府庁に寄付しました。

残ったアメ玉は、支え合いの心をつないでほしいという願いを込めて、保育園へ。

「キャンディー、いただきました。」

「最初は赤い糸だったんやて。赤い糸がどんどんかわっていって、お家にもかわったんやて。」

子ども
「ありがとう。」
「コロナウイルスの人も治りますように。」
「みんなが幸せになりますように。」