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2020年6月11日(木)

新型コロナ バッシングからの再起

新型コロナ バッシングからの再起

新型コロナウイルスによって大勢の人が差別やバッシングにさらされてきている。集団感染が発生し、その後、様々な嫌がらせを受けてきた大阪のライブハウス。支援の声を励みに、クラウドファンディングで資金を集めながら営業再開を目指している。感染した客の一人が勤務する介護事業所は、当時の毅然とした対応が、その後の周囲からの理解につながったと語る。このほか、感染した息子を支えようとする父親や、当時バッシングしていた人など、緊急事態宣言が解除され「日常」を取り戻そうとする中で、再出発を目指す当事者たちを追い、日本社会が新型ウイルスとどう向き合っていったらいいのかを考える。

出演者

  • 武藤香織さん (東京大学医科学研究所 教授)
  • 武田真一 (キャスター)

感染した親子を追い込むネットの声

新型コロナウイルスに4月に感染し、今も、ひぼう中傷とデマに苦しみ続けている人がいます。
50代の男性です。大学生の長男と共に感染しました。

その後、ネット上に広がったのは、長男をひぼう中傷する書き込みでした。

50代男性
「やっぱりひどいですよね。ここまで言われるんだな。これ(ひぼう中傷)がこういう空間にいっぱい散っていて、ナイフが飛び交っているような感覚。」

感染が判明すると、長男はすぐに大学に報告。
大学は十分な確認をせずに、「学生は一貫して自宅待機していた」と公表します。その後、詳しい聞き取り調査で「感染が確認されるまで 大学やバイト先などに外出していた」と判明。発表を訂正しました。

ところが、ネット上には長男が うそをついたという臆測の書き込みがあふれていきました。さらに、実際には立ち寄っていない場所にいたという、うその目撃談まで投稿されました。

取材班
「この書き込みだと、パチンコに息子さんが行っていたみたいなことになっている。息子さんはパチンコとかやるんですか。」

50代男性
「しないしない、しないです。本当に会えるんだったら、会って直接 この人に個人的に(真実を)言いたい。そんな気持ちですね。」

今は人と接することが怖いという長男は、メッセージで心境を明かしてくれました。

長男からのメッセージ
“犯罪者のような扱いをし、立場や状況を理解しようともせず、ただただ誹謗中傷を書き込んで、本当に悲しく、とても悔しかったです。”

バッシングの広がりを受け、大学は「当初の状況確認が十全でなかった」と誤りを認め、謝罪しました。
しかし、ネット上には今もひぼう中傷やデマが残り続けています。
治療を終えて自宅に戻った長男は、周りの目を気にして通学への不安が拭えないでいます。

50代男性
「コロナがまん延して、今はウェブ授業になっているので、『卒業までウェブ授業だったらいいんだけどな』って、見つけたらグサっとまた思い出して、その時の悔しさだったり、悲しさだったり。『うーん』となりますよ、やっぱり。」

「店名を公表したら…」 ライブハウスの苦悩

集団感染・クラスターが発生した大阪のライブハウス。
ここも激しいバッシングにさらされました。
すでに3か月にわたって営業の自粛を続け、来月以降も再開の見通しは立っていません。

2月、この店に来ていた 合わせて46人が新型コロナウイルスに感染。
この期間の公演の観客は、全国から足を運んだ180人以上。感染者は、東京や名古屋など各地で確認されました。

オーナーの片山行茂さんです。
11年前に店を始めてから、毎月30回以上の公演を主催してきました。若いアーティストにとって、貴重な表現の場を提供してきました。
クラスターの発生が判明した直後、片山さんは観客に検査を呼びかけようと店名を公表。
しかし、その後すぐに、匿名で激しい非難がメールや電話で寄せられるようになります。

ライブハウス オーナー 片山行茂さん
「ここで病気をつくって、ここから拡散したみたいなイメージに見えたので、そのときは“悪”というか、そういうものになってしまったと思いました。これはもう潰れるしかないのかな、社会から不必要なものなのかなと、マイナスな思考に陥った。」

ライブハウスへの非難は出演者にも

バッシングは、感染が確認されなかった出演者にも向かいました。
クラスターが発生した日、出演していた福見健二さん。
報道を見て、保健所にすぐに連絡。症状がないため、検査を受ける必要はないと言われました。
しかし、自分の演奏を動画で配信したところ、数十件の非難のメールが相次ぎました。

シンガーソングライター 福見健二さん
「僕は正直コロナより人が怖くなりました。今で言う『自粛警察』というか、出演した人の名前をブワーって書いて検索しやすいように。クラスターが起きてしまったのは事実だから、僕たちも受け入れなきゃいけないけれど、でも“コロナを広げるために活動していた”と言われるのはちょっと違うよねとは思います。」

感染者の職場にも…拡散する非難

全国にいたライブハウスの利用者。
バッシングは、その周辺の関係のない人たちにも広がっていきます。

熊本の介護施設です。

介護施設「樹心台」 中尾清志事務長
「夜9時に連絡が入って、陽性だと。」

大阪のライブハウスを利用した職員1人が感染。一部のサービスを中止しました。
バッシングや不当な扱いは、職員の家族や出入り業者など、感染した職員と接触していない人にまで及んだのです。

家族の職場で無期限の出勤停止。
さらに、子どもの保育園の登園拒否や親の介護施設の利用中止など、被害は70件以上に上ったと言います。

別の介護施設で父親が利用を中止された職員
「部署は違うし、接触は無いけれど、『ほかの利用者に迷惑をかけるのでいいですか』と。」

介護施設「樹心台」 中尾清志事務長
「全く接触がない職員、委託業者、その家族が言われるのはショックだった。そこまで言われなければいけないのか。」

PCR検査に寄せられる不安・反発

東京都の、ある地区の医師会が設置したPCR検査場です。
場所の選定や近隣への説明などに1か月以上を費やし、4月下旬、ようやく開設にこぎつけたものの、予定の半分ほどしか稼働出来ない事態に陥っています。

一つの理由は、日々寄せられる近隣からの声にありました。

“受検者とすれ違うだけでも感染するのでは?”

“医療者は、検査終了後シャワーを浴びないのか?”

検査場が感染のリスクを生むのではないか。
厳しい指摘を受け、必要以上の範囲を消毒をするなど、過剰な対応が支障となっています。
さらに取材を進めると、住民の反発などを懸念し、清掃工場の一画を選ばざるを得なかった医師会もありました。
検査場の設置すらできていない医師会も4つ(5日時点)あります。

こうした状況に、都内のある医師会の会長が匿名を条件に取材に応じました。

A医師会 会長のメール
“行政からは「近隣住民のことを考えると公共施設での設置は難しい」と言われました。”

B医師会 会長のメール
“医学的に感染リスクをほぼゼロ近くまで排除し、万全を期して検査に当たっていても、その状況を理解してもらえない。こうした状況に難しさと不条理さを感じる。”

ファンに支えられ…歩み出したライブハウス

激しいバッシングにあい、営業の自粛を続けるライブハウスのオーナー片山さん。

ライブハウス オーナー 片山行茂さん
「この列が4だから、1列に4。」

今月に入り、営業再開に向けた準備を開始。
ライブハウスに根付いたイメージを払拭しようと、感染予防対策を進めていました。

ライブハウス オーナー 片山行茂さん
「なんとか折り合いを見つけていくしかない。」

前を向くきっかけとなったのが、再出発に向けた“クラウドファンディング”です。
片山さんは、再び激しいバッシングにさらされることを覚悟していました。
しかし、予想外の声が集まります。

“あの場所で みんなと音楽する日を楽しみにしています。”

“思い出がたくさんある 大好きなライブハウスです。”

2000件を超える温かい応援の声が届いたのです。

ライブハウス オーナー 片山行茂さん
「いまだに“早く潰れてくれ”とか“ライブハウスなくなればいいのに”みたいなことはやっぱり書かれる。待ち望んでくださっている方々が1人でも2人でもいるということ、本当にSOC(このライブハウス)が好きと言ってもらえることが、一番 前向きになれた言葉ですね。」

どん底の中で支えてくれた人たちの思いに応えたい。
片山さんは、活動の場を失ったアーティストたちと新しい曲を作ることにしました。

ライブハウス オーナー 片山行茂さん
「この(歌詞の)冒頭はそうですね。一番、3月のはじまりぐらいに、もうどうしていいかわからへん。」

タイトルは、この3か月間の思いを込めて「希望の歌」としました。

ライブハウス オーナー 片山行茂さん
「僕らは、まだまだ諦めてないぞ。皆さんに会うために頑張っていくぞという思いを、歌から伝えていきたい。」

後押ししてくれたのは “地元の信頼”

関係ない人たちにまで被害が及んでいた熊本の介護施設。

バッシングが広がる中、取り組んだのが地元への丁寧な説明でした。
施設周辺のコンビニエンスストアや整骨院、商店など、30か所以上に直接訪問。関係者全員の検査を実施したことや感染対策について説明し、理解を求めたのです。

介護施設 中尾清志事務長
「早く風評被害をおさめるために、あえて“終息宣言”という形で、文書と、実際に行って話を進めていった。」

その後、施設の対応を知った住民などから、地域に欠かせない存在だとエールが届くようになりました。

介護施設 中尾清志事務長
「そこまで応援してくれているんだ。思うだけじゃなくて、こういう風に表現して頂くということだったので、本当にうれしかったですね。」

この日、施設を訪れたのは地元企業の社員たち。
少しでも力になりたいと、手縫いのマスク60枚を寄付しました。

介護施設 中尾清志事務長
「すごいですね。みんな喜ぶと思います。」

地域の子どもたちからのメッセージも同封されていました。

地元企業 社長
「相手を思いやる心でなんとか乗り切るしかない。」

介護施設 中尾清志事務長
「幸い新たな感染者が出なかったのが救い。」

地元企業 社長
「素早く対処されたからだと思います。」

バッシングのおさまった施設。
感染対策を徹底し、中止していたサービスを再開しています。

利用者
「ここに来て少しでも体を動かさないと。」

「安心して来られます。幸せです。」

介護施設 中尾清志事務長
「ほっとしているのが今の現状ですね。利用者さんの笑顔が一番。ひぼう中傷だとか言われましたけれど、真正面から対応することが施設の信頼を増すことになる。」

「希望の歌」に誓う再出発

営業自粛を続ける大阪のライブハウス。
今週、再出発を誓う「希望の歌」が完成しました。40人以上のアーティストから寄せられた動画を一つにまとめます。その中には、激しいバッシングを受けた福見さんの姿もありました。
かつてない苦しい日々その中でも失わなかった希望を歌います。

♪どうしようもない日々に やり切れない悔しさを
ぐっと堪えながらただ 遠くの空を見てる

♪動き出したい気持ち溢れて
くちずさむ このメロディ
過ぎさるだけの時間の中で 深い闇に身を潜めて
今すぐにも君に触れたい
What I can do now
逢えないほどに つのる気持ちを込めて
希望の歌を 歌うよ
君が隣にいて 笑い合う日が来る時まで

私たちに問われているのは?

武田:バッシングに苦しみ、そこから再起を目指して奮闘する皆さんの姿を目の当たりにして、いわれのない ひぼう中傷は決してしてはならない、許してはならないと改めて感じることができました。取材を受けてくださった皆さまに心から感謝を申し上げます。
政府の専門家会議のメンバーで、感染者や医療従事者などに対する差別の問題について指摘してこられた武藤さんは、VTRをどんな思いでご覧になりましたか。

ゲスト 武藤香織さん(東京大学医科学研究所 教授)

武藤さん:感染症対策に関わってきたものとしては、本当に収束を目指して、すごく必死にやってきたんですけれども、やっぱりここまでのご負担をいろんな方にかけて、その原因がいろんな容赦のないバッシングで、本来なさらなくてもいい努力や信頼の再構築をされてきたということに本当に敬意を表したいと思います。けれども、そういう努力を払わないと信頼が回復できないという状況は、やっぱり許してはいけないというふうに感じます。

武田:このウイルスというのは治療法も確立していませんし、知らず知らずのうちに誰かにうつしてしまう、誰かからうつってしまうということもあります。そういった未知の恐怖というものが行き過ぎて、こういったバッシングにつながるのかなというふうにも感じたんですけれども、どうやって その恐怖に向き合っていけばいいんでしょうか。

武藤さん:私もそばで感染症の専門家のお仕事を見てきて、未知の感染症の対策というのは非常に皮肉な側面があります。収束させるためには人と人との接触をできるだけ絶ったほうがいいということが分かってきて、社会全体で行動を変えていただきたいということになったときに、いつの間にか、どうしてもリスクをできる限りゼロにしたいというふうに私たちは思ってしまうんです。いつの間にか思ってしまうと。特に、ご家庭に重症化しやすい高齢者の方や病気の方を抱えていらっしゃるおうちの方はやはり、できるだけリスクはゼロにしたいと。そのお気持ちもすごくよく分かるんですけれども、しかし、そうしたリスクをゼロにしたいという気持ちが、いつの間にか怒りに変わったり、不安に変わったりしていっているというのが背景にあるのかなと思っています。だからといって、人を攻撃することは全く正当化できないことであるということを改めて感じました。

武田:そのリスクというのも、ある程度向き合って、しっかり受け止めていかなきゃいけないということもありますよね。

武藤さん:そうですね。

武田:VTRで見てきました、バッシングからの再起のカギ。理解や支えというものが、身近な人、地域、社会全体に広がっていくことが必要で、そのためには、私たち一人一人が「傍観者にならない」ということが大事だと見えてきました。

11年前、新型インフルエンザが流行した際の、ある人の行動がそのことを教えてくれました。

いま何をすべきか 11年前の教訓

兵庫高校 元校長 江本博明さん
「『親が会社を出勤停止になって気を遣った』とか『外に出たら冷たい目で見られる』とか。」

2009年。
新型インフルエンザの感染が相次いだ高校で校長を務めていた、江本博明さんです。当時、この高校の生徒だというだけでバッシングにさらされました。

生徒たちへのアンケート (兵庫高校 2009年)
“みんなバイ菌扱いしすぎ”

“気が滅入って涙を流した”

兵庫高校 江本博明校長(当時)
「新型インフルエンザと認定された者が増えまして。」

対応に追われる中で最も大事にしたのは、生徒の味方であると目に見える形で伝え続けることでした。

学校の姿勢が地域の人たちにも伝わるよう、ホームページで毎日発信しました。

2009年5月17日
“私たちは皆さんを全力でサポートしようと思っています”

2009年5月19日
“風評やうわさに惑わされないで、すべきことをやりましょう”

教師たちも、顔が見える形でメッセージを発信していきました。

“空は青いです。みんな見えていますか?
同じ空の下にいます。応答せよ。応答せよ。”

兵庫高校 元校長 江本博明さん
「“同じ空の下にいます、見えてますか? 応答せよ、応答せよ。”というような言葉を書いてホームページに載せる。」

この取り組みが新聞で紹介されたり、口コミで伝わったりしていくと、バッシングは励ましの声に変わっていったと言います。

兵庫高校 元校長 江本博明さん
「世の中が、雰囲気が変わる。あなたは独りじゃないよと。そこに支え、そういうのがいると思う。」

私たちに問われているのは

武田:武藤さんは医療と社会との関わりについて研究されていますけれども、こういった新型インフルエンザのときの経験をどういうふうにご覧になりましたか。

武藤さん:まず、校長先生ご自身もバッシングをされた当事者でありながら、生徒さんにとっては大切な、支える立場の役割を果たされて、やはり敬意を表したいと思います。私たちの社会は、新型インフルエンザよりもはるか以前から、ハンセン病であったり、HIV、エイズであったり、折に触れて感染症と闘ってきたという歴史があって、その中で必ず、その当事者の方がつらい思いをしながらも立ち上がり、そして、支える人が必ず現れて、長い時間をかけて、そのつらい状況を克服してきたという歴史があります。新型コロナウイルス感染症も、まだ感染者の方の数が多くないですね。多分、難病の方々が経験してきたように、少しずつ声を上げて、周囲に理解を求めていっていただけるのではないかなと思っています。

武田:今後、第2波、第3波が来ることも予想されますね。傍観者にならないというふうに心に決めていても、また恐怖から、誰かを責めたくなってしまうかもしれません。繰り返し襲ってくる恐怖に、どうやって打ち勝てばいいのでしょうか。

武藤さん:この4か月間、私たちは感染症について本当にたくさんのことを学んできて、たぶん同じような混乱はもう起きないと思っています。もっとスマートに乗り切っていけるということがあります。ですけれども、恐らく次の大きな流行のきっかけになる、例えばイベントであったり、場所であったり、人というものを、私たちは知ることになると思うんですね。そして、それは報じられると思います。そのときに、きょうVTRに出てくださった方々が経験されたようなことを二度と経験させないと誓って、乗り切ることがとても大事だと思うんですね。そして、やはり流行は起きるものなんだという覚悟を持って、寛容さを持って、何とかこのウイルスと うまく共存していく道を探したいなというふうに思っています。

武田:心を一つにして、団結して立ち向かっていく。

武藤さん:そうですね。リスクを受け入れる寛容さを養うということでしょうか。

武田:できますかね。

武藤さん:やりましょう。

武田:ありがとうございました。

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