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2020年3月11日(水)

原発事故 避難者の心に何が?
9年目の大規模調査

原発事故 避難者の心に何が? 9年目の大規模調査

福島第一原発の事故から9年。避難を続ける人たちの心が今なお深刻な傷を抱えたままである実態が、去年行われた大規模な調査から浮き彫りになった。調査の対象となったのは、福島県浪江町の帰還困難区域・津島地区の住民513人。その半数近くにPTSDの疑い、3割近くにうつなどの疑いがあることがわかったのだ。取材から見えてきたのは、これまで見過ごされてきた「若い現役世代」の苦しみや、避難先で被ばくや賠償金をめぐって偏見や差別に直面し、口を閉ざさざるを得ず苦しみを抱え続ける姿だった。華々しく語られる復興の陰で見過ごされてきた避難者たちの「心」。何が彼らを追い詰めているのか?その声に耳を傾ける。

出演者

  • 除本理史さん (環境社会学者 大阪市立大学大学院 教授)
  • 今野秀則さん (津島地区 住民)
  • 武田真一 (キャスター) 、 高山哲哉 (アナウンサー)

原発事故9年 避難者の心に何が?

避難者の声
「この9年、自分がみじめというか。ちゃんと健康で元気な赤ちゃんを産めるのかなとか。ちゃんと自分自身、健康でいられるのかなという不安。」

「『(避難者に)賠償が来るのが納得いかない』とか、『“こじき”は(ここに)いるな』とか言われて。今も黙っているしかないですよね。」

「何もない。あの津島を見たくない。思い出せばつらい。」

「悲しい。つらい。何でこうなった。」


精神科医 蟻塚亮二さん
「今回の(調査)結果でも、日本の震災の中ではかつてない高いデータが出てきた。」

精神科医の蟻塚亮二さんです。去年、津島地区の住民を対象に大規模な心の調査を行いました。

回答したのは、県内外に避難する513人。いまだ、ふるさとに帰れない帰還困難区域の住民に絞った本格的な調査は、これが初めてです。

津島の住民は、この9年ずっと厳しい状況に置かれ続けてきました。
事故直後には、原発から20キロ以上離れていた津島に多くの人たちがとどまっていました。
しかし、その後、大量の放射性物質が津島に降り注いでいたことが判明。
2014年以降、比較的放射線量が低かった地域から避難指示が解除されていきましたが、津島は今も、特別な許可がないと立ち入りさえできません。


不安定な環境に長い時間置かれた住民たち。ストレスや健康不安など、心の状態を詳しく調べ、今後の治療に役立てようとしたのです。

精神科医 蟻塚亮二さん
「原発避難の人たちのつらさとか、これからどう乗り越えて生きていくかということが、これを機会にして見えてくればいいなと。」


今回、調査を受けた住民の中には、以前、武田キャスターが取材したことがある家族もいました。
津島から30キロ離れた二本松市に暮らす、柴田明範さん、明美さん夫妻です。

2013年に取材したときには、苦しいながらも仮設住宅を出て、新たな暮らしを始めると語っていた柴田さん。あれから6年を経て、穏やかな暮らしを取り戻しているかと思われましたが、調査の結果は驚くべきものでした。

柴田明範さん
「こういう結果です、蟻塚先生の。」

つらい記憶がフラッシュバックしたり、不眠に悩まされるPTSD。そのリスクが基準の2倍以上の値でした。

柴田明範さん
「つい、ひとりで目をつむると、『あっ戻りたい』ってパッと思っちゃうんですよね。戻れないのは分かっているんですけど。」

武田:9年たっても。

柴田明範さん
「ええ。」

生まれ育った場所は、今もゲートの向こう側。
自宅の周りは除染が行われておらず、柴田さんは防護服を着て通い続けています。

柴田明美さん
「まだまだ住めないよね。」

武田:失礼します。

柴田明範さん
「気をつけてください。」

武田:こうやって入らないと…。

柴田明範さん
「イノシシが狙っているので。」


息子3人と娘2人を含めた、3世代9人の大家族でした。
3月11日は長女の中学校の卒業式。4月からは、その制服を次女がお下がりで着る予定でした。

武田:われわれも、きょうは切ないことですけど、こうやって土足で上がらせてもらっていますけれども。そういう状態になっても「もう この家はいいや」とはならない?

柴田明範さん
「ならないね。」

柴田明美さん
「ならない。」

もう帰れないと分かりつつ、いつか、またここで暮らせるのではないかという思い。どっちつかずの状態に、この9年間、胸を引き裂かれ続けてきました。

柴田明範さん
「かえって、さら地になった方が諦めがつくんですよね。諦めたくはないんですけど。家に縛られるというか。」

調査は、質問票や個別の聞き取りを重ねて行われました。そこから見えてきたのは、事故から時間が過ぎた今も、津島の人たちの心の状態が突出してよくないことです。PTSDの疑いがある住民は、およそ半数に当たる48%。また、絶望感や気分の沈み込みなど、うつや不安障害の可能性がある住民は28%。この値は、原発事故避難者全体を対象にした調査の4倍以上になります。

精神科医 蟻塚亮二さん
「普通、時間が経過すると反応はだんだん下がっていく。だから、もっと下がるはずで。まだこんな状態なのは、ちょっとびっくりした。」


今回、時間とともに周囲との溝が深まり、孤立感を募らせているという避難者が多く見られました。

菅野あゆみさん(仮名・50代)
「理由もなく表を眺めていると、涙が出るときもありました。」

精神科医 蟻塚亮二さん
「訳もなくね。このまま死ぬんじゃないか、そんな感じまでする?そこまでは?」

菅野あゆみさん(仮名・50代)
「時々あります。」

菅野あゆみさんは、事故直後から避難先を転々。その後、福島県の内陸部に移り、生活を再建しようとしました。新たな家は賠償金では足らなかったため、ローンを組み、その返済を続けています。しかし、避難先の地元住民との溝に気付くようになったと言います。

菅野あゆみさん(仮名・50代)
「周りに新しい家とか建つでしょ。そうなると『あんな(立派な)家を買えるのは避難者くらいしかいないわ』って、仕事仲間の人がポツっと言ったわけですよ。いやあ私は言えないよな、避難者だって。」

菅野さんは現在も2つのパートを掛け持ちして、週7日休みなく働いています。
しかし、避難者に対する冷たい視線を感じるたびに、賠償金を手にした後ろめたさにさいなまれていると言います。

菅野あゆみさん(仮名・50代)
「普通に生活している原発とは関係ない人たちは、一生懸命働いているわけですよね、家族のためとか。それなのに私らはお金をもらっちゃって、なんか罪悪感を感じるときもあります。」

今回の調査結果から、特に福島県外に避難した人がPTSDなどのリスクが高いという実態も見えてきました。


津島からおよそ300キロ。山梨県甲府市に避難している、石井拓さんです。
今回の調査で、PTSDの疑いを示す数値が基準のおよそ2倍でした。

石井拓さん
「改めて数字で出てこられると、びっくりするよね。」

石井さんは、この9年間、慣れない土地で家族を守ろうと必死だったと言います。
避難してすぐに直面したのは、子どもたちが受けた心ないひぼう中傷でした。

石井拓さん
「『(放射性物質が)うつるから来るな』とか『汚いから来るな』とか。そんな感じが多かったみたいですね。何せひどいですよ。頭痛で吐きまくるくらいだから。」

しかし、子どもへの放射線の影響を考えると、福島に戻ることはできなかったと言います。
そうした中でも、消し難いふるさとへの思いは膨らみ続けています。

石井拓さん
「これは綱引きだな。」

取材班
「運動会?」

石井拓さん
「うん。いろいろ思い出しますね。」

地元の祭りの企画や消防団、商工会といった活動を通して、地域の人たちとのつながりを築いてきた石井さん。ふるさとを思う、その複雑な胸のうちを誰にも語れず、抱え込んできました。

石井拓さん
「同じカーブから見る、津島の景色がきれいなんですよ、これが。毎回毎回きれいなんです。変わらないんですよ。美しいまま、小学校、中学校。それがね、無ぇだ。今、帰るとみんな山じゃん。もう全部、山にのまれてるんだよ。悲しい。つらい。何でこうなった。」

石井拓さん
「人はやっぱり経験しないと分からないからさ。他人が怒っている、恐れている、怖がっている、悔しがっているというレベルは分からないと思うよ、きっと、言っても。共感してはもらえないのかもしれない。」


周囲から孤立し、その思いを吐き出すことができない避難者たちの心は、9年たった今、限界まで来ていると蟻塚さんは感じています。

精神科医 蟻塚亮二さん
「人って困ったときに、他人に聞いてもらうとか、SOSを出すとか、そういうことによって、生きているわけですよ。そこが自分のなかで、やっちゃいかんというタブーになっているとすると、ますますトラウマ記憶を心の底にずっと長期化させる。長期的にキープさせることになる。」


武田:ここは、復興拠点として除染が完了した津島中学校というところです。こちらにはこの中学校の卒業生でもあり、今も区長をされている今野秀則さんにお越しいただきました。VTRでも映っていましたけれども、このグラウンドで、運動会が行われていたんですね。


ゲスト 今野秀則さん(津島地区 住民)

今野さん:はい、そうです。

武田:皆さんにとって、大切な思い出の場所?

今野さん:はい、津島地区にはたくさんの行事があります。それこそ年中通じてね。中でも、特にこの津島中学校のグラウンドで行われていたのは「ふれあい運動会」。地区住民、子どもたち、幼稚園世代から、足腰が不自由なおじいちゃん、おばあちゃんまで、本当に全世代が集まって、各部落対抗という形で運動会を実施していました。お昼どきになると、各集落、部落ごとに各世帯から住民が持ち寄ったごちそうを分け合って食べて、隣のテントまで出張して、お互いにその懇親、交流を深めていた。そういう楽しい思い出の場所です。

武田:まさに皆さんの絆がここでつくられた、そんな場所だったわけですね。

今野さん:はい、そのとおりです。

武田:その絆が、9年たって失われつつある。心の傷が癒えない津島の人たちの姿をご覧になって、どう思われました?

今野さん:私たちにとって、その地域、コミュニティーの中で住民交流を繰り返しながら生活する。そのものが喜びであり、楽しみであり、生きがいであったんですね。それが、今回の原発事故で根こそぎ奪われてしまったと。そういうつらさ、苦しさが日々積み重なって、9年間過ごしたということです。

武田:今野さんご自身も、お感じになっていますか。

今野さん:はい、それは毎日ですね。避難先でそれなりの生活はしているつもりですけども、地域での生活を思い返さないという日はありません。

武田:もう一方、原発事故の被災地を訪ね、数多くの住民の方の悩みを聞いてこられた大阪市立大学の除本さん。9年たった今、なお深い心の傷を負い続けている方がいる。これは、なぜだとお考えですか。

ゲスト 除本理史さん(環境社会学者 大阪市立大学大学院 教授)

除本さん:映像でも、賠償のことで周りからどう見られているんだろうか、というようなお話も出てきました。この9年間がたってくる中で、もう賠償や支援策は十分じゃないかというような見方も強くなってるのではないかなと思います。それだけではなくて、近年、自立とか自己責任ということを強調する向きもありまして。こうしたことが合わさって、番組を見ておられる方の中にも、被災者の方々を差別したりするわけじゃないんだけれども、そうは言っても前に向かって進んでいくべきなんじゃないか、というふうに考えておられる方も多いんじゃないかと思います。ただ、そうした見方で見られるということが、そうした目線が、当事者にとってはやっぱり重荷になるということがあります。社会全体として見ると、当事者の置かれた状況に目を向けなくなってきてるのではないかという懸念もしているところです。

武田:今回の実態調査からは、もう一つ見過ごされてきた問題が明らかになりました。これまでリスクが低いと見られてきた、比較的若い世代の心の問題です。

見過ごされる“現役世代”の心の傷

今回の調査で、30代を中心に家族や社会の柱となる現役世代に、うつや不安障害などのリスクが高いことが判明しました。その値は、全国平均と比較すると、2倍から5倍以上にも上ります。

精神科医 蟻塚亮二さん
「教科書的にいうと、30代とか40代が高いのは、通常ない。」

蟻塚さんは、この結果から、現役世代が求められる役割や責任が彼らを苦しめているのではないかと考えています。

精神科医 蟻塚亮二さん
「働かなければいけない、お金を稼がなければいけない、子どもを大きくしなければならない。なかなか(避難先の)職場に溶け込んでいけないとか、そういうことで疲弊していく人がずいぶんいる。」


結婚や出産を巡る周囲からの重圧に苦しんでいる現役世代の避難者もいました。
震災の年に成人式を迎えた、星野由紀さんです。
29歳を迎えた今、原発事故による影響への不安が、むしろ大きくなっているといいます。

星野由紀さん(仮名・29)
「ちゃんと健康で元気な赤ちゃんを産めるのかなとか。ちゃんと自分自身、健康でいられるのかなとか。それが今、心配事ではありますけどね。」

これは、星野さんの家族が撮影した、原発で爆発が起きた日の映像。当初は、事故の深刻さを知る由もありませんでした。

「前の車が進みません。」

「何やってんだ。」

「おばあちゃんが怒ってます。」

しかし、時が過ぎ、結婚を意識する年齢になると、脳裏によみがえってくるようになった光景があるといいます。

星野由紀さん(仮名・29)
「私の家の下にグラウンドがあるんですけど、そこに白い防護服を着た人が2人くらいいて、うちらはマスクもしてないし、そんな防護服も着てないし、吸っちゃ悪いものがあるのかなとか。」

みずからの健康への不安、周りの人からどう見られるのかという恐怖。そうした気持ちが次第に募り、今では将来に希望が持てなくなったといいます。

星野由紀さん(仮名・29)
「差別じゃないけど、『津島にいたんだから被ばくしているから、健康な赤ちゃんが産めないんじゃないの』とか、そう思われるんじゃないかなという不安。普通に生活できて、普通に結婚して、普通に子どもができて…。なんか、もういいかなとか、そういう気持ちになってきた。」


この9年、家族や社会のために走り続けてきた津島の現役世代。
取材を進めると、周囲との摩擦や温度差に疲れ果て、“諦め”さえ口にする人が多く見られました。

『人生の目標を失った』(40代男性)
「分からないね、“前向き”という言葉が。今は、ある仕事をやるだけという考えだから。」


『レッテルを貼られたまま生きる』(20代女性)
「“お金をもらっている避難民”というレッテルを貼られたまま。話す気にならなかった。言わせておけばいい。また嫌な思いをするのが怖い。」


『どうせ分かってもらえない』(50代男性)
「“風化”というより“忘却”に近い。忘れてますよ。思うところはあるけど、しょうがないよね。だって彼らのとっては関係のないことだもの。」


武田:声を上げることすら諦めたという若い世代の声。今野さんも、お聞きになったことがあるそうですね。

今野さん:はい。事故後、勤務先で働いているとき、何気ない同僚との会話の中で、原発事故、その関連で賠償金の話になる。そういう場合に、居たたまれない気持ちになって、最後には職場を辞めてしまったというふうな話とか。先ほど映像にも出てきた、結婚に対する不安だとか、そういう話はよく聞きます。

武田:若い人たちが、そういった思いを抱くということを、どういうふうに受け止めてらっしゃいますか。

今野さん:私自身は72歳で高齢者でもあるし、社会との接点はだんだん少なくなってきていますけども、若い人、若い世代は仕事の関係やら、子どもたちの学校の関係やら、職場の人たちのつきあいやら、近所づきあいだとか、やはり社会との接点が生活を支えるという意味合いで、たくさんあるんだと思うんですね。そういう場面で、どうしても自分自身と社会との摩擦が出てくるということかと思います。

高山:現役世代の心は、なぜ見過ごされてきたのか。福島で心のケアの研究をされている、前田先生にお話を伺いました。「“誰かに頼る”時間的余裕がない」。さらに、「そもそも“頼る発想がない”」。それで支援が手薄になって、ダメージが大きくなっていく。こうした状況を脱するために前田先生は、ウェブなどの活用といったアクセスのしやすい形で、若者に届く支援が必要であると指摘されています。

武田:除本さん、現役世代が社会から孤立し、また傷ついてもいるという現状をどういうふうにご覧になりますか。

除本さん:映像でも、「周りから理解されてないんじゃないか」というような声ですとか、あるいは、「社会の中で自分たちが忘却されてるんじゃないか、風化してるんじゃないか」という声も出てきました。この9年間、こうした社会側の受け止めと当事者側との思いの隔たりがすごく大きくなってきてるんじゃないかというふうに感じます。そうした中で、今野さんがおっしゃったように、社会といろんな接点がある現役世代の方が特に、そうした隔たりを強く感じておられるんではないかなというふうに思います。

原発事故9年 避難者の心に何が?

高山:その原発事故後の複雑な心は、実は海外でも報告されています。チェルノブイリの元住民の皆さんを調査し続けると、何十年にわたってPTSDで苦しんでいる人が少なくないというんですね。その研究を行っているメルニツカヤ博士によりますと、要因が3つあると。まずは、「消えない健康不安」。それから「周囲の人々との関係の悪化」。さらに、自己評価の低さから「自らの人格を否定的に捉える」。これもまた、津島の皆さんの状況と重なる部分が多いんです。

武田:私たちもマスコミとして、原発事故の被害に遭った人たちの思いを、これからも伝え続けていく責任を改めて感じます。除本さんは、そうした人たちの心に社会はどう向き合っていくべきだとお考えですか。

除本さん:今、当事者の方々の声として「共感されない」という訴えが出てきたわけですね。私たちとしては、全国に暮らす人たちが、「当事者の方が失ったものとは何なのか」と改めて捉え直して、理解をしていく、共感をしていくという必要があると思います。

武田:失ったものを?

除本さん:そうですね。それが、当事者の方の心の復興にもつながっていくんだろうなというふうに思います。何が失われたのかということで言えば、お金で償われるようなものは賠償されてきているわけですけれども、きょう出てきたように、地域社会の中で人々が暮らしていた絆だとか、家族のつながり、あるいは仕事といってもお金の問題だけではない、生きがいだとか、人生設計、自分の尊厳に関わるような問題。こうしたものが失われていて、これはいまだにきちんと賠償されているわけでもないし、今後に課題を残してるということなんじゃないでしょうか。

武田:今野さんは、今どういったことを伝えたいとお考えですか。

今野さん:私たち地域社会で生活してきた者にとって、地域の中で生きるという喜び、楽しみが失われてしまう。そのことに対する痛切さ。だけど、それは今回の原発事故で、9年もたてば戻ってこないかもしれない。戻したいけど戻せない。そういう二律背反的な苦しみが日々、毎日続く。そういう被害が現実にまだまだ続いてるということを、皆さんに知っていただければというふうに思います。

武田:戻りたいけれども戻れない。その苦しさをぜひ、私たちも共有すべきだというふうに感じました。きょうは本当にありがとうございました。

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