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2020年1月7日(火)

“桜づつみ”と高校生 ~2020・被災地からの問いかけ~

“桜づつみ”と高校生 ~2020・被災地からの問いかけ~

未曾有の水害から復旧半ばで、2020年を迎えた長野市。今、自分に何ができるか悩みながら、復興と向き合う高校生たちがいる。その拠り所が5年前に創作した劇「桜づつみ」。決壊した千曲川の堤防の桜並木を表題に、地域で繰り返す水害の歴史を描いた物語だ。そして再び襲った水害。住民が離ればなれの地域や壊滅したりんご畑をどう再生するのか。力を合わせ乗り越えようとする姿を通じ、災害列島・日本で生きるヒントを探る。

出演者

  • 鎌田實さん (諏訪中央病院 名誉院長)
  • 武田真一 (キャスター)

仲間をつなぐ歌“桜づつみ”胸に秘める思い

武田:新年を迎えた長野市、千曲川の堤防決壊現場のすぐ近くの地域に来ています。浸水した場所はかなり片づけが進んだということなんですが、それでも傾いた、壊れた住宅がそのままになっているなど、復興どころか復旧への道のりさえ、まだまだ遠いという印象を持ちます。

今年は東京オリンピック・パラリンピックが開かれる年です。その2020年の始まりを祝おうと、元日の渋谷は熱狂に包まれました。
そうした中でも忘れてはならないのが、私たちが災害列島に暮らしているということです。相次ぐ豪雨災害や地震で、日常を取り戻せない人たちが各地で暮らしています。
今年最初のクローズアップ現代+。
改めていま、何を大切にするべきなのか考えます。


自宅の1階が水没した、徳永栞名さんです。

親せきの家に避難しながら、片づけに追われる日々を過ごしていました。

高校2年生 徳永栞名さん
「誰の写真?」

「お父さんの。これ捨てちゃうの。」

思い出の写真は水につかってしまいました。

高校2年生 徳永栞名さん
「押せなくて、泥だらけですね。」

大好きなピアノも音が出ません。

高校2年生 徳永栞名さん
「弾けないのかなと思うと、思うところありますよね。」

そうした中で、流されずにいたあるものが心の支えになっていました。
堤防の決壊か所のすぐそばにたっている“歌碑”。
徳永さんが、地元の長沼小学校6年生の時、同級生たちと作った“桜づつみ”の歌を記念して建てたものでした。

創作劇「桜づつみ」(2015年3月)
「それにしても昨日からの雨が降りやまないなあ。」

歌は、過去何度も地域を襲った水害をテーマにした創作劇の主題歌として作られました。

「田も畑も何もかも失った。この村は、もうおしまいじゃ。」

「こういうときだからこそ、村の者みんなで力を合わせなくては。」

水害から立ち直っていく人々の姿を描いた物語の締めくくりが、“桜づつみ”の歌でした。

♪“おじいさんに聞いたんだ 遠い日の話
何もかもが流された 悲しい時代のことを”


それから5年、地域を再び水害が襲いました。
長沼小学校の学区は、全域で浸水。当時、歌を作った同級生21人全員の自宅が床上や床下浸水の被害に遭いました。

決壊直後、徳永さんはスマホで同級生たちと安否を確認しあう中、こんなやり取りを交わしていました。

“看板(歌碑)無くなってね?”

“看板(歌碑)探して”

高校2年生 徳永栞名さん
「堤防決壊場所が近い、近かったというのもあって、歌碑が流されちゃっていたら悲しい。」

水が引き始めてすぐ、徳永さんは父親とともに堤防に向かいました。
途中のりんご畑はすべて水没。その中で、奇跡的に歌碑は残っていたのです。

“今堤防来てみたけどやばいね凄惨すぎて。看板残ってたのがせめてもの救いだよ”

徳永さんがメッセージを送ったところ、返事が次々に返ってきました。

“まじ!良かった!”

“え!よかった!!”


なぜ、徳永さんたちにとって桜づつみの歌碑は、それほど大切なのか。
同級生の寺田由希音さんです。

自宅は床上60cmまで浸水。大規模半壊となりました。

高校2年生 寺田由希音さん
「ぬれていて、見られない。」

小学校の卒業文集も水没。
幼いころから遊んでいた公園も、災害廃棄物の置き場となっていました。

高校2年生 寺田由希音さん
「バスケットゴールもなくなっちゃった。思い出がいっぱいあります。全部流されるのは悲しいですね。」

長沼小学校の同級生21人は、クラス替えもなく6年間一緒。親同士が幼なじみという人も多く、家族ぐるみで付き合っていました。歌、そして歌碑が、今は別々の高校に通う同級生をつなぐものになっているのです。

♪“ぼくらに託された思いを 未来につないでゆくよ”

高校2年生 寺田由希音さん
「一人ひとり、みんなの名前も入っているので。それこそ小学校6年生のときの思い出だし、思い出がこういうふうに形に残っているのはうれしい。これがあるから仲が良くて、今も関係が続いていると思います。」


被災直後は支えとなっていた桜づつみの歌。時がたつなか、その思いが変化していきました。
決壊直後、歌碑を見に行き、同級生に報告していた徳永さんです。
幼いころから祖母のりんご畑を手伝ってきました。今回の水害で、収穫直前のりんごはすべて出荷できなくなってしまいました。

高校2年生 徳永栞名さん
「これ、おいしそうなのに。」

せめて食べられるものは自分たちで食べようと、1個1個確かめます。

高校2年生 徳永栞名さん
「これいい?」

祖母
「ダメだ。もったいないけどダメ。付いてるね、泥。」

高校2年生 徳永栞名さん
「ダメそうかも。」

祖母
「じゃあ落としておいて。」

徳永さんは、祖母から“りんご栽培をやめるかもしれない”と聞かされました。

祖母 伴子さん
「木が来春、生き生きしていてくれれば、やる気になるけど、あちこち枯れ木になっていれば、春になってみないと、どういう状態になるか。」

高校2年生 徳永栞名さん
「本当に毎年食べていたので、ずっと食べられるものと思っていたから。当たり前のように思っていたから、思い直さなきゃなって。」

学校で災害の話をできないことにも、つらさを感じていました。徳永さんが通う県立高校の同じクラスには、ほかに被災した生徒はいません。

高校2年生 徳永栞名さん
「ぽろっと言っちゃうんですよ。『家ないから』とか言っちゃって、話が暗くなるときがあって。申し訳なくなりますね。でも、みんなは普通に家があるんだよなと思うと悲しくなっちゃって。どういう生活になるのか、これからまた。暗い未来しか想像できなくて、よくないですよね。」

心の支えにしてきた“桜づつみ”の歌。
「立ち上がり一歩ずつ歩んできた」という歌詞を受け止められなくなっていました。

高校2年生 徳永栞名さん
「今、心境的には全然平和じゃないし、だから、こういう気持ちになるのは、もっと先のことになるんじゃないかなって。本当に勇気もらったりする歌詞だなと思うけど…なんですかね…そんな感じです。」


どうしたら一歩を踏み出せるのか。
12月、徳永さんたちは地域住民の話し合いに参加しました。

長沼地区 住民自治協議会 柳見澤宏会長
「堤防が決壊したことを、私たちは本当に悔しく思っています。」

議論の中心となったのは、堤防の強化など行政への要望。
徳永さんたちにとっては、自分たちの手に負えない話ばかりでした。

高校2年生 徳永栞名さん
「子どもである私たちって、堤防がどうとか、行政がこうしているとかっていう話は、全然想像つかない話だったので。難しい話とか多かった。」


年も押しつまった12月末。
地域を離れたままの人も多く、人けはまばらでした。

高校2年生 寺田由希音さん
「暗いから、いつも怖くて。」

歌碑によって、同級生とのつながりを感じていた寺田さん。
いつもとは違う年の瀬です。

床上まで泥をかぶった自宅は、居間などの床の張り替えがまだ終わっていません。被害が少なかった台所で生活しています。

父 浩一さん
「こっちはもう、全然住めないんで。」

母 直子さん
「この部屋も本当は住めないもんね。本当なら床も抜かないといけない。ここを抜いちゃうと居所がなくなってしまうので、しかたがない。」

これまでは、家族みんなで過ごしてきた年末年始。
しかし、この冬、離れて暮らす2人の姉は寝る場所がないと、帰ってくることを諦めました。この火鉢を使って、正月を祝う年取り魚、ブリを焼くのが恒例行事でした。

高校2年生 寺田由希音さん
「毎年、お姉ちゃんとここでお魚焼いていたんですけど、今年はそれがなくて。いつもどおりじゃないのが、時間がたって、“いつも”に戻るのはいつになっちゃうのかな。」

大みそか。近くの神社に出かけました。年をまたいでお参りする二年参りだけは、せめていつも通りにしようと同級生と約束していたのです。
年が変わる瞬間はいつも通りジャンプ。

「新年あけましておめでとうございます。」

高校2年生 寺田由希音さん
「もう少しでも、少しだけとは言いませんけど、いつもどおりの長沼に戻れるように。一人ひとりが“いつもどおり”に戻れるような年にしたいなって思います。」


桜づつみの歌詞とのギャップに悩んでいた徳永さん。
決壊現場のすぐそばにある寺を訪ねました。

笹井妙音さん
「すっかりいいお姉ちゃんになっちゃって。大きくなっちゃって。」

住職の妻・笹井妙音さん。桜づつみの歌を作るときに話を聞いた1人です。
案内されたのは、過去270年の水害を記録した水位標。

笹井妙音さん
「本当にあそこに、こんな歴史を刻むとは夢にも思わなかった。すごい悲しい。」

水害からまもなく3か月。笹井さんは、歌にある「立ち上がり一歩ずつ歩んできた」ということばを実感できるのは、これからだと伝えました。

笹井妙音さん
「自然の猛威には、とてもかなわないと皆さん歌ってくれたけど、(昔の人は)みんなこうやって苦労してきたと思って、何回も何回も水害に遭ってね。これからだから、本当に地域をみんなで守っていってほしい。つながりが大事だから、みんなと手を取り合って。」

高校2年生 徳永栞名さん
「歌詞のように。」

高校2年生 徳永栞名さん
「この歌の途中に私たちは今いると思うんですよ。歌の途中にいて、まだ立ち上がるところ、歩こうとしているところにいると思うから。若者がすごい頑張らなきゃなというのを託された感じがあって。小さいことからできたらなって。」

“桜づつみ”が教えてくれたもの

武田:今回の取材で出会った“桜づつみ”の歌。災害報道を続けてきた私にとっても、何が大切か教えられる場面がありました。

水害のあと、初めて集まることになった同級生たち。向かったのは、あの歌碑のある堤防でした。迎えてくれたのは当時の担任、竹内優美先生。

当時の担任 竹内優美さん
「大笑いしてるから、先生も笑っちゃったじゃない。」

次々とやってくる同級生たち。

当時の担任 竹内優美さん
「お家にいる人?」

「2階だけ使って住んでる。」

当時の担任 竹内優美さん
「お家にいるんだ。」

当時の担任 竹内優美さん
「ゆきちゃんは?」

「お姉ちゃんの社宅にいる。」

当時の担任 竹内優美さん
「まゆちゃんは?」

「避難所。」

当時の担任 竹内優美さん
「私も元気をもらいました。」

「泣いてる。」

「大丈夫だよ。うちらいるから、泣かんと。」

当時の担任 竹内優美さん
「きっとこの子たちが、これからの長沼の復興の中心になってくれると期待しています。」

そして…。

♪「おじいさんにきいたんだ 遠い日の話
何もかもが流された 悲しい時代のことを
自然の猛威に人は なす術もなく
でも立ち上がり 一歩ずつ歩んできた
桜づつみ幸せの花が 優しく咲いている
ぼくらに託された思いを 未来につないでゆくよ」


武田:高校生たちの姿を見ていますと、友達や地域の人たちとつながり合いながら、災害と向き合い、そこで生きていくという覚悟を固めつつあるように感じました。それは、災害列島に住む私たちにとっても、忘れてはならない大切なことだと思います。
ここは高校生たちの自宅に近い、災害ボランティアの拠点です。全国から届けられた暖かい服、衣類。そして、暖房器具などが置かれています。

各地の被災地で支援活動を行ってきた、医師の鎌田さん。県内にお住まいということもあって、今回も炊き出しなどの支援活動を行っていらっしゃるということですけども。令和最初の年明けを、こんな現実の中で迎えている若者の姿、どうご覧になりましたか?

ゲスト 鎌田實さん(諏訪中央病院 名誉院長)

鎌田さん:いろんな嫌なこともあったりして、そんな中で、桜づつみの歌がすごくいいなというのと、高校生たちの笑顔がすごくすてきだなというのと、この21人のつながりは、僕たちがこれから生きていくうえで大切なヒントになってるんじゃないかなと感じました。令和2年を僕たちが生きだして、これからだんだんと令和の時代を生き抜いていく。そのときに、AIとかSNSとかは、人間を、もしかしたらつなげるようにしながらも、実際は阻害をしていく可能性もある。そういう時代の中で、僕たちはどうやって人間らしく生きていったらいいのか。災害が起きると、復興格差というのも起きてきますよね。でも、災害がないところにも格差はどんどん広がっていく。そういう令和の時代に、災害があってもなくても、“桜づつみ”の歌にはたくさんのヒントが隠されているように思いました。

武田:そのヒントの一番大きなものが、つながりじゃないかと。

キーワードは“逆境力”

武田:もう1つ、こうした時期を乗り越えるために大切なことを、鎌田さんにキーワードとして挙げていただいているんですが。「逆境力」。どういうことですか?

鎌田さん:レジリエンスともいいますよね。震災が起きて3か月ぐらい、ものすごいストレスが加わって、ここをうまく乗り越えていく必要があるんですけれども、逆境を越えていく力がすごく大事で。だけども被災地だけではなくて、現在、日本人はいつ壁にぶつかるか分からない時代を生きてるわけですから、そういう意味では「逆境力」はすべての人にとって大事なんじゃないか。例えば被災をしていると、夢や希望を持ちなさいといっても、そんなに簡単ではないですよね。でも、僕は被災地をずっと支援をしながら、希望は持てなくても目標は持てるよねって。小さな目標でいい。例えば今日、高校生たちが「普通の生活」とか「いつもどおりの生活」っていう言葉が出てきましたよね。来月、家族みんなでファミリーレストラン行くかとか。あるいは、お年寄りは、来月は日帰り温泉に行ってみるかとか。そういう目標を持って生きるときに「逆境力」というのが出てくるんじゃないかなと思っています。

武田:強いバネでなくても、ほんの小さな目標やステップでもいいから、逆境を力に変える…。

鎌田:それが1つ実現すると自信になって、また次々に大きな目標が達成できていくときに、希望とか夢っていうのを見ることができるようになるんじゃないかなと思います。

被災地からの問いかけ

武田:これは、去年までの5年間に激甚災害に指定された地震や台風などの主な被災地です。ここに挙げただけでも、34の都道府県が被害に遭っています。

鎌田さん:しかも、毎年ですよね。

武田:一方で、全国から支援に、ここに訪れた方々がいるんです。こうした数々のメッセージを残しています。地震に見舞われた熊本からの人たち。そして、水害に見舞われた倉敷市真備町の方のメッセージもあります。

悲しくつらい経験の中から、それを乗り越えていく力や知恵も共有されるようになるといいなと思うんですが、いかがですか。

鎌田さん:一人一人がつながるだけじゃなくて、組織と組織がつながっていくことも大事ですよね。この地域の隣にも地域があって、そこに民間の病院があって、そこも大変な被害を受けて、長く続けば病院がつぶれるんじゃないかという心配をしたときに、岡山県の真備町にある病院の院長先生がやってきて、自分たちも潰れるかもしれないという心配があった時期をどうやって乗り越えて病院を再建できたかを教えたり、指導に来たりすることもできるし。あるいは、姉妹都市なんていうのが結ばれていて、市役所から応援に1年来てくれたり、ボランティアが行きやすくなったりする。これからは、組織と組織がつながっていくことが災害列島を乗り越えていくうえでは、とても大事なんじゃないかなって。

武田:まさに歌の歌詞にもあるように「手を取り合う」。平易な言葉ですけれども、それが大事ですよね。

鎌田さん:令和の時代、ますます人と人と、組織と組織がつながっていくことが大事かなと思います。

武田:「手を取り合ってともに生きていく」という歌詞でしたが、そのことの重みですね。

鎌田さん:“桜づつみ”の歌詞の中に、「どんなに苦しいときも手を取り合って乗り越えた人々の強さを忘れない」。被災地にとっては大事な言葉ですけど、日本に住んでいる人々にとって、すべての人にとって大事な言葉かなと感じました。

武田:ありがとうございました。

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