クローズアップ現代

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2019年12月10日(火)
中村哲医師 貫いた志

中村哲医師 貫いた志

アフガニスタンで銃撃され亡くなった中村哲医師。ソ連による侵攻、激しい内戦、アメリカなどによる空爆、そして相次ぐテロと、大国や国際情勢に振り回され続けてきたアフガニスタンにあって自らの信念に基づき翻弄される人々を救う活動をしてきた。当初は診療所を開いたものの「背景にある貧困解決が不可欠だ」と医療支援から干ばつや貧困対策へと移行。近年は治安が悪化し、支援団体が次々と撤退する中でも「現地から本当のニーズを提言していく」と現地での活動を続けてきた。貴重な記録や関係者へのインタビューも交えて、中村哲医師が貫いた信念を見つめる。

出演者

  • 田中浩一郎さん (慶應大大学院 教授)
  • 蓮岡修さん (アフガニスタンで4年に渡り中村さんと活動)
  • 武田真一 (キャスター)

“武力ではテロはなくならない”

2001年のアメリカ同時多発テロ事件。
中村さんは、その後一貫して武力によるテロとの戦いに疑問を投げかけてきました。

アメリカ ブッシュ大統領(当時)
「テロリストたちに、正義をつきつけようではないか。」

アメリカなどが、オサマ・ビンラディン容疑者が潜伏しているとして、アフガニスタンに攻撃を仕掛けます。

「医者、用水路を拓く」(中村哲 著)より
“ジャララバードから緊急の電話があり、米国でのテロ事件を伝えられた。テレビが、未知の国「アフガニスタン」を騒々しく報道する。ブッシュ大統領が「強いアメリカ」を叫んで報復の雄叫びを上げ、米国人が喝采する。瀕死の小国に、世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、素朴な疑問である。”

中村さんの信念、それは、1983年からパキスタン、そして、アフガニスタンで活動する中で培われていたものでした。

中村哲医師
「おじいさん、大丈夫ですか?」

当初、現地で診療所を開設するなど、医療支援を行っていた中村さん。しかし、みずからの力の限界を知ることになります。干ばつによる水不足が深刻化し、多くの子どもたちが命を落としていたのです。

中村哲医師
「水が汚い。下痢なんかで簡単に子どもが死んでいく。そういう状態を改善すれば、医者を100人連れてくるより水路1本作ったほうがいい。」

根源にある問題を解決しなければ、この惨状は変えられない。その考えはテロについても同じでした。

中村哲医師
「(難民が)想像以上ですね。」

中村さんは、武力ではテロは断ち切れない、その背景にある貧困の問題を解決しなければならないと考えていたのです。

中村哲医師
「家族を食わせるために米軍のよう兵になったり、タリバン派、反タリバン派の軍閥のよう兵になったりして食わざるを得ない。家族がみんな一緒にいて、飢きんに出会わずに安心して食べていけることが、何よりも大きな願い、望み。」

2003年、中村さんは貧困問題を解決しようと、新たな活動を始めます。

中村哲医師
「前より、だいぶ水量が増えている。」

山々の氷河を源流とする、アフガニスタン有数の大河、クナール川。干ばつでも枯れることがない、この川の水を引き込む用水路を作ることにしたのです。
緑の大地計画。
川から用水路を引き、水が届かない地域を潤します。全長20km以上。周辺の土地と砂漠を農地に変えていく、壮大な計画です。

資金もノウハウもない中、手探りの作業が続きました。
川の流れを変え、水路に水を呼び込むための工事。遠く離れた山から巨大な石を転がして運び、次々と入れていきます。

当時、作業に加わっていた山口敦史さんです。
困難な作業を推し進める力は、中村さん自身の姿勢から生み出されていたといいます。

作業に加わっていた 山口敦史さん
「雪解け水なんで、本当に冷たい。そこに石が落ちていたら、石が用水路を傷つけるからといって自らどけに入る。そんな見ていたら、水が冷たくても飛び込んで一緒に取りに行かないわけにはいけない。そういう雰囲気を作っていたのは、中村先生の姿。」

次第に、現地の人たちに変化が現れ始めます。
タリバンの戦闘員だった人や、米軍に雇われていた人たちが武器をつるはしに持ち替え、協力するようになってきたのです。

「自分たちの手で国を立ち直らせたい。また農業をやりたいんだ。」

「農業ができるようになれば、子どもに食べさせることができる。出稼ぎに行かずに、家族と一緒に暮らせるんだ。」

ペシャワール会 会報より
“アフガン問題とは、政治や軍事問題ではなく、パンと水の問題である。「人々の人権を守るために」と空爆で人々を殺す。果ては「世界平和」のために戦争をするという。いったい何を何から守るのか。こんな偽善と茶番が長続きするはずはない。”

用水路完成に向けて、作業を続けていた中村さん。
その上空を、アメリカ軍のヘリコプターが行き交うようになりました。

中村哲医師
「攻撃用っていうんですかね。それが旋回してきて、ここを機銃掃射したわけですね。危なかった。」

アメリカは、アフガニスタンへの空爆を継続。誤爆も相次ぎ、民間人の死者が急増します。
一方、タリバンは爆弾テロなどで対抗。治安は一段と悪化していきました。
日本は、テロとの戦いの一環として、インド洋で海上自衛隊による給油活動を行っていました。

欧米の支援団体と差別化でき、安全につながると中村さんたちが車につけてきた日の丸。かえって危険を招くと感じ、消すようになりました。

ペシャワール会 会報より
“「日本だけが何もしないで良いのか、国際的な孤児になる」ということを耳にします。だが、今熟考すべきは「先ず、何をしたらいけないか」です。民衆の半分が飢えている状態を放置して、「国際協調」も「対テロ戦争」も、うつろに響きます。”

“仲間の死”それでも続けた活動

2008年8月。中村さんにとって、衝撃的な事件が起きます。
5年にわたり活動をともにしてきた仲間を、武装グループに殺害されたのです。
伊藤和也さん。
2001年の同時多発テロ事件をきっかけに、中村さんの志に共感し、活動に加わっていました。
中村さんは伊藤さんへの追悼文で決意の言葉を寄せていました。

「アフガニスタンの大地とともに 伊藤和也 遺稿・追悼文集」より
“今、必要なのは、憎しみの共有ではありません。憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓い、心から祈ります。”


伊藤和也さんの両親です。

伊藤和也さんの母 順子さん
「これを3つ、先生が持ってきてくださった。」

和也さんが亡くなったあと、クナール川の石を中村さんが届けてくれました。
中村さんは、和也さんの志とともに、みずからの信念を貫くと伝えていました。

伊藤和也さんの母 順子さん
「ここでやめたら、和也の遺志とか、先生が描いていらっしゃるものが揺らぐ。揺らいでしまったら、和也を殺した人たちとか、いろいろな人たちのことを思うと、絶対ここではやめてはいけない。」

中村さんは、事件のあともアフガニスタンに残りました。
現地のスタッフとともに用水路の完成を急ぎ、工事は最終段階に入りました。

中村哲医師
「6年前に作業を始めて以来、あなたたちは懸命に働いてくれました。雨の日も強い日ざしの中も。この用水路が未来への希望となることを願っています。」


一方、アメリカはアフガニスタンへの兵力の増強を打ち出します。

アメリカ オバマ大統領(当時)
「アルカイダは、せん滅させなければならない。今、この地域を見捨てれば、アルカイダに対する圧力を弱め、アメリカや同盟国を攻撃されるリスクを生み出しかねない。」

ペシャワール会 会報より
“作業地の上空を、盛んに米軍のヘリコプターが過ぎてゆく。彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る。彼らはいかめしい重装備。我々は埃だらけのシャツ一枚だ。彼らに分からぬ幸せと喜びが、地上にはある。”

着工から7年。総延長25.5kmの用水路が完成しました。
かつて、死の谷と呼ばれた干からびた土地。それが緑の大地へと姿を変えました。ふるさとを離れていた人たちが次々と戻り始め、大地の恵みが育まれていきました。

現地の男性
「人は忙しく仕事をしていれば、戦争のことなど考えません。仕事がないから、お金のために戦争に行くんです。おなかいっぱいになれば、誰も戦争など行きません。」

中村さんは用水路が見える農場に、和也さんの功績をたたえる碑を建てました。

2年前に両親に会いに来た中村さん。
ある約束を交わしていました。

伊藤和也さんの母 順子さん
「一度でいいから、和也のいたアフガニスタンに行きたいんですけど、連れてっていただけますかと言った時に、『いまはちょっと危険だから、いつか必ずお父さんとお母さんはお連れしますから、もう少し待っててくださいね』と言ってくださったんです。」

後日、中村さんから現地の写真と手紙が送られてきました。
両親のもとに頻繁に通えないことへのおわびと、現地の「その後」の様子を伝えていました。

伊藤和也さんの母 順子さん
「本当なら何度もお伺いして、ご報告を申し上げるところって書いている時に、先生はその(和也の)思いを常に持っててくださったとわかって。この手紙が、最後に先生からいただいた言葉だと思うと、なんとも言えない気持ちになります。」

“いま戦争をしている暇はない”

テロとの戦いが長期化する中で、中村さんが過去最悪と言うほど、現地の治安は悪化していきました。

アメリカ オバマ大統領(当時)
「アメリカにとって最良の日だ。ビンラディンの死で、世界に安全がもたらされた。」

2011年5月。
アメリカは、10年越しで追ってきた同時多発テロ事件の首謀者、オサマ・ビンラディン容疑者の潜伏先を襲撃し、殺害しました。

3年後の2014年。
アフガニスタンの治安維持などにあたってきた、アメリカ軍を中心とする国際部隊の大部分が撤退しました。
その後、力の空白が生じたアフガニスタンでは、タリバンが勢力を盛り返し、過激派組織ISの地域組織も台頭。軍の施設や政府機関を狙ったテロなどが繰り返し発生し、民間人の死傷者は、去年まで5年続けて年間1万人を超えるようになりました。

ことし10月に取材した際の中村さんです。
このころには、銃を携えた警備員を同行させるなど、安全管理に細心の注意を払わなければいけなくなっていました。

中村哲医師
「これからも、みんなと手をつないでアフガニスタンのために努力していきます。」

中村哲医師
「アフガニスタンは40年間戦争が続いていますが、いまは戦争をしている暇はない。敵も味方も一緒になって、アフガニスタンの国土を回復する時期だ。できるだけ多く緑を増やし、砂漠を克服して人々が暮らせる空間を広げること。これはやって、絶対できない課題ではない。」

最後まで、みずからの信念を貫き通した中村さん。
先週、武装した何者かに銃撃され、命を落としました。
その日も、作業現場に向かう途中でした。

アフガニスタンで…私たちへの問いかけ

武田:中村さんのもとで4年間、アフガニスタンで井戸掘りなどに取り組んだ蓮岡さん。改めて今、中村さんのどんな姿、面影が目に浮かびますか?

ゲスト 蓮岡修さん(アフガニスタンで4年に渡り中村さんと活動)

蓮岡さん:現地で活動していまして、中村先生が現地の人たちに対して威張った姿を見たことがない。自分たちの活動を誇らしげに語った姿を見たことがない。常に現地の人たちに敬意を払って、また、ワーカーだけではなく、家族の人たちにも心を砕いて、計画を立てられて、作業を進められていたなと、そういうのをすごく思い出します。

武田:蓮岡さんにとっては、どんな存在でいらっしゃいましたか?

蓮岡さん:なんといいますか。亡くなって初めて、改めて分かるんですが、やっぱり、自分の今の、生きている1つの指針を与えてくださった方だなというのを思います。

武田:悲しみや憤りを禁じえないわけですけど、ただ、中村さんの言葉を聞いていますと、悲しみや怒りという感情にとどまっているだけでもいけないというふうに言われているような気がするんですね。どういうふうに受け止めていらっしゃいますか。

蓮岡さん:大統領が中村先生の棺を運んだり、また、世界中の人たち、現地の人たち、都市だけではなく小さい村々でさえ、日本国内もそうですけど、追悼式を行っておられる。このこと自体が、あの水路の水というのは、砂漠を潤しただけではなかったんだということを非常に実感いたします。

武田:そのアフガニスタンですけれども、1979年のソビエトによる侵攻以降、大国の思惑に翻弄され、混乱が続いてきました。そうした中で、中村さんは緑の大地計画として、用水路の建設などに力を尽くしてきました。ことし10月には、アフガニスタン政府から外国人として初めて名誉国民の表彰も受けています。

国連の政務官として、アフガニスタンで活動されていた田中さん。国際社会の対応と中村さんの活動、対照的に見えるんですけども、中村さんがみずからのやり方を貫いたこと、どういうふうに位置づけていらっしゃいますか。

ゲスト 田中浩一郎さん(慶應大大学院 教授)

田中さん:まず1つは、ご自身がお医者さんでいらしたこと。それから、ある意味、まことの人道主義者だったんだと思いますね。やはり負傷している者がいれば、それは敵、味方関係なく治療するんだということもおっしゃっていました。それは確かに正しいんだと思うんですが、いわゆる戦闘員を助ける、ないしは、戦闘員の面倒を見るということは、別の観点から見れば、内戦をさらに長引かせることになるので、私のような立場でアフガニスタンに関わっていた人間からすると、やや対応が違うなという感じはしたんですけども。それはそれとして、ほかの人には全くできないこと、及びもつかないことを、ずっとなさっていたんだなと改めて思いますね。

武田:その中村さんが、これだけ尽くしてこられたのに、なぜ、命を失わなければならなかったのか。どういうふうに理解したらいいんでしょう。

田中さん:不幸なことに、アフガニスタンの治安がどんどん悪くなっているということもあります。その背景には、外国軍の存在がだんだん希薄になってきたというのも1つなんですが、外国軍が退去したときも、決して治安はよくならなかった。背景を見れば、外国軍と外国人によって、現在のアフガニスタンの政権は支えられている。言葉を変えれば、かいらい政権であると。だからこそ、外国軍の撤退、あるいは追い出し、さらには、外国人を援助関係者であろうとなかろうと攻撃の対象とすれば、彼らがいなくなる。そうなったら、カブールの政府を倒すのは赤子の手をひねるよりも簡単だと、タリバンをはじめ武装勢力は考えているからにほかならないんですね。

武田:なんともやりきれない構図になっているということなんですね。
蓮岡さん、平和は戦争に勝る力があるという言葉を実証したい、というふうに訴えていらっしゃいました中村さんですけれども、その遺志をどう受け継いでいくのか。私たち一人一人にも突きつけられている気がするのですが、今、どのように受け止めていらっしゃいますか。

蓮岡さん:先生の仕事というのは、現地のもともとあった作業というのに敬意を払って、そして、それにちょっと手を加えて、また、自然と尊い生活をあまり壊さないように、ちょうどいいようなものを残すと。そういう配慮というのは、自分の色を押しつけるようなものではなかったような気がするんですね。国際的に見て、そのような支援も必要ですし、また、我々の生活の中でも、そういうことは必要になってくるんじゃないかなと思います。

武田:相手の立場に立って、相手のことを尊敬して。

蓮岡さん:敬意を払うということだと思うんですね。私は、あの方の活動、生きざま、そのものが平和だったような気がします。

武田:それが、まさに平和の在り方。私たち一人一人がもう一度、自分にも問い直さないといけないことですね。
中村さんが貫いた志は、現地の人たちの心に生き続けます。

引き継がれる中村さんの“志”

この男性は、中村さんの用水路の建設に携わってきました。

「彼の仕事で、村には道ができ、人々は戻ってきたのです。私たちの暮らしは大きく変わったのです。」

昨日も畑の手入れに励んでいた男性。自分の畑に水がくるようになり、今年、農業を再開することができたといいます。

「私はとても悔しくて悲しいです。彼にはとてもお世話になっていたので。残った仕事を自分たちで進めていきたいと思います。」

生前、中村さんは、自分がいなくても用水路の建設が進められるよう、専門知識を持つ人材の育成に乗り出していました。去年、職業訓練校を設立し、すでに1000人以上が参加しました。

中村哲医師
「何もない砂漠でも、花を咲かせることはできます。あなた方がいい技術者に育てば、成功は早いでしょう。」

ペシャワール会 会報より
“こぶしを振り上げて、敵意や憎悪を叫ぶ人たちを見ると、何だか悲しい気分に襲われます。寒風の中で震え、飢えている者に必要なのは弾丸ではありません。温かい食べ物と、温かい慰めです。”