クローズアップ現代

毎週月曜から木曜 総合 午後10:00

Menu
2019年11月28日(木)
大林宣彦監督 生きる覚悟

大林宣彦監督 生きる覚悟

がんで余命宣告を受け「遺作」と呼ぶ映画を完成させた大林宣彦さん。NHKは2年に渡り密着取材を行ってきた。大林さんは先週、広島で開催された国際映画祭に新作を携えて参加、今週、尾道にも帰郷する。新作で常盤貴子さんや満島真之介さんなど若手俳優に志を伝えるなど、衰える身体の中でも執念は決して衰えていない。その根底には、戦争を経験した人間としての責任や黒澤明監督から託された「遺言」がある。病身を押しての今回の旅路をともに辿りながら、作り手としての責任を最後まで果たしていきたいという強いメッセージに迫る。

出演者

  • 満島真之介さん (俳優)
  • 武田真一 (キャスター)

がんと闘いながら…映画への執念

大林さんにがんが見つかったのは、3年前のことでした。

大林宣彦監督
「がんになりました、私。あと半年か、1年という宣言になります。」

ステージ4の肺がん。余命は半年と告げられていました。
2年前、私たちは、新作の構想を練っていた大林さんの取材を始めました。

大林宣彦監督
「お忍びのところにカメラが入り込むなんてないことだから。がんの薬はこれだけ。」

抗がん剤による治療を続けていました。

妻 恭子さん
「でも、すごいわよね。1錠で退治しているんだから。」

大林宣彦監督
「これだけで余命3か月を抑えているんだからね。」

妻 恭子さん
「すごいわよね。」

脚本執筆の合間に散歩に出た大林さん。日常の風景が、違って見えるようになったと言います。

大林宣彦監督
「これは僕たちは草だと認識しているんだけど、命に見えてきたのね。みんな命なんですよね。当たり前のことだけど。僕たちは人間語を使うから、人間語では、これは命ではなく草なんですよ。しかも雑草なんですよ。踏んづけてもいいんだけども。自然界の言葉を僕は持っちゃったんでしょうね。そうすると、これは命に見えちゃうし。横にアリがいるぞ、と。こいつ、がんじゃないかな、元気かな、なんて思っちゃうしね。」

取材班
「そういうのは、以前はなかった感覚なんでしょうか。」

大林宣彦監督
「なかったとは言えないけど、それほど自覚していなかったですよね。アリを踏まないんじゃなくて、今は“命を踏んじゃいけない”っていうね。そう思いましたかね。」

がんと闘いながら、先月、完成させた新作映画。
映画館を訪れた現代の若者3人がタイムスリップし、明治以降、日本が経験した戦争を追体験する物語です。
理不尽な戦争に巻き込まれて死んでいく人たちを、救おうとあがく主人公たち。しかし奮闘むなしく、広島に原爆が投下。多くの命が失われます。
大林さんは、この映画を世に送り出すことが、自分にとっての責務だったといいます。

大林宣彦監督
「人の命には限りがあるとするならば、遺されたものは遺されたもので役割があるだろうとね。ジジイの繰り言みたいな映画でも、温故知新の役には立つかもしれんということでね。生きている限り、頑固ジジイとして、僕らの時代の、僕らの実感をフィルムに預けてみようかなと。邪魔だと思う人には、長生きしてごめんねと言うしかないけどね。死なないよ。」


川﨑敬也カメラマン:私は、この2年間、大林監督を取材しながら、みずからの生き方を考え続けてきました。

川﨑敬也カメラマン:がんと闘いながら、映画制作に情熱を燃やし続けるのはなぜなのか。
私は、6年前から網膜の難病を抱え、視野が次第に失われてきています。大林監督に、私の病について打ち明けると、“いまの君にできることがあるはずだ”と語りかけてくれました。

大林宣彦監督
「カメラマンの視力が衰えていくというのは、苦労だけでなく、未体験のことゆえ、大いなる恐怖でもあるだろうし。目を失ったカメラマンが何をやるかというのは、個人にとっては大変な苦労だろうね。僕にはわからない苦労です。僕は僕なりに、失うものはない。必ずそれを活かして、自分らしく、一生懸命。ウソをつかずあるんだと。だから、あなたには、一緒に生きようね、頑張ってと、握手を送るしか今はないわけだけどね。」


新作を携えて、広島の映画祭に参加するという大林監督。ふるさとに一緒に行かないかと誘われ、同行することになりました。
広島に着いた大林さんが、真っ先に向かった場所。それは、原爆ドームを臨む慰霊碑でした。大林さんはこれまで、広島に戻るたびに、静かに手を合わせてきました。ところが、映画祭のプログラムの一環として行われた献花。

大林宣彦監督
「やらないよ。俺が思っていたことと違う。」

自分に注目が集まる状況に、いらだちをあらわにします。

大林宣彦監督
「後ろの人の邪魔になっている。頼むよ、早く俺をどかしてくれ。俺はここの主役でもなんでもない。主役は、ここで殺された人たちだぜ。映画の恥だぞ。平和への恥だぞ。原子爆弾で死んだ人たちへの恥だよ。」

人目をはばからず見せた、激しい憤り。それは、今回の映画にかける、なみなみならぬ覚悟があったからでした。

黒澤明監督からの「遺言」 若者に託す思い

大林さんの名を世に知らしめたのは「尾道3部作」。アイドルを起用した青春映画として大ヒットになりました。
しかし、その陰で、心にしこりを抱え続けていました。巨匠・黒澤明監督と30年前に交わした約束を果たせずにいたのです。

大林宣彦監督
「あの戦争のいかがわしさを直接知った僕たちの世代が、ものを言わんといかんだろうと。そのことをクロさんも期待していましてね。その後をね、僕たちが戦争抜きで描いているわけだから、そのおかげで言えば、うかつな映画人生であったと。」

転機となったのは、東日本大震災。
生き方を見直す機運が高まるなか、映画監督としての在り方を見つめ直したといいます。

大林宣彦監督
「政治や経済をつかさどっている、世の中を動かしている人たちが、みなさん戦争体験のない、僕よりもうんと若い世代の人になってしまった。あの戦争と同じ気配が世界を覆うようになってきた。ただ、戦争映画が難しいのは、楽しく見せ過ぎちゃうと、せっかくの反戦映画が好戦映画になっちゃう。」

新作で意識したのは、戦争を知らない世代。
出演者の常盤貴子さんは、映画を通じて、戦争をわがこととして捉えるようになったといいます。

常盤さんが演じたのは、実在した移動演劇隊・桜隊のメンバー。広島で、原爆の犠牲になりました。

常盤貴子さん
「桜隊の『殉難の碑』が平和大通り沿いにあるんですね。けさ、そこにお参りに行ってきまして。その人たちが存在していたことがもう…今もまた泣けてくる。今の時代、平和だから映画が見られていること、お芝居ができるということのありがたさを、すごくかみしめることができて。」

戦争がない未来をつくるのは若者たちだ。
大林さんは語りかけてきました。


日本兵を演じた満島真之介さんです。
あるシーンで、その思いを強くしたといいます。
草を手に取る、わずか3秒ほどのシーン。

大林宣彦監督
「すべて命の仲間です。戦争なんてバカなことをしちゃいけない。草を慈しみましょう。見つめながら、人間を見ながら…。
はいOK。ありがとう。」

沖縄県出身の満島さん。
実は、この撮影の前に、祖父がアメリカ兵だったことを知りました。

満島真之介さん
「監督が言った一言、どういう人種の中にも、どこの兵隊たちにも、草にも空にも海にも、すべてに命が宿っていると。これもうね、それ以上ないわけですよ。おじいちゃんが沖縄の米兵の方だったということも、やっと今年いろんなことがわかってきたりしているので、そういうのも全部、監督には話しているわけです。」

大林宣彦監督
「彼はそういうことが表現できる。沖縄の米軍の子ですからね。歴史の、痛みを、彼自身が感じる心があるから。痛みを感じる心を持っている人間は、優しくすることもできるのでね。」

大林さんは、観客もまた、傍観者ではいられないと訴えています。
映画を見に来て、戦争の時代にタイムスリップした主人公の3人。クライマックスで、こう叫びます。

“観客が高みの見物じゃ世の中は何も変わりゃせんで。”

“しっかり。胸が痛いぜ。”

“映画で歴史は変えられんけど、歴史の未来は変えられるんだ。”

“それをハッピーエンドにするのが、わいら観客じゃ。”

ふるさと尾道への思い 人生をどう生き抜くか

今、ふるさとを見ておきたい。
広島での映画祭を終えた、今週の月曜日。大林さんは、生まれ育った尾道に向かいました。
まず訪ねたのは、かつて映画の撮影を行った喫茶店です。
しばらく座っていた大林さん。突然、車いすを動かしてほしいと言い出しました。店には、撮影当時からチェンバロが置かれています。

「監督、弾いてみますか。」

大林さんが弾き始めたのは、制作現場でスタッフを和ませるために弾いていた曲でした。

取材班
「久しぶりに帰って来ましたね。」

大林宣彦監督
「ここで生まれたんだから。ここで生まれたから、ここにいる。ここで映画を作っています。」

情景豊かな瀬戸内の港町。そして、そこに生きる人々の息遣い。大林さんにとって、ふるさとは、映画の舞台としてかけがえのない場所でもありました。

しかし、80年代後半以降、新幹線の新駅設置や大型道路の開通などで、町の風景は急激に変わっていきます。さらに、自治体などが映画のセットを観光のために使ったことに、大林さんは失望。20年近く、尾道での映画作りを行うことはありませんでした。

大林宣彦監督
「幸せにならないための開発や文明化、経済大国は少しもいいことではない。私が守り続けてきた尾道も、そういう意味では文明の尻尾になるより、文化の頭になってほしい。」

ときに厳しいことばを投げかけてきた、ふるさと。
大林さんのその深い愛情は、多くの仲間たちの心に届いていました。

妻・恭子さんの誕生日だったこの日。地元のボランティアが夕食会を開いてくれました。人が集まると、いつもみんなを楽しませようとしてきた大林さん。仲間の誕生日は、みんなで祝うのが大林さんたち制作チームの恒例行事です。


川﨑敬也カメラマン:大林監督から声をかけられて同行することになった、広島・尾道での8日間。大林さんに影響を受けた人がこんなにも多くいたのだと、改めて積み重ねてきた人生の重みを感じました。今、この瞬間も覚悟を持って生き続ける。
視野が失われていく難病を患う私も、今の自分にできることに目を向け、人と向き合うこの仕事を続けていきたいと心から思いました。

大林宣彦監督
「表現で過去は変えられないが、未来を変える力はあるんじゃないか。変えてごらんよ、変えてみせようよ。人間である俺たちを。それが生きているってことだよ。」

メッセージを託されて…満島真之介さんに聞く

武田:未来を変えてごらんよ。何か、大きな覚悟のようなものを突きつけられたような気がしますけど。満島さんは、どういうふうにお聞きになりました?

ゲスト 満島真之介さん(俳優)

満島さん:大林監督の言葉には、魔法が宿っているような気がしていて。怒りを持っていても、いろんな悩みを持っていても、監督の朗らかな愛のある言葉に、僕はずっと救われてきていて。今の言葉も、これから生きる僕らに託された言葉だなと思っていて。黒澤監督から大林監督が受け取った思いのように、30年前にもらった言葉を、30年前に生まれた僕にくれるというふうに、すごく責任を感じるような言葉をいただきましたね。

武田:満島さんが、大林さんから直接託された言葉があるそうですけども、今日はそれを持ってきていただきました。

満島さん:大林監督に怒られないように、隠れて持ってきたんですけど。
“ひとは、ありがとうの数だけかしこくなり、ごめんなさいの数だけうつくしくなり、さようならの数だけ愛を知る。”と。

武田:これは前作の「花筐(はながたみ)」のパンフレットの表紙に大林さんがお書きになったものですけれども、この言葉からどんなことを託されたとお感じになっているんですか。

満島さん:監督自身が、とても愛にあふれている方で、先ほどのVTRにもあったように、すべてが命に見えてきたっていう言葉を僕は聞いたときに、ああ、何を僕ら忘れていたんだろうっていうふうにすごく思って。隣にいる人、近所に住んでいる人、そして、学校の隣の席にいる人、駅ですれ違う人、木々だったり風だったり、すべてに命が宿っているということを監督から教えてもらった。戦争をするとかしないとかいう重たい言葉よりも、まず、自分自身を愛そうよ、隣にいる人との違いを知ろうよ、違いを知ることで愛が生まれてくるんだよ、という。監督に言われた言葉が、僕はすごく心の中に残っていて、その言葉をもらったときに、自分は自分が素直に思ったとおりに明るく生きていけばいいんだなということを本当に実感して、そこから人生が大きく変わったんですよ。

武田:監督も、痛みを知っている人は人に優しくすることができるというふうにおっしゃっていましたけれども、そうやって未来を変えていくんだっていうことなんですかね。

満島さん:僕らは戦争も知らないですけど、僕は沖縄出身で、戦争で生き残った方たちの命をもらって生きてきた世代で。戦時中のいろいろな経験者に会わせてもらった機会は、たぶん同年代の本土に住まれている方よりも多いと思うんですけどすごく勉強もさせてもらいました。大林監督に出会って、「花筐」という作品と今回の新作に出させていただいて、戦争をするしないとか、勝ち負けで物事を判断するとか、隣の人を罵倒するのか、優しい声をかけてあげるのか、自分次第だなっていうことをすごく感じさせてもらって。みんな人生の表現者だと思っているので、僕らの世代がこれからやらなきゃいけないことというのは、人の体温を感じて、人に優しい言葉をかけたり、優しい言葉をかけてもらったら「ありがとう」を言う。僕はすべてが、この言葉に詰まっているなっていうふうに思っています。

武田:ふるさと、尾道、広島のみなさん、日本中で映画を作っていらっしゃいますけども、そこでの出会いが、すべてこういった思いになって大林さんの作品につながっているんですね。

満島さん:もう計り知れないパワーですし、映画というものがこんなにも人のエネルギー、命、そして、みんなを巻き込んでいく力というのを生んでくれるんだというのは、大林監督に出会って、僕はすごく美しい仕事をさせてもらっているんだなって思います。そこにまた責任が生まれて、覚悟ができて、そして、今日ここに呼んでもらえているということは、また1つ、監督から言葉をいただいた気がしますので、今日一日を大切に生きていかなければいけないなというふうに思いました。

武田:大林さんが一日一日、命を燃やし尽くして生きてるように、私たちも、そうやって生きていかなきゃいけないんだと思いましたね。

満島さん:なので、やっぱり「ありがとう」と「ごめんなさい」と、愛をしっかり伝えて生きていきたいなというふうに思います。