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2019年9月5日(木)

「表現の不自由展・その後」 中止の波紋

「表現の不自由展・その後」 中止の波紋

1か月前、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展、「表現の不自由展・その後」に抗議が殺到、わずか3日間で展示が中止になりました。取材を通して見えてきたのは、猛烈な抗議や脅迫の実態です。また、さまざまな催しが中止となる事態は、トリエンナーレの前から各地で起きていた事もわかってきました。いま、日本社会に何が起きているのか、考えます。

出演者

  • ロバート・キャンベルさん (日本文学研究者)
  • 岡村幸宣さん (原爆の図 丸木美術館学芸員)
  • 武田真一 (キャスター)

渦中の人物が語ったのは…

あいちトリエンナーレの芸術監督、津田大介さんです。今回、中止となった「表現の不自由展・その後」。過去に展示を断られた作品をあえて並べ、議論を巻き起こそうとしたものでした。僅か3日で中止となり、表現の自由が損なわれたという批判の声も上がる今回の事態をどう受け止めているのか。

あいちトリエンナーレ2019 芸術監督 津田大介さん
「鑑賞者の見る権利、アーティストの表現する権利、この議論する機会も奪われてるわけですね。実際、見られないから。こういう形になってしまったということに関しては、すごくやっぱり責任も感じてます。」

作家たち 中止の受け止めは

出展した作家たちは、企画展の中止に落胆しています。その1人、小泉明郎さんです。並んだいすの前に人影を描き、見る人の心の中にある皇室の存在を浮かび上がらせるという作品。公立の美術館で展示を断られたことがあり、今回の企画展に期待を寄せていました。

作家 小泉明郎さん
「自分の作った作品っていうのは、公的な場所で皆さんの目に触れることができない。これ表現者として死活問題なんですね。今まで我々ができなかったことに対して、風穴を開けるような奇跡を起こしてくれる展覧会と思っていて。そうか、今回も駄目だったか。」

慰安婦をモチーフにした「平和の少女像」。韓国の日本大使館前やアメリカなどにも置かれ、激しい論争の的になってきました。作家のキム夫妻です。少女像は反日の象徴ではないとし、作品を、じかに見てもらえれば分かってもらえるのではないかと考えていました。

作家 キム・ソギョンさん
「(平和の少女像は)戦時中に被害にあった若い女性たちのつらい体験と、韓国に帰った後も無視され、偏見の中で暮らした歳月が込められています。」

作家 キム・ウンソンさん
「反日の象徴として語られていますが、私たちは平和の象徴と考えています。(戦争の)悲しみと暗い歴史を語る象徴なのです。」

作家 キム・ソギョンさん
「人々と触れ合うはずだったのに、それができなくなっちゃったね。」

そのほか、昭和天皇の写真をコラージュした作品を燃やす映像などが展示されました。

中止の裏で何が…広がる波紋

事態が大きく動いたのは、芸術祭の開幕の翌日でした。名古屋市の河村市長が視察に訪れ、天皇を扱った作品や少女像を厳しく批判したのです。

名古屋市 河村たかし市長
「もう即刻、中止していただきたいですね、展示を。」

事務局には開幕直後からの3日間で2,900件の電話やメールなどが殺到しました。多くが「企画展を中止せよ」というものでした。匿名で集中的に行われる抗議。「電凸」と呼ばれています。この間、ツイッターには抗議を呼びかける投稿が急増していました。「トリエンナーレ」、「抗議」を含む投稿は、開幕前、100件。ところが、わずか2日で1万件を超えました。

ツイッターで抗議を呼びかけ、実際に電凸したという人が取材に応じました。16歳の高校生でした。

高校生
「こういうのに公金を使うのは、おかしいんじゃないかという意見を述べて、できることなら撤去しろ、してくださいとお願いをして。」

少年は、反日的作品に税金を使うべきではないなどと1日に20件近く投稿。芸術祭事務局の連絡先も載せました。少年のフォロワーは3,800。抗議を呼びかけた投稿は最も多いもので2,500回リツイートされました。

高校生
「電話でなら顔もばれないですし、自分の姿が見られることもないので。集団心理っていうんですか、ひとりでやるより、みんなでやったほうが何か許されるという雰囲気はある。自分はそういうのはよくないと思っているんですけど。」

「即刻、撤去すべき」と芸術祭の事務局に電凸を行ったと投稿していた人物にもたどり着くことができました。約束の場所に現れたのは、42歳の男性。大手企業のサラリーマンでした。地元の有名人の投稿に影響を受けたといいます。

大手企業社員
「高須クリニックの高須院長が、あの人、結構怒ってらっしゃったんです。やっぱり税金を投入して、そういう政治的なものをアピールするのはおかしいんじゃないかと。さすがに言わせてもらおうかなと思って。」

一方で、男性は作品について詳しくは知らないと話しました。まさか展示が中止になると思わなかったといいます。

大手企業社員
「結局、見に行こうか迷っているうちに展示中止になってしまったので、見に行ってないですね。いまになってから考えると、もっと見てもらってもよかったんじゃないかな。」

電凸の矛先は芸術祭に協賛する企業にまで向けられていました。名古屋市にある大手レンタル会社です。地元で開かれる芸術祭を応援したいと毎回、協賛。企画展の内容については知りませんでした。

近藤産興 近藤成章社長
「電話が9時半頃かかってですね、なにか展示物がね、気に入らんと、反日的だとか。(協賛を)やめろと、こんな大ごとになるなんてね、夢にも思ってないんですわ。」

「うちの注文のところにきたメールですね。」

商品の注文サイトにもメールが相次ぎました。営業への妨害をほのめかす内容もあったといいます。

近藤産興 近藤成章社長
「『お前んとこ、仕事がなくなるぞ』と『商売できなくなるぞ』と。こういうね、ご忠告があったんですけどね。やっかいだなと思う。」

この会社は、こうした抗議には屈したくないと芸術祭への協賛を続けています。


電話が殺到した芸術祭の事務局。脅迫ともとれる電話が相次いでいきます。

あいちトリエンナーレ実行委員会事務局次長 判治忠明さん
「これが、その時の記録です。」

「ずいぶん、かなり量ありますね。」

あいちトリエンナーレ実行委員会事務局次長 判治忠明さん
「『ほっとくと死人が出るぞ』とか『あなたを探し出して、母親の裸の写真を撮ります』とか。結構トラウマになった者もいると思います。」


「あんま調子乗ったらあかんぞ!」

会場の周辺は騒然とした雰囲気に包まれました。

開幕から3日後。芸術祭のトップ、大村知事が「ガソリンを持っていく」という脅迫が届いたとして企画展の中止を発表しました。

愛知県 大村秀章知事
「これ以上、エスカレートしていきますと、安全、安心して楽しくご覧いただくことが難しくなることが危惧される。」

その後も脅迫は執ように続き、京都アニメーション放火事件を引き合いに出し、学校や幼稚園を標的にするというものまで届きました。豊田市では犯行予告の時間に職員が不審者の警戒にあたりました。

豊田市 文化振興課 太田栄一朗さん
「パブリックの場所で、多くの人が影響を受けるという危険性があるので、そこが何かあった時、一番心配でした。」

名古屋市内の保育園では、子どもたちを室内で待機させるなど対応を迫られました。

園児の親
「トリエンナーレと保育園が結びつかなかったので。京都の事件もあった直後っていうのもあったし、すごく心配でしたね。怖かったです。」

企画展の中止から1か月。その判断をめぐり激しい議論が続いています。「表現の不自由展」の実行委員会の1人、岡本有佳さん。中止の判断は誤りだと批判を強めています。

『表現の不自由展』実行委員会 岡本有佳さん
「相当な攻撃もあるだろうということは予測されたので、どういう体制で守るのか。私たちはずいぶん助言も提案もしてきたのに、それが全く不十分だったっていうことが残念としか言いようがない。一斉攻撃すれば、中止に追い込めるという前提を作ってしまうっていうのが、ものすごい怖いなと思いました。」

愛知県は有識者による委員会を設置。中止の経緯や、税金を使った展示会のあり方などの検証を始めています。

“脅迫で中止”どう考える?

ゲスト ロバート・キャンベルさん (日本文学研究者)
ゲスト 岡村幸宣さん (原爆の図 丸木美術館学芸員)

武田:表現の自由について議論を巻き起こすのが目的だったという今回の企画展。それを中止に追い込んだ脅迫という行為は決して、許されるものではありません。今日はこの問題をこうした視点で考えていきたいと思います。

まず1つ目、脅迫で中止になったことをどう考えるのか。愛知県や芸術監督の津田さんは「安全な運営が危惧されるとしてやむを得なかった」としています。一方「表現の不自由展・その後」の実行委員会や一部の作家は、この決定に対して「表現の自由を後退させる」として抗議の声を上げています。ロバート・キャンベルさんはこの問題についてSNSで積極的に発信されていますが。まず、脅迫で中止になったという点、どうお考えですか?

キャンベルさん:言葉のつぶてを投げあうことは我々にとって自然なことであり、市民社会を育てたり走らせたりするためには不可欠な行為だと思うんです。反対は反対として表現していいと思うんですが、人や物を傷つける、個人攻撃をすることは言語道断だと思います。今回、名古屋市に700通以上の脅迫ととられるメールや電話が寄せられたということが、中止とともに我々が向き合うべき重いことだと今回、思いました。

武田:そして、ご自身も美術館の学芸員として数多くの企画展を主催された岡村さんは、少女像を別のギャラリーでかつて鑑賞されたことがあるということですけど、どういうふうにお感じになったんですか?

岡村さん:初めて少女像を見たとき、隣のいすに座っていいと言われて、実は少し身構えたんです。自分の中にもこれは慰安婦の像だという先入観があったような気がします。しかし、隣に座って彼女をすごく近い距離で見たときに、それが解きほぐされていくような感じがしました。作者には作者の思いがあり、そして見る人には見る人それぞれみんな受け止め方は違う、それが当たり前なんですね。今回、あいちトリエンナーレでも非常に多くの方が列を成して作品を見ようとしていた。芸術作品の評価というのは長い時間をかけて多くの人の目に触れることで初めて、少しずつ確立されていく。それが今回、ごく一部の人の声によって中断されてしまったことをとても残念に思っています。

武田:脅迫とは別に、この展示会への抗議の声も拡散しました。SNSでは、このように膨大な投稿が行われたわけです。匿名の抗議が集中して、協賛企業にまでそれが及ぶ。これは異様な事態ではないかと思いますが、キャンベルさん、この点についてどう思いますか?

キャンベルさん:メールやSNSなど抗議が本当に集中する、本当に夕立のようにぐわっと降るようなことは日本だけではなくて世界中で今、同時発生をしている。そういう傾向にあり、私たちはそういう環境にいるわけですが、その環境を私は閉じるべきではない。そもそも閉じることはできないと思うんですけど、むしろそれをかわすことによって、健全にそれを利用することによって一人一人が市民として育つ、生きる力がそこにあるわけです。ただ、許容される限度がありまして、個人攻撃ですとかデマ、無実のさまざまな、うそというものは問題だと思います。

武田:抗議が集中してしまうことが、大きな圧力になることもあると思うんですけど?

キャンベルさん:私はエビデンスのない共感というふうに呼んでいるわけですけど、自分にとって心地よい考えに出会ったときに、ものの見方をしたときにそれに連動してリツイートしたりコメントしたり拡散していくことがあるわけですね。その傾向が今、世界中へ広がっている中で、今回のケースは日本の中では極めて特徴的なものとして表れたものだと思います。

武田:これもしっかり議論していく必要があるわけですね。今回の企画展をめぐっては、一部の作品が税金を投入した芸術祭の内容としてふさわしくないといった政治家の発言が相次ぎました。公的な場での表現の自由はどこまで守られるべきなんでしょうか。

“公的な場での表現”どこまで?

名古屋市の河村市長。昭和天皇の写真を扱った作品や少女像の展示をただちに中止するよう求めました。

名古屋市 河村たかし市長
「10億円ぐらい全体で税金使ってますけど、そんなとこでこんなことやるということは、本当に私の心も踏みにじられましたわ。」

同様の発言は、相次ぎます。

日本維新の会 松井一郎代表
「税金を投入してやるべき展示会ではなかったのではないかと思います。慰安婦の像とか日本人をさげすみ陥れる、そのような展示はふさわしくないのではないか。」

一方で、芸術祭のトップ、愛知県の大村知事は金は出しても表現内容に口は出さないという立場を明確にしました。

愛知県 大村秀章知事
「“税金でやるからこれをやっちゃいけないんだ”というのは私はまったく真逆だと思う。行政、国、県、市、公権力を持ったところだからこそ、表現の自由は保障されなければならない。」

公的な場での表現活動にどう関わるべきなのか、行政は今、難しい判断を迫られています。神奈川県茅ヶ崎市。今年(2019年)、美術展などへの後援の運用方針を見直しました。「特定の主義主張などに市が賛同していると市民に誤解を与える恐れがあるなどの場合には不承認となることがある」と付け加えたのです。

茅ヶ崎市 岸宏司副市長
「市が後援をするということに関しては、今の時代、特に今回の愛知の話もありますので、慎重にそこのところは対応、判断していきたい。」

見直しのきっかけは去年(2018年)開かれた慰安婦に関する映画の上映会。市は後援という立場で関わっていました。すると、市役所に抗議や意見が800件以上、寄せられます。中には、市議会議員からの抗議も含まれていました。

茅ヶ崎市 岸宏司副市長
「想定しなかった中でさまざまな意見が寄せられた。それによって行政の業務が少し影響がでてしまった。政治的中立性というのは、たぶん一番難しいところだと思います。どこまでが中立であって、どこまでがそうでないっていう部分がありますので。」

政治的中立を理由に作品を取り下げざるを得なくなった人もいます。茅ヶ崎市で開かれた美術展に今年、作品を出展した石黒良行さんです。出展したのは、沖縄の基地問題をテーマにした木版画でした。

石黒良行さん
「言葉をいくつか写真の中から拾って絵に貼ったわけです。」

しかし、美術展が始まってまもなく、パンフレットから茅ヶ崎市教育委員会の名前が二重線で消されているのを目にします。「この作品を外せないのなら共催できない」。石黒さんは主催者を通じてそう告げられました。

石黒良行さん
「苦渋の選択で“わかりました、取り下げてください”って言いました。私は悔しいですよね。」

今、政治的中立に行政が、より配慮する動きが全国で広がっています。内容の変更を求めたり後援を断ったりするケースは、この5年あまりで分かっただけでも43件に上っていました。

憲法学者の中には、表現の自由は守られるべきとしつつも行政が消極的になることはありうると指摘する人がいます。

憲法学者 関西学院大学 井上武史教授
「特定の政治的主張に対して後援を出すことは、特定のメッセージにお墨付きを与える効果が発生する。それは別の考え方の人がいる中にあっては望ましくない。」

一方、政治的中立を行政が意識し過ぎることは問題だとの指摘もあります。

憲法学者 武蔵野美術大学 志田陽子教授
「差別的なものであるとか、暴力をあおるようなものであるとか。よほどのものについて無理だという判断、そこにとどめるべきで、政治的な内容に触れているというような、そういう内容に立ち入って、後援するか、しないかを選別することは、憲法の表現の自由の受け皿としての機能を損なうと思う。」

武田:茅ヶ崎市の副市長は「政治的中立というのがいちばん難しい」と言っていましたが、公的な場での表現の自由どこまで守られるべきなのか。岡村さんはどうお考えですか。

岡村さん:今の日本では表現の自由はプライベートな場では守られるけども、公共の場では制限されるという空気が少し強まっていることを懸念しています。本来、公共というのは多様な意見、立場は弱くてもきちんと発言できる場を担保することが大切なわけですが、公的なものがイコール国家、権力ではないんですね。

武田:キャンベルさんはいかがですか?

キャンベルさん:表現を通して社会を考えたり、あるいは変化を促したりすることは芸術の生命線だと思います。ということは、必ず強い芸術には政治性というものがあるわけですね。私は自治体、行政が公金を出して、ある政治的な色がついたものを出せというものをお墨付きだと先ほどおっしゃられたんですが、私は違うと思います。行政は人格を持ちません。お墨付きをするとか賛成をするというのは市民であって、多様な市民のそれぞれの立場をできるだけ均等に発信できる環境を整える、保障することが行政の責任だと考えます。

武田:アメリカではどうですか?

キャンベルさん:アメリカでは立場がさまざまあって、議論がずっと、この50年続いているわけなんですが、自治体の中で閉ざすことなく公聴会ですとか、フォーカスグループと言って市民たちを実際に集めて、見せて反応を見る。全部、透明に可視化させることで自由というもの、表現というものを担保することが行われることがスタンダードだと思います。

武田:このことに関して、芸術祭が開かれている愛知県で議論が始まっています。

作家と市民 はじまった“対話”

あいちトリエンナーレの会場の一角で行われていたのは、芸術祭に参加した作家と市民が対話するイベントです。

市民
「県民税とか市民税を、国税もですけど、それを使って、おかしいんですよ。」
「表現の自由という尊い憲法を悪用した政治的プロパガンダで、二度と出してはいけない。」

作家
「表現っていうものは一つのメッセージじゃないんですよ。プロパガンダを我々はやっていないという認識で作品を作っているんです。反戦のメッセージがすごい込められた映画があるとします。でも見た後に若者がすごく戦闘シーンが格好よくて、戦争に行きたいと思う気持ちにさせる映画はいくらでもあるわけですね。」

議論は平行線でしたが、自由に発言し、異なる意見にも耳を傾けていました。

市民
「不快な人もいるかもしれないけれど、私は見たいなと思う人間の思いを、まさに逆に踏みにじられたっていう気がして。」

作家
「市民の支えがあるから表現の自由って守られている部分、確実にあって、実際に起こっているのは検閲ではなくて市民の言葉が言葉を殺してしまっているような気がしてならない。」

私たちに問いかけるのは

武田:必ずしも合意に至らなくても異なる意見をぶつけ合うという現場に、私は希望を感じますが、キャンベルさん、今回多くの方と議論を交わしてどんなことを感じていらっしゃいますか?

キャンベルさん:私は、発する側がまず自分に共感しろと事実に基づいて成立しているかどうかということを一度、違う角度から反対意見に出会うことによって、自分の常識を見直すきっかけとして考えるべきだと思います。受ける側も面倒でも相手の声を遮断しないで5ミリぐらい、足を同じ土俵に乗せることができれば、その小さな折り合いというものが私たちの将来を救うかもしれません。民主主義そのものが破綻しようとしていると言われている世界なので、とても重要なポイントだと思います。

武田:岡村さん、いかがですか?

岡村さん:なぜ表現の自由が必要かということですね。自分と異なる歴史や文化から生まれてきた表現に触れることで、これまでこうだと思っていた世界が違って見えてくる、そういう可能性があるわけです。今、国境を越えて多くの人が交流していく時代の中で、そこに橋を架けて対話し、お互いの理解を促していく。その表現の力を信じることがとても大事だと思っています。

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