クローズアップ現代

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2018年10月22日(月)
世界で大ブレイク!ジャパニーズ・ウイスキー快進撃の秘密

世界で大ブレイク!ジャパニーズ・ウイスキー快進撃の秘密

ジャパニーズ・ウイスキーの快進撃が続いている。ヨーロッパの名だたるコンクールで毎年優勝し、海外メディアが「日本がスコッチを越え世界のリーダーになった」と報道。有名ブランドにはオークションで数千万円の値がつくなど、熱が広がっている。人気の秘密は多様性と奥深さ。風味の違う原酒をいくつもブレンドすることで味が決まるウイスキー。「独自の味を」と日本のメーカーは工夫を重ね、数千の多様な原酒を生み出してきた。寒暖差が大きい日本の風土が原酒の熟成を早め、味の奥深さにつながっていることも分かってきた。国内外で勢いが止まらない日本製ウイスキー。その実力の秘密に迫る。

出演者

  • 伊集院静さん (作家)
  • 武田真一・田中泉 (キャスター)

世界で大ブレイク! 日本ウイスキーの秘密

今、日本のウイスキーがすごいことになっているのをご存じですか?ここ数年、世界的なコンクールで本場のヨーロッパ勢を抑えて連続優勝。国内でも価格が高騰しています。

「販売された当初は、2万円前後での販売価格だったんですけれども、現在ですと、35万円から40万円ほどでの相場になっております。」

購入するのは、外国人の富裕層。人気が止まりません。

中国人客
「旧正月とか中国のギフトとして、みんな贈ったりする。」

今年(2018年)8月のオークションでは、なんと1本3,800万円で落札されるものも現れ…ついに日本のウイスキーが世界のリーダーになったと報じるメディアも。

オークション会社ウイスキー担当 ダニエル・ラムさん
「日本のウイスキーは味のバランスが優れている。とても滑らかでエレガントです。」

快進撃が続くジャパニーズ・ウイスキー。なぜ今、これほど世界から評価されているのでしょうか。
日本でウイスキー造りが始まったのは、大正から昭和の初め。そのころに建てられた蒸留所です。

ウイスキーは、まず麦芽などの原料と水を混ぜ、発酵させたものを蒸留。たるの中に寝かせ、数年間熟成させます。こうして出来るのが原酒。たるの材質や寝かせる年数によって、一つ一つ違う個性を持ちます。ウイスキーは、このいくつもの原酒をブレンドすることで、初めて深い味わいを持つ製品に仕上がります。

ニッカウヰスキー チーフブレンダー 佐久間正さん
「このいろんなお酒がないと、われわれ仕事ができない。言ってみれば生命線、原酒の在庫というのは。」

しかし、この多様な原酒の確保が、後発国の日本にとって大きな壁でした。500年以上の歴史を持つウイスキーの本場スコットランド。100か所以上の蒸留所が個性的な原酒を造ってきました。

蒸留所どうしは協力し、原酒を交換し合います。それが質の高いウイスキーを育んできたのです。一方、日本はメーカーが少なく、互いにライバルでもあるため、原酒の交換ができません。それぞれのメーカーは、自前で多様な原酒を確保するしかなく、工夫を重ねてきました。
例えば蒸留の方法。欧米は蒸留器を蒸気で温めるのが一般的ですが、このメーカーでは、石炭のじか火で加熱します。原酒にコクと香ばしさを加えるためだと言います。

原酒を寝かせるたるの造りにもこだわりました。木の成分が原酒に染み出しやすくするため、内側をよく焼きます。しかも、焼き加減は、たるごとに変えます。原料となる麦芽やたるに使う木の種類、そして、ブレンダーからの要望。条件に合わせて微妙に火力を変えながら、さまざまな味わいを出すたるを模索します。

こうした試行錯誤を何十年も重ね、多種多様な原酒造りに成功。赤リンゴやバニラのような味わいのものから…ミルクチョコレートのようなものまで。その数は、数千種類にも及ぶまでになりました。

ニッカウヰスキー チーフブレンダー 佐久間正さん
「こうすればこういうお酒ができるという研究はずいぶんやっている。日本は結構、アドバンテージがある。『ここの蒸留所でこんな原酒もあるんだ』というものを、われわれは持っている。」

スコットランドよりも南に位置し、気温が高い日本は、ウイスキー造りには不向きだと考えられてきました。その常識を覆す製品を次々と生み出しているのが、埼玉・秩父にある、この小さな蒸留所です。設立から10年余りで世界的な賞を、いくつも獲得してきました。

ベンチャーウイスキー 社長 肥土伊知郎さん
「こちらが2011年に発売した3年物のシングルモルトウイスキー。」

国内外で評判を呼び、瞬く間に7,000本を完売したウイスキー。通常、高級銘柄は熟成に10年以上かけますが、この製品は僅か3年で出荷されました。

ベンチャーウイスキー 社長 肥土伊知郎さん
「熟成年数は何年?(と聞かれて)年数を言うと、みなさんが『えー!』とびっくりされることが多い。」

僅かな時間で深い味わいを出せるのは、日本の気候が影響しているからだと、この蒸留所では考えています。それを示すのが、原酒の蒸発率です。原酒を寝かせたたるは気温の寒暖差によって、まるで呼吸するように伸縮を繰り返します。その間、原酒は木のふくよかな香りや色を染み込ませながら、僅かずつ蒸発していきます。この蒸発分は「天使の分け前」と呼ばれます。

ベンチャーウイスキー 社長 肥土伊知郎さん
「“天使の分け前”をけちると、おいしいウイスキーにならないと言われている。」

スコットランドでは、この「天使の分け前」は年2%程度。ところが、秩父では5%近くにもなります。寒暖の差が大きい土地の気候が、活発なたるの伸縮を促し、短い期間でまろやかな味わいの原酒を生み出している。そうした考えに基づき、この蒸留所では自然の影響をあえて受けやすくしています。床はコンクリートをやめ、地熱や湿気がたるにじかに伝わるようにしました。

ベンチャーウイスキー 社長 肥土伊知郎さん
「日本の四季というものがあって、メリハリのある温度変化が季節ごとにある。それが秩父の味を特徴づけている。」

日本ウイスキー快進撃 世界が認めた味とは

ゲスト 伊集院静さん(作家)

田中:日本製ウイスキー、果たして本場スコットランドのものとどう違うのか。今日(22日)は、伊集院静さんに飲み比べていただいています。同じ国の中でも、銘柄によって味の違いというのはあるのですが、専門家から見て、よくその国の特徴が表れているという代表的なものを、今日はご用意しました。

武田:いかがですか?日本のものとスコットランドのもの、どう違うのでしょうか?

伊集院さん:やはり、スコットランドのシングルモルトと日本のシングルモルトだと、ウイスキーで、すごく大事なところは、私はコクと、もう1つは苦みだと思っています。

武田:コクと苦み?

伊集院さん:コクはいろんなものでも出るけど、苦みは出ないから。それぞれのウイスキーがコクも苦みもどういうバランスで持っているか。ただ、これはスコットランドのシングルモルトなんですが、ものすごい苦いんです。苦いというのを、最初、日本人は感じるはずなんです。もう、かぜ薬だって言う人もいるし、でもこれは慣れてくると、やはりおいしいんです。日本のシングルモルトはコクがある。なかなかスコットランドでも出せないぐらいのコクがある。

武田:伊集院さん、最近、国産ウイスキー誕生物語をテーマに長編小説を書いていますが、その中で、日本人はウイスキーに日本酒のようなまろみ、まろやかさを持たせようとしてきたんだ、と書いていますが?

伊集院さん:それは大変だったから。市場のほとんどが日本酒だから。その中で、海外の誰も飲んだことのないウイスキーをどうしようかと。どうしても日本酒を意識しますから。でも、このまろみを造れた鳥井信治郎は大したもんだと思います。

武田:それが苦みではなく、日本人はコクだと?

伊集院さん:まろやかさというんですかね。それを原酒で造るわけだから大変ですよ。清い水でいい味にしてこなきゃいけないしね。

田中:この日本のウイスキーですけれども、本場イギリスで行われる2大コンクールで、2010年以降だけでも、毎年のように、複数の銘柄が最高賞に輝いています。今、世界から他にはない個性と受け止められているのが、飲みやすく繊細な味わいです。こうした味わいを作り出すのが、VTRでもご紹介した、さまざまな工夫で生み出される多様な原酒です。例えば、先ほどの取り組みはニッカウヰスキーでしたけれども、こちらはサントリーの蒸留器です。世界でも例のない16もの異なる形を独自に設計し、原酒の成分に微妙な違いを生み出すと言います。

さらに、貯蔵するたるの材質選びにも試行錯誤を重ねているんです。例えば、欧米ではホワイトオークやスパニッシュオークといった、楢の木の一種を使うのが一般的。一方、日本はそれに加えて、独自にミズナラや杉といった木を使っているんです。例えば、ミズナラのたるで寝かせると、お香に似た上品な香りが生まれると言います。もう1つの杉は、強い癖のある匂いが特徴なので、たるにはごく一部分だけ組み込むなど、調整しながら使うのだそうです。他にも、ワインやビールを貯蔵していたたるを転用したりとか、あと、梅酒を漬けたたるを使ったりもしているそうです。

武田:そうした知恵と工夫を重ねてきたからこそ、こうして世界から評価される個性的なウイスキーを造ることができたと。

伊集院さん:たるの作り方1つでも、何年もかけて、古いウイスキーの生産者たちが工夫をしてやってきた、それはすばらしいです。これはなかなか日本人じゃないとできないという面を、日本のウイスキーはたくさん持っているんです。それは例えば、生きているということがあります。お米なんかも、世界の中で日本人、一番技術が優れてます。生きているものに対しては、そういう繊細さは日本人は、ものを作るのに向いているんです。

武田:細かい工夫を重ねて。

伊集院さん:一見違ったように見えるけれども、国産の自動車、一時世界ですごい売れたでしょ。そのとき経営者は“一台一台は、生きてるんだ”ということを言うんです。だから、日本人の姿勢、それから創意工夫とか、そういうものに大変適した種類の宝物だったんでしょうな。

田中:今でこそ、こうして世界的な評価、高い評価を受ける日本のウイスキーなんですけれども、実は長らく売り上げが減り続ける、いわば「冬の時代」を過ごしてきたんです。こちらは、販売量の変化です。

戦後、そして高度経済成長期を通して、順調に売り上げを伸ばしたウイスキーは、1983年にピークを迎えます。ところが、その後、酒税法改正による値上げやバブル崩壊などが重なり、2008年までには、なんと8割も販売量が減ってしまうんです。消えかけた日本ウイスキーの火をつなぎとめ、現在の快進撃につなげた人たちがいました。

日本ウイスキー“冬の時代” 伝統の火を守った人々

サントリーの元取締役、嶋谷幸雄さんです。ウイスキーの「冬の時代」が始まっていた1986年、大阪・山崎の工場長に就任しました。当時、老舗の工場でも在庫は増え続け、稼働を制限せざるをえなかったと言います。

元取締役 嶋谷幸雄さん
「実際に売れるのは、5年先とか10年先ですから、作りすぎると等比級数的に貯蔵量が上がっていく。一番苦しい、つらい時期でしたね。」

嶋谷さんは、大きな賭けに出ます。「より質の高い本格的なウイスキーを造れば、必ずお客さんは戻ってきます」。会社の上層部に訴えました。

元取締役 嶋谷幸雄さん
「奇策はないと思うんですね。愚鈍なまでに技術を磨いて、いいものを作っていくと。ウイスキーのルネッサンスは必ず来る。」

そして、20億円をかけ工場を改修。原料を発酵させるおけや蒸留器など、すべて一から作り替え、より上質なウイスキーを目指しました。当時、嶋谷さんの下でウイスキー造りに参加したブレンダーの輿水精一さん。自信作が出来たと感じました。ところが…。

名誉チーフブレンダー 輿水精一さん
「飲んでもらったら、このおいしさはわかるはずだというような思いはあったんですけど、実際に手に取って飲んでいただくということまでの、そのハードルが極めて高かった。」

80年代から右肩上がりで消費を伸ばしていたのは、焼酎。

特にソーダで割る酎ハイは、手ごろな値段とどんな食事にも合う爽快感で、瞬く間に広がっていきました。一方で、ウイスキーのような強い酒は敬遠されました。売り上げの減少が止まらぬまま、ついに25年。国産ウイスキーの火を守りたいと立ち上がった人々がいました。20代から30代の若手社員です。

事業企画部 奈良匠さん
「ウイスキーが好きでこの会社に入ったのに、じくじたる思いというか。ここで復活しないと、本当に未来はないかもしれないな。」

打開策を見つけようと、連日、居酒屋へ足を運ぶ中、あることを思いつきます。ビールや酎ハイを豪快に飲み干す若者たち。

“ウイスキーも、あんなふうに飲んでもらえばいいじゃないか”

目をつけたのは、ソーダで割るハイボール。戦後の一時期、安くウイスキーを楽しみたい人たちにはやった飲み方でした。こだわったのは、レモンを皮ごと搾り入れること。ソーダの爽快感を強化しました。これをジョッキに入れれば、乾杯がしやすく1杯目から飲んでもらえる。

事業企画部 奈良匠さん
「これでいけるという、ある種の根拠のない自信みたいなのはありましたし、社内でも納得いただけるだろうというような自信はございました。」

しかし、営業方針を決める企画会議は紛糾。

“ジョッキなどあり得ない。ウイスキーの品格が崩れる”

“レモンを入れて、ウイスキーの味をごまかすのか”

当時、会議に参加した藤井敬久さん。

山崎蒸溜所 工場長 藤井敬久さん
「最初、すごい抵抗を感じた、というのはありました、正直。数十年かけてできた自然のウイスキーらしいおいしさを、最後に違う味わいとかで全く見えないようにしてしまうというのは。」

壁となったのは、老舗の伝統とプライドでした。しかし、若手社員たちは諦めませんでした。予算をかき集め、独自の判断でハイボール専用サーバーとジョッキ1万個を発注。

グルメ開発部 秋山武史さん
「普通に企画書を作って、上にそのままプレゼンをして通すのでは、たぶん無理だろうなと。だったら飲んでいるシーンですね、事実を突きつけたほうが絶対これはいいだろうと。」

居酒屋に試験的に置いてもらったところ、評判は上々。ふだんウイスキーを飲まない人からも、次々注文が入りました。この実績を携え、再び上層部との企画会議に臨みました。ハイボールを全国展開するかどうか、試飲しながら決断してもらう。若手メンバーは、ある秘策を用意していました。この重要な場に、ふだんウイスキーを飲まない一般の女性を1人紛れ込ませたのです。

山崎蒸溜所 工場長 藤井敬久さん
「“一般の人”という人が1人いて、『えっ?』というのはありましたね。」

今回も、大きな課題は、ウイスキーに入れるレモン。上層部の反発は必至でした。そのとき、女性が言いました。

“飲みやすくて、おいしいですよ”

山崎蒸溜所 工場長 藤井敬久さん
「それを聞くとそういうもんなんやなと、かなりグラッときたというのは、すごく覚えています。」

ついに、全国展開にゴーサイン。瞬く間に居酒屋の定番になりました。ウイスキーは25年に及ぶ低迷を脱し、売り上げは上昇に転じました。

そして今、ハイボールがきっかけとなり、本格的なウイスキーを楽しむ人々のすそ野も広がり続けています。

女性
「めっちゃ口当たりまろやかですね。」

女性
「なかなか奥深いなと思いました。」

世界が認める日本ウイスキー 伝統の火を守った人々

武田:ウイスキー通の伊集院さんとして、ハイボールはどうなのでしょうか?邪道だとは思わないのでしょうか?

伊集院さん:私は、そうは思いません。ウイスキーというもの自体は、すごく奥が深いから。入門のカードだと思ったら、飲みやすいんじゃないですかね。

武田:これを足がかりに、本格的に味わう人も増えているみたいです。

伊集院さん:これだけソーダで薄めても、香りがしますからね。

田中:日本のウイスキーを救ったハイボール。実は、今は海外でもそのブームの兆しが見えています。例えば、日本のメーカーによりますと、ハイボールを出す飲食店は、アジアでは8,200店以上。これまでロックやストレートばかりだった欧米でも、600店近くに広がっているというのです。

武田:本物のウイスキーを造りたいという老舗メーカーのプライドと、1人でも多くの人に飲んでもらいたいという若手営業マンの情熱がぶつかり合うようなシーンもありましたけれども、これはどういうふうに思いますか?

伊集院さん:ぶつからなきゃだめです。企業というものは、物を作るところは、いつも若い人と、今までトライしてきた人とぶつからないとだめです。こういうのは特に、この会社の気風に、もう本当にけんけんがくがくして、最後に誰かが“じゃあ、やってみなはれ”と、そこは何か姿勢がいいんです。だから、ウイスキーの造り方には非常に合った精神だと思います。

武田:日本のものづくり文化の何かヒントのようにも思えます。

伊集院さん:忍耐力がないとだめなんです。だから、絶対ウイスキーの売り上げが下がったときに、日本人だけはウイスキー造りのときに、ずっと品質改良と、お金と時間をかけてやったんです。それはさっき最初に出た全部の逆転です。

武田:ただ商売ももちろんあるのでしょうけれども、日本のお酒の文化を守りたいというような思いもありますよね?

伊集院さん:それがあるのと同時に、みんなに豊かになってほしいというのかな。いわゆる三方よしというんですか、売り手よし、買い手よしだけではだめだと。それを見守る社会もみんな豊かにならないといけないと。何か古い創始者たちは皆、同じようなことを考えてるような気がします。

武田:人の思いがブレンドされたウイスキーを、今夜これから味わいたいと思います。