クローズアップ現代

毎週月曜から木曜 総合 午後10:00

Menu
2018年9月26日(水)
弥生時代に謎のマッチョ!骨から探る古代ミステリー

弥生時代に謎のマッチョ!骨から探る古代ミステリー

先月、長崎県佐世保市の離島で、異様に骨が太い“マッチョな弥生人”の骨格が見つかった。発掘を行った人類学者の海部陽介さん(国立科学博物館)によると、このマッチョな人骨は西北九州の離島で数々見つかっていて、一般的に知られている農耕民の弥生人とは“全く異なる集団”の可能性があると指摘。彼らはいったい何者なのか。「考古学」「スポーツ科学」「海洋学」などの専門家たちがマッチョな人骨の謎に迫る、壮大な古代ミステリー。

出演者

  • 白石康次郎さん (海洋冒険家)
  • 才木玲佳さん (筋肉アイドル)
  • 武田真一・鎌倉千秋 (キャスター)

弥生時代に謎のマッチョ! 骨から探る古代ミステリー

筋肉アイドル 才木玲佳さん
「今から2,000年以上前の弥生時代にこんなマッチョがいたことを知っていましたか?」

先月(8月)日本の古代史を塗り替える、驚くべき発見がありました。

人類学者 海部陽介さん
「上半身が頑丈、マッチョな感じがありますね。」

長崎の離島で異様に骨が太い、マッチョな弥生人の全身骨格が発掘されたのです。

人類学者 海部陽介さん
「この島に現れて、いったい何のために、何をしていたのか。」

これまで発見されている弥生人よりも小柄で、骨が10%も太いマッチョな弥生人。いったい彼らは何者だったのか?この謎に最新科学が迫ると、見えてきたのは、今の日本人の暮らしに欠かせない、ある営みの起源でした。

マッチョな弥生人とは、いったい何者なのか?発掘を手がけた人類学者 海部陽介さんは、骨の太さから、かなり屈強な体の持ち主だったと考えています。
その想像図は、こ〜んな感じ。

身長158センチと小柄ながら、上半身は筋骨隆々です!
今回、海部さんは過去に出土したさまざまな弥生時代の人骨を改めて調査。その結果、新たな事実を突き止めました。なんと、マッチョな弥生人が長崎を含む、九州西北部の各地に広がっていたことが分かったのです。

人類学者 海部陽介さん
「いろいろな“島”のいろいろな遺跡の男たちが、今ここにプロット(表示)されてるんですが、全員がこの平野部の弥生人より、平均以上の太さを持ってると。そういう集団の傾向があることがわかります。」

マッチョな弥生人たちが暮らしていた場所には共通点がありました。みな、海のそばだったのです。

人類学者 海部陽介さん
「ここがちょっと謎めいていて面白いですね。どうしてこうなるのかっていう。」

でも、ちょっと待ってください!学校で習った弥生人と言えば、内陸で稲作を営む、しょうゆ顔の人々。ところが、弥生人の中には、海と関わりがある、特別にマッチョな集団も一部にいたらしいんです。いったい、どんな暮らしをしてこんなマッチョな体になったのでしょうか?
その手がかりを探るために訪ねたのは、東京都内にあるクリニック。CTスキャンを使って骨の内部を調べます。

筑波大学 体育系 足立和隆准教授
「体の筋肉の使い方、そこらへんを推定しようという試みです。」

骨の内部の空洞を調べれば、どんな筋肉を、どう使っていたかが分かるといいます。
と、その前に…。私たちは、現代を代表する筋肉のエキスパートにも協力を仰ぎました。筋肉アイドルの異名を持つ、才木玲佳さん。

現役プロレスラーとしても活躍する芸能界きっての筋肉自慢です。

「(弥生人と)どちらが太いと思います?」

筋肉アイドル 才木玲佳さん
「それは負けたくないですよ、弥生人に。」

まずは、過酷なトレーニングで鍛えた才木さんの骨と、マッチョな弥生人の骨の太さを比較してみます。両者の身長は同じ150センチ台です。

筑波大学 体育系 足立和隆准教授
「(骨が)肉厚になっている構造は分かりましたね。」

左が、才木さんの肘から肩の「上腕骨」。右はマッチョな弥生人。分かりますか?

足立和隆准教授
「ここの部分です。右の腕のところ。」

才木玲佳さん
「じゃ、腕の太さは弥生人のほうが上と。」

足立和隆准教授
「そうですね。」

マッチョな弥生人は、女子プロレスラー才木さんより、さらに太い骨を持っていたことが分かりました。

足立和隆准教授
「こっちのほうが頑丈ですよね。」

才木玲佳さん
「(弥生人に)負けてるかー。」

では、いったいどんな筋肉を持っていたのか。いよいよ骨の内部から筋肉の姿を探ります。

筑波大学 体育系 足立和隆准教授
「ちょっと台形っぽい形をしていますよね。ここは三角筋がつく部分なんですよ。」

上腕骨の断面が台形にゆがんでいるのは、そこについている三角筋によって強く引っ張られていた証拠。体に強い負荷がかかると筋肉が太くなり、それに耐えられるように骨も太く変形するといいます。いったい、どんな体の使い方をしていたのでしょうか?

筑波大学 体育系 足立和隆准教授
「こういう動き、これにすごい力が出せる。どちら方向にでも、すごく大きな力が出せる。そういったところがわかります。」

日常的に強く腕を回していたと推測されるマッチョな弥生人。その暮らしとは?謎を解く鍵は骨が見つかった長崎から遠く離れた場所にありました。鹿児島の南端にある神社の境内に、マッチョな弥生人につながる痕跡があるというのです。

鹿児島考古学会 本田道輝会長
「斜面に白っぽいものが落ちていますけれども、当時(弥生時代)の人たちが食べた貝殻が地表面に出ているところです。」

ここは「高橋貝塚」という、弥生時代の、いわばゴミ捨て場。ここで見つかった意外なものが、長崎のマッチョな弥生人と鹿児島とを結びつけます。

鹿児島考古学会 本田道輝会長
「『須玖式土器(すぐしきどき)』と呼ばれる赤塗りの、非常に洗練された土器がここから見つかってます。本来ここにはないもので、見かけないものが出ているので、それはおそらく、よそから持ち込まれたものであろうと。」

須玖式土器は、九州北部に広がった弥生時代の土器。マッチョな弥生人が発掘された長崎の島でも見つかっています。それが今の熊本にあたる地域ではほとんど出土せず、一足飛びに九州の南端鹿児島で見つかっているのです。

マッチョな弥生人たちは、野を越え山を越え、土器を運んだのでしょうか?

鹿児島県立埋蔵文化財センター 堂込秀人所長
「我々が陸路が便利だと思ってるから、それは誤解ですよね。昔は陸は山ですから、陸を行くより舟で渡った方がずっと速いわけですよね。」

つまり、鹿児島で見つかった土器は、当時、九州北部から南の鹿児島まで舟で移動していた人がいたことを示す証拠だというのです。復元された弥生時代の舟には、帆がなく、人の力だけでこいで進んでいたと考えられています。

そう、マッチョな弥生人は、この古代の舟をこいで移動していた人々だったのではないか?しかし、いったい何のためにそんな長距離を航海していたのでしょうか?

ゲスト 白石康次郎さん(海洋冒険家)
ゲスト 才木玲佳さん(筋肉アイドル)

武田:スタジオは、ヨットで世界一周を達成した航海のプロ、白石康次郎さん。そして、筋肉のプロ。

才木さん:筋肉担当!元気!やる気!才木玲佳です。よろしくお願いします。

武田:弥生人にはかないませんでしたけれども、やっぱり見事な筋肉ですよね。

白石さん:すばらしい。なかなか女性でここまでつかないですよ。

才木さん:ただ、こちら見せかけじゃないですよ。

武田:どういうことですか?何何何何何?えっ?わー、すごい!

白石さん:軽々だね。

才木さん:余裕です。

武田:さあ、そのちょっとずつ正体が見えてきたマッチョな弥生人にも登場してもらいたいと思います。どうぞ!

出てまいりました。左が通常の弥生人。そして右にいるのがマッチョな弥生人なんですが、お2人、いかがですか?

白石さん:やっぱり全然違うね。あれ見ると、相当筋肉ありますよ。すごいなと思います。

武田:大体、才木さんと同じぐらいの身長で70キロぐらい体重があったと思われているので、相当な体格ですよね。

才木さん:だから、かなりぎっしり詰まっていますよね。

白石さん:筋肉って水より重たいんですよ。だから相当な筋肉量だよね、この体重を見ると。

武田:このマッチョな弥生人がこいでいたと考えられる舟がこちらです。

埴輪(はにわ)や実際に出土した木片から再現したものなんですけれども、白石さん、こういった舟、どうですか?

白石さん:これ、大きいね。ちょっとびっくりした。板張りで、和船の初期型の感じなんだけれども、結構大きくてね、細工もしてあるんだろうね。

武田:大昔にこういったオールだけで大海を渡る。可能だと思いますか?

白石さん:いや、でもね、結構大変ですよ。昔みたいに、そのFRPとかね、軽いものでもないし。なので、やっぱり相当なパワーがないと渡れないでしょうね。

武田:逆にいうとそのパワーがあればできる?

白石さん:結構、根気よくこげばできないことはないかなと思いますね。

武田:そして日々、筋肉のケアを怠らないという才木さん。
このマッチョな弥生人ですけれど、どうやってこの筋肉作っていたと思いますか?

才木さん:やはり筋肉に大切なたんぱく質。今でこそプロテインっていうものがありますけれど、当時は海の近くってことなので、やっぱり魚をよく食べていたのかなとは、ちょっと思いますね。

武田:才木さんは毎日プロテインをとったり?

才木さん:はい、1日4回飲みます!

武田:そうなんですか?
でも、当時はないですからね。お魚だけだと、やっぱり相当とらないとできないでしょ。

才木さん:かなり難しいと思います。

武田:それからトレーニングも相当必要だと思うんですけれども、才木さんはどのぐらいやっているんですか?

才木さん:私は週に3から4、ジムに行っているんですけれど、当時はマシンもないじゃないですか。腕立て伏せをやっているわけでもなかったと思うので、本当に日常の中で作っていた筋肉なのではないかと。

鎌倉:ではここで、これまでに分かったマッチョな弥生人の謎を整理してみたいと思います。まず、発見されたのは、西北九州の沿岸部や離島です。共通するのは、海のそばということです。九州北部にしかないはずの土器が、南端の鹿児島で離れて見つかったことから、舟をこいで移動したのではないかと見られているんです。しかも、その太い骨から、日常的に強い力で舟をこいでいたことが考えられます。ちなみに、才木さんのように、大人になったあとに筋肉を鍛えても、骨自体はそれほど太くはならないんですよね。だからマッチョな弥生人は、子どものころから舟をこいでいたと考えられるんです。
そして、質問にありました、何を食べてここまで骨が太くなったのかということなんですけれども、専門家は「カルシウムが豊富な魚を骨ごと食べていたのではないか」と推測しているんです。

才木さん:骨ごと!?

鎌倉:ちょっと当たっていましたね。

武田:そんなマッチョな弥生人ですが、いったい何のために長距離を舟で移動したんでしょうか?

その鍵を握るものが、土器が見つかった貝塚にありました。
貝です。しかも真ん中に、人の手によって開けられた穴があります。

「食べるよりは、こういうふうな形が真ん中に穴を開けて持ってきてますので、何かしら、使ったものであると考えられています。」

原料は「ゴホウラ」と呼ばれる巻き貝。実は加工したものが、マッチョな弥生人が発掘された長崎の島などでも見つかっています。ところが、この貝が取れるのは、鹿児島から、さらに1,000キロ以上離れた南の海。そこは、沖縄です。沖縄近海にしか生息しないこの貝が、いったいなぜ九州各地で見つかったのか?考古学が専門の木下尚子教授は、弥生時代の九州の墓に注目しました。

熊本大学 木下尚子教授
「『ゴホウラ』の腕輪を男性が右腕に8個していました。」

埋葬された男性の腕にはめられていたのが、穴を開けて加工された「ゴホウラ」。木下さんによると、これは「貝輪(かいわ)」と呼ばれる装飾品だといいます。

熊本大学 木下尚子教授
「一つの集落のかめ棺墓(かめ状の墓)300墓のかめ棺があれば、1墓か2墓のかめ棺に葬られている人たちだけがはめるので、たいへん特別な人であったことがわかります。」

実は、埋葬された貝輪が数多く出土しているのは、九州北部に広がる平野部です。ここで稲作を行なっていた集団の権力者が権威の象徴として使ったと推測されます。つまり、権力者のために「ゴホウラ」を求めて、はるばる沖縄まで海を渡った人たちがいた。それが、あのマッチョな人々だったのではないか?
しかし、この航海には一つ大きな障壁がありました。鹿児島から沖縄にたどり着くには、世界有数の速い海流「黒潮」に逆らって進む必要があります。当時は、人がこいで進む舟しかなかったとされ、「黒潮」を渡るのは容易ではなかったと考えられます。
人がこいだ舟で、本当に「黒潮」を渡ることができるのか。この人が挑戦しました!

実際に黒潮の上で舟をこぐのは危険なので、こんな実験をしてみました。

筋肉アイドル 才木玲佳さん
「さあ、黒潮どんと来い!」

人工的に黒潮の速さを再現して、舟をこげるか挑戦します。黒潮の平均速度は2ノット。秒速1mの早さで後ろに引かれながらこぐのとほぼ同じです。

才木さん、全く前に進みません。黒潮の流れに逆らいながら進むことって、本当にできるんでしょうか?
その可能性を示唆する出来事が、今年(2018年)1月に起こりました。タンカーが黒潮の西側で沈没。流れ出した重油は、黒潮に乗って北上すると思われました。ところが、油は黒潮に逆うように南下。琉球諸島に沿って沖縄に向かっていったのです。いったい、なぜなのか?

鹿児島大学 水産学部 中村啓彦教授
「風が本当にこう吹いていれば、風の吹いて行く方向に波もこうできて、風の方向に進んで行くことができますね。そうすると波に乗っかって、サーフィンみたいなもの。」

黒潮の上では、1月から2月にかけて強い風が北から南へ吹き降ろします。この風が強ければ強いほど、黒潮の表面は風と同じ方向に波が立ちます。この波の道を利用すれば、人がこぐ舟でも沖縄へたどり着くことが可能ではないか。

鹿児島大学 水産学部 中村啓彦教授
「この状況なら九州から沖縄に向かって移動できたんじゃないかと想像してます。」

今から2,000年前の弥生時代。貴重な装飾品・貝輪の材料「ゴホウラ」を求め、九州からはるか南の沖縄まで舟をこいで渡った人々がいました。木下教授はこれを、原始的な経済活動の始まりだったと見ています。九州北部の権力者が農作物などと引き替えに、マッチョな人々に「ゴホウラ」を運ばせ、富の象徴である貝輪を作らせた。それを身につけることで自らの権威をアピールしたのだと。

熊本大学 木下尚子教授
「こういうもの(貝輪)を農耕社会の経営のために、どうしてもほしいと思う。どうしてもほしいので、彼らに交換品を渡して、一種の経済的な契約をして、この人たちが自分たちの生活圏を突き破って、ここまで行く。」

鎌倉:こちらには、発掘された「ゴホウラ」の貝輪をお借りしてきました。

およそ2,000年前のものです。さあ、謎を整理してまいりましょう。鹿児島で見つかった巻き貝の「ゴホウラ」は1,000キロ以上南の沖縄近海でしかとれません。この「貝輪」というのは、権力者の権威を示すものと考えられています。九州北部の権力者が農作物と引き換えに、マッチョな弥生人にこの「ゴホウラ」を運ばせたのではないかと考えられているんです。「ゴホウラ」を入手するには、最大の障壁である「黒潮」を越えなければなりません。これが最近になって、風向きによっては「黒潮」をさかのぼれる時期があることが判明したということなんです。

武田:白石さん、「黒潮」は単純に南から北に流れているというわけでもないわけですね。

白石さん:いつも変わるんだけれども、大体、流れがあるんですよ。今のVTRでいうと、冬の西高東低になった時、北風があるんですね。それと、舟だから風の影響の方が受けやすい場合があるんですよね。たぶん季節を見て渡ったと思います。まともだったら渡れないんだけど、島々に渡りながら、季節と風を見ながらやったんじゃないのかな。

武田:そういう知恵があったということですね、彼らには。

白石さん:これでやらなければ、昔は不可能なんですよ。知恵というよりも、それで成功した人たちが、言い伝えで成り立っていたと思うんですよね。

武田:才木さんは、実際に「黒潮」の強さ体験されて、やっぱり相当なものですか?

才木さん:映像でもあったように、本当に前に進まなくて、むしろ引き戻されてしまうぐらい強い力だったんですよ。実際に沖にも出て「黒潮」を見て体験をしてきたんですけれど、やっぱり「黒潮」の上っていうことですごく船も揺れますし、脅威みたいなものは感じました。

武田:このマッチョな弥生人の存在そのものが、VTRにもありましたように、実はビジネス契約の始まりだったのかもしれないということですが、白石さん、どうですか?

白石さん:でもね、ほら、世界中に貿易っていうのがあるでしょ。例えば遣唐使なんて、命を懸けて教科書を取りに行くんだよね。だから、世界中でロマンというか、遠くに行ってみたいっていうのもあるだろうし、あと貿易でもうかるっていうのもね、やっぱり世界中どこでもそうみたいね。

武田:人間の思いなのかもしれませんね。

才木さん:本当に今の世の中に欠かせない経済っていうものに、2,000年も前から筋肉マッチョな人たちが関わっていたというのが、体を鍛えている身として、すごく誇らしいというか、本当にロマンを感じますね。

武田:本当にさまざまな想像をかき立ててくれる、このマッチョな弥生人たちですけれども、彼らがいったい何者だったのか、私たちの取材でたどりついた一つの結論を、最後にご覧いただこうと思います。

マッチョな弥生人の実像。それは、貨幣が生まれる1,000年以上も前、まだ文字すら無い時代に貝を通じた交易を担った集団だったのではないか?

熊本大学 木下尚子教授
「経済的な動機が加わって、人が生活圏以外のところまで行ってしまう行為は、弥生時代から始まっていると思います。ただそれは、まったく日本の歴史の中に残らないんですね。1,000年以上の、人の交流があったのに残らないんですね。」

マッチョな弥生人たちによる貝の交易は歴史書にも記されることなく、ひっそりと消えていきました。そして、マッチョな骨の人々も、やがて姿を消しました。彼らの営みは、現代の私たちが経済と呼ぶ活動の始まりだったのかも知れません。