クローズアップ現代

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2018年8月2日(木)
アツが教えてくれたもの ~ある日本人青年の生きざま~

アツが教えてくれたもの ~ある日本人青年の生きざま~

1993年のカンボジアの総選挙に国連選挙監視ボランティアとして参加した、アツこと中田厚仁(なかた あつひと)さん。武力衝突が続く村にも足を運び、民主主義の大切さを訴えていた。しかし、選挙直前に射殺され、25歳で亡くなった。今回、中田さんからの手紙が複数見つかり、命がけでカンボジアの民主化に挑んでいた姿が浮き彫りになった。7月29日の総選挙に向けて、中田さんの思いを引き継ごうとする人たちに密着し、ひとりの日本人青年が残したことの意味を見つめる。

出演者

  • 長谷川祐弘さん (元国際連合事務総長特別代表)
  • 鈴木ちなみさん (女優)
  • 武田真一・鎌倉千秋 (キャスター)

秘話 銃弾に倒れた日本人 命がけのメッセージ 今も…

生きていれば、今年(2018年)で50歳。

「恋人の真理子へひと言どうぞ〜!」

中田厚仁さん
「Oh! My Honey」

25年前、異国の地で殺害された1人の日本人の生きざまが、今なお、人々の心を捉えています。“アツ”の愛称で呼ばれた、中田厚仁さん、享年25。

その死は、日本中に大きな衝撃を与えました。

「中田厚仁君、いつまでもいつも僕たちの心の中にいてくれます。」

あれから25年。弔辞を読んだ男性は、中田さんが命を落としたことの意味を考え続けてきました。

中田さんの元同僚
「いろんなこと、よみがえりますね。」

2人は同じ国連の選挙監視ボランティア。内戦後初のカンボジアの総選挙を成功させるため、危険な場所にも足を運び、投票を呼びかけていました。

中田厚仁さん
「これはあなたたちの選挙です。国の政治をどうやって決めますか。互いに戦って撃ち合いで決めますか。」

残された自分は何をすべきか。中田さんの思いを引き継ぎ、世界の紛争地に赴いて活動を続けています。

中田さんの元同僚
「『私たちじゃなきゃできないことが、きっとあるよね』本当に力強い最後のメッセージでした。」

カンボジアには、“アツ”の名が付けられた村や学校が作られています。

「アツのおかげで勉強できる。」

「アツは恩人。」

中田さんが繰り返し言っていた言葉があります。

“誰かがやらなければいけないなら自分がやる”

「アツはカンボジアの平和のヒーローだと思っています。」

25年の人生を力いっぱい駆け抜けた中田さん。その生きざまは、今を生きる私たちに何を語りかけるのでしょうか。

25年前のあの青年が… 命がけのメッセージ

武田:私は中田さんと同学年にあたるんです。当時、まだバブルの雰囲気が残っている時代、ボランティアという言葉も定着していないころに、高い理想を持って行動した中田さんの死のニュースは、同年代の自分にとって衝撃でした。

鎌倉:中田さんの死後、その志に共感して国際ボランティアを目指す若い人が増えたというんですね。「遠い国の人のために自分も力を尽くしたい」という、その純粋な理想に多くの人が目覚めたきっかけとなりました。

武田:中田さんの残したメッセージとは何だったのでしょうか。

銃弾に倒れた日本人青年 貫いた夢・志・希望…

今回、中田さんが最も心を開いていた人物が、初めて取材に応じました。
大学の後輩の小林真理子さんです。

中田さんが結婚を考えていた相手です。

小林真理子さん
「これが日本に送ってきてくれた手紙なんですが。」

中田さんがカンボジアから送ってきた手紙は、全部で15通。今も大切に保管しています。
最初の手紙は1992年7月7日。

“Dear真理子、見送りありがとう。飛行機に乗る直前、手をちぎれんばかりに振っていた真理子の姿に気が付いた時、思わず涙がこぼれました。”

小林真理子さん
「本当におちゃめで寂しがり屋でちょっと甘えん坊で、スリスリスリってすりよってくる。だけど上手に懐にストンと入ってきて、何か知らないけど、いつの間にか味方に自分たちがなっちゃってる。」

中田さんが向かったカンボジアは、世界で最も支援が必要な国の1つでした。
1970年代に政権を握った、ポル・ポト派。医師や教師などの知識人を中心に、次々に虐殺。国民の5人に1人、170万人以上が犠牲になったといいます。ポル・ポト政権崩壊後は、泥沼の内戦が続きました。1992年には、国連が介入。日本も初めてPKOに参加することになりました。
この翌年、国の立て直しを目指す選挙が行われることになり、中田さんは国連の選挙監視ボランティアとして現地入りしたのです。有権者登録に必要な写真を撮影している中田さんです。

選挙の説明会や投票所の設置など、最前線で指導に当たりました。

中田厚仁さん
「これはあなたたちの選挙なのです。国の政治をどうやって決めますか。互いに戦って撃ち合いで決めますか。それとも話し合いで決めますか。」

選挙で投票することこそが、混乱が続いたこの国を平和へ導くと訴えました。

中田厚仁さん
「あなたたち1人1人が決めるのです。」

中田さんの原点。それは、父親に連れられて訪れた、アウシュビッツ強制収容所での体験です。第2次世界大戦中、ナチス・ドイツが100万人以上のユダヤ人を虐殺した場所です。ここで、人間を残虐にする戦争の恐ろしさを目の当たりにしました。大学卒業後、世界の平和に貢献したいと、国連のボランティアとして働くことを決意します。

黒田一敬さん(当時)
「はいアツ!ガソリン持っているよ。タバコ持って近づくと危ない。」

中田さんと共にボランティアとしてカンボジアに派遣された、黒田一敬さんです。比較的年が近く、同じ理想に燃えていた2人は、本音で語り合える関係でした。どうすれば選挙が成功するのか。中田さんは、遠く離れた奥地にまで足を運び、投票の重要性を訴えていたといいます。

黒田一敬さん
「村人と接する一番の先端に、前線に行くっていうことを大事にしていた。内戦で苦しんだ村人たちの心に寄り添うためにはどうしたらいいか、どういうふうに仕事に取り組んでいくべきなのか、忘れないようにしたいという意味だったんだと思います。」

中田さんが志願して向かったのは、首都プノンペンからおよそ200キロ離れたコンポントム州。そこでは、ポル・ポト派と政府軍との武力衝突がまだ続いていました。
これは、中田さんが撮影した映像です。

深いジャングルでは、ボートを使って移動。ポル・ポト派の兵士が潜む村にも積極的に足を運び、投票するよう呼びかけました。

中田厚仁さん
「ポル・ポト派が支配している村から500メートルのところにいます。先ほど、あちらの村から銃声が聞こえた。」

このころ、小林さんに宛てた手紙です。

“ポル・ポト派からの選挙事務所への攻撃予告。”

選挙に反対の立場を取っていたポル・ポト派から、活動をやめるよう脅迫されていました。

“時々、もうだめだと投げ出したくなる時もありますが、必死に涙をこらえています。”

小林さんに異変を知らせる電話もかけていました。

小林真理子さん
「あの時の彼の声色は、緊張感は普通じゃなかった。本当に追い詰められていたって、今になって思う。」

電話から2日後の4月8日。中田さんは、車で移動中に銃で撃たれ、亡くなりました。25年の生涯でした。
中田さんの死は、日本がカンボジアのPKOに参加していたこともあり、大々的に報じられました。弔辞を読んだのは、同僚の黒田さんでした。

黒田一敬さん(当時)
「中田厚仁君、いつまでもいつも僕たちの心の中にいてくれます。」

中田さんの生き方に共感し、国際ボランティアを目指す人も現れ始めました。葬儀の時、中田さんの両親に付き添った、元上司の小山田英治さん。社会の変化に驚いたといいます。

小山田英治さん
「若い人たちの意識の変化のきっかけを与えてくれた。当時は国際ボランティアというのは、あまり浸透していなかった。特に国際協力という言葉はあまり分からなかった。」

中田さんの四十九日の法要の日に行われた総選挙。中田さんが命を懸けて活動した地域の投票率は99.9%に上りました。その開票作業中のことです。思いも寄らないことが起きました。中田さんへの感謝のメッセージが投票箱からいくつも出てきたのです。

“ポル・ポトに父を殺され、身寄りのない僕に、君は友達のように接してくれました。”

“選挙で初めて、自分の意志を表すことができました。こんなにうれしいことはない、ありがとう。”

銃弾に倒れた日本人青年 25年前の“志” 今も脈々と…

あれから25年。カンボジアには、中田さんの思いを受け継ぐ人たちがいます。

カー・ヒンさん
「わかった人は手を挙げて。」

その1人、教師のカー・ヒンさんです。

民主化の芽を守り抜こうとしています。

カー・ヒンさん
「アツはカンボジアの人々に選挙の大切さを教えてくれました。それは私たちの国の発展に欠かせないことなのです。」

今週、総選挙が行われたカンボジア。民主主義が危機にさらされています。フン・セン首相は、選挙を前に、最大野党の党首を国家反逆の疑いで逮捕。党そのものを解党に追い込みました。

フン・セン首相
「国家転覆を企てるやつは許さない。」

中田さんが命を落としたコンポントム州。選挙前、政権を批判すれば逮捕される恐れもあったため、村人たちは沈黙を守っていました。

村人
「発言できないし、怒りを表すこともできないし、どうしようもない。」

村人
「言えないね。黙るしかないわね。難しいね。」

そんな中、ヒンさんだけは、自分の意志は選挙で示すしかないという中田さんの信念を訴えました。

カー・ヒンさん
「私たちが声をあげるには投票するしかない。」

迎えた選挙当日。ヒンさんは意外な行動に出ました。無効票になることを覚悟で、投票用紙に抗議の気持ちを書いたのです。

カー・ヒンさん
「“カンボジア政府に本当の民主主義を守ってほしい”と書きました。自分の意志で選挙に行くという、アツが残してくれたメッセージを守ることができました。これはカンボジアの発展と、より良い民主主義のための1票です。」

日本でも中田さんの思いを受け継いでいる人がいます。

黒田一敬さん
「すごいですね、ほこりが。」

ボランティアとして共に活動し、弔辞を読んだ、黒田一敬さんです。中田さんの死が、黒田さんの人生を大きく変えていました。この25年、世界各地の紛争地で選挙支援の仕事に従事。これまで16か国を訪れました。

黒田一敬さん
「もし私が死んで中田君が生きていたら、彼は選挙まで必ず仕事をしただろうと確信したんですね。それで私は最後までやろうと思いました。『私たちじゃなきゃできないことがきっとあるよね』本当に力強い最後のメッセージでした。」

先月(7月)23日、選挙支援のため、パキスタンへ。

“アツ” 中田厚仁さん 命がけのメッセージ

ゲスト 鈴木ちなみさん(女優)
ゲスト 長谷川祐弘さん(元国際連合事務総長特別代表)

武田:当時の中田さんと同じ20代の鈴木ちなみさん。
中田さんの姿をどう受け止めましたか?

鈴木さん:SNSもインターネットも普及していなくて、情報がない時代に、25歳という若さで、カンボジアへ行く決断をして、そういう活動をしていた方がいたということにすごく驚きましたね。

鎌倉:こちらは、中田さんが残した言葉なんですけれども、例えば「厳しい土地に派遣されて、本当によかった」「開けゴマ、念ずれば必ず望みはかなう」「誰かがやらなければいけないなら自分がやる」。
そして「僕の夢は世界を平和にすること」。この言葉は「クリスマスプレゼントに何がほしい?」というふうに聞かれて、真顔で中田さんがこの返事をしたそうなんですよ。

鈴木さん:25歳のころって、もっといろんなやりたいことがあったはずなのに、こういう言葉を発せられるってことは、いつもそういうことを考えていたってことですよね。

武田:これがやりたいことだったんでしょうね。

鈴木さん:やっぱり驚きですね。すばらしいですね。

武田:元国連事務総長特別代表で、中田さんのご家族とも交流があった、長谷川さん。
長谷川さんは、どの言葉が一番心に残っていらっしゃいますか?

長谷川さん:私は、やはり最後の夢として世界の平和に貢献するということですね。そして、彼が現地の人たちに、自分たちで自分たちの国造りをしなくてはいけないよと問いかけていた、あのことが非常に強い印象として残りましたね。

武田:国の政治を撃ち合いで決めるか、話し合いで決めるかというふうに迫る姿も本当に印象的でしたね。

長谷川さん:そして、国連として、それから国として、人々に自由に、誰がその国の政治をまかなっていくかということを決めさせるということが、非常に重要な点だと思います。

武田:中田さんの事件があった後、現地を統括する立場だったということですけれども、かなりの外国のボランティアは自国に帰ってしまったことがあったそうですね。

長谷川さん:そのとおりです。大体1割ぐらいですね、500人のうち50人ぐらいのボランティアは「もう、これではだめだ」というので、たっていってしまいました。そこで、日本人のボランティアの方たちは、やはりカンボジアに残って、そして最後まで続けていくんだということを、やっぱり中田さんの遺志を継いで、みんながそれを全うしてきたということがいえるんじゃないかと思いますね。

武田:やっぱり「誰かがやらなければいけないなら、自分がやる」という思いが共有されていたということなんですね。
実は、長谷川さんは、中田さんの父・武仁さんとも交流をされてきました。息子さんの遺志を継いで、国際ボランティアを広める活動を、2年前に亡くなられるまで続けてこられたということですけれども、武仁さんはどんなことを訴えていらっしゃったんですか?

長谷川さん:お父さんは、ぜひとも自分の息子が始めたことを引き続きやっていきたいということをおっしゃっておられました。それで、カンボジアから日本へ遺骨を持ってくる時に、一緒に話し合って、そして名誉大使になってもらうことを頼みました。そしたら、それを引き受けてくださって、そして世界中を回って、自分たちで国造りをするという、その重要さを、そのメッセージを述べてきたということが、やっぱり大事な点じゃないかと思いますね。

武田:世界各国で現地の人たちに?

長谷川さん:自分たちが自分たちで決めていって、そして、国造りをしていくべきであるという、そういう基本的な考え方を植えつけておられました。

鎌倉:鈴木さんは、まさに今を生きる日本の若者としてどんなことを受け止めましたか?

鈴木さん:本当に最近の、特に20代の若い子たちは海外に行かないという話を聞くんですけれども、SNSの情報って、本当に断片的なものであって、私も海外に行って、VTRの中田さんのように、笑顔で人と接することですごく得られたことがあるので、若い方にもぜひ海外に行って、何かアクションを起こしてもらいたいなと思います。

武田:鈴木さん自身も?

鈴木さん:彼の姿にすごく学ぶものがありましたね。

武田:長谷川さんも、若い人たちに期待すること、どんなことでしょう?

長谷川さん:やはり皆さんが、自分が何ができるか、そして何をすることによって生きがいを感じるかということを、自分自身知って、そしてそれを全うしていくと、そういう意志を持っていただきたいと、そのように感じております。

武田:25年前に亡くなった1人の青年の情熱が、今も多くの人を突き動かしています。誰かがやらなければならないのなら、自分がやる。私も何ができるのか、考えていきたいと思いました。