クローズアップ現代

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2018年4月12日(木)
ルポ 熊本地震2年 被災地の“現実”そして“希望”

ルポ 熊本地震2年 被災地の“現実”そして“希望”

2年前、震度7の激震に2度も見舞われた熊本。被災地では、今なお厳しい現実が。倉庫や農業用ハウスなどに身を寄せる、いわば“軒先避難”を続ける人々の存在が浮かび上がってきた。一方、地震で傷ついた熊本城では、20年かけて復旧させる巨大プロジェクトがようやく動き出した。戦後最大規模の被害から文化財をよみがえらせる難工事。人々は、熊本城が元の姿を取り戻す日を待ち望んでいる。復興に向けた課題、そして希望は。熊本出身の武田キャスターが現地を訪ね、地震から2年の熊本をルポする。

出演者

  • 行定勲さん (映画監督)
  • 室﨑益輝さん (兵庫県立大学大学院教授)
  • 武田真一 (キャスター)

熊本地震2年 武田キャスタールポ

武田
「ふるさと・熊本市にやってきました。
ふだんですと、ここから街を天守閣が見下ろしているんですけれど、足場が組まれて、その天守閣の姿を見ることはできません。」

20年かけて熊本城を復旧させる巨大プロジェクトが動き出しました。戦後最大規模の被害から文化財をよみがえらせる難工事です。熊本地震から2年。被災地で目の当たりにしたのは、厳しい現実。家が全壊しても仮設住宅に入ることができず、いわば「軒先避難」を続けざるをえない人たちがいました。

武田
「前に進んでいる感じは?」

「ないない、逆だろ。後戻りだね。」

復興に向けた課題、そして希望は。熊本の今を見つめます。

被災地のシンボルは…

2年前、震度7の激震に2度も見舞われた熊本。災害関連死を含めると、260人を超える人が亡くなり、住宅の被害は19万7,000棟にも上りました。熊本城では、天守閣や国の重要文化財の建造物すべてが損壊。被害額は、634億円に上りました。熊本の人たちの心のより所まで大きく傷つけられたのです。

密着・熊本城 復旧 異例の大プロジェクト

熊本市は復旧の方法をめぐって専門家と検討を重ね、先月(3月)、20年に及ぶ基本計画をようやくまとめました。前例のない規模で動き出した、復旧の最前線に入りました。

武田
「石垣の石を1つ1つ。」

石垣の回収作業が急ピッチで進められていました。国の特別史跡・熊本城の石垣は貴重な文化財です。積み直す石はおよそ10万個。地震前と同じ場所へ忠実に戻さなければなりません。

「57(センチ)。」

1つ1つの石の寸法を計測。さらに、かつての石工が削った痕などもつぶさに記録していきます。

撮影した写真を基に、石の形状をデータ化。地震前の写真と照らし合わせることで、元の場所を効率的に特定しようとしています。地震から2年がたって、ようやく本格化した復旧工事。その難しさは、想像をはるかに超えていることが分かってきました。
飯田丸五階櫓(やぐら)。かろうじてやぐらを支えた石垣は、「奇跡の一本石垣」と呼ばれました。復旧計画では、いったんやぐらを解体し、石垣を積み直したあと、再びやぐらを建てることになっています。ところが、解体そのものが容易ではないことが分かったのです。今年(2018年)、地震後初めて撮影したやぐら内部の映像です。石垣が崩れたことで床が沈み、柱と梁(はり)が外れている所がありました。

この状態でどう解体するか?工事を請け負う建設会社はシミュレーションしました。

「真ん中の梁をとると、この梁が動く可能性がある。」

柱がはりから外れたことで、周りの柱に荷重が集中。ぎりぎりのバランスでやぐらが保たれていることが分かりました。解体する手順を一歩間違うと、そのバランスが崩れ、石垣の被害が拡大しかねません。

武田
「一口に解体といっても、相当難しいですね。」

熊本城総合事務所 津曲俊博さん
「文化財としての位置づけが損なわれないようにする必要がある。我々が力を注ぐことで、多くの方を力づけることができる。」

熊本城 復旧への一歩 被災地の願いは

ゲスト行定勲さん(映画監督)
ゲスト室﨑益輝さん(兵庫県立大学大学院 教授)

天守閣の足場の上には、作業を続ける人たちの姿があります。今日は復旧が進む熊本城内からお伝えしてまいります。熊本出身の映画監督の行定さん。20年かかるという難工事、どうご覧になりましたか?

行定さん:熊本の県民にとっては熊本城っていうのはシンボルですから、やはりいち早く復旧した復活した熊本城を見たいという思いがあると思うんですけれども。僕個人の意見としては、2度の大きな地震の爪痕を残すために、ある部分の石垣が崩れている所をそのまま保存するとか、そういう形で未来に、熊本地震のあった歴史というものを伝えていったらいいんじゃないかと思ったりもします。

私もこの傷ついた熊本城の姿を見ると心が痛むんですが、被災した方々もみずからの状況と重ね合わせて見ていると思うんですけれども、いかがですか?

行定さん:熊本城はやはり大きな支えになったと思うんですね、県民の。地震から1か月半ごろに、傷ついた熊本城が夜、ライトアップされたんですね。ずっと落ち込んで下を向いていた県民たちは、みんなそのときに、顔を上げて熊本城を仰いで見たんですね。そのときにみんなの表情っていうのは、すごく勇気を与えられ、そして涙してたんですよね。僕もその1人だったわけですけど、やはりそれぐらいの存在感で、熊本人にとっては非常に熊本城が支えになってるっていう存在だと思います。

行定さんは震災前に熊本城の姿を映画に撮られて、地震後にそれを県民の皆さんに見ていただくという機会があったそうですが、反応はいかがでしたか?

行定さん:震災が起こる半年前に撮影していたものなので、ほぼほぼ最後に撮られた熊本城の美しさっていうものが残せたわけですけれども、やはり傷ついた熊本城を前にすると、自分の記憶も忘れてしまうようなことがあって、あるお年寄りの方なんかは、完全復旧するまでに自分はもう生きてるかどうか分からないと。ただ、あの映画の中の熊本城を見ると、すごく自分の子どものときからの慣れ親しんだ熊本城を思い出せることが非常にうれしかったというふうに言っていただけました。

熊本城 復旧への一歩 被災地にもたらすもの

阪神・淡路大震災で被災した経験があり、防災や復興施策について研究している室﨑さん。文化財を復旧するということ、この意義はどう考えればいいのでしょうか?

室﨑さん:人間が生きていくうえでは、命だけではなくて文化が必要なんですね。第2次世界大戦のあとで、ナチスによって破壊された街の人々がどうしたかっていうと、壊されたれんがを1つ1つ拾い集めて、元どおりの建物にするんです。まさにそれは、自分たちの文化が元に戻るということが、復興の大きな力になるんだということだと思うんですよね。まさに熊本城もそうだと思うんです。熊本城がよみがえることによって勇気が湧いてくる、希望が湧いてくるということだと思うんですね。まさに心の復興の推進力が文化だというふうに思うんですね。

熊本地震2年 被災者たちの“現実”

この熊本城の長い復旧工事を見つめる被災者の皆さんの暮らしにも、いまだ大きな課題が横たわっています。津波で地域が壊滅的な被害を受けた東日本大震災と異なり、この熊本地震では建物によって被害程度がさまざまで、その後の避難生活の形もまちまちなのが特徴です。
最も被害が大きかった自治体の1つの益城町では、仮設住宅だけでなく、壊れた自宅や親戚の家などで避難生活を続ける人が多く、その数は4,000世帯を超えています。

中でも深刻なのは、自宅の倉庫や手作りの小屋などで生活する、いわば「軒先避難」です。なぜ2年たつ今も軒先避難を続けざるをえないのか。その実態が見えてきました。

いまも続く“軒先避難”

武田
「最も被害が大きかった益城町に来ています。私1年前にも、ここに来たんですけれども、いまだにこうして道路の復旧工事が行われていますし、こうして見てみますと、本当にまだまだ復旧・復興には時間がかかるなというふうに思わざるをえません。」

2年前の地震で、住宅の6割が全半壊した益城町。確認できただけで45世帯が、今なお軒先避難を続けています。高木サチ子さんです。寝床にしているのは軒先の倉庫の一角。シートで間仕切りしていますが、冬は氷点下になることもあるといいます。

高木サチ子さん
「2月がいちばん(寒さが)ひどかった。昼まで水道が出なかった。そのときは、猫の飲み水が凍っていました。」

地震の直後、高木さんの自宅は全壊判定を受けました。仮設住宅への入居を希望しましたが、2回続けて抽選に落ちました。そこで、現状をしのぐために使ったのが「応急修理制度」です。この制度では、自宅が半壊以上の被害を受けた場合、国と都道府県が修理費の一部を負担。上限は57万6,000円です。ひとまず使えるようにしたのは台所。そして、トイレと風呂。これだけでも200万円かかり、預金を取り崩すしかありませんでした。
さらに、この制度を利用したことで、ますます厳しい状況に陥ります。応急修理制度を利用すると、自宅に住めるようになったと見なされ、仮設住宅に入れなくなってしまうのです。自宅を失った上に仮設にも入れない。軒先避難を続ける中で肺炎を3回も繰り返しました。

武田
「地震の前は、まさかこんな暮らしになるなんて?」

高木サチ子さん
「いやいや、到底、夢に見たこともないし思ってもいない。いちばん下に、どん底に落ちてしまったのと一緒。」

益城町では自宅を再建した人が出たことで、実は今、仮設住宅の2割およそ300戸が空き部屋の状態です。高木さんのような被災者を受け入れることはできないのか。町の担当者に聞きました。

益城町 生活再建支援課 姫野幸徳課長
「なんとかできないかという思いは持っているが、実際、制度の運用上は、制度上縛りがあるので。被災者に不便な声があるのであれば、私たちも県・国に機会があるごとに届けていきたい。」

軒先避難が続く背景には、自宅再建のハードルが上がっている現状もあります。
花屋を営む、森本さん夫婦です。敷地内の作業場だった小屋を自前で作り直して生活しています。

武田
「これ、床が…みかん箱なんですね。」

森本好子さん
「みかん箱を敷いて、上に畳を敷いている。」

自宅は壁がいたるところで崩れ、床も抜け落ちるなど、大きな被害を受けました。地震の半年後、業者から修繕の見積もりをとったところ金額は486万円。すぐには工面できなかったため、いったん見合わせました。その半年後、修繕を依頼しようとすると、思いがけないことを言われました。

“費用は680万円になります。”

材料費の上昇や人手不足などもあって、以前の価格で請け負うのは難しいというのです。

森本勇さん
「2017年中には自宅に移れると思って、工務店とも打ち合わせをしていた。そうしたら、だんだん大工さんたちが忙しくて、金額が高い方にやはり行ってしまうのでは。」

他の業者にもあたりましたが、「忙しくて当分請けられない」と断られ続けたといいます。軒先避難から抜け出す道筋はまだ見えません。

森本勇さん
「考えるのがやはりきつい、考えるのが。」

武田
「前に進んでいる感じは?」

森本勇さん
「ないない、逆だろ。後戻りだろうね。」

なぜ続く“軒先避難”

応急修理制度の60万円という金額。そして制度を使うと仮設住宅に入れないという条件。なんとかならないのかなという思いがしたんですが?

室﨑さん:ひと言で言うと、制度が被災の実態に追いついていないということだと思うんですよね。本当に60万で修理はできるのか。全くそれはできないわけです。でも、何のための応急修理制度かというと、少しでも修理をすることによって仮設に行かないでもいいようにしてあげようという。仮設の生活と同じレベルの暮らしを、応急修理でもちゃんと支えていかないといけないんですけどね。やっぱりその60万ではとても足りないということなので、建設価格の高騰だとか、そういうことを踏まえて必要な額をやっぱり提供するようにしないといけないというふうに思っているんです。

これは今からでも議論したほうがいいと?

室﨑さん:私は今からでも足りない部分を、「後出しじゃんけん」というんですけどね、今の実態に合わせて新しい制度を作って、今、困っている人たちを救わないといけない。そうすると、やっぱり修理費の加算措置みたいなものが、たぶんいるんだろうと思うんですよね。まさにそういう意味では、制度そのものを見直していく。これからの在り方にも必要だし、今の被災者を助けるためにも制度を変えていくということは必要だと思うんです。

避難長期化の懸念は

そしてもう1つ心配だったのが、皆さん高齢で過酷な暮らしを続けてらっしゃって健康に影響はないんだろうかということなんですが、そんな懸念はないんでしょうか?

室﨑さん:それはもう間違いなく影響があるというふうに思っているんですね。今、熊本地震の非常に大きな特徴は、避難生活の過程の中で体を壊す人がとても増えている。実は阪神大震災のときも、ちょうど2年目から3年目に、「孤独死」っていうんですけど、独りぼっちで亡くなっていく人がたくさん仮設の中で出てくるわけです。まさにこう、2年、3年つらい生活をしていると、精神的にも体力的にも、もうもたないわけですよね。だからこのまま放っておくと、ばたばたと体を悪くする人が出てくると。だからこそ今もう一度、支援の在り方みたいなものを考えていかないといけないと思うんですよね。

被災者たちの思いは

こうやって過酷な暮らしをされている方が、実はわれわれの目につかない所にいらっしゃると。この現実をどうご覧になりましたか?

行定さん:熊本の方たちっていうのは非常に表面的には元気で、ユーモアを忘れない人たちが多いと思うんですね。でもその水面下で、こういう苦しんでらっしゃる方たちというのは実はいて、われわれはそれをやっぱり知ることでケアしていく。それで心の復興をサポートしていくっていうのはすごく重要だなというふうに思いました。

こうして、暮らしを立て直していくということにはまだ長い時間がかかりそうですけれども、少しでも人々を勇気づけようと前に進んでいる人たちもいました。

被災地 復興への願い 熊本城の姿もう一度

復興のシンボル、熊本城。工事のためにかけられた覆いが取れ、美しい姿がよみがえる日を熊本の人たちは待ち望んでいます。天守閣の復旧にあたる、左官職人の河瀬幸哉さん・60歳です。この道45年。手がけているのは、瓦と瓦を塗り固める屋根目地漆喰(しっくい)。国内の城ではほとんど見られない伝統技法です。

河瀬さんは、左官人生の大半を熊本城の修復や復元にささげてきました。

左官職人 河瀬幸哉さん
「みなさんに“熊本城ができたぞ”と。“やっぱり熊本城はよかね”と言われるような仕事をしていきたい。」

今回の復旧工事、終わるのは20年後です。

左官職人 河瀬幸哉さん
「そこは塗らないでいい、剥げ。」

自分は最後まで携われないかもしれない。河瀬さんは、若い世代への技術の継承を急いでいます。指導している若手の1人、21歳の宮田涼さんです。左官の見習いになった翌年に、熊本地震で自らも被災。熊本城の復旧工事に志願しました。この日の現場は、天守閣最上階の屋根です。数百年もの間、職人から職人へと受け継がれてきた技術。実践の中でしか伝えることはできません。

左官職人 河瀬幸哉さん
「ここはあまり厚くはいらない。」

左官見習い 宮田涼さん
「すごいです。」

左官見習い 宮田涼さん
「熊本城の仕事はあこがれ。いつかはこういう仕事をしてみたかった。今のうちに少しでも早く、河瀬さんの技術を覚えていきたい。」

先週、覆いが外され、2人が手がけた天守閣の屋根が顔をのぞかせました。

「久しぶりに天守閣を見られて、すごくうれしい。」

「熊本城が直ったら、みんな元気になる。」

「堂々たる姿を見られるのが待ち遠しい。希望ですね。」

被災地の“現実”と“希望”

行定さんは今月(4月)発表した映画で、地震をきっかけにして友情や愛の尊さを見つめ直すという人々を描いてらっしゃいますけれども、被災した方々が今希望を見いだすには何が必要だと思われますか?

行定さん:地震当初被災して、みんながそれぞれが、いろんな気持ちでいたと思うんですけどもみんなが一枚岩になったんですね。いつもの普通の日常を取り戻すために、みんなが協力し合った。それを持続させること、未来に向けてみんなで復興していこうという気持ち、それはすごく重要だと思うんですね。それとやっぱりこの地震の経験というものを風化させないで、われわれはずっとその被災者と一緒に寄り添っていくということが非常に重要かと思います。

室﨑さんはいかがですか?

室﨑さん:今言われたとおりだと思うんですよね。未来に向けてみんなが1つになるということが基本だと思うんですね。この復興の過程では、力のある人は少し前に向かって進んでいけるんですけど、力のない人だとか支援のいただけない人が取り残されていくんです。そうすると、前に進む人と残された人の間のギャップってどんどん大きくなる。そうすると、残された人のところにいろんな意味での苦しみがたまっていくわけです。その残された人に、前に進んでいる人たちが手を差し伸べるということが必要だし、被災地の中の助け合いだけではなくて、日本全体で熊本を忘れないようにして、救いの手を差し伸べるということをしなければならないと思うんですよね。このように熊本城がどんどん復興していくと、あたかも熊本全体が復興したかのように思ってしまうんですけれども、実は今日の映像であったように、まだ苦しんでいる人はたくさんいる。その人たちがいるかぎり私たちは支え続けていかないといけないので、復興が終わったわけではないということだと思うんですよ。

天守閣の覆いは取れましたが、足場が外されてその姿が見えるようになるのは来年(2019年)の春です。暮らしと心の復興が成し遂げられるまでには、まだ時間がかかります。私たちもこれから、その歩みを見つめていきたいと思います。