クローズアップ現代

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2017年9月26日(火)
92歳の“安楽死宣言” 橋田壽賀子 生と死を語る

92歳の“安楽死宣言” 橋田壽賀子 生と死を語る

「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」など大ヒットドラマを連発してきた日本を代表する女性脚本家・橋田壽賀子さん(92)。ある“宣言”が大きな反響を呼んでいる。それは「私は安楽死で死にたい」というものだ。戦争一色だった青春時代を生き抜き、家族の姿を描く脚本で、時代の心をとらえ続けてきた橋田さんが、なぜ今、安楽死について語り始めたのか。生と死について突き詰めたという橋田さんの人生に、単独インタビューで迫る。

出演者

  • 橋田壽賀子さん (脚本家)
  • 武田真一 (キャスター)

脚本家・橋田壽賀子さん 92歳の“安楽死宣言”

ゲスト 橋田壽賀子さん(脚本家)

日本を代表する脚本家・橋田壽賀子さんの発言が大きな波紋を投げかけています。
テレビドラマで最高視聴率を誇る「おしん」や、30年近く続く代表作「渡る世間は鬼ばかり」など、大ヒットを連発。今なお第一線で活躍する橋田さん。92歳になる今年(2017年)、雑誌で行った告白が社会に衝撃を与えています。

“私は安楽死で逝きたい。”

脚本家 橋田壽賀子さん
「これからは自分で死を選べる時代にならないと、みんなに迷惑かけるし、自分もつらい。」

日本で事実上認められていない安楽死を、なぜ宣言したのか。橋田さんの真意にインタビューで迫ります。

脚本家・橋田壽賀子さん 92歳の“安楽死宣言”

橋田さんが暮らす、熱海市のご自宅です。28年前に夫を亡くし、今は一人暮らし。

全盛期ほどではありませんが、92歳になった今も、新たな脚本を仕上げるなど、執筆活動を続けています。

今日は本当にたくさんお伺いしたいことがあります。どうぞよろしくお願いいたします。

橋田さん:よろしくお願いします。お手やわらかに。

90歳を過ぎて突然、安楽死で死なせてほしいという告白をされたのはなぜ?

橋田さん:まず、体の衰えを感じたことですね。それまでは、あんまりどっか痛いとか、しんどいとか思わなかったのが、おなかのしわが出てきたりね。だんだん体重が減ってきて、74キロあったのが、今58キロなんですけど、だあーと減った時、毎日年取ってくるんだなって、すごい実感があったんですね。
ちょうど去年(2016年)ですけど、転んだんですね。すごい顔をけがして、左側。その時にも、いつ、何が明日あるか分かんないし、その時に、もしその顔のまんま、このまんま動けなくなったとしたら、このベッドにくくりつけたまま、ずっと生きてるのかなと思うとぞっとしましたね。終末医療がどんどん完備されても、それで生かされて、どれだけ幸せなのかな。線引きが難しいですよね。もう私は年寄りだし、することもありませんし、天涯孤独ですし、死なせてくださいって言ったら、ああ、いいよって言ってくださる法律があったら、それは安楽死だなと思ったんですね。

こうやってお会いしてお話を伺っていると、とてもお元気で、まだ脚本もお書きになっているというのに、なぜ?

橋田さん:「渡鬼」もまだちゃんと書かせていただいて。でもね、前はもっとお仕事が来たんですよ。欲張りなんですね。もうなんか、いっぱいいつもいつもお仕事が来て、断るのが楽しいなみたいな、それがふーっとなくなって、誰も来なくなったという、そのさみしさはありましたね。あ、もう私はいらない人間になったんだって、世の中から。いらない人間になったんだという。そしたら、何のために生きてるの。ただ、病気になったら、国家のお金をいっぱい使って、何の役にも立たないのに、ごはんを食べて、楽しくもないのに生きてるのは、嫌だなと思いました。

橋田壽賀子さん“安楽死宣言” 「迷惑をかけず生きたい」

先月(8月)出版された「安楽死で死なせて下さい」。そこには、橋田さん自身の生き方や死に方についての考えが記されています。

安楽死の理由の1つが「迷惑をかけたくない」。
日本の統治下にあった韓国で生まれた橋田さん。一人っ子でした。女子大への進学を機に親元を離れ、上京。25歳で松竹初の女性脚本家として歩み始めました。女の仕事じゃないと、厳しい言葉を浴び続けて10年。その後、テレビの世界で才能が開花し、後世に残る作品を次々と生み出しました。

脚本家 橋田壽賀子さん
「この机、何十年塗り直したら、こんな色になっちゃって。あんまり好きじゃないんですけれども。『おんな太閤記』から『おしん』も全部(書いたのは)ここです。50年以上、一緒に暮らしています。」

頼る人もなく、甘えが許されない世界で心に誓ったのが、誰にも迷惑をかけずに生き抜くということ。
橋田さんが見せてくれたエンディングノートです。葬式の際の希望の欄や連絡先は空白のまま。

最期の時も、多くの人の手を煩わせることなく、ひっそりと亡くなりたいという思いからです。

“九十歳になって、仕事がだんだん減ってきて、ほかに考えることもなくなったら、「あ、もうすぐ死ぬんだ」と考えるようになりました。あとはもう、他人に面倒をかけたくないだけ。迷惑をかけるなら、そうなる前に死なせてもらいたい。死に方とその時期の選択くらい、自分でできないかなと思うのです。”

橋田壽賀子さん“安楽死宣言” 孤独と向き合い続けて

橋田さんが安楽死を望む理由として、いくつか挙げている中で、心に残った言葉があって、その1つが「迷惑をかけちゃうんじゃないかな」という言葉なんですね。

橋田さん:だから私の場合、特別かも分かりませんけど、絶対人には迷惑かけたくないというのは、私一人っ子で、ずっとなんでも1人でやってきたんですね。親が、親の愛情が重たくて、それで家出して、1人で女子大へ行っちゃって、親に勘当されたりしたんですけど。とにかく1人で生きてきて、1人で生きるということが身についちゃったというか、それがいいことだと思ったんですね。だから、親にも迷惑かけたくない。とにかく、なんか人に負担をかけたくない。それが、もう私の性格ですね、それは。
甘えたら、本当に困る時代なんですね。今、親に甘えたら、親はお金を持っていますから、いっぱい。だからやりますよね、子どもに。親がお金を持っていないんですもの、戦争で。私なんか父親が引き揚げ者だし、家は焼かれて、母はよそに居候しているし、もう1人で生きるよりしようがないんですよね。そういう、何とか自分であがいても、1人で自分で生きていくというあれがあったんで、迷惑かけるというのは罪悪だと思っちゃうんですね。
それから、あと私は心配する人がいない、天涯孤独ですから。だから心配される人もいない。親戚がいない、親はいない、兄弟いない、亭主もいないし、子どももいない。本当に、例えば死ぬでしょう。財産の行くところがないんですよ。遠い親戚はあるかもしれないけど、縁を切っていますし、それを天涯孤独というんじゃないですか。

天涯孤独だと語る橋田さん。28年前、最愛の夫をみとりました。岩崎嘉一さんです。

医師から、夫は肺がんで、すでに転移が進んでいると告げられた橋田さんは、苦悩の末、本人に病名を伝えないことを決めました。
大好きなタバコもやめさせず、最期の瞬間まで、夫の生きる楽しみを支え続けた橋田さん。
ただ1人の家族を亡くしたことは、その後の死生観に大きく影響したといいます。

もし、橋田さんの周りに家族がたくさんいるとすると?

橋田さん:生きますね、何がなんでも。はってでも生きてると思いますが、私の性格だったら。とにかく1人で生きてきて、それで主人と結婚して、家族が出来たんですよね。子どもいたら、私、本当に悪い親になっています。お金いっぱいつぎ込んで、悪い子にしちゃったり、東大入らなきゃだめと言ったり。

橋田さんのお書きになるドラマは家族の物語。その中で、一人ひとり、さまざまぶつかり合いながらも、やっぱり最後は家族で支え合うことって、いいなというドラマになっていると思うが?

橋田さん:それは、だから理想ですよね。私は、そうはならないと思います。もし私がそうなってほしいと思って書いているわけで。相手の気持ちが分かる、子どもの気持ちも分かってやる、それから、いくらけんかしても最後はなんか心が触れ合って…。これは理想ですよね。私はできません。私のできないことを書いているんです。

日本で認められていない“安楽死”のいま

大きな波紋を投げかけた橋田さんの安楽死宣言。しかし、今の日本では、積極的安楽死を認める法律はなく、自殺ほう助は違法と考えられています。

安楽死の手法の1つ、自殺ほう助が認められている数少ない国の1つ、スイス。
自殺ほう助をサポートしている民間団体、ディグニタスです。

橋田さん:私、ここ取材に行こうかと思ったの。

世界各国から毎年数百人が入会してくるといいます。

ディグニタス 幹部 シルバン・ルレイ氏
「ピンク色のファイルは、この20年で自殺ほう助を受けた会員たちに関する書類です。」

ここでは、治る見込みのない病であることや、耐え難い苦痛があるなど、厳しい要件を満たすと医師が承認した場合のみ、サポートを受けられます。
スイスで自殺ほう助を受けたアメリカ人男性です。

難病で人工呼吸器をつけながら、家族に支えられて暮らしていましたが、病状が悪化し、次第に死を考えるようになりました。

自殺ほう助を受けたアメリカ人男性
「人生に疲れたわけではない。病気に疲れたんだ。これからも人生を楽しみたい。しかし、それができないんだ。」

男性は苦しみながら逝く姿を家族に見せたくないという思いで、自殺ほう助を受けることを決めました。
タイマーで人工呼吸器のスイッチが切れるようセットした後、医師が処方した睡眠薬を大量に飲み干します。

男性は5分ほどで深い眠りにつき、その後、息を引き取りました。
今、ディグニタスに入会する外国人は増えています。日本人も去年の時点で17名が会員となっています。ただ、他の治療法などを選択する人もいるため、実際に自殺ほう助を受けるのは、全会員の3%に過ぎないといいます。

ディグニタス 幹部 シルバン・ルレイ氏
「人びとがディグニタスを頼るのは、ただ自殺ほう助を受けたいからではありません。選択肢を探しているのです。どうしたら“人生の質”の問題を改善できるのかと。その解決策を見つけられるように、別の治療法もあると説明するのです。」

日本で認められていない“安楽死”のいま

ディグニタスに登録している方で、実際に安楽死を実行する方はおよそ3%しかいないというデータもあるが?

橋田さん:やっぱり登録してるから安心しちゃって、いざとなったら安楽死できると思っているうちに、なんか平穏死なさったんじゃないですか。それは、だから1つの安心ですよね。安楽死に登録して、いつでも安楽死できると思ったら、いつか平穏死になったっていうのはとてもいいことだな、一種の理想ですよね、それが。心の、なんか保険みたいなもんですね、安楽死っていうのは。

必ずしも安楽死という制度があって、安楽死してもいいよと言われたら、もしかしたら、別の生き方ができるかもしれない?

橋田さん:安心して、別にいざとなったらそうだからと思って一生懸命生きて、なんか、がんで死んじゃうかもしれませんし。やっぱり、ふっと不安になりますね、死ぬの。どんな死に方するんだろうって。だから、その不安がなくなるといいなと思うだけで。自分が死を選べない不安で生きてるってのも年取ったらすごい重いですよ。

“安楽死”をめぐる それぞれの思い

日本では、安楽死をめぐり、さまざまな議論が続いてきました。安楽死の制度を認めてほしいと考えている塩月義昭さんです。

その理由は、寝たきりとなった妻の存在。3年ほど前から、原因不明の体調不良で日中の大半を寝て過ごしています。

塩月義昭さん
「『安楽死、安楽死』本人(妻)は毎日ね。『安楽死』という言葉が出ない日はないです。できたら、どこかいい病院があって、治ればいいと思うし、今の状況じゃ無理かなと思うし。」

塩月さんは、もし安楽死という制度があれば、妻の気持ちが救われるのではないかと考えています。

塩月義昭さん
「気が楽になるというか、逃げるところがある、安楽死によって。そういう気持ちになる人もいるんじゃないかと思う。」

安楽死の制度化を望む一方で、迷っている人もいます。向後建さん、49歳です。

向後さんは、脳の難病を患っています。症状はパーキンソン病に近く、左足などが思うように動きません。現在は、デイサービスの送迎や清掃などをして暮らしています。

向後建さん
「6週間に1回通院しているので、だいたい6週間分。」

この10年で、症状は緩やかに進行しています。歩けなくなる不安から、去年、車椅子を購入しました。
そうした中、偶然読んだ橋田さんの記事に共感し、自身のブログに思いをつづりました。

“安楽死を認めてほしい。”

向後建さん
「寝たきりになってまで生きていたくはないというか。そんな状態では、生きている価値はないと、自分では思っているので、そうなる前に、自分で。
やっぱ、だめだな。」

何度も最期の迎え方について、自問自答してきました。その時、頭に浮かぶのは、両親や兄弟のことです。

向後建さん
「子どもが死に方とか、安楽死について考えているなんて、思わせることが親不孝だと思うので、どんな状態でも生きているべきなのか、自分の我を通して勝手に死んでいいのか、悩みますね。」

安楽死に、強く反対している人もいます。全身の筋力が次第に失われていく難病「ALS」に見舞われている篠沢秀夫さんと、妻の礼子さんです。

夫婦は受け入れ難い理由について、手紙を寄せてくれました。

“安楽死という言葉を言われると、「貴方(あなた)のことは、もう面倒みられない」と言われているのではないか?と悲しくなるのかもしれないと思いました。主人のような人は、面倒みられないと周りの人に言われたら生きていけないのです。ですから、主人は絶対に安楽死に反対なのだと思いました。”

橋田さんは、生や死のあり方は、人それぞれに事情があり、さまざまであっていいと考えています。あくまで自分は、人生の閉じ方を自身で選びたい。安楽死は、その1つの選択肢だといいます。

死を見つめて生きる 橋田壽賀子さん 92歳

橋田さんは、最期の瞬間までどういうふうに生きていきたいと思っている?

橋田さん:いつか死ぬんだから、今、精いっぱい生きなきゃというのはありますよね。死をいつも見つめるということは、それはやっぱり死を考えているから、今を精いっぱい生きるってことですね。私が戦争中そうでしたから。死の覚悟ができて、それでやっとそれを踏み台にして生きてきたみたいなところがありますから。いつ死ぬか分からない、明日死ぬかも分からない、やっぱり精いっぱい、後悔ないように生きたいというのがあります。

死を考えることは真剣に生きること

死を見つめるからこそ、懸命に生きられる。橋田さんにその死生観を刻んだのは、戦争一色だった青春時代でした。
空襲で焼け焦げ、折り重なった遺体を毎日目にしてきた橋田さん。特攻を命じられた若い軍人たちに一時帰省の切符を渡す仕事もしていました。死は、生きていることよりも身近なものだったといいます。
この戦争で、自分も死ぬと覚悟していた橋田さんに生き抜くことを決意させた出来事がありました。それは、終戦直後に身を寄せた、山形で目の当たりにした光景でした。

橋田さん:一面が黄金なんですよ。稲穂が黄金。「ああ、残っているんだ。もしかして私たちも生きられるかもしれない。それじゃあ、これから生きよう」と思いましたね。あの豊かな稲穂を見た時、「ああ、まだ日本が死なない。じゃあ私も死ねない」というのは、その時から、また一生懸命生きようと思いましたね。

一度、死というものを身近に感じて、そういう経験があったからこそ。

橋田さん:そういう意味では、1人で生きていくっていう覚悟ともう死ぬ気になったら
なんにも怖くないやっていう。今でも本当に、よくあの時から生きてきた。あの時、空襲で死んでもおかしくなかったと思うと、本当に今生きているというのは、幸せでありがたいなと思う時ありましたね。苦しいことがあったから、楽しいこともあって、その山あり谷あり。どん底がなかったら上の楽しさも幸せも分からなかっただろうし、どん底があったから幸せも分かるし。皆さん生きてるってことは、やっぱりすばらしいことなんですよ。選ばれて、この世に生まれてきたんだから、精いっぱい後悔ないように生きるという努力はしてほしいと思いますね。私はしてきましたよ、威張るわけじゃないけど。だから、もう本当に幸せでした。今を捨てないで、今の時間を捨てないで、諦めないでできるってことが生きるってことじゃないですかね。もう武田さんなんか一生懸命生きてらっしゃるから大丈夫です。

一生懸命生きてこられたから、人生の最期をやっぱり自分らしくと考えている?

橋田さん:そうなんですよね。そういうプライドがちょびっとありますね。
(でも、まだ死ななくていいんじゃないですか、僕は思うんですけど。)
だから変なんですよね。薬、お医者様で出ているでしょ。飲まなきゃいいんですよね。でも、やめる勇気ないんですよ。やめたら病気になっちゃうんじゃないか。これ矛盾してますよね。やめて、もういつ死んでもいいならやめたらいいのに、苦しんで病気になって死ぬのが怖いから、一生懸命まだ飲んでるんです、常に。十何種類なんですよ、薬。そういうのあって、案外100まで生きてたりして。

死と向き合うことは、人生をどう生ききるか考えること。橋田さんの安楽死宣言を、私はそう受け止めました。そして、死を身近に感じながら、命の尊厳について悩み、考え続けている人たちの存在も知ることができました。死と向き合い、どう生ききるか誰もが問われていることです。私も考えていきたいと思います。