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【解説】東日本大震災・原発事故「帰還困難区域」

ゼロからわかる福島のいま 第11回
  • 2023年02月21日

避難指示区域の設定

2011年3月11日、大津波によって、東京電力福島第一原子力発電所では原子炉を冷やす機械が動かなくなり、国は、原子炉が壊れて放射性物質が漏れ出すおそれがあるとして、原子力緊急事態宣言を発令し、近くに住む人たちに避難指示や屋内待避指示を出しました。

その範囲は、段階的に拡大され、第一原発から半径20km、第二原発から半径10kmに及びました。

4月には、第一原発から半径20km圏内に立ち入りを禁止する「警戒区域」が設定され、さらに原発から30キロ以上離れた飯舘村などにも「計画的避難区域」が設定され、避難指示が出されました。

避難指示の対象は、12の市町村に及びました。

避難指示区域の再編

原子炉が冷温停止状態となったことを受けて、政府は、2012年4月から、警戒区域と計画的避難区域を、3つの区域に順次再編しました。

早期の解除を目指す「避難指示解除準備区域」、避難を継続しながら計画的に除染などを進める「居住制限区域」、放射線量が比較的高く将来にわたり居住を制限する「帰還困難区域」です。

7つの市町村にまたがる帰還困難区域の総面積は337㎢。浪江町が180㎢と全体の53%を占めています。自治体の面積に占める帰還困難区域の割合は、双葉町が95%、浪江町が80%、大熊町が62%などとなっています。

このほか、放射線量が一定レベル以上になると予想されたいわゆるホットスポットには、国が避難を促す「特定避難勧奨地点」が設定され、多くの人たちがふるさとから離れざるを得なくなってしまいました。

震災と原発事故によって避難を余儀なくされた人は、県内では最大16万4000人あまりにのぼるとされています。

残された「帰還困難区域」

その後、各自治体の避難指示は、2020年3月まで段階的に解除され、帰還困難区域だけが残りました。

その3年前、2017年から、帰還困難区域の避難指示解除に向けて動きが始まりました。

帰還困難区域全体の8%、南相馬市を除く6町村のあわせて27㎢に、先行して除染やインフラ整備を行う「特定復興再生拠点区域」が設けられました。かつての中心市街地や集落などを対象に、自治体が範囲や避難指示解除後の復興計画を決め、国が認可する仕組みです。

帰還困難区域の避難指示解除が実現

そして去年、6月12日に葛尾村、6月30日に大熊町、そして8月30日に双葉町で「特定復興再生拠点区域」の避難指示解除が実現しました。原発事故の発生から11年あまりを経て、「将来にわたり居住を制限する」とされた地域に、再び人が住めるようになったのです。

来月以降、浪江町、富岡町、飯舘村でも、特定復興再生拠点区域の避難指示が解除される予定です。

残される309㎢の帰還困難区域

特定復興再生拠点区域の避難指示がすべて解除されるといっても、それは当初設定された帰還困難区域のわずか8%。残りの92%、309㎢あまりは帰還困難区域のままです。

この「残された帰還困難区域」の避難指示解除をどのように進めていくかが、福島の復興にとっての非常に大きな課題となります。

  • 橋本央隆

    NHK福島放送局

    橋本央隆

    福島市出身。南相馬支局に勤務していた2011年3月に、東日本大震災と原発事故が発生。以後震災取材を継続し、現在はいわき支局担当。

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