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語り部クロス

クロストーク2

「語り部」と「仕事」 両立に悩む同世代

【宮城】永沼 悠斗さん(28)
 × 
【長崎】田平 由布子さん(29)

対話:2022年11月6日

 宮城県石巻市出身の永沼悠斗さん(28)。地震による津波で弟、祖母、曾祖母の3人が犠牲になりました。2016年から語り部の活動をはじめた永沼さん。活動を続ける中で、今、ある悩みを抱えています。それは、就職や進学などで同世代の語り部が次々と辞めていくことです。「自分と同じように働きながら語り部をしている同世代と語りたい」。
 そこで対話の相手となったのは長崎で原爆の記憶を語り継いでいる同世代の田平由布子さん(29)です。仕事をしながら精力的に活動をしています。
 語る内容は違っても、伝えたいという思いは同じ。
 戦争や災害を各地で伝える語り部同士の対話の記録です。
(福島放送局 アナウンサー 武田健太/ディレクター 佐野風真)

PROFILE

永沼 悠斗さん(28)

永沼 悠斗さん(28)

宮城県石巻市出身。震災当時は高校1年生。大川小に通っていた小学2年生の弟、祖母、曾祖母を津波で亡くした。自分が生かされた意味を考えたときに、語り部として活動することを決意。2016年から本格的に活動している。現在も仕事をしながら活動を続けているが「仕事」と「語り部活動」の両立の難しさを課題に感じている。

田平 由布子さん(29)

田平 由布子さん(29)

長崎県長崎市出身。2018年から語り部として活動。被爆者、吉田勲さんの記憶を聞き取り、その記憶を語り継ぐ活動をしている。田平さんも永沼さんと同じように仕事をしながら語り部活動をしている。仕事と両立している同世代が少なく、孤独を感じている。

INDEX

  • 語り部を始めたきっかけ
  • 「語り部と仕事」両立の難しさ感じた、就活
  • 両立の大変さの裏にある“価値”
  • 辞めるという選択肢はない
  • 私たちは「一人じゃない」

写真1

1.語り部を始めたきっかけ

永沼永沼

同世代の人って全国的に見てもそんなに多くないなと思うんですね。お互いの仕事の話もしつつお話できればと思います!実際に、大学を卒業してからは、どんな形で仕事をしていたんですか?

田平田平

「核兵器廃絶研究センター」というのが長崎大学にあって大学時代には核問題を学んでいたんです。卒業後も2年ちょっと、そこで働いていました。その中で“被爆体験の継承”を中心にしている研究者の方とご一緒する機会があってそこから被爆体験の継承を始めました。

永沼永沼

そこがきっかけですか?

田平田平

そうです。ただ、実は、私はどちらかというと…被爆体験の継承そのものに、反対の立場だったんですよ。

永沼永沼

え!どういうことですか?

田平田平

被爆体験は被爆者ご自身が語るからこそ、言葉に重みや説得力があると思っていたので、体験していない人が「受け継ぎたい」という思いを持って継承したとしてもどこまでその話に重みや説得力があるんだろうって。だけど、その研究者の方が「私たち若者は被爆体験をしていないからと言って継承を放棄していいのか?それは違うと思う」とおっしゃっていたんです。それを聞いて「確かにそうだな」と思って気持ちが180度変わりました。

永沼永沼

それで継承の活動を始められた?

田平田平

そうですね。そこから被爆者と受け継ぎたい人が集まる交流会に参加して、そこで初めて私が記憶を受け継いだ、被爆者の吉田勲(いさお)さんという方とお会いして「継承したい」と思い、聴き取りを始めました。

田平さんが語り部を始めたきっかけは被爆者の吉田勲さんとの出会い田平さんが語り部を始めたきっかけは被爆者の吉田勲さんとの出会い

永沼永沼

私は原体験があるのでよくも悪くもですけど、呼ばれたくなくても、そうなりたいと思っていなくても「被災者」になれました。私と同じような思いをしてほしくない。できるだけ命が守られて、安心・安全に暮らせる社会になればいいなと思ってずっとやってきました。それがモチベーションなんですけど、田平さんは、実際に活動していくためのモチベーションはどこにあるんですか?

田平田平

被爆者の吉田勲さんという方と初めてお会いして、2回聴き取りに行ったんですけど、初めての聴き取りから2か月半後にお亡くなりになってるんです、勲さんが。急病でお亡くなりになって。いろんな方が「まさか勲さんが亡くなるなんて思わなかった」とおっしゃっていたぐらいで。最後の語りを聴いたときも、家の近くまで車で送ってくださったぐらいだから。そのときに「じゃあ、被爆者の亡き後の継承ってどうあればいいんだろう」というのが、私の中での最優先課題になったんです。勲さんが私に残してくださった大きな宿題、これをきちんと解いて勲さんに報告しなきゃなって私は思ってるので、そこのモチベーションはすごく大きいですね。

永沼永沼

なるほど。それだけ大きなものをもらっていたんでしょうし、全てを聴くことができなかったからこそ、そう思うところもあるでしょうね。

田平田平

そうですね。“被爆者 対 受け継ぐ人”としての交流はできたけれども、“吉田さん 対 田平由布子”として1対1の交流は、結局、これからしようと思っているやさきにお亡くなりになったので、勲さんに対する思い入れって ものすごい強いんですよね。

永沼永沼

すごいな。そのモチベーション…。私たちとは違うモチベーションなので。私たち東北の人たちからすれば、今後そういう方が出てくると思うんですよ、継承して語り継いでいくと。東北の次の世代が、「継いでいく」ってなったときに、思いだったり価値だったりを伝えてほしいですし、そのときまで伝え続けていてほしいです。

写真2

2.「語り部と仕事」両立の難しさ感じた、就活

田平田平

“被爆体験の継承活動をしながら仕事ができる”ことを目指していたので、就職活動でもいろんなところに履歴書を送ったり、会社を見たりしたんですけど「被爆体験の継承活動もやっていきたい」みたいなことを書いたら「あんた、それは違うでしょ」って言われたんです。

永沼永沼

へえ。

田平田平

そこを理解してくれるような方とか会社というのがなかなか見つからなくて苦労しましたね。

永沼永沼

なるほど。じゃあ、そういう経緯があって今の職場はご理解があるということですよね。

田平田平

そうなんですよ。最初から講話との両立がOKだったんです。「規定の時間仕事をしてくれれば、全然仕事と両立しても大丈夫だよ」ということだったので、休みを取ったり、別の日に振り替え出勤したりしながら、県外での講話も行けています。ありがたいことに両立はできていますね。

永沼永沼

そういう理解のある職場じゃないと、なかなか難しいですよね。

田平田平

そうですね。

永沼永沼

社会貢献活動をやっていくためには、生活もしていかなきゃいけないので、今の世の中だと“働きながらやる”必要がありますよね。私も就職するときには、語り部活動が始まっていたので「こういう活動をライフワークとしてしたいんだ」と面接していたんですけど、理解いただけるところと、そうじゃないところ、半分くらい…50%ぐらいでしたね。

田平田平

震災があった土地でもそうだったんですか。

永沼永沼

そうです、そうです。震災から時間がそんなに経っていない中で、こういう活動が世の中に必要だというのはなかなか伝わらなかったんですよね。

田平田平

そうなんですね。

永沼永沼

だから「あぁ、こんなに世の中の反応ってドライなところもあるんだなあ」っていうのは、すごい感じましたね。

田平田平

そうなんですね。今はご理解がある職場に勤めておられると思うんですけど、ご理解いただけなかったところとかってどんな反応だったんですか?

永沼永沼

「学生時代に力を入れてきたことは何ですか?」って言われたときに、震災伝承活動というのに力を入れてやってきたと言ったところ「それは働いたあとも続ける予定なの?」と言われて「ライフワークなので、どんな職業になっても続けようと思います」って言ったら「うちでは、難しいかなぁ」って言われました。

田平田平

「うちでは難しい」と…?

永沼永沼

そのときに聞いたんですよ。「あの~休日だとか自分の自由裁量でもダメなんですか?」って言ったら「ダメだ」って言われてましたよ。

田平田平

なんでだろう。休日とか自由裁量ならOKな気がするのに、それもダメなんですね。

永沼永沼

いま勤めている職業というのは地元に根ざした企業なので「もちろん、自由裁量でやるのは全然OKだよ」ということで応援していただけて本当ありがたいなと思っています。

写真3

3.両立の大変さの裏にある“価値”

永沼永沼

平日とかにも依頼はあるんですけど現状だと土日祝日が休みなので、どうしても平日はなかなかやれないところもあって。

田平田平

厳しいですよね。

永沼永沼

あと、働きながらだと、やっぱり土日にしか対応できないので、その準備を平日にやらなきゃいけないですから…

田平田平

お仕事から帰ったあとですもんね。

永沼永沼

そうなんです。それが、大変ですね。だからといって、この活動だけで生活ができる状況ではないので、どうしても“生活をしていく”ということを考えると両立せざるを得ないです。

田平田平

長崎の場合は20代後半の世代で働きながらやっている人って知らないんですよね。もう「いたら教えて!」って感じで、本当に知らない。例えば、大学とかで平和活動を一生懸命している若者が「企業に就職しました」ってなって、やっぱりどんどん辞めていくんですよね。私の後輩もそういう子がいて、なんか「もどかしいな」と思うと同時に、道筋を示してあげられない自分もいて、そこは「ちょっと申し訳ないな」と思う気持ちもあります。宮城はどうなんですか?

永沼永沼

やっぱり東北全体で見ても、そうなんですよ。小学生、中学生だったりで語りを始めている子たちが、ちょうど高校卒業だったり就職だったりっていうタイミングを迎えて。なかなか活動を継続できている人が少ない。どうしても辞めてしまう人が多いですね。

田平田平

じゃあ、本当に長崎と一緒なんですね。たしかに“続けていけない”というところは課題としてあるんですけど、私、「仕事と両立しててよかったな」と最近思うようになったんですよ。というのも、今の仕事に就いてから、職場で、職員が職員にする勉強会というのがあるんですけど、その勉強会の中で、私、講話をしたりとか。

職場の同僚たちの前で原爆の記憶を語り始めた田平さん職場の同僚たちの前で原爆の記憶を語り始めた田平さん

永沼永沼

ふーん!

田平田平

仕事をやっているからこそ、逆に“ひとつの狭い世界にどっぷりつからない”というのがすごく大きなメリットだなと思いました。やっぱり平和とか原爆というのは、それだけに関心がある人じゃなくて、いま無関心な人とか、ちょっと興味があるぐらいの人にも届けていかないといけないからですね。そういった意味では、全然違う分野にいる人と交流したり、そこで仕事をしたりすることって、ものすごく価値があるんだなって思いました。

永沼永沼

それはそうですよね。確かに大きなメリットな気がします。

写真4

4.辞めるという選択肢はない

永沼永沼

3月11日ってすごい雰囲気が違うんですよ。年明けてから3月っていうのは、なおさら各地でいろんな語り部活動も多くなるんですよ。3月11日に向かって“盛り上がりをつくる”じゃないですけど、そういう空気になるんですよ。一方で、私たち被災者であり遺族というのは、その日を一年で一番の追悼の日にしたいと思ってるんですよ。

田平田平

そうですよね。3月11日を過ぎたらどんなふうになるんですか?

永沼永沼

なんだろうな…なんか言葉だと言い表しづらいんですけど。3月11日を迎えるまでって自分も体験したからそうなんですけど、あの日のことをすごく思い出すんですよ。その日が近づくにつれて「あぁ、あの日だなー」と思うんですよ。それが終わると「あぁ、あの日を迎えて1年経ったなあ」と。そして「また1年 生きていくんだなあ」というので、その繰り返しが、もう十何年続いているって感じなんですよね。だから、自分なんかは、家族のことだったり、お世話になった方だったり、地域の方々を追悼したときに、この一年、自分が本当にそういう思いをこめて活動できたかなと振り返る日にもなっています。

田平田平

そうなんですね。

永沼永沼

この活動って終わりがないんです。どこまでできたのかなというのは自分のその感覚でしかないじゃないですか。その一年の振り返りみたいなのも11日にするんですよ。そのときに「あぁ、一年がんばってきたな」と。そして「また一年がんばろう」みたいな、そういう感じですね。

田平田平

ええ、ええ。そうですね。

永沼永沼

亡くなった方々はどうしても、言葉を持たないので私たちの想像でしかないですし、どう思っていたのかっていうのは、生きていたときの思いを引き継ぐことでしか考えられないですけど。その方々が生きた証しを残せるのは、私たちだけだなあとも思うんですよ。生き続けている限り、その生きた証しを世の中に残し続けるのは使命なのかなとは思ったんですよね。やっぱり被爆者の勲さんの思いを唯一引き継いだというところでいうと、伝え続ける使命、感じられていますよね?

田平田平

感じますね。一番は責任ですね。「私が語り継がなければ、勲さん、本当にこの世からいなくなるな」という、その責任でやってますね。だから、「なんで辞めないのか」とか考えたことなくて。なんか、“食事、睡眠、講話”みたいな感じ?

永沼永沼

〔笑〕呼吸するかのごとくってことですよね?

田平田平

そう、呼吸するかのごとく講話しているので〔笑〕。

永沼永沼

わかります、わかります。

田平田平

家のことがあったりとかで、一時的に活動の頻度を減らしたりとかはあると思うけど、それでも辞めることは絶対ないですね。

永沼永沼

そうですね。「辞める」っていう選択肢にはならないですね。もう活動自体が自分の体の一部じゃないですけど、人生の一部になっていると思うので、つらいからとか大変だから「辞める」ということじゃなくて、「じゃあ、どうする?」って感じですよね。

田平田平

そうです!そうです!

永沼永沼

「そのために何が必要なのか」というのを考えるってことですよね。やり続ける中でよりよい方法だったりやり方だったりを模索して切りひらいていく未来が、後輩たちにとっても必要でしょうしね。

田平田平

うん、そうですね。

永沼永沼

一緒ですね。本当に共通点いっぱいありすぎ。

写真5

5.私たちは「一人じゃない」

田平田平

今日、永沼さんに出会えて思ったのが、「私は1人じゃないんだな」ということなんですよ。やっぱり、そこは大きいですよね?

永沼永沼

活動の仕方っていうのはすごく似ているところがあったので、それは思いますね。

永沼永沼

だから、同世代でもいろいろ感じていることだったり、境遇だったり、課題だったり、価値観だったりはあると思いますけど、もう少し交流する場は必要ですよね。若者がその土地土地で頑張ってるっていうのは、あるはずなんですよ。

田平田平

局地的ですよね。長崎なら長崎、広島なら広島、みたいな。

永沼永沼

そこもつながりたいですね。

田平田平

お互いに学び合えると思うんですよね。語り方の工夫とか受け継ぎ方の工夫とか、それから仕事との両立の方法もひとりひとり違うだろうから、そこはみんながどうやっているのか共有して、学べるところは学んでいって力にしていく、すごくお互いにとっていいと思いますね。

永沼永沼

オンラインでもいいですしね、今の時代だったら。現地で交流させてもらえるのもいいですし。もう少し機会をつくったほうがいいですね。そうすると、お互いの活動の理解も深まりますし。若者がそういう活動を頑張っているんだっていうのを1人の言葉だけじゃなくて、同世代の仲間たちの言葉で“社会に届けられる”となれば、社会インパクトもある。

田平田平

そうですね、大きいです。この世代のネットワークがなかなかないですよね。

永沼永沼

確かに。“こういうやり方があるのか!”って、気づくきっかけにもなりますしね。

田平田平

そうです!そうです!

永沼永沼

来てなおさら、「同じ思いを持っている同世代の方がいる」っていうのだとか、活動するモチベーションを持つことができたのが、ほんとよかったなと思って。

田平田平

よかったです、そうおっしゃっていただけて。

永沼永沼

だから、なおさらですけど、モチベーションがもう一つ増えたなとは思います。本当に貴重なお話聞かせていただいて、ありがとうございます。

田平田平

こちらこそ、ありがとうございました。

クロストーク イラスト

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