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反骨農家たった独りの米作り

2011年。国は、東京電力福島第一原発から30キロ圏内での稲の作付けを禁じた。そのひとつ、川内村。
秋、原発事故前までは当たり前だった黄金色に染まる村は、雑草が覆い尽くす無残な景色に姿を変えた。

その中に、たった一枚だけ稲穂の実る田んぼがあった。
田んぼの持ち主、米農家・秋元美誉(よしたか)さん。

米がどれだけ汚染されたのか、自分で確かめたくて作った田んぼだ。
田んぼは、3年も放置したら木が生え、使い物にならなくなる。
悠長な国の方針に従っていては、稲作中心の村には、人が帰らなくなってしまうのではないか?
美誉さんは、あえて国の方針に反して米を作った。
「国が悪い、東電が悪いと言ったって、何も始まらない。自分のことは自分でやらないと」
村の未来のために作った田んぼだった。

9月、米は平年通りよく実った。
しかし、およそ1トンの米の内、検査にまわされる1キロ以外は廃棄しなければならない。
8月になって国が作ったルールだった。
廃棄しなくてはならないと判っていても、美誉さんは田んぼに落ちた稲穂を拾い集めていた。
「捨てるんだから稲穂拾うことないっていうけど、捨てるまで最後まで守ってやりたいな、米の命。ハハハ」
悔しくて、美誉さんが笑っていた。

一週間後、美誉さん自ら、米を廃棄した。
米に申し訳ない、そういって涙があふれた。
せめて来年育つ米の栄養になってほしいと、田んぼにすき込んだ。
検査の結果、美誉さんの米から放射性物質は検出されなかった。

翌年の2012年。29軒の農家が試験的ではあるものの稲作を再開した。
美誉さんの検査結果を知って、自分もやってみようと手を挙げた人たちだ。
原発事故があっても、村で米は作れる――。美誉さんの米が、つないだ未来だった。
美誉さんは、県外から沢山の人を呼んで、川内村の農業を知ってもらおうと農業体験も実施。
風評被害を払拭するためだった。
晴れ渡る空の元、原発事故を忘れて、誰もが泥だらけになりながら田植えに汗をかいた。

2013年。稲の作付け制限がようやく解除。3年ぶりに、「食べるための米」作りが再開した。
ところがその矢先、美誉さんが病に倒れる。脳梗塞だった。手足には麻痺が残った。
それでも美誉さんは、田んぼに立ち続けた

2017年秋。村は今年も、辺り一面が黄金色に染まった。
美誉さんが、ずっと夢見てきた光景だ。
「稲が風でそよぐって感じ、あれいいなー。これがほんとの姿だと思うべ。田んぼの姿は」
美誉さんの想いが詰まった景色。嗚呼絶景。

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