ものがたり

浜通り

松本仁枝さん

  • まん福

ど根性母ちゃんの京都ラーメン

【ど根性感謝の一杯】

いわき駅前の繁華街のど真ん中にその店はある。3年前にオープンした、京都ラーメンの専門店。

福島では珍しい、細めのストレート麺に、背脂たっぷりの濃厚なスープ。“本場・京都の味”を味わえると評判だ。福島県民はもちろん、復興の仕事でいわきに来た関西の人も訪れ、独特の味に舌鼓を打つ。

 

店を営むのは、松本仁枝(まつもと・ひとえ)さん。金髪のショートヘアーに、トレードマークのラメ入りドクロ柄の帽子。

昔はちょっとだけ、ヤンチャしたこともあるという。ラーメン作りは、いつだって真剣勝負!

毎日汗だくになって、30キロの鶏ガラからスープを作る。男でも音を上げてしまうような重労働だって、難なくこなすのだ。

 

実は松本さん、これまで全くラーメンとは縁もゆかりも無い人生を送っていた。

「色んな人と出会ってそれがつながっていく。今の自分があるっていうのは“人”です」と言う松本さん。

運命の出会いを実らせ、700キロ離れた京都から、一杯のラーメンを見事手繰り寄せたのだ。

松本さんは川内村の生まれ。男勝りで、負けん気の強い女の子だった。高校を卒業した後、富岡町の会社に就職。事務員として働きはじめた。

 

 

 

30歳の時に結婚するも、わずか10ヶ月で離婚してしまう。一人息子の竜馬くんを育てるため、松本さんは必死に働いた。

しかし38歳の時、突如、会社を辞める。

 

自分をうまく伝えられないことから、職場で受けたイジメが原因だった。

「けっこう人見知りだったんですよ、小さい頃から。性格的にきついところがあると思うので、そういうところも嫌われていたのかなというのもありますけど…。」

悔しくて、何かをせずにはいられなかった松本さん。

そこでOLから経営者に転身し、富岡町で原発作業員の宿舎を始めた。

「見返してやるというか、頑張ってるところを見せたい。自分自身を頑張らせるために、

何か目標を最初に作っちゃうみたいな感じですかね。じゃないと頑張れないので」

 

 

 

清水の舞台から飛び下りる覚悟で始めたリベンジ。ところが、わずか2ヶ月で台無しになる。

原発事故だ。自宅は、帰還困難区域になる。宿舎の仕事も、女手ひとつで建てたマイホームも失った。

 

松本さんは、当時8歳だった竜馬くんを連れて各地を転々とする。行き着いた先が、避難者の受け入れに熱心な京都だった。親子2人、全く見知らぬ土地で避難生活が始まる。

あたたかいものが食べたいと偶然立ち寄ったラーメン屋で、運命の出会いが待っていた。

 

「絶対この味だ、これしかないって。このラーメンを福島に持って帰りたいと思ったんですよね。

やらなきゃ気が済まない性格なんですよ」

 

全くのラーメン未経験者だったが、松本さんはその店で働き始め、店主に弟子入りを志願した。

その店を営んでいたのが、石田忠夫(いしだ・ただお)さん。ラーメンひとすじ19年。知る人ぞ知る、京都の凄腕の職人だ。

ラーメンの作り方を身体に叩き込む厳しい修行が石田さんのもとで始まった。

「頭をバシーン! 蹴りバーン! もう女扱いじゃないですよね。普通に男扱いですね」

 

 

最初の半年、ラーメン作りは一切教えてもらえなかった。腕が動かなくなるまでヤキメシを作る毎日。

何度も泣きそうになり、心が折れかけた。しかし、石田さんに必死に食らいつく中で、松本さんは変わっていった。

 

「本当の自分をさらけ出したら、こういう感じになるのかっていうのが、だんだんわかってきて。別に構えることないんだ、バカでいいんだって。だから人とも本音で接したらいいんだみたいな…」

初めて自分のカラを破る体験。自分らしく生きることをラーメンから教わった。

京都では、厳しい修行を陰で支えるママ友にも巡り会えた。

平井朋子(ひらい・ともこ)さん。

夜遅くまで働く自分に代わって、息子の晩ごはんを毎日作ってくれた。息子のサッカーの練習や試合も、自分の子どもと同じように、いつも一緒に連れて行ってくれた。

「こういうトモちゃんだったり、その場その場で、つながってくれる人ですよね。

そういう人がいなかったら、今の自分はいないです。」

 

 

 

避難先での出会いに恵まれた松本さん。京都に避難して4年後、福島に帰り、念願の自分の店を出した!

それから3年、ようやく経営も軌道に乗ってきたものの、毎日夜遅くまで働く日々が続いている。

家に帰るのは、毎晩11時過ぎだ。

家ではいつも、松本さんの新しいラーメン人生をいつもそばで見守ってきた“相棒”が待っている。

高校1年生になった息子の竜馬くんだ。修行のためにさみしい思いをさせた息子。でも、まっすぐに生きようとする自分の背中を、しっかりと見てくれていた。

 

運命の出会いに恵まれ、ど根性で駆け抜けた7年。

「出会うためにやった、みたいなものも感じるときあります。みんなと出会うためにラーメン屋やったんだなぁみたいな。ラーメン屋やったから出会ったんじゃなくて、出会うためにラーメン屋やったのかなって思う時がありますね。」

人生を変えた、京都でのラーメンとの出会い。あふれる感謝の気持ちを胸に、松本さんは今日も頑張る。