【WEB特集】 老舗会社の命運をあの"食材"に?!


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コラーゲンたっぷりで、食物繊維も豊富。

あの“食材”は、救世主になるのか。

日本のものづくりを取り巻く環境が

厳しさを増す中、

福島県天栄村の老舗企業は

活路を見いだそうと、

あの“食材”に命運をかけました。

(福島放送局 佐野大輔記者)


人気のメニューに!?
パスタの横に添えられたスープに

入っている歯ごたえのある“あの食材”。

福島県須賀川市の「水彩カフェ」で

試作された特製スープです。

試食した女性客からは

「白いのは初めて」とか

「歯ごたえが何とも心地よい」

などと好評でした。

中華料理などに使われ、

コラーゲンや鉄分、

それに食物繊維が豊富な、あの食材。

白と黒があり、

美容や健康にも

良い効果があるのではないかと

若い女性を中心に

人気が高まっているといいます。


作っているのは…

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「生キクラゲ」です。

どちらかというと

乾燥した輸入ものが一般的ですが、

最近、国内では生キクラゲの市場が拡大。

福島県でもこのところ生産量が増えています。

レストランのスープに使われていたのも

福島県内で生産されました。

このレストランに

キクラゲを配達したのは・・・。

 

 

会社背負う社長の娘

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福島県の天栄村にある

電子部品製造会社「アルファ電子」。

この会社は医療機器などの部品を

メーカーからの注文を受けて

製造する「受託製造業」。

売り上げは年間7億円ほど。

従業員は150人の規模です。

「受託製造業」は

メーカーからの注文があってこその商売。

電子部品は景気によって

受注が大きく変動します。

新型コロナで材料の輸入が滞ったほか、

半導体不足などの影響をもろに受け、

売り上げは最大4割も減少。

生産ラインの縮小を迫られるなど、

先行きに危機感を抱いていました。

専務で、社長の娘でもある

樽川千香子さん(41)は、

工場や倉庫などの空きスペースを使って

全く異なる業種への参入を決めました。

それが「生キクラゲ」だったのです。

 

“きのこ”にクラシック!?

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電子部品で培った品質管理の

ノウハウを温度や湿度の管理に生かしました。

さらに少しでも独自性を出そうと、

「胎教でクラシックを聴かせたらいい」

という話を参考に、

ベートーベンやモーツァルトなどの

クラシック音楽を聴かせながら

栽培しています。

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さらに、

独自のイメージキャラクターもデザイン。

「3分ほど」でイラストを描いて

作ったというこのキャラクター。

イベントなどで販売する時に、

このシールを貼って販売しています。

 

樽川さん
「食の事業に参入すると考えたのは、

 ものづくりのノウハウを

 生かしたいと思ったからです。

 お金を生み出すような

 事業をやりたいという思いが

 やっと実現できました」

 

売り上げは電子部品に比べればまだ、

少ないですが、

ことしは去年の2倍を目指し、

今後、事業の柱として育てていく考えです。


麺の歯ごたえを数値化

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バイタリティ溢れる樽川さん。

新事業は、

「生キクラゲ」だけではありません。

会社があるのは、県内有数の米どころ天栄村。

樽川さんはその立地を最大限活用して、

コメを使った、

新たな事業にも挑戦し始めました。

福島県産米を使った米粉の麺です。

その名も「う米めん(うまいめん)」。

もの作りのスキルを生かして

麺の歯ごたえを“数値化”。

「稲庭うどん」と「さぬきうどん」の

中間を目指しました。

去年11月にイベントを開催。

会場で米粉の麺が入った豚汁を

ふるまうと大好評でした。

 

イベントに子どもと訪れた母親

「子どもがアレルギーがあって

 小麦のめんが食べられないので、

 お米の麺はとても良いと思います」

 

実は樽川さんの娘も

かつて小麦アレルギーでした。

それが新商品の開発の

きっかけともなりました。

小麦アレルギーがある人などから

多くのニーズがあるのではないか

と考えたのです。

 

500年変わり続けるDNA

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この米粉の麺。

キクラゲのスープを試作した、

須賀川市のカフェをはじめ、

福島県内の飲食店でも

提供され始めているほか、

地元、天栄村のふるさと納税の

返礼品にも採用されました。

樽川さんの会社では

今後米粉の生産を拡大していく方針です。kinoko8.jpg

樽川さんは、

今回の取材で私に家系図を見せてくれました。

西暦1500年代から続くという樽川家。

1700年代には造り酒屋。

1800年代にはかつら屋。

1900年代には羽子板屋を

営んでいたという記録が残っています。

 

樽川さん

「必ず変化をするということに

 立ち向かっていかなければ

 会社は生き残って

 いけないんじゃないかなと感じています。

 常に変わることとか、

 新しいことをスタートするということが

 私の役目なのかなと思っています」

 

時代の変化に合わせて商う物を変え、

従業員たちの生活を守っていく。

先祖代々のDNAが、

変化を後押ししているのかもしれない。

そう感じさせる取材でした。



記者・カメラマン     

投稿時間:11:34